カミュのパンテオン奉祀について

2009-11-24 mardi

カミュ研究会の三野さんからメールが来て、サルコジ大統領がアルベール・カミュの遺骸を墓所のあるルールマランからパンテオンに移送するという提案をしているという話を教えてもらった。
貼り付けてあった11月21日の『ル・モンド』の記事から

「ニコラ・サルコジは50年前に死んだアルベールカミュの遺骸を2010年初めにパンテオンに移送する意向である。
しかし、今のところこの意向は作家の子息ジャン・カミュの拒絶によって頓挫している。関係者によると、ジャン・カミュはこのような決定は『反抗的人間』の著者の生き方とまったく『逆方向』のものであると考えている。」
もう一人の遺児、カトリーヌ・カミュはパンテオンに父が奉祀されることには反対していない。
サルコジ大統領はカミュの50年目の命日、1月4日にパンテオンに移送することを希望している。
はたして、カミュは国家的英雄としてパンテオンに列聖されることになるのであろうか。
カミュ学会の Agnès Pisquel 会長は会員たちにメールでこう伝えている。

「先週、メディアから急に取材が来て、その件についての意見を徴されました。みなさんに事前にお諮りできませんでしたので、この意見はあくまで個人的なものです。とっさに答えたことですので、熟慮の末の意見というわけではないことをご理解ください。私の回答は以下の通りです。

カミュはパンテオンの冷たい大理石よりは、ルールマランのラヴェンダーと太陽の方をたぶん好むと思います。けれども、作品のもつ価値が書いた作者自身の意思を超えてしまうことがあるのは仕方がないのかも知れません。だからこそ、カミュはノーベル賞を辞退すべきだとも考えなかったのです。
サルコジはこのあとも粘り強く反対派の説得を続けるでしょう。私自身は家族たちの決定についてその可否を論じる立場にありません(カトリーヌは提案を受諾し、ジャンは拒否しています)。
けれども、視野を広く取って、歴史的な水準で考えるなら、このパンテオン奉祀は象徴的なレベルにおいては誤解とは言い切れないだろうと思います。現に、パンテオンに奉祀された作家たちの多くは反抗的人間たちであったわけですから。
それに、これによって、これから先も、カミュが護ろうとした価値観を万人に繰り返し想起してもらうことができるのだとしたら、それは決して悪いことではありません。
サルコジの名前はいずれ忘れ去られるでしょうけれど、カミュの名は残ります。彼はそれほどやすやすと政治家に『再利用』されるような人間ではありません。(Sarkozy passera, Camus reste ; et il ne se laisse pas facilement récupérer)」

行間から、じわりと風格のにじむご意見である(さすが会長)。
フィニッシュがかっこいいですね(さすがカミュ者)。
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