ひさしぶりのオフの土曜日。
岡田山ロッジで合気道の有段者稽古。
上級者対応の「序破急」の動きについて説明する。
一教の切り落としを三行程に分けて、円転・直線・円転と運動の質を切り替える。
たぶん以前も技が冴えて感じられるときは、そういうふうに動いていたのだろうが、術理の裏付けがあったわけではない。
序というのは破(運動の質の変化)が行われたあと、事後的にそれに先立つ行程として遡及的に把持された行程である。
リアルタイムで「今は『序』の動きをしているのだな」というような意識があるわけではない。
急も同断。
べつにそこから動きが速くなるわけではない。
「破のあと」の動きは緩慢であっても、受けの「期待の地平」に存在しないものであれば、「目に見えないほどに速い動き」として「説明」される。
だから、「急」の字があてられるのである。
問題はここでも時間意識である。
なぜ、「序」が「徐」と書かれなかったのか。
その理由を考えなければならない。
序と急が同じ質の運動であれば、遅速を考量することができる。
しかし、「序」というのは「ものごとが継起する順序」にかかわる語であり、「急」は「ものごとが動く時の速度」にかかわる語である。
順序と速度は度量衡が違う。
序と急は同一のものさしでは比較考量できない。
それは「一番」と「一秒」を比べるようなものである。
あえて古人が「徐・破・急」を退けて、「序・破・急」の語を用いたのは、「破」によって度量衡そのものが切り替えられる消息を伝えたかったからではないか。
そういうことが長く稽古しているうちにだんだんわかってくる。
そのあと11月例会。
今回は「クロード・レヴィ=ストロース先生追悼麻雀大会」である。
全員がそれぞれにレヴィ=ストロース先生に蒙った学恩をカミングアウトしつつ打牌するという、たいへんにアカデミックなイベントであった。
私はひさしぶりに大勝。これでようやく年間勝率3割が見えてきた。
勝者は画伯(2勝)、タムラ(2勝)、総長(2勝)、シャドー(1勝)。
タムラは J2 から昇格して初勝利を収めるや否や、たちまち連勝。生来の博才を窺わせる末恐ろしい雀姉である。
「死の淵」より生還したあとの画伯の勝ち方も何かに憑かれたようである。こわ。
日曜日は奈良県立図書情報館にて、講演。
電車を乗り間違えて、とんでもない時刻に新大宮駅に着き、必死で会場に駆け込む。
あやうく開演時間に間に合う。
お題は「現代における表現と図書館」。
私は実は図書館にあまり行かない人間である。
どうして私は図書館に行かないのか、その理由の分析から始めて、霊感は「枕上、鞍上、厠上」にて訪れるという話から西部劇における「人馬一体」描写の背景が必ず「夕焼け」であるのはなぜかを問い、さらには翻訳論から他者論、異界論へと、話頭は転々奇を窮め、怪中実を掬す変痴奇論一段で90分。
たいへんフレンドリーなイベントでありました。みなさん、どうもありがとう。
江さん青山さんご夫妻、大迫くん、山納さんら140B関係者多数がおいでになっていたので、そのまま連れ立って氷雨の中、近鉄阪神と乗り継いで爆笑のうちに神戸に帰る。
奈良は遠い。
これで、一般公開の講演は紀伊国屋の講演を残して「終わり」である。
高校生相手の講演があと二つ。
それで年内は全部おしまい。来年はもう学外講演はしない(とか言って、ちょっとやるんだけれど、それは身内のイベントだけである)。
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(2009-11-23 14:38)