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2009年10月 アーカイブ

2009.10.02

書いたりしゃべったり

あまりに忙しくて日記を更新する暇がなかった。
月曜から大学が始まった。会議が三つと授業が一つ。
火曜日は昼から夜まで卒論の中間発表会。14人分の卒論についてお話しを聴き、質疑応答。6時間かかった。
今年の特徴というと、「実務志向」という点である。
私のゼミはご案内のとおり、ひとりひとりの学生が自分の興味のあることを調べて、分析するというただそれだけである。
個別的な領域についての知識や情報を蓄積することが目的ではない(そんなものは、彼女たちの人生にほとんど役に立たない)。
卒論の最大の教育効果は「どうして自分は『こんなこと』に興味を持ったのか」、その理由について長期的に(うっかりすると死ぬまで)考えなければいけない点にあると私は考えている。
だから、卒論の冒頭にはもちろん「どうして私はこの研究テーマを選んだのか」を書いてもらう。
これまで私は数百本の卒論を読んできたが、この「テーマ選択の理由」について「なるほど」と納得のゆく文章を読んだことが一度もない。
例外的にすぐれた内容の卒論を書いた学生でさえ、自分がどうしてそのことを研究することになったのか、その理由を言えなかった。
ということは、卒論が要求するもろもろの知的作業の中で、これがいちばん「むずかしい」課題だということである。
私自身は卒業論文の主題にメルロー=ポンティの身体論を選んだ。
メルロー=ポンティの「肉」(la chair)という概念につよく惹かれたのである。
「身体知」ということと「身体を媒介にした他者との共生」について研究したのであるが、まことに驚いたことに23歳のときに私が選んだテーマを私はそれから30年以上ずっと研究し続けているのである。
まだやっているんだから、どうしてそんなテーマを選んだのか、今でもうまく言えないのである。
さて、今年の学生たちの特徴は「実務志向」であると書いた。
企業経営の話を選んだ学生たちが多かった。
それもきわめて具体的な。
雇用戦略、マーケティング、商品開発、インターネットショッピング、成功した業態などなど。
少し前までは経済や経営を論じるときはもっと抽象的だった。
抽象的というか、「高みから」みおろすような、ジャーナリズムの視点から書かれることが多かった。
今回の卒論は違う。
どれも、「現場で働いている当事者」視点である。
ビジネスの現場は待ったなしで「今そこにある」。
そして、彼女たちはあと半年でそこで働くことになるのである。
それがどういう原理で機能しているのか、そこではどうふるまうのが適切なのか。
これは彼女たちにとって現実的に切迫した問いなのである。
以前であれば、「非正規雇用労働者による雇用調整は止めなければならない」とか「女性の労働環境を整備するために託児所を整備すべきである」というような型どおりの「政治的に正しい結論」で終わりになっていたであろう。
だが、いまの彼女たちにとっては「正しい答え」をさらさら書いて「終わり」にすることより、「どうして、そうならないのか」について原因を問うことの方が緊急性が高い。
「資本主義が悪いから」とか「経営者が不道徳だから」というような包括的な結論を出しても、それで事態がさして好転するわけではないということが彼女たちにはもうわかっている。
一般論でくくるよりも、自分たちがこれから実際に働くとき「わりと条理の通った労働環境」と「さっぱり条理の通らない労働環境」とを個別的に鑑識できることの方がたいせつである。
たぶんそういうふうに考えているのであろうと思う。
それがいいことかどうかは一概には言えないが、社会的に「成熟」したということは言えるのではないかと思う。
それは成熟しなければ生き残れないだけ生きるのがむずかしい社会になってきたということである。
水曜木曜は朝から晩まで原稿を書く。
『週刊ポスト』に村上春樹論を書き、『日本経済新聞』に「坂の上の雲」論を書き、『新潮45』に「草食系男子」論を書き、『文藝春秋』にも「坂の上の雲」論と「全共闘運動」論と坂本竜馬論を書き、『AERA』に田中派政治と中国について書き、『Sportiva』にイチロー論を書いた(ほんとうである)。
その間に『邪悪なものの鎮め方』のデータを見てバジリコの安藤さんに送り返し、『東京ファイティングキッズ・リターン』の初校ゲラを校正して文春の大村さんに送り返した。
どうしてこんなに大量の原稿を(それも支離滅裂なテーマで)書かなければならないのか。
さすがに「草食系男子」論を書いているときには、背中がばりばりになってきて、「どうしてオレがこんなことについて書かなきゃいけないんだよ~。関係ないじゃん!」と虚空に向けて泣訴したのであるが、これは新潮社の野木さんからの依頼なので断ることができぬのである(先日うちの院生のクロダくんが野木さんに全共闘運動のオーラル・ヒストリーの聴き取りでずいぶんお世話になったのである。野木さん、その節はどうもありがとうございました)。
そういう種類の「あれこれの義理ゆえに断ることのできない原稿」を身を削って書いているのである。
はあ。
草食系男子論を書き上げたので、中之島公会堂へ。
大阪市と21世紀協会と140Bが主宰する(らしい、よく知らない)「21世紀懐徳堂プロジェクト・ナカノシマ大学」のキックオフイベントに出かけたのである。
平松邦夫大阪市長と鷲田清一先生と釈徹宗先生と懐徳堂と教育をめぐるシンポジウム。
平松市長とははじめてお会いする。
とてもいい人だった。なにより、「ジェントルマン」であった。
いったい「懐徳堂プロジェクト」ということで何をしたいのか、実はよくわかっていなかったのであるが、お三方の話を伺っているうちにだんだんわかってきた(四人の中で私だけが何も知らずにその場に来ていたのである)。
なるほど。
そうであれば、私も一臂の力をお貸しせねば(といってもいつのまにかもうプロジェクトの講師になっているのであるが)。
懐徳堂は18世紀のはじめに船場の5人の豪商が自腹を切って始めた学塾である。
ご案内のとおり、江戸時代の大阪は30万人市民のうちに侍が1万人しかいない「町民の街」であった。
懐徳堂は町民たちが自分の手で作った町民たちの教育の場である。
富永仲基や山方蟠桃のような卓越した学者を輩出したが、別にカリキュラムもないし、プログラムもないし、シラバスもないし、認証評価もない。だいたい金のない人からは授業料も取らなかったのである。
21世紀の懐徳堂プロジェクトの本旨もまた「自腹を切って教育の場を作り出す」ということでなければならないと私は思う。
教育というのは「教育を受ける側が受益する」ものではない。
もちろん教育を受けるものも利益を得るのだが、それだと「だったら、金を払え」という話になる。
「教育を受けること」を「商品を買うこと」と同定すれば、「自腹を切って教育をする」という発想はどこからも出てこない。
それは商品を無料でばらまくことだだからだ。
懐徳堂が成立したのは教育の目的は、「教育を受けるものの自己利益を増大すること」ではなく、「共同体が生き延びること」だということについて創設者たちの合意があったということである。
自己利益の追求と同じ熱意をもって公共の福利を配慮することのできる「公民」(citoyen)を育成することは共同体にとって死活的な重要事である。
学校とは公民の育成のための場であり、私人が「それを勉強すると利益になる」ような知識や技術を身につけるための場ではない。
21世紀懐徳堂がその名にふさわしいものであるためには、「教えたい」と思う側が「まず身銭を切る」ところから始めるしかない。
「教わりたい」というニーズがあるので、それにふさわしい「教育コンテンツ」を有償で提供するというのではない。
まず「教えたい」という「おせっかい」があり、それが「教わりたい」というニーズを作り出すのである。
私自身が自分の教師としての原点と考えているのは、1980年代に瀬田で自分の道場を開いた頃の経験である。
会員はわずか数名だった。
稽古は木曜日の午後6時半から、瀬田中学校の体育館を借りてやっていた。
木曜日は大学の勤務日だったので、いつも6時に仕事を終わらせてから、バイクで飛んで帰って道場に向かっていた。
台風の日、雨の中、大学から帰り、体育館に向かい、無人の体育館に一人で18枚畳を敷いて会員が来るのを待った。
誰も来なかった。
1時間ほど待ったところで近所に住んでいる中学生がそおっとドアを開けて体育館の中を覗き込んで、びっくりしたように「あ、先生、やっぱり今日も稽古あったんだ」と言った。「台風だからさ、もうないのかなと思って。」
いつだってやるよと私は答えて、彼と1時間ほど差し向かいで稽古をした。
その日、外で台風が吹き荒れているときに、無人の寒々とした体育館で誰かが合気道を稽古しに来るのを待ちながら、自分はどうして「こんなこと」をしているんだろうと考えた。
「教わりたい」という人がおらず、「教えたい」という人だけがいるというのは非合理なんじゃないかと思った。
でも、「合気道を教わりたい」という人が何人か集まって三顧の礼を尽くさないと「教えない」というようなことを条件にしていたら、合気道は永遠に普及しない。
教えるというのは本質的に「おせっかい」であり、無人の道場で「教わりたい」という人が来るのを待っているというのが、あるいは「教える」ということにおいてはごく自然なかたちではないのか、とそのとき思った。

キックオフイベントに参加くださったみなさま、どうもありがとうございました。
140Bの中島さんも江さんもオーサコくんもたいそう喜んでおられました。
また次のイベントもどうぞよろしく。

それから釈先生、新車ステキですね!

2009.10.03

こびとさんをたいせつに

金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。
1年生の基礎ゼミの第一回目。
この何年か、1年生のゼミが面白い。
大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、食いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。
最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。
でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。
だから、毎年言うことが変わる。
今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。
言ってみてから、そういえばそうだなと思う。
ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing)も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。
古来賢人たちは必ず「どうして私はこんなに賢いのか」という問いに遭遇した。
遭遇するに決まっている。
自分の賢い所以をすらすらと自力で説明できる(「やっぱ、子どものときにネギぎょうさん喰うたからやないですか」とか)ような人間は「賢者」とは言われない。
真の賢者は恐ろしいほどに頭がいいので、他の人がわからないことがすらすらわかるばかりか、自分がわかるはずのないこと(それについてそれまで一度も勉強したこともないし、興味をもったことさえないこと)についても、「あ、それはね」といきなりわかってしまう。
だから、自分でだって「ぎくり」とするはずなのである。
何でわかっちゃうんだろう。
そして、どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。
私たちは自分の知らないことを知っている。
自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。
私たちが「問題」として意識するのは、その解き方が「なんとなくわかるような気がする」ものだけである。
なぜ、解いてもいないのに、「解けそうな気がする」のか。
それは解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。
私たちが寝入っている夜中に「こびとさん」が「じゃがいもの皮むき」をしてご飯の支度をしてくれているように、「二重底」の裏側のこちらからは見えないところで、「何か」がこつこつと「下ごしらえ」の仕事をしているのである。
そういう「こびとさん」的なものが「いる」と思っている人と思っていない人がいる。
「こびとさん」がいて、いつもこつこつ働いてくれているおかげで自分の心身が今日も順調に活動しているのだと思っている人は、「どうやったら『こびとさん』は明日も機嫌良く仕事をしてくれるだろう」と考える。
暴飲暴食を控え、夜はぐっすり眠り、適度の運動をして・・・くらいのことはとりあえずしてみる。
それが有効かどうかわからないけれど、身体的リソースを「私」が使い切ってしまうと、「こびとさん」のシェアが減るかもしれないというふうには考える。
「こびとさん」なんかいなくて、自分の労働はまるごと自分の努力の成果であり、それゆえ、自分の労働がうみだした利益を私はすべて占有する権利があると思っている人はそんなことを考えない。
けれども、自分の労働を無言でサポートしてくれているものに対する感謝の気持ちを忘れて、活動がもたらすものをすべて占有的に享受し、費消していると、そのうちサポートはなくなる。
「こびとさん」が餓死してしまったのである。
知的な人が陥る「スランプ」の多くは「こびとさんの死」のことである。
「こびとさん」へのフィードを忘れたことで、「自分の手持ちのものしか手元にない」状態に置き去りにされることがスランプである。
スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。
「自分にできること」はいつだってできる。
そうではなくて「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。
それはそれまで「こびとさん」がしていてくれた仕事だったのである。
私が基礎ゼミの学生たちに「自分の知性に対して敬意をもつ」と言ったときに言いたかったのは、君たちの知性の活動を見えないところで下支えしてくれているこの「こびとさん」たちへの気遣いを忘れずに、ということであった。
それは同じ台所を夜と昼で使い分けをしている二組のクルーの関係に似ている。
昼のクルーがゴミを散らかし、腐った食材を置きっぱなしにし、調味料が切れても買い足ししておかないと、夜来た「こびとさん」たちは仕事がしにくくて困るだろう。
だから、自分のパートが終わるときには、「こびとさん」のためにちゃんとお掃除をしておいた方がいい。
そういう気遣いを自分自身の知性の「二重底の下の世界」でこつこつ働いている「何か」に対して示すこと。
それはほんとうに、ほんとうにたいせつなことなのである。
そんなことを言ってもわからない人にはぜんぜんわからないだろうけれど。
私には私の「こびとさん」がいる。
わりと個性的な方である。
「怒りっぽい」のである。
世の中のさまざまな不条理についてすぐにむかっ腹を立てる。
「おいおい、それはちょいと話の筋目がおかしいんじゃねえかい。人というものはね」というようなことをすぐに言い出す。
言い出すと後に引かない。
その点を除くと、たいへん働き者で、総じて上機嫌ないいやつである。
だから、私の主たる仕事は「こびとさんを怒らせないこと」である。
それさえちゃんとしておけば、私の「こびとさん」はほんとうに働き者である。
いつもは私の「ゴーストライター」として原稿を書き飛ばしている。その速度たるや、横で眺めている私が驚嘆するほどである。
おまけに彼は原稿料や印税を要求しないのである。
「そういうものはウチダくんがとっておきたまえ」とまことに太っ腹である。
合気道の道場もこの「こびとさん」に建ててもらったようなものである(まだ建ってないけど)。
学生諸君ひとりひとりの中にも小さな「こびとさん」がいる。
自分の「こびとさん」にどうやって機嫌よく仕事をしてもらうか。
それについてひとりひとりでしっかり工夫を凝らしていただきたいと思う。

2009.10.06

ヒップホップと司馬遼太郎と村上春樹

3回生のゼミ発表は「ヒップホップ」。
実は「ヒップホップ」という音楽概念が私にはよくわからない。
そんなことを言えば「ロック」も「ポップス」一義的な概念規定があるわけではない。
たぶんそういうのは「空気」で何となく決まるのだろう。
アメリカの音楽マーケットにおける「ヒップホップ」は、それと排他的に競合する他の音楽ジャンルとの差別化の中で位置づけられているはずである。
もしかするとヒップホップの本質的な競合相手は隣接ジャンルではなく、「クリスチャン・ロック」とかカントリーとか日本ではほとんど聴かれないジャンルの音楽じゃないかという気がする。
労働、家族、信仰、祖国愛、自然・・・そういうものの価値をまっこうから否定する音楽があれば、アメリカにおける「対抗文化」として広範な支持者を得ることができる。
ヒップホップというのは「そういうもの」ではないかと思う。
興味深いのは「対抗文化」は世界的に知られ、それぞれの社会にアダプトされるけれど、「メインストリーム」の方はアメリカから一歩も出ないということである。
フランスにはフランスのヒップホップがあり、日本にも韓国にも中国にも「地場のヒップホップ」がある。
「対抗文化」的な音楽は世界標準的に共有されるが、それぞれの社会の「メインストリームの音楽」はその国の中でしか費消されない。
どういう音楽がその国の「固有音」かということは、それが「国外には愛好者をほとんど持たない」ということによって知られる。
そういうことではないかと思う。
カントリーミュージックというのはアメリカ中西部の固有の音楽であり、ほとんどそこでしか聴かれない。
村上春樹さんによると、ボストンからロサンゼルスまでドライブすると、アパラチア山脈からロッキー山脈までの間を走行する間、どのFM局もカントリーしかかけないそうである(気が狂いそうになるらしい)。
カントリーミュージックを愛好する外国人はほとんど存在しない。
例外は二国だけで、それは日本とドイツである。
理由はわかりますね。
戦後に「進駐軍」が長期にわたって国内に滞在したからである(「ヨーロッパでは、ドイツ人だけがカントリー好き」ということはたしか大瀧詠一さんに教えていただいたはずである)。
それと同じで、ある国の文化的作物のうち、「その国固有」のものであるかどうかを判定する基準は「国外に愛好者を持たない」ということではないかと私は思っている。
例えば、司馬遼太郎は日本の「国民作家」であり、吉本隆明は日本の「国民思想家」である。
ご異論のある方はおられぬであろう。
その司馬遼太郎は英語訳が三点しかない。
『最後の将軍』と『韃靼疾風録』と『空海の風景』だけ。
『竜馬がゆく』も『坂の上の雲』も『燃えよ剣』も『街道をゆく』も翻訳がないのである。
日本人の心性と価値観と美意識をみごとに描いたこれらの文章に非日本人はまったく関心を示さないのである。
吉本隆明が戦後日本思想を「知る」上で必須の文献であることに異論のある人はいないであろう。
その吉本隆明の著作は外国語訳が一つもない。
『擬制の終焉』も『自立の思想的拠点』も『共同幻想論』も『言語にとって美とは何か』もどれも外国語に訳されていないのである(加藤典洋さんに聴いた話では『共同幻想論』は以前フランス語訳が存在したそうであるが、いまは絶版)。
海外旅行の間に、ふっと「司馬遼太郎が読みたい」とか「藤沢周平が読みたい」とか「吉行淳之介が読みたい」とか「島尾敏雄が読みたい」思うことだってあると思うけれど(ないかな)、現地の本屋にはないのである。
でも、村上春樹はある。
たくさん並んでいる。
司馬遼太郎と村上春樹はどこが違うのか。
もしかすると、「対抗文化」だけが世界性を持ちうるということなのであろうか。
ヒップホップの話を聴きながら、そんなことを考えた。

新潮社の足立さんと三重さんが再校ゲラのピックアップをかねて、『日本辺境論』の販促活動の相談に来られる。
北口の並木屋で美味しいものを食べながら、おしゃべり。
帯文は養老先生にお願いすることになった。
新書の刊行は11月。
考えてみれば、今年はこれしか書いていない。
『街場の教育論』と『橋本治と内田樹』が去年の11月、『昭和のエートス』が12月に出て、それから1年は既刊の文庫化がいくつかあっただけで、新しい本は出してない。
これ一冊で今年はおしまいである。
というわけですから、みなさん出たらぜひ買ってくださいね。
自分で言うのも何ですが、再校ゲラを読んでも、やっぱり面白い。
『寝ながら学べる構造主義』は3000部ずつ27刷、蛇口から水が漏れるようにして10万部出た。
『寝な構』みたいに、一過性の話題にはならないけれど、少しずつでいつまでも新しい読者を惹きつける本になって欲しい。

2009.10.10

多忙のため日記の更新ができなかった

多忙のため日記の更新ができなかった。
備忘のために10月6日以降について記しておく。
10月6日(火曜日)、大学の授業を休講にして、雨の中を戸塚へ。明治学院大学で「知の現場から」というタイトルでの対談シリーズがある。コーディネイターは原武史さん。今回の対談のお相手は高橋源一郎さんなのでたいへんお気楽である。
テーマは教育。
でも、最初のプロフィール紹介のところで、はやくも脱線して、どうして2000年代になるまで私が「ものを書かなかったのか」という話になる。
「ものを書かなかった」ということはなくて、私は中学生時代から膨大な量の文章を書き続けている。
誰もそれに興味を持ってくれなかっただけである。
研究者としてもずいぶんたくさん論文を書いたが、学会的評価は限りなくゼロに近かった。
たまたま2001年ごろに私がネット上に書き散らしたものを「面白い」と言ってくださる人たちが出てきたので、このように本を出すことのできる身の上となったが、そういう奇特な出版人が出てこなければ、私はいまだに(誰も読んでくれない)紀要論文と、ブログ日記を便々と書き続ける人であったろう。
別に、そうであっても特に不満ではなかったと思う。
私は誰か他人に読ませるために書いているというよりは、脳裏に浮かんだ星雲状態のアイディアを「自分に説明する」ために書いているので、主たる読者は私自身である。
私が本を書くのは、「私自身が読みたいなと思っている主題があるのだが、誰も書いてくれないので、しかたなく自分で書いている」のである。
明治学院大学のオーディエンスは学生だけでなく、地域の方々も多かったけれど、たいへんフレンドリーで、あっというまに90分経ってしまった。
雨の中、高橋さんと戸塚まで出て、そこでお別れする。
ほんとうは横浜あたりでゆっくりご飯でも食べたいのであるが、私はそれからソッコーで松本に移動なのである。
次回の『Sight』でまた渋谷陽一さんと鼎談があるので、そのときまたね、と駅頭で別れる。
湘南新宿ラインという未知の路線で新宿へ。20時発のあずさに乗る。松本着22時38分。お迎えの池上六朗先生ご一家と、美ヶ原温泉へ。そこで三宅安道先生ご夫妻と合流。
みなさん私が着くまで晩ご飯を食べずに待っていてくださったのである。私も昼ご飯抜きだったので、もうふらふら。
ビールで乾杯して、温泉宿のフルコースを頂き始めたのがすでに11時半。日付変更線を超えての宴会となった(厨房は大変である。でも、この旅館はこの日池上先生の「借り切り」だったのである。なさることがまことに豪快な池上先生である)。
山海の珍味をばりばりと平らげ、松本の白ワインをいただき、寝しなに温泉に浸かってからおふとんに入ったら午前2時。
9時に起きて、朝風呂に入り、三宅先生ご夫妻と朝ご飯。
ふたたび池上先生ご夫妻がお迎えに来て、まずは診療所へ。
そこに新潮社の足立さんから『日本辺境論』三校のファックスがはいる。
どこまでも仕事が追ってくる。
治療のあいまにチェックして、返信。
池上先生の治療を受けて、身体の歪みを補正していただく。
「憩いの森」でお茶してから、本日のメインエベント会場である松本深志高校へ。
高校生対象の講演会である。
高校生相手の講演は疲れるからやりませんと広言していたのであるが、深志高校は池上先生のお孫さんが三人在学中。
池上先生からのご依頼であれば、これは断ることはできない。
講演会は学校主宰の行事ではなく、生徒たちの自主活動であった。
だから司会も謝辞もみんな生徒諸君が仕切る。
たいしたものである。
生徒さん300人を相手に「学ぶ力とは何か」について語る。
たいへん「食いつき」のよいオーディエンスだったので、こちらも面白くなって、ついテンションが上がり、予定時間をだいぶオーバーしてしまう。
そのあとフロアから質疑応答。シャープな質問が相次いで、たいへん愉快な気分となる。
台風が近づいてきて雨足がだんだん激しくなる。早く帰らないと名古屋からの新幹線が危なそうである。
松本駅で東京にゆかれる池上先生とお別れして、三宅先生ご夫妻とともに中央線、新幹線と乗り継いで新神戸まで帰る。
雨はたいしたことがないけれど、風がぴゅうぴゅう吹いている。
家に着くと午後11時。
テレビで台風のニュースを見て、明日は大学はお休みだなとほっこりしていると、東京の森永さんから電話。
山本浩二が武庫之荘の自宅で倒れて救急車を呼んだという連絡があったそうである。東京からの新幹線はもう止まっている。
とりあえず山本君の自宅に電話するが、誰も出ない。ためしに携帯にかけてみると「はい」と山本浩二が出る。
救急車の中にいた。これから病院に搬入されるところだという。
意識ははっきりしているので、心配はないが、とにかく心配なので病院まで行くことにする。
真夜中だし、台風で交通はほとんどないので、あっというまに尼崎に着く。
救急処置センターでドクターから様子を聴く。とりあえず命に別状はないようである。
それからCCUに移され、そこで少し話をする。
ミラノから前日に帰ってきて、翌日からの授業の準備をしているところで不整脈が出て、ペースメーカーが作動したのである。
このところミラノの個展に向けてずいぶん根を詰めて仕事をしていたから、疲れが出たのであろう。
しばらく休養して、はやく元気になっていただきたいものである。
また来るからねと言い置いて、とりあえず暴風の中をとばされそうになりながら家に帰る。
長い一日であった。
木曜日。天気が回復したので、もう一度病院に。CCUからPCCUにベッドが移る。森永さんからようやく新幹線が動き出したので、夕方着くという連絡が入る。しばらく病室でおしゃべりしてから大学へ。部屋にいると電話がたくさんかかってくる。
仕事を片付けてから、合気道の稽古へ。
金曜日。北摂武道具に寄って杖と木刀を大量購入。大学へ行って基礎ゼミ。電話がじゃんじゃんかかってくる。「あの用事」である。ばたばたしているうちに予約時間となって歯科へ。
歯が痛むのだが、治療に行ける日が来週の木曜まで取れないので、教授会をそろっとパス。
先生に泣訴すると、痛いのは義歯を支えるスクリューが歯肉に食い込んでいるせいで、奥歯を削って、圧力を奥歯に逃がせば痛みは軽減するでしょうと言われる。
頭の中に「歯肉に食い込んでいるスクリュー」をイメージするとふっと気が遠くなる。
歯科からの帰りがけに病院に寄る。
森永さんが来ているので、三人でわいわいおしゃべりをする。
心停止しかけた患者さんが横にいるPCCUでこんなににぎやかに笑っていてよろしいのかと反省し、「山本浩二を個室に入れる会」を結成することを発作的に決定。
ただちに甲南麻雀連盟会員に打電して、義捐金を募ることとする。
家に戻り、かんきちくんにもらったおうどんを食べた後、死に寝。
早起きして大学へ。
AO入試・クローバー入試の第二次選考がある。
今日からほんとうは多田塾合宿なのだが、もちろん参加することなどかなわぬのである。
学長、大学事務長と三人で「入試本部」の統括者席にすわって、今年度入試の趨勢について、リベラルアーツ・カレッジの教育理念について語る。
入試終了後、各学科長と来年度のAO入試のありかたについて意見交換。
日のあるうちに大学を後にして、帰宅。
今日締め切りの原稿が二本ある。それを今から書き上げなければならない。
ふう。

2009.10.13

忙しい日曜

日曜はひさしぶりのお休み。
朝から『坂の上の雲』についてのエッセイを書く。
NHKで来月からドラマが始まるということで、『坂の上の雲』関連寄稿依頼がこのところいくつかのメディアからあった。
関川夏央さんの『「坂の上の雲」と日本人』の文庫版解説と、この洋泉社のムックの原稿だけ引き受けた(前者は当然だが、後者はいちばん締め切りが遅かったから)。
そろそろ締め切りというところで書き始めようとしたら、3枚だと思っていた寄稿枚数が30枚だった。
30枚といえば、たいそうな量である。ちょっとした卒論である。
あわててメールして、枚数を減らしてもらう。
とりあえず書けるだけは書きますとお約束する。
目方で量り売りする原稿というのも問題だが。
土曜に『日本の論点』の締め切りがあったので、『坂の上の雲』について書き出したのは、日曜の朝から。
超特急で10枚ほど書く。
昼から光安さんのところの予約にむりやりねじこんでもらって髪を切る。
夕方から結婚式だったのである。
白井宏明くんと吉川青子さんの結婚式が、御影の蘇州園であった。
吉川さんは私のゼミ生で、修士まで行ったので、つごう4年間のおつきあいになる。
当代にはめずらしい古典的「文学少女」である。
白井くんは神戸大学の工学部の院生だったときに大学院の私のゼミの聴講生に来ていた「男子組」のひとりである。
これまた当代には珍しく素直で笑顔のキュートな青年である。
私が教壇から語る変痴奇論を聴きながら、どうやって愛を育むというような芸当が可能なのか、私には見当も付かないが、愛があればそういうことも可能なのであろう。これは同語反復だな。
ゼミ仲間同士の結婚なので、ゼミ生たちがぞろぞろやってくる。
渡邊仁さんは「ゼミ長老」だから当然おいでになる(乾杯の音頭も)。
かんきちくんアオキくんスナダくんサモトさんは何年間か机を並べた「ほぼ同期の桜」である。
私は新郎新婦両方の先生に当たるので、「ただひとりの主賓」である。
主賓が新郎新婦とも同一人物という話はあまり聞かないが、先方が「そうしたい」というのなら、私の方に「どっちか一つじゃなきゃ、やだ」というような筋のものでもないので、いつものように頭も尻尾もないようなとりとめのない祝辞を申し上げる。
何はともあれ、私の家から歩いて五分のところで式を挙げ、披露宴をするという気遣いに感心する。
漏れ聞くところによると、蘇州園なら「当日になってウチダが結婚式のあることを忘れてだらだらしていても叩き起こせば間に合う距離」という条件で選ばれたそうである。
ゆきとどいた配慮である。
この気遣いがあれば、きっと幸福な結婚生活が送られることであろう。
私の話があまりに支離滅裂なので、渡邊さんに「ちゃんとした大人がする祝辞」をしてもらって、とりあえず恰好をつける。
新郎新婦のお人柄を映し出して(というのはほんとうである)、たいへんに穏やかでかつ愉快な結婚式であった。
ご多幸を祈る。


2009.10.15

鳥取で核について考える

水曜日はオフだけれど、毎週講演が入っている。
本日は鳥取西高校。
高校生相手の講演が二週続く。
三ノ宮(JRの駅名は「ノ」が入る)から「スーパーはくと3号」で鳥取へ向かう。
「はくと」って何の意味だろうと考える。
ぜんぜん思いつかない。
みどりの窓口でもつい「スーパー北斗」と言いそうになる。
あとで調べたら「白兎」であった。
帰り道に半睡状態でいるときに、「大黒さまが来かかると・・・」というメロディが頭の中を流れて、「どうしてこんな曲が?」と思ったら、駅に着く度に「因幡の白兎」のメロディーが車中に流されていたのである。
「スーパーしろうさぎ3号」でいいじゃないか。
なんで、「はくと」なんだよお。
その「はくと3号」の行きの車中でメールをチェックしていたら、日経から「原稿まだですか」という督促メールが来ている。
げ。
月曜締め切りの書評の原稿を忘れていた。
月曜火曜と『日本の論点』と司馬遼太郎ムックの原稿を書き飛ばしたので、もう仕事が終わったような気になっていたが、一つ忘れていたのである。
さいわいこの書評は「古い本の書評」という趣向のものなので、古い本であればよろしい。
ちょうど、鞄の中に岸田秀の『ものぐさ精神分析』の文庫本が入っていた。
机の上になにげなく置いてあったのを出かけに司馬遼太郎の対談本といっしょに鞄に入れておいたのである。
パソコンも実は鳥取日帰りタイトな日程だし、在来線は揺れるから車内での原稿書きもままならぬであろうから、荷物になるだけだし置いてゆこうかな・・・と一瞬は思ったのだが、思い直して鞄に入れておいたのである。
「なにげなく鞄に入っていた古典とパソコン」のおかげで鳥取へ行く車中でさくさくと原稿を書き上げる。
これを「持っていてよかったことが事後的に知れるようなものを先駆的に知ることのできる」高度の能力の発現とみるか、締め切りのチェックを忘れてぼんやりしているただの粗忽な人間の失態とみるかによって人間は二分されるのであるが、私がどちらであるかは言うまでもないであろう。

駅まで車でお迎えに来てくださる。
鳥取西高校はお城の堀の中にある。
名門校なのだ。
校長先生にご挨拶して、ごいっしょにお昼を食べてから、県庁のよこの「とりぎん会館」(「とりぎん」も県外者にはご理解いただきにくであろうが「鳥取銀行」の略称である)というずいぶん立派なホールで講演。
「学ぶ力」について90分しゃべった後に、生徒さんたちと質疑応答。
松本深志高校に続いて、生徒たちはたいへんシャープで愉快な質問を繰り出してくる。
核武装の可否について意見を問われる。
核抑止力が現に外交的なカードとして機能している以上、オバマ大統領のいう「核なき世界」というのは非現実的な選択ではないかというご下問である。
よい質問である。
「核抑止力」とは何かという原則的なことからご説明する。
それは「核兵器を使うかもしれない」という可能性がもたらす恐怖の効果である。
より正確に言えば、「どのタイミングで、どういう条件で核兵器を使うかについて予測が不可能であることのもたらす恐怖」の効果である。
アメリカは核兵器を「理性的」に使おうとしている。
だが、理性的に使われる限り、核兵器は「恐怖」をもたらすことができない。
だから、現に、アメリカの核はテロリストに対してはまったく抑止力として機能していない。
それはテロリストが潜伏しているさまざまな国家を非戦闘員こみでテロリストごと「吹き飛ばす」というオプションをアメリカが自らに禁じているからである。
つまり、テロリストにとってアメリカの核は「あってもなくてもこっちのやることには関係ない兵器」である。
けれども、仮にアルカイダが北朝鮮を相手にテロを行った場合には、北朝鮮がアフガニスタンとパキスタンのいくつかの都市をテロリストごと吹き飛ばすという可能性はアメリカがそれをする可能性より高い。
実は、核兵器の「正しい使い方」は、それがきわめてずさんに、非理性的に管理されているために、「どういうタイミングで発射されるかよくわからない」という恐怖のうちに仮想敵を置くことにあるのである。
その意味で言えば、バラク・オバマよりもウラジミール・プーチンよりも胡錦濤よりもニコラ・サルコジよりも、金正日の方が「核兵器の使い方」においては「正しい」。
ロシアの核兵器が久しくアメリカ国民を恐怖させていたのは、「どうもロシアの軍部はクレムリンの統制が及ばないらしい」という、敵国の統治システムの不具合が繰り返しアナウンスされていたせいである。
法治国家の、選挙で選ばれた、有徳で賢明な統治者が核兵器を管理しているならば、それは敵にとっては少しも怖いものではない。
アメリカの問題点はそこにある。
だから、アメリカでは、「アメリカの核」を恐怖させるために、「アメリカ軍は大統領の命令に従わずに勝手に核兵器を発射するかもしれない、よく統制のされていない軍隊である」という「神話」をあらゆるメディアを通じて繰り返し世界に喧伝しているのである。
頭の狂った好戦的な政治家や軍人が「暴走」したせいで、核兵器が法治国家の統制を離れて、「敵国に向けて発射されてしまいました」という映画やテレビドラマを私はこれまでにたぶん100回くらい見た。
これはもちろんアメリカ軍を貶めるために作られた話ではない。
そうでもしておかないと「アメリカの核兵器」はぜんぜん恐怖心を与えることができないということをアメリカ人だってわかっているから、「そういう話」を繰り返すのである。
「アメリカにも“金正日みたいな奴”がいて、それが核兵器をコントロールしているかも知れないんだぞ」という話をうるさく言い立てておかないと、核兵器なんかあっても、ぜんぜん怖くないからである。
バラク・オバマが「核なき世界」を宣言し、それについてノーベル平和賞が与えられた後に、アメリカ国内では一斉に「ふざけたことを言うな」という反発があった。
これは反発があって当然である。
オバマ大統領のような「理性」と「核兵器なんかオレら平気で使っちゃうもんね、だって、オレらバカだから」的な「非理性」が同時にアメリカ国内に併存していないと、核抑止力が効かなくなってしまうからである。
「キチガイ」が持っていると信じられているときに、「刃物」はその殺傷能力をもっとも効果的に、抑止的に用いることができる。
そういうものである。
核抑止力戦略というのは、「人間は愚鈍で邪悪だから、核を抑止できないかもしれない」という恐怖を心理的な基礎にして構築された戦略である。
パラドキシカルな構造だが、いかにも人間が作り出しそうなシステムではある。

という話をした上で、核抑止力戦略の根本的な危うさについて、質問した高校生にお答えする。
核兵器を抑止力として有効利用するためには、軍の中枢部に「あきらかに合理的に推論できないバカ(だと世界中から思われている人間)」を一定数、定期的に配備しておかなくてはならない。
「あきらかに合理的に推論できないバカ(だと世界中から思われている人間)」をつねに軍事部門の中枢に配備し続けなければならない防衛システムのもつ根源的な欠陥は、そいつが「『バカだと思われている』だけじゃなくて、ほんもののバカ」である可能性を原理的には排除できないという点にある。
わかりにくい話ですまない。
雨の中をディーゼルの因美線で三ノ宮に帰る。
10月11月はこういう講演の旅が続く。

2009.10.18

配偶者の条件

金曜日。朝、記念賞授賞式。うちの黒田くんが賞をもらったので、お祝いに行く。
大野篤一郎名誉教授による「セネカの幸福論」という講演がある。
ひさしぶりの大野先生のお話を聴く。
どこから始まりどこに行くのかわからない哲学的知性の遊弋。
忘れられかけた「古き良き大学」の空気が大野先生の笑顔から感じられる。
基礎ゼミでは「友人と恋人はどう違うか?」というお題。
おもしろい主題である。
これについては私見があるので、それを述べる。
「友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱」という詩章がある。
知性、気づかい、向上心というようなものが友人を選ぶときの条件であるよということである。
では、配偶者の条件は何か。
与謝野鉄幹のこの「人を恋ふる歌」は広く人口に膾炙した「妻をめとらば才たけて、みめうるわしく、情けある」で始まる(男性配偶者の条件については言及していないが、同列に論じてよい)。
はたしてこれは「条件」と言えるか。
例えば、「書を読む」というのは誰が眼にもあきらかな客観的事実である。
「六分の侠気、四分の熱」は「六対四」という数値が示すように、計量的事実である。
つまり、「友の条件」は客観的、価値中立的なのである。
これに対して「配偶者の条件」は「才能」「美貌」「情愛」である。
これは一読してわかるとおり、いずれも「主観的価値」である。
「才能」は「埋もれた才能」「世に容れられぬ才能」という形容があるように、その人に「才能がある」と思う人間の眼にだけ見えて、余人には見えない。
「美貌」も然り。
多くのラブロマンスは「キミは自分の美しさに気がついていない」という殺し文句を伴うが、彼女の美しさは「自分で気づかない」くらいであるから、この言葉を発した人以外のほとんどの人にもこれまで気づかれないものだったのである。
「情愛」も同断。
「こまやかな情愛」などというものはクローズドの空間で私的に享受されるべきものであって、公的場面で開示されるべきものではない。
つまり、「配偶者の条件」はすべて私的、主観的だということである。
私的、主観的ということは、言い換えれば「一般的な仕方では存在しない」ということである。
「私」が「才能があって、美しく、愛情こまやか」だと判断すれば、残り全人類がそれに異議を唱えても、私の判断はゆるがないという「人の意見を全面無視」という大胆さをともなうがゆえに、配偶者の選択は劇的なものとなるのである。
もし、異性の配偶者適性の基準が客観的に存在したとすると、当然のことながら、「誰が見ても配偶者に適する個体」に求愛者が殺到し、そうではない個体は生涯を性的孤立のうちに過ごさねばならないことになる。
これでは種の保存が危ぶまれる。
それゆえに、性的配偶者の選好基準についてひとりひとりに「乱数表」がばらまかれており、「蓼食う虫も好きずき」ということになっているのである。
つまり、友の良否には客観的基準があり、配偶者の良否にはそれがないということである。
それは少しも悪いことではない。
配偶者の「才能」「美貌」「情愛」などについて世間に知られることが少なければ少ないほど、「この人のほんとうの人間的価値を知っているのはこの世で私ひとりだ」という確信は深まる。
私が「この人の人間的価値」の唯一の証人なのである。
私がいなくなったら、この人はそのすばらしい人間的資質を誰にも認められぬままに終わる可能性がある。
そして、この確信から導かれる遂行的結論は「だから、私は生きねばならない」である。
もし、あなたの配偶者が誰が見てもすばらしい人間であり、周囲の人々がそれをほめそやすとしたら、そのことは「人が羨望するような財を手に入れた」という満足感はもたらすかもしれないけれど、「だから、どんなことがあっても私は生きなければならない」という使命感はもたらさない。
もし、あなたが真に人間的な人であったとしたら、「人が羨望するような配偶者を独占していること」について、無意識的な「疚しさ」が生じるはずである。
「誰から見てもすばらしい人間」を私的に占有することについての「罪の意識」は、人間が共同的な生き物である限り、必ず生ぜずにはいない。
その行動は、どこかで「この人は他者たちと共有されるべきである」という不条理な結論にあなたを導いてゆく。そして、あなたは配偶者を、気づかないうちに、「なかなか家に居着かない」方向に押し出すようになる。
つまり、「誰が見てもすばらしい、みんなが羨む配偶者」を得た人間は、その代償として、「私がいなくても、この人の才能や美質は引き続き高く評価されるであろう」という確信を埋め込まれる。
それは「私は存在しなくてもいいのだ」というアイデンティティの危機を遂行的な結論として呼び込むことになるのである。
それゆえ、古来、配偶者の選択については、「できることなら、誰も羨まない人間を選ぶ方が無難である」ということがひそかな人類学的ルールとなっているのである。
もちろん、そのようなことは決して公言されない。
「どうして私と結婚したの?」
「だって、キミのことを誰も愛していないからさ!」
というような会話の帰結は明らかであろう。
これは「だって、キミのすばらしさを理解しているのは世界でボクひとりだからさ!」と言わねばならない。
そして、この二つの言葉は実は同じ意味なのである。
話はこれでは終わらない。
いまなかなか結婚できない方々が30代40代に多いが、その理由は彼らが「適切な配偶者についての一般的基準」というものがありうると考えているからである。
これはたいへんに問題の多い性イデオロギーである。
上で述べたように、「適切な配偶者についての一般的基準」というものがあるということは、この基準に照らしてランキングが高い異性は、すでにその条件によって、「あなたがその人の配偶者である必然性はない」ということになるからである。
多くの人の羨望の対象であるということは、あなたの「替え」はいくらでもいる、ということである。
誰でも自分と「代替可能」であるという自己認識がひとを幸福にすることはありえない。
しかし、私たちの社会は挙げてこの「人間的価値の数値的・外形的表示」に狂乱している。
それがどれほど致命的に私たちの自尊感情と自己愛を損なっているか、それについて私たちはもう少し真剣に考慮した方がよい。

基礎ゼミのあとは14時から19時半まで会議が三つ。
その後、『セオリー』の取材。入試部長室で20時まで写真撮影。それから御影に移動して、ペルシエでご飯を食べながら取材の続き。
お題は「教えるということ」。
「学ぶこと」についてずいぶんたくさん書いたりしゃべったりしてきたけれど、このところ「教えること」について問われる機会が多い。
「教えること」の本旨は「おせっかい」である、という持論を述べる。
詳細はいずれまた。
ペルシエのご飯もワインもたいへん美味しく、戸井くん、大越くん、ともに大満足。
講談社さま、どもごちそうさまでした。
土曜日は朝の10時から17時半まで大学で入試問題の点検作業。
一日ずっと座って、いろいろな人からの愚痴や不満や抗議にうなだれて聞き入る役である。
ああ、疲れた。
途中で、講演を頼まれていたある高校から詳細問い合わせのメールが入る。
「謝礼は交通費程度でよろしいでしょうか」ということだったので、お断りすることにした。
たしかに謝礼についての問い合わせのときに「お気持ちで」とは申し上げたが、交通費のみ支弁ということは「ノーギャラ」ということである。
ふつう、それが意味するのは、その人の仕事は「ギャラを払うほどのクオリティのものではない」という判断を先方がなされているということである。
そう判断するのは先方の自由であり、かつまたその判断に蓋然性が高いことにも私は同意するが、それと同じように、「おまえの仕事のクオリティは低い」と判定している人のところにわざわざ休日をつぶして出かけるほどの義理はないという私の側の判断にもご同意願いたいと思う。
なんだか脱力して帰宅。
作り置きの「肉じゃが」を食べながら、韓国映画「チェイサー」を見る。
キム・ユンソク(「太った桑田佳祐」)のブチ切れぶりと、ハ・ジョンウの超変態ぶりが素晴らしい(この変態男は『コピーキャット』のハリー・コニック二世以来の出来)。
ハリウッドでディカプリオ主演でリメイクするそうであるが(ハリウッドもほんとうに企画力が落ちたなあ)、キム・ユンソクが人を脅かすときの、あの異常なリアリティは出せないだろう。

2009.10.22

教育=贈与論

めぐみ会奈良支部で講演会。
めぐみ会というのは会員30000人を擁する本学の同窓会であり、つねづね申し上げているように、本学の重要なステイクホルダーなのである。
私の「教育はビジネスの語法では語ってはならない」という教育論は学内的には「非現実的」「思弁的」というご批判をいただくことも多いのであるが、同窓会内部には支持者が多い。
同窓生たちの中には億単位の寄付を遺贈する方が少なくない。
それは別にスーパーリッチな卒業生が多いという意味ではなく、彼女たちが「教育というのは本質的に『教える側の持ち出し』である」ということをご存じだからである。
少女時代の数年間を女学院で過ごした人々が、そこで経験した「教える側の持ち出し」という原事実の重さを、齢を重ねるについて思い知るということがあるからこそ、晩年に至って、「お返し」をしなければならないというふうに考えるのである。
昨日お話しした同窓生の方は大正15年生まれ、私の母と同年であったが、その方が「年を取るにつけて、母校がほんとうにいい学校だったんだなという感がだんだん強くなるんです。ふしぎですね」と言われた。
「贈与を受けた」という原体験をもつ人しか「反対給付の義務」を感じない。
ただ、この「贈与」ということを「価値あるものを受け取った」というふうに解してはならない。
そうではなくて、「どういう価値があるのかよくわからないものを受け取った」というのが「贈与」の本義なのである。
贈与されたものが何を意味するのか、何の役に立つのか、それを知るために、長い時間とさまざまな経験を要するようなもの、そのような贈り物だけが「贈与」の名に値する。
学校教育の目的は、学ぶ側に「十分に努力したので、努力にふさわしいだけの報酬を得た」という合理的な達成感を得させることにあるのではない。
そうではなくて、そこで自分が「求めていた以上のもの」「求めていた以外のもの」を受け取ってしまったのだが、それが何であるかがよくわからないので、それを知るために、そのあと長い時間を生き、さまざまな経験を経巡らなければならなかった・・・という行程の全体をふくむものが教育なのである。
私はよく「卒後教育」という言葉を使う。
もちろん、そんな言葉は教育学の用語には存在しない。
しかし、教育のアウトカムというのがいつどういうかたちで教育を受けた人において物質化するのかは誰にも言うことができない。
卒業後数十年して、臨終の床において、「ああ、なんて幸福な人生だったのであろう。今にして思えば、私が幸福であったのは、はあの学校で学んだことのおかげだった」と述懐した場合、その人において「卒後教育」は臨終の際まで継続していたことになる。
というのも、彼女が受けた教育の「適切さ」は、学校そのものに内在していたのではなく、教育を受けた彼女自身がみずから幸福になることによって、事後的に、実存的なしかたで証明したものだからである。
自分が受けた教育の適切さを、自分自身が愉快に、気分よく人生を送ったという事実によって遡及的に証明すること、それが「卒後教育」というダイナミックなプロセスである。
「卒後教育」の主体は学校ではない。本人である。
これは「自己教育」なのである。
けれども、この自己教育が発動するためには、「自分はいったいこの学校で何を習ったのかがよくわからない」という「謎」が必須なのである。
学んでいるとき、学び終えたときに、自分が何を学んでいるのかを学んでいる側が熟知しているような教育課程では「謎」が生じない。
謎が生じるためには、そこに必ず「求めている以上のもの」「求めている以外のもの」がなければならない。
それが何かを理解するためには、人を愛し、憎み、人を信じ、裏切られ、ものを創り出し、破壊し・・・という長い歳月と経験が必要な、そのような「謎」が学校教育の本質をなしている。
教育の目的はただひとつである。
それは人を成熟に導くことである。
誰も人間を他動的に成熟させることはできない。
人間を成熟させるのは自分自身である。
そのためには主体の側に「成熟しなければならない」という強い決意が必要である。
ひとが「私は成熟しなければならない」と思う理由はひとつしかない、それは「成熟しなければ、理解できないことがある」からである。それが理解したいからである。
教育の「謎」は「どうしてこの人は私にこのようなものを贈与するのか?」という問いのかたちで構造化されている。
もし、その贈与が対価とつりあうものであれば、それはすこしも「謎」ではない。
なるほど、私がこれだけのものを支払ったのだから、これが手渡されたのだなということに納得がいけば、それは「謎」ではない。
それはただの等価交換である。
等価交換をどれほど積み重ねても人は成熟しない。
「私が今使っている価値の度量衡では計測できない価値」について知りたいと思うことはない。
私たちは、「それが何を意味するのかが、今の私には理解できない贈り物」が手渡されたときにのみ、その意味を解明するためには「成熟しなければならない」と思い始める。
教育はだから「教える側がまず贈り物をする」ところからしか始まらない。
教育を市場の言葉で語ることが虚しいのは、凡庸なビジネスマンたちはまず「ニーズ」が存在し、それに対して「サプライ」があるという継時的なかたちでしか需給関係を構想できないからである。
真に優れたビジネスマンは、経済活動においてさえ、その本質は「贈与」にあることを知っている。
「最初の一撃」はつねに「なんだかよくわからないものの贈与」としてしか始まらない。
あるいは、「なんだかよくわからないものを贈与された」という自覚(または勘違い)からしか始まらない。
そこから交換が始まる。
反対給付を動機づけるのは、「贈与された」という事実ではない。「なんだかわからないものを贈与された」という事実なのである。
というようなことを、もっと具体的にお話しをする。
例によって、頭も尻尾もないような話であったが、めぐみ会の会員のみなさんはたいへんオープンマインドな方ばかりなので、あたたかい拍手を浴びる。
おみやげをいろいろいただき、車で神戸まで帰る。
めずらしく日のあるうちに神戸に戻れたので、そのまま足を伸ばして元町の大丸へ行って、買い物。
半年ぶりくらいのデパートなので、発作的に大量の買い物をする。
セーター二枚、靴下二足、パンツ二枚、Tシャツ一枚、シャツ一枚、マフラー一個、鞄二個。
なぜ鞄を二個もまとめ買いしたのか、よく理由がわからないが、私は「鞄フェチ」なのである。
納戸は鞄ばかりであるし、中には使ったことのない鞄もあるのだが、鞄売り場にゆくと頭がくらくらしてしまうのである。
一気買いしたので、たいへん幸福な気分になる。

2009.10.26

風邪ひいたけど毎日仕事です

げほげほ。
ひさしぶりに風邪をひいてしまった。
一昨日、ふと「そういえばこのところ風邪をひかないなあ」と思ったのである。
「私は風邪をひかない」と自慢すると、必ずそのあと大風邪をひくというジンクスがあるので、そのときも心に思っただけで口には出さなかったのであるが、思っただけで罰が当たり、その日の夜からのどが痛くなってきた。
困ったことに翌日は大学祭の初日で、演武会と中沢新一さんとのトークセッションが予定されているのである。
朝、目が覚めるともういけない。
鼻が詰まり、のどが痛み、微熱があって、身体がだるい。
終日ごろ寝をしていなさいと身体が指示しているのだが、そうもゆかず、怠け心(というか健康志向)を抑圧して、改源を飲んで大学へ。
演武会の方はもう手順がわかっているから、私がいなくてもてきぱきと準備が進んでおり、私はただ「じゃ、始めようか」とキューを出すだけ。
出場者も少ないので、さくさくと終わり、私の説明演武の順番が回ってくると、アドレナリンが分泌されて、急に体調がよくなる。
演武が終わると、またのどが痛くなる。
現金なものである。
しかし、そのあと今後は本日のメインイベントのトークセッションがある。
中沢さんたちご一行が登場。せっかくの機会なので、大学キャンパスをご案内する。
中沢さんはカメラ持参で「おお、これは」とぱちぱち建物の写真を撮りまくる。
本学キャンパスは中沢さんの審美眼にかなったようである。
講談社の加藤さんに140Bの江さん、大迫くん、釈先生、かんきちくんとどんどん知人が集まってくる。
最前列には田村母娘、黒田くん、東川さんが陣取っているので、いつも朝カルと同じような感じである。
お題は「今、日本にほんとうに必要なもの」(みたいなタイトル)。
今日本にほんとうに必要なものって何なのだろう。
「感応」かな。
中沢さんとはあきらかに「感応」するものがある。
とりあえず、そのひとつは「異界」とのインターフェイスに立つためにはそれなりの「技術」が要るという認識である。
この「技術」の習得に中沢さんも私もかなりの歳月と努力を傾注してきている。
この「技術」は「はい、これね」と言って単品で手渡したり、教授したりすることのできないものである。
現にそのようなことをしている先達のふるまいを見て、そこから察知するしかない。
というのは、先達たち自身も自分のふるまいのうちの「どれ」がインターフェイス専用の技術であるかをよくわかっているわけではないからである。
先達たちは、それぞれの規矩に従っていろいろなことをする。
ご飯を食べたり、仕事をしたり、家庭をもったり、笑ったり、悲しんだりする。
そのふるまいのなかのどれが死活的に重要な技術なのか、どの部分がきわだって特異なのか、それは自分で判断するしかない。
私が長く修業してきて学んだことの一つは「アースする力」である。
ひとの強い思いは、ある閾値を超えると、愛情であれ憎しみであれ、憧憬であれ嫉妬であれ、破壊的な効果をもたらすことがある。
破壊的なほどに強い心的エネルギーは生身で受け止め、そこにとどめてはいけない。
そんなことをしたら、身体をこわしてしまう。
そういうものは「アースする」。
いちどは受けとるけれど、手元にとどめず、そのまま「パス」するのである。
中沢さんも「アースする」ことについてはずいぶん長い修業をしてきた人だと思う。
そういうのはわかる。
トークセッションでのトピックの一つは「穴が開いていることのたいせつさ」だった。
これはすごくよくわかる。
春先に寮の方からグラウンドの横を通って歩いてくる寮生たちを見ていると、顔の輪郭がぼやけて、桜の花びらとまざりあって一種靄靄たる点景をなしている。
まるで彼女たちの身体の表層にたくさんの小さな孔が開いて、そこから外気が自由に出入りしているような不思議な印象がする。
長く低刺激環境におかれると、人間の身体の「バリアー」が下がって、外界との境界線が曖昧になる。
そういうときに人間の歩き方はなんだかゆらめくようになる。
それは都市の喧噪の中を早足で歩いている人の輪郭の明瞭さや足取りの正確さとまったく対比的なものである。
春霞の中をゆらめくように歩いている学生たちを見ていると、「天の羽衣、浦風に靉き靉く。三保の松原、浮島が雲の。愛鷹山や富士の高嶺。かすかになりて、天つ御空の、霞に紛れて、失せにけり」という『羽衣』のキリの詞章を思い出す。
古来、日本人がもっとも美しいものとしてイメージしたのは、乙女の姿が霞に紛れるさまであった。
それはたぶん「多孔的な身体」のありようを詩的に表象したものだと私は思う。
中沢さんとのトークセッションはこのあとまだあと2回続く予定。どんな本に仕上がるのか楽しみである。
講演後、20名近くで打ち上げ宴会。
中沢さんから「ここだけの話」をいろいろとお聴きする。
また今度は東京で、と約束してお別れする。
24日土曜日は学祭二日目。
風邪が治らない(まあ、こんな生活をしていたら治るわけないけど)。
演武会は土曜なので、出場者が多く、演武次第は30番まで。
杖道会の子たちの演武がレベルアップしてきて、それがとてもうれしい。これもみな若さまのおかげである。若さまありがとう。
畳を片付けてからぞろぞろと御影へ移動して打ち上げ宴会。
杖道会と合同の打ち上げで、「秋の味覚一品持ち寄り」
今年は杖道会のプチ黒田くんの「ヘレカツの巻き寿司」が圧巻でした(ご飯七合炊いたそうである)。
みなさん、ごちそうさまでした。
日曜、朝起きると風邪はさらに悪化している。喉が痛く、鼻水が垂れ、もう絶不調である。
しかし、今日は東京へ行かねばならぬ。
三砂ちづる先生が主宰している「おむつなし育児」のシンポジウムが津田塾大学であり、私はそこで特別講演をするのである。
なんで私が「おむつなし育児」にコミットしているかというと、このプロジェクトを支援しているのがトヨタ財団で、そのコーディネイターがケンちゃんだからである。
ケンちゃんは京大の院生だったときに甲南合気会のメンバーで、熱心にお稽古していたのである。それがめぐりめぐって三砂先生の担当になった。
世間は狭いというか、偶然というのはないものである。
鼻水をすすりつつ「おむつなし育児」の研究報告を拝聴する。
おもしろい試みである。
アフリカにはおむつというものをしないで育児をしている集団がある。
こどもが便意を催したら、「よいしょ」とおんぶひもから下ろして、ぶりぶりじゃあじゃあとうんちおしっこをさせる。
研究に行ったアメリカの人類学者が「どうしたら、子供が便意を催したことがわかるのですか?」と質問したら、聞かれた母親はきょとんとして「あなたは自分がおしっこしたくなったとき、それがわからないの?」と反問したそうである。
なるほど。
私たちなら「気の感応」というところである。
多田塾では背中に手を当てて、前を歩く人に「右、左」を想念で指示して、方向をコントロールする稽古がある。
この想念は「身体がぐいっと曲がるときの筋肉や骨格や関節の感じ」を体感としてはっきり思い浮かべて、相手に送る。
送られた方は「なんとなく」どちらかに曲がりたくなるのであるが、そのときの「あ、こっちだ」という決定は、多田先生の比喩を使うと「忘れていた人の名前を思い出すとき」の感じに似ているのだそうである。
忘れていた人の名前は、自分の中の、どこか知らないところから、ふわっと浮かんでくる。
たぶん「おむつなし育児」をしている母親たちは、訓練を積むと、子供の便意を「自分の便意」に限りなく近いものとして感知することができるようになるのだと思う。
この能力はきわめて汎用性の高いものである。
これは単におむつの有害無害とか衛生問題とかのレベルを超えて「非言語コミュニケーション」の能力開発プログラムとしてきわめてすぐれたものになると私は思う。
便意というところがすごい。
便というのは、身体の内側にあるときは「主体=自我の一部」であり、境界線を越えたところで「他者=汚物」になる。物理的・科学的組成に変化が起こるわけではない。境界線の「こっち」にあるか「そっち」にあるか、それだけの違いである。
それを感知することによって、私たちは「主体」と「他者」の境界線を確定するのである。
「おむつなし育児」を実践するお母さんたちが口々に言うのは、子供の便意をぴたりと感知して出てきたときのうんちは「かわいい」というものである。
思わず写メに撮ってともだちに送ってしまうそうである。
主体と他者が分離するそのリアルタイムに立ち会うことによって私たちが得ることのできる最良の形而上学的教訓は「他者はかわいい」という実感である。
これはすばらしい達成であると思う。
三砂先生とケンちゃんに手を振って、雨の武蔵野を後にして、新幹線で神戸に帰る。
やっと病気になれる。


2009.10.28

やっと病気になれた

晴れて病気になれたので、やれうれしやと朝からパジャマでぐっすり寝ていると電話が鳴る。
なんじゃいといささかトンガッた気分になって起き出して「はい」と最大限の不機嫌さで電話口に出ると、朝日新聞である。
26日に鳩山首相の所信表明演説があり、それについてコメントするという約束をしていたのである。
風邪にまぎれて忘れていた。
演説はプレスリリースが事前になされているので、その草稿をメールで送ってもらう。
パジャマの上にダウンベストを羽織って、げほげほと咳き込みながら草稿を読み、1000字コメントを書く。
演説はかなり修辞上に工夫が見られる。
なかなか言語感覚のよいスピーチライターがいる。
「友愛」というのが鳩山首相の政治哲学の根本概念のようであるが、「友愛」というのはどちらかというと空想社会主義者の用語である。
私は科学的社会主義者よりも実は空想的社会主義者の方が人間的には好きである。
例えば、ロバート・オーウェンは19世紀にスコットランドの紡績工場で2500人の労働者を「空想的」に管理し、「大部分が非常に堕落した分子から成り立っていた住民」たちを「完全な模範的集団居住地」に変えた。
エンゲルスはそのような個別的な善意を山ほど積み上げても、資本主義社会の根本的な矛盾は解決できないと、これを退けたが、私はその考え方には同意しない。
資本主義社会の根本的な矛盾なんか誰にも、どんな理論にも、どんな実践によっても、解決できないのである。
だったら、せめて、できるところから、こつこつとやっている人を応援すべきではないのか。
「友愛」というのは、ロバート・オーウェンやサン・シモンがそうであったように、あきらかに「上から目線」の善意の発露である。
自分はもう十分に恵まれているというブルジョワの「疚しさ」が「友愛」を動機づけている。
それを「偽善」といって退けることに私は反対である。
偽善によって貧者にパンを与える人は、真の善意に基づかない行為は不道徳だといってパンを与えない人より、飢えた人間にとってはありがたい存在である。
とりあえず腹が減っている人にとっては、動機が偽善であろうと疚しさであろうと自己弁護であろうと、パンが出てくればそれでいいのである。
「友愛」という言葉はあきらかに私たちの社会が流動性を失い、階層的に固定化してきていることの徴候である。
社会的流動性が高く、人々が忙しく階層を向上し下降し、一代のうちに富貴の身となったり貧窮に沈んだり、株価ひとつで栄華を謳歌したり不遇を託ったりしている時代には「友愛」なんて言葉には何のリアリティもない。
それよりは誰もが「自己利益の追求」に忙しく、その方がたぶん結果的にはてばやく社会的フェアネスが実現する。
だから、フィラントロピイが社会的行為として前景化する時代というのは、社会的流動性が停滞している時代だということである。
一度「金持ち」になった人間はなかなかそのポジションから動かない。一度「貧乏」になった人間はなかなかそこから這い上がれない。
職業が世襲化し、居住地が固定化し、社会的エートスの差別化が際立つ、そういう時代に私たちは入りつつある。
「絆」という言葉も鳩山演説には繰り返されたが、それは言い方を換えれば「束縛」ということである。
「支え合い」という言葉も繰り返されたが、それは言い方を換えれば「相互依存・相互監視」ということである。
個人があまりに原子化したために、現代社会は生きにくくなった。
だから、その処方箋として、個人を集団に統合して、社会的流動性を押し下げて、変化のスピードを遅らせるというのは論理的にも実践的にも「正解」なのである。
私自身、そういうことをかねてから主張してきた。
でも、それは「そういうこと」が絶対的に人間にとって「よいこと」だからそう主張したのではない。
たまたまいまの社会的条件のもとでは、そうした方が相対的に「生き延びやすい」という計量的な判断でそう言っているだけである。
手触りのやさしい共同体を再構築することが急務であることは日本国民全体の合意であろう。
けれども、「共同体の再構築」が必ず社会的流動性の低下と生物学的多様性の限定を伴うことを忘れてはいけない。
世の中「いいことばかりはありゃしねえ」(@忌野清志郎)のである。
階層が固定化され、「持てるもの」が「持たざるもの」に一方的に善意を施すことが社会的フェアネス達成の「王道」であるような社会において、どのようにして流動性と多様性を担保するのか。
それが「ポスト流動的社会」における喫緊の実践的課題だと私は思うのだが、例によって、私ひとりが先走っているだけかもしれない。
テレビで所信表明演説を見てから、またベッドに戻る。
『海辺のカフカ』が読みたくなったので、寝ながら読む。
気がつくと日が暮れている。
だいぶ風邪がよくなったようである。

2009.10.31

講演したり聴いたり

まだ風邪が癒えない。
鼻水がじゅるじゅる垂れて、ときどき咳き込むが、それ以外はまあ標準的である。
バジリコから『邪悪なものの鎮め方』の初校ゲラが出る。
タイトルはむかしの企画の流用だが、中身は「コンピレーション本」。
ただし今回は「霊」や「呪い」やその解除についての逸話が「狂言廻し」のような役割を果たして、テクストを繋いでいる。
自分でいうのもなんだけれど、たいへんに面白い。
ゲラを読み始めたら止まらなくなって、一気に読んでしまった。
これはやはり編集の妙というべきであろう。
読んでみてわかったのは、私が「同じ話」ばかりしているということである。
自分では気づかないのだが、たしかにブログには同じ話ばかり書いているようである。
注文原稿の場合は、同じ話の使い回しは原則的にはできない。
二重投稿というのは、プライオリティが重んじられる世界では禁忌だからである。
でも、ブログは別にそういう「しばり」があるわけではない。
だから、だいぶボケが進んだ老人のように、同じ話を何回も何回も繰り返しても、別に誰からも苦情は出ない(実際には「また、ウチダが同じ話書いてるぜ」というようなやりとりがバックステージではなされているのであろうがが、私の耳には届かない。私の耳に届かなければ、苦情は存在しないも同然である)。
でも、私が同じ話を繰り返すのは、「高度」を稼ぐためなのである。
山を登るのと同じである。
高く峻険な山は直登することはできない。螺旋状にぐるぐる回りながら高度を稼ぐのである。
一周まわると、前と同じ景色のところに出る。
「あら、また同じ話だ」というのは、「前と同じ景色」の尾根に出たことを意味している。
でも、スパイラルで一周した分だけ前よりも高度が上がり、見えるものの射程が拡がり、空気が澄んだ分だけ解像度も上がっているのである。
それだけ高く峻険な山を登っているのだとご理解いただきたい。
『邪悪なものの鎮め方』は年末か来年のはじめくらいに出る。
炬燵でごろ寝しながら読んでください。
新潮社の『日本辺境論』は11月14日発売と決まった。
バウンドプルーフを重刷したというので、新潮社営業の気合いの入り方が窺える。販促キャンペーンもいろいろ計画されているようである。
『日本辺境論』は久しぶりの書き下ろしである。
ワンテーマで原稿用紙250枚一気書きというのは、ブログでの「同じ話の繰り返し」による登山的な思考とは別の種類の「思考の運動」を要求する。
ブログが登山とすると、新書一気書きは素潜りのような感じである。
手持ちの肺活量でどこまで深く潜れるか。
「機の時間論」と「道の有効性と限界」いうあたりがたぶんいちばん深く潜ったところである。
今もう一度そこまで潜ってみせろと言われても、急には無理である。
あと2週間で発売である。
みなさん、ぜひお買い求めくださいね。とっても面白いです。
水曜日の午後に芦屋の公民館の「芦屋川カレッジ」で「村上春樹にご用心2009」という講演をする。
去年やった講演の続きである。
体調が悪くて、準備も不十分だったので、「村上春樹に父親から遺贈された『中国をめぐる空虚』」というテーマで話し始めたのだが、途中で行き詰まってしまった。
父親のトラウマ的体験を「それについては何も語らない」という仕方で遺贈された息子にとって、「父のトラウマ的経験」は、「トラウマ」と呼ぶことが出来ない。
というのは、トラウマというのは語義的には「実際に経験したはずなのだが、それを言語化して、自己史の正史に登録することができない経験」のことだからである。
ただし、フロイトがヒステリー症例研究で指摘したように、トラウマ的経験の中には「実は経験していないこと」が含まれている。
「実は経験していないこと」を「私は『何か言葉にできないようなこと』を経験した」と思っていて、その「経験したはずなのだが、どうしてもそれを言葉にできない不能」に苦しんで、それが人格の骨格をかたちづくってしまっているというトラウマの病態が存在する。
村上春樹における「中国」はそのような種類のトラウマではないのか。
その場合、「実は経験していないこと」を「物語」として語り、ありありと現前させるというのは、このトラウマから離脱するための効果的な方法でありうるのではないか。
村上春樹がやっているのは「そういうこと」ではないのか。
司馬遼太郎がノモンハン事件を描けず、村上春樹が描けたのは、「経験していないこと」について妄想的に細部まできっちりと描くことの方が、「多少とでも経験したこと」に基づいて「リアリティ」を重んじて描くことよりも、脱-トラウマ的な営みの「王道」だからではないのか。
というような話をしようとしたのであるが、しゃべっている自分自身が何を言っているのかよくわからない話なので、聴いているみなさんはほんとうに気の毒でした。どうもすみません。
風邪で頭がまだちゃんと回らなくて。
金曜日は授業と会議のあと、朝カルへ。
関川夏央さんの『坂の上の雲』論講義がある。
朝カルで受講者席に座るのは、甲野先生のとき以来だから、6,7年ぶりである。もっとかな。
関川さんは翌日から本学の集中講義にご出講なので、そのお礼のご挨拶をかねてでかけたのである。
講義はたいへんに面白かった。
大衆小説と純文学をめぐる日本近代文学史の「ねじれ」についてお話しをうかがったが、東海散士の『佳人之奇遇』から始まる(後継者のいない)「全体小説」の系譜を司馬遼太郎が受け継いだのでは・・・という仮説に驚倒する。
なるほど、そうだったのか。
森鷗外が「政治小説」を書き、夏目漱石が「経済小説」を書いた、というご指摘もサプライズであった。
なるほど、いや、その通りである。たしかに漱石を読むと、明治人の経済感覚が知れる。
講義後、朝日の甲斐さん、モリモトさん、大迫くん、東川さん、その同僚の二宮さんらとつれだって、北新地でプチ打ち上げ。
ほんらいであれば、私が関川先生をご接待申し上げなければならない筋なのであるが、気がついたら、朝日新聞社と関川先生にごちそうになってしまった。
ごちそうさまでした~

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