多忙のため日記の更新ができなかった

2009-10-10 samedi

多忙のため日記の更新ができなかった。
備忘のために10月6日以降について記しておく。

10 月 6 日(火曜日)、大学の授業を休講にして、雨の中を戸塚へ。明治学院大学で「知の現場から」というタイトルでの対談シリーズがある。コーディネイターは原武史さん。今回の対談のお相手は高橋源一郎さんなのでたいへんお気楽である。
テーマは教育。
でも、最初のプロフィール紹介のところで、はやくも脱線して、どうして2000年代になるまで私が「ものを書かなかったのか」という話になる。
「ものを書かなかった」ということはなくて、私は中学生時代から膨大な量の文章を書き続けている。
誰もそれに興味を持ってくれなかっただけである。
研究者としてもずいぶんたくさん論文を書いたが、学会的評価は限りなくゼロに近かった。
たまたま2001年ごろに私がネット上に書き散らしたものを「面白い」と言ってくださる人たちが出てきたので、このように本を出すことのできる身の上となったが、そういう奇特な出版人が出てこなければ、私はいまだに(誰も読んでくれない)紀要論文と、ブログ日記を便々と書き続ける人であったろう。
別に、そうであっても特に不満ではなかったと思う。
私は誰か他人に読ませるために書いているというよりは、脳裏に浮かんだ星雲状態のアイディアを「自分に説明する」ために書いているので、主たる読者は私自身である。
私が本を書くのは、「私自身が読みたいなと思っている主題があるのだが、誰も書いてくれないので、しかたなく自分で書いている」のである。
明治学院大学のオーディエンスは学生だけでなく、地域の方々も多かったけれど、たいへんフレンドリーで、あっというまに90分経ってしまった。
雨の中、高橋さんと戸塚まで出て、そこでお別れする。
ほんとうは横浜あたりでゆっくりご飯でも食べたいのであるが、私はそれからソッコーで松本に移動なのである。
次回の『Sight』でまた渋谷陽一さんと鼎談があるので、そのときまたね、と駅頭で別れる。

湘南新宿ラインという未知の路線で新宿へ。20時発のあずさに乗る。松本着22時38分。お迎えの池上六朗先生ご一家と、美ヶ原温泉へ。そこで三宅安道先生ご夫妻と合流。
みなさん私が着くまで晩ご飯を食べずに待っていてくださったのである。私も昼ご飯抜きだったので、もうふらふら。
ビールで乾杯して、温泉宿のフルコースを頂き始めたのがすでに11時半。日付変更線を超えての宴会となった(厨房は大変である。でも、この旅館はこの日池上先生の「借り切り」だったのである。なさることがまことに豪快な池上先生である)。
山海の珍味をばりばりと平らげ、松本の白ワインをいただき、寝しなに温泉に浸かってからおふとんに入ったら午前2時。

9時に起きて、朝風呂に入り、三宅先生ご夫妻と朝ご飯。
ふたたび池上先生ご夫妻がお迎えに来て、まずは診療所へ。
そこに新潮社の足立さんから『日本辺境論』三校のファックスがはいる。
どこまでも仕事が追ってくる。
治療のあいまにチェックして、返信。
池上先生の治療を受けて、身体の歪みを補正していただく。
「憩いの森」でお茶してから、本日のメインエベント会場である松本深志高校へ。
高校生対象の講演会である。
高校生相手の講演は疲れるからやりませんと広言していたのであるが、深志高校は池上先生のお孫さんが三人在学中。
池上先生からのご依頼であれば、これは断ることはできない。
講演会は学校主宰の行事ではなく、生徒たちの自主活動であった。
だから司会も謝辞もみんな生徒諸君が仕切る。
たいしたものである。
生徒さん300人を相手に「学ぶ力とは何か」について語る。
たいへん「食いつき」のよいオーディエンスだったので、こちらも面白くなって、ついテンションが上がり、予定時間をだいぶオーバーしてしまう。
そのあとフロアから質疑応答。シャープな質問が相次いで、たいへん愉快な気分となる。
台風が近づいてきて雨足がだんだん激しくなる。早く帰らないと名古屋からの新幹線が危なそうである。
松本駅で東京にゆかれる池上先生とお別れして、三宅先生ご夫妻とともに中央線、新幹線と乗り継いで新神戸まで帰る。
雨はたいしたことがないけれど、風がぴゅうぴゅう吹いている。
家に着くと午後11時。
テレビで台風のニュースを見て、明日は大学はお休みだなとほっこりしていると、東京の森永さんから電話。
山本浩二が武庫之荘の自宅で倒れて救急車を呼んだという連絡があったそうである。東京からの新幹線はもう止まっている。
とりあえず山本君の自宅に電話するが、誰も出ない。ためしに携帯にかけてみると「はい」と山本浩二が出る。
救急車の中にいた。これから病院に搬入されるところだという。
意識ははっきりしているので、心配はないが、とにかく心配なので病院まで行くことにする。
真夜中だし、台風で交通はほとんどないので、あっというまに尼崎に着く。
救急処置センターでドクターから様子を聴く。とりあえず命に別状はないようである。
それからCCUに移され、そこで少し話をする。
ミラノから前日に帰ってきて、翌日からの授業の準備をしているところで不整脈が出て、ペースメーカーが作動したのである。
このところミラノの個展に向けてずいぶん根を詰めて仕事をしていたから、疲れが出たのであろう。
しばらく休養して、はやく元気になっていただきたいものである。
また来るからねと言い置いて、とりあえず暴風の中をとばされそうになりながら家に帰る。
長い一日であった。

木曜日。天気が回復したので、もう一度病院に。CCUからPCCUにベッドが移る。森永さんからようやく新幹線が動き出したので、夕方着くという連絡が入る。しばらく病室でおしゃべりしてから大学へ。部屋にいると電話がたくさんかかってくる。
仕事を片付けてから、合気道の稽古へ。

金曜日。北摂武道具に寄って杖と木刀を大量購入。大学へ行って基礎ゼミ。電話がじゃんじゃんかかってくる。「あの用事」である。ばたばたしているうちに予約時間となって歯科へ。
歯が痛むのだが、治療に行ける日が来週の木曜まで取れないので、教授会をそろっとパス。
先生に泣訴すると、痛いのは義歯を支えるスクリューが歯肉に食い込んでいるせいで、奥歯を削って、圧力を奥歯に逃がせば痛みは軽減するでしょうと言われる。
頭の中に「歯肉に食い込んでいるスクリュー」をイメージするとふっと気が遠くなる。
歯科からの帰りがけに病院に寄る。
森永さんが来ているので、三人でわいわいおしゃべりをする。
心停止しかけた患者さんが横にいるPCCUでこんなににぎやかに笑っていてよろしいのかと反省し、「山本浩二を個室に入れる会」を結成することを発作的に決定。
ただちに甲南麻雀連盟会員に打電して、義捐金を募ることとする。
家に戻り、かんきちくんにもらったおうどんを食べた後、死に寝。

早起きして大学へ。
AO入試・クローバー入試の第二次選考がある。
今日からほんとうは多田塾合宿なのだが、もちろん参加することなどかなわぬのである。
学長、大学事務長と三人で「入試本部」の統括者席にすわって、今年度入試の趨勢について、リベラルアーツ・カレッジの教育理念について語る。
入試終了後、各学科長と来年度のAO入試のありかたについて意見交換。
日のあるうちに大学を後にして、帰宅。
今日締め切りの原稿が二本ある。それを今から書き上げなければならない。
ふう。
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