河内小阪から梅田を経由して築地へ

2009-11-11 mercredi

ああ〜授業をさぼって。日のあたる場所に、いたんだよ。
というのは嘘で、授業はさぼったけれど、行った先は近畿大学文芸学部の教室である。
私は原則として自分の授業を休んで、学外の仕事をするということはしないのであるが、どういうわけだかこの仕事は引き受けてしまった。
引き受けたときにどういう経緯があったのか、遠い昔のことなので、覚えていない。
だが、約束した以上は行かねばならぬ。
讀賣新聞と近畿大学のジョイントのイベントで、お世話いただいた讀賣の山内さんと文芸学部の浅野洋・佐藤秀明両先生にご挨拶。
お題は「教養なき時代の読書」。
そういうテーマならお話しすることはある。
こういうときに「教養とは何か?」という問いかけから入るのが常道であるが、それをするのはシロート。
こういう場合はむしろその語の一義的意味について合意されていると信じられているキーワードについて、「その定義でよろしいのか?」と一段手前から話をし始めるのが批評の骨法である。
だから問いはこう立てられねばならない。
「読書とは何か?」
マンガを読むことは読書と言えるか?
電車の中吊り広告を読むのは読書と言えるか?
海苔の佃煮のラベルを読むのは読書と言えるか?
レストランのメニューを見るのは読書と言えるか?
テレビのヴァラエティ番組で下に出るテロップを読むのは読書と言えるか?
洋画の字幕を読むのは読書と言えるか?
字をまだ知らない子どもが新聞をじっと見つめているのは読書と言えるか?
おそらく多くの人たちはこれらを「読書」とは呼ばぬであろう。
だが、私はこれらはひとしく「読書」と呼ばれねばらないと思うのである。
「読書」は重層的な構造をもっており、さまざまな身体器官がこれに関与している。
読書行為に関与するどれかの器官が言語記号の入力に相関して発動するならば、それはすでに「読書」と呼んでよろしいであろう。
大瀧詠一師匠には「座 読書」という名曲がある。
これは読書に随伴する「座って頁をめくる」動作を「ダンス」と解釈したものである。

「さあさあ、ダンスのニューモード。
座って、踊る。
名づけて、
座 読書。
リズムに合わせて
頁をめくる。
しぐさ、ぱらぱら
簡単。
座 読書」

というたいへん軽快にして「前代未聞・空前絶後」のダンスナンバーである。
大瀧師匠はこのとき読書というのが「教養」とか「情報」とか「文化資本」とかとはまったく無関係なものでもありうるということを鋭く指摘されたのである(さすがわがお師匠さまである)。
だが、『ナイアガラ・カレンダー』の発売当時、師匠の炯眼に気づいた人はいなかった(私だって気づかなかった)。
本を開いてぱらぱら頁をめくっていれば、それはすでに「読書」である。
というのは、読書には少なくとも二つの形態がありうるということである。
一つは「文字を画像情報として入力する作業」、一つは「入力した画像を意味として解読する作業」である。
私たちが因習的に「読書」と呼んでいるのは二番目の行程のことである。
しかし、実際には、画像情報が脳内に入力されていなければ、私たちは文字を読むことができない。
007号が二度死ぬように、私たちは言語記号を二度読んでいる。
一度目は画像として、二度目は言語記号として。
この行程をそれぞれ、scan と read と言い換えてもよい。
新聞を広げて、「斜め読み」しているのは scan である。ふと気になる文字列が「フック」して、眼を戻して、その記事を最初から読むのは read である。
例えば学校における国語教育はもっぱら read に焦点化して、その教育プログラムを編成している。
「作者はここで何が言いたいのか」とか「この『それ』は何を指すのか」とか「『魑魅魍魎』のよみを記せ」とか、そういう問いに答える力のことを「国語力」と呼んでいる。
だが、それでよろしいのか。
私はいささか懐疑的である。
それより以前に身に付けていなければならない scan する力の育成の重要性に日本の国語教育者は気づいておられるであろうか。
scan とは、単純に言えば、「ひたすら文字を見つめる」ということである。
タイピストが意味もわからず手書きの原稿をフルスピードでタイピングするように、文字画像をひたすら大量にかつ高速度で脳内入力する。
この scan という予備的行程が適切になされていないと、次の read の段階には進めない。
その意味で「朝の読書運動」というのはまことに適切なプログラムだったことがわかる。
あれは、本を読んでいるのではない。文字を見ているのである。
意味なんかどうだってよい。
紙に書かれた文字を画像として取り込むという脳内の神経回路のスピードをただ上げているだけである。
それが必要なのは、それこそが私たちの教育プログラムにもっとも欠如していたものだからである。
明治までの国語教育の基本は「四書五経の素読」である。
素読というのは「ひたすら漢文を音読する」だけである。
意味なんかどうだっていいのである。
古人は経験的に、この作業を経由しなければ「言語の意味」を解するという次のレベルにはあがれないことを熟知していたのである。

講義のあと、ご挨拶もそこそこに次は梅田へ。
新潮社主催の、関西地区の主要書店の書店員のみなさんをお招きしての、『日本辺境論』販促のためのイベントがある。
三重さん、足立さんに拉致されて会場へ。
聞けば、私はここで1時間の講演をすることになっているらしい。
ダブルヘッダーですわ。
ぞくぞくと各書店の店員の方々が集まってくる。
フロントラインのみなさんに応援していただかないと本は売れない、ということはミシマ社の三島くんがつねづね語っているところである。
『日本辺境論』がどういう本かをプレゼンテーションするはずだったのだが、ぜんぜん違う話をしてしまう(いつものことだが)。
そのあとレセプション。
ビール、ワインなどをいただきつつ、若い書店員のみなさん(の中には甲南合気会の石井くんもいる)と歓談。
若い「本好き」青年たちと書物について、出版文化について、書くことの意義について語り合うのはたいへん愉快である。
でも、さすがにいささかへたばって帰宅。

火曜日。歯医者に寄ってから、授業。
先生に「上の歯、一本抜きましょう」といわれるけれど、午後授業があるから許してくださいと懇願して逃げ出す。
午後の教職員礼拝で「永年勤続者表彰」を受ける。
なんと、気がつけば勤続 20 年だったのである。
光陰矢のごとし。
松澤院長から賞状と記念品料をいただき、同僚のみなさんから「おめでとう」という祝福のご挨拶をいただく。
院生たちからはお祝いのお花をもらってしまった(ありがとうね)。
思えば、私の生涯で 1 カ所に 20 年も定住したのは、神戸女学院大学だけである。
なんと。

水曜日。オフだけれど、早起きして、東京日帰りツァー。
ラジオデイズのための恒例の大瀧詠一師匠を囲むラジオ番組収録である。
平川克美くん、石川茂樹くんとともに今年で三回目。
恒例行事であるので、会うなり話が始まる。
今回のメインのトピックは『東京人』でその一部が紹介された、師匠の「成瀬巳喜男」の『秋立ちぬ』と『銀座化粧』における「橋めぐり」の話。
これについてはすでに平川くんがご自身のブログでいろいろ書いているから、そちらも併せてご参照いただきたい。
私は一昨年の第一回セッションのときにこの二作の DVD を大瀧さんから頂き「まず、見てご覧」と命じられた。
そのときには、それがこのような巨大な映画研究のとば口だとは知るよしもなかったのである。
どうして大瀧師匠が成瀬巳喜男の映画の画像分析にこれほどまでに踏み込むことになったのか。
その「謎」を中心にして、120分にわたってラジオ収録は展開したのであるが、たぶんこの放送を聴いたみなさんは「とってもびっくり」することになると思う。
どういう種類の「びっくり」であるかは聴かないとわからない。
大瀧さんが何をしようとしているのかを既成の言葉で説明することはきわめて困難(ほとんど不可能)である。
収録が終わったあと、控え室で大瀧さんが、「まず全体を見なければならない。部分の総和は全体にはならない」という話を巨人軍の宮崎キャンプの話を引いてしはじめ、そのあとに一音聴いただけで、オーケストラの楽器構成が「わかる」という話をされたときに、今朝ほど新幹線の中で考えていた scan と read の違いの話との符合に驚嘆する。
大瀧さんはまさしく scan する人なのである。
音楽は浴びるように聴き、映画は包み込まれるように観る。
その全体をその中に入り込んで経験する。
大瀧さんは「観察者」ではない。
成瀬巳喜男の映画を観るときには「成瀬巳喜男の映画内空間そのものを生きている」のである。
大瀧さんはおそらく『銀座化粧』や『秋立ちぬ』の登場人物たちに憑依して、映画の空間の内側で呼吸することができるのである。
それは現実の築地や新富町ではなく、成瀬巳喜男の幻想の中にだけリアルに存在する築地や新富町である。
それは現実には存在しない。
大瀧さんは映画の撮影された現場に立つと、どれほど景色が変わっていても、映画の風景がありありと浮かんでくると言う。
それは現実の築地の風景と映画の中の昭和 30 年代はじめの築地の風景にまだ共通のものが残っているということではない。
そうではなくて、それはかつて築地で育ち、そのあとそこを離れて 50 年ほど経ってから戻ってきた人が、すっかり変わり果てた景色を見ているうちに、「ああ、ここは川があったところだ」ということを「思い出す」のと同じような「記憶の再生」を大瀧さん自身が自分の身体を通じて現に経験しているということである。
大瀧さんは「観察している」のではなく、「思い出している」のである。
そういうふうに映画を観ることができる能力が存在する(知らなかった)。
3年ほど前、最初に大瀧さんとお会いしたとき、大瀧さんは昭和 30 年代の映画に「凝っている」と言われた。
一日3本くらい映画を観ているという話を聞いて、私は「それでは映画を観たことにはならないのではないか・・・」と内心訝しく思ったのである。
私たちとぜんぜん違う映画の見方があるということが私にはまだわからなかった。
大瀧さんはそのときおそらく高速度で映像を scan していたのである。
映画は「観る」ものではなくて、その中を「生きる」ものだ。
だから、とにかく浴びるように映像にさらされなければならない。
その集中的な何千時間かの映像の scanning のあとに、大瀧さんは「映画の中」に入り込んで、その中の出来事を風景をまるで自身の遠い記憶のように「思い出す」という特権的な享受レベルに到達したのである。
かつて『無人島レコード』のアンケートで、大瀧さんは無人島にはレコードではなく「レコード年鑑」を持って行くと答えた。
ページを開いて、レコードジャケットを一瞥した瞬間に曲が鳴り始め、すべての音を脳内で逐一再生できるから、音響装置を外部にもつ必要がないのだ、と。
これはまさに「浴びるように」音楽を聴いたことによって、「音楽の内側」に入り込んだ人にしか言えない言葉だろうと思う。
「あまりに強く影響を受けたものは意識にのぼらない」という話を聴いているうちに、『日本辺境論』のもっとも重要なアイディアのいくつかは大瀧さんの「分母分子論」から学んだものだったことに気がついた。
今度の本はその意味では dedicated to Otaki Eiichi と献辞されるべきものだったことに帰りのタクシーの中で気がついた。
師匠はまことに偉大である。
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