懐かしい人たち

2009-11-02 lundi

山本浩二画伯が「死の淵」より甦り、さっそく甲南麻雀連盟では奉祝麻雀大会を開催した。
その二半荘目早々に、「ロン! 親満だけ」の声が響きわたり、満座は一瞬の静寂ののち、喝采の拍手で包まれた。
「画伯、生還おめでとう!」の嗚咽まじりの声がそこここに聞こえた。
その「嗚咽まじりの声」が「自摸! 役満だけ!」の画伯の宣言のあと、悲嘆の悲鳴に変わるまでに長い時間は要さなかったのであるが。
そんな画伯のすばらしいミラノ個展の様子をパリ在住の写真家宮本敏明さんがアップしてくれたので見ることができる。
すばらしい作品(そしてすばらしい写真)である。
http://pagesperso-orange.fr/sweep/milano001
「画伯を個室に入れる会」には甲南麻雀連盟会員と浜松支部から合計60万円の義捐金が寄せられた。
会員諸兄諸姉のご厚情に重ねてお礼を申し上げるのである。

日曜日はその前、朝から朝カルで池谷裕二さんと対談。
今週、これで講演は三回目(人前でしゃべるのは関川さんのときの飛び入りを入れると四回目)である。
池谷さんとは以前 PHP の仕事で対談したことがある。
池谷さんはものすごく頭の回転の速い人で、横にいると「ぶうん」と脳の回転音が聞こえるくらいである。
この回転音は若い人に固有のものであって(最近では、神戸大学の岩田健太郎教授と話しているときに聞こえた)、不思議なもので40を過ぎるころから、だんだん聞こえなくなる。
頭髪の量とか、腹回りの脂肪の厚みとか、そういうものと関係があるのかもしれない。
とにかく池谷さんと話していると、その滑舌のよい早口に生理的に気分が高揚する。全盛期の立川談志の高座を聴いているようである。
前回と同じくパンクチュアルな二人とも早めに着くので、控え室で、こんにちはお元気ですか〜遠くからども〜からたちまちスーパースピードでトークがスタート。
そのまま登壇して、「で、さっきの話の続きですけど」と、科学研究における評価活動の無意味さ(というよりは積極的な有害性)について語り始める。さらに記憶について、アナグラムについて、「カメラ目」について、例の如く、居酒屋のカウンターで二人並んで座って話しているのを、会場のみなさんに横で聴いていただくという趣向のものである。
あっというまに90分が経ってしまう。
またこの続きをやりましょうねとお約束して、東京に帰る池谷さんと担当編集者の朝日出版の赤井茂樹さんをお見送りする。
その赤井さんとは四半世紀ぶりくらいにお会いした。
むかしは平社員だった赤井さんも今は常務取締役である。
邯鄲の夢枕くらいに高速で時間は経過するものである。
赤井さんとは、80 年代の始め頃に『エピステーメー』でレヴィナス特集をやるときに、院の先輩の西谷修さんのご紹介で知り合った。
レヴィナスの未訳稿を翻訳する仕事が終わって、原稿をお渡しするときに、渋谷の喫茶店でお茶をしながら、「現代思想のプレゼンテーションの仕方はもっとリーダーフレンドリーで、生活実感に身に添うものじゃないとダメですよ」ということを言ったのを覚えている。
『エピステーメー』とか『ユリイカ』とか『現代思想』とかかっこつけ過ぎですよ。もっと泥臭くていいじゃないですか。ほんとうに重要な思想は、ぼくたちのこの日常にダイレクトに繋がる知見を含んでいるんだから、内輪のパーティみたいなことをしていたら、ダメですってば・・・と渋谷東急の一階の喫茶店で、高架を走る東横線を見ながら赤井さんに力説した。
赤井さんは「そうですよね」と真剣に頷いていたけれど、われわれは若く、あまりに非力であり、80 年代以降の現代思想のプレゼンテーションは結局、「内輪のパーティ」に終始して、そのうちに誰にも相手にされなくなってしまったのである。
遠い昔の話である。
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