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2015年12月 アーカイブ

2015.12.01

訃報告知

故 母 内田 昌子 儀 平成27年12月1日89歳で永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。
通夜および葬儀は下記の通り執り行います。
尚、お車でのご来館はご遠慮申し上げます。
*車でのご来場の際は近隣のコインパーキングをご利用ください。

日時:通夜 平成27年12月4日(金) 18:00〜19:00
   葬儀 平成27年12月5日(土) 10:30〜11:30
式場 桜新町式場
式場場所 世田谷区桜新町2−19−16

喪主 内田徹
   内田樹

交通案内 東京田園都市線桜新町駅より徒歩5分
http://www.kurashinotomo.jp/sougi/saijou/direct/detail/sakurashimmachi.html

生花・供物のお問い合わせは くらしの友 蒲田儀典センターまで
Tel 03-3732-4241
Fax 03-3735-5417

*日程の都合で、あまり広い式場をとることができませんでした。寒い中ご会葬下さる方々には十分な座席もご用意できず、たいへん不自由な思いをさせることになるかと思いますが、どうぞご容赦ください(内田)。


2015.12.06

あるインタビューから

ある市民団体の機関紙のインタビューを受けた。
一般の方の眼にはあまり触れる機会のないものなので、ここに転載しておく。

安倍政治の暴走をゆるさない  国民の力に確信を 内田樹神戸女学院大学名誉教授に聞きました

ー安保法制改悪案の強行採決から二ヶ月になりますがいまの状況をどのように判断されていますか

その後に大阪の知事・市長のダブル選挙での維新の勝利もあり、安倍政権の支持率が四七〜四八%という結果も出ています。正直言って、日本国民が今の政治をどう評価しているのか理解に苦しむところです。
どう考えてみても国民生活にとってははっきり不利益になる方向に政治は進んでいます。政権運営は安保法制の強行採決、辺野古基地の工事の強行に見られるように際立って強権的・抑圧的ですし、アベノミクスはあらゆる経済指標が失敗を告げており、メディアや大学に対する干渉もどんどん現場を萎縮させている。市民生活が直接攻撃されているにもかかわらず、当の国民が自分たちの生活をおしつぶそうとしている政権に支持を与えている。論理的に考えるとありえないことです。なぜこんなことがまかり通っているのか。
思想的には「戦前回帰」ですが、戦前の日本には軍部と治安維持法という実効的な暴力装置がありました。今の日本にはそういうものはありません。ですから、市民が政府に怯えて政府の暴走を看過しているということではい。市民自身がその暴走を「よいこと」だと思っているということです。

国民の半数が政権の暴走にある種の期待や好感を寄せているという事実を私たちはまず冷静に見つめる必要があります。
当否の判断はさておき、多くの国民は「今のシステムを根本から変えたい」という強烈な「リセット願望」を持っている。安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を掲げて登場してきた過激な改革派政権です。現在の自民党は保守ではなく革新なのです。その点を見落とすと高い支持率の意味が理解できなくなる。

政権は憲法という国の骨格の背骨の部分を否定し、それに基づく立憲デモクラシー、教育、メディアなどのありかたをほとんど否定しようとしています。彼らがめざすのは「革新」であり、ほとんど「革命」に近い。
そして、それに対する国民の側からの反対運動も看板では「革新」を掲げている。現状の日本のシステムはダメだ、改革しなければならないと言っている。つまり、政権も政権に反対する側も「劇的な変化」を望むという言葉のレベルでは同じことを言っているのです。

ですから、従来のような右翼/左翼、保守/革新、独裁/民主という二項対立では現状は説明できません。安倍政権の暴走を止める理論的根拠を示すためには、それとは違う新しい構図を持ってこなければならない。

国民の意識が反転されたような形で出てくる原因はどこにあるのでしょうか

戦後70年の最も大きな変化の一つはかつては人口の50%を占めていた農村人口が人口比1.5%にまで激減したということです。それは農村共同体的な合意形成の仕組みが放棄され、「会社」の仕組みがマジョリティを形成するに至ったということです。
統治のスタイルもそれに応じて変化しました。それが社会のすべての制度の「株式会社化」をもたらした。

株式会社は民主主義によっては運営されていません。
CEOに権限情報も集中させ、すべてが上意下達のトップダウン組織です。従業員の合意を取り付けてから経営方針を決めるというような鈍くさい企業は生き残ることができません。経営政策の適否について従業員は判断することが許されない。それはCEOの専管事項です。

でも、そのようなワンマン経営が是とされるのは、その「独裁的経営者」のさらに市場が存在するからです。経営判断の適否は市場がただちに売り上げや株価として評価する。商品がどれほどジャンクなものであっても、雇用環境が非人間的であっても、市場が評価して売り上げが伸び、株価が上がる限り、CEOは「成功者」とみなされる。
そういう仕組みに現代日本人は慣れ切っている。生まれてから、そういう組織しか見たことがないという人がもう人口の過半です。彼らにしてみると「民主主義的合意形成って何?」というのが実感でしょう。家庭でも学校でもクラブ活動でもバイト先でも、これまでの人生でそんなもの一度も経験したことがないのですから。知っているのは株式会社的トップダウン組織だけであり、その経営の適否は組織成員たちの判断によってではなく、上位にある市場が決定する。
自分の生き方が正しかったかどうかを決めるのは、試験の成績であり、入学した学校の偏差値であり、就職した会社のグレードや年収であるという「成果主義」「結果主義」にサラリーマンは慣れ切っています。
その心性が安倍政権を批判することができない知的な無能を生み出す土壌だと私は考えています。

安倍晋三も橋下徹も「文句があったら選挙で落とせばいい」という言葉をよく使います。これは彼らが選挙を市場と同じものだと考えていることをはしなくも露呈しています。
選挙とは市場における競合他社とのシェア争いと同じものである。それに勝てば政策は正しかったことになる。どんなジャンクな商品でも、パッケージデザインや広告がうまければシェア争いで勝つことができ、勝てばそれは「よい商品」だったということになる。
「大阪都」構想をめぐる住民投票で負けた後、橋下市長は「負けたということは政策が間違っていたということでしょう」と言い放ちました。しかし、選挙の勝ち負けと政策の良否は次元の違う話です。政策の良否はそれが実施された後の何年、何十年のちの、本当の意味での「成果」を見なければ判定できない。でも、彼らはそんなことには関心がない。次の選挙の勝敗だけが重要であるというのは株式会社の「当期利益至上主義」と同質のものです。

SEALDsの活動はそういう状態に風穴をあけた感じがありますね
 
SEALDsの活動の際立った特性はそれが現代日本の政治状況における例外的な「保守」の運動だということです。彼らの主張は「憲法を護れ」「戦争反対」「議会制民主主義を守れ」ということです。国民主権、立憲デモクラシー、三権分立の「現状」を護ることを若者たちが叫んでいる。
老人たちのつくる政権はあとさき考えずに暴走し、若者たちが「少し落ち着け」と彼らに冷水を浴びせている。まるで反対です。こんな不思議な構図を私たちはかつて見たことがない。だから、今起きていることをよく理解できないのです。

この夏に国会内外で起きたのは、国会内では年寄りの過激派たちが殴り合い、国会外では保守的な若者たちが「冷静に」と呼びかけたという私たちがかつて見たことのない光景でした。あれを60年安保になぞらえるのは不適切だと私は思います。日本人は「あんな光景」をかつて見たことないのですから。
それに気がつかないと今何が起きているのかがわからなくなる。今の日本の政治状況の対立図式はひとことで言えば「暴走/停止」なのです。

この保守的な護憲運動の特徴は、支持者のウィングを拡げるために「安保法制反対」という「ワン・イシュー」に限定したことです。通常の市民運動はそこから原理的に同一の政策をどんどん綱領に取り込みます。原発問題、沖縄基地問題、人権問題、移民問題、LGBT問題へとどんどん横に拡げて、網羅的な政策リストを作ろうとする。けれども、そうやって政策の幅を拡げることで、市民運動への参加者のハードルはむしろ上がってしまう。

「学者の会」に対しでも、安保法案反対という以外の政策についても会としての統一見解を語るべきだという人がいました。他の政策について意見の違う会員を「除名しろ」という意見を述べた会員もいました。彼らはそうやって政策の整合性や精密性を追求すればするほど仲間が減って行くということはあまり気にならないらしい。
SEALDsはその点ではむしろ「大人」だったという気がします。彼らは政治目標を法案反対一点に絞って政策集団としての綱領的な純粋性や整合性をめざさなかった。だから、あれだけ多くの賛同者を惹きつけることができたのだと思います。
彼らは法案に反対しているだけで「よく戦わないもの」を罵倒したり、冷笑したりすることがなかった。できる範囲のことだけでいいから自分たちの運動を支援して欲しいとていねいに、実に礼儀正しく市民たちに訴えた。世間の耳目を集める政治運動がこれほど謙虚であった例を私は過去に知りません。それだけ彼らの危機感が強かったということだと私は思います。文字通り「猫の手も借りたい」くらいに彼らはせっぱ詰まっていた。だから、「これこれの条件を満たさないような人からの支援は要らない」というような欲張ったことを言わなかった。その例外的な礼儀正しさに、彼らがほんとうに肌に粟を生じるほどに安倍政権の暴走を恐怖していることが私には伝わってきました。

年があけて二〇一六年は夏に参院選があり、ここでまた国民の次の判断が求められます。改悪戦争法の破棄、集団的自衛権容認の閣議取り消しをもとめる一点集中の政府実現のために野党共闘が呼びかけられています。また、戦争法廃止、憲法九条守れの二〇〇〇万人署名が総がかり運動としてすすめられています。いま大事なことはどういうことでしょうか

「保守と革新」という対立軸がいつのまにか逆転していることに気づかなければ、何をすべきかは見えてこないと思います。市民生活を守るために、私たちがまず言わなければならないのは「落ち着け」ということです。「止まれ」と言うことです。議論なんかしている暇はない、全権を官邸に委ねてお前たちは黙ってついてくればいいんだという前のめりの政治家たちに対して「少し落ち着きなさい。ゆっくり時間をかけて議論して、ていねいに合意形成をはかりましょう」と告げることだと思います。暴走する政治家たちの決まり文句はいつでも「一刻の遅れも許されない」「バスに乗り遅れるな」ですけれど、これまでの経緯を振り返れば、それが「嘘」だということははっきりしています。決定に要した時間と政策の適切性の間には何の関係もありません。

逆説的ですが、今の市民運動に求められるのは「急激には変化しないこと」です。国のかたちの根本部分は浮き足立って変えてはならない。そのための惰性的な力として市民運動は存在します。それは市民運動のベースが生身の身体であり、生身の身体は急激な変化を望まないからです。
痛み、傷つき、飢え、渇き、病む、脆い生身の身体をベースにしている運動は独特の時間を刻んで進みます。その「人間的な時間」の上に展開される市民運動がいま一番必要とされているものだと私は思います。
まずは来夏の参院選で政権の暴走を止めるために、「立ち止まって、ゆっくり考える」というただ一つの政治目標の下にできるだけ多くの国民を結集させることが最優先だと思います。 

2015.12.28

大学教育の終焉

室井尚『文系学部解体』(角川新書)の書評を『本の旅人』に寄稿した。
室井さんの本をぜひ読んで欲しい。

「大学教育の終焉」

筆者の室井さんと私はほぼ同時期(90年代はじめ)に大学教員となり、それから四半世紀を大学教育の現場で過ごして来た(私は2011年に神戸女学院大学を早期退職したが、そのあとも別の大学に理事や客員教授としてかかわっている)。
私が勤めていたのは私立のミッションスクールであり、室井さんは国立大学なので、大学の雰囲気や運営ルールはずいぶん違うはずだけれども、四半世紀の間に経験した環境の変化はおおすじでは同じものだと思う。
それはこの本の中でも繰り返し指摘されている通り、全く無意味な仕事の増大によって教員たちの研究教育の時間とエネルギーが壊滅的に損なわれたということである。
ある時期から大学には「まったく無意味」としか思えない通達や規則が文科省から雨あられのごとく降りてくるようになった。そのような制度変更について「何を根拠に文科省はそのような制度変更が有用であると判断したのか」「その制度変更の適否の検証はいつ、どのようになされるのか」「その制度変更が失敗だった場合、誰がどう責任をとるのか」というたぐいの(少しでも知性がある人間なら誰でも思いつくはずの)問いはすべて封殺された。いいから黙って言われる通りにしろ。言われる通りにしなければ助成金や運営交付金をカットすると上から一方的に告知された。
室井さんはそれを「手続き型合理性」と命名している。
研究倫理やセクハラやエアコンフィルターの掃除確認に至るまで「手続きだけをきちんとするために膨大な作業があらゆるところで発生している」のである。「膨大」というのは誇張ではない。今では大学教員はそのような日々送られてくる何の意味もないが空欄を満たさなければならない書類書きのために疲弊し果てている。

私の個人的経験を話す。教務部長をしているときに「シラバスをもっと詳細に書け」という指示が来た。私は自己評価活動についての長年のアンケート調査によって、シラバスの精粗と学生の授業満足度の間には何の相関もないという統計的結論を得ていた。学生がろくに読みもしないシラバスに、1年分の授業予定や期待される教育効果などを細密に書き込むのはただの徒労である。私は骨の髄まで合理主義者なので、このような無意味な労役に耐えることができない。だから、通達を無視した。翌年、助成金がカットされた。私はこの処分に怒りを抑えることができなかった。
ここには二種類の退廃が見て取れる。一つは「上が決めたことについて適否の判断をする権利は大学人にはない」という考え方である。権力を持つものはそれが下す指示について、その合理性や根拠を国民に開示する義務を免ぜられていると彼らは信じている。私はこれを名づけるのに「反知性主義」以外の呼称を思いつかない。
もう一つの退廃は処罰がほとんどつねに「金」の分配によってなされていることである。不服を申し立てる大学人を呼び出して、政府の政策の正しさを情理を尽くして語って納得させるというような手間ひまを教育官僚は取らない。「ああ、そうですか。じゃあ、お金を上げません」で終わりである。ここには「人間は金で動く」という彼らの個人的信念がはしなくも露呈している。
「上に無批判に従う人間」「金で動く人間」「ことの理非の判断に際して自分の知性を使わない人間」を組織的に生産すること、それがわが国の教育行政の最優先の政策課題なのである。ほんとうに恐ろしいことだと思う。

日本の大学教育はこのまま終わるのか、それとも再生のチャンスはあるのか。それについては室井さんが学生たちの潜在可能性の豊かさと私塾の発生を手がかりに一握の希望を語っている。私自身もこの希望にあるだけの賭け金を置く他ないと思う。
大学の現状を活写し、希望について語るというを限られた紙数のうちに果たした室井さんの努力に一人の大学人として感謝したい。
 

2015.12.31

今年の10大ニュース。

今年の10大ニュース

年末恒例の今年の10大ニュースを考える。年末に来し方振り返るというのはたいせつな作法である。1年は「あっ」という間に過ぎてしまうけれど、よくよく見つめるとずいぶんたくさんのことが起きているものである。
1 母を送る
12月1日に母が死んだ。享年89。最後の3週間くらいは譫妄が起きて、多動になり、介護する兄たち家族もたいへんだった。兄とホスピスを下見に行ったときには、そんなにすぐに葬儀を出すことになるとは思わなかった。でも、最後の一週間に二晩を病室で並んで過ごすことができた。母と病室で二人きりで過ごすのは7歳の冬に私がリウマチ性心臓疾患で1ヶ月入院したとき以来である。死の2日後がAERAの締め切りだったので、そのことについて書いた。

私事を書く。一昨日母親が死んだ。享年89。昨年、膵臓癌がみつかったが、進行が遅かったので、一年余りの残された時間を親しい人たちとの行き来で過ごすことができた。先月末から病状が悪化し、ホスピスに入院した。そのときにはもうすでに意識は不確かになっていた。入院した日たまたま私は所用で上京していて、病室に泊まり、母の隣のソファーベッドで一夜を過ごした。ときおり苦しげなうめき声を上げたが、顔や頭や腕に触れると表情が穏やかになり、しばらく短い眠りに就く。そういうことを明け方近くまで繰り返しているうちに、何十年も前に、同じことを母にしてもらったことを思い出した。私は七歳のときリウマチ性の心臓疾患で一ヶ月入院したことがある。その間ずっと母が付ききりで看護してくれた。一つのベッドに母子で抱き合うように寝て、私が痛みを訴えると手や足をいつまでも撫でてくれた。そのときのことを思い出した。
子どものころは家に帰ると、台所で母と差し向かいでお茶菓子を食べながら母のおしゃべりを聞くのが好きだった。兄はそれを見て「樹はよくおふくろの長話につきあえるな」と笑っていたが、母の終わりなき世間話を聴くことは私にとって別に苦痛ではなかった。真剣に話に耳を傾けていたわけではない。ただぼんやりと音楽を聞き流すように母の声を聴いていた。何となくそれが母から私に割り当てられた交信周波数のような気がして、毎日定時になるとラジオ放送を聴くようなつもりで、お茶を飲み、菓子をつまみながら、母の長話にぼんやり耳を傾けた。私が長じて「男のおばさん」と呼ばれるようになったのは、母のおしゃべりを長年聞き続けてきたせいである。
二度目に病室に泊まった夜、母はもう意識がなかった。翌朝「また来るね」と手を握って家にもどって半日後に訃報が届いた。「もう一度会っておけばよかった」というのは親が死んだときに子どもを苛む一番の悔いだが、母は私たちにそういう悔いを残させなかった。
親孝行というのは子ども「するもの」ではなく、親が「させてくれるもの」だということを母は死に際に教えてくれた。

2 45年ぶりにデモに参加した
佐藤学先生のお声がけで「安全保障関連法案に反対する学者の会」の発起人に加えて頂いた。学者の会の署名14000人を持って国会請願に行ったときにはじめてSEALDsの若者たちと会った。それから後、学者の会とSEALDsの連携がこれから安保法案反対運動の基軸になるだろうという佐藤先生の言葉に従って、SEALDs KANSAIの運動に協力することになった。国会前や大阪のヨドバシカメラ前や京都の円山公園でマイクを握って「戦争法案」反対の意見を述べた。SEALDs KANSAIの諸君は凱風館にも来てくれた。彼らの「サロン」や小林聖心で開かれたNGO大学や大阪市大が主宰した「有志の会」の集まりでメンバーたちと何度も話した。若い世代が大人たちよりも政治的にはるかに成熟していることに驚嘆した。それだけ既存の政治文化が劣化し、使い物にならなくなっているということなのだけれど、未来社会の萌芽に触れたことはうれしい経験だった。

SEALDsについて書いた文章をひとつだけここに採録しておく。福島みずほさんとの対談本『意地悪化する日本』(岩波書店)から。

内田 僕も「民主主義ってなんだ、これだ」というコールに衝撃を受けました。学生運動の頃からずっと思っていたのですが、いくら立派なことを言っていても、結局ある政党なり政治組織なりが未来において実現できる社会というのは、すでにその政治組織自体が先駆的に実現しているわけです。いくら理想的なことを語っていても、政治組織自体が権力的な構造であったり、秘密主義であったり、暴力的であったりした場合、そうした強権的な政治組織が作る未来社会が民主的であったり、多様性に対して寛容であるはずはない。だから、皆さんが今目の前で見ている組織を拡大したものが未来社会になるのだと提示することができなければ、政治運動は指南力を持てない、そう思っていました。でも、僕にはそのような政治組織を作る力がなかった。
しかし、SEALDsの人たちは、「民主主義って、これだ」と言う。これは日本政治史上はじめての宣言だったと僕は思います。明治以来さまざまな民衆の運動がありましたけれど、自分たちの運動体を指さして、「これこそがあるべき社会の萌芽的形態である」と宣言し得たような政治組織は存在しなかった。でも、SEALDsは日本政治史上はじめて「これを見ろ」と言ってのけた。これはすごいことだと思います。かつての中核派とか革マル派が自分たちの組織を指さして「これからこういう社会を作る」と言って「ぜひそこに住みたい」という市民たちを糾合するなんて図は想像もできない。
SEALDsは、五人、一〇人でも、一万人でも、一〇〇万人でもたぶん同じ組織原理でやっていこう、やっていけると考えていると思います。ひとりひとりが自分の言葉を固有名詞において語るということです。他人に何かを強制したり、禁止したりしない。正しい唯一の解を提示することをしない。全員ができる範囲でできることをやってくれればいい。学生だから、勉強もするし、バイトもするし、友だちと遊ぶし、デートもする。その合間に国会前に来てくれればいいという、生活と政治を分離しない、生活即政治というスタンスに僕はつよく共感するんです。
僕が二〇代の時に頭を抱えて悩んだ末に、僕が個人として、自分の足元でだけやっていこうと思ったことをSEALDsの人たちは組織的に実行してみせた。それに対して、僕は敬意を覚えるのです。僕は一人で、「今この場にある組織が未来社会の萌芽的形態である」と言い切れるような場をどうやって立ち上げるのかということをずっと考えてきました。息を吸ったり吐いたりする、ご飯を食べたり、眠ったりするように自然にできること以上の政治活動は持続できない。一時的な高揚や熱狂で大きな運動が盛り上がることはありますけれど、そういうものは持続しない。最終的に政治運動を担うのは生身の身体だからです。身体はある意味で保守的なんです。食わなきゃいけない、寝なくちゃいけない、休まなきゃいけない。たまには温泉にも入りたい、遊びたい、お酒も飲みたい、運動もしたい、デートもしたい。そういうことが全部身体には必要なんです。そういう生理的欲求を脳の指令で抑圧してはじめて成り立つような政治活動は一時的にはどれほど高揚しても、決して持続できない。身体が壊れてしまうから。
SEALDsがユニークなのは「人間の弱さ」を勘定に入れて政治運動を設計したところです。SEALDsは服装やラップのスタイルの「新しさ」ばかりが注目されがちですが、実際には近代市民運動の苦難の歴史を踏まえたきわめた成熟した政治思想・政治運動だと思います。

3 今年もたくさん本を書いた
今年仕上げた仕事は。
『日本の反知性主義』(編著、晶文社。寄稿者は赤坂真理、高橋源一郎、想田和弘、平川克美、小田嶋隆、鷲田清一、名越康文、仲野徹、白井聡)
『慨世の遠吠え』(共著者鈴木邦男、鹿砦社)
『日本戦後史論』(共著者白井聡、徳間書店)
『困難な成熟』(単著、夜間飛行)
『意地悪化する日本』(共著者福島みずほ、岩波書店)
『生存教室 ディストピアを生き抜くために』(共著者光岡英稔、集英社)
『困難な結婚』(単著、アルテス、2016年刊)
『僕たちの居場所論』(共著者、平川克美、名越康文、KADOKAWA、2016年刊)
翻訳
『タルムード四講話』(新装版、人文書院)
『タルムード新五講話』(新装版、人文書院)
『モーリス・ブランショ』(新装版、国文社)
『徒然草』(日本文学全集・河出書房新社、2016年刊)
連載
『レヴィナスの時間論』(「福音と世界」新教出版社、1月号~12月号、まだまだ続く)
『Eyes』(「AERA」に隔週連載、朝日新聞出版、まだまだ続く)
『たぶん月刊はなし半分』(平川克美とのラジオ対談、メルマガ夜間飛行)

                         
4 お稽古をたくさんした
8月には多田先生のパリ講習会に参加。杖道も居合も定期的な稽古会ができた。参加者もだんだん増えてきた。
下川正謡会の大会では、舞囃子『花月』、素謡『鉢木』のシテで大阪能楽会館の舞台を踏んだ。
体調も大きな崩れがなく、膝の痛みも出なかったので、稽古は順調に進んだ。この体調を維持できるのもあと何年かわからない。多田先生は「100歳まで現役で合気道の稽古ができること」を門人に求めると今年宣言されたけれど、100歳まではちょっと無理かなあ・・・。でも、あと10年はなんとか若者たちに負けないくらい動けるようでいたい。

5 凱風館まわりが賑やかになった
世間の晩婚化・少子化の趨勢に無関係に、どんどん結婚するカップルが出て来て、子どもが生まれている。あまりに次々生まれるので、出産祝いのベビー服を贈るのがおいつかない・・・
この子たちが成長する頃に「まともな世の中」にしておいてあげなければと思う。

6 周防大島の若者たちとのかかわりができた
「地方回帰」についてあちこちで発言していたら、朝日新聞社山口支局のふたりの女性記者の斡旋で、周防大島で養蜂をしている内田健太郎さんと梅を作っている中村明珍さんの二人と知り合うことになった。
彼らに誘われ、ミシマ社の三島君といっしょに周防大島の『島のむらマルシェ』に参加して、講演をすることになった。地方回帰と農業再生についてのまとまったアイディアを語ったのは、これが最初。この講演はミシマ社の『ちゃぶ台』に「街場の農業論」というタイトルで掲載された。
そういうこともあって、農業問題については『TURNS』や「日本農業新聞」といったメディアへの寄稿が続いている。
山形県鶴岡市の羽黒山伏星野文紘さんたちのグループに続いて、地方で新しいムーブメントを起こそうとしている人たちとのかかわりが増えたことになる。凱風館でも会社を辞めて農業を始めた人たちが2人出たことだし、日本社会の地殻変動的な変かのひとつの徴候としてのこの地方回帰運動はこれからもできる限り応援してゆきたいと思っている。

7 今年も韓国ツァーに行った

10月19日の全羅北道の全州で講演。タイトルは「東アジアの平和と教育」。済州島に移動して、10月20日、タイトルは「内田樹式共生の作法」。
今回も新羅大学の朴先生がきちきちと仕切ってくれた。教育委員会の共催だったりしたせいで、聴講者は教育関係者が多かったが、高校生や大学生もずいぶん来てくれていた。
この韓国ツァーも4回目。最初の年はメディアからも聴衆からも「領土問題、慰安婦問題についてあなたはどう思うか」という政治的にエッジの立った質問が何度かされたが、去年からはそういうことはなくて、力点は「どうやって市民レベルからの日韓連携を深めるか」という未来志向的な機運が高まっていることが実感された。
そして、韓国の人たちと歴史について話すたびに、そのつど韓国が日本の植民地統治によってどれほど集団心理的に深い傷を負ったかを感じる。
フランスのヴィシー政権はわずか4年間の対独協力だったが、それでもそのとき誰がどういうふうにドイツに内通したのかについての徹底究明は手控えられた。第四共和政の指導層の中に大量の対独協力者が含まれていたからである。彼らの戦時中のふるまいを暴露して、彼らを処罰し、公職から追放した場合、戦後フランスの行政機構そのものが瓦解するリスクがあった。
ヴィシー政府のテクノクラートが第四共和政のテクノクラートに「横滑りした」という事実が歴史的検証の主題になるまで(ベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』を嚆矢とする)「自由の国」フランスでさえ40年を要したのである。
朝鮮の日本統治はそれよりはるかに長い期間、35年にわたって続いた。
植民地統治に協力した朝鮮人テクノクラートの多くは戦後そのまま「反共の砦」の独裁体制の指導層に「横滑り」した。
この35年にわたる植民地支配のあいだに、「対日協力」的な朝鮮人テクノクラートや軍人や警官は彼らの同胞を抑圧し、収奪する植民地官僚に加担してきた。
それがどのように組織的に行われたのかという歴史問題は現在の韓国においては決して触れることの許されないタブーである。
それが暴かれれば「日本軍国主義による支配」の犯罪性が希釈されるリスクがあるからである。「被害国」韓国の「加害国」日本に対する倫理的優位性が犯されるリスクがあるからである。戦後70年間の韓国の統治の正統性そのものに対する不信感が吹き出すリスクがあるからである。
そして、仮にそのような研究が公表された場合、日本の極右政治家や極右知識人がどれほどうれしげにそれを書き立てるかは誰にでも簡単に想像できる。
韓国の人々にとって自国歴史の暗部を摘抉することは、どれほど痛みを伴おうとも、国家の根幹を健全なものとするために避けることのできない作業である。けれども、現在の日韓関係のような環境では、そのような研究に手を染める歴史家は自動的に日本の極右政権を利することになる。だから、できない。
でも、この歴史研究が果されない限り、韓国社会は「喉に骨が刺さったまま」である。
韓国の歴史家が20世紀の韓国史を冷静に分析できる立場を確保するためには、「韓国の歴史の暗部を摘抉すること」が現在の韓国にいかなる不利益ももたらさないという保証がなければならない。そして、今の日韓の外交的関係はまさに「韓国人自身が韓国社会の問題を分析する」作業そのものを構造的に妨害しているのである。
愚かでかつ有害なことである。
日韓の連携と友好関係と相互信頼の深化は、韓国人自身が自国の歴史に向き合うために必須の条件なのである。私はそう思う。

8 他にもいろいろあったかも知れないけれど、もう長くなり過ぎたので、これで打ち止めとする。
ではみなさん、よいお年をお迎えください。

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