#Me too の光と影

2018-03-15 jeudi

今年から山形新聞というところに「直言」というコラムを毎月書くことになった。
1月から3月まで三つ書いたので、一つずつブログに上げることにした。
まず1月は#Me too 運動について。

アメリカで#Me too運動が始まったのは去年の秋のことである。ハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴィー・ワインスタインの性的ハラスメント疑惑が『ニューヨーク・タイムズ』に報道されたことがきっかけになった。
ワインスタインはキャスティング権を利用して役を求める女優たちに性的な奉仕を求め、拒絶した女性の活動を妨害したなどの件で30人以上の女優やモデルたちから訴えられたのである。彼に対する告発には被害者自身だけでなく、ジェニファー・ローレンス、メリル・ストリープ、グレン・クローズ、ジェーン・フォンダといったビッグネームも加わった。ワインスタインは映画芸術科学アカデミーから追放され、プロデューサーとしてかかわった作品も次々製作中止に追い込まれ、完成作品のクレジットからも名前が削られた。
だが、この事件は一個人の醜聞では収まらなかった。「権力を持った男たちはどれほど女性を性的なハラスメントを行っても罪に問われることがない」というアメリカ社会に根づいた慣行に対する告発として爆発してしまった。映画監督のオリヴァー・ストーン、ブレット・ラトナー、俳優のケヴィン・スペイシー、ダスティン・ホフマン、ジェームス・ウッズらが過去のセクハラで告発された。
波紋はすぐに映画界の外にも広がり、ジャーナリストや政治家や裁判官がほぼ毎日のように新たな告発対象となった。12月のアラバマ州上院議員選では、州の最高裁長官だった共和党候補が38年前に未成年の時にセクハラ被害を受けた女性の告発を受けて、トランプ大統領の必死のてこ入れにもかかわらず落選した。
#Me too運動はヨーロッパにも広がっており、もうこの流れは止まることはないだろう。
「ハラスメント」は古仏語harace(追跡)に由来する。「猟犬に追われた獲物が感じる、倒れるまで終わりなく続くきわめて激しい疲労」という語源の持つ絶望的な含意は「性的いやがらせ」という訳語では言い尽くすことができない。だが、ハラスメントの被害者が感じているのはまさにこの「生きる意欲を損なうほどの疲労」なのである。
女優サルマ・ハイエクは12月の『ニューヨーク・タイムズ』でワインスタインの性的「ハラスメント」の実態を詳細に報告したが、被害者に無力感を植え付け、反抗する気力を失わせて屈従を強いること、それは生理的欲求の解消を求める質のものではない。一人の人間の生きる意欲そのものを傷つける「呪い」に類するものなのである。
「性的ハラスメント」という表現における「性的」という限定に目を取られていると、ハラスメントの本質を見損なうことになる。つい先日アメリカで告発された事例ではナショナルチームの医師が100人に及ぶ女性アスリートにハラスメントをしていた。問題は久しく多くの被害の訴えがあったにもかかわらず、体操協会も医師の勤務先大学も、何の対処もしなかったということである。加害者を監督し、罰すべき立場にあった人々の「無作為」はしばしばハラスメント以上に、犠牲者たちを傷つけた。
フランスでは、先般この運動の「清教徒的潔癖さ」に疑念を呈する100人の女性による公開書簡が『ル・モンド』紙に掲載されたが、ただちに猛然たる批判の十字砲火を浴びて、署名者の一人カトリーヌ・ドヌーヴは弁明に追われることになった。
#Me too運動を単なる「セクハラ狩り」に矮小化してはならない。この運動はあまりに日常化しているせいでそれと感知されない暴力的な支配―被支配の関係を可視化するものである。その射程は遠く、その激震はいずれ日本にも伝わるはずである。