平成が終わる(1)

2018-03-07 mercredi

サンデー毎日に「平成の30年間を振り返る」というお題での寄稿を求められた。4600字というたっぷりと紙数を頂いたので、書きたいことを書いた。
それでも書ききれなくて、二回にわたってしまった。まとめて掲載。

平成という時代が2019年4月で終わることが決まった。
元号が変わることについてある媒体から「元号はこれからも必要なんでしょうか?」と訊かれた。元号を廃して、西暦に統一すればいいと主張している人がいることは私も知っている。でも、それはいささか短見ではないかと思う。別に日本の固有の伝統を守れとか、そういう肩肘張った話ではなく、時間を時々区切ってみせることは、私たちが思っている以上に大切なことのように思えるからである。
私の父は明治45年1月の生まれだった。明治は7月末日に終わるので、父は半年だけの明治人であった。けれども、「自分は明治の男だ」というアイデンティティーはずいぶん強いものだったように思う。私が子どもの頃、父は折に触れて「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男の句を口ずさんでいた。それはおそらく父が戦後の日本社会について「ここは自分の本籍地ではない」という異邦感を抱いていたからだと思う。その「時代との齟齬感」が父の世代に独特の反時代的な批評性を与えていたように思う。その反時代性(例えば、SFを「荒唐無稽」と一蹴し、ロックを「騒音」と切り捨てるような風儀)は彼の個性というよりはかなりの部分まで「明治の男はかくあらねばならない」という外形的なしばりのせいだった。そのせいで彼らは不自由をかこちながら、一方では「ある時代に帰属していることの安心感」を享受してもいたのではないかと思う。
漱石の『虞美人草』の登場人物である宗近君の父は、小説の中では若者たちから「天保老人」と綽名されている。おそらく江戸時代の武士のたたずまいを明治の聖代に遺していたのであろう。明治40年頃の読者たちは、その語によってある年齢の老人については輪郭の鮮明な、解像度の高いイメージを抱くことができたのである。「大正デモクラシー」も「昭和維新」も、元号抜きにはそれほどの強い喚起力をもつことはなかったはずである。
元号のない国もそれに代替する自分たちだけの時代の区切りを持っている。イギリス人は時代を王位で区切る。だから、「ヴィクトリア朝風(Victorian)」には「旧式で、融通が利かず、上品に取り澄ました、装飾過剰の」といった一連の含意がある。エドワード七世の在位は1901年から10年までのわずか10年だったけれど、形容詞「エドワード朝風(Edwardian)」は「物質的豊かさに対する自己満足と華美絢爛」という固有の語義を持っている。
フランスでは装飾様式の変遷と政体の転換をセットにして、「ルイ16世様式」「総裁政府(ディレクトワール)様式」「帝政(アンピール)様式」といった細かい区分を行う。
王の交代も政体の転覆も経験していないアメリカは仕方がなく「狂騒の20年代」とか「50年代ファッション」とか「60年代ポップス」とかいうように10年(decade)で時代を区切る。10年単位で人間の生き方が変わるとも思われないが、これが変わるから不思議である。アメリカ人もたぶん「もうすぐ○○年代も終わるから、そろそろ新しいことをしないといけない」というふうな変化への無言の圧力を感じるのだろう。
だから、「世界は西暦で度量衡が統一されており、日本だけが元号のような時代遅れの陋習を維持している」と断定するのはいささか気が早いと思う。人間はいろいろなしかたで時間を区切る。区切らないと落ち着かないからそうするのだ。そして、区切ってみせた後に、あたかもそこに決定的な時間的断絶が存在したかのように、区切りの前後でふるまいを変えてみせる。まず区切りをつけてから、事後的にその区切りに「リアリティ」を賦与するのである。上に「ある時代に帰属することの安心感」と書いたけれど、人間は型にはまることで「ほっとする」ことがある。そういう生き物なのだ。良い悪いを言っても始まらない。

以上が元号についての私見である。その上で平成の30年間がどういう時代だったかを総括してみたい。それについてこんな仮説を立てた。それは過去30年間で何がどう変わったのかを見て取るためには、時間軸をもう30年先に延ばして、前後60年の幅を取る必要があるのではないかということである。つまり、今を「折り返し点」と想定して、「これまであったこと」の回想と「これから起きること」についての予測に等分に知力を分配するのである。そうしないと、人間はうまく知恵が働かないのではないかという気がしたのである。そういう気がするだけで、何のエビデンスもないが、平成の終わりに同期するように「今から30年後の日本はどうなっているのか?」という想像力の使い方をする人が出て来たのは事実である。その一人が橋本治である。
橋本治は『九十八歳になった私』という「近未来空想科学私小説」を書いた(たいへん面白い本だった)。その中で、橋本治は98歳になって、まだらに惚けが入ってきて、足腰が立たなくなって、生活保護を受けながら、「原発が二個壊れて、CO2出せないから火力発電もだめで、電気がそんなに通ってないから、パソコンもそうそう使えない」北関東の「東京大地震」の被災者住宅で、空から襲ってくるプテラノドンに怯えながら暮らしている(遺伝子工学の暴走によって30年後の日本は局所的に「ジュラシック・パーク」化しているのである)。その日常を活写した小説の「あとがき」に橋本はこう書いている。
「『三十年後の近未来』を考えたら、今や誰だって絶望郷(ディストピア)だろう。そのことを当然として、みんなよく平気でいられるなとは思ったけれど、『じゃ、どんなディストピアか?』を考えたら面倒臭くなった。(…)『ディストピアを書くったって、現在の自分の立場を安泰にしておいて、暗い未来を覗き見るんだろう? それって、なんかフェアじゃないな』と思い、『そうか、自分をディストピアにしちゃえばいいんだ』というところへすぐ行った。」
橋本はここでとても大切なことを書いていると私は思う。それは「現在の自分の立場を安泰にしておいて」なされる未来についての想像は「フェアじゃない」。だから、同じように「現在の自分の立場を安泰にしておいて」なされる過去の回想も「フェアじゃない」のだと思う。過去30年を振り返るとしたら、「こんな日本に誰がした」というような言葉づかいは自制すべきだろう。他ならぬ私たちが「こんな日本」にしたのである
同じように30年後の日本について語るときも、それが絶望的な見通しであればあるほど、その社会でリアルに苦しんでいる老残の自分をありありと想像した上で、「そうなることがわかっていながら、止めることができなかった」私自身を責めるべきなのだ。

30年後のディストピアについての暗鬱な予言をもう一つ紹介する。アメリカの投資家ジム・ロジャーズの日本経済について語ったものである。(『週刊現代』12月13日号)
「日本はいまGDPの240%、じつに1000兆円を超す巨額赤字を抱えています。そのうえ、猛烈なペースで進む人口減少社会に突入してきたため、とてもじゃないがこの借金を返済することはできない状況になってきました。30年後に40歳になる日本人には、老後を支えてくれる人もカネもない。このままいけば、いま日本人の10歳の子どもが40歳になる頃には、日本は大変なトラブルを抱えていることでしょう。」
2050年の日本の人口予測は9700万人。現在が1億2700万人であるから、3000万人、つまり年間約100万人ペースの人口減である。仙台や千葉サイズの市が毎年消滅する計算である。日本の国土面積は38万㎢、今はそのうち18万㎢に人が住んでいるが、2050年にはその20%が無住の地となり、60%で人口が半減する。無住の地は国土の62%に及ぶ。
国交省や総務省はこういった非情緒的なデータは公開するが、どういうプロセスを経て無住地が広がるのかについては具体的な描写を控えている。現実に起こるのは、政府も自治体も行政コストを負担できなくなり、交通網、上下水道、ライフライン、警察、消防、医療、教育機関など「それなしでは暮らしていけないインフラ」が過疎度の高いエリアから順に廃絶されるということである。「採算が取れない」という理由で鉄道を廃線し、道路や橋梁やトンネルの補修に予算をつけず、病院や学校を撤収すれば、その地は事実上居住不能になる。
すでに過疎地の切り捨ては全国で始まっている。今のところ都市住民は無関心を装っているが、過疎化切り捨ての波は遠からず地方都市にも及ぶ。その時には今度は地方都市住民たちが「文明的な生活をしたかったら、首都圏に移住しろ」と告げられることになる。「無駄なコストで財政を圧迫するのだから過疎地には住むべきではない」というロジックにひとたび同意したら、同じことをより人口密度の高い地域の住人から冷たく告げられた時にもう反論できない。この言い分に一度同意したら「それっきり」なのである。「無住の地が62%」になるというのは、そういうことである。
上で引いた投資家の言う「大変なトラブル」の一つはこれから後「無慈悲で不人情な社会」が行政主導・メディア主導で創り出されてゆくだろうということである。それについての危機感が今の日本人には感じられない。だから、この暗鬱な予測は高い確率で実現すると思う。
年初早々、気鬱な話で申し訳ないが30年後の日本についてはまだ書き残したことがあるし、そもそも平成の30年を総括するはずだったのに紙数が尽きた。続きは次の機会に。