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2018年03月 アーカイブ

2018.03.07

平成が終わる(1)

サンデー毎日に「平成の30年間を振り返る」というお題での寄稿を求められた。4600字というたっぷりと紙数を頂いたので、書きたいことを書いた。
それでも書ききれなくて、二回にわたってしまった。まとめて掲載。

平成という時代が2019年4月で終わることが決まった。
元号が変わることについてある媒体から「元号はこれからも必要なんでしょうか?」と訊かれた。元号を廃して、西暦に統一すればいいと主張している人がいることは私も知っている。でも、それはいささか短見ではないかと思う。別に日本の固有の伝統を守れとか、そういう肩肘張った話ではなく、時間を時々区切ってみせることは、私たちが思っている以上に大切なことのように思えるからである。
私の父は明治45年1月の生まれだった。明治は7月末日に終わるので、父は半年だけの明治人であった。けれども、「自分は明治の男だ」というアイデンティティーはずいぶん強いものだったように思う。私が子どもの頃、父は折に触れて「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男の句を口ずさんでいた。それはおそらく父が戦後の日本社会について「ここは自分の本籍地ではない」という異邦感を抱いていたからだと思う。その「時代との齟齬感」が父の世代に独特の反時代的な批評性を与えていたように思う。その反時代性(例えば、SFを「荒唐無稽」と一蹴し、ロックを「騒音」と切り捨てるような風儀)は彼の個性というよりはかなりの部分まで「明治の男はかくあらねばならない」という外形的なしばりのせいだった。そのせいで彼らは不自由をかこちながら、一方では「ある時代に帰属していることの安心感」を享受してもいたのではないかと思う。
漱石の『虞美人草』の登場人物である宗近君の父は、小説の中では若者たちから「天保老人」と綽名されている。おそらく江戸時代の武士のたたずまいを明治の聖代に遺していたのであろう。明治40年頃の読者たちは、その語によってある年齢の老人については輪郭の鮮明な、解像度の高いイメージを抱くことができたのである。「大正デモクラシー」も「昭和維新」も、元号抜きにはそれほどの強い喚起力をもつことはなかったはずである。
元号のない国もそれに代替する自分たちだけの時代の区切りを持っている。イギリス人は時代を王位で区切る。だから、「ヴィクトリア朝風(Victorian)」には「旧式で、融通が利かず、上品に取り澄ました、装飾過剰の」といった一連の含意がある。エドワード七世の在位は1901年から10年までのわずか10年だったけれど、形容詞「エドワード朝風(Edwardian)」は「物質的豊かさに対する自己満足と華美絢爛」という固有の語義を持っている。
フランスでは装飾様式の変遷と政体の転換をセットにして、「ルイ16世様式」「総裁政府(ディレクトワール)様式」「帝政(アンピール)様式」といった細かい区分を行う。
王の交代も政体の転覆も経験していないアメリカは仕方がなく「狂騒の20年代」とか「50年代ファッション」とか「60年代ポップス」とかいうように10年(decade)で時代を区切る。10年単位で人間の生き方が変わるとも思われないが、これが変わるから不思議である。アメリカ人もたぶん「もうすぐ○○年代も終わるから、そろそろ新しいことをしないといけない」というふうな変化への無言の圧力を感じるのだろう。
だから、「世界は西暦で度量衡が統一されており、日本だけが元号のような時代遅れの陋習を維持している」と断定するのはいささか気が早いと思う。人間はいろいろなしかたで時間を区切る。区切らないと落ち着かないからそうするのだ。そして、区切ってみせた後に、あたかもそこに決定的な時間的断絶が存在したかのように、区切りの前後でふるまいを変えてみせる。まず区切りをつけてから、事後的にその区切りに「リアリティ」を賦与するのである。上に「ある時代に帰属することの安心感」と書いたけれど、人間は型にはまることで「ほっとする」ことがある。そういう生き物なのだ。良い悪いを言っても始まらない。

以上が元号についての私見である。その上で平成の30年間がどういう時代だったかを総括してみたい。それについてこんな仮説を立てた。それは過去30年間で何がどう変わったのかを見て取るためには、時間軸をもう30年先に延ばして、前後60年の幅を取る必要があるのではないかということである。つまり、今を「折り返し点」と想定して、「これまであったこと」の回想と「これから起きること」についての予測に等分に知力を分配するのである。そうしないと、人間はうまく知恵が働かないのではないかという気がしたのである。そういう気がするだけで、何のエビデンスもないが、平成の終わりに同期するように「今から30年後の日本はどうなっているのか?」という想像力の使い方をする人が出て来たのは事実である。その一人が橋本治である。
橋本治は『九十八歳になった私』という「近未来空想科学私小説」を書いた(たいへん面白い本だった)。その中で、橋本治は98歳になって、まだらに惚けが入ってきて、足腰が立たなくなって、生活保護を受けながら、「原発が二個壊れて、CO2出せないから火力発電もだめで、電気がそんなに通ってないから、パソコンもそうそう使えない」北関東の「東京大地震」の被災者住宅で、空から襲ってくるプテラノドンに怯えながら暮らしている(遺伝子工学の暴走によって30年後の日本は局所的に「ジュラシック・パーク」化しているのである)。その日常を活写した小説の「あとがき」に橋本はこう書いている。
「『三十年後の近未来』を考えたら、今や誰だって絶望郷(ディストピア)だろう。そのことを当然として、みんなよく平気でいられるなとは思ったけれど、『じゃ、どんなディストピアか?』を考えたら面倒臭くなった。(…)『ディストピアを書くったって、現在の自分の立場を安泰にしておいて、暗い未来を覗き見るんだろう? それって、なんかフェアじゃないな』と思い、『そうか、自分をディストピアにしちゃえばいいんだ』というところへすぐ行った。」
橋本はここでとても大切なことを書いていると私は思う。それは「現在の自分の立場を安泰にしておいて」なされる未来についての想像は「フェアじゃない」。だから、同じように「現在の自分の立場を安泰にしておいて」なされる過去の回想も「フェアじゃない」のだと思う。過去30年を振り返るとしたら、「こんな日本に誰がした」というような言葉づかいは自制すべきだろう。他ならぬ私たちが「こんな日本」にしたのである
同じように30年後の日本について語るときも、それが絶望的な見通しであればあるほど、その社会でリアルに苦しんでいる老残の自分をありありと想像した上で、「そうなることがわかっていながら、止めることができなかった」私自身を責めるべきなのだ。

30年後のディストピアについての暗鬱な予言をもう一つ紹介する。アメリカの投資家ジム・ロジャーズの日本経済について語ったものである。(『週刊現代』12月13日号)
「日本はいまGDPの240%、じつに1000兆円を超す巨額赤字を抱えています。そのうえ、猛烈なペースで進む人口減少社会に突入してきたため、とてもじゃないがこの借金を返済することはできない状況になってきました。30年後に40歳になる日本人には、老後を支えてくれる人もカネもない。このままいけば、いま日本人の10歳の子どもが40歳になる頃には、日本は大変なトラブルを抱えていることでしょう。」
2050年の日本の人口予測は9700万人。現在が1億2700万人であるから、3000万人、つまり年間約100万人ペースの人口減である。仙台や千葉サイズの市が毎年消滅する計算である。日本の国土面積は38万㎢、今はそのうち18万㎢に人が住んでいるが、2050年にはその20%が無住の地となり、60%で人口が半減する。無住の地は国土の62%に及ぶ。
国交省や総務省はこういった非情緒的なデータは公開するが、どういうプロセスを経て無住地が広がるのかについては具体的な描写を控えている。現実に起こるのは、政府も自治体も行政コストを負担できなくなり、交通網、上下水道、ライフライン、警察、消防、医療、教育機関など「それなしでは暮らしていけないインフラ」が過疎度の高いエリアから順に廃絶されるということである。「採算が取れない」という理由で鉄道を廃線し、道路や橋梁やトンネルの補修に予算をつけず、病院や学校を撤収すれば、その地は事実上居住不能になる。
すでに過疎地の切り捨ては全国で始まっている。今のところ都市住民は無関心を装っているが、過疎化切り捨ての波は遠からず地方都市にも及ぶ。その時には今度は地方都市住民たちが「文明的な生活をしたかったら、首都圏に移住しろ」と告げられることになる。「無駄なコストで財政を圧迫するのだから過疎地には住むべきではない」というロジックにひとたび同意したら、同じことをより人口密度の高い地域の住人から冷たく告げられた時にもう反論できない。この言い分に一度同意したら「それっきり」なのである。「無住の地が62%」になるというのは、そういうことである。
上で引いた投資家の言う「大変なトラブル」の一つはこれから後「無慈悲で不人情な社会」が行政主導・メディア主導で創り出されてゆくだろうということである。それについての危機感が今の日本人には感じられない。だから、この暗鬱な予測は高い確率で実現すると思う。
年初早々、気鬱な話で申し訳ないが30年後の日本についてはまだ書き残したことがあるし、そもそも平成の30年を総括するはずだったのに紙数が尽きた。続きは次の機会に。


平成が終わる(2)

昨年末に平成の30年を総括して欲しいという原稿を頼まれたが、私が書いたのは「これから後『無慈悲で不人情な社会』が行政主導・メディア主導で創り出されてゆくだろう」ということだけだった。新年早々に気鬱な話を読ませてしまって、読者の皆さんには申し訳なく思う。でも、ほんとうにそう思っているのだから仕方がない。
過去の総括を求められたのに、これから日本を待ち受けるディストピア的未来について書いたのは、「これまでの30年を総括するためには、これからの30年を予測して、前後60年のスパンでおおまかな趨勢を見る必要がある」と考えたからである。今回はそれを踏まえて、過去30年間の総括をしてみたいと思う。
率直に言えば、1989年からの30年間は日本にとって「落ち目」の日々だった。そして、この長期低落傾向はこれから先もう止まることがないと私は思っている。「落ち目」とは具体的にはどういうことなのか、そして、なぜそれは「もう止まることがない」と私が断言できるのか、それについて思うところを書き記したい。

1989年、昭和が終わり平成が始まった年にベルリンの壁が崩壊して戦後40年余にわたって続いてきた世界理解の「枠組み」が失効した。東西冷戦構造というのは重苦しく、血なまぐさいスキームではあったけれど、わかりやすい構図だった。さまざまな政治的出来事は「資本主義対共産主義」「アメリカ対ソ連」「右翼対左翼」という対立構図の中でだいたい説明できた。その構図で説明することが不適切な論件であっても、それで説明できたような気になれた。その意味ではシンプルな時代だった。
90年代に、その「大きな物語」が失効した。もう、「大きな物語」は使い物にならない。そんなもの、要らない。人々はそう思ったし、口にしもした。
その頃、「ポストモダン」という言葉がさまざまな文脈で使われたが、定義のはっきりしないその語に人々が託したのは「万人共通の世界理解の枠組みとか判断基準は失効した。これからは、みんな好きな仕方で世界を見て、好きな仕方で世界を切り取ればいい。国家のことも、共同体のことも、公共の福祉のことも私は与り知らない。ほっといてくれ、好きにさせてくれ」といういささか投げやりな気分であった。
それは日本ではまさにバブル経済の時代だった。ご記憶だろうが、あの時代、人々は株の売り買いと不動産の売り買いに狂奔した。高校のクラス会で最初から最後まで同級生たちが株と不動産の話しかしていなかった年のことを覚えている。私はどちらとも無縁だったので話題から離れていた。するとひとりの同級生が「内田は株をやらないのか?」と訊いてきた。「しないよ。金は額に汗して稼ぐものだろう」と答えたら、万座の爆笑を誘ってしまった。「内田、お前はバカか。金が道に落ちているんだぜ。しゃがんで拾えばいいだけなんだ。お前はしゃがむのがそんなに面倒なのか?」と意地悪く切り立てられて答えに窮したことがある。どこに金が地面から生えている国があるものか。いずれ誰かの懐から落ちたものだろうと思ったが、言っても相手にされないと思って黙っていた。それから数年して、多くの日本人が懐の中身を地面にぶちまけてバブル経済は終わった。
バブル経済とその瓦解が日本人の心根にどういう影響を与えたのかについての学術的な分析があるかどうか私は詳らかにしない。だが、その経験が日本人の心の深いところで「純良なもの」「無垢なもの」を損なったということは直感的にわかる。相当数の日本人がその数年の間におそらく生涯で最も陽気で蕩尽的な日々を送った。それが勤労によってではなく、一日何本かの電話のやりとりだけで手に入ったという事実は想像以上に深い傷を人に残したと私は思う。一つには、「額に汗して働き、真面目に生きていると、そのうちいいことがある」という素朴な条理に対する信頼が傷つけられたからである。紙くずを高値で売り抜けた人間がこの時代で最もクレバーな人間だと見なされたからである。しかし、バブルの崩壊はもう一つ、勤労への信頼の喪失よりももっと深く、致命的な傷を日本人に残した。そんなことを言う人を私は自分の他に知らないけれど、それは「国家主権を金で買い戻す」という国家戦略が不可能になったということである。わかりにくい話なので、これをご理解頂くためには少し説明をさせて頂きたい。

戦後日本の国家戦略は、一言で言えば、「対米従属を通じての対米自立」というものだった。敗戦国にとっては占領国=宗主国アメリカに徹底的に従属して、同盟国として信頼される以外に国家主権の回復と国土回復の方途がなかった。だから、この選択には必然性があった。
現に、昨日までの敵国に拝跪することで日本は1951年にサンフランシスコ講和条約で形式的主権を回復し、68年に小笠原を、72年に沖縄を領土回復した。だから、その時点まで「対米従属を通じて対米自立を果たす」という国家戦略はそれなりに有効だったのである。そう評価してよいと思う。
しかし、朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需というアメリカの戦争への加担によって追い風を得て、経済力においてアメリカの背を追うようになった日本人の頭の中に、80年代のある時点で、ふと「徹底的な対米従属以外の選択肢」があるのではないかという夢想がかたちをとった。
もともと60年代以降の高度成長期を担ってきたのは戦中派世代である。彼らを駆動していたのは「次はアメリカに勝つ」という敗戦国民としてはごくノーマルな「悲憤慷慨」の思いであった。
江藤淳はプリンストン大学に籍を置いていた1963年に中学の同級生とニューヨークで邂逅するが、商社勤めのその友人は酔余の勢いを借りて江藤にこう言う。
「うちの連中がみんな必死になって東奔西走しているのはな、戦争をしているからだ。日米戦争が二十何年か前に終わったなんていうのは、お前らみたいな文士や学者の寝言だよ。これは経済競争なんていうものじゃない。戦争だ。おれたちはそれを戦っているのだ。今度は敗けられない。」(『エデンの東にて』)
ここまで過激な表現を取らないまでも、1970年代まで現役だった戦中派ビジネスマンたちには「アメリカと経済戦争をしている」という自覚は無意識的には共有されていたはずである。この対米ルサンチマンは、バブル期に広く人口に膾炙した「日本の地価の合計でアメリカが二つ買える」という言葉にもはっきりと反響していた。当時、経済力で宗主国を圧倒し、「金で国家主権を買い戻す」という途方もない夢がいきなりリアリティーを持った。1989年に三菱地所がマンハッタンの摩天楼ロックフェラーセンターを、ソニーがコロンビア映画を買収したのはその無意識的な願望の表出である。

バブルの崩壊は日本人にさまざまな傷を残したけれど、誰も口にしない最も深い傷は「国家主権を金で買い戻す」という一場の夢がかき消えた失望がもたらしたものだったと私は思う。
アメリカからの政治的独立を「金で買い取る」というのは、表向きは「対米追従」姿勢を貫いたまま、事実上の「対米自立」を果たすという点では伝統的な国家戦略と背馳するものではなかった。だが、国家主権を「懇願して下賜される」のと「札びらで頬を叩いて買い戻す」のでは、こちらの気分に天地ほどの開きがある。これは日本人がおそらく世界で初めて思いついたオリジナルでトリッキーなアイディアだった。そんなことを言う人を私は自分以外に知らないが、バブル期の国民的熱狂のうちの一部は間違いなくこの「有史以来一つの前例もないアイディを日本人が自力で思いついた」ことのもたらす高揚感だったと私は思っている。
そう考えると、バブル崩壊後の「失われた二十年」という言葉に込められた深い脱力感が理解できる。それは単に金がなくなった、貧しくなったという話ではない。戦後半世紀日本人が信じてきた「額に汗して、真面目に働くことで少しずつ暮らし向きがよくなり、世の中が明るくなり、国富が増大し、ついにはアメリカから国家主権を回復して、晴れて主権国家に立ち戻る」という個人と集団を一つに結びつける「シンプルな物語」が失効したということを意味したからである。
それは、個人のレベルでは、勤労や正直や誠実や連帯といった徳目に対する素朴な信頼が失われたということであり、集団のレベルでは、一人一人の真率な努力がついには国力の向上に繋がるというイノセントな夢が消えたということである。
人間が「落ち目」になるのは、単に金がないとか、健康状態が悪いというような理由からではない。これからどう生きれば分からなくなった時に、人間は毒性の強い脱力感に囚われる。日本人はバブル崩壊時点で、戦後60年奉じて来た国家目標である「対米自立」のための手立てを見失った。またもとの卑屈で展望の見えない対米従属路線に戻るか、何の手持ちのカードもないまま対米自立路線を突っ走るか。選択肢はそれしかなかった
2009年に成立した民主党鳩山政権は「手持ちの外交カードがないまま対米自立を企てた」場合に何が起きるかを誰にでもわかるように教えてくれた。宗主国からの「処罰」が下るのを待つまでもなく、外務省・防衛相を中心とする官僚たちと大手メディアらの「対米従属テクノクラート」たちが束になって鳩山を引きずり下ろしたからである。
気がつけば、いつの間にか「対米自立という目的を失った、ただの対米従属」技術に熟達した人々が巨大なクラスターを形成して、日本の指導層の一角を占めていたのである。とりあえず彼らにとっては、この「目的なき対米従属」スキームが継続し続けることは、彼らの個人的なキャリア形成や資産形成には大きなプラスをもたらす。だから、対米従属そのものが自己目的化し、抑制を失って暴走し始めた。それが現在の日本の姿である

日本が「落ち目」になったのは個人の努力と国力の向上を結び付ける回路が失われてしまったからである。その回路が「存在しない」ということは対米従属テクノクラートたちも知っている。だから、道徳教育の強化や、「日本スゴイ」キャンペーンや、「クールジャパン」幻想や、排外主義的言説を撒き散らすことを通じて個人の努力を公的なものに向けろと必死になって煽っているのである。

日本が「落ち目」だということについての国民的合意が形成され、なぜそうなってしまったのか、そこからの回復の方位はありうるのかについての自由闊達議論が始まらない限り、この転落に歯止めはない。

2018.03.15

#Me too の光と影

今年から山形新聞というところに「直言」というコラムを毎月書くことになった。
1月から3月まで三つ書いたので、一つずつブログに上げることにした。
まず1月は#Me too 運動について。

アメリカで#Me too運動が始まったのは去年の秋のことである。ハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴィー・ワインスタインの性的ハラスメント疑惑が『ニューヨーク・タイムズ』に報道されたことがきっかけになった。
ワインスタインはキャスティング権を利用して役を求める女優たちに性的な奉仕を求め、拒絶した女性の活動を妨害したなどの件で30人以上の女優やモデルたちから訴えられたのである。彼に対する告発には被害者自身だけでなく、ジェニファー・ローレンス、メリル・ストリープ、グレン・クローズ、ジェーン・フォンダといったビッグネームも加わった。ワインスタインは映画芸術科学アカデミーから追放され、プロデューサーとしてかかわった作品も次々製作中止に追い込まれ、完成作品のクレジットからも名前が削られた。
だが、この事件は一個人の醜聞では収まらなかった。「権力を持った男たちはどれほど女性を性的なハラスメントを行っても罪に問われることがない」というアメリカ社会に根づいた慣行に対する告発として爆発してしまった。映画監督のオリヴァー・ストーン、ブレット・ラトナー、俳優のケヴィン・スペイシー、ダスティン・ホフマン、ジェームス・ウッズらが過去のセクハラで告発された。
波紋はすぐに映画界の外にも広がり、ジャーナリストや政治家や裁判官がほぼ毎日のように新たな告発対象となった。12月のアラバマ州上院議員選では、州の最高裁長官だった共和党候補が38年前に未成年の時にセクハラ被害を受けた女性の告発を受けて、トランプ大統領の必死のてこ入れにもかかわらず落選した。
#Me too運動はヨーロッパにも広がっており、もうこの流れは止まることはないだろう。
「ハラスメント」は古仏語harace(追跡)に由来する。「猟犬に追われた獲物が感じる、倒れるまで終わりなく続くきわめて激しい疲労」という語源の持つ絶望的な含意は「性的いやがらせ」という訳語では言い尽くすことができない。だが、ハラスメントの被害者が感じているのはまさにこの「生きる意欲を損なうほどの疲労」なのである。
女優サルマ・ハイエクは12月の『ニューヨーク・タイムズ』でワインスタインの性的「ハラスメント」の実態を詳細に報告したが、被害者に無力感を植え付け、反抗する気力を失わせて屈従を強いること、それは生理的欲求の解消を求める質のものではない。一人の人間の生きる意欲そのものを傷つける「呪い」に類するものなのである。
「性的ハラスメント」という表現における「性的」という限定に目を取られていると、ハラスメントの本質を見損なうことになる。つい先日アメリカで告発された事例ではナショナルチームの医師が100人に及ぶ女性アスリートにハラスメントをしていた。問題は久しく多くの被害の訴えがあったにもかかわらず、体操協会も医師の勤務先大学も、何の対処もしなかったということである。加害者を監督し、罰すべき立場にあった人々の「無作為」はしばしばハラスメント以上に、犠牲者たちを傷つけた。
フランスでは、先般この運動の「清教徒的潔癖さ」に疑念を呈する100人の女性による公開書簡が『ル・モンド』紙に掲載されたが、ただちに猛然たる批判の十字砲火を浴びて、署名者の一人カトリーヌ・ドヌーヴは弁明に追われることになった。
#Me too運動を単なる「セクハラ狩り」に矮小化してはならない。この運動はあまりに日常化しているせいでそれと感知されない暴力的な支配―被支配の関係を可視化するものである。その射程は遠く、その激震はいずれ日本にも伝わるはずである。

2018.03.16

人口減社会に向けて

日本農業新聞の「論点」というコラムに定期的に寄稿している。2月は「人口減社会」について書いた。あまり普通の人の読まない媒体なので、ブログに再録。

「人口減社会」についての論集の編者を依頼された。21世紀末の人口は中位推計で6000万人を切る。今から80年間で日本の人口がおよそ半減するのである。それがどのような社会的変動をもたらすのか予測することは難しい。いくつかの産業分野が消滅すること、いくつかの地域が無住の地になることくらいしかわからない。起こり得る事態について想像力を発揮して、それぞれについて対策を立てることは政府の大切な仕事だと私は思うが、驚くべきことに人口減についてどう対処すべきかについての議論はまだほとんど始まっていない。だからこそ、私のような素人が人口減社会の未来予測についての論集の編者に指名されるというような不思議なことが起きるのである。
先日毎日新聞が専門家に人口減についての意見を徴する座談会を企画した。その結論は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」というものだった。申し訳ないが、それは結論ではなく議論の前提だと思う。最後に出席者の一人福田康夫元首相が「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と言い捨てて話は終わった。人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しないということがわかった。その点では有意義な座談会だった。
出席者たちは「悲観的になってはならない」という点では一致していた。ただ、それは「希望がある」という意味ではなく、「日本人は悲観的になると思考停止に陥る」という哀しい経験則を確認したに過ぎない。わが国では「さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える」という構えそのものが「悲観的なふるまい」とみなされて禁圧されるのである。
近年、東芝や神戸製鋼など日本のリーディングカンパニーで不祥事が相次いだが、これらの企業でも「こんなことを続けていると、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人々はいたはずである。でも、経営者たちはその「悲観的な見通し」に耳を貸さなかった。たしかにいつかはばれて、倒産を含む破局的な帰結を迎えるだろう。だが、「大変なこと」を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。だから、「悲観的なこと」について考えるのを先送りしたのである。
人口減も同じである。この問題に「正解」はない。「被害を最小限に止めることができそうな対策」しかない。でも、そんなことを提案しても誰からも感謝されない。場合によっては叱責される。だから、みんな黙っている。黙って破局の到来を待っている。

寄稿は以上。
しかし、これは人口減に限らず、今日本で起きていることのすべてに適用できそうな話である。公文書改竄事件でも、省庁の各所に「こんなことを続けていたら、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人はいたはずである。でも、要路にある人々は耳を貸さなかった。彼らには耳を貸さない代償に個人的な栄達が約束されていたからである。組織の長期的な信頼性や安定よりも、わが身たいせつを優先させる人々たちが選択的に出世できる仕組みを作り上げたこと、それが安倍政権5年間の際立った「成果」である。
それで日本社会がどれほど損なわれたのか、被害の規模と深さを思うと気が遠くなりそうである。

『街場の文体論』韓国語版についての質疑応答

『街場の文体論』の韓国語版が出る。訳者の金さんからいくつか質問が届いた。
ネット書店の「YES24」が出している「チャンネルYES」というネット・マガジンの広報のためのインタビューである。それにこんなふうに回答した。

問1先生のおっしゃる「クリエーティヴ・ライティング」とは、単なる文章の書き方やライティング・テクニックというより、人間と言語に対する深い理解である,というふうに受け止めています。文章を書く行為において最も重要なことは何でしょうか。

「宛て先」だと思います。本でも繰り返し書きましたけれど、私たちの身には「何を言っているのかはわからないが、それが自分あてのメッセージであることはわかる」ということがしばしば起こります。なぜそれが自分あてのメッセージであることがわかったのかは自分にも説明がつかない。でも、自分がその「宛て先だ」と確信できる場合にしか、メッセージを理解しようという意欲は生まれません。

問2 先生は昔と比べて学生たちのライティングの能力は落ちていると思われますか。もしそういう傾向があると思っていらっしゃるとすれば、その原因はどこにあるとお考えでしょうか。

書く力は時代によって変わるものではないと思います。語彙の多寡や修辞法の巧拙については時代によって変化はあるでしょう。例えば、教養主義的な時代と反知性主義的な時代では、書かれるものは表面的にはずいぶん違って見えると思います。でも、いつの時代でも「定型的にしか書けない人」と「定型を打ち破る言葉を生み出す人」の比率はだいたい一定です。
村上春樹がどこかで書いていましたけれど「知性の総量はどの時代でも変わらない」ということです。それがどこに偏るかが変わるだけで。

問い3 「ライティング」の能力を育むための実践方法があるとすれば、何でしょうか。

平凡ですけれど、たくさん書くことに尽くされます。ただ量を書くのではなく、いろいろな文体で書くこと、いろいろなモードで書くことです。
例えば日本語の場合は敬体「です・ます」と常体「だ・である」が変わるだけで書かれる内容まで変わります。主語が「私」であるか「僕」であるか「われわれ」であるかでも変わります。エッセイと学術論文とレポートではまったく別個の文体・別個の思考が要求されます。
僕は教員時代によく役所に提出する「官僚的作文」を書かされましたけれど、そういうときは「目端の利いた、小利口な官僚」になりきって書きました。それもまた有用な文章修業だったと思います。どんな種類のテクストでも、書いて損はないです。


問い4 先生の著書はもう幾つも韓国に紹介されています。先生の著書が韓国の読者に愛読されている秘訣は何でしょうか。

よくわかりません。もし理由が一つあるとすれば、長くフランス文学の研究をしていたことだと思います。論文を書く時にはいつも「これはフランス語に訳せるだろうか。訳した場合、どういう文になるだろう」ということを考えながら書いていました。フランス語に訳せないような文はできるだけ書かない(フランス語に直すときに苦労するのは自分自身ですから)。ですから「日本語を母語としてない人たちが読んでもわかるように書く」という習慣はわりと若い時期から身体化していたのだと思います。

問い5 先生は去年より韓国語の学習を始めたとおっしゃいましたが、そのきっかけは何だったのでしょうか。また、先生にとって韓国語(あるいは外国語)の勉強とは何の意味でしょうか。

きっかけは韓国に毎年行っているのにハングルが読めないと看板も読めないし、レストランのメニューも読めないことでした。半年ほどやって、ようやくハングルを読んで、つっかえながら発音できるくらいにはなりました。でも、まだぜんぜん会話なんかできません。
外国語の勉強は子どもの頃から大好きでした(でも、まったく才能はないのです)。中学では漢文と英語。大学でフランス語。院生の頃にヘブライ語をやりました。いつでも新しい外国語を学び始める時はわくわくします。母語とはまったく違う仕方で世界を分節し、母語にない音韻を発音するのですから。新しい言語を一つ学ぶごとに、ものの見方が豊かになるだけでなく、身体の使い方まで変わってきます。

問い6 「言語は道具ではない、われわれ自身が言語で作られている」というところが非常に印象深かったのです。良い文章と良い言葉を身につけるためには、良い人間になければならない、というふうなお話にもなれるのでしょうか。もしそういうことになるとすれば、良い人間になるためにはどういう努力が必要でしょうか。

「良い言葉」というものがあるかどうかはわかりません。でも、思考を自由にしてくれる言葉と、不自由にする言葉があるのは事実です。その言葉を使って語り始めると、どんどん思考が窮屈になってきて、あらかじめ予測された結論に、手垢のついた論法でたどりつくしかなくなる。そういうことがあります。僕にとっての「言葉の問題」はそのような不毛な定型をどうやって回避するかということに尽くされます。
「自分がそれまで一度も言ったことがなかったこと」を表現することを支援してくれるような単語、比喩、音韻、修辞、論理・・・そういうものが僕にとっての「良い言葉」です。それをいつも探しています。

問い7 先生は生き延びるためのリテラシーを強調されています。今日、未来を生きていく若い世代に贈る特別なメッセージがありましたら、お聞かせください。

僕はここ数年スキーをわりと真剣に習っているのですけれど、その師匠である丸山先生が前に「スキー板の上の正しい位置に乗ることが大切です」と言われたことがあります。僕はすぐに手を挙げて「先生、『正しい位置』とはどこのことですか?」と訊きました。先生はにっこり笑って「いつでも『正しい位置』に戻ることができる位置です」と答えました。
「正しい位置」というのは「ここ」というふうに固定的に指定されるものではなく、絶えず自分の立ち位置を修正できる自己修正・自己刷新の能力のことだと丸山先生は教えられたのだと思います。
若い人にお伝えしたいのはそのことです。「正しい生き方」や「正しい目標」というものが固定的に存在するわけではありません。絶えず自分の一歩一歩を補正し、微調整しながら歩き続けられる自由度の高い身体操作ができるならば、その能力が「正しさ」を実現できるチャンスを積み増ししてくれる。
ですから、よく自分の心身の状態をモニターしていてください。どこかにこわばりはないか、詰まりはないか、緩みはないか、ずれはないか、それをモニターするだけでいいのです。
自分の中をみつめられたら、あなたの心身はすでに良好な状態にあります(心身が硬直し、病的な状態のときには「自分の中をみつめる」という操作そのものができませんからね)。

以上。はたして韓国の若い読者に私の言葉は届くだろうか。

2018.03.17

直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」

山形新聞に隔月連載しているエッセイの3月分。今回は韓国の教育改革について書いた。

韓国に毎年講演旅行に出かけている。ご存じないと思うけれど、私の著作は教育論を中心に十数冊が韓国語訳されていて、教育関係者に熱心な読者が多い。ここ三年ほどの招聘元は韓国の教育監である。見慣れない文字列だと思うが、日本とは教育委員会制度が違っていて、韓国は全国が17の教育区に分割されていて、それぞれの区での教育責任者である教育監は住民投票で選ばれているのである。
数年前にこの制度が導入された結果、多くの教育区で教員出身の教育監が誕生した。彼らは自身の教員経験を踏まえて、できるだけ教員たちを管理しないで、その創意工夫に現場を委ねるという開明的な方針を採った。その結果、日本ではまず見ることのできない自由な校風の公立学校が韓国の各地に続々と誕生している。
そういう歴史的文脈の中で、私のような人間が各地の教育監に公式に招聘されて、教員たちを前に講演をするということが起きている。日本には私に講演を依頼する教育委員会が一つもないという現実と比較すると、日韓の教育行政の差異が際立つはずである。
勘違いして欲しくないが、私は自慢話をしているわけではない。「こういうこと」が日本のメディアでは一切報道されないことに当惑しているのである。「こういうこと」というのは韓国において教育の「脱管理」が進み、さまざまな自発的な教育実践が行われているという現実のことである。
おそらく多くの日本人は今も韓国というのは気違いじみた受験地獄で、学校は詰め込み教育一辺倒で、教師は生徒たちに日常的に暴力をふるって支配している・・・というような韓流ドラマ経由のイメージを抱いているのだと思う。メディアもそういう定型をとくに訂正する気はなさそうである。だが、そういう時代はもう終わったのである。
韓国の変化にメディアが異常に鈍感なのは、国民に瀰漫している嫌韓感情に配慮して、「隣国で制度改革が成功している」というニュースを自制しているのかも知れないが、たぶん教育のような惰性の強い社会制度がこれほど急激に変わりうるということ自体をうまく想像できないせいだろう。
だが、6万人が虐殺された1948年の済州島四・三事件や、170人の死者を出した1980年の光州事件のことを、あるいは反共法の下で多くのリベラル派や自由主義者がまともな裁判も受けずに長期刑で投獄された時代を覚えていたら、2016年12月の朴槿恵大統領の退陣を求める100万人デモが整然と、一人の死者も出さずに実行されたということにもっと驚嘆してよいはずである。
韓国は変わった。もう80年代以前の強権的で抑圧的な社会ではない。もちろん、まだ古いシステムは生き残っているが、それを置き去りにして、社会そのものが急速に変化している。
私の著作は過去十年足らずのうちに十数冊韓国語訳された。もし韓国であれ中国であれ台湾であれ、隣国の思想家の書物が十年足らずのうちに十数冊日本語訳されていたら、私たちは「何か変わったことが起きている」と思うだろう。宗教的な組織活動かイデオロギー的なプロパガンダ以外に、そんなことは日本社会では起こり得ないからである。けれども、そういうことが韓国では起きているのである。私は別に例外的な書き手ではなく、多くの日本人の学者や思想家の書物が次々と韓国語訳されている。
韓国の人たちの隣国から学ぶ姿勢の激しさに私は驚かされる。「それは韓国が知的後進国だからだ」と言って鼻先で笑って済ませる人がいるだろう。あるいはその方が多数派かも知れない。現代日本社会で「隣国から学ぶ」ことの大切さを語る人に出会うことはまずない。だが、それこそがわが国に久しく取り憑いた停滞と没落の病態だということに人々はいつ気づくのだろうか。

2018.03.23

受験生のみなさんへ

「サンデー毎日」の先週号に「受験生のみなさんへ」と題するエッセイを寄稿した。
高校生や中学生もできたら小学生も読んで欲しい。

受験生のみなさんへ。
こんにちは。内田樹です。この春受験を終えられた皆さんと、これから受験される皆さんに年長者として一言申し上げる機会を頂きました。これを奇貨として、他の人があまり言いそうもないことを書いておきたいと思います。
それは日本の大学の現状についてです。いま日本の大学は非常に劣悪な教育研究環境にあります。僕が知る限りでは、過去数十年で最悪と申し上げてよいと思います。
見た目は立派です。僕が大学生だった頃に比べたら、校舎ははるかにきれいだし、教室にはエアコンも装備されているし、トイレはシャワー付きだし、コンピュータだって並んでいる。でも、そこで研究教育に携わっている人たちの顔色は冴えません。それは「日本の大学は落ち目だ」という実感が大学人の間には無言のうちに広く深く行き渡っているからです。
日本のメディアはこの話をしたがりません。ですから、はっきりとデータを突き付けて「日本の大学が落ち目」だという事実を知らせてくれたのは海外メディアでした。
「日本の学校教育はどうしてこれほど質が悪いのか?」という身もふたもない特集記事を最初に掲げたのは米国の政治外交専門誌であるForeign Affairs Magazine の2016年10月号でした。
その記事は日本の大学の学術的発信力の低下の現実を人口当たり論文数の減少(減少しているのは先進国の中で日本だけです)や、GDPに占める大学教育への支出(OECD内でほぼつねに最下位)や、研究の国際的評価の低下などをデータに基づいて記述した上で、日本の大学教育の過去30年間の試みは「全面的な失敗」だったと結論づけました。
記事は日本の大学に著しく欠けているものとして「批評的思考」「イノベーション」「グローバルマインド」を挙げていました。批評的思考や創造性を育てる手立てが日本の学校教育には欠けていることはみなさんも実感していると思います。けれども、「グローバルマインド」が欠けていると言われると少しは驚くのではないでしょうか。なにしろ1989年の学習指導要領以来、日本の中学高校では「とにかく英語が話せるようにする」ということを最優先課題に掲げて「改革病」と揶揄されるほど次々とプログラムを変えては「グローバル人材育成」に励んできたはずだからです。でも、30年にわたるこの努力の結果、日本人は「世界各地の人々とともに協働する意欲、探求心、学ぶことへの謙虚さ」(記事によれば、これが「グローバルマインド」の定義だそうです)を欠いているという厳しい評価を受けることになってしまった。
問題は英語が話せるかどうかといった技能レベルのことではありません(ついでに申し上げておきますけれど、過去30年で英語力も著しく低下しました。現在、大学入学者の多くが英語をまともに読めず、書けないために、大学では中学レベルの文法基礎の補習を余儀なくされています)。日本の学生に際立って欠けているのは、一言で言えば、自分と価値観も行動規範も違う「他者」と対面した時に、敬意と好奇心をもって接し、困難なコミュニケーションを立ち上げる意欲と能力だということです。しかし、生きてゆく上できわめて有用かつ必須であるそのような意欲と能力を育てることは日本の学校教育においては優先的な課題ではありませんでした。学校で子どもたちが身につけたのは、自分と価値観も行動規範もそっくりな同類たちと限られた資源を奪い合うゼロサムゲームを戦うこと、労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は(勧奨したとは言わないまでも)黙許してきました。でも、その長年の「努力」の結果、「あなたたちはグローバルマインドがない」という否定的な評価を海外から下されてしまった。学校生活を無難に送るために採用した生存戦略がみなさん自身の国際社会における評価を傷つけることになったわけです。たいへんに気の毒なことですし、長く教育にかかわった者としては「申し訳ない」と叩頭するしかありません。僕自身はそういう学校教育のありように一貫して批判的でしたけれど(どちらかというと「排除される側」の人間でしたから)、力及ばず学校教育の空洞化を止めることができなかった。それについては責任を感じています(だから、こういう文章を書いているのです)。
2017年の3月には英国の自然科学のジャーナルであるNatureが同じく日本の科学研究の劣化についての研究論文を掲げました。かつては世界のトップレベルを誇っていた日本の科学研究が停滞している実情を伝え、日本は遠からず科学研究において世界に発信できるような知見を生み出すことのできない科学後進国になるリスクがあると警告を発しました。
米国の政治外交専門誌と英国の自然科学学術誌が相次いで日本の大学教育の危機について報道したというのはよく考えると「変な話」です。海外の教育学者が指摘したというのなら分かりますが、指摘してきたのは政治外交と自然科学の専門誌だからです。
自然科学は国境や国益とは関係のないグローバルな領域です。あらゆる国籍、あらゆる人種、あらゆる宗教の人が自然科学の進歩という共同作業にかかわり、その果実は人類全体が享受できる。その人類的なスケールの活動にこれまで豊かな貢献を果たしてきた日本の関与が期待できなくなる。それは人類にとっての損失です。おそらく海外の科学者はそれを悲しんだのです。
一方、米国の政治外交専門誌が日本の学校教育に警告を発したのは、日本の国際政治のプレイヤーとしてのプレゼンスが低下するリスクを重く見たからです。米国にとって日本は東アジアにおける最大の友邦であり、「属国」です。このまま日本の知的衰退を放置していたら、それは米国の国益に悪い影響を及ぼすリスクがある。だから、日本の学校教育は「前産業時代に特化した時代遅れの教育システム」であるというよう激しい言葉が用いられた。それは米国人からすれば、一種の「友情」の発露でもあったと僕は思います。早く失敗を認めて、手立てを講じろ、と。
米英二国から日本の学校教育の失敗についての指摘があったことにはそれなりの歴史的意味があると考えられます。米英両国は大西洋憲章・ポツダム宣言以来、戦後日本の国のかたちについて制度設計の責任を(部分的には)感じています。はやばやと世界帝国であることを止めた英国はともかく、米国は今も戦後日本のシステムに対して(宗主国としての)責任と権限を自覚しています。日本の国力が衰微したら、それは盟邦としての米国の国益が損なわれるだけでなく、戦後日本社会の設計と運営にあたっていた米国の責任でもあるからです。だから、「友情ある苦言」はまず米英両国から到来した。そういうことではないかと思います。中国や韓国やASEAN諸国からは日本の学校教育に対する批判的なコメントが来ることはまずありません。日本が教育に失敗して、国力が低下しても、それは彼らからすればまさに「対岸の火事」に他ならず、東アジアにおける日本のプレゼンスの低下など痛くも痒くもないからです。
ですから、友邦から海外から日本の学校教育について警鐘が鳴らされているということを日本の教育関係者は厳しく受け止めなければならないと私は思います。けれども、この事実について日本のメディアではほとんど報道がなされていません。なぜか。
制度に欠陥があるというのは「よくあること」です。でも、制度の欠陥についての指摘を聞き流して、失敗を修正しないというのは「よくあること」ではありません。それはより深刻な出来事です。人間は誰でも病気になり、怪我をします。その時には、どの臓器や生体機能が不調であるか、どこの骨が折れ、どこから出血しているかについて吟味がまずなされます。そうしないと治療が始まらないからです。でも、今の日本では「日本の学校教育が海外から否定的評価を受けている」という事実そのものが隠蔽されている。それは制度を手直しし、補正する手立てを講じる機会そのものを放棄するということです。
驚くべきことに、教育行政の当事者たちは今も自分たちの失敗を認めておりません。客観的なデータが「日本の教育は落ち目だ」ということをにべもなく伝えているので、やむなく「教育行政は一貫して正しい政策を行ってきたが、現場が言うことを聞かずに、閉鎖的で封建的な遺制を死守しているために、教育が劣化したのだ。ゆえに教員たちから自己決定権を取り上げ、上意下達の仕組みに切り替えることが教育改善のためには急務である」という説明にしがみついている。教育の「全面的な失敗」の責任は教育現場が行政の指導に従わないことにあって、行政側には何の瑕疵もない、そう言い張っている。もちろん、内心では「たいへんなことになった」と困惑しているのでしょうけれども、今さら「すみません」とは言えない。お役人は基本的に失敗を認めません。それで省庁の面子が保てると思っている。でも、そのせいで「失敗から学習する」という進歩と修正のための唯一つの道筋を自ら塞いでしまっている。
ですから、気鬱な予言になりますけれど、大学を含む日本の学校教育はこれから先ますます「落ち目」になってゆきます。V字回復の見込みはありません。もうすぐに18歳人口の急減によって、大学が次々と淘汰されて消えてゆきます。2017年度で大学を経営する660の学校法人のうち112法人(17%)が経営困難、21法人は2019年度中に経営破綻が見込まれています。みなさんがこれから進学しようとしている先は、そういう危機的状況にある領域なのです。
じゃあ、どうすればいいんだ、と悲痛な声が上がると思います。上がって当然です。分かっているのは「こうすればうまくゆく」というシンプルな解は存在しないということです。初めて経験する状況ですから成功事例というものがない。生き延びる方途はみなさんが自力で見つけるか創り出すなりするしかない。書物やメディアで必要な情報を集め、事情に通じていそうな人に相談し、アドバイスに耳を傾け、分析し、解釈して、生きる道を決定するしかありません。そして、その選択の成否については自分で責任を取るしかない。誰もみなさんに代わって「人生の選択を誤った」ことの責任を取ってはくれません。
どのような専門的な知識や技能を手につけたらよいのかを判断をする時にこれまでは「決して食いっぱぐれがない」とか「安定した地位や収入が期待できるから」という経験則に従うことができました。これからはそれができない。日本の産業構造や雇用状況はこれから少子化高齢化とAIの導入で激変することが確実だからです。でも、どの産業セクターが、いつ、どのようなかたちで雇用空洞化に遭遇するかは誰も予測できない
ですから、僕からみなさんにお勧めすることはとりあえず一つだけです。それは「学びたいことを学ぶ。身につけたい技術を身につける」ということです。「やりたくはないけれど、やると食えそうだから」といった小賢しい算盤を弾かない。「やりたいこと」だけにフォーカスする。それは自分がしたいことをしている時に人間のパフォーマンスは最も高まるからです。生きる知恵と力を最大化しておかないと生き延びることが難しい時代にみなさんは踏み込むのです。ご健闘を祈ります。

2018.03.28

言葉の生成について

もう2年前になるけれど、大阪府の国語科教員たちの研修会に呼ばれて、国語教育について講演をしたことがあった。
そのことを伝え聞いた国語科の先生から「どこで読めますか」と訊かれたので、「お読みになりたいのでしたら、ブログに上げておきます」とお答えした。いずれ晶文社から出る講演録に採録されると思うけれども、お急ぎの方はこちらをどうぞ。

「言葉の生成について」

学期末のお忙しいところ、かくもご多数お集まりいただき、ありがとうございます。ご紹介いただいたように、僕の書いた文章は、入試問題や教科書に出たりしていますが、人間、一回見ると「こういうこと言いそうなやつだ」というのがだいたい分かります(笑)。
僕はエマニュエル・レヴィナスの本を何冊か訳していたのですが、1987年にご本人にはじめてお会いしました。レヴィナスの本、それまでに一生懸命訳してはきたんですけれども、どうも自分の訳文に確信が持てない。こんなことを言っているように思うのだけれども、「そんなことふつう言うかな?」という疑問がありまして、これは本人に会ってみないと分からないと思いました。それで実際にパリまで行って、お会いした。
その時、お会いした瞬間に、それまでの疑問が一瞬にして氷解しました。玄関の前で満面の笑顔で、「ようこそ」と両手を広げているその様子から、その人の体温、息づかい、思考のリズム感までがよくわかった。
ですから、会う前と後では、翻訳のペースが全く違いました。レヴィナス先生とお会いしたすぐ後に『タルムード講話』というのを訳しているのですが、これなんか、今読むと、ほとんど「憑依されている」。達意の訳文なんです(笑)。難解な本なんですけれど、すらすらと訳している。「どうも、これを訳した時、オレ、わかってたらしい」という感じがする。本人に会った直後というのは、そういうことがある。
だから、皆さんは今日、生の内田樹を見たわけですから、これからは教科書で教える時も自信を持って「これはこうだ」と断言できると思います。「だって、ウチダってこんなことを言いそうなやつだったから」と(笑)。胸を張って言えると思います。

今日はこうした場で、文学、言語の話ができるということで、大変嬉しく思っています。
先日、西本願寺の日曜講演に呼ばれて「『徒然草』の現代語訳を終えて」というタイトルで、文学についての講演をすることができました。
これは池澤夏樹さん個人編集している日本文学全集の中の一巻です。池澤さんとそれまでお会いしたことはなかったのですが、ご指名で「『徒然草』はウチダが」と言っていただきました。
この『徒然草』の現代語訳をしている時に、一つ発見がありました。今日はその経験を踏まえて、言葉はどうやって生まれるのか、言葉はどうやって受肉するのかという、言葉の生まれる生成的なプロセスについて、思うところをお話ししたいと思います。

つい最近、PISAの読解力テストの点数が劇的に下がったという報道がありました。記事によると、近頃の子どもたちはスマホなど簡便なコミュニケーションツールを愛用しているので、難解な文章を読む訓練がされていない、それが読解力低下の原因であろうと書かれていました。たしかに、それはその通りだろうと思います。しかし、だからと言って「どうやって読解力を育成するか?」というような実利的な問題の立て方をするのは、あまりよろしくないのではないかという気がします。
というのは、読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないかと僕には思えるからです。
難解な文章を前にしている時、それが「難解である」と感じるのは、要するに、それがこちらの知的スケールを越えているからです。それなら、それを理解するためには自分を閉じ込めている知的な枠組みを壊さないといけない。これまでの枠組みをいったん捨てて、もっと汎用性の高い、包容力のある枠組みを採用しなければならない。
読解力が高まるとはそういうことです。大人の叡智に満ちた言葉は、子どもには理解できません。経験も知恵も足りないから、理解できるはずがないんです。ということは、子どもが読解力を高めるには「成熟する」ということ以外にない。ショートカットはない。
僕はニュースを見ていて、読解力が下がっているというのは、要するに日本人が幼児化したのだと感じました。「読解力を上げるためにはこれがいい!」というようなこと言い出した瞬間に、他ならぬそのような発想そのものが日本人の知的成熟を深く損うことになる。なぜ、そのことに気がつかないのか。
以前、ある精神科医の先生から「治療家として一番必要なことは、軽々しく診断を下さないことだ」という話を伺ったことがあります。それを、その先生は「中腰を保つ」と表現していました。この「中腰」です。立たず、座らず、「中腰」のままでいる。急いでシンプルな解を求めない。これはもちろんきついです。でも、それにある程度の時間耐えないと、適切な診断は下せない。適切な診断力を持った医療人になれない。
今の日本社会は、自分自身の知的な枠組みをどうやって乗り越えていくのか、という実践的課題の重要性に対する意識があまりに低い。低いどころか、そういう言葉づかいで教育を論ずる人そのものがほとんどいない。むしろ、どうやって子どもたちを閉じ込めている知的な枠組みを強化するか、どうやって子どもたちを入れている「檻」を強化するかということばかり論じている。
しかし、考えればわかるはずですが、子どもたちを閉じ込めている枠組みを強化して行けば、子どもたちは幼児段階から脱却することができない。成長できなくなる。でも、現代日本人はまさにそのようなものになりつつある。けっこうな年になっても、幼児的な段階に居着いたままで、子どもの頃と知的なフレームワークが変わらない。もちろん、知識は増えます。でも、それは水平方向に広がるように、量的に増大しているだけで、深く掘り下げていくという垂直方向のベクトルがない。
読解力というのは量的なものではありません。僕が考える読解力というのは、自分の知的な枠組みを、自分自身で壊して乗り越えていくという、ごくごく個人的で孤独な営みであって、他人と比較したり、物差しをあてがって数値的に査定するようなものではない。読解力とは、いわば生きる力そのもののことですから。
現実で直面するさまざまな事象について、それがどういうコンテクストの中で生起しているのか、どういうパターンを描いているのか、どういう法則性に則っているのか、それを見出す力は、生きる知恵そのものです。何か悲しくて、生きる知恵を数値的に査定したり、他人と比較しなくてはならないのか。そういう比較できないし、比較すべきではないものを数値的に査定するためには、「読解力とはこういうテストで数値的に考量できる」というシンプルな定義を無理やり押し付けるしかない。けれども、ある種のドリルやテストを課せば読解力が向上するという発想そのものが子どもたちの「世界を読み解く力」を損なっている。

僕がそのように思うに至ったのには、レヴィナスを翻訳した経験が深く与っています。レヴィナスは「邪悪なほど難解」という形容があるほど難解な文章を書く哲学者です。
僕は1970年代の終わり頃、修士論文を書いている時にレヴィナスの名を知り、参考文献として何冊かを取り寄せ、最初に『困難な自由』という、ユダヤ教についてのエッセイ集を読みました。しかし、これが全く理解できない。そして、茫然自失してしまった。にもかかわらず、自分はこれを理解できるような人間にならなければということについては深い確信を覚えました。ただ知識を量的に増大させて太刀打ちできるようなものではない、ということはよくわかりました。人間そのものの枠組みを作り替えないと理解できない。それまでも難しい本はたくさん読んできましたが、その難しさは知識の不足がもたらしたもので、別に自分自身が変わらなくても、勉強さえすれば、いずれ分かるという種類の難解さに思われました。でも、レヴィナスの難解さは、あきらかにそれとは質の違うものでした。今のままの自分では一生かかっても理解できないだろうということがはっきりわかる、そういう難解さでした。その時は「成熟する」という言い回しは浮かびませんでしたが、とにかく自分が変わらなければ始まらないことは実感した。
いきなり道で外国人に両肩を掴まれて、話しかけられたような感じでした。「とにかくオレの話を聞け!」と言ってるらしいけれど、何を言っているかは全然わからない。どうやら僕が緊急に理解しなきゃいけないことを話しているらしい。でも、何を言っているのか分からない。とにかく、先方が僕に用事がある以上、僕がそれを理解できるように変わるしかない。そう実感したんです。
仕方がないので、それから翻訳を始めました。意味が分からないままフランス語を日本語にするわけですから、ほとんど「写経」です(笑)。
一応文法的に正しい日本語にはしますが、直訳した日本語の訳文を読んでも、やはり意味がわからない。出版社に翻訳を約束したので、一応二年ほどかけて訳し終えたんですが、訳者に理解できないものが読者に分かるはずがないと思って、ちょっとこれはお出しできないなと思って、そっと押し入れにしまった(笑)。
そのまましばらくはレヴィナスのことを忘れて、他のことに集中しました。その間にいろいろなことがあり、病気になったり、家族と諍いがあったり、就職したり、育児をしたり、武道の稽古に励んだり、いろいろありました。そしてある日、久しぶりに出版社の担当編集者から連絡があって、翻訳はどうなったと聞いてきました。そこでしかたなく押し入れから原稿を取り出して読んでみた。そしたら、ちょっと分かるんですよ。驚きました。別にその年月の間に僕の哲学史的知識が増えたわけではない。でも、少しばかり人生の辛酸を経験した。愛したり、愛されたり、憎んだり、憎まれたり、恨んだり、恨まれたり、裏切ったり、裏切られたり、ということを年数分だけは経験した。その分だけ大人になった。だから少しだけ分かる箇所が増えた。例えば、親しい人を死者として送るという経験をすると、「霊的なレベルが存在する」ということが、皮膚感覚として分かるようになります。祈りというものが絶望的な状況に耐える力をもたらすということもわかる。共同体を統合するためにはある種の「強い物語」が必要だということもわかる。そういうことが40歳近くなってくると、少しずつ分かるようになってきたら、レヴィナスが書いていることも少しずつ分かってきた。
レヴィナスが難解だったのは、語学力や知識の問題というよりは、自分が幼くて、レヴィナスのような「大人」の言うことがわからなかったからだということがわかった。
レヴィナスの書くものの本質的なメッセージは、一言で言うと、「成熟せよ」ということです。
『困難な自由』に、「成人の宗教」という短いエッセイが収められています。ポスト・ホロコースト期のフランス・ユダヤ人社会の最大の問題は「なぜ神は我々を見捨てたのか」でした。なぜ同胞600万人が虐殺されたあの苦難の時代に神は我々を救うために顕現しなかったのか。そういう理由で父祖伝来の宗教を捨てていく人々たちが出てきました。その人たちに対して、レヴィナスはこう語りかけました。
「あなた方はどんな神を信じていたのか。あなた方が善行をなせば報奨を与え、悪事をなせば処罰する。そんな勧善懲悪の原理で動く単純な神を、あなた方は今まで信仰していたのか? だとしたら、それは『幼児の神』である。ホロコーストは、人間が人間に対して犯した罪である。そうである以上、それを裁き、傷ついた人たちを癒すのは人間の仕事である。地上に正義をもたらすのは人間の仕事であって、神の仕事ではない。人間がなすべき仕事に神の支援を求めるのは、自分が幼児であるということを告白しているに等しい。もし神にそれにふさわしい威徳があるとすれば、それは『神の支援なしに地上に正義と慈愛を実現できるような成熟した人間を創造したこと』以外にない。」
レヴィナスはそう言って、ほとんど無神論とすれすれのロジックによって崩れかけた信仰を再建しようとしたのです。これは確かに、子どもには理解しがたいものだと思います。深い絶望の時間を生き抜いて、それでもこの世を生きるに値するものにしようと決意をした人だけが語りうるような、重い言葉でした。この言葉に自分が感動しているとわかった時に、自分もようやく幼児期を脱したんだなという気がしました。

この経験からわかったのは、僕たちは意味が分からなくても読めるし、何を書きたいのかわからないままにでも書けるということでした。人間にはそういう生成的な言語能力が備わっている。読解力というのは、そのような潜在的能力を開発することによってもたらされるということです。
全く分からないけどどんどん読む。そうすると、何週間かたつうちに、意味は分からなくても、テキストと呼吸が合ってくる。呼吸が合ってくると、「このセンテンスはこの辺で終わる」ということがわかる。どの辺で「息継ぎ」するかがわかる。そのうちにある語が来ると、次にどういう語が来るか予測できるようになる。ある名詞がどういう動詞となじみがいいか、ある名詞がどういう形容詞を呼び寄せるか、だんだん分かるようになる。不思議なもので、そうなってくると、意味が分からなくても、文章を構成する素材については「なじみ」が出てくる。外国語の歌詞の意味がわからなくても、サウンドだけで繰り返し聴くうちに、それが「好きな曲」になるのと同じです。
そのうちにだんだん意味がわかってくる。でも、それは頭で理解しているわけじゃないんです。まず身体の中にしみ込んできて、その「体感」を言葉にする、そういうプロセスです。それは喩えて言えば、「忘れていた人の名前が喉元まで出かかっている」時の感じに似ています。「ああ、なんだっけ、なんだっけ。ここまで出かかっているのに、言葉にならない」というあれです。これはただ「わからない」というのとはもう質が違います。体はもうだいぶわかってきている。それを適切な言葉に置き換えられないだけなんです。
身体はもうかなりわかっているんだけれど、まだうまく言葉にならないで「じたばたしている」、これこそ言葉がまさに生成しようとしているダイナミックな局面です。たしかに思いはあるのだが、それに十全に照応する記号がまだ発見されない状態、それはと子どもが母語を獲得してゆくプロセスそのものです。僕たちは誰もが母語を習得したわけですから、そのプロセスがどういうものであるかを経験的には知っているはずなんです。
まず「感じ」がある。未定型の、星雲のような、輪郭の曖昧な思念や感情の運動がある。それが表現されることを求めている。言葉として「受肉」されることを待望している。だから必死で言葉を探す。でも、簡単には見つからない。そういうものなんです。それが自然なんです。それでいいいんです。そういうプロセスを繰り返し、深く、豊かに経験すること、それが大切なんです。

レヴィナスを毎日翻訳するという生活が10年近く続いたわけですけれど、これだけ「わからない言葉」に身をさらすということをしていると、まだぴったりした言葉に出会っていない思念や感情は、いわば「身に合う服」がないまま、裸でうろうろしているような感じなんです。だから、何を見ても「あ、これなら着られるかな、似合うかな」と思う。四六時中そればかり考えている。新聞を読んでも、小説を読んでも、漫画を読んでも、友だちと話していても、いつも「まだ服を着ていない思い」が着ることのできる言葉を探している。そのことがずっと頭の中にある。そうすると、喉に刺さった魚の骨みたいなもので、気になって気になって、朝から晩まで、そのことばかり考えている。でも、魚の骨と同じで、そのことばかり考えているうちに、それに慣れて、意識的にはもう考えなくなってしまう。そして、ある日気がつくと、喉の痛みがなくなっている。喉に刺さっていた小骨が唾液で溶けてしまったんです。「痛い痛い」と言いながら、身体はずっと気長に唾液を分泌し続けていた。そして、ある日「喉に刺さった小骨」は溶けて、カルシウムになって、僕の身体に吸収され、僕の一部分になってしまっていた。
新しい記号の獲得というのは、そういうふうにして行われるものだと思います。「記号化されることを求めているアイデアの破片」のようなものが、いつも頭の中に散らばっている。デスクトップ一杯に散らかっている。だから、何を見ても「これはあれかな」と考える。音楽を聴いても、映画を見ても、本を読んでいても、いつも考えている。
そういう時に役に立つのは「なんだかよくわからない話」です。自分にうまく理解できない話。そういう話の中に「これはあれかな」の答えが見つかることがある。当然ですよね、自分が知っているものの中にはもう答えはないわけだから。知らないことの中から答えを探すしかない。自分がふだん使い慣れている記号体系の中にはぴったりくる言葉がないわけですから、「よそ」から持ってくるしかない。自分がそれまで使ったことのない言葉、よく意味がわからないし、使い方もわからない言葉を見て、「あ、これだ!」と思う。そういうことが実際によくあります。歴史の本とか、宗教書とか、武道や芸能の伝書とか、今やっている哲学の論件と全然関係のなさそうな書物の中にぴったりの比喩や、ぴったりの単語があったりする。
これは本当によい修業だったと思います。そういう明けても暮れても「言葉を探す」という作業を10年20年とやってきた結果、「思いと言葉がうまくセットにならない状態」、アモルファスな「星雲状態」のものがなかなか記号として像を結ばないという状態が僕にはあまり不快ではなくなった。むしろそういう状態の方がデフォルトになった。
そうなると、とにかく大量に「出力」するようになります。仕方ないです。「記号として受肉することを求めているもの」、「早く言葉にして言い切ってくれ」と懇願するようなものが、身体の中、頭の中で、明けても暮れてもじたばたしているわけですから。とにかく下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式にどんどん出力してゆく。書いても書いても「これでは言葉が足りない」と思うから、さらに出力する。
自分でも時々、本棚を見て、何やってるんだろうと驚くんです。自分の本だけ置いてある棚があるんですけれど、もう100冊以上ある。10年と少しで、それだけ書いた。自分でも何を出したか覚えていない位なんです。だから、「ゴーストライターがいるの」とよく聞かれます(笑)。
ゴーストライターはもちろんいません。僕の中には「言葉になりたい」とじたばたしているアイデアがつねにある。だから、ずっと「中腰」でいる。言いたいことを言い切ってすっきりしたという状態は、絶対に来ないんです。何を書いても、言い足りない、あるいは、言い過ぎる。言い足りないところを言い足し、言いすぎたところを刈り込んでゆくと、いつまでもエンドレスで書かざるを得ないわけです。
自分の理解を超えるもの、自分にとって未知なものを、自分の手持ちの語彙の中に落とし込むということがどうしてもできない。そんなことしても、少しも楽しくない。だって、それが「自分の理解を超えるもの」「自分にとって未知のもの」だということを僕は知っているわけですから。人は騙せても、自分は騙せない。わからないことについて、わかったふりなんかしても、少しも楽しくない。それよりは、自分の語彙を増やし、自分のレトリックを練り上げ、自分のロジックをバージョンアップする方がいい。どうしても実感できない概念を、想像力の限りをつくしてなんとか追体験しようとする。そういう訓練を、翻訳を通じてずっとしてきました。僕がその後物書きとして大量に出力するようになったのは「何を言っているかわからないテクストをわかるためには自分が変わるしかない」という気づきが深く与っていると思います。

言葉の生成と、武道の稽古が深いところで繋がっているということにも最近気がつきました。同じ人間が35年にわたって昼はレヴィナス、夜は合気道という生活をしていたわけだから、その二つは深いところでは繋がっているに決まってるんです。でも、それがどういうふうに繋がっているのかをなかなかうまく言葉にすることができなかった。でも、自分で道場を持って、門人を教えるようになって分かってきました。
武道の修業には目に見える目標というものはないのです。100mをあと1秒速く走るとか、上腕二頭筋をあと1㎝太くするとか、数値的に計量化できる目標は武道には存在しません。今やってるこの稽古が何のためのものなのか、稽古している当人はよくわからない。わからないままにやっている。自分がしてきた稽古の意味は事後的にしかわからない。というのも、修業の成果というのはもっぱら「自分の身体にそんな部位があるとは知らなかった部位を感知できるようになる」「自分の身体がそんなふうに動くとは知らなかった動かし方ができるようになる」というかたちで現れるからです。自分の身体にそれまで身体部位として分節されたことのなかった部位や働きが立ち現れる。記号的に分節されていなかったものが記号として立ち上がる。ですから、稽古を始める前に、ある能力の向上やある部位の強化について数値的な目標を掲げることはできません。目標とすべき「能力」や「部位」それ自体がその段階では認識できていないからです。感知できるようになってから、そこに感知されるような何かがあったことがわかる。動かせるようになってから、そこに操作可能な何かがあったことがわかる。自分が何を習得したのかを知るのはつねに事後においてなのです。修業が進んで、技術に熟練してはじめて、分が何を稽古しているのかが言えるようになる。身体が先で、言葉が後なんです。

自分の中に湧いてきた体感的な気づきを言葉にして、具体的なプログラムに組み替えて、それを門人たちに教えるということを自分の道場を持ってから26年間繰り返してきました。これもまた自分の中にある、アモルファスな、星雲状の身体感覚です。レヴィナスの時はアイデアでしたが、合気道の場合は身体的な気づきです。前言語的な「感じ」をなんとかして言葉にしていく。そして、その言葉に基づいて門人たちに実際に動いてみてもらって、その言葉が適切だったのかどうかを判断する。表現が適切であれば、みんなの動きが一変する。不適切であれば、みんなまごついたり、あるいは僕がイメージしていたものとは別の動きが現れてくる。そうやって僕の使った言語記号の適否はすぐに判定できる。

こういう経験をしてきて、いくつか気がついたことがあります。
一つは、具体的に身体部位を指示して、腕をこう動かしなさいとか、足をここに置きなさいというように、具体的に指示することは武道的な動きの習得の上では、ほとんど効果がないということです。人間はある部位を意識的に動かそうとすると、それ以外のすべての部位を止めようとする。手首を「こういうふうに」動かしてというような指示をすると、手首以外のすべての部位を硬直させて、手首だけを指示通りに動かそうとする。でも、実際に人間はそんなふうに身体を使いません。重心の移動も、腰の回転も、内臓も含めて全部位を同時に動かすことによって一つの動作を行っている。でも、具体的に「手首をこういうふうに」という指示を出すと、それ以外の随伴するべき動作を止めて、手首の動きに居着いてしまう。
だから、具体的な指示はしない方がいい。では、なにが有効かというと、文学的表現なんです。経験的には、詩的なメタファーが最も有効です。「そこにないもの」を想起させて身体を動かしてもらうと、実に身体をうまく使う。現にそこにある自分の身体を操作しようとするとぎくしゃくするけれど、そこにないものを操作する「ふり」をさせると、実に滑らかに動く。
最初にポエジーが効果的だと気づいたのは、もう10数年前になります。その時は、手をまっすぐに伸ばすという動作がなかなかみんなできなかった。そこで、ふと思いついて、こんな情景を想像してもらいました。「曇り空から今年はじめての雪が降ってきた。軒の下からそっと手を差し出して、手のひらに初雪を受ける」そういうつもりやってみてくださいと言ったら、みごとな動きをしてくれた。今思っても、いい比喩だったと思います。手のひらにわずかな雪片の入力があって、それが感知できるためには、手のひらを敏感にしておかないといけない。そのためには腕の筋肉に力みがあってはならない。わずかな感覚入力に反応できるためには、身体全体を「やじろべえ」のようにゆらゆらと微細なバランスをとっている状態に保っていなければならない。身体のどこかに力みがあったり、緩みがあったりすると、バランスは保てません。だから、全身の筋肉のテンションが等しい状態になっている。そういう状態を自分の骨格や運動筋だけを操作して実現することはほとんど不可能ですけれど、「初雪を手のひらに受ける」という情景を設定するだけで、誰にでもできてしまう。そこにある骨格や運動筋を操作するよりも、「そこにないもの」を思い描く方が複雑で精妙な身体操作ができるということをその時に実感しました。

先日、初心者ばかりの講習会があって、そこで両手を差し出して、それを180度回転させるという動きをしてもらうということがありました。なかなかみんなうまくできなかった。そこで、こんな状況を想像してもらいました。「赤ちゃんが2階から落ちてきたので、それを両手で抱き止めて、後ろのベビーベッドにそっと寝かせる。」設定が変なんですけれど、そういう状況をありありと思い描けたら、すぐにできる動作なんです。そのままなんですから。女の人がこういうのは、うまいですね。男の人たちはけっこうぎごちない。赤ちゃんをあまり抱いたことないんでしょうね。
何かの「目標」が与えられたら、放っておいても、それを達成するために身体は最適運動をしてくれます。そして、武道の場合は対敵動作ですが、僕が「そこにないもの」をめざして何か行動した場合、相手からすると、その動きを予見したり、阻止したりすることは非常に難しくなる。だって、何をしようとしているかわからないんですから。仮に相手が僕の手を両手でがっちりつかんでいる場合、「そこにある手」を振りほどくという動作は非常に難しい。でも、例えば、その時に僕の鼻の頭に蚊がとまったと想定すると、僕は蚊を追い払おうとする。その時、手は、鼻の頭に至る最短距離を、最少時間、最少エネルギーで動こうとする。その動きには「起こり」もないし、力みもない。具体的にそこにあって僕の動きを制約している相手の両手を「振りほどこう」とする動きよりも、どこにもいない想像上の蚊を追い払おうとする手の動きの方が速く、強い。「そこにないもの」にありありとしたリアリティを感じることのできる想像力の方が、具体的な筋力や瞬発力よりも質的に上等な動きを実現できる。それは武道の稽古を通じて、僕が実感したことです。

稽古を通じて、文学的メタファーというのが実に有効だということがよくわかりました。文学の有効性とは何か、ということがよく問われます。文学をやると武道が上達するということを言った人はいないと思います。でも、そうなんです。それは文学の有効性は功利的、世俗的なものではなく、もっと根源的なものだからです。それは人間を今囚われている「檻」から解き放つための手立てなんです。
人間は自分が生まれついた環境、与えられた知識や価値観や美意識に束縛されています。そこからどうやって自己解放するか、どうやって自分の限界を超えて、ブレークスルーを果たすか、それが人間が成熟するための課題です。自分が「自分である」ことの自己同一性の呪縛からどうやって逃れるか。
そのための一つの方法として文学的想像力というものがある。「そこにないもの」をあたかも「存在するもの」であるかのようにふるまう。これは自分が囚われている呪縛から逃れる上できわめて有効な方法です。「想像力が権力を奪う」というのはパリ五月革命のスローガンでしたけれど、自由な想像力は時には地上的な権力よりも強いというのは、本当のことです。
想像力が世界を創り、想像力の欠如が世界を滅ぼす。僕はそう思います。現実しか見ない人間はしばしば自分のことを「リアリスト」だと言い張りますけれど、このような人間は人間の生成的なありようについては何も知ろうとしないし、何も考えない。現実のごく一部分、自分を閉じ込めている「檻」の内側の風景しか見たことがなく、それが全世界だと思い込んでいる。そんな人間を僕は「リアリスト」とは呼びません。
武道の用語で「居着き」というのは、文字通り足の裏が地面に張り付いて身動きならない状態を指します。与えられた枠組みを世界のすべてだと思い込んで、その「外」があることを考えもしないのも「居着き」です。
でも、実際に、僕たちは生物としてめまぐるしい環境の変化の中にいるわけです。生き延びるためには、臨機応変、自由闊達でなければならない。それ以外に生物種が生き残る道はありません。自分が自分に対して設定している限界や束縛から自己解放すること、これは生き延びるために必須の技術です。そのことを僕は、レヴィナスと合気道を通して習得しました。

そろそろ、みなさんの関心のある、国語の話に持っていきます。
池澤さんから『徒然草』の現代語訳を頼まれた時に、全く古典の訳の経験のない僕をなぜ選んだのかなと考えました。僕に余人とは異質な言語的能力があるとすると、それはレヴィナスの翻訳をやってきたということだと思います。理解を絶したテクストに対した時に、まず身体的に同調して、自分の中から湧き上がってくる身体的感覚を言葉に置換していく。そういう回路の使い方には習熟していた。それで僕をご指名になったのかなと思いました。
第一回配本の「古事記」の解説の中に、池澤さんが印象深い言葉を記していました。それは「現代語訳は、読者による音読を支援するものでなければならない」というものです。僕はそれに深く共感しました。
文学は音読するものです。文字を読んでいる場合も、頭の中では音読している。ゲラに手を入れている時に、ワープロの変換ミスの同音異義語を微妙な違和感を覚えつつもそれを読み飛ばしてしまうことがよくあります。ミスを見逃してしまうのは、文字の「意味が違う」ことと「音が同じ」ことでは、「音が同じ」方に勢いがあるからです。僕たちは文章を音読しながら読んでいます。僕自身の書く文章も、声に出して読んで気持ちがいいというのが基本です。音読して気分よく読める文章は意味がわからなくても読めます。かなり難しいことが書いてあっても、リズムがいい、息づかいが楽だ、レトリックの畳みかけ方が爽快であるとか、そういうことがあれば、内容の難易度に関係なくすらすらと読める。これは僕が長い読書経験から実感していることです。ですから、古典の現代語訳は「読者による音読を支援するもの」でなければならないとという池澤さんの指示に僕は忠実に従いました。
 
たいせつなのはどういう「ヴォイス(voice)」を選ぶかということだと思います。「ヴォイス」というのは、その人固有の「声」のことです。余人を以ては代え難い、その人だけの「声」。国語教育目標は、生徒たち一人ひとりが自分固有の「ヴォイス」を発見すること、それに尽くされるのではないかと僕は思います。
もう10年以上前ですけれど、『クローサー』という映画がありました。どうでもいいような恋愛映画なんですけれど、その中に一箇所、印象深いシーンがありました。ジュード・ロウとナタリー・ポートマンがタクシーに乗り合わせる場面です。その時に、ジュード・ロウが自分は新聞記者だと自己紹介する。ナタリー・ポートマンがどういう記事を書いているのかと訊くと、死亡記事を書いていると答える。「僕はまだ自分のヴォイスを発見していない。でも、いずれ発見する。そうしたらちゃんとした記者になれる。」正確に記憶してないんですけれど、だいたいそんな意味のことを言いました。映画を見ながら、本当にその通りだなと思いました。
だって、彼が書いているのは死亡記事なんですから。彼が自分の「ヴォイス」を発見するのは死亡記事を書くことを通じてでしかない。ただ死者の生没年や事績を淡々と伝える短文の修業を重ねているうちに、ある日彼の記事が編集長の眼に止まる。「この記者は自分の『ヴォイス』を持っている」ということがわかる。そして、社会部なり学芸部なり他のセクションに異動されて、他の種類の記事を書くようになる。新聞社内にはそういうプロモーション・システムがあることがここには暗示されているわけです。
そこから知れるのは「ヴォイス」はコンテンツとは関係がないということです。何を書いていても、書き手に「ヴォイス」があれば、読む人にはわかる。「ヴォイス」を形成するのは、コンテンツの含む情報の価値でもないし、修辞の巧みさでもない。「息づかい」なんです。「ヴォイス」のあるテクストは、すらすらと読めて、気持ちがいい。そして、心に残る。
だからレヴィナスを翻訳している間に、僕はどこかの段階で自分の「ヴォイス」を発見したんだと思います。だから、いくらでも書ける。息を吐くようにウソをつくという人がいますけれども(笑)、息を吐くように文が書けるようになった。
基本は呼吸なんです。呼吸は国語によって変わります。イタリア人やフランス人とは息継ぎのリズムが違います。イタリア人が日常的に話しているイタリア語をリズミカルに、抑揚をつけて話すとオペラになる。日本人でも日常の言葉を音楽的に処理すると、謡になったり、浄瑠璃になったり、落語になったりする。
息づかいというのは、国語ごとに違いますが、どういう主題で話しているかによっても変わるし、聴き手を誰を想定するかによっても変わる。でも、自分にとって自然な息づかいができるようになると、いくらでも言葉を語り続けることができる。

いま、僕は20代後半のある青年と往復書簡をしています。
彼は何年か前に刑事事件を起こし、弁護士の指示で、更正の課程で反省文を何度も書かされました。それを読みましたけれど、驚くほど硬直していた。たしかに文章はしっかりしている。どうしてこんな事件を起こしたのか、それについての自己分析もしていた。言っていることはたぶんほんとうなのでしょう。でも、書かれていることが少しもこちらの心を打たない。彼がこれで「反省」が済んだ、これで自己分析を果たしたと思ったのでは、この先社会で生きてゆくことは難しいだろうと思い、彼が自分の「ヴォイス」を発見するのを支援するための個人レッスンをすることになりました。それから2年ほど、月1回くらいのペースで、僕が課題を出して彼がエッセイを書くという往復書簡をしています。
最初のうちは「正しい書き方」をしないといけないのとかなり緊張していました。頭のいい子だから、「無難な文章」なら書けるんです。でも、彼が書いてくる文章は言葉が乾いている。水気がない。どうやって彼の言葉に水気を回復させるのか、それが僕の方の課題でした。
試行錯誤を繰り返しました。わかったのは、自分が実際に経験したことを書かせようとすると、硬直するということでした。家族のことや、学校時代のことを書かせようとすると、ぎごちないものになる。そこで経験したことが、彼の今の手持ちの語彙、文型の中には収まらないのです。言葉に収まらない経験をなんとか言葉に収めようとするので、骨と皮だけのようなものになる。
一計を案じてやらせてみてうまくいったのは、「なかったこと」を書かせることでした。自分の実際の経験を書かせると、自己史の中のトラウマ的経験を何とか避けようとするけれど、作話ならトラウマの近くまで行けるんです。「僕」を主語にするとトラウマ的経験に近づけないけど、「彼」を主語にするとそのすぐそばを通過するような文章を書けるようになる。そのときに、「物語を語る」ということがいかに重要であるか、よくわかりました。
今、彼は「ヴォイス」を獲得するプロセスの途中にいるのですけれど、だいぶよくなってきたなと思ったのは、彼が「なんだかわからない経験」を書き出した時でした。オチも教訓も、意味もわからない話を書き出した。
「どうしても忘れられない人」という課題を出した時には、同級生が在校中に亡くなってしまい、その子に何か言いたいことがあったんだけど、言わずに終わってしまった。何を言いたいかは忘れてしまったけど、今でもその子を思い出すと、何か言いたいことがあったことだけ思い出す、そういう短い話でした。この時に、彼はかなり「ヴォイス」に手が届いてきたなと思いました。「自分の思いを言葉にできない」という苦しい現実に「自分の思いを言葉にできなかった出来事」を回想するという仕方で、次数を一つ上げることで対処したわけですから。
たしかに「ヴォイス」というのはそういうものなんです。「自分がうまく書けない」というような事態そのものについてならうまく書くことができる。締め切り間際で週刊紙連載の漫画原稿を落としそうだという時でも、「締め切り間際で原稿を落としそうな漫画家」のどたばた騒ぎについてなら描くことができるということがあります。いつもいつも使える手ではありませんけれども、こういう「メタ・レベル」にずらすというのも「ヴォイス」の手柄です。
それまでの彼の文章は、ブロックを積んだみたいにカチカチとして余裕や曖昧さがなかった。自分の中に生じている、いきいきとした感情や感動は、実際には、なかなか言葉にできないものです。今日のテーマである「言葉の生成」というのもまさにそういうことなんですが、自分の中にある感情もアイデアも、実はきわめて曖昧なものなんです。曖昧なものだから、それを輪郭のはっきりした言葉に置き換えようとすると筆が止まり、舌がこわばる。ですから、曖昧なものを曖昧なままに取り出していけばいいんです。それができれば「書けない」という事態も「私はなぜうまく書けないのか」というメタ・レベルからの考察の興味深い対象になる。でも、それができるためには、自分自身に対して、自分の思考プロセスに対して敬意と好奇心を持つことが必要です。
多くの人が勘違いしているようですけれど、自分の思考プロセスは自分のものではありません。それは、マグマや地下水流のようなもので、自分の外部に繋がっています。それと繋がることが「ヴォイス」を獲得するということです。呼吸と同じです。呼吸というのは酸素を外部から採り入れ、二酸化炭素を外部に吐き出すことです。外部がないと成り立たない。自分の中にあるものの組み合わせを替えたり、置き換えたりしているだけではすぐに窒息してしまいます。生きるためには外部と繋がらなければならない。
言葉が生成するプロセスというのは、自分のものではありません。自分の中で活発に働いているけれども、自分のものではない。それに対する基本的なマナーは敬意を持つことなんです。自分自身の中から言葉が湧出するプロセスに対して丁寧に接する。敬意と溢れるような好奇心を以て向き合う。
往復書簡を通じて、彼の言葉が言葉らしくなってきたのは、彼が自分の中で言葉が生まれてくるプロセスそのものを、一歩後ろに下がって、語ることができるようになったからです。
「ヴォイス」の発見とは、自分の中で言葉が生まれていくプロセスそのものを観察し、記述できること、そう言ってよいかと思います。自分の中で言葉が生まれ、それを使ってなにごとかを表現し、今度はそうやって表現されたものに基づいて「このような言葉を発する主体」は何者なのかという一段次数の高いレベルから反転して、自己理解を深めてゆく。そういうダイナミックな往還の関係があるわけです。そのプロセスが起動するということがおそく「ヴォイス」の発見ということではないかと僕は思います。

このようなプロセスを、具体的に国語教育の現場で行うためにはどんな方法があるのでしょう。やり方は無数にあると思います。皆さんが思いついたことをどんどんやればいい。 
でも、基本は音楽教育の場合と同じで、「よいもの」を大量に、それこそ浴びるように読むことだと思います。ロジカルで、音楽的で、グラフィックな印象も美しい、そういう文章を浴びるほど読ませ、聞かせる。これが基本中の基本だと思います。
今の子どもたちの語彙が貧困で、コミュニケーション力が落ちている最大の理由は、周囲の大人たちの話す言葉が貧困で、良質なコミュニケーションとして成り立っていないからです。周りにいる大人たちが陰影に富んだ豊かな言葉でやりとりをしていて、意見が対立した場合はさまざまな角度から意見を述べ合い、それぞれが譲り合ってじっくり合意形成に至る、そういうプロセスを日常的に見ていれば、そこから学ぶことができる。それができないとしたら、それは子どもたちではなく、周りの大人たちの責任です。
もし今の子どもたちの読解力が低下しているとしたら、その理由は社会自体の読解力が低下しているからです。子どもに責任があるわけじゃない。大人たち自身が難解な文章を「中腰」で読み続けることがもうできない。
時々、議論を始める前に、「まずキーワードを一意的に定義しましょう。そうしないと話にならない」という人がいますね。そういうことを言うとちょっと賢そうに見えると思っているからそんなことを言うのかも知れません。でも、よく考えるとわかりますけれど、そんなことできるわけがない。キーワードというのは、まさにその多義性ゆえにキーワードになっている。それが何を意味するかについての理解が皆それぞれに違うからこそ現に問題が起きている。その定義が一致すれば、もうそこには問題はないんです。語義の理解が違うから問題が起きている。語義についての理解の一致こそが議論の最終目的なわけです。そこに到達するまでは、キーワードの語義はペンディングにしておくしかない。多義的なまま持ちこたえるしかない。今日の僕の話にしても「教育」とは何か、「学校」とは何か、「言語」とは何か、「成熟」とは何か・・・無数のキーワードを含んでいます。その一つ一つについて話を始める前に一意的な定義を与え、それに皆さんが納得しなければ話が始められないということにしたら、僕は一言も話せない。語義を曖昧なままにして話を始めて、こちらが話し、そちらが聴いているうちに、しだいに言葉の輪郭が整ってくる。合意形成というのは、そういうものです。

僕たちが使う重要な言葉は、それこそ「国家」でも、「愛」でも、「正義」でも、一義的に定義することが不可能な言葉ばかりです。しかし、定義できるということと、その言葉が使えるということはレベルの違う話です。一意的に定義されていないということと、その言葉がそれを使う人の知的な生産力を活性化したり、対話を円滑に進めたりすることとの間に直接的な関係はないんです。むしろ、多義的であればあるほど、僕たちは知的に高揚し、個人的な、個性的な、唯一無二の定義をそこに書き加えていこうとする。
でも、それは言葉を宙吊りにしたまま使うということですよね。言葉であっても、観念であっても、身体感覚であっても、僕たちはそれを宙吊り状態のまま使用することができる。シンプルな解に落とし込まないで、「中腰」で維持してゆくことができる。その「中腰」に耐える忍耐力こそ、大人にとっても子どもにとっても、知的成熟に必須のものだと思います。でも、そういうことを言う人が今の日本社会にはいない。全くいない。誰もが「いいから早く」って言う。「400字以内で述べよ」って言う。だから、こういう講演の後に質疑応答があると、「先生は講演で『宙吊り』にするということを言われましたが、それは具体的にはどうしたらいいということですか」って(笑)、質問してくる人がいる。「どうしたらいいんですか」というシンプルな解を求めるのを止めましょうという話をしているのに、それを聞いた人たちが「シンプルな解を求めないためには、どうしたらいいんですか」というシンプルな解を求めてくる。自分で考えてください、自分で考えていいんです。自分で考えることが大切なんです、とそういう話をしているのに、「一般解」を求めてくる。何を論じても、「で、早い話がどうしろと言っているんですか?」と聞いてくる。そこまで深く「シンプルな解」への欲求が内面化している。

メディア、特にテレビはその傾向が強い。まあ、仕方がないです。発言者に許された時間が非常に短いんですから。短い時間で、それこそ15秒くらいですぱっと言い切ることが求められている。カメラの前で、黙り込んだり、つっかえたり、前言撤回したりというようなことは絶対許されない。そういう人はテレビには出してもらえない。僕がテレビに出ないのはそのせいなんです。「で、結論は?」と訊かれるのがいやなんです。30分番組カメラ据え置きで、いくら黙り込んでも、同じ話を繰り返しても構わないというような番組があれば出てもいいですけれど。途中で「あれ、オレ何の話してたんだっけ?」がありで(笑)、途中で「話すことないので帰ります」もありで(笑)。それでもいいという番組があれば出てもいいけども。
首尾一貫した、整合的なセンテンスを語らなければならないというルールがいつから採用されたんでしょう。だって、言葉の生成というのはそういうものじゃないでしょう。言葉がなかなか着地できないまま、ふらふらと空中を漂って、「なんて言えばいいんだろう、もっと適当な表現はないかなあ」と、つっかえたり、言いよどんだり、前言撤回したり、そういう言語活動こそが「ヴォイス」を獲得するために必須の行程なんです。そういう言葉がうねうねと渦を巻くようなプロセスを「生成的なもの」だと見なして、大人たちが忍耐強く、興味深くそれを支援するということが言葉能力の成熟のためには絶対に必要なんです。さっさと言いたいことを言え、400字以内で過不足なく述べよ、というような圧力によって言語能力が育つということはないんです。うまく言えない子どもに対しては「うまく言えないというのは、いいことなんだよ」と励ましてあげなくちゃいけない。
基本的に僕は学生たちが必死で紡ぎ出した言葉について全部「いいね!」です。僕が嫌いなのは定型です。できあいのテンプレートをなぞったような文章については、はっきり「つまらん!」と言います。大学生に文章を書かせると、本当に悲惨なものなんです。「定型的で整合的なことを書く」というより以前のレベルです。昔なら小学生の作文みたいなものを平然とレポートとして出してきますから。「朝起きて、顔洗って、ご飯を食べて…」それがエッセイだと言うんです。
困るのは、とにかく平然と「先生の授業は難しくてわかりませんでした」と書いてくること。「難しくてわからなかった」というのが批評的なコメントだと思っている。だから、わからないくせにえらそうなんです(笑)。たぶん学生たちは食堂へ行って、厨房のおばさんに「ちょっとこのうどん固かったわよ」とクレームつけているようなつもりなんでしょう(笑)。あの言い草はそうですね。授業がわからないのは、先生の責任だと思っている。もっと分かりやすく話して下さい、私たちにもわかるように噛み砕いて話してください。そういうことを要求する権利があると思っている。骨の髄まで消費者マインドがしみついている。
学校教育が、消費者である子どもたちに対して、教育商品を差し出して「買って頂く」という発想でやっていたら、そうなるのは当たり前です。だから、「私にもわかるようなやさしい授業をしろ」ということを平気で言う。それが学校教育に対する建設的な批評として成立していると思い込んでいる。

言葉が生成するとはどういうことか、という話に戻ります。『徒然草』を訳して発見したことがあります。それは古典の授業で読まされる古文の現代語訳って、つまらないということです(笑)。ほとんど音読に耐えない。でも、原文はグルーブ感のある、ノリのよい文章なんです。だから僕は、中身はどうでもいいから、吉田兼好の「ヴォイス」を現代語にできたらと、思って訳しました。
その時にいくつかルールを決めました。一つは、「分からない単語は分からないままで放っておく」ということです。だって、700年前に書かれたものですからね。しかも兼好は有職故実に異常に詳しくて、当時の公家や僧侶たちでさえよく知らない宮中のしきたりとか、制度文物の由来とか知っていることが自慢だった人なんですから。兼好と同時代人でさえわからなかった話を700年後の現代人が分かるわけがない。江戸時代にも『徒然草』の注釈書はいくつも出ていますけれど、そこにだって「この言葉の語義は不詳」というものがいくらもある。江戸時代の専門家がわからなかったことが現代の一般読者にわかるはずがない。だから、そういうのは「意味不明の言葉」のまま残しました。
そもそも、文学とはそういうものですよね。小説の登場人物が経験してることのほとんどは、僕らは経験したことがないわけです。宇宙空間を光速で飛行飛したこともないし、戦国時代に槍を振り回したこともない。でも、小説の登場人物が、それをリアルに経験している「感じ」があれば、読む側は何の問題もない。自分の現実経験の中にそれに対応するものがないから「わからない」と文句をつける読者はいません。文学作品というのはほとんど全篇「自分がよく知らないこと、経験したことがないこと」に埋め尽くされている。それでも何の不自由もなく、僕たちは小説を楽しんでいる。
古典だってそれでいいはずです。だから注をつけませんでした。注を付けると、注を読んでしまうから。SFで宇宙空間を飛ぶ話とか、エイリアンが出てくる話とか読んでいるときに、そこに見たことも聞いたこともない科学用語がでてきても、注なんか探さないでしょう。どんどん話を先に進みたいから。注なんか読まされて読書を中断したくないから。古典だってそれと同じです。どんどん読めばいいんです。知らない単語とかあっても、気にしない。現代文だってそうやって注抜きで読んでいるのに、どうして古典にだけ細かく注が要るのか。というわけで注は、最初はつけていたんですけれど、途中で全部取っ払ってしまいました。
もう一つは、古典の訳としてはルール違反でしょうけど…、原文のままというのが、いっぱいあるんです(笑)。「何事にも先達はあらまほしきものなり」とか「命長ければ辱(はじ)多し」とかすでに広く人口に膾炙(かいしゃ)して、現代人でも知っている言い回しですから、それはもう現代語だろう、と(笑)。他の現代語訳ではたぶん誰もやったことがないと思いますけど。

先週、西本願寺で現代語訳について講演をしました。そのあとに、手紙をくれた人がいまして、「私、国文を出た国語の教師で、実は『徒然草』の研究者なんです」って(笑)。何を言われるのかとどきどきしていたら、「達意の名訳でした。特に係り結びの訳がすばらしかった」と書いてある。係り結びはいろんな訳し方があるらしいんですけど、「見事に訳しわけておられました」と。係り結びに意味の違いがあるなんて、僕は知りませんでした(笑)。文章の勢いに乗って訳すと、ニュアンスを取り違えるということはめった起こらないということでしょうね。
『徒然草』の面白いところは、二十代で書いたものと六十代で書いたものがごっちゃになっているところです。でも、兼好法師の「ヴォイス」は変わらない。だからこの人、二十代から六十代まであんまり進化していないんじゃないかと思います(笑)。たぶん、若い時に自分の「ヴォイス」を見つけて、それをずっと維持していった人なのだと思います。だから、グルーヴ感はありますけれど、それほど思想的な深みはない。
しかし、『徒然草』が今日まで愛された理由は、もちろんあります。例えば、五十三段、仁和寺の法師が頭から鼎をかぶる話。かぶったはいいけれど、とれなくなって、最後に鼻も耳ももげて、長く寝付いたという話がありますね。ああいう「どうでもいい話」を書かせると、兼好うまいんです。もうのりのりで書いている。あの人の文章は、そういうオチも教訓もない、けれども奇妙な味わいの物語を書く時に冴えるんです。実にいい文章を書く。多分、あまり思想的に深みもないし、特段名文とも思われない『徒然草』が今に至るまで愛読されてきた最大の理由は、あれらの何の教訓もない物語のもたらす独特な味わいではないかと僕は思います。「猫又」の話とか、「しろうるり」の話とか、「やすら殿」の話とか、「大根」の話とか、「ぼろぼろ」の話とか。どれも忘れがたい。
兼好が熟知していることを語られても、僕らにはさっぱりわからない。そこには溝がある。でも、兼好にもよく理解できなかった話というのは、僕らにとってもやっぱりよく理解できない。そこには溝はない。兼好自身が、なぜこんなものをわざわざ後世に伝えようとして書いたのか、自分でもわからないような記事は、やはり、僕らにとってもなぜこんなものを兼好法師が書いたのか、よくわからない。兼好がわからなかったことは僕らにもわからない。そこが「取り付く島」ではないかと思います。そこに「あったもの」はもう「ない」ので追体験しようがない。でも、そこに「なかったもの」は今もやっぱり「ない」ので、昔も今もその点では変わらない。兼好法師が経験した「気持ちの片づかなさ」は、現代人である僕たちも同じく「気持ちの片づかなさ」として近似的に味わうことができる。そこに『徒然草』の時代を超えて生き延びた力があるのではないかと思います。

さきほど、合気道の指導の場合でも、メタファーは有効だというお話をしました。文学でも、もちろんそうなんですね。谷崎潤一郎は、日本の作家の中で例外的に外国語訳の多い作家ですが、谷崎の中で最も外国語で読まれているのは『細雪』と『陰影礼賛』なんです。不思議だと思いませんか。フランス人が、こんな分厚い『細雪』をしみじみ読んでいる。一体何がおもしろいのかと思うんですけど(笑)。
でも、フランス人にもわかるんですね。谷崎が描いているのが、「失われたもの、失われゆくもの」だということが。谷崎が『細雪』に描いていたのは昭和17年、18年頃の芦屋や神戸や大阪の話です。谷崎はそこでの戦前のブルジョワ家庭の美的生活を描きながら、それが近いうちにすべて失われるだろうということをほとんど確信していました。失われていくことが宿命づけられている美しい物たちを、愛惜の念をこめてひたすら記述した。谷崎が『細雪』に哀惜を込めて書いたのは、昭和17年の時点ですでに失われてしまったもの―大正時代の蒔岡家の豪奢な生活ーと近いうちに失われてしまうはずのものー戦前の阪神間の穏やかな生活です。つまり、谷崎が描いているのは「そこにないもの」と「いずれなくなるもの」です。それだけしか書いていない全篇に伏流しているこの根源的な欠落感はフランス人にもわかるんです。「あるもの」には共感できない。共感しようがない。知らないんですから。でも、「ないもの」に対する欠落感、不全感はフランス人でも谷崎と共有できる。
文学は、目の前にあるリアルを詳細に描くことによってではなく、失われたものを目の前にありありと呼び出すことによって世界性を獲得する。文学というのは、そういうものだと思います。目の前にある現実をどれだけ巧みに描写しても、それだけでは世界文学にはならない。遠い文化圏の読者を獲得することはできない。でも、僕たちは「あるもの」は共に「持つ」ことはできないけれど、「ないもの」について「それが欠落している」という実感を共有できる。作家と読者が共有できるのは、欠落と喪失なんです。だから、欠落と喪失をみごとに描いた文学作品が世界性を獲得する。
僕は兼好に同期しようとしたときに焦点を合わせたのは、彼の欠落感と不全感でした。彼が持っているもの、教養や知識や美的感受性のようなものに僕は同期できない。でも、彼の身を焦がす嫉妬や恨みや渇望には同期できる。だって、「ないもの」なんですから。兼好法師が所有していたものに僕は触れることができない。でも、兼好法師が所有したいと願っていたけれど、ついに手が届かなかったものには、僕もやはり手が届かない。そこに同期することなら、できる

とりあえず、専門家からは「係り結びが正しかった」と評価を受けましたが(笑)、その時に、「こんなことができるのは、日本だけではないか」と思いました。
古語辞典が一冊あれば、僕のような素人でも、現代語訳ができてしまう。こういう言語環境は、他にあるでしょうか。東アジアの国の中で、特殊な専門教育を受けたわけでもない一般人が古典に辞典一冊でアクセスできる言語環境があるのはおそらく日本だけです。
そのことに最初に教えてもらったのは、ベトナムの青年と友だちになった時でした。フランスのブザンソンという地方都市の大学へ学生たちの語学研修の付き添いで滞在しているときに友だちになった青年からベトナムの特殊な言語事情を聞きました。
ベトナムは、漢字とベトナム語の万葉仮名的な表記法であるチュノムのハイブリッド言語でした。でも、近代になってからアルファベット表記の「クオック・グー(國語)」に表記法を変えてしまった。その結果、欧米の言語と同じ表記になったわけですから、便利にはなった。でも、漢字・チュノム混じりで書かれたテクストを読むことができなくなった。古典どころか、祖父母が書いた日記も手紙も読めない。寺院の扁額も読めない。利便性の代償として、ベトナム人は、二世代前の人たちが書いたテクストを、特殊な専門教育を受けた者以外は読めなくなってしまった。近代化の代償として自国文化のアーカイブへのアクセス権を失ったわけです。果たして、それは間尺に合う取引だったのでしょうか。友人のベトナム人青年は懐疑的でした。
韓国も事情は似ています。1970年代に漢字廃止政策が採択されました。一つには日本の植民地時代に日本語使用を強制されたことに対する反発があり、一つには漢字は習得が難しいので、漢字の読み書きができる階層とできない階層の間で文化的格差が生じるリスクがあるということで、ハングルに一元化された。ハングルへの一元化によってたしかに教育の平準化は進みました。でも、ベトナムと同じように、先行世代と使用言語が違うという事態が生じた。一世代前の人が書いたものが読めない。今の韓国の若者たちは、漢字は自分の名前くらいしか書けません。この間、韓国旅行の時に、五台山月精寺という寺院を訪ねました。でも、その扁額の「五台山月精寺」という文字を読めるのが、一緒に行った中にいなかった。大学の教授や教育出版の経営者といった知識人たちでしたけれど、40代くらいになると、それくらいの漢字でも読むことが難しくなっている。そのことに衝撃を受けました。
日本でも「韓国の英語教育はすごい」ということはよく言われます。実際にすごいです。大学の授業は教師も学生も韓国人なのに英語でやっている。国内学会も、出席者全員韓国人なのに、英語でやる。でも、たしかにそれには必然性がある。表意文字である漢字を捨てて、表音文字であるハングルしかない。日本で言えば、ひらがなだけで暮らしているようなものです。学術論文を全部ひらがなで書くという手間を考えたら、外来のテクニカルタームなどはそのまま原綴りで表記した方が圧倒的に効率的に決まっている。だから、漢字が使えない以上、英語への切り替えは必然的でした。
でも、母語では学問的な文章を書くことができないというのは、やはり大きなハンディになります。自然科学なら英語でそこそこいけるかも知れませんが、英語でやったのでは、韓国オリジナルな社会科学や人文科学は出てこない。出てくるはずがありません。というのは、文系の学問は母語のアーカイブの中で熟成するものだからです。
今の韓国の学術的環境では、1970年以前になされた知的営為へのアクセスが日々困難なものになっています。それは先行世代がその言語的能力を振り絞って書いたテクストを読むことが難しくなっているということです。このことはいずれある時点で、韓国の次世代の知的生産性、知的創造性にとっての大きなハンディになるだろうと僕はおもいます。

東アジアを見回すと、中学、高校で基礎的な訓練を受けたら、あとは辞書一冊あれば、自力で古典のアーカイブに自力で入っていけるという教育機会を享受できているのは日本人の子どもだけです。そのことを、子どもはもちろん、たぶん国語の教員たちもそれほど自覚的ではないように思います。古文や漢文なんか、何の役にも立たないんだから、やることはない。それより英語をやれ、というようなことを言い立てる人間たちがいくらもいますが、国語の先生たちがそれに対して効果的な反論をされているようには思えません。でも、これはきっぱり退けなければいけない暴論です。

先日、宮崎滔天の本を読みましたけれど、滔天の活動は今からは信じられないくらいにグローバルです。アジアの各地に飛んで、そこで現地の人たちと知り合って、その国の革命運動に直接コミットしている。明治時代の大アジア主義者たちはみなそうです。北一輝も、内田良平も、各国の革命闘争に直にコミットしていた。それができたのは、東アジアの知識人たちは漢文という「リンガフランカ」を共有していたからです。彼らのコミュニケーションは基本、筆談なんです。かなり複雑で、高度な内容の対話でも、とりあえず矢立から筆を取り出して、懐紙にさらさらとしたためれば、それで今でなら「メール」とか「ライン」とかでの通信に類するコミュニケーションができた。明治の日本人たちは子どもの頃から、『四書五経』やら『史記』やら『唐詩選』やらを叩き込まれていたわけですから、教養の幅においても深さにおいても中国朝鮮の知識人と変わりがなかった。同じ語彙、同じ修辞法を共有していたわけです。
東アジアにおける文化的な一体感の喪失は主に政治史的な理由だけから説明されますけれど、東アジア各国の人々が、漢文というリンガフランカを失ったことが相互理解の深まりを妨げたということは理由の一つだったと思います。かつては漢文を書くことによって、相当にデリケートな意思疎通もできていたのに、その共通のコミュニケーション・プラットフォームがなくなってしまった。そのことのもたらしたネガティヴな影響について、もう少し深刻に受け止めた方がいいと思います。

韓国の先生に伺ったところでは、今韓国の大学で一番人気のない学科は、韓国文学科と韓国語学科と韓国史学科だそうです。みんなもっと実学的な専門を修めて、アメリカに留学して学位を取ろうとする。そういう人たちが韓国のこれからのリーダーになる。でも、自国の言語にも文学にも歴史にも、特段の関心がないという人たちに韓国のこれからの国のかたちを決めさせるというのはおかしいんじゃないか。韓国人の僕の友人はそう言っていました。僕もその通りだろうとおもいます。

日本でも、文系の学問に対する風当たりは強いです。古典や漢文などは一体なんの意味があるんだ、そんなものになんの有用性もないというようなことを言う人たちがいる。でも、母語のうちにこそ文化的な生産力の源はあるんです。二千年前から、この言葉を使ってきたすべての人たちと、文化的に僕たちは「地続き」なんです。そして、日本の場合は、ありがたいことに、言語を政治的な理由で大きくいじらなかったので、700年前の人が書いた文章を辞書一冊あれば、誰でもすらすらと読むことができる。中学高校で、そういうことができるような基礎的な教育を受けているから。それはどれほど例外的で、どれほど特権的な言語状況であるのか、日本人は知らな過ぎると僕は思います。
グローバリストたちは、もう古文や漢文なんかいいから、英語をやれと言います。でも、それは自国語で書かれた古典のアーカイブへのアクセスの機会を失うということを意味しています。母語のアーカイブこそはイノベーションの宝庫なんです。人間は母語でしか、イノベーションできないからです。僕たちは全く新しい概念や感情を母語でしか創り出すことができません。「新語(neologism)」というものが作れるのは母語においてだけなんです。
何年か前、野沢温泉の露天風呂に入っていた時に、あとから大学生らしき二人の若者が入ってきました。そして、湯船に浸かった瞬間に「やべー!」と叫んだ。その時に、僕は「ああ、日本語の『やばい』という形容詞は『たいへん快適である』という新しい語義を獲得したのだな」ということを、その場で理解しました(笑)。
でも、これこそが母語の強みなんです。新語を作ることができる。それは日本語話者たちなら誰でもその新しい意味を即座に理解できるからなんです。そんなことは母語でしかできません。
「真逆」というのもそうでした。ある日その語はじめて耳にした。でもすぐに意味が分かりました。漢字も頭に浮かんだ。そして、「真逆」の方が「正反対」よりもインパクトがあるなと感じた。こんなことは母語でしか起きません。外国語ではできない。僕が英語のある形容詞に「新しい意味」を付与しようと思って、使ってみせても、誰も理解してくれない。変な顔をされるだけです。僕の作った新語が英語の辞書に載ることもない。でも、「やばい」も「真逆」も、もう国語辞典の新しい版には「若者言葉」として採録されています。日本語として認知されたのです。
知的なイノベーションが母語の中でしか行われないと言っては言い過ぎかもしれません。でも、いまだ記号として輪郭が定かでない星雲状態のアイデアが「受肉」するのは母語においてであるというのは経験的に確かです。喉元まで出かかっている「感じ」が言葉になるのは圧倒的に母語においてです。

言葉の生成は、文明史的なスケールの出来事です。でも、現代日本社会は、言葉が生成してゆくダイナミックなプロセスについての関心を持つ人がほんとうにいない。古典なんてどうでもいい、言葉なんてシンプルなストックフレーズを使い回せばいいと思っている人間が、日本の場合、政官財メディアの指導層のほとんどを占めている。だから、生きた言葉を使える人がほとんどいなくなってしまったという、痛ましい現実がある。
皆さん方の仕事は、とにかく「子どもたちを生きた日本語の使い手にしていく」ということです。彼らが「ヴォイス」を発見することを支援していく。「ヴォイス」の発見というのは一生かかる仕事であって、国語の先生が関われるのは人生の一時期だけです。だから、それは「教育する」というよりはむしろ「支援する」というポジションだと思います。
そして、「ヴォイスの発見」は、査定したり、点数をつけたり、他人と比較して優劣を論じたりするような営みではありません。そんなことをすれば、むしろ深く傷つけられてしまう。これは、今の学校教育システムが成績査定と縁を切らない限りはどうしようもないのですが。でも、成績をつけることはとりあえず国語教育にとっては有害無益なことだと僕は思っています。仕方ないとはおもいますが、国語についてだけは、本当は成績をつけてほしくない。どうして子どもたちの知性や、想像力や、自分自身の限界を超えようという自己超越の努力に点数をつける必要があるんですか。そんなものは点数化して語るべきことではないんです。彼ら一人一人の問題なんですから。
でも、仕方ないですよね、仕方ないですけども、そんなことをうるさく言っている男がいるということだけを記憶して頂いければと思います。
長時間ご静聴ありがとうございました。
(2016年12月9日 大阪府高等学校国語研究会にて)

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