あまりに忙しくて日記を更新する暇がなかった。
月曜から大学が始まった。会議が三つと授業が一つ。
火曜日は昼から夜まで卒論の中間発表会。14 人分の卒論についてお話しを聴き、質疑応答。6時間かかった。
今年の特徴というと、「実務志向」という点である。
私のゼミはご案内のとおり、ひとりひとりの学生が自分の興味のあることを調べて、分析するというただそれだけである。
個別的な領域についての知識や情報を蓄積することが目的ではない(そんなものは、彼女たちの人生にほとんど役に立たない)。
卒論の最大の教育効果は「どうして自分は『こんなこと』に興味を持ったのか」、その理由について長期的に(うっかりすると死ぬまで)考えなければいけない点にあると私は考えている。
だから、卒論の冒頭にはもちろん「どうして私はこの研究テーマを選んだのか」を書いてもらう。
これまで私は数百本の卒論を読んできたが、この「テーマ選択の理由」について「なるほど」と納得のゆく文章を読んだことが一度もない。
例外的にすぐれた内容の卒論を書いた学生でさえ、自分がどうしてそのことを研究することになったのか、その理由を言えなかった。
ということは、卒論が要求するもろもろの知的作業の中で、これがいちばん「むずかしい」課題だということである。
私自身は卒業論文の主題にメルロー=ポンティの身体論を選んだ。
メルロー=ポンティの「肉」(la chair) という概念につよく惹かれたのである。
「身体知」ということと「身体を媒介にした他者との共生」について研究したのであるが、まことに驚いたことに23歳のときに私が選んだテーマを私はそれから 30 年以上ずっと研究し続けているのである。
まだやっているんだから、どうしてそんなテーマを選んだのか、今でもうまく言えないのである。
さて、今年の学生たちの特徴は「実務志向」であると書いた。
企業経営の話を選んだ学生たちが多かった。
それもきわめて具体的な。
雇用戦略、マーケティング、商品開発、インターネットショッピング、成功した業態などなど。
少し前までは経済や経営を論じるときはもっと抽象的だった。
抽象的というか、「高みから」みおろすような、ジャーナリズムの視点から書かれることが多かった。
今回の卒論は違う。
どれも、「現場で働いている当事者」視点である。
ビジネスの現場は待ったなしで「今そこにある」。
そして、彼女たちはあと半年でそこで働くことになるのである。
それがどういう原理で機能しているのか、そこではどうふるまうのが適切なのか。
これは彼女たちにとって現実的に切迫した問いなのである。
以前であれば、「非正規雇用労働者による雇用調整は止めなければならない」とか「女性の労働環境を整備するために託児所を整備すべきである」というような型どおりの「政治的に正しい結論」で終わりになっていたであろう。
だが、いまの彼女たちにとっては「正しい答え」をさらさら書いて「終わり」にすることより、「どうして、そうならないのか」について原因を問うことの方が緊急性が高い。
「資本主義が悪いから」とか「経営者が不道徳だから」というような包括的な結論を出しても、それで事態がさして好転するわけではないということが彼女たちにはもうわかっている。
一般論でくくるよりも、自分たちがこれから実際に働くとき「わりと条理の通った労働環境」と「さっぱり条理の通らない労働環境」とを個別的に鑑識できることの方がたいせつである。
たぶんそういうふうに考えているのであろうと思う。
それがいいことかどうかは一概には言えないが、社会的に「成熟」したということは言えるのではないかと思う。
それは成熟しなければ生き残れないだけ生きるのがむずかしい社会になってきたということである。
水曜木曜は朝から晩まで原稿を書く。
『週刊ポスト』に村上春樹論を書き、『日本経済新聞』に「坂の上の雲」論を書き、『新潮45』に「草食系男子」論を書き、『文藝春秋』にも「坂の上の雲」論と「全共闘運動」論と坂本竜馬論を書き、『AERA』に田中派政治と中国について書き、『Sportiva』にイチロー論を書いた(ほんとうである)。
その間に『邪悪なものの鎮め方』のデータを見てバジリコの安藤さんに送り返し、『東京ファイティングキッズ・リターン』の初校ゲラを校正して文春の大村さんに送り返した。
どうしてこんなに大量の原稿を(それも支離滅裂なテーマで)書かなければならないのか。
さすがに「草食系男子」論を書いているときには、背中がばりばりになってきて、「どうしてオレがこんなことについて書かなきゃいけないんだよ〜。関係ないじゃん!」と虚空に向けて泣訴したのであるが、これは新潮社の野木さんからの依頼なので断ることができぬのである(先日うちの院生のクロダくんが野木さんに全共闘運動のオーラル・ヒストリーの聴き取りでずいぶんお世話になったのである。野木さん、その節はどうもありがとうございました)。
そういう種類の「あれこれの義理ゆえに断ることのできない原稿」を身を削って書いているのである。
はあ。
草食系男子論を書き上げたので、中之島公会堂へ。
大阪市と21世紀協会と140Bが主宰する(らしい、よく知らない)「21世紀懐徳堂プロジェクト・ナカノシマ大学」のキックオフイベントに出かけたのである。
平松邦夫大阪市長と鷲田清一先生と釈徹宗先生と懐徳堂と教育をめぐるシンポジウム。
平松市長とははじめてお会いする。
とてもいい人だった。なにより、「ジェントルマン」であった。
いったい「懐徳堂プロジェクト」ということで何をしたいのか、実はよくわかっていなかったのであるが、お三方の話を伺っているうちにだんだんわかってきた(四人の中で私だけが何も知らずにその場に来ていたのである)。
なるほど。
そうであれば、私も一臂の力をお貸しせねば(といってもいつのまにかもうプロジェクトの講師になっているのであるが)。
懐徳堂は18世紀のはじめに船場の5人の豪商が自腹を切って始めた学塾である。
ご案内のとおり、江戸時代の大阪は30万人市民のうちに侍が1万人しかいない「町民の街」であった。
懐徳堂は町民たちが自分の手で作った町民たちの教育の場である。
富永仲基や山方蟠桃のような卓越した学者を輩出したが、別にカリキュラムもないし、プログラムもないし、シラバスもないし、認証評価もない。だいたい金のない人からは授業料も取らなかったのである。
21世紀の懐徳堂プロジェクトの本旨もまた「自腹を切って教育の場を作り出す」ということでなければならないと私は思う。
教育というのは「教育を受ける側が受益する」ものではない。
もちろん教育を受けるものも利益を得るのだが、それだと「だったら、金を払え」という話になる。
「教育を受けること」を「商品を買うこと」と同定すれば、「自腹を切って教育をする」という発想はどこからも出てこない。
それは商品を無料でばらまくことだだからだ。
懐徳堂が成立したのは教育の目的は、「教育を受けるものの自己利益を増大すること」ではなく、「共同体が生き延びること」だということについて創設者たちの合意があったということである。
自己利益の追求と同じ熱意をもって公共の福利を配慮することのできる「公民」(citoyen) を育成することは共同体にとって死活的な重要事である。
学校とは公民の育成のための場であり、私人が「それを勉強すると利益になる」ような知識や技術を身につけるための場ではない。
21世紀懐徳堂がその名にふさわしいものであるためには、「教えたい」と思う側が「まず身銭を切る」ところから始めるしかない。
「教わりたい」というニーズがあるので、それにふさわしい「教育コンテンツ」を有償で提供するというのではない。
まず「教えたい」という「おせっかい」があり、それが「教わりたい」というニーズを作り出すのである。
私自身が自分の教師としての原点と考えているのは、1980年代に瀬田で自分の道場を開いた頃の経験である。
会員はわずか数名だった。
稽古は木曜日の午後6時半から、瀬田中学校の体育館を借りてやっていた。
木曜日は大学の勤務日だったので、いつも6時に仕事を終わらせてから、バイクで飛んで帰って道場に向かっていた。
台風の日、雨の中、大学から帰り、体育館に向かい、無人の体育館に一人で18枚畳を敷いて会員が来るのを待った。
誰も来なかった。
1時間ほど待ったところで近所に住んでいる中学生がそおっとドアを開けて体育館の中を覗き込んで、びっくりしたように「あ、先生、やっぱり今日も稽古あったんだ」と言った。「台風だからさ、もうないのかなと思って。」
いつだってやるよと私は答えて、彼と1時間ほど差し向かいで稽古をした。
その日、外で台風が吹き荒れているときに、無人の寒々とした体育館で誰かが合気道を稽古しに来るのを待ちながら、自分はどうして「こんなこと」をしているんだろうと考えた。
「教わりたい」という人がおらず、「教えたい」という人だけがいるというのは非合理なんじゃないかと思った。
でも、「合気道を教わりたい」という人が何人か集まって三顧の礼を尽くさないと「教えない」というようなことを条件にしていたら、合気道は永遠に普及しない。
教えるというのは本質的に「おせっかい」であり、無人の道場で「教わりたい」という人が来るのを待っているというのが、あるいは「教える」ということにおいてはごく自然なかたちではないのか、とそのとき思った。
キックオフイベントに参加くださったみなさま、どうもありがとうございました。
140Bの中島さんも江さんもオーサコくんもたいそう喜んでおられました。
また次のイベントもどうぞよろしく。
それから釈先生、新車ステキですね!
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(2009-10-02 09:24)