げほげほ。
ひさしぶりに風邪をひいてしまった。
一昨日、ふと「そういえばこのところ風邪をひかないなあ」と思ったのである。
「私は風邪をひかない」と自慢すると、必ずそのあと大風邪をひくというジンクスがあるので、そのときも心に思っただけで口には出さなかったのであるが、思っただけで罰が当たり、その日の夜からのどが痛くなってきた。
困ったことに翌日は大学祭の初日で、演武会と中沢新一さんとのトークセッションが予定されているのである。
朝、目が覚めるともういけない。
鼻が詰まり、のどが痛み、微熱があって、身体がだるい。
終日ごろ寝をしていなさいと身体が指示しているのだが、そうもゆかず、怠け心(というか健康志向)を抑圧して、改源を飲んで大学へ。
演武会の方はもう手順がわかっているから、私がいなくてもてきぱきと準備が進んでおり、私はただ「じゃ、始めようか」とキューを出すだけ。
出場者も少ないので、さくさくと終わり、私の説明演武の順番が回ってくると、アドレナリンが分泌されて、急に体調がよくなる。
演武が終わると、またのどが痛くなる。
現金なものである。
しかし、そのあと今後は本日のメインイベントのトークセッションがある。
中沢さんたちご一行が登場。せっかくの機会なので、大学キャンパスをご案内する。
中沢さんはカメラ持参で「おお、これは」とぱちぱち建物の写真を撮りまくる。
本学キャンパスは中沢さんの審美眼にかなったようである。
講談社の加藤さんに140Bの江さん、大迫くん、釈先生、かんきちくんとどんどん知人が集まってくる。
最前列には田村母娘、黒田くん、東川さんが陣取っているので、いつも朝カルと同じような感じである。
お題は「今、日本にほんとうに必要なもの」(みたいなタイトル)。
今日本にほんとうに必要なものって何なのだろう。
「感応」かな。
中沢さんとはあきらかに「感応」するものがある。
とりあえず、そのひとつは「異界」とのインターフェイスに立つためにはそれなりの「技術」が要るという認識である。
この「技術」の習得に中沢さんも私もかなりの歳月と努力を傾注してきている。
この「技術」は「はい、これね」と言って単品で手渡したり、教授したりすることのできないものである。
現にそのようなことをしている先達のふるまいを見て、そこから察知するしかない。
というのは、先達たち自身も自分のふるまいのうちの「どれ」がインターフェイス専用の技術であるかをよくわかっているわけではないからである。
先達たちは、それぞれの規矩に従っていろいろなことをする。
ご飯を食べたり、仕事をしたり、家庭をもったり、笑ったり、悲しんだりする。
そのふるまいのなかのどれが死活的に重要な技術なのか、どの部分がきわだって特異なのか、それは自分で判断するしかない。
私が長く修業してきて学んだことの一つは「アースする力」である。
ひとの強い思いは、ある閾値を超えると、愛情であれ憎しみであれ、憧憬であれ嫉妬であれ、破壊的な効果をもたらすことがある。
破壊的なほどに強い心的エネルギーは生身で受け止め、そこにとどめてはいけない。
そんなことをしたら、身体をこわしてしまう。
そういうものは「アースする」。
いちどは受けとるけれど、手元にとどめず、そのまま「パス」するのである。
中沢さんも「アースする」ことについてはずいぶん長い修業をしてきた人だと思う。
そういうのはわかる。
トークセッションでのトピックの一つは「穴が開いていることのたいせつさ」だった。
これはすごくよくわかる。
春先に寮の方からグラウンドの横を通って歩いてくる寮生たちを見ていると、顔の輪郭がぼやけて、桜の花びらとまざりあって一種靄靄たる点景をなしている。
まるで彼女たちの身体の表層にたくさんの小さな孔が開いて、そこから外気が自由に出入りしているような不思議な印象がする。
長く低刺激環境におかれると、人間の身体の「バリアー」が下がって、外界との境界線が曖昧になる。
そういうときに人間の歩き方はなんだかゆらめくようになる。
それは都市の喧噪の中を早足で歩いている人の輪郭の明瞭さや足取りの正確さとまったく対比的なものである。
春霞の中をゆらめくように歩いている学生たちを見ていると、「天の羽衣、浦風に靉き靉く。三保の松原、浮島が雲の。愛鷹山や富士の高嶺。かすかになりて、天つ御空の、霞に紛れて、失せにけり」という『羽衣』のキリの詞章を思い出す。
古来、日本人がもっとも美しいものとしてイメージしたのは、乙女の姿が霞に紛れるさまであった。
それはたぶん「多孔的な身体」のありようを詩的に表象したものだと私は思う。
中沢さんとのトークセッションはこのあとまだあと2回続く予定。どんな本に仕上がるのか楽しみである。
講演後、20名近くで打ち上げ宴会。
中沢さんから「ここだけの話」をいろいろとお聴きする。
また今度は東京で、と約束してお別れする。
24日土曜日は学祭二日目。
風邪が治らない(まあ、こんな生活をしていたら治るわけないけど)。
演武会は土曜なので、出場者が多く、演武次第は30番まで。
杖道会の子たちの演武がレベルアップしてきて、それがとてもうれしい。これもみな若さまのおかげである。若さまありがとう。
畳を片付けてからぞろぞろと御影へ移動して打ち上げ宴会。
杖道会と合同の打ち上げで、「秋の味覚一品持ち寄り」
今年は杖道会のプチ黒田くんの「ヘレカツの巻き寿司」が圧巻でした(ご飯七合炊いたそうである)。
みなさん、ごちそうさまでした。
日曜、朝起きると風邪はさらに悪化している。喉が痛く、鼻水が垂れ、もう絶不調である。
しかし、今日は東京へ行かねばならぬ。
三砂ちづる先生が主宰している「おむつなし育児」のシンポジウムが津田塾大学であり、私はそこで特別講演をするのである。
なんで私が「おむつなし育児」にコミットしているかというと、このプロジェクトを支援しているのがトヨタ財団で、そのコーディネイターがケンちゃんだからである。
ケンちゃんは京大の院生だったときに甲南合気会のメンバーで、熱心にお稽古していたのである。それがめぐりめぐって三砂先生の担当になった。
世間は狭いというか、偶然というのはないものである。
鼻水をすすりつつ「おむつなし育児」の研究報告を拝聴する。
おもしろい試みである。
アフリカにはおむつというものをしないで育児をしている集団がある。
こどもが便意を催したら、「よいしょ」とおんぶひもから下ろして、ぶりぶりじゃあじゃあとうんちおしっこをさせる。
研究に行ったアメリカの人類学者が「どうしたら、子供が便意を催したことがわかるのですか?」と質問したら、聞かれた母親はきょとんとして「あなたは自分がおしっこしたくなったとき、それがわからないの?」と反問したそうである。
なるほど。
私たちなら「気の感応」というところである。
多田塾では背中に手を当てて、前を歩く人に「右、左」を想念で指示して、方向をコントロールする稽古がある。
この想念は「身体がぐいっと曲がるときの筋肉や骨格や関節の感じ」を体感としてはっきり思い浮かべて、相手に送る。
送られた方は「なんとなく」どちらかに曲がりたくなるのであるが、そのときの「あ、こっちだ」という決定は、多田先生の比喩を使うと「忘れていた人の名前を思い出すとき」の感じに似ているのだそうである。
忘れていた人の名前は、自分の中の、どこか知らないところから、ふわっと浮かんでくる。
たぶん「おむつなし育児」をしている母親たちは、訓練を積むと、子供の便意を「自分の便意」に限りなく近いものとして感知することができるようになるのだと思う。
この能力はきわめて汎用性の高いものである。
これは単におむつの有害無害とか衛生問題とかのレベルを超えて「非言語コミュニケーション」の能力開発プログラムとしてきわめてすぐれたものになると私は思う。
便意というところがすごい。
便というのは、身体の内側にあるときは「主体=自我の一部」であり、境界線を越えたところで「他者=汚物」になる。物理的・科学的組成に変化が起こるわけではない。境界線の「こっち」にあるか「そっち」にあるか、それだけの違いである。
それを感知することによって、私たちは「主体」と「他者」の境界線を確定するのである。
「おむつなし育児」を実践するお母さんたちが口々に言うのは、子供の便意をぴたりと感知して出てきたときのうんちは「かわいい」というものである。
思わず写メに撮ってともだちに送ってしまうそうである。
主体と他者が分離するそのリアルタイムに立ち会うことによって私たちが得ることのできる最良の形而上学的教訓は「他者はかわいい」という実感である。
これはすばらしい達成であると思う。
三砂先生とケンちゃんに手を振って、雨の武蔵野を後にして、新幹線で神戸に帰る。
やっと病気になれる。
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(2009-10-26 13:53)