こぶとりじいさんと化す

2009-11-30 lundi

金曜の午後歯を抜いた(これで8月から14本目)。
そしたら、歯茎が炎症を起こしたらしく、腫れて来た。
朝起きたら、頬がぷっくりふくれている。
『あしながおじさん』に歯が痛くて顔を腫らしているジェリューシャ・アボットのマンガがあるが、それにそっくりである。
でも、仕事は待ってくれない。
『現代霊性論』の校正締め切りが月末ですよと加藤さんからリマインダーが入る。
げ。
あと二日しかないではないか。
忘れていた私が悪いのであるが、覚えていたとしてもやる時間がなかったという事実に変わりはないので、反省しても仕方がない。
困った。
月曜締め切りの原稿も二本ある。
書いてない。
どうしよう。
困った。
しかし、頬を腫れ上がらせた男はこれから京都に行かねばならぬのである。
日本ユダヤ学会関西例会。これは休む訳にはゆかない。
もう学会といえば、これしか入っていないのである。
これをさぼるようになったら、もう学者とは言えない。
同志社女子大で宮澤先生、石川先生、大内先生、高尾さん、市川先生ら、旧知の会員たちにお会いしてご挨拶する。
最初に早稲田の社研の研究会を訪れたのは、助手になったばかりのころであるから、1983、4年のことである。
ずいぶん昔の話である。
私が最初にモレス侯爵の事績について発表をしたとき、聴衆はたしか4人だった。
小林先生と、安斉先生と、大内先生と、あと誰だったろう。
とにかくジュラ紀的過去のことである。
最近、日本ユダや学会には若い研究者の入会者が続いている。
大学院でタルムードとかカバラーとかハシディズムとか研究する若者がいるのである。
私がユダヤ研究をぽつぽつと始めた頃とはずいぶん風向きが違う。
最初の発表者は若い東大の院生で、お題は「シャブタイ派思想の反律法主義とその再考 ガザのナタンの規範主義と反規範主義」。
むかしは「サバタイ派」と呼んでいたが、イスラエルに留学して、現地で学位を取ってくるような若者が増えると、読み方もちゃんと原音に近くなるのであろう。
「鯖鯛」から「しゃぶ鯛」へ。
そのしゃぶ鯛・ツヴィはメシアを名乗って、当時の全世界のユダヤ人たちの希望を一身に担って約束の地に向かったのだが、途中でトルコ帝国にとらえられて、イスラムに改宗してしまった。
17世紀の話である。
それから100年くらいあとにもポーランドのヤコブ・フランクがメシアを名乗りやはり全ヨーロッパのユダヤ人たちの希望を一身に担って約束の地をめざしたが、途中でカトリックに改宗してしまった。
それから100年くらい後に、エレツ・イスラエルに約束の地を作り出そうとする全世界のユダヤ人の希望を一身に担った運動があったのだが、途中で「ふつうの国民国家づくり」に「改宗」してしまった。
ユダヤ人というのは、その聖史的召命が成就して、民族集団として「上がり」になりそうになると、それをひっくり返して「元の木阿弥」にするということを定期的にする民族集団のようである。
おそらくそのようなふるまいそのものが彼らのナショナル・アイデンティティを形成しているのであろう。
それにしても東大の大学院でカバラーの研究ができる時代なのである。
この学的多様性の展開は素直に言祝ぐべきであろう。
学会後、「きよす」にて、いつものしゃぶしゃぶ。
石川耕一郎先生、大内宏先生と、三杉圭子先生と同席になる。
石川先生は退官されるまで「かっちゃん」の大学で哲学を教えていた。学部長もされたはずである。
かっちゃんとは高校のときの同級生なんですよ、「世間は狭いですね」という話をしみじみとする。

京都からそのまま爆睡しながら東京へ移動、学士会館泊。
朝起きるとほっぺたがぷっくら腫れて、ところどころ黒ずんで、おまけに垂れ下がっている。
なんだか凄い容貌となった。
ほとんど「こぶとりじいさん」である。
困った。
午前中に『東洋経済』と『週刊現代』の取材がある。
写真も撮るというので、ほっぺを抑えて「考える人のポーズ」をとってごまかす。
どちらも『日本辺境論』の取材。
これはいったいどういうメッセージの本なのですか、とみなさんから訊ねられる。
毎度同じ答えでも曲がないので、そのつど違うことを答える。
『現代』の方の取材は大越くんなので、話が早い。
最後にアンケートをされるが、これが難物であった。

いちばん好きな食べ物は何ですか?
いちばん嫌いな食べ物は何ですか?
いちばん好きな映画は何ですか?
いちばん好きな音楽は何ですか?
いちばん心に残っている本は何ですか?
いちばん大切にしている時間はどんなときですか?
いちばん好きな言葉は何ですか?
いちばん好きな場所はどこですか?
人生いちばんの思い出は何ですか?
これからのいちばんの楽しみは何ですか?

あなたはこのような問いに即答することができるであろうか。
私にはできぬ。
「人生いちばんの思い出」なんて言えるわけがない。
このアンケートの根本にある「人間は変わらない」という人間観に私は同意することができない。
実際には私たちは一日ごとに(もっと速く)変わる。
好きな食べ物だって、歯の状態が悪くなったら一変した(ビーフジャーキーとタコ煎餅とスルメとフランスパンは8月以降「私の好きな食べ物」ではなくなった)。
好きな本だって音楽だって、オリコンチャートより速く入れ替わる。
好きなものがたちまちのうちに変わるのが人間である。
忘れがたい出来事だって、どんどん変わる。
「11月29日現在の」というふうに限定的に訊くなら、わかる。
「明日訊かれたら全部違う答えになるように答えてくれ」と言われたら、「ナイスなアンケートだ」と思うだろうけど。
その場合の回答は次の通り

いちばん好きな食べ物は何ですか?
湯豆腐
いちばん嫌いな食べ物は何ですか?
グミ
いちばん好きな映画は何ですか?
「イングロリアス・バスターズ」(まだ見てないけど)
いちばん好きな音楽は何ですか?
Hello, my friend(稲垣潤一&高橋洋子)(さっき聴いた)
いちばん心に残っている本は何ですか?
『点と線』(前の晩読み終えた)
いちばん大切にしている時間はどんなときですか?
寝ているとき
いちばん好きな言葉は何ですか?
「はい、これで終わりです。もうお帰りになっていいですよ」
いちばん好きな場所はどこですか?
BMW の中
人生いちばんの思い出は何ですか?
歯医者で歯を14本抜かれたこと
これからのいちばんの楽しみは何ですか?
京王プラザの多田先生の傘寿のお祝いで、同門の諸君と会うこと。

というわけで、京王プラザに移動して、多田宏先生の傘寿ならびに植芝道場入門60周年記念の会に向かう。
ホテルのあちこちで同門のみなさんにご挨拶する。
いちいち「その顔どうしたんですか?」と訊かれる。
金曜日に歯を抜いたら、こんなになっちゃったんだよ。
多田先生を囲んで、まことに心温まる祝宴。
参加する350人全員が多田先生のことを敬愛していて、その賀宴に連なることを心から喜んでいる。
だから、道主の祝辞のほかにはスピーチも出し物もほとんどない(梶浦さんの「アブラハム」と気錬会の「婚約発表」はあったが)。
それより、ひたすらおしゃべりしている。
挨拶をして、おしゃべりしたい相手が際限なくいるのである。
多田先生の門人であったことが自分の世界をどれくらい拡げてくれたか、そのことへの感謝の思いを新たにする。
「次は米寿で!」という坪井先輩の呼びかけにみんなが歓呼で答えた。

その後、「こぶとり」症状は歯茎ではなく、治療のときに思い切りほっぺたを横にひっぱったせいで頬の毛細血管がぶちぎれたせいであると判明。
歯茎の病気ではなくて、ほっぺたの怪我だった。
まだ痛いけど、ほっとする。
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