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2009年11月 アーカイブ

2009.11.01

週末は浜松

今週も「週末」がない。
先週もなかった。来週もないし、再来週もない。
週末がないということは、ずっと働きづめということである。
そりゃ風邪も引きますよ。
なぜそのような非人間的日程を組むのかと気色ばまれる向きもあるやもしれぬが、講演の日程なんて、早いのは1年半くらい前に決まっているのである。
そのときはスケジュールは「まっしろ」であるから、「あ、いいすよ」と気楽に応じてしまう。
途中からだんだん顔色が悪くなってきて、講演も寄稿も取材も必死で断り始めるのだが、「これだけは断れない種類の仕事」が一番最後にやってきて、それが「ばりばり」と時空を引き裂き、気づくとスケジュール表は「まっくろ」になっているのである。
いまだって一番最後に来たのは「自分の書いた本の販促活動」である。
これはどうしたって断れない。
こんな生活をしていては長生きできないです。ほんとに。
今週の土曜日も合気道のお稽古を泣く泣く休んで、浜松へ「教育のつどい」の特別講演のためにでかける。
甲南麻雀連盟浜松支部に連絡をし忘れていて、スーさんから「ウチダ先生、浜松に来るって本当ですか?」と訊かれたときも「まさか~。浜松行くのにスーさんたちに連絡しないわけないじゃないですか」と答えたのであるが、実は浜松で講演をやることになっていたのである。
鳥取でも二つの高校で講演をするのであるが、ほんとうのことを言うと、この二つの高校を一つの高校だと間違えていて、「鳥取の高校ですが、講演の件で・・・」というお訊ねメールに「はいはい、だから、行きますって言ってるじゃないですか」と答えたせいで、二つ行くことになってしまったのである。
もうすこししっかり日程を管理したらどうかねと気色ばむ向きもあろうかと思うが、10月は一ヶ月で講演9回、今週なんか1週間に講演3回やるのである。
どれがどれだけわからなくなるのもしかたがない。
でも、教育関係の講演はそのあと必ず「うちの子を神戸女学院にぜひ入れたいと思います」と言ってきてくださる方がいるので、営業部長としては、たいへんにやりがいのある仕事なのである。
でも、何度も書いているとおり、2010年はもう講演はやらない。
大学最後の年であるから、岡田山から一歩も出ないで、このキャンパスの空気を満喫するのである。
新規の仕事は全部お断りである。
いまやっている連載も全部おしまい(AERAだけは養老先生とのコンビだからひとりでは決められないけど)。
というわけで、カウントダウンの中、浜松へ行く。
暑い。
もう11月だというのに、初夏のような暑さである。
地球はほんとに温暖化してるんだ。
浜松学院大学にタクシーが着くと、スーさんがちょうど来ている。
研究発表を聴いてから、登壇。
聴衆は現場の先生たちばかりなので、民主党政権になってからの教育行政の方向の変化について論じるところから始める。
まだ文科省は明確な方針転換を示してはいないが、安倍内閣のときのようなあからさまな「市場原理」による教育制度の再編はもう下火である。
でも、依然として、「エビデンス・ベースト」という基本は揺るがない。
「エビデンス・ベースト」というのは、あるプログラムの立ち上げに際して、それがどのような教育アウトカムをもたらすかを数値的・外形的にあらかじめ開示することを義務化する考えのことである。
「なんとなく、こんなことをやってみたいと思います。どういう効果があがるのはわかんないけど。なんか面白そうだし」というようなふやけた教育プログラムには生きる余地がないのである。
だが、教育の本質は「子どもを成熟に導く」ことであり、人類史が教えるのは「子どもを成熟に導く方法は子どもの数だけある」ということである。
方法を限定することは愚かなことだ。
教師は子どもたちの成熟度に応じて、個性に合わせて、言うことを変えなければならない。
無原則かつ臨機応変こそは教師の「教育力」のかんどころである。
ところが現在の教育行政は「教育力」というものを「一定の原則に基づいて、指定されたマニュアル通りにことを進める能力」だと思っている。
子どもを「かんづめ」のような工業製品だと思っていれば、なるほど「かんづめ製造工程」は、規格通りに全国一律に作動しなければならないというのは当然である。
でも、子どもは工業製品ではない。
文科省の役人は平然と子どもたちについて「人材」とか「付加価値」とかいう言葉を使うが、これは彼らが子どもたちを「工業製品」に類したものとして観念していることをはしなくも露呈している。
子どもは工業製品ではない。
共同体の「次代のフルメンバー」である。
彼らのうちの一定数が共同体を支えるに足るだけの成熟に達していただかないと、私たちの集団が保たない。
教育は彼らを成熟に導き、私たちの世界が生き残るための必須の機能である。
教育は教育を受けるものが自己利益を増大させる機会だというふうに「経済合理性」論者は主張する。
その主張に一定の真理が含まれていることを私は認めてもよい。
だが、もし、教育がすべて自己利益追求のためのものであるとすると、教育を受けることも受けないことも「受益者」自身の自己決定に委ねられることになる。
「オレは教育なんかいらねえよ」という「受益機会の放棄」の宣言に対して、私たちは絶句するしかなくなる。
そういうナマイキな子どもをはり倒して「いいから黙って勉強しろ」と言うのもまた「子どもを成熟させること」を共同体から負託されている教師の仕事のうちである。
子どもは何としても成熟させなければならない。
それは成熟が子どもに生き延びるチャンスを与えるからだけではない。
「成熟しない子どもたち」ばかりが成員になったとき、共同体が生き延びるチャンスもまた減じるからである。
「子どものままであること」は、子ども自身にとって危険であるだけでなく、そのような子どもを大量に抱え込む社会そのものにとっても危険なのである。
子どもとは「自己利益の追求だけを優先する」存在のことである。
子どもはそれでよろしい。ちびちゃんなんだから。
でも、共同体が存続するためには、「自己利益の追求と同様の熱意をもって公共の福利を配慮する」存在が一定数存在しなければならない。
それが「おとな」である。
子どもの全員が「おとな」になる必要はない。
もし、全員が「おとな」でなければ共同体が維持できないのだとしたら、それは制度設計に無理があるのである。
「おとな」は15%程度いれば足りる。
けれども15%を切ると危機的になる。
7%を切るともう共同体は保たない。
学校教育の人類学的使命はきわめて散文的に言ってしまえば、「同学齢集団から15%程度の『おとな』を創り出すこと」である。
あとの85%は子どものままで大丈夫である。
というか、その方がよいのである。
「おとな」は共同体の延命のために必須の存在であるが、「子ども」の中にもまた共同体の「ブレークスルー」をもたらすような破格な個体が混じり込んでいるからである。
もちろん85%のうちの、ほんの一握りだけれど、そういう「幼児的天才」はやはりこれもまた共同体の生き残りのためには必須の存在なのである。
教育はそのようなまったく「ありよう」の違う(でも、最終的な人類学的機能においては協働する)二種類の個体を同時に、同じ場所で、育成するためのプロセスである。
そのようなややこしいプロセスを一律の原理でコントロールできるはずがない。
それに、教師の中にも「おとな」もいれば「子ども」もまじっている。
「おとな」の教師に就いても、さっぱり成熟できない子どももいる。逆に「こども」の教師の幼児性にうんざりしてさっさと自力で「おとな」になる子どももいる。
いろいろである。
それでよろしいのである。
繰り返し言うように、子どもを成熟に導く方法は子どもの数だけある。
ただせめて、制度を総括的に管理する立場にある人間だけは、「教育は子どもを成熟させ、共同体を維持するための装置である」という基礎的事実を肚にきちんと納めておいていただきたいと思う。
それは教育を自己利益追求の場として、まるごと市場原理に委ねることではないし、反対に、教育をつうじて滅私奉公するファナティックな愛国者を育てようとすることでもない。
市場原理主義者も、イデオロギー教育主義者も、どちらも、こどもの幼児性を強化し、成熟を阻止しようとすることにおいて双生児のようによく似ているからである。
現場の先生がたはよくおわかりくださったようであるが、果たしてこの理路が教育行政の当事者たちに通じるであろうか。
講演後、浜松支部の諸君および浜名湖道場の合気道道友諸君、および当地における読者のみなさまと、午後4時からビールが飲める店に雪崩れ込んで、プチ打ち上げ。
いろいろとご質問にお答えする「子ども電話相談室」状態となる。
浜松のみなさん、ご歓待、どうもありがとうございました。

2009.11.02

懐かしい人たち

山本浩二画伯が「死の淵」より甦り、さっそく甲南麻雀連盟では奉祝麻雀大会を開催した。
その二半荘目早々に、「ロン!親満だけ」の声が響きわたり、満座は一瞬の静寂ののち、喝采の拍手で包まれた。
「画伯、生還おめでとう!」の嗚咽まじりの声がそこここに聞こえた。
その「嗚咽まじりの声」が「自摸!役満だけ!」の画伯の宣言のあと、悲嘆の悲鳴に変わるまでに長い時間は要さなかったのであるが。
そんな画伯のすばらしいミラノ個展の様子をパリ在住の写真家宮本敏明さんがアップしてくれたので見ることができる。
すばらしい作品(そしてすばらしい写真)である。
http://pagesperso-orange.fr/sweep/milano001
「画伯を個室に入れる会」には甲南麻雀連盟会員と浜松支部から合計60万円の義捐金が寄せられた。
会員諸兄諸姉のご厚情に重ねてお礼を申し上げるのである。
日曜日はその前、朝から朝カルで池谷裕二さんと対談。
今週、これで講演は三回目(人前でしゃべるのは関川さんのときの飛び入りを入れると四回目)である。
池谷さんとは以前PHPの仕事で対談したことがある。
池谷さんはものすごく頭の回転の速い人で、横にいると「ぶうん」と脳の回転音が聞こえるくらいである。
この回転音は若い人に固有のものであって(最近では、神戸大学の岩田健太郎教授と話しているときに聞こえた)、不思議なもので40を過ぎるころから、だんだん聞こえなくなる。
頭髪の量とか、腹回りの脂肪の厚みとか、そういうものと関係があるのかもしれない。
とにかく池谷さんと話していると、その滑舌のよい早口に生理的に気分が高揚する。全盛期の立川談志の高座を聴いているようである。
前回と同じくパンクチュアルな二人とも早めに着くので、控え室で、こんにちはお元気ですか~遠くからども~からたちまちスーパースピードでトークがスタート。
そのまま登壇して、「で、さっきの話の続きですけど」と、科学研究における評価活動の無意味さ(というよりは積極的な有害性)について語り始める。さらに記憶について、アナグラムについて、「カメラ目」について、例の如く、居酒屋のカウンターで二人並んで座って話しているのを、会場のみなさんに横で聴いていただくという趣向のものである。
あっというまに90分が経ってしまう。
またこの続きをやりましょうねとお約束して、東京に帰る池谷さんと担当編集者の朝日出版の赤井茂樹さんをお見送りする。
その赤井さんとは四半世紀ぶりくらいにお会いした。
むかしは平社員だった赤井さんも今は常務取締役である。
邯鄲の夢枕くらいに高速で時間は経過するものである。
赤井さんとは、80年代の始め頃に『エピステーメー』でレヴィナス特集をやるときに、院の先輩の西谷修さんのご紹介で知り合った。
レヴィナスの未訳稿を翻訳する仕事が終わって、原稿をお渡しするときに、渋谷の喫茶店でお茶をしながら、「現代思想のプレゼンテーションの仕方はもっとリーダーフレンドリーで、生活実感に身に添うものじゃないとダメですよ」ということを言ったのを覚えている。
『エピステーメー』とか『ユリイカ』とか『現代思想』とかかっこつけ過ぎですよ。もっと泥臭くていいじゃないですか。ほんとうに重要な思想は、ぼくたちのこの日常にダイレクトに繋がる知見を含んでいるんだから、内輪のパーティみたいなことをしていたら、ダメですってば・・・と渋谷東急の一階の喫茶店で、高架を走る東横線を見ながら赤井さんに力説した。
赤井さんは「そうですよね」と真剣に頷いていたけれど、われわれは若く、あまりに非力であり、80年代以降の現代思想のプレゼンテーションは結局、「内輪のパーティ」に終始して、そのうちに誰にも相手にされなくなってしまったのである。
遠い昔の話である。

2009.11.04

追悼レヴィ=ストロース

20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。
第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜本的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。
サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。
1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウ ロ大学教授としてインディオ社会を調査。41~44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基本構造」で構造人類学を樹立した。
自伝的紀行「悲しき熱帯」(55年)は世界的ベストセラーとなり、「構造人類学」(58年)「今日のトーテミズム」(62年)「野生の思考」(同 年)で構造主義ブームを主導する思想界の重鎮に。世界の民俗や神話に鋭く切り込み、64~71年にかけ「神話学」4部作を発表。
73年、フランス学界最高権威のアカデミー・フランセーズ正会員に選出された。2008年11月には、100歳の誕生日に合わせてさまざまな記念行事が催された。(パリ共同)
新聞記事では「レビストロース」と表記してあったけれど、やはりこれは「レヴィ=ストロース」と書いていただかないと、かっこうがつかない。
Lévi-Straussは英語読みでは「リーヴァイ・ストラウス」。おそらくご同族の方がアメリカで労働着メーカーとして成功されたのであろう。それゆえ、学生時代の親友、故・久保山裕司くんは「リーヴァイスを穿いてレヴィ=ストロースを読もう」という名コピーを遺したのである。
レヴィ=ストロースとともにフランスの知性が世界に君臨していた時代が完全に終わった。
同世代の知識人たちはもうみんな亡くなっている。
アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、モーリス・メルロー=ポンティ、モーリス・ブランショ、ジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、レイモン・アロン、エマニュエル・レヴィナス・・・
この人たちがほんとうに狭い知的サークルにひしめいていたのである。
ナチスの占領下のパリでパブロ・ピカソの戯曲『尻尾をつかまれた欲望』の上演会がミシェル・レリスの家で行われたことがあった。
演出はカミュ。ボーヴォワール、ドラ・マールらがこの豪華な文士劇に出演した。上演後、脚本家、プロデューサー、演出家を取り巻いて俳優たち観客たち(ジャン・ルイ・バロー、シルヴィア・バタイユ、ジャック・ラカンら)が記念写真に収まっている。
彼らはその場にいた知的・芸術的エリートたちがそれぞれどんな仕事をしているのか、よくは知らなかった。
けれども、自分たちがナチス占領下のフランスに残された「最後の知的・倫理的希望」だということはするどく自覚していたはずである。
そういう知的・倫理的負託感というものを私たちはうまく想像することができない。
私たちの国にはそういう意味での「エリート」というものが存在しないからである。
もちろん権力や威信や文化資本を潤沢に享受している人々はいる。才能のある人々もいる。努力して高い社会的地位を得た人もいる。
けれども、彼ら単に優越していることを言祝ぐだけで、おのれの「優越性」を「世界を知的・倫理的に領導する責務」として重く受け止めるというようなことは思いもしない。
20世紀フランスの知的エリートたちは「自分たちがフランスの知性の精髄」だという自覚を持っていた。自分の個人的な営為の成果がそのままフランスの知的威信と、フランスが世界に差し出す「知的贈り物」のクオリティに直結するということを自覚していた。
私の知的達成がフランスの知性の最高水準を決するのだという壮絶な自負と緊張感をもって彼らはそれぞれの仕事をしていたのである。
ボーヴォワールとメルロー=ポンティとレヴィ=ストロースはアグレガシオン(哲学教授試験)の同期だった(サルトルは一回落ちたので、一年後輩)。
「アグレガシオンの同期」というのがどういう感じなのか私には想像もつかないけれど、お互いにどの程度の知的ポテンシャルをもった人間であるかについては、おそらくきわめて正確な相互評価をしていたはずである。
その試験のとき、私の想像では、ボーヴォワールとメルロー=ポンティとサルトルは「つるんで」いた。
試験のあいまに近くのカフェでちょっと休憩とかしているときに、「はは、楽勝だったねえ、さっきの試験」「オレ、時間あまっちゃったから、裏まで書いちゃったよ」などと声高に語って、まわりの受験生たちを怯えさせていた(そんなにせこくないか)。
でも、パリ大学出(ということは二流大学出ということである)レヴィ=ストロースはこのエコール・ノルマル組からある種の「排他性」と「威圧感」を感じたはずである。
たぶん「世界でいちばん頭がいいのって、やっぱオレだろう」という自負をもっていたレヴィ=ストロース青年にとって、パリのブルジョワ的な鷹揚さは許しがたいものに映ったのである。
片隅でまずいコーヒーを啜りながら、レヴィ=ストロース青年は「お前ら、いまのうちにたっぷり笑っとけや。いつかその坊っちゃん嬢ちゃん面に泣きみせたるわ」と思ったのである(全部、私の想像ですけど)。
そんな気がする。
とにかく、アグレガシオンの試験が1930年前後で、レヴィ=ストロースがサルトルの世界的覇権に引導を渡したのが1962年『野生の思考』においてのことであったから、ざっと30年かけて、レヴィ=ストロースは「そのとき」の試験会場で高笑いしていたパリのブルジョワ秀才たちに壮絶な報復を果たしたのであった。
すごい話である。
自己史がそのまま哲学史であるような一種の幸福な自己肥大の中に生きた青年たち。
このような知的エリートを生み出す社会的基盤はもう存在しない。フランスにも、アメリカにも、どこにも存在しない。
そういう意味でも、ひとつの時代が終わったのである。

2009.11.06

学校の制度性について、など

月曜日。珍しく、ふつうの月曜。
朝、下川先生お稽古。昼の部長会がなくなったので、授業の時間まで家事(カレー作り)と原稿書き。
それからゼミ。杖道の稽古。
帰宅してカレーを食べて、寝ころんで『鴨川ホルモー』を見る。
最初は「大学実名」でわくわくしたけれど、CGが出てきてから、急速につまらなくなる。
日本映画はもうCGを使うのを止めなさい。
なんか「手抜き」という感じ。
山田孝之くんは『クローズzero』での怪演に比べると、ちょっとトーンダウン。栗山千明ちゃんも『キルビル』での怪演に比べると(比べるなよ)。
火曜日。世間はお休みであるが、われわれは教授会研修会。
学生たちの「こころのやまい」の現況と対応策についてのレクチャーとディスカッション。
境界性人格障害と発達障害について、専門家たちから貴重なインフォーメーションをいただく。
ぐったりして帰宅。しようと思ったが、そのあと中之島のリーガロイヤルで取材。
140Bの仕事なので断れない。
終わったあと、江さん、中島さんご夫妻、それに取材してくれた柴口さんとご飯。
江さんの「ミシュラン話」と「アラン・デュカス話」は円生の『中村仲蔵』的完成度に近づきつつある。
水曜日。オフの日。三宅接骨院に行ってから、下川先生のお稽古。
レヴィ=ストロースが死んだ。
つぎつぎとメールが来る。
ドクター佐藤から「これはレヴィ=ストロース追悼麻雀大会を緊急召集すべきではないでしょうか」というご提案をいただき、さっそく緊急召集をかける。
レヴィ=ストロースの追悼記事を毎日新聞から頼まれたので、『レヴィ=ストロース講義』と『悲しき熱帯』を読む。たいへんに面白い。
読んでいるうちに時間となり、梅田へ。
大貫妙子さんのアコースティックコンサートへ。
今度、大貫さんのラジオ番組に出ることになったら、コンサートにお誘いいただいたのである。
「新しいシャツ」から「突然の贈り物」まで80年代-90年代に「主夫」をしていたときの家事のバックグラウンドミュージックが流れてきて、ちょっとほろりとする。
そうなんだよな。オレはこのサウンドを聴きながら12年間「お母さん」やってたんだよね。
そのときは半分くらい女性ジェンダー化していたので、大貫妙子が身にしみたのである。
大貫さんのラジオ番組は4月から始まり、最初のゲストが養老先生で、先月のゲストが大瀧さんである。
養老先生とはこんどの日曜にお会いする。大瀧さんとは来週水曜日お会いする。
なんだか因縁の糸でつながれているようである。
木曜日はオフのはずだが、福岡日帰り講演ツァー。
福岡県高等学校国語部会で基調講演。
「これからの国語教育のありかた」について弁じる。
もちろん私に「これからの国語教育のありかた」について定見があるわけではない。
でも、伝統的な教育プログラムはあまり「変えない方がいい」というのが私の経験知である。
学校とか医療とか宗教とかは、その基幹的なところに「儀礼」が入り込んでいる。
その儀礼的な部分が制度の惰性をかたちづくっている。
その儀礼が開発しようとしている人間的資源が何であるかは、儀礼を強いられている当の子どもたちも、それを命じている教師たちも、実はよくわかっていないのである。
合理的な人々は「旧来の陋習」を廃絶せよと言い立て、その有用性がエビデンス・ベーストで立証された教育だけを行えと言い立てる。
そして、「経済合理性という餌で釣るのがいちばん学習の動機づけとしては効果的である」という結論に達した。
でも、そうやって30年ほどやってきて、その結果、日本の子どもたちの学力は世界最低レベルにまで劣化した。
最初のボタンの掛け違えは「人間は私的利益を追求するときに、その心身の潜在能力を最大化する」という命題である。
けれども、生物にとって最大の「私的利益」は「死活的状況をそれでも生き延びること」なのだが、どうすればそのような状況を生き延びられるかについて、シンプルなソリューションは存在しない。
とりあえずわかっていることは「オレさえよければ、それでいい」というようなタイプの人間はたいてい長くは生き延びられないということである(ゾンビ映画を見るとわかる)。
自己利益の確保を最優先する人間は、自己利益を効果的に確保することができない。
私がそう言っているわけではなく、ジョン・ロックやトマス・ホッブズがそう言っているのである。
私もそう思う。
同じように、人間が知的ポテンシャルを一気に向上させるのは、「自分が何をしているのかよくわかっている」ときではなく、「自分が何をしているのか、よくわからない(でも、もうすこしでわかりそう)」ときである。
学校教育とはこの「自分が何をしているのか、よくわからないけれど、なんだかもう少しでわかりそう」という状態を長期にわたって継続させることをめざして制度設計されている。
学校をめぐる「儀礼」の多くはその「わからないけど、わかりそう」というグレーゾーンに子どもをとどめおくために、きわめて巧妙に構築されているのである。
学校制度を構築している無数の「よく意味のわからないきまりごと」については、これを軽々に「合理的」判断に基づいて改廃すべきではない。
たとえば学校というのは通常「装飾性のつよい、ことごとしい建築物」であるが、これはそこが「非現実的なことがなされる場」であることを子どもたちに印象づけるための仕掛けである。
養老先生によれば、ヨーロッパにゆくと、どこの街でもいちばん豪奢なのは教会と劇場だそうである。
「そこが嘘が語られるところだから」だ、というのが養老先生のご意見である。
「この中で語られることは現実の話じゃありませんよ」ということを外見の過剰な装飾性によってあらかじめ「おことわり」しておくのである。
学校もそうだと思う。
制服が決めてあったり、時間割があったり、煩瑣な「どうでもいい規則」が定めてあるのは、そこが現実の合理的判断が適用できない場であるということをダメ押しするためである。
そういう「非現実ですよ、ここは」という枠組みがあってはじめて、子どもたちは奇想天外な話や魂をわしづかみされるような理論を聴いても、チャイムが鳴ったとたんに「魔法から覚めて」、校門から走り出て、にこやかに現実に帰還することができる。
逆のケースを考えればわかる。
もし、学校が学校みたいではなく、教師が教師みたいではなかったら、どうなるであろうか。
子どもが街を歩いていて、いきなりゆきずりの見知らぬ人に「世界の成り立ち」や「人間心理の構造」などについて、洞察に富んだ理説を聴かされたらどうなるであろう。
うっかりマルクスやフロイトの理説など聴かされたら、ひとによってはトラウマ的経験になりかねないし、いきなり家を飛び出して革命家になったりしかねない。
だいいち、めはしの利いた子どもなら、端から説教癖の大人なんか相手にしないで逃げ出してしまうであろう。
学校という「虚構」があればこそ、そこでは「現実社会ではとても言葉にされないようなこと」が堂々と言葉にされる。
教室で道学者じみた説教を垂れていた先生が、職員室にもどると、いきなり「素」に帰って、げへへと下卑た笑い声を上げる、というような「魔法解除」の装置がビルトインされているがゆえに、他では決して聴くことのできない「道学者じみた説教」を黙って拝聴し、かつその影響を受けずに済むというようなアクロバシーが可能になるのである。
学校は一種の劇場である。
そこで教師たちは「教師たちの役」を演じているのである。
そして「楽屋」の一部は必ずこどもたちに開示されている。
子どもたちは教師が「仮面」をつけ「衣装」をつけた俳優にすぎないということを知る。
だからこそ教師が教える内容は、どれほど過激であっても、どれほど間違っていても、子どもたちをそれほど深く損なうことはないのである。
もし「学校の虚構性」を構築している制度的装飾をすべてはぎとって、そこを例えば「教育商品と代価の等価交換」が行われる生の現実だというふうに提示すれば、子どもは取り返しのつかないかたちで傷つく可能性がある。
舞台の上のできごとを「100%の現実」と錯認する観客がどれほどの衝撃を受けるか想像すればよろしい。
学校の制度性・儀礼性・虚構性は子どもたちを「現実」から守るためにある。
大人たちが学校で何をしているのかよくわからない。この制度が何のためにあるのかよくわからない。
子どもたちはその「よくわからない」状態に長期にわたって置かれることによってはじめて健全な知的成熟のプロセスに載るのである。
というような話をする。
国語教育のありかたについても、いろいろとびっくりなご提言をさせていただいたのであるが、それについてはまた「講演集」が活字化されたときにでもお読みいただければと思う。
福岡の先生がたにはたいへん手厚いおもてなしをしていただいた。
みなさん、どうもありがとうございました。

2009.11.09

いつまで続くぬかるみぞ

土曜日は指定校推薦入試。
指定校推薦の応募状況は堅調である。
ありがたいことである。
つねづね申し上げている通り、本学のような規模の大学の場合には、120万人の高校生のうちの600人くらいが「行きたい」と行ってくれれば、それで教育活動を継続できる。それは志願者を「かき集める」必要がないということである。
必要なのは「旗幟を鮮明にする」ということである。
よその学校でもしていることをうちもしています。よその学校にある教科がうちでも学べます。よその学校で取れる資格がうちでもとれます・・・というようなタイプの「勧誘」をしているうちに、いったい私たちは「何をしたくて」そもそも大学をやっているのかという根本のところの動機がわからなくなってしまう。
うちでやっているようなことはうちでしかできません。
という自負が教育機関には絶対に必要である。
そうでなければ、その学校には存在理由がないからである。
「ハードでなければ生きていけない。ジェントルでなければ生きている価値がない」とフィリップ・マーロウは言ったが、それを借りて言えば「標準的でなければ生きていけない。個性的でないなら生きている価値がない」というのが私たちを引き裂く根本的な矛盾である。
だが、その矛盾に引き裂かれてあることこそ、私たち大学人の「デフォルト」なのである。
そのときに「標準的」に軸足を置くか、「個性的」に軸足を置くか、「生き延びること」を優先するのか、「生きのびるだけの価値があること」を優先するのか、私たちはしばしば決断を迫られる。
私はできることなら「生き延びるだけの価値がある学校」であることを優先させたいと思っている。
おそらく、その「価値」を認めてくれる人の数は決して多くないであろう(フィリップ・マーロウの「支持者」がきわめて少数にとどまったように)。
それでもいい。
リンダ・ローリングが揶揄した通り、「うちに帰っても誰も待ってるわけでもない。犬や猫すらいない。ほかには小さなみすぼらしいオフィスがあって、そこに座ってお客が来るのを待っているだけ」(レイモンド・チャンドラー、『ロング・グッドバイ』、村上春樹訳、2007年、510頁)というような「乏しさ」に耐える覚悟が要るけれど。
どうして、チャンドラーのことが繰り返し出てくるかと言うと、この三日ほど『ロング・グッドバイ』を読み返していたからである。
どうして、『ロング・グッドバイ』を読み返したかいうと、クロード・レヴィ=ストロースの追悼原稿を頼まれたからである。
関係がわからない?
わからないでしょうね。
原稿を書くために『悲しき熱帯』を読み返しているうちに、「あれ・・・この文体何かに似ている・・・」と思ったからである。
はっとして、チャンドラーを取り出したら、そっくりだったのである。
どうして私がレヴィ=ストロースをこれほど好むのか、その理由が高校生のときに読み始めて40年経ってやっとわかった。
『ロング・グッドバイ』のあとがきに村上春樹はチャンドラーの文体について、鋭い分析を加えている。
「その雄弁さをもってチャンドラーが描こうとしているのは、いったいどんなものなのだろう?それはひとことで言うなら、語り手フィリップ・マーロウの目によって切り取られていく世界の光景である。それはきわめて正確に切り取られた光景であり、綿密に雄弁に語られてはいるものの、ほとんどプロセスを受けていない光景である。フィリップ・マーロウはおそらくそれらの光景の多くについて、何かしらの個人的な所見を述べることになる。あるいはまた、なんらかの個人的対応を見せることになる。しかしそのような彼の所見なり対応なりは、彼の自我意識の実相とは必ずしも直結していないように我々の目には映る。」(「訳者あとがき 準古典小説としての『ロング・グッドバイ』、537-8頁」
この文章の中の「フィリップ・マーロウ」を「クロード・レヴィ=ストロース」と置き換えて、これが『悲しき熱帯』についてのコメントだと言って読まされても、少なくとも私はまったくそのトリックに気づかないだろう。
『悲しき熱帯』と『ロング・グッドバイ』を並行して読むという読書のしかたをする人はあまり多くないと思うけれど、お暇な方は試みられるとよろしいかと思う。
追悼文は水曜日の毎日新聞の夕刊に掲載される予定です。

日曜日は京都国際マンガミュージアムで、養老先生と対談。
マンガミュージアムに行くのは2度目である。
「これほど来館者が熱心に本を読んでいる図書館は世界に二つとない」と養老先生が言う。
「他の図書館だと、こんな大きな声でしゃべっていると必ず睨まれるか、『うるさい』と言われるだろう。ここでは誰もそんなことしない。図書館で本を読んでいるやつは、何か理屈をつけて読むのを止めたいから、人の声がうるさく聞こえるんだよ。ほんとうに読むことに没頭している人間には何も聞こえやしない」と養老先生はうがったことを言われる。
なるほど。
対談はおもに来週出る『日本辺境論』のこと。
養老先生にはプルーフを読んでいただいて、帯文を寄せてもらった。
「いいから黙って読め」というようなわりとタイトなコメントである。
どうして「いいから黙って」なんですかと訊いたら、養老先生によると「つっこみどころ満載だから、いろいろなやつがいちゃもんつけてくるだろうから、そいつらに『黙って読め』って言っているんだよ」ということであった。
そ、そうですか。
こういう本はね、最初のうちは「何をふざけたことを言っている」とけんもほろろだけれど、読み進むうちに「ふむふむ」と納得しだして、読み終えた頃には「オレも前からそう思っていたんだ」と言い出すんだよ。
ということでした。
そうなるといいですね。
ミュージアムの対談にお越しくださったみなさまにお礼申し上げます。
ご挨拶できずにすみませんでした。
対談のあとに、内閣官房副長官の松井孝治さんと門川大作京都市長がご挨拶に見えたので、精華大学の赤坂理事長をまじえて養老先生の館長室で京都の今後の文化戦略について語っていたのでした(松井さん、お忙しい中、遠路おいでいただいてありがとうございました)。
終わったあと養老先生とご飯でも・・・と思っていたのであるが、来る途中の電車の中でレヴィ=ストロース追悼原稿の締め切りが二日過ぎていることを知らされていたので、やむなく家に戻り、こりこりと原稿を書いたのである。
ふう。
今週も週末のない一週間であった。
来週もね。

『日本辺境論』発売まであと5日です!

2009.11.11

河内小阪から梅田を経由して築地へ

ああ~授業をさぼって。日のあたる場所に、いたんだよ。
というのは嘘で、授業はさぼったけれど、行った先は近畿大学文芸学部の教室である。
私は原則として自分の授業を休んで、学外の仕事をするということはしないのであるが、どういうわけだかこの仕事は引き受けてしまった。
引き受けたときにどういう経緯があったのか、遠い昔のことなので、覚えていない。
だが、約束した以上は行かねばならぬ。
讀賣新聞と近畿大学のジョイントのイベントで、お世話いただいた讀賣の山内さんと文芸学部の浅野洋・佐藤秀明両先生にご挨拶。
お題は「教養なき時代の読書」。
そういうテーマならお話しすることはある。
こういうときに「教養とは何か?」という問いかけから入るのが常道であるが、それをするのはシロート。
こういう場合はむしろその語の一義的意味について合意されていると信じられているキーワードについて、「その定義でよろしいのか?」と一段手前から話をし始めるのが批評の骨法である。
だから問いはこう立てられねばならない。
「読書とは何か?」
マンガを読むことは読書と言えるか?
電車の中吊り広告を読むのは読書と言えるか?
海苔の佃煮のラベルを読むのは読書と言えるか?
レストランのメニューを見るのは読書と言えるか?
テレビのヴァラエティ番組で下に出るテロップを読むのは読書と言えるか?
洋画の字幕を読むのは読書と言えるか?
字をまだ知らない子どもが新聞をじっと見つめているのは読書と言えるか?
おそらく多くの人たちはこれらを「読書」とは呼ばぬであろう。
だが、私はこれらはひとしく「読書」と呼ばれねばらないと思うのである。
「読書」は重層的な構造をもっており、さまざまな身体器官がこれに関与している。
読書行為に関与するどれかの器官が言語記号の入力に相関して発動するならば、それはすでに「読書」と呼んでよろしいであろう。
大瀧詠一師匠には「座 読書」という名曲がある。
これは読書に随伴する「座って頁をめくる」動作を「ダンス」と解釈したものである。
「さあさあ、ダンスのニューモード。
座って、踊る。
名づけて、
座 読書。
リズムに合わせて
頁をめくる。
しぐさ、ぱらぱら
簡単。
座 読書」
というたいへん軽快にして「前代未聞・空前絶後」のダンスナンバーである。
大瀧師匠はこのとき読書というのが「教養」とか「情報」とか「文化資本」とかとはまったく無関係なものでもありうるということを鋭く指摘されたのである(さすがわがお師匠さまである)。
だが、『ナイアガラ・カレンダー』の発売当時、師匠の炯眼に気づいた人はいなかった(私だって気づかなかった)。
本を開いてぱらぱら頁をめくっていれば、それはすでに「読書」である。
というのは、読書には少なくとも二つの形態がありうるということである。
一つは「文字を画像情報として入力する作業」、一つは「入力した画像を意味として解読する作業」である。
私たちが因習的に「読書」と呼んでいるのは二番目の行程のことである。
しかし、実際には、画像情報が脳内に入力されていなければ、私たちは文字を読むことができない。
007号が二度死ぬように、私たちは言語記号を二度読んでいる。
一度目は画像として、二度目は言語記号として。
この行程をそれぞれ、scanとread と言い換えてもよい。
新聞を広げて、「斜め読み」しているのはscan である。ふと気になる文字列が「フック」して、眼を戻して、その記事を最初から読むのはreadである。
例えば学校における国語教育はもっぱらread に焦点化して、その教育プログラムを編成している。
「作者はここで何が言いたいのか」とか「この『それ』は何を指すのか」とか「『魑魅魍魎』のよみを記せ」とか、そういう問いに答える力のことを「国語力」と呼んでいる。
だが、それでよろしいのか。
私はいささか懐疑的である。
それより以前に身に付けていなければならないscanする力の育成の重要性に日本の国語教育者は気づいておられるであろうか。
scanとは、単純に言えば、「ひたすら文字を見つめる」ということである。
タイピストが意味もわからず手書きの原稿をフルスピードでタイピングするように、文字画像をひたすら大量にかつ高速度で脳内入力する。
このscanという予備的行程が適切になされていないと、次のreadの段階には進めない。
その意味で「朝の読書運動」というのはまことに適切なプログラムだったことがわかる。
あれは、本を読んでいるのではない。文字を見ているのである。
意味なんかどうだってよい。
紙に書かれた文字を画像として取り込むという脳内の神経回路のスピードをただ上げているだけである。
それが必要なのは、それこそが私たちの教育プログラムにもっとも欠如していたものだからである。
明治までの国語教育の基本は「四書五経の素読」である。
素読というのは「ひたすら漢文を音読する」だけである。
意味なんかどうだっていいのである。
古人は経験的に、この作業を経由しなければ「言語の意味」を解するという次のレベルにはあがれないことを熟知していたのである。
講義のあと、ご挨拶もそこそこに次は梅田へ。
新潮社主催の、関西地区の主要書店の書店員のみなさんをお招きしての、『日本辺境論』販促のためのイベントがある。
三重さん、足立さんに拉致されて会場へ。
聞けば、私はここで1時間の講演をすることになっているらしい。
ダブルヘッダーですわ。
ぞくぞくと各書店の店員の方々が集まってくる。
フロントラインのみなさんに応援していただかないと本は売れない、ということはミシマ社の三島くんがつねづね語っているところである。
『日本辺境論』がどういう本かをプレゼンテーションするはずだったのだが、ぜんぜん違う話をしてしまう(いつものことだが)。
そのあとレセプション。
ビール、ワインなどをいただきつつ、若い書店員のみなさん(の中には甲南合気会の石井くんもいる)と歓談。
若い「本好き」青年たちと書物について、出版文化について、書くことの意義について語り合うのはたいへん愉快である。
でも、さすがにいささかへたばって帰宅。
火曜日。歯医者に寄ってから、授業。
先生に「上の歯、一本抜きましょう」といわれるけれど、午後授業があるから許してくださいと懇願して逃げ出す。
午後の教職員礼拝で「永年勤続者表彰」を受ける。
なんと、気がつけば勤続20年だったのである。
光陰矢のごとし。
松澤院長から賞状と記念品料をいただき、同僚のみなさんから「おめでとう」という祝福のご挨拶をいただく。
院生たちからはお祝いのお花をもらってしまった(ありがとうね)。
思えば、私の生涯で1カ所に20年も定住したのは、神戸女学院大学だけである。
なんと。
水曜日。オフだけれど、早起きして、東京日帰りツァー。
ラジオデイズのための恒例の大瀧詠一師匠を囲むラジオ番組収録である。
平川克美くん、石川茂樹くんとともに今年で三回目。
恒例行事であるので、会うなり話が始まる。
今回のメインのトピックは『東京人』でその一部が紹介された、師匠の「成瀬巳喜男」の『秋立ちぬ』と『銀座化粧』における「橋めぐり」の話。
これについてはすでに平川くんがご自身のブログでいろいろ書いているから、そちらも併せてご参照いただきたい。
私は一昨年の第一回セッションのときにこの二作のDVDを大瀧さんから頂き「まず、見てご覧」と命じられた。
そのときには、それがこのような巨大な映画研究のとば口だとは知るよしもなかったのである。
どうして大瀧師匠が成瀬巳喜男の映画の画像分析にこれほどまでに踏み込むことになったのか。
その「謎」を中心にして、120分にわたってラジオ収録は展開したのであるが、たぶんこの放送を聴いたみなさんは「とってもびっくり」することになると思う。
どういう種類の「びっくり」であるかは聴かないとわからない。
大瀧さんが何をしようとしているのかを既成の言葉で説明することはきわめて困難(ほとんど不可能)である。
収録が終わったあと、控え室で大瀧さんが、「まず全体を見なければならない。部分の総和は全体にはならない」という話を巨人軍の宮崎キャンプの話を引いてしはじめ、そのあとに一音聴いただけで、オーケストラの楽器構成が「わかる」という話をされたときに、今朝ほど新幹線の中で考えていたscan とreadの違いの話との符合に驚嘆する。
大瀧さんはまさしくscan する人なのである。
音楽は浴びるように聴き、映画は包み込まれるように観る。
その全体をその中に入り込んで経験する。
大瀧さんは「観察者」ではない。
成瀬巳喜男の映画を観るときには「成瀬巳喜男の映画内空間そのものを生きている」のである。
大瀧さんはおそらく『銀座化粧』や『秋立ちぬ』の登場人物たちに憑依して、映画の空間の内側で呼吸することができるのである。
それは現実の築地や新富町ではなく、成瀬巳喜男の幻想の中にだけリアルに存在する築地や新富町である。
それは現実には存在しない。
大瀧さんは映画の撮影された現場に立つと、どれほど景色が変わっていても、映画の風景がありありと浮かんでくると言う。
それは現実の築地の風景と映画の中の昭和30年代はじめの築地の風景にまだ共通のものが残っているということではない。
そうではなくて、それはかつて築地で育ち、そのあとそこを離れて50年ほど経ってから戻ってきた人が、すっかり変わり果てた景色を見ているうちに、「ああ、ここは川があったところだ」ということを「思い出す」のと同じような「記憶の再生」を大瀧さん自身が自分の身体を通じて現に経験しているということである。
大瀧さんは「観察している」のではなく、「思い出している」のである。
そういうふうに映画を観ることができる能力が存在する(知らなかった)。
3年ほど前、最初に大瀧さんとお会いしたとき、大瀧さんは昭和30年代の映画に「凝っている」と言われた。
一日3本くらい映画を観ているという話を聞いて、私は「それでは映画を観たことにはならないのではないか・・・」と内心訝しく思ったのである。
私たちとぜんぜん違う映画の見方があるということが私にはまだわからなかった。
大瀧さんはそのときおそらく高速度で映像をscanしていたのである。
映画は「観る」ものではなくて、その中を「生きる」ものだ。
だから、とにかく浴びるように映像にさらされなければならない。
その集中的な何千時間かの映像のscanning のあとに、大瀧さんは「映画の中」に入り込んで、その中の出来事を風景をまるで自身の遠い記憶のように「思い出す」という特権的な享受レベルに到達したのである。
かつて『無人島レコード』のアンケートで、大瀧さんは無人島にはレコードではなく「レコード年鑑」を持って行くと答えた。
ページを開いて、レコードジャケットを一瞥した瞬間に曲が鳴り始め、すべての音を脳内で逐一再生できるから、音響装置を外部にもつ必要がないのだ、と。
これはまさに「浴びるように」音楽を聴いたことによって、「音楽の内側」に入り込んだ人にしか言えない言葉だろうと思う。
「あまりに強く影響を受けたものは意識にのぼらない」という話を聴いているうちに、『日本辺境論』のもっとも重要なアイディアのいくつかは大瀧さんの「分母分子論」から学んだものだったことに気がついた。
今度の本はその意味では dedicated to Otaki Eiichi と献辞されるべきものだったことに帰りのタクシーの中で気がついた。
師匠はまことに偉大である。

2009.11.12

「日本辺境論」発売

久しぶりのオフ。
ありがたいことである。
たっぷり朝寝をしてから、ご飯味噌汁納豆漬け物の朝ご飯。
朝日を浴びて、まず『朝日メディカル』の原稿を書き、続いて『合気道探究』の原稿を書き、さらに『邪悪なものの鎮め方』の「あとがき」を書く。
原稿を書きながらiTuneで A long vacation from ladies を聴く。
昨日このトリビュートアルバムの話が出たときに、大瀧さんがカメオ出演しているという話がわからなくて、「え?どこに?」と訊いて、大瀧さんと石川くんに「ちゃんと聴けよ」と笑われた。
ちゃんと聴いたら、『Fun×4』に「散歩しない?」で登場されていた。
オリジナルの『Fun×4』では太田裕美さんが「散歩しない?」で参加しているので、その「裏を返した」わけなのだが、最初聴いたときに、大瀧さんの声があまりにも自然にはまっていたので、聞き逃してしまったのである。
このトリビュートアルバムは実にウェルメイドである。
私自身のフェバリットは「Pop-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」。
ヴォーカルは行川さをり。
これはまた不思議な、なんとも魅力的なヴォイスである。
他の歌はどんなふうに歌うのかとアルバムを買おうとamazonを検索したけれど、ソロアルバムは出されていないようである。
大貫さんはラジオで大瀧さんがゲストのときに、このアルバムで歌いたい歌に最初は「スピーチバルーン」と「カナリア諸島にて」をリクエストしたと話していた。
でも実際に録音したのは「君は天然色」。
これは原曲とはまったくテイストの違う、「ああ、この曲は、『そういう解釈』もありなのか・・・」という驚きのカバーである。
「スピーチバルーン」は私のフェバリットなので、大貫さんにはこれを歌って欲しかった気もするけれど。
『日本辺境論』が届く。
首都圏の書店では今日の午後にはもう配架されているそうである(はやくも「ゲットしました」というメールが届いた)。
都市部の大きい本屋さんでは明日には店頭に並ぶらしい。
みなさん買ってくださいね。

2009.11.14

業務連絡3つ

業務連絡その1
『日本辺境論』が発売になりました。
13日はAmazonでベストセラーの24位。Bk1で社会・政治・時事で1位でした。
西宮のジュンク堂に寄ったら月曜のレセプションのときに約束してくれた通り、「内田樹フェア」をやっていました。
ジュンク堂の地道くん、山下くん、どうもありがとう~。
みなさんもじゃんじゃん買ってくださいね。
その2
鶴澤寛也さんの卒論は「フーリエ解析」じゃなくて、「四次元のトポロジー」でした(ご本人からご指摘いただきました)。
謹んで訂正させていただきます。
その3
マイ美容師の光安さん(大学院聴講生第一期生ならびに甲南合気会所属)が芦屋に新しいお店を出しました。
まだできたばかりでお客さんが少ないそうなので、いまなら大歓迎されます。
芦屋近辺在住の学生院生卒業生門人ならびに読者のみなさんは光安さんのお店で髪を切ってもらいましょう。
Au bricoleur (ほら、店名からして)
芦屋市大桝町、「焼き肉あづま」の向かいのビルの1Fです。
予約は
0797-35-1121/0797-71-7747
にどぞ。

2009.11.15

文楽ってすごい

今週も土日はお仕事。
先週も、先々週も、その前もずっとお仕事・・・
週末らしい週末はカレンダーをめくると9月19日が最後である。
以後、土曜日は愛知で講演、バザー、AO入試、入試問題点検、大学祭、浜松で講演、指定校推薦、公募推薦と続いたので、甲南合気会の諸君とはかれこれ2ヶ月ほどお会いしていない。
みんな元気でお稽古しているのだろうか。
来週は稽古に行けるけれど、次の11月28日は日本ユダヤ学会が京都であるので、またお休み。
もちろん助教の諸君が交替で道場の指導には当たってくれているのであるが(ありがとね)、私は3ヶ月に2回しか道場に行っていないことになる。
合気道関係のイベントも休み続けである。合宿も研修会も武道祭も総会も、どれも欠席した。
まことに心苦しい限りである。
大学の仕事で休むのは仕方がないが、講演で稽古を休むのはつらい。
でも、「土曜日は合気道の稽古がありますから、仕事はできません」という断りがなかなか通じないのである。
世間の人はそれを「土曜日はゴルフの練習がありますから、仕事はできません」というような感じに受け取るらしく、怪訝なリアクションをする。
そういうことが続いてひさしく稽古を休んでいる。
来年度も土曜日には入試業務がいろいろ入るが、講演とか取材とか対談とか、そういう学外の仕事はもう一切入れないことにした。
原則として土曜日は合気道の稽古、日曜もできるだけ稽古という心づもりである。
昨日は公募制推薦入試、編入試験などがあり、朝8時半から夕方6時まで大学の入試本部に詰めている。
志願者数は堅調に推移しており、入試責任者としては気分が楽である。
大きなトラブルもなく、無事に試験が終わる。
みなさん、お疲れさまでした。
家に帰ってから翌日の文楽取材の「予習」。
日曜は朝から日本橋の国立文楽劇場へ。
『考える人』のための桐竹勘十郎さんの取材。
『芦屋道満大内鑑』を幕見してから、インタビュー。終わってから、文楽の「見方」を教わったばかりなので、それを応用すべく第二部の『心中天網島』「北新地河庄之段」を幕見。
文楽劇場は明後日「あの方」がお見えになるということで、ものものしい警護である。
「あの方」って、オバマ大統領ですか?と訊いて笑われる。
「人形遣い」の三人遣いという技法について、詳細にわたって説明をうかがう。
勘十郎さんはとってもフレンドリーで、説明も実にわかりやすい。
話を聴いているうちに、「人形遣い」という仕事は「気の感応」の力がなければつとまらないということがだんだんわかってくる。
三人でまったくアイコンタクトも言葉による合図もなしに自由自在に人形を操るのである。
その日によって動きが変わる。
だが、厳密に言えば、主遣い(頭と右手を扱う)があとの二人(左遣いと足遣い)に指示を出してるというわけではない。
指示を出して、それに反応して動いていたのでは間に合わないからである。
人間の身体だって、頭が動いてから、手足が応じるわけではない。
同時に動くに決まっている。
つまり、三人が同時的・共同的に人形の操作に参加して、そこに三人の人形遣いの誰にも中枢的にはコントロールされていない、独立した「人形の身体」が生成するのである。
その「人形の身体」が「動きたい」と思った動線を三人が共同的に実現する。
こういう非中枢的な身体運用こそ「日本の身体」の構造的な特性なのだということが改めて実感されたのである。
日本の芸能はまことに奥が深い。
『心中天網島』の紙屋治兵衛はまことに「チャーミングなダメ男」である。その「バカだけとかわいい」キャラクターを勘十郎さんはみごとに人形において実現していた。
いや、ほんとうにかわいいのである。

2009.11.16

論争嫌い

『日本辺境論』の販促活動が始まっている。
昨日、梅田の紀伊國屋書店を覗いたら、入り口のところに特設のトレーが作ってあって、『街場の教育論』や『下流志向』や『私家版・ユダヤ文化論』も並べてあった。
文楽劇場での幕間でも、POPをたくさん書かされた。
「読んでね」とか「面白いよ」とかいう、まったく知性の片鱗も感じられない惹句であるが、読んでもらわないと話にならないのであるから、とりあえずは読者のみなさまのご厚意に取りすがるのである。
今のところ寄せられた感想にはどれも好意的で、まずは一安心。
もちろん、これからさき関係各方面から怒濤のような批判が寄せられることは避けがたいのであるが、批判に反批判を加えて、泥沼の論戦に・・・ということは私の場合にはありえない。
それは「論争」というものが生産的になることはない、というのが「文科系」の学問の宿命だからであるからである。
どこまでもやってゆくと、最終的に論争は「どちらが頭がいいか」というまことににべもないハードウェアのスペック比較になる。
どのような高尚なテーマで始まった論争も、かならず最後は生得的な資質の差を比べるところまで品下る。
そういうのはdecentではない。
「言論の自由」というのは論争をしないで済ませるための工夫であると私は思っている。
論争に勝たないと次の発言機会が与えられないというなら必死に論争に励む動機も理解できるが、勝っても負けてもスルーしても、発言機会が保証されているのがわが言霊さきはふ国の手柄である。
論争というのは、どこかで相手に向かって「黙れ」という言葉を口にすることになる。
それは民主主義社会においては禁句だろうと私は思う。
私たちは誰もが「言いたいこと」を公開の場で示し、自分の意見に同意してくれる人の数を増やす権利がある。
だが、他人が私見を発表することを禁じる権利はない。
自分の意見の信頼性を高めるために語ることと、他人の意見の信頼性を貶めるために語ることは、似ているようだけれど、違う。
前者は「読み手」の知性を信頼しており、十分な論拠を示し、適切な推論をすれば「たいていの人は私と同じ結論に到る」と思っている。
後者は「読み手」の知性を信頼しておらず、放っておくとたいていの人は「自分の意見とは違う、誤った結論」に到ると思っている。
だから大声で、金切り声をあげて、他の人が話している声が聞こえないように、言論の場を占拠しようとする。
その違いは外形的なものにはとどまらない。
論争を「愚者を教化する機会」だと思っている人間は、スターリン主義のソ連や金正日の北朝鮮に生まれていれば、強制収容所や政治犯の粛清に喜んで同意するタイプの人間である。
私は「そういう人間」を直感的に見分けることが出来る。
強制収容所の「囚人になる人間」と「看守になる人間」は、そのような制度が存在しない社会においてもはっきりと識別できる。
論争を好むのは「看守」たちである。
だから、私は彼らとはかかわりあいを持たないことにしているのである。


2009.11.17

学力テストについて

07年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)と1964年度の全国テストを社会環境を加えて分析したところ、学力を左右する要因として離婚率・持ち家率・不登校率の3指標の比重が高まっていることが、大阪大などの研究グループの調査でわかった。
いずれも、家庭、地域、学校での人間関係の緊密さに関する指標で、研究チームは「年収などの経済的要因よりも、人間関係の『つながり格差』が学力を左右する傾向にある」と指摘。(毎日新聞、11月17日朝刊)

ひさしく「学力格差は経済格差」であると言われてきた。
金持ちの子どもは「教育投資」額が貧乏人の子どもよりも大であるので、学力が高いというのである。
この「要するにすべては金の問題だ」という薄っぺらなリアリズムに過去20年ほど私たちの教育論は振り回されてきた。
それによって、学力のない子どもたちは「自分たちは学力がないのではなく、端的に金がないのだ」というふうに考えるように仕向けられた。
その結果、学力のない子どもは「金の全能性」についての信憑を深め、「学校なんかに行ってる暇」に、「端的に」金を稼ぐ方法しかたを工夫するようになった。
きわめて合理的な推論である。
日本の子どもの学力が低下しているのは「金の全能性」イデオロギーのせいで、「学力を高める動機」よりも「金をもうける動機」の方が選択的に強化されているからである。
誰が考えても、短波放送で株式市況を聴いたり、競馬新聞を熟読したり、パチンコ屋の開店を待つ方が「金を儲ける」という最終目的のためには学校に通って因数分解やサ行変格活用を覚えるよりは即効性がある。
そういうふうに「合理的に」推論する子どもたちの学力は集中的に劣化する。
それはこれまで繰り返し指摘してきたとおりである。
「合理的に思考する子どもたち」は、勉強するに先だって「どうして勉強しなくちゃいけないの?」というラディカルな問いを立てる。
「どうして義務教育を受けなくちゃいけないの?」「数学とか古典とか勉強すると、どういう『いいこと』があるの?」
平たく言えば、「勉強すると金になるの?」と訊いてくるのである(子どもにも多少の遠慮はあるので、そこまでストレートには訊かないが)。
残念ながら、このような問いには答えるわけにはゆかない。
つねづね申し上げているように、学校教育というのは、「そこでなぜ学ばなければならないかの理由を子どもたちは知らないが、大人たちは知っている」という「知の非対称性」に基づいて構造化されているからである。
「いいから黙って勉強しろ」というのが学校教育にかかわる大人たちの基本文である。
自分がなぜ学ばなければならないのか、その理由がうっすらとはわかるが完全にはわからないという「グレーゾーン」に子どもを置くのが学校教育の目的である。
そうすると、どういうわけだか知らないけれど、子どもの学力は向上することが経験的に知られているからである。
「学力」というのは「学ぶ力」のことである。
何を知っているかではない。
知識や情報や技芸のことではない。
「学びたい」という抑えがたい欲望のことである。
「学びたい」という欲望は、自分が何のために何を学んでいるのか「すこしわかりかけているのだが、全部はわからない」ときに亢進する。
だから、学校教育は「そういう状態」に子どもを置くためにもろもろの「仕掛け」を凝らしてきたのである。
何千年か子どもを育ててきた人類学的経験から、「こういうふうにすると、子どもは成熟する確率が高い」ということがわかったので、学校における諸制度を整えたのである。
残念ながら、現在の学校制度は「成熟の装置」としての社会的機能をほとんど失ってしまった。
教育行政も保護者も、もちろん子どもたち自身も、学校にそのような機能を期待してはいない。
今学校は「換金性の高い知識や情報や技能を習得する場」というふうに単純に理解されている。
そして、「換金性の高い知識や情報や技能」よりは「金そのもの」の方がさらに「換金性が高い」(だって金だから)ということに気づいた子どもたちは(誰でも気がつくが)、「勉強よりも金儲け」を優先させるようになり、「別に金なんか欲しくないし・・・」という非活動的なタイプの子どもたちは底なしの無為のうちに沈むことになった。
そんなふうにして、日本の子どもたちの学力は急降下で劣化したわけであるけれど、それは「学校教育の意味を経済合理性で説明したことの帰結」である。
今回の統計によって、「学力格差は経済格差である」というこれまで信じられてきたテーゼの根拠が失われた。
今回の研究によれば、学力格差は「学ぶ意欲」(インセンティヴ)の格差であり、それは親族・地域・学校という場への定着度に相関する。
さまざまな「しがらみ」のネットワークの中に絡めとられているせいで、自己利益の追求ばかりでなく、同時に帰属集団の公共的な福利をも配慮しなければならない子どもたちは学力が高い。
というのは当たり前で、さまざまな集団のステイクホルダーであり、そのつどふるまい方や話し方を適切にシフトしなければならないという条件があれば、子どもは成熟せざるを得ないからである。
そして、「学ぶ力」というのは、まさに「成熟しなければならない」という内圧の同義語なのである。
「学ぶ力」は成熟への意欲と相関する。
成熟への意欲は、子どもが多様な集団において、そのつど適切な役割を演じることの必要性と相関する。

同じ新聞の別の欄は、大阪府教委が全国学力テストの市町村別平均正答率の開示を指示したことを伝えていた。
市町村別の正答率の開示は、要するに「学力による序列化」をめざすものである。
序列化し、格付けし、学力の高い地域には報償を与え、学力の低い地域には罰を与える。
そのようなシンプルで幼児的なシステムを完成させれば、子どもたちはますます幼児化し、学力はますます劣化することになる。
この理路が教育行政の当事者たちには理解できないのである(子どもだから)。

2009.11.19

ピュシスの贈り物

東京ツァー中。
大学での会議を終えて、ばたばたと新幹線に乗って東京は飯田橋の角川書店へ。
中沢新一さんとの対談シリーズの3回目。
「くくのち学舎」のキックオフイベント、神戸女学院大学の大学祭でのトークセッションに続いての短期集中おしゃべり企画。
新幹線車中で、中沢さんの最新作『純粋な自然の贈与』を読む。
じつにわかりやすい、よい本である。
「交換と贈与」という古典的な人類学のテーマが、(重農主義の再評価という)新しい視点から論じられている。
商業というのは本質的に等価交換であり、そこからは何も富は生み出されない。重農主義者たちはそう考えた。
「『純粋の商業は・・・等しい価値と価値との交換にすぎず、これらの価値にかんしては、契約者どうしの間には、損失も儲けもない。』なぜなら、『交換は何ものをも生産せず、つねにひとつの価値と等しい価値の富との交換があるだけで、その結果真の富の増加はありえない』(ケネー)からである」(中沢新一、『純粋な自然の贈与』、講談社学術文庫、2009年、100頁)
ところが農業生産だけは富をつくりだす。
「農業では地球が創造をおこなからだ。大地に春撒いた百粒の小麦種は、秋にはその千倍の小麦種に増殖をおこなう。この増殖分から、労働に必要だったさまざまな経費や賃金をさっぴいても残るものがある。ケネーが『純生産物』と呼んだ、この増殖分こそが、農業における剰余価値の生産をしめしている。」(Ibid.)
マルクスも、富の増殖については、流通過程以外のどこかで剰余価値が創造されていることについてはケネーと同意見だった。
だが、重農主義者とは違い、マルクスは「自然の贈与」ではなく、「労働力」が富の源泉だと考えた。
労働力は「ピュシス」の力である。
外部の自然は、労働者の身体を通して、贈与を行う。
「労働者は、商品という形に物質化された労働を、資本家に売っているわけではなく、この抽象的なピュシスの力である労働力を売っている。ここに資本主義世界における、剰余価値発生の秘密が隠されている。」(106頁)
「資本家は、商品に物質化された労働を買うのではなく、能産性そのものを買った。しかも、その価格は、労働力そのものに対する価値づけではなく(そんなことを可能にする数学的方法を、まだ人類はもちあわせていない)、抽象的な労働力が物質的世界の中にもった、たったひとつの足場である、労働する身体を維持するのに必要な価値(これは労働時間で換算される)で計られるのだ。」(107−108頁)
中沢さんはここでたいへん重要なことを書いている。
それはピュシスのもたらす富を計測する手だてを私たちは持っていないということである。
私たちの資本主義経済システムでは、富はすべて数値的に表示されるものだと考えられている。
数値的に表示されないものは富としては認定されない。
けれども、これはナンセンスな話で、富は本質的に考量不能なものであり、外部から労働者の身体を通じて、世界に滲出してくるものなのである。
いしい・ひさいちのマンガに安下宿共闘会議の諸君が麻雀をするエピソードがある。
全員金がなくて困り果てているときに、中の一人が「そうだ、麻雀をやろう」と言い出す。
「麻雀をやると金が儲ると聞いたことがある」
「それはよい考えだ」と四人で雀卓を囲んで牌をかき混ぜ始める。
延々と牌をかき回し続けるのだが、「どうもさっぱり金がもうからない」と暗い顔になる…というオチである。
このマンガは資本主義の流通過程からは富が生み出されないという、私たちが見落としがちな事実をみごとに描き出している。
富の滲出のためには「外部」が必要なのである。
今の例でいえば、潤沢な貨幣をもって「安下宿」世界に降臨し、彼らに豊かに貨幣をばらまいて去ってゆく「まれびと」が登場しない限り、富は発生しない。
麻雀は、この「まれびと」からの贈与を「安下宿」世界に取り込み、価値化するための装置であり、麻雀そのものはいかなる富も生み出さない(別に私が気負っていうほどの話ではないが)。
私たちが忘れがちなのは、ここでいう「富をもたらす外部」なるものが、農耕者における「自然」のように、対象的に把握することがむずかしいものだということである。
甲南麻雀連盟の場合、麻雀の勝敗はまったく副次的なものにすぎず、そこで富は、卓を囲むことで強化される会員相互のネットワークを経由してはじめて滲出してくる。
それはワイン、寿司、うどんなどの持ち込み、情報供与、ビジネス上の連携、ポストの提示といったさまざまなしかたで有形無形の「外部の富」を会員間に流通させる。
これはマリノフスキーが『西太平洋の遠洋航海者』で詳述している「クラ儀礼」と構造的にはまったく同一である。
クラ儀礼はソウラバという赤い貝の首飾りと、ムワリという白い貝の腕輪の交換である。
この装飾品にはまったく実用性がなく、他のいかなる品物とも交換することはできないので貨幣としての機能もない。
ただ、それぞれの装飾品には、それをかつて所有した人々についての伝承が「物語」として付随している。
これを長期間自分の手元にとどめておくことは許されず、次の交換相手へと手渡さねばならない。2種類の装飾品はクラの円環を、互いに反対方向に、とどまることなく回り続ける。ソウラバは時計回りに、ムワリは反時計回りに、2年から10年で島々を一周する。
クラ交易に参加できるのは男性だけで、参加資格を得るのは大きな名誉であり、「有名な」装飾品を手にしたものは、いっそう高い威信を手にする。
クラに参加したものは装飾品のやりとりをする相手として「クラ仲間」を有しており、「堅い契りの義兄弟」関係として生涯にわたって持続する。
クラ交易そのものは経済的交易ではない。
だが、クラの機会に、島々の特産品の交換が行われ、情報やゴシップがやりとりされ、同盟関係の確認も行われ、クラが必要とする遠洋航海のために造船技術、操船技術、海洋や気象にかんする知識、さらには儀礼の作法、政治的交渉のためのストラテジーなどを参加者たちは習得することを義務づけられる。
つまり、クラ交換という何の富も生み出さない無限交換のプロセスにおいて、「外部の富」は、共同体のネットワーク形成と儀礼参加者たちの成熟というかたちで世界に滲出しているのである。
ビジネスの場でゆきかっている商品やサービスや情報そのものは富を生み出すわけではない。
そのようなビジネスを行う相手を安定的に確保するためには、そこに「共生」の関係がうちたてられなければならないということと、ビジネスを円滑にすすめるためには当事者に人間的成熟が必須であるということが、ビジネスのもたらす「外部の富」なのである。
共生の関係のもたらす価値や、人間的成熟のもたらす価値を数値的に考量する手だてを私たちは持っていない。
中沢さんが言うように「そんなことを可能にする数学的方法を人類はまだもっていない」のである。
けれども、その数値的に考量不能な富を世界にもたらす以外に、経済活動には存在理由がない。
経済合理性で人間的諸活動の有用性を語る人々が構造的に見落としているのは、経済合理的に考量できるものは「富ではない」という事実である。
世界内部的な自己利益の追求だけを考えている人間は、ビジネスをしようとも、教育活動を行おうとも、医療を行おうとも、宗教活動を行おうとも、ピュシスからの贈り物を私たちの世界にもたらしきたすことはできない。

今回の対談のお題は「レヴィ=ストロース追悼」。
われわれの世代が多大なる学恩をこうむった偉大な構造人類学者について、ふたりでしみじみと語るはずだったが、だんだん話が暴走しはじめ、最後はユダヤ人と日本人の最大の差は農耕とのかかわりの深度に存するのでは、というまことに興味深い論件に至る。
来月の最終セッションの話題はそういうわけで、「農業」。
というか中沢さんのこのところの主題である「ピュシスからの贈与」という論件をめぐるものになるのではないかと予測されるのである。
いろいろお忙しい中沢さんとお別れして、汐留の共同通信社へ。
明日の予定だったインタビューを前倒して、『日本辺境論』の執筆意図ついて語る。
これまでの本とどこが違うかということを訊かれるが、実は本人だって、そんなことは訊かれるまでは考えたことがないので、いろいろ考える。
今回の本は、はじめて「外国人読者」をつよく想定して書いた、と思いつきでお答えする。
内容的にはだいたい日本人なら誰でも知っている話であるのだが(それにほとんどは私より詳しい人がいくらでもいるトピックである)、プレゼンテーションの仕方がいつもとちょっと違う。
「地政学的辺境」というシンプルな枠組みを最初から最後まで保持したのである。
日本が「地政学的辺境にある」という点については世界中誰でも合意してくれるはずである。
世界中の誰が読んでもとりあえず合意がいただけるプラットホームをまず設定して、そこから話を始める。
そうしないと、ややこしい話は通じない。
プラットホームというのは、喩えて言えば、授業を始めるときに「うしろの方、聞こえますか?」と訊いているようなものである。
「うしろの方、聞こえますか?」というメッセージについては、とりあえず誤解の余地がない。
聞こえない人でもちゃんと「聞こえませ〜ん」と答えるから、話は通じているのである。
あるいは「私の話、わかりにくいですよね」とか「私の言うことを軽々に信用しちゃダメですよ」とかいうのも同断。
メッセージの解釈について言及するメッセージのことを「メタ・メッセージ」と呼ぶが、それが今いう「プラットホーム」ということである。
「誤解の余地のないコミュニケーションのプラットホーム」が整っていないと、「誤解の余地の多いメッセージ」は発信できない。
コミュニケーションのプラットホームを確実に形成できるメッセージは、原理的には一つだけである。
「私の述べていることの真理性についてのそちらからの評価の切り下げ提案に私は同意する用意がある」という言葉である。
わかりにくいことを言ってすまない。
というのが典型的なプラットホームである。
「わかりにくいことを言ってすまない」というのは、「私の言っていることはたぶん理解しにくいであろうが、それは私の知性が不調であることに起因している可能性が高いことに私は同意する」という意味である。
そのような言明については「いや、そんなことはないですよ。けっこうわかるし」というリアクションか、「そうだよ、ぜんぜんわかんないよ」というリアクションかどちらかしかないが、どちらも私の言明の真理性にかかわるこの言明については、その内容をほぼ十全に理解していると断じてよいのである。
それがプラットホームになりうるメタ・メッセージである。
わかりにくい話をするときの要諦は、少なくとも「この話はわかりにくい」という判断についてだけは書き手と読み手のあいだに合意を形成することである。
今回の本は「外国人読者との間のプラットホームの構築」ということを配慮した。
この本をいちばん読んでほしいのは、東アジアの人たちとアメリカ人である。
彼らに「なるほど、わが隣人はこんなことを考えていたのか」ということを納得して頂いて、「まあ、それなら、あれやこれやの日本人の奇矯な言動もわからないことはないわな」と心鎮めて頂きたいと私は思っている。
そういう意味で、これはごく「機能的」な書物なのである。
「主張したいこと」があるというより「理解してほしいこと」があるのである。
「日本の都合を主張する本」ばかりで、その歴史的来歴や、わがほうにとっての主観的合理性のありようについて、非日本人にもわかるように説明しようとする本が最近はあまり書かれていないようなので、書いてみようと思ったのである。
というような説明をする(思いつきですけど)。

2009.11.20

懐かしい未来

東京ツァー、無事終了。
学士会館泊。9時半に三省堂本店に集合。
足立さんたちとまずは三省堂にて『日本辺境論』にサインをする。
60冊サインして、書店員のみなさんに「よろしくね〜」とご挨拶してから、次は池袋ジュンク堂へ。
70冊のサイン本にネコマンガを描く。
一冊2秒(というのは嘘で、8秒くらいはかかる)。10分ほどで終わる。
ジュンク堂の「書店シリーズ」にそのうちご協力しますと「空手形」を発行して、次は八重洲ブックセンターへ。
ここでも数十冊にサイン。
サイン本と言っても別にサイン会をしているわけではなくて、「著者サイン本」という腰巻きをつけた本を店頭で販売するというだけのことである。
ただ、サインした本は返品が効かないので、書店としては売り切る必要があり、店内のホットスポットに本を置かねばならない。
そうである以上、出版社としてはできるだけ多くの本にサインをさせて、書店サイドをその気にさせたい。
両者とも私の本を「できるだけたくさん売りたい」という点では利害を一にしているわけであるから、著者としては、ひたすらねじりはちまきでネコマンガを描きまくる。
続いて丸の内の丸善へ。
これで午前中のお仕事はおしまい。
渋谷まで送っていただいて、足立さんにお昼をごちそうになって、次はNHKの501スタジオへ。
大貫妙子さんのラジオ番組「懐かしい未来」の収録。
初対面のご挨拶。
でも、初対面のような気がしない。
声を知ってるから。
大貫さんの声は初期のユーミンのバックコーラスから数えると35年聴いているし、90年代の芦屋山手町時代は主夫業のBGMとして大貫さんのCDを選好していた。
いまでも晴れた午前中に洗濯なんかしていると、ふっとメロディが浮かんでくる。
オンエア用に大貫さんの好きな曲を訊かれていたので、『新しいシャツ』、『突然の贈り物』、『いつも通り』と、初期のヒットソングをリクエストする(チョイスされたのはどれでしょう)
その懐かしい大貫さんの声にゆっくりと浸かりながら1時間半にわたって対談。
大貫さんとは『考える人』で連載している「お隣さん」同士である。
二人をつなぐキーパーソンはもちろん大瀧詠一さん。
大貫さんの番組の先月のゲストは大瀧さんで、私は先週の水曜にラジオ収録で大瀧さんとお会いしているわけで、当然、ナイアガラの話になる。
いろいろ話しているうちに、大貫さんがため息まじりに「ほんとにナイアガラーなんだ・・・」とつぶやく。
ラジオ関東のGo!Go!Niagaraをリアルタイムで聴いていて、ベスト盤が発売当日に買ったLet’s ond againであるというようなリスナーは大貫さんのまわりにさえあまりいないようである。
ふたりの共通の友人がほかにもうひとり。
宮田茂樹さんである。
大学時代にイーストハードでドラムを叩いていた話をしたあと、ゲッツ・ジルベルトがかかっている間にマイクをオフにしておしゃべりしていたときに、ジョアン・ジルベルトのことから思い出して、そういえばバンドのときにベースを弾いていたのは日比谷高校の先輩で、駿台時代の麻雀仲間だった宮田さんなんですよと申し上げる。
大貫さんが「えええ」とのけぞる。
初期のアルバムは宮田さんがプロデュースしているのである。
おまけに先般のジョアン・ジルベルトの「幻のコンサート」(宮田さんがプロデュース)の「幻のパンフレット」には大貫さんも私も原稿を書いていたのである。
繋がる人とは、いろいろなところで繋がっているものなのね・・・と大貫さんが遠い眼をする。
たいへん愉しい時間を過ごして、「またどこかで会いましょうね」とご挨拶してからBunkamuraへ。
最後のお仕事は週刊ポストの取材で、『日本辺境論』の話。
だんだん慣れてきたので、いかにもの「執筆意図」を語る(あとぢえなんだけど)。
ビールやワインをごちそうになっているうちに、ぺらぺらと大風呂敷がますます拡がってゆく。
ぐったり疲れて神戸へ帰る。
明日は朝から会議だ。

2009.11.21

奈良で講演します

業務連絡です。
奈良の県立図書情報館で明日(22日13:30~)講演をやります。
お題は「現代社会における表現と図書館」です。
まだ席があるそうです(無料)。
奈良のお近くの人で、「日曜日なのに暇で、暇で・・・ふぁあああ(『あくび指南』)」という方は暇ついでに、県立図書情報館まで、どうぞ。
眠たくなるような話をたっぷりとして差し上げます。
申し込みは
ファックスで0724-34-2777
かメールで
koen@library.pref.nara.jp
にお申し込みください。

2009.11.23

やっぱり忙しい週末

ひさしぶりのオフの土曜日。
岡田山ロッジで合気道の有段者稽古。
上級者対応の「序破急」の動きについて説明する。
一教の切り落としを三行程に分けて、円転・直線・円転と運動の質を切り替える。
たぶん以前も技が冴えて感じられるときは、そういうふうに動いていたのだろうが、術理の裏付けがあったわけではない。
序というのは破(運動の質の変化)が行われたあと、事後的にそれに先立つ行程として遡及的に把持された行程である。
リアルタイムで「今は『序』の動きをしているのだな」というような意識があるわけではない。
急も同断。
べつにそこから動きが速くなるわけではない。
「破のあと」の動きは緩慢であっても、受けの「期待の地平」に存在しないものであれば、「目に見えないほどに速い動き」として「説明」される。
だから、「急」の字があてられるのである。
問題はここでも時間意識である。
なぜ、「序」が「徐」と書かれなかったのか。
その理由を考えなければならない。
序と急が同じ質の運動であれば、遅速を考量することができる。
しかし、「序」というのは「ものごとが継起する順序」にかかわる語であり、「急」は「ものごとが動く時の速度」にかかわる語である。
順序と速度は度量衡が違う。
序と急は同一のものさしでは比較考量できない。
それは「一番」と「一秒」を比べるようなものである。
あえて古人が「徐・破・急」を退けて、「序・破・急」の語を用いたのは、「破」によって度量衡そのものが切り替えられる消息を伝えたかったからではないか。
そういうことが長く稽古しているうちにだんだんわかってくる。

そのあと11月例会。
今回は「クロード・レヴィ=ストロース先生追悼麻雀大会」である。
全員がそれぞれにレヴィ=ストロース先生に蒙った学恩をカミングアウトしつつ打牌するという、たいへんにアカデミックなイベントであった。
私はひさしぶりに大勝。これでようやく年間勝率3割が見えてきた。
勝者は画伯(2勝)、タムラ(2勝)、総長(2勝)、シャドー(1勝)。
タムラはJ2から昇格して初勝利を収めるや否や、たちまち連勝。生来の博才を窺わせる末恐ろしい雀姉である。
「死の淵」より生還したあとの画伯の勝ち方も何かに憑かれたようである。こわ。

日曜日は奈良県立図書情報館にて、講演。
電車を乗り間違えて、とんでもない時刻に新大宮駅に着き、必死で会場に駆け込む。
あやうく開演時間に間に合う。
お題は「現代における表現と図書館」。
私は実は図書館にあまり行かない人間である。
どうして私は図書館に行かないのか、その理由の分析から始めて、霊感は「枕上、鞍上、厠上」にて訪れるという話から西部劇における「人馬一体」描写の背景が必ず「夕焼け」であるのはなぜかを問い、さらには翻訳論から他者論、異界論へと、話頭は転々奇を窮め、怪中実を掬す変痴奇論一段で90分。
たいへんフレンドリーなイベントでありました。みなさん、どうもありがとう。
江さん青山さんご夫妻、大迫くん、山納さんら140B関係者多数がおいでになっていたので、そのまま連れ立って氷雨の中、近鉄阪神と乗り継いで爆笑のうちに神戸に帰る。
奈良は遠い。
これで、一般公開の講演は紀伊国屋の講演を残して「終わり」である。
高校生相手の講演があと二つ。
それで年内は全部おしまい。来年はもう学外講演はしない(とか言って、ちょっとやるんだけれど、それは身内のイベントだけである)。

2009.11.24

業務連絡~

みなさん、おはようございます。
業務連絡です。
(1)本日(24日火曜日)23時から、NHKFMラジオで大貫妙子「懐かしい未来」が放送されます。
先週収録した分ですが、枠のところは生放送です。
話は最初にいきなりぼくが間違って「こんにちは」と言って大貫さんに「スタジオは明るいですから」と突っ込まれるところから始まります。
(2)明日(25日水曜日)、15時から本学文学館L-28で、女流義太夫の鶴澤寛也さんの三味線ワークショップがあります。ワークショップですから、三味線にも触れます。
アートマネジメント副専攻の4年生たちは、インターンシップでお世話になったんですから、ちゃんと来て、お礼を言うんですよ。
寛也さんのお話、面白いですよ。学外者も歓迎です。


カミュのパンテオン奉祀について

カミュ研究会の三野さんからメールが来て、サルコジ大統領がアルベール・カミュの遺骸を墓所のあるルールマランからパンテオンに移送するという提案をしているという話を教えてもらった。
貼り付けてあった11月21日の『ル・モンド』の記事から
「ニコラ・サルコジは50年前に死んだアルベールカミュの遺骸を2010年初めにパンテオンに移送する意向である。
しかし、今のところこの意向は作家の子息ジャン・カミュの拒絶によって頓挫している。関係者によると、ジャン・カミュはこのような決定は『反抗的人間』の著者の生き方とまったく『逆方向』のものであると考えている。」
もう一人の遺児、カトリーヌ・カミュはパンテオンに父が奉祀されることには反対していない。
サルコジ大統領はカミュの50年目の命日、1月4日にパンテオンに移送することを希望している。
はたして、カミュは国家的英雄としてパンテオンに列聖されることになるのであろうか。

カミュ学会のAgnès Pisquel会長は会員たちにメールでこう伝えている。
「先週、メディアから急に取材が来て、その件についての意見を徴されました。みなさんに事前にお諮りできませんでしたので、この意見はあくまで個人的なものです。とっさに答えたことですので、熟慮の末の意見というわけではないことをご理解ください。私の回答は以下の通りです。
カミュはパンテオンの冷たい大理石よりは、ルールマランのラヴェンダーと太陽の方をたぶん好むと思います。けれども、作品のもつ価値が書いた作者自身の意思を超えてしまうことがあるのは仕方がないのかも知れません。だからこそ、カミュはノーベル賞を辞退すべきだとも考えなかったのです。
サルコジはこのあとも粘り強く反対派の説得を続けるでしょう。私自身は家族たちの決定についてその可否を論じる立場にありません(カトリーヌは提案を受諾し、ジャンは拒否しています)。
けれども、視野を広く取って、歴史的な水準で考えるなら、このパンテオン奉祀は象徴的なレベルにおいては誤解とは言い切れないだろうと思います。現に、パンテオンに奉祀された作家たちの多くは反抗的人間たちであったわけですから。
それに、これによって、これから先も、カミュが護ろうとした価値観を万人に繰り返し想起してもらうことができるのだとしたら、それは決して悪いことではありません。
サルコジの名前はいずれ忘れ去られるでしょうけれど、カミュの名は残ります。彼はそれほどやすやすと政治家に『再利用』されるような人間ではありません。(Sarkozy passera, Camus reste ; et il ne se laisse pas facilement récupérer)」
行間から、じわりと風格のにじむご意見である(さすが会長)。
フィニッシュがかっこいいですね(さすがカミュ者)。


どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか

朝日新聞のイシカワ記者が取材に来る。
真珠湾攻撃について歴史的検証を行うという趣向である。
朝日新聞と日本経済新聞には、前に原稿にアヤをつけられて「二度と書きません」と啖呵を切ったはずなのだが、違う部署の知らない記者から寄稿を頼まれると、因縁があったことをころりと忘れて「はいはい」と即答してしまう。
原稿を書いたあとになって「あ、いけね。朝日と日経には書かないことにしてたんだ」と思い出す、ということを何度か繰り返している。
困ったものである。
朝日と日経に書かないことにしたのは、この二紙のデスクが私の原稿に「書き直し」を要求したからである。
朝日は原稿を送る前に「社の方針に合わない内容なら書き直しを要求します」と言われた。日経は原稿を送ったあとに「・・・である」という断定を「・・・であると思う」(だか「・・・だと言われている」)に直せと言われた。
私はべつに両紙の社説を書いているわけではない。自分の名前で書いているのである。
私が両社の世界観に合わないことを書こうと、蓋然性の低い推理をしようと、それは私個人の責任であって、朝日や日経の責任ではない(私のような書き手に発注した不明は彼らの責任だが)。
どうも「書くことの責任」について私とは考え方が違うようなので、この二紙にはもう書かないことにしたのである。
でも、根が忘れっぽいので、出会い頭に発注されると、「は、はい」と原稿を書いて送ってしまうのである。
困った鶏頭である。
イシカワ記者は彼が『AERA』にいた頃からのおつきあいで、平尾剛さんと書いた『合気道とラグビーを貫くもの』という本を作ってもらったご縁がある。
いつもの温顔で登場して、いきなり真珠湾攻撃という軍事作戦の当否について論ぜよと言う。
むずかしいお題である。
とはいえ、こちらも『日本辺境論』を書いた手前もあり、なぜ日本の政策決定システムは定期的に思考停止に陥るかについて持論を述べる。
すべての社会はそれぞれの仕方で「権力の交替」のためのシステムを設計図に書き込んでいる。
「交替させなければならない」権力者は、その定義からして「バカ」であるか「邪悪」であるか、あるいはその両方である。
したがって、彼らは自分たちが「交替させられるべきである」ということに気づいて、進んで身を引くということがない。
それゆえ、持続可能な社会集団であるためには、すべての集団は「バカ」であったり「邪悪」であったりする権力者を、本人たちからのどのような頑強な抵抗があっても権力中枢から排除できるような「見えざる権力交替システム」を内蔵させている。
そのような「見えないシステム」を組み込み忘れた社会集団は長くは生き延びられない。
もっとも洗練された「バカあるいは邪悪な権力者排除システム」をもっているのはアメリカ合衆国である。
これについてはアレクシス・ド・トックヴィルがその炯眼をもって看破しているので、興味のある方は『アメリカのデモクラシー』を繙読せられよ。
しかるに、日本社会における「ワルモノ排除システム」はどのように構造化されているかについては、寡聞にしてこれを主題的に考究した人のあることを知らない。
もちろん、日本にも「ワルモノ排除システム」は存在する(存在しなければとうの昔に地表から日本国は消えているであろう)。
それはどのようなものか。
それは「秀才を権力中枢に集中させる」という手法である。
つねづね申し上げているように、制度の健全はそれを構成する要素の多様性に担保されている。形態、組成、特性、機能を異にする人間的要素が絡み合って混在する社会システムがいちばん負荷にたいする耐性が強い。
均質性の高い個体が集中した部位からシステムは崩壊する。
それを「隙」と言う。
武道では「足が揃った状態」を「隙」と言う。
足が揃った状態にいると動線の選択肢が最小になるからである。
「隙がない」というのは、べつにがちがちにガードを固めているということではなくて、「次にどういう動線を選択するか予測できない」ということである。
だから、「次にどういう動線を選択するか予測が可能である」状態を「隙がある」と言うのである。
言い換えると、システムが局所的につよく均質化すると、それがシステム全体の「隙」になり、そこからシステム・クラッシュが始まるということである。
局所的な過剰な均質化によるシステム崩壊の場合は、とりあえずどこから崩壊が始まるかが事前に予測可能である。
予測可能である限り、システム崩壊はそれほど破局的な事態には至らない。
私たちが求めているのは「バカな、あるいは邪悪な権力者の排除」であって、システムそのものの崩壊ではない。
しかし、権力者はその定義からしてシステムの中枢に、深く巣喰っている。
これ「だけ」を取り出して、システムそのものは最小限の被害にとどめておかなければならない。
肉を切らせて骨を断つ。
そのアクロバティックな課題を解くために日本人が考案したのが、「権力中枢にできるだけバカで邪悪な人間を集めて、そこから先に腐らせる」という手法だったのである。
それを繰り返すことで私たちの国のすべてのシステムはイノベーションを行ってきたのである。
「権力中枢に蝟集するワルモノ」というのは、「お勉強のできる人たち」ということである。
秀才というのは、その定義からして「100点答案」を書くことにしか興味がない。
そういう人たちは「後退局面」とか「負け戦」とか「後始末」とか「負けしろの確保」とかいうことについては対応できない。
というのも彼らは「絶対負けない」ということを信条として、秀才としての自己形成を果たしたわけだからである。
こういう人たちは外交や軍事にはまったく向かない。
東条英機というひとは陸士・陸大卒の秀才であり、100点答案を書く名人ではあったが、軍事的にはまるで無能な人物であった。
それは彼の起草した『戦陣訓』を読めばわかる。
曰く「必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。勝敗は皇国の隆替に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。」
「百戦百勝」は不可能な軍事的事実である。
そんなことは誰でもわかる。
誰でもわかる不可能事を平然と書けるのは、「過去に不可能であった単称言明から、それが未来永劫不可能であるという全称言明は帰納できない」というヒューム的遁辞が用意されているからである。
万分の一でも可能性があれば、「100点の答案」を書きたくなるというのが秀才のピットフォールである。
満州事変以後、太平洋戦争敗戦に至る全行程において、大本営は「これがこうなって、あれがこうなれば、皇軍は完全勝利する」という類の「風が吹けば桶屋が儲かる」式というか「わらしべ長者」式というか、そういう「うまいことだけが選択的に続けば、圧倒的勝利を収めるであろう」的推論だけを行って戦争を遂行した。
これは秀才だけが能くなしうる仕事である。
日露戦争から35年、日本の軍事機構には秀才だけを登用し続け来た。その結果、太平洋戦争開戦時に、日本軍の中枢には、参謀本部にも軍令部にも、もう秀才しか残っていなかった。
真珠湾攻撃は秀才の「100点答案」である。
という話をする。
軍司令部に秀才ばかりを集めてしまうと、そこが過剰に均質化し、遠からず軍が「そこからシステムが崩れる」弱い「環」になることを、おおかたの日本国民は無意識的には察知していたのだと思う。
なにしろ軍事の要諦とは「敵を作らない」ことと「隙を作らない」ことなのであるが、秀才軍人たちは「敵を作ること」と「隙を作る」ことをほとんど本務として職務に邁進したのだから。
無意識的に日本人の多くは「彼らがシステムの一部を滅ぼし、それと同時に彼らも滅びる」ことをかなりの確度で予測もしていたはずである。
けれども、日本人は「そういうやり方」以外に権力者を交替させる方法を知らなかったのである。
日本の権力者交替の手順は昔も今も変わらない。

2009.11.25

商品経済から贈与経済へ

教育関係の取材がある。
学生や若いサラリーマンたちにどうやってコミュニケーション能力をつけたらよろしいのかというテーマである。
別に起死回生の妙手というのはありませんとお答えする。
そう答えたら、片づかない顔をしていた。
誰でもすぐにできるような妙手があれば苦労はない。
コミュニケーション能力というは平たく言えば「生きる力」ということである。
そのようなものを汎用的教育プログラムとして「はいよ」とご提案することは誰にもできない。
ときどき「これさえやればコミュニケーション能力が一気に身につきます」というような「はいよ」本を書いている人がいるが、そういう本を書いている人を信用してはならない。
「信用できる人間」かそうでないかをみきわめるのは「生きる力」のもっとも基礎的なもののひとつであり、このような本を手にとってふらふらと買ってしまう人は、その一点においてすでに「生きる力」の伸びしろが少ないことが露呈してしまうのである。
人間の生きる力を高めるためには、長く、複雑なプロセスが必要であり、「それをひとつ即席で」という要請そのものが、生きる力を育てることを妨げているのである。
訊かれたって、日本の子どもたちが一気にコミュニケーションの達人になるような汎用性の高い教育プログラムがご提案できるはずもない。
繰り返し言っているように、ほんとうにたいせつな仕事は「雪かき」や「どぶさらい」のようなものである。
別に感謝もされないし、誰かに誇るものでもない。
「やらないとまずいよな」と思う人が自分の家の前から始める。
それだけのことである。
大学院のゼミでは「シンプル族」とか「カルチュラル・クリエイティブス」とか「ボボス」とか「ロハス」とかいう新しい消費者マーケットの動向についての発表がある。
新しい消費動向のキーワードは「ギルティフリー」と「サステナブル」。
「ギルティフリー」guilty freeというのは「有責感のない」ということである。
自分が購入した商品はその製造過程・流通過程・廃棄過程のどこにおいても「悪いこと」(熱帯雨林の破壊とか、有害物質の垂れ流しとか、第三世界住民の収奪とか、産業廃棄物による環境破壊とか)に加担していないので、それを購入した自分の手が白いことにほっとするような商品がギルティフリーであるらしい(たぶん)。
サステナブルはわかりますね。
「持続可能性」sustainablityというのは「環境負荷が限界を超えない程度にちょっとずつ自然から富を取り出す」ことである。
前にも使った比喩だが、サラ金から多額の借金をかかえこんだ債務者を債鬼たちが取り囲んで「ぶっ殺すぞ、こら」と凄んでいるときに訳知りのオヤジが出てきて、「まあまあ、ここでこいつを殺しちゃったんじゃ元も子もない。どうでうみなさん、こいつはしばらく生かしておいて、ちょっとずつでも返済させることにすりゃ」と取りなす・・・というような情景を思い浮かべていただけばよろしいかと思う。
そういう商品が売れる、と。
なるほど。
悪いことではないが、それでも「どのような商品を選択するかによって、消費者のアイデンティティが基礎づけられる」という象徴価値イデオロギーそのものは手つかずのまま生き延びている。
今さらの説明だが、商品の価値は三つの形態をとる。
第一のものは使用価値。
これは商品そのものに内在している機能であり、誰が持っていても、どこにあっても変化しない。
タワシの使用価値は「それで鍋を洗うことができる」ということであり、これはタワシ本体に内在しており、(鍋を洗いすぎてタワシが損耗するまで)変化しない。
第二のものは交換価値。
これは商品そのものに内在している機能や性質とかかかわりなく、それに対する需要と供給の関係で決定する。
「猫に小判」「豚に真珠」という東西の俚諺が教えるように、需要のないところでは「そことは違う場所」ではどれほど貴重なものであっても無価値である。
人外魔境で、暖を取るために札束をじゃんじゃん燃やす場面がときどきあるが、それが交換価値の図像的表現だと申し上げてよろしいであろう。
『イルザ シベリア女収容所 悪魔のリンチ集団』ではダイアン・ソーンが、『クリフハンガー』ではシルヴェスター・スタローンが景気よく札束を燃やしているが、この人たちを観ていると交換価値についてよりはむしろ「世の中には金の価値がわからないタイプの人間がいる」ことの方が身にしみるような気がするのは偏見であろうか。
第三のものが象徴価値。
これは「所有者の所属階層を指示する記号的機能をもつ」商品の価値である。
後期資本主義社会では、市場を行き来する商品の90%は使用価値でも交換価値でもなく、象徴価値に基づいて値付けされている。
象徴価値とは平たく言えば「アイデンティティ指示機能」のことである。
どういう商品を持っていると、所有者が「何もの」であるかがわかる。
フェラーリとか、自家用ジェット機とか、外洋クルーザーとかを持っていて、誇示している人間は「金持ちで、趣味が悪い」ということがわかる。
そういう指示機能のことである。
1980年代から以降の経済活動はほとんどがこの「アイデンティティ基礎づけのための消費」に依存するようになった。
「名刺代わり」「表札代わり」に消費行動を行う圧倒的な数の消費者のニーズに依存して、後期資本主義社会は栄えたのである。
環境破壊と資源枯渇と先進国における人口減と金融ゲームの破綻によって、「資本主義市場経済の弔鐘」が耳障りな音を立てて鳴りだしても、消費活動を「アイデンティティ基礎づけ」的なものとして進めようとする諸君の頭のつくりは急には変わらない。
アイデンティティというのは幻想だからである。
消費主体が生理的欲求や物質的必要に基づいて消費している限り、人間の消費活動には限界がある。
どれほど卑しい人間でも、1日5食6食食べ続けることはできないし、服だって一度に一着しか着られない。
人間の身体が消費活動を限界づける。
しかし、消費主体が「自分は何ものか?」という幻想構築のために消費するようになれば、消費活動には原理的に限界がない。
ギルティフリーにしてもサステナブルにしても、それが消費主体のアイデンティティ構築にかかわる限り、「これで終わり」ということはない。
タワシは一家に2つもあれば足りるが、人間が「私はあらゆる罪から免れている」ということを立証するために消費活動を行うならば、購入すべき商品に「これで、おしまい」ということはない。
「あなた、まだそんな環境にやさしくない商品を使っているの!」という隣人からの批判に屈服して次の「さらに環境にやさしい商品」に乗り換えることを「サステナビリティ・コンシャスネス」の高い消費者は永遠に止めることができない。
だが、そうやって「環境にやさしい商品」を大量生産・大量流通させ、「環境にやさしくない商品」を大量廃棄することそれ自体が「環境にやさしくない」行動だということは彼らの意識には前景化しないのである。
だから、消費行動が変わったと言っても、基本的なスキームは変わっていない。
大学院のゼミの後期のテーマは「日本再生」であるので、もちろん、「基本的なスキームは変わっていない」で話が済むはずはない。
経済活動を再生させるにはどうしたらよろしいのか。
それは論理的には、資源の枯渇、人口の抑制、市場の縮小という条件に適応する経済活動へシフトすることである。
別にむずかしいことではない。
人類史の黎明期から数万年はずっと「それ」でやってきたのだから。
それは「商品交換」から「贈与」に経済活動の基本行動を置き換えることである。
「商品経済」から「贈与経済」へ。
これについてはまたいずれ詳細に論じる機会があるであろう。

2009.11.28

寛也さんが来た

水曜日は鶴澤寛也さんの講演とワークショップ。
寛也さんは今年の4月のアートマネジメント副専攻のインターンシップの受け入れ先を矢内賢二さんに探してもらったときに、「渡りに船」というか「地獄で仏」というか、そういうタイミングでインターン生たちを受け容れてくださった方である。
当日、私は別の仕事があって、打ち上げの席に後から参加して、そのときはじめてお目にかかったのである。
江戸前の、まことに粋な方で、私は衝撃のあまりブログ日記に「玲瓏なる美女」と、ふだんあまり用いない形容詞を動員したほどであった。
そのときに、今度『考える人』のインタビューに出てくださいとお願いしたらご快諾いただき、『考える人』のときには、今度大学に来てワークショップしてくださいとお願いしたらご快諾いただき・・・というふうに「とんとん」と話がまとまってその日を迎えたのである。
ワークショップにはもう少し学生たちが集まってくれるとよかったのだけれど、集まってくれた諸君は寛也さんの切れ味のいいトークとダイナミックな奏楽にふかく感銘を受けていた。
キャリアデザインプログラムの一つのねらいは「キャンパスではまずお目にかかることのない職業の方」にお越しいただき、「働くこと」の拡がりと奥の深さを、その「たたずまい」を通じて感じてもらうことであった。
津田塾の数学科を出てから芸の道に入った寛也さんは学生たちにとってのつよい指南力をもったロールモデルとなりえるだろうと思う。
義太夫に限らない。「これだ」と思ったら、逡巡せずに一気に飛び込む。「これで生活できるだろうか」とか「世間体はどうであろうか」とか、そういうことは考えずに、一気に飛び込むというのがキャリア形成の基本である。
はじめから「堅実で有利な職業選択」をしようとするような賢しらがむしろピットフォールなのである。
直感を信じなきゃダメよ。
ワークショップにご協力いただきました教務課のみなさまはじめ学生院生諸君にお礼申し上げます。
寛也さんをそのあと並木屋へお連れして、ご一献差し上げる。
並木屋の大将が寛也さんを見て、お仕事は?と訊いて、女流義太夫と聴いて、深く頷いていた。私のような無粋な男がどうして粋筋の人を連れているのか理解に苦しんだせいであろう。
美女を前にして、大将の握り方もいつもよりもだいぶ気合が入っていたようである。
おかげで美味しいお寿司が食べられた。
お寿司を食べ、燗酒を酌み交わしつつ、橋本治さん、矢内賢二さんなど共通の友人知人について語り合う。
先週の大貫妙子さんのときもそうだったけれど、「ええ、あの人、知ってるの?」的発見が多い。見えざる糸によって、「ある種の人々」がある一点に引き寄せられているのかも知れない。

木曜日は福岡日帰りツァー。
福岡女学院高校で保護者と教職員、生徒諸君を相手に「ほんとうの教育とは」というお題でお話しをする。
福岡女学院高校はミッションスクールで、音楽の専攻があり、自由な校風が本学に通じるものがあって、居心地のよい学校であった。
そもそも私のような人間を呼んで、話を生徒に聴かせてしまうという決断が無謀というか剛胆である。
校長の高島一路先生(大変スマートな先生で、昔何度かお会いしたことのある戸井十月さんとあまりに似ているので、「もしかして、ご兄弟ですか」と訊きたくなるのを抑制するのに一苦労した)と教頭の水野光先生(この方が「無謀というよりは剛胆」な本企画の立案者のようである)と進路指導の藤義幸先生とご挨拶ののち教育の現状について意見交換しているうちに時間となって会場へ。
保護者のお母さんたちが多いので、ほっとする。
どういうわけか私の諧謔は女性聴衆にはわりと受けるのであるが、中高年男性は「くすり」ともしないということが多い。
会場からは「女性の笑い声」だけしか聞こえないということもよくある。
私の「おばさんキャラ」が彼女たちの共感を呼ぶのであろうか。
「おばさんキャラ」というのは、「歯に衣着せぬ」ことと「話にとりとめがない」ことである。
ゼミ生たちと話していて感じることは、彼女たちは「話に脈絡がないこと」をまったく苦にしないということである。
それよりも会話中のあるキーワードが「フック」して、そこから話が横滑りし始めるときの「逸脱感」のほうを愛するのである。
だから、「で、話をもとに戻すと」と言うと、ひそやかな落胆の色が彼女たちの眼には浮かぶのを私は見逃さぬのである。
私は根が「おばさん」なので、ひたすらおもいつき的おしゃべりを続けていたいのだが、講演では一応お題も頂いているし、保護者のお母様たちも果てしない逸脱を愛するわりには「で、今日の夜から、子どもたちにはどう接すればいいのでしょう」というきわめて短期的かつ実用的なアドバイスも同時に要求されるので、それにもお答えせねばならぬ。
教育の目的は子どもを成熟させることであり、成熟とは、「どうふるまっていいかについてのガイドラインがない状況にも対応できる能力」のことであるという「いつものお話し」をする。
それは対人関係においては「その人がなにを求めているのか」を言い当てることである。状況においては「その状況がどこからどこへ向かおうとしているのか」、文脈と趨勢を言い当てることである。
この能力を涵養するためには経験知を蓄積するだけでは足りない。
自分の経験にはおのずと限界があるからである。
他人の経験もまたおのれの経験知に取り込む必要がある。
自分の中には自生していない想念や感情、欲望や考想は「取り込む」必要がある。
「取り込む」というのは分類したり標本化したりすることではない。
それを内側から「生きる」ことである。
「感情移入」といってもいい。
物語を読むのも、他人の話を聴くのも、他人の人生を内側から生きるための好個の機会である。
「感情移入」という言い方をすると、私の「感情」だけが身体をするりと抜け出して、他人の身体に入り込み、その感情に同調する、というような風景を想像する人がいるかもしれないが、それは誤りである。
感情移入といったって、感情だけなんか取り出すことは人間にはできない。
あらゆる感情は身体経験を随伴している。
感情は眼に見えないし、手では触れられないが、身体経験の多くは眼で見えるし、手で触れることができる。
それゆえ「再演」することができる。
感情移入とはなによりもまず他人の内側で起きていることを身体的に再演することから始まる。
そこからしか始まらない。
場合によってはそこで終わる。
それでもよいと私は思っている。
書物を読むというのは理想的にはその書き手の思考や感情に同調することであるけれど、よほどの幸運に恵まれないかぎり、そんなことは起きない。
私たちにできるのは、文字を読むことと音声を聴くことだけである。
書き手の脳内に何が起きたのかを知ることはきわめて困難であるけれど、書き手がその文字を書き記していたリアルタイムにおいて書き手が「その文字」を視認し、「その音声」を聴取していたことはまちがいない。
その文字を見つめ、音を聴く限り、読み手と書き手は「同じ経験」を共有している。
「作者は何が言いたいのか?」というようなメタレベルに移行した瞬間に、「同じ経験」の場から私たちは離脱してしまう。
あらゆる感情移入はまず身体的体験の同調から始まるべきだと私は思う。
そのためには「理解する」や「解釈する」や「批判する」より先に「見る」と「聴く」にリソースを集中すべきだと私は思っている。
たいせつなのは外部からの入力を自分の脳内に回収して、分類し、整序してしまうより前に、手つかずの外部入力「そのもの」に、「生」の入力情報に、身体的に同調してみることだと思う。
そのようにして経験知をゆっくり積み増ししてゆくことが教育の基本だろうと私は思っている。
成熟するとは要するに「さまざまな価値や意味を考量できる多様なものさしを使いこなせる」ということである。
そのような「複数のものさしの使いこなし」は「単一のものさし」をあてがって万象を考量しようとする「オレ様」的態度とはついに無縁のものである。
子どもは最初一つの「ものさし」しか持っていない。
生理的に快か不快か、それだけである。
それ以外の「ものさし」はひとつずつ自作するしかない。
現実原則についてフロイトが言ったように、「短期的には生理的に不快であるが、少し長いスパンで考えると、安定的に高い快をもたらすもの」を考量できるようになると「次のものさし」が手に入る。
それを空間的・時間的に拡大してゆく。
そして、やがて「自分にとっては不快であるが、同時的に存在する多くの人々に安定的に高い快をもたらすもの」や「自分が死んだあとに未来の人々に安定的に高い快をもたらすもの」を「自分の快」に算入できるようになる。
それが「だいぶ大人になった」ということである。
教育は子どもたちの自己利益の拡大のための機会ではない。
それは子どもたちを成熟させるための機会なのである。
というような話をする(だいぶ違うけど)。
そのあと懇談会。
かなりシビアな話題が出る(引きこもりやクレーマー親などというリアルな問題)。
どの問題も対応策は「縮尺を変えて見る」ということに尽きるようである。
引きこもりやクレーマー親は「問題」であるというよりは、むしろ別の問題の「ソリューション」として選択されているのである。
彼らがそれを解決することを忌避している「別の問題」が何であるかを見つけ出さなければならない。
「ソリューション」は解決できない。
私たちが解決できるのは「問題」だけである。


2009.11.30

こぶとりじいさんと化す

金曜の午後歯を抜いた(これで8月から14本目)。
そしたら、歯茎が炎症を起こしたらしく、腫れて来た。
朝起きたら、頬がぷっくりふくれている。
『あしながおじさん』に歯が痛くて顔を腫らしているジェリューシャ・アボットのマンガがあるが、それにそっくりである。
でも、仕事は待ってくれない。
『現代霊性論』の校正締め切りが月末ですよと加藤さんからリマインダーが入る。
げ。
あと二日しかないではないか。
忘れていた私が悪いのであるが、覚えていたとしてもやる時間がなかったという事実に変わりはないので、反省しても仕方がない。
困った。
月曜締め切りの原稿も二本ある。
書いてない。
どうしよう。
困った。
しかし、頬を腫れ上がらせた男はこれから京都に行かねばならぬのである。
日本ユダヤ学会関西例会。これは休む訳にはゆかない。
もう学会といえば、これしか入っていないのである。
これをさぼるようになったら、もう学者とは言えない。
同志社女子大で宮澤先生、石川先生、大内先生、高尾さん、市川先生ら、旧知の会員たちにお会いしてご挨拶する。
最初に早稲田の社研の研究会を訪れたのは、助手になったばかりのころであるから、1983、4年のことである。
ずいぶん昔の話である。
私が最初にモレス侯爵の事績について発表をしたとき、聴衆はたしか4人だった。
小林先生と、安斉先生と、大内先生と、あと誰だったろう。
とにかくジュラ紀的過去のことである。
最近、日本ユダや学会には若い研究者の入会者が続いている。
大学院でタルムードとかカバラーとかハシディズムとか研究する若者がいるのである。
私がユダヤ研究をぽつぽつと始めた頃とはずいぶん風向きが違う。
最初の発表者は若い東大の院生で、お題は「シャブタイ派思想の反律法主義とその再考 ガザのナタンの規範主義と反規範主義」。
むかしは「サバタイ派」と呼んでいたが、イスラエルに留学して、現地で学位を取ってくるような若者が増えると、読み方もちゃんと原音に近くなるのであろう。
「鯖鯛」から「しゃぶ鯛」へ。
そのしゃぶ鯛・ツヴィはメシアを名乗って、当時の全世界のユダヤ人たちの希望を一身に担って約束の地に向かったのだが、途中でトルコ帝国にとらえられて、イスラムに改宗してしまった。
17世紀の話である。
それから100年くらいあとにもポーランドのヤコブ・フランクがメシアを名乗りやはり全ヨーロッパのユダヤ人たちの希望を一身に担って約束の地をめざしたが、途中でカトリックに改宗してしまった。
それから100年くらい後に、エレツ・イスラエルに約束の地を作り出そうとする全世界のユダヤ人の希望を一身に担った運動があったのだが、途中で「ふつうの国民国家づくり」に「改宗」してしまった。
ユダヤ人というのは、その聖史的召命が成就して、民族集団として「上がり」になりそうになると、それをひっくり返して「元の木阿弥」にするということを定期的にする民族集団のようである。
おそらくそのようなふるまいそのものが彼らのナショナル・アイデンティティを形成しているのであろう。
それにしても東大の大学院でカバラーの研究ができる時代なのである。
この学的多様性の展開は素直に言祝ぐべきであろう。
学会後、「きよす」にて、いつものしゃぶしゃぶ。
石川耕一郎先生、大内宏先生と、三杉圭子先生と同席になる。
石川先生は退官されるまで「かっちゃん」の大学で哲学を教えていた。学部長もされたはずである。
かっちゃんとは高校のときの同級生なんですよ、「世間は狭いですね」という話をしみじみとする。
京都からそのまま爆睡しながら東京へ移動、学士会館泊。
朝起きるとほっぺたがぷっくら腫れて、ところどころ黒ずんで、おまけに垂れ下がっている。
なんだか凄い容貌となった。
ほとんど「こぶとりじいさん」である。
困った。
午前中に『東洋経済』と『週刊現代』の取材がある。
写真も撮るというので、ほっぺを抑えて「考える人のポーズ」をとってごまかす。
どちらも『日本辺境論』の取材。
これはいったいどういうメッセージの本なのですか、とみなさんから訊ねられる。
毎度同じ答えでも曲がないので、そのつど違うことを答える。
『現代』の方の取材は大越くんなので、話が早い。
最後にアンケートをされるが、これが難物であった。
いちばん好きな食べ物は何ですか?
いちばん嫌いな食べ物は何ですか?
いちばん好きな映画は何ですか?
いちばん好きな音楽は何ですか?
いちばん心に残っている本は何ですか?
いちばん大切にしている時間はどんなときですか?
いちばん好きな言葉は何ですか?
いちばん好きな場所はどこですか?
人生いちばんの思い出は何ですか?
これからのいちばんの楽しみは何ですか?
あなたはこのような問いに即答することができるであろうか。
私にはできぬ。
「人生いちばんの思い出」なんて言えるわけがない。
このアンケートの根本にある「人間は変わらない」という人間観に私は同意することができない。
実際には私たちは一日ごとに(もっと速く)変わる。
好きな食べ物だって、歯の状態が悪くなったら一変した(ビーフジャーキーとタコ煎餅とスルメとフランスパンは8月以降「私の好きな食べ物」ではなくなった)。
好きな本だって音楽だって、オリコンチャートより速く入れ替わる。
好きなものがたちまちのうちに変わるのが人間である。
忘れがたい出来事だって、どんどん変わる。
「11月29日現在の」というふうに限定的に訊くなら、わかる。
「明日訊かれたら全部違う答えになるように答えてくれ」と言われたら、「ナイスなアンケートだ」と思うだろうけど。
その場合の回答は次の通り
いちばん好きな食べ物は何ですか?
湯豆腐
いちばん嫌いな食べ物は何ですか?
グミ
いちばん好きな映画は何ですか?
「イングロリアス・バスターズ」(まだ見てないけど)
いちばん好きな音楽は何ですか?
Hello, my friend(稲垣潤一&高橋洋子)(さっき聴いた)
いちばん心に残っている本は何ですか?
『点と線』(前の晩読み終えた)
いちばん大切にしている時間はどんなときですか?
寝ているとき
いちばん好きな言葉は何ですか?
「はい、これで終わりです。もうお帰りになっていいですよ」
いちばん好きな場所はどこですか?
BMWの中
人生いちばんの思い出は何ですか?
歯医者で歯を14本抜かれたこと
これからのいちばんの楽しみは何ですか?
京王プラザの多田先生の傘寿のお祝いで、同門の諸君と会うこと。
というわけで、京王プラザに移動して、多田宏先生の傘寿ならびに植芝道場入門60周年記念の会に向かう。
ホテルのあちこちで同門のみなさんにご挨拶する。
いちいち「その顔どうしたんですか?」と訊かれる。
金曜日に歯を抜いたら、こんなになっちゃったんだよ。
多田先生を囲んで、まことに心温まる祝宴。
参加する350人全員が多田先生のことを敬愛していて、その賀宴に連なることを心から喜んでいる。
だから、道主の祝辞のほかにはスピーチも出し物もほとんどない(梶浦さんの「アブラハム」と気錬会の「婚約発表」はあったが)。
それより、ひたすらおしゃべりしている。
挨拶をして、おしゃべりしたい相手が際限なくいるのである。
多田先生の門人であったことが自分の世界をどれくらい拡げてくれたか、そのことへの感謝の思いを新たにする。
「次は米寿で!」という坪井先輩の呼びかけにみんなが歓呼で答えた。

その後、「こぶとり」症状は歯茎ではなく、治療のときに思い切りほっぺたを横にひっぱったせいで頬の毛細血管がぶちぎれたせいであると判明。
歯茎の病気ではなくて、ほっぺたの怪我だった。
まだ痛いけど、ほっとする。

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