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2011年01月 アーカイブ

2011.01.01

fiduciary について-年頭のことば

あけまして、おめでとうございます。
2011年が明けた。今年はどんな年になるのであろうか。
とりあえず、私にとっての節目の年であることは間違いない。
3月末を以て21年勤めた神戸女学院大学を早期定年退職する。4月からは天下の素浪人、一介の武道家兼物書きとなる。
2月に着工した道場・稽古場・自宅が10月に竣工する。
一年365日使える自前のイベントスペースが出来るわけである。
いろいろなことができる。
今夢想しているのは多田先生の講習会を年一度開催すること。これは必ず実現したい。
甲野善紀先生と光岡英稔先生と守伸二郎さんの武術講習会。成瀬雅春先生の倍音セッション。安田登さんの能とロルフィングの講座。中村明一さんの密息呼吸法講習会。平川くんの松濤館空手講習会・・・アイディアはいろいろ湧いてくる。
舞台と見所があるから、能のセッションもできる。
大学院でやっているようなゼミを別のかたちで継続することもできる。畳に座り机を並べて、寺子屋みたいに輪読したりするのである。
想像するだけでわくわくしてくる。
これまでは「家を作る」ということにはほとんど興味がなかった。
子どもの頃はよく方眼紙に家の設計図を書いて、「夢のような家」を想像していた。
でも、あるときからぷつりと止めた。地価が高騰し、不動産が投機的に売り買いされるようになったときに、ぬぐい去るように家についての興味が失せたのである。
もう一生涯、賃貸住宅を移り暮らすのでいいや、と思った。
土地を買ったり、家を建てるためにあくせく働くなんてまっぴらご免だと思った。
土地はもともと誰のものでもない。
海や山や川や湖や沼や森が誰のものでもないように、誰かが私有するものではない。
世の中には、私有してよいものと、してはならないものがある。
もう何度も書いてきたことだけれど、私有してはならないものを「社会的共通資本」と呼ぶ。
「社会的共通資本は私的資本と異なって、個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、社会的に管理、運営されるようなものを一般的に総称する。社会的共通資本の所有形態はたとえ、私有ないしは私的管理が認められていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営されるものである。」(宇沢弘文、『社会的共通資本』、岩波新書、2000年、21頁)
社会的共通資本には土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境。道路、上下水

道、公共交通機関、電力、通信などの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、金融、司法、行政などの制度資本が含まれる。
これらのものは「それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるものであるということである。社会的共通資本の管理、運営は決して、政府によって規定された基準ないしルール、あるいは市場的基準にしたがっておこなわれるものではない。(・・・)社会的共通資本の管理、運営は、フィデュシアリー(fiduciary)の原則にもとづいて、信託されているからである。」(同書、23頁)
fiduciaryというのは聞き慣れない言葉だが、法律用語で「他者に属する資産を管理する立場にある受託者、被信託者」を意味する語である。
「ほんらい他者に属する資産を、たまたま専門的知見があるために、受託されて管理する」能力、そのようなものを社会的共通資本は要求する。
書くと簡単だけれど、これは市民的成熟ぬきには成り立たないマインドセットである。
宇沢先生が「受託者」という言葉に託したニュアンスは、先日来私が贈与を論じた中で「被贈与者」という言葉で言おうとしてきたこととそれほど違うものではないと思う。
天賦の才能は、才能ある人がいわば「受託された希少資産」である。
それゆえ、その管理運営は「イデオロギー」にも「自己利益の追求」にも基づいてはならない。共同体全体の利益のために、「専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって」管理運営されねばならない。
私は社会的共通資本のリストに「才能」というものを書き加えたいと思ったのである。
それに同意してくれる人たちもいるだろうし、同意してくれない人たちもいるだろう。
別に全員が同意してくれなくても、構わない。
「才能の専門家」たちのいくたりかが「そうだよな」と頷いてくれれば、私はそれでいい。
村上春樹の『走ることについて語るときに僕が語ること』や『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』は「書く」ことの専門家がその「専門的知見」と「職業的規律」について書いたもので
ある(少なくとも私にはそう読めた)。
それは村上さんが「自分はある種の才能の受託者だ」というふうに感じていることを表している。
例えば、次のような文章にはその「受託者の自覚」が記されているように私には思われる。
「僕は決して選ばれた人間でもないし、また特別な天才でもありません。ごらんのように普通の人間です。ただある種のドアを開けることができ、その中に入って、暗闇の中に身を置いて、また帰ってこられるという特殊な技術がたまたま具わっていたということだと思います。」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』、文藝春秋、2010年、89頁)
その「特殊な技術」は大上段にふりかぶった文学理論や勘定高いビジネスマインドによって管理されるべきではない。その技術の使い方について、長期にわたって集中的に考えてきた「専門家」に受託されなければならない。
村上さんはたぶんそう考えている。
村上さんが批評家たちの言葉に耳を貸さないのは、彼らが「ある種のドアを開けることの専門家」ではないと思っているからだろう。
土地の話をしているところだった。
土地は宇沢先生が社会的共通資本のリストの第一に挙げているものである。それは政策的に管理されるものでもなく、市場に委ねられるべきものでもない。
では、誰が土地管理の「専門家」なのであろう。
とりあえず土地の管理は「市民」(オルテガのいうcivis)に委ねられるべきではないかと私は思う。
市民というのは、共同体成員として共同体の統合原理や制度設計についての「知識を持ち」、かつ実際にその共同体に生身を置いて「生きている」もののことである。
「共同体はどうあるべきか」という理念的レベルと、「たずきの道」という生活実感レベルの両方に共属しているもののことである。
「社会はこうあるべきだ」という議論をするときに、「でも、それは私の手持ちの時間と余力で達成できることなのだろうか?」という問いがつねに切迫してくる。
どれほど政治的に正しくても、「先ず隗より始めよ」「ここがロドスだここで跳べ」と詰め寄られたときに生身で引き受けることのできそうもないことは「やるべきだ」とは自分からは言えない。
身体実感・生活実感という「コロキアル」なレベルによる検証を通過しないと、「大義名分」が口に出せない。
ある程度夢見がちなことも言うけれど、「明日の米櫃」の心配からも遊離することができない。
この「どっちつかず」こそが市民の手柄であり、いうなれば「市民の専門性」である。
土地の管理運営は、とりあえずはそのような、すぐれて「どっちつかず」の市民に委ねられるべきではないかと私は思う。
土地はそもそも社会的共通資本であり私有になじまないという「理念」を受け容れつつ、生活者として、その土地の上で現にやりたいこと、やらねばならぬことがあるという「たずきの道」の要請にも配慮せねばならぬという「どっちつかず」が現代社会における土地私有のとりあえずの条件ではないか。
ややこしい話で済まないけれど、そういうことである。
バブルの頃、土地は「貨幣」の代用品として売り買いされた。
誰も住まないマンションが株券のように取引され、ビルが建ち、誰も住まないうちに取り壊されて、またビルが建った。
貨幣の代用物として土地を売り買いするとそういうことになる。
だから自分の家を持つことについての興味をそのときに失った。
それが土地を買って家を建てる気になったのは、土地を買う金がたまったからではない。
「社会的共通資本としての土地の管理運営」ということの見通しが私なりに立ったからである。
土地を私物化・退蔵せず、開放的、公共的なかたちで用いる方途について、アイディアが浮かんだからである。
「贈与されたものを私物化・退蔵しないで、必ず適切な受け取り手にパスするはずだ」という信頼が「受託者」fiduciaryという立場を基礎づける。
受託者たりうること。
それを市民的成熟の要件として私たちは自らに課すべきではないかと思う。
年頭にあたって、自戒の言葉としてここに記すのである。

2011.01.04

教化的ということについて

母親の家は朝日新聞である。ふだんは毎日新聞なので、その違いに驚く。
朝日新聞には強い「指南志向」がある。
メディアが国民に進むべき道筋を提示するのはその本務であるから、異とするには当たらないが、三日ほど読んでいるうちに、だんだん腹が立って来た。
「無理でしょ、それは」というつぶやきがもれる。
今朝の新聞の一面は「できる子伸ばせ」という記事で、科学五輪のような「世界レベルへ選抜合宿」している「できる子」たちの様子が報告されていた。
いったいなぜこのような記事が一面トップに置かれるのか。
その理由については何も書かれていない。
国産のトップアスリートやトップアーティストやトップスカラーを大々的に顕彰することは国民全体の士気を鼓舞することになるという信憑がおそらく定着しているせいだろう。
けれども、ジャーナリスト諸君はその「チアーアップされる感じ」をご自身で実感されているのであろうか。
私はされない。
世界的な活躍をしている同胞の姿は「たまに見る」と「よし、オレもがんばらねば」という気分になることが私にもある。
でも、そのような鼓舞的な効果があるのは、飽くまで「たまに見る」からである。
そんなものをのべつ見せられて、「ほれ、こんなに頑張ってる人もいるんだぞ」と言われると、私はしだいに「うっせーな」という剣呑な気分になってくる。
私が今受験を控える高校生であったら、科学五輪のために合宿している高校生(これは一面の写真)や、ハーバード大学で世界の秀才たちと談笑している19歳の写真(これは三面の写真)を見ているうちにしだいにイラついてきて、コートを引っ掛けて「ちょっと、平川んち遊びに行ってくら」と家を出てしまったことであろう。(「あんた、センター試験まで、あと何日もないのよ!勉強しなくていいの!」という母の怒声を背中に受けつつ)。
私が高校生だったら、この記事のもたらすストレスには我慢がならぬであろう。
そういう想像力がこの記事を書いている記者諸君には果たしてあるのだろうか。
私にはあるようには思われない。
世界的なレベルのコンクールに出たり、ハーバード大学に留学できる可能性を自分のうちにすでに感知しており、この記事によってさらにやる気になりましたという高校生がいったい高校生の何パーセントいると彼らは思っているのだろうか?
0・1パーセント以下だと私は思う。
99・9パーセントの高校生は正月早々厭な気分になる。
ハーバード大学の学費は年間35000 ドル。四年で14 万ドルである。
年収6万ドル以下の家庭の子供は学費寮費無料と記事にはあるが、その奨学金のハードルがどれ
くらい高いかについては何も書いていない。
ずば抜けて勉強が出来るか、勉強もできかつ親が十分に金持ちであるか、どちらかの条件を満たしていなければ、この記事に載るような身分には手が届かないのである。
そしてたぶんそんな高校生は朝日新聞を読んでいない(電子版のWall street journal かGuardian を読んでいる。だって、ハーバード大学の試験に「天声人語」から出題される可能性はゼロだから)。
だとすると、この記事は誰に読ませるためのものなのか。
決してそんなチャンスには恵まれるはずのない人々の「羨望」を掻き立てる以外に、この記事にはどのような教化的効果があるのだろう。
私にはそれが分からない。
記事を書いている記者たちの中には子供が学級崩壊の公立中学に通っている人だっているだろう。
彼らは自社の記事を読んで気分がハイになるのだろうか。

中程にはコレクティブハウスについての記事があった。
このコンセプトの困難さについてはすでに書いた。
他者との共生のための能力を育成することが緊急であることについて、私は深く同意する。
そのことはこれまでも繰り返し書いてきた。
コレクティブハウスの問題点は、今提案されているモデルでは「すでに他者と共生する十分な市民的成熟に達したメンバー」以外はこの共同体には参加できないということである。
老齢であろうと、身体に障害があろうと、貧乏であろうと、成熟した大人であれば、そこにしかるべき地位を見い出すことができる。
けれども、市民的に未成熟な人には、このようなヴォランタリーな共同体は扉を閉ざしている。
そうである限り、これは一種の「強者連合」たらざるを得ない。
だが、私たちの社会の成員の過半は「市民的に未成熟な弱者」である。
彼らを排除した「リッチで、スマートで、クレバーな市民たちだけのコミュニティ」で暮らすことはずいぶん快適であろう。
けれども、そこには弱者を支援し、癒し、成熟に導くための装置がビルトインされていない。
私は共同体は「弱者ベース」で制度設計されるべきだと思っている。
癒し、支援し、教育する。
その三つの要素が整っていなければ持続的な共同体たり得ない。
私はそう思っている。
コレクティブハウスは「強者が快適に過ごすための制度」としてはたいへんスマートなものだと思う。
だが、それを利用できる人々の数は限られている。
そして、私たちの社会の喫緊の問題は「それを利用できるだけの社会的能力を欠き、市民的成熟に達していない人々」をどう癒し、支援し、成熟に導くかということなのである。
朝日新聞にはそのような問題意識がないとは思わない。
けれども、そのために「サクセスしている人たちをロールモデルとして提示して、羨ましがらせる」という方法にもっぱら頼っていることを残念に思うのである。


2011.01.05

生身の弱さについて

平川くんと新春の「たぶん月刊話半分」の収録を久が原の平川くんの家で行う。
平川くんのご実家を訊ねるのは40年ぶりくらいである。
久が原の街のたたずまいは昔とほとんど変わっていない。
子供の頃は、21世紀になるころはエアカーに乗って、銀色の宇宙服着て、宇宙ステーションみたいな学校に通うようになると信じていたけれど、ぜんぜんそんなふうにはならなかったね、とふたりで歩きながらぼそぼそ話す。
90年代のバブルの頃、街の様子ががらりと変わりそうになったけれど、それも一時のことだった。
人間は「ヒューマン•スケール」からはなかなか抜け出せないものだ。
生活の惰性というのは侮れないね、という話をして、頷き合う。
ラジオの主題はイデオロギーと生活感覚の癒合と乖離について。
空理空論のイデオロギーは危険なものだけれど、日本人の場合は、それを生活実感が覆してしまう。
「百日の説教、屁一つ」である。
いくら大義名分を掲げて偉そうなことを言っても、それを語っている当の本人の身体実感が言葉を裏打ちしていないと、「ここがロドスだ、ここで跳べ」という地場からの挑発には対抗できない。
身体実感のある言葉を語っているかどうか、それは久しく知的言説に対する日本の庶人の身にしみた「批評的」規矩であった。
私も平川くんも、高橋源一郎さんも、橋本治さんも、小田嶋隆さんも、町山智浩さんも、それを批評性の根拠としてきたと私は思っている。
けれども、この庶人的批評性には重大な弱点がある。
それは「イデオロギーが身体化してしまった人間の言葉」にはなかなか有効な反撃ができないということである。
日本軍国主義をドライブしたのは、いわゆる「青年将校」的なエートスであった。
これは石原莞爾的な「世界戦略」と「東北の寒村の次男坊三男坊の貧窮と飢餓と劣等感が生み出したルサンチマン」のアマルガムである。
都市の左翼的知識人やリベラル派は、「戦略」は批判できたが、「飢饉の年に娘を苦界に沈める貧農の苦しみが、お前らにわかるか」というタイプの恫喝の前には口を噤んだ。
日本では、このコロキアルな身体実感をもつ言葉と政治的幻想が癒合したタイプの言説が「最強」である。
明治維新も、中国アメリカとの戦争も、戦後の安保闘争も、全共闘運動も、フェミニズムも、それが「白熱した」のは、イデオロギーが身体を手に入れたときである。
私のこの苦しみの身体実感を、お前は想像できるか、追体験できるか、理解できるか、できはしまい…という「被抑圧者の肉声」の前に「市民」たちは黙り込む。
これは私たちの政治文化に深く根をおろした、伝統的な恫喝の語法である。
日本の知識人はこのような語り口に対して効果的に対抗する手段を持っていなかった。
結果的に、肥大した政治的野心をもつ人々は、どんな政治的主張であれ、最後に「お前らのようなぬくぬく暮らしている人間に、オレの苦しみがわかってたまるか」と付け加えて語りさえすれば、誰かも効果的な反論がなされないということを学習した。
これが「最強」であったのは、彼らのいわゆる「身体実感」がフェイクだったからである。
彼らが実感していると称する「オレの生身」それ自体がイデオロギーな構築物だったからである。
ほんとうの生身はアモルファスで、密度に濃淡があり、多孔的で、へなへなしていて、そこいらじゅうに「取りつく島」がある。
私たちが身体実感を批評性の基盤に選んだのは、そこが不俱戴天の対立者をも対話に導きうるぎりぎり最終的な基盤たりうると信じたからである。
言語が違っても、宗教が違っても、生活習慣が違っても、政治イデオロギーが違っても、生身をベースにする限り、私たちは共通のプラットホームに立つことができる。
というのは、生身は疲れ、飢え、傷つき、壊れるからである。
可傷性、有限性、脆弱性が「生身の手柄」である。
どれほど政治的に正しいプランであっても、一日八時間眠り、三度の飯を食い、風呂に入り、酒を飲み、生計を立て、家族を養い「ながら」できること以上のことは生身の人間にはできない。
一時的にはできても、長くは続けられない。
その生身の脆弱性がイデオロギーの暴走を抑止している。
そう信じたからこそ、身体を社会関係の基盤にすえることを私たちは求めてきたのである。
しかし、今私たちが直面しているのは、もう少し複雑な状況である。
私たちの前に立っているのは、自分の身体実感を観念的に操作することのできる人々である。
長い自己欺瞞の訓練によって、イデオロギー主導で、ヒステリックになったり、激昂したり、涙ぐんだりできる人間たちが生まれた。
彼らはそうやって「フェイクの生身」を操作して、イデオロギーに身体実感という担保を付けることに成功した。
戦前の軍国主義イデオロギーの圧倒的な成功は、この「観念的に操作された、作りものの痛み」を縦横に駆使しえたことにある。
「プロレタリアの悲しみが、貧農の痛みが、前線で泥水を啜る兵隊の苦しみが、お前らのような気楽な市民にわかってたまるか」という決めの台詞をかんどころで絶叫すれば、あらゆる市民的反論を封殺できる。
それは民族の集合的経験知としてアーカイブに登録された。
そして、時々そこから取り出される。
60年代のいわゆる「肉体の叛乱」は、この軍国主義の利器を左翼的に奪還する試みであったと私は思う。
その奪還戦は確かに局地戦的には勝利を収めた。
だが、その勝利は「フェイクの生身」という取り扱いのむずかしい政治的な「飛び道具」の定性分析や統御技法の学的とらえ返しをもたらした訳ではなかった。
そのあとフェミニズムという派生物を挟んで、30年ほど身体性の希薄な時代が続いた。
生身の政治学について私たちが忘れかけたころに、再び「それ」は別の意匠をまとって戻ってきた。
私たちの前にいる政治的ポピュリズムである。
ポピュリズムとは、「生身を偽装したイデオロギー」である。
コロキアルで、砕けた口調で、論理的整合性のない言説を、感情的に口走ると、私たちはそれを「身体の深層からほとばしり出た、ある種の人類学的叡智に担保された実感」と取り違えることがある。
そのことを一部の政治家とイデオローグたちは学習した。
侮れない人々である。
彼らの語り口は私や平川くんや高橋さんのそれと表面的には似ていなくもない。
コロキアルでカジュアルな文体の上に、学術的なアイディアや政治的な理念が乗っている。
でも、彼らの話の方がずっと分かりやすい。
彼らは「プロレタリアの苦しみ」の代わりに「普通の人間である、オレの利己心と欲望」をベースに採用した。
おい、かっこつけんじゃねえよ。
お前だって金が欲しいんだろ?
いい服着て、美味い飯を喰いたいんだろ?
それでいいじゃねえか。
隠すなよ。
他人のことなんか構う暇ねえよ。
自分さえよければそれでいいんだよ。
そういう「リアルな実感」の上に「やられたらやり返せ」というショーヴィスムや市場原理主義や弱肉強食の能力主義の言説が載っている。
私たちの言葉と彼らの言葉をわかつのは、そのような下品な言葉に生身の人間は長くは耐えられないという 、私たちの側の「弱さ」だけである。
弱さは武器にはならない。
けれども、最終的に人間性を基礎づけるのは、その脆弱性なのだと私は思う。
平川くんと都知事選の話をしているうちに、そんな話になった。

2011.01.09

コピペはダメだよ、について

卒論を読んでコメントをつけて返すという仕事をしている。
疲れる。
ほとんど同じことをどの学生についても書いているからである。
「出典の書誌情報を明記しなさい」
この二年間、ことあるごとにゼミで言っているのだが、ほとんどの学生はそのほんとうの意味は理解していない。
それをたぶん「ズルをしてはいけません」という警告のように聴いているのだろうと思う。
「カンニングするな」とか「授業中私語をするな」とか「教室でカップ麺を食べるな」というような注意と同列のものだと、たぶん思っている。
しているところを見つかったら叱られるけれど、見つからなければどうってことない、とたぶん思っている。
それでいったい誰が困るというのよ、とたぶん思っている(キムチ味のラーメン臭が教室に漂っていると、次の授業に教室を使うものは苦しむぞ)。
自己利益の追求を優先させることは悪いことではない、と教えられてきたからである。
自己利益の追求がルールに違反する場合には、得られる利益と違反のペナルティを考量して、ペナルティが多そうな場合には利益追求を自制する、というのが「合理的判断」だと思っている。
ネット上で公開されているテキストをあれこれとコピペして卒論を書くということは、「時間とエネルギーの節約になり、わずかな知的投資で大きな利益(卒論8単位)をゲットできる」効率的なふるまいである。
それに対するペナルティは「当該科目を0点とする」、つまりこの3月には卒業できなくなり、内定した就職先をあきらめて留年しなければならないということである。
見つからなければ、ラッキー。見つかればアンラッキー。
この「さじ加減」がむずかしいのよね・・・と熟慮されているのかも知れない。
困ったものである。
つねづね申し上げているように、出典について書誌情報を明記するのは、「私は先人からの『パス』を受け取った」というシグナルである。
先行研究は贈り物である。
私は贈与を受けた。
それゆえ、反対給付の義務を負っている。
けれども、贈与は贈与者にそのまま送り返すことができない。
それは「次の受け取り手」に向けてパスされなければならない。
贈与されたものに対する反対給付義務の遂行とは、「等価のものを贈与者にお返しして、チャラにする」ことではない。
反対給付義務は、「自分自身を新たに贈与者として立てる」というかたちで遂行するしかない。
自分自身が新たに贈与者となることによってはじめて、被贈与者であることの負債から解放される。
先行研究に対する負債は、自分自身が次の世代に知的な贈り物をなすことによってしか解消されない。
コピペ論文の本質的な瑕疵は、そこに書いてある情報や数値が間違っているからではない。推論が間違っているからでもない。
ちゃんと「正しいこと」が書いてあり、場合によっては、けっこうきれいにまとめてある。
でも、そこにはそのようなものを贈ってくれた先人への「感謝」の言葉が書き落とされている。
「私はたしかにパスを受け取りました(ありがとう)」という言葉が書かれていない。
その論文を、すべて自分がゼロから作り上げたオリジナル作品であるかのように「誤認」されるリスクに対して、防御の手立てが取られていない。
「パスをありがとう」と書いていないということは「私はこの論文について誰の恩恵もこうむっていない」という宣言をなしたに等しい。
書き手はそれを誰かへの贈りものに仕上げるという義務を免ぜられる。
全部自分で作ったものであれば、誰にも借りはない。誰にもそれをパスする義務がない。
そして、「誰にもパスする義務がない」という権利事実を人々の前で明らかにするにはきわめて雄弁な方法が一つある。
一つだけしかない、と言い換えてもいい。
それはみんなの目の前でそれを叩き壊してみせるということである。
「これは隅から隅までオレのものだ」と言う人間だけが、それを叩き壊す権利を持っている。
というのは、「パスされたもの」について、私たちはそれを毀損する権利を持っていないからである。
私たちはそれをどんな犠牲を払ってでも、毀損することなく、次の「レシーヴァー」に手渡さなければならない。
だから、「これは誰からもパスされたものではなく、隅から隅までがオレの私物である」とあくまで言い張ろうとする者は、いずれそれを衆目の前で、たたき壊し、踏みにじり、ドブに蹴り棄ててみせるパフォーマンスを強いられるようになる。
ほんとうにそうなのだ。
コピペ論文の本質的瑕疵はそこにある。
どれほど巧妙に書かれていたとしても、みごとな仕上がりでも、「こんなもの、オレにとってはただのゴミにすぎないよ」という言葉とともに足蹴にされる可能性をコピペ論文はあらかじめ刻印されている。
「こんなもの、ただゴミさ」というささやきは、書き手自身の無意識を貫いて、論文の表層に露出する。
書き手がどれほど知的に卓越していても、巧妙な文章家であっても、「剽窃」したものは、その書き手のポテンシャルをもってすれば書かれたはずの作品よりもレベルの低いものになる。
必ず、なる。
それは書き手自身がその作物ができるだけすみやかに誰にも顧みられなくなることを願っているからである。
というのも、査読者が一度読んで採点すると同時に賞味期限が切れ、以後は情報として無価値なので、誰にも読まれないことが「剽窃論文」にとってもっとも安全なポジションだからである。
剽窃論文のきわだった特徴は「ちょっと遅れた速報性」にある。
二三年前の「最新データ」や数値や仮説が紹介してある。
嘘をつく人間が、そのときだけ少し早口になるように、剽窃をする人間は、賞味期限の短い学術情報を好んで引用する。
それによって、自分の論文の「余命」を短くしようとするのである。
自分自身の作物ができるだけ早く死ぬことを、できるだけ少人数にしか読まれないことを願うという倒錯が剽窃論文の本質的瑕疵である。
それは自分自身に対する呪いである。
剽窃者は自分自身の知的なアクティヴィティが質の悪いものであることを切望するようになる。
何度も書いていることだが、自分が自分にかけた呪いを解除することはきわめてむずかしい。
出典についてはきちんと書誌情報を明記し、「贈り物をありがとう」と記載せよと私がうるさく言うのは、そのような気遣いをしたものは必ず読者への「贈り物」になるようなものを書こうと願うからである。
自分の作物ができるだけ長く読み継がれ、できるだけ多くの読者を得ることを願うようになるからである。
その願いが論文のクオリティを押し上げる。
アカデミアの目的は、学生たちに自分の知的なポテンシャルに気づかせ、それを高め、活性化する方途を発見させることである。
そのためには何を措いても「贈与されたものを次の受け取り手にパスする」というふるまいを会得してもらわねばならない。
パッサーとなること、それが人間の知的なパフォーマンスを最大化させる。
「ありがとう」という言葉をまず口にすること。
それは倫理のレベルの話ではない。
知性の機能にかかわる、ほとんどメカニカルな話なのだ。
その理路を教師は卒業の間際まで、寸暇を惜しんで、教え続けなければならない。

2011.01.12

エマニュエル・レヴィナスによる鎮魂について

大学院のゼミも残すところ3回。
今期は私の書きものを一冊選んで、それについて発表者がコメントするという形式を採っている。
昨日は前田さんが『困難な自由』を選んで、発表してくれた。
『困難な自由』はレヴィナスの著作で、私の書きものではないが、私が最初に手に取ったレヴィナスの著作であり、それにうちのめされてやがて「弟子入り」に至る、私にとってはまことにエポックメイキングなテクストである。
個人的にはきわめて思い入れのある本なので、1985年と2008年と二回翻訳を出している。
前田さんが著作の紹介と、その中の「来るフレーズ」のご披露のあと、訳者への質問をご用意くださったので、それにお答えするかたちでゼミを進めることになった。
おおかたのゼミ生は『困難な自由』そのものを読んでいないので、本についての注釈ではなく、もっぱら、私がこの著作からどのような影響を受けたのかというパーソナルな話題に終始した。
「レヴィナスと私」について話しているうちに、いろいろなことに気づいた。
もう何度も書いていることだけれど、哲学者の書きものを読むというのは、徹底的に個人的な仕事である。
読む者が、そこに傷つきやすく、壊れやすい、しかし熱く息づいている生身を介在させない限り、智者はその叡智を開示してくれない。
レヴィナスは「語られざること」(non-dit)が読み手に開示されるのはどのような場合かについて、次のような印象深いフレーズを書き残している。
「解釈は本質的にこの懇請を含んでいる。この懇請なしでは言明のテクスチュアのうちに内在する『語られざること』(non-dit)はテクストの重みの下に息絶え、文字のうちに埋没してしまうだろう。懇請は個人から発する。目を見開き、耳をそばだて、解釈すべき章句を含むエクリチュールの全体に注意を向け、同時に実人生に-都市に、街路に、他の人々に-同じだけの注意を向けるような個人から。懇請は、そのかけがえのなさを通じて、そのつど代替不能の意味を記号から引き剥がすことのできる個人から発する。」(Emmanuel Lévinas, L’audelà du verset, p.136)」
レヴィナスの哲学に対する読者の構えについて、これ以上の言葉は不要であろう。
読者に課せられているのは、他のどのような読者もそこから読み出さなかったような読みを「記号から引き剥がす」ことである。
そのために、読者はテクストに没入すると同時に「都市に、街路に、他の人々に-同じだけの注意を向ける」ことを求められる。
「存在するとは別のしかた」(autrement qu’être) というレヴィナスの難解な概念がすとんと肚に収まったのは、父親が死んで、小さな骨壺と遺影を置いた棚に向かって、無人の家に帰るたびに「ただいま」と挨拶して手を合わせることが習慣化したときのことである。
死んだ父はもう「存在しない」。けれども、父の語ったこと、語ろうとしたこと、あるいは父がついに語らなかったことについて、私は死んだ後になってからも、むしろ死んだ後になって、何度も考えた。
そして、そのようにして「解釈された亡き父親」が私のさまざまなことがらについての判断の規矩として活発に機能していることにある日気づいた。
存在しないものが、存在するとは別の仕方で、生きているものに「触れる」というのは「こういうこと」かと、そのとき腑に落ちた。
そのとき、「他の人々に注意を向ける」ことなしには「聖句」の「語られざること」は開示されないというレヴィナスの言葉の中の「他の人々」には死者たちが含まれるということに気づいた。
含まれるというより、むしろ「他者」とはレヴィナスにおいて、ほとんど「死者」のことなのだ。
「存在するとは別のしかたで、あなたがたは私に触れ続ける」という言葉は死者に向けて告げられる鎮魂の言葉以外の何であろう。
600万人の同胞の死の後に生き残ったユダヤ人であるレヴィナスにとって「鎮魂」以上に喫緊な人間的課題があるはずがない。
そのことに気づくために、私もまた親しい人を弔う必要があった。
レヴィナスは「倫理」を語る。
倫理とは思弁ではない。
それは「同胞たちと共に生きるための理法」のことである。
「共に生きる」という動作のうちには死者たちをも招き入れることが必要だ。レヴィナスはそう考えた。そう考えなければ、ホロコーストの後にも生き延びることはできない。
フッサール現象学における「他我」には「死者」が含まれている。死者たちは私たちとともに対象の超越論的構成に参加している。
ハイデガー存在論における「共存在」には「死者」が含まれている。
「共存在は、他者というものが現事実的に見あたらず、知覚されていないときでも、実存論的に現存在を規定しているのである。」(『存在と時間』)
死者たちとともに私たちは世界を作っているという基本的立場において、レヴィナスはたしかにフッサールとハイデガーの学統に連なっている。
けれども、フッサールとハイデガーの死者たちはある意味で「静かに死んでいる」。
ひどい言い方をすれば、「現事実的に有用」なしかたで死んでいる。
それはたとえばハイデガーが帝国のために死んだドイツの若者を顕彰する誇らしげなくちぶりからもうかがえる。
レヴィナスの死者たちは、それとは違う。
死者たちは「他我」や「共存在」として世界の構成に参加し、生きているものたちのために世界の意味に厚みを持たせたりするような有用な仕事をするよりも先に、レヴィナスにおいては、まずその痛みと悲しみを鎮めなければならないものとして切迫している。
死者たちは終わらない苦痛と、絶望の中で「存在しない」という様態を負わされている。
死者たちを鎮魂しなければならない。
この緊急な責務をおのれの哲学の主題として引き受けたという点に哲学者レヴィナスの「かけがえのなさ」はある。
エマニュエル・レヴィナスの哲学はホロコーストを経験した20世紀のヨーロッパでしか生まれなかったものだ。
そのような歴史的状況がレヴィナス哲学の出現を懇請したのである。
「都市と街路」と、何よりも他の人々のために、鎮魂の言葉を書き連ねる哲学者を懇請したのである。

2011.01.20

特殊な能力について

京大の仏文の吉川一義先生にお招きいただいて、京大で講演をする。
吉川先生は東京都立大時代の同僚である。
同僚といっても、こちらは「お茶くみ、コピー取り」の助手であり、先生はプルースト研究者としてすでに一家をなしていたわけで、同列には論じがたいのであるが、まことにフレンドリーな先輩で、ご一緒したのは先生が東京女子大から赴任され、私が神戸女学院大学に去るまでの、二年間だけだったが、たいへん愉快な時間をともに過ごさせていただいた。
先生はフランス文学研究者としては例外的に「社会的常識のある方」である(という書き方をして仏文学者二千人をいきなり怒らせるというあたりに私の「社会的常識のなさ」は露呈しているので、そんな人間から「社会的常識のある方」と言われても「ウチダさんのその判断の蓋然性は誰が担保するのさ」と吉川先生は曇った顔をされるであろうが)。
世界的なレベルの学者でありながら、温厚で配慮の行き届いた方なのでいまは仏文学会の会長をされているそうである。
私はその仏文学会があまりにつまらないのでオサラバしたという話を昨日の講演のマクラに振ったのであるが、まさか当の吉川先生が学会長だとは知らなかった。
「それにしても社会的常識のないやつだな」と先生はさぞやがっくりされたと思う。
申し訳ない。
講演のタイトルは「日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)」。
これまでも何度も書いたことだが、自然科学の先端的な研究に従事している学者たちとお話するのはほんとうに面白い。
この数年のあいだに話をきいてどきどきした学者はほとんど全員「理系の人」である。
養老孟司、名越康文、池上六朗、福岡伸一、茂木健一郎、三砂ちづる、春日武彦、池谷裕二、仲野徹、岩田健太郎・・・
文系の学者で「話を聴いているうちに頬が紅潮するほど知的に高揚した」という人は、残念ながら一人もいない。
なぜか。
理由はいろいろあると思う。
一つは、理系の先端研究者は「なまもの」を扱っているということ。
養老先生は以前「情報」と「情報化」の違いについて教えてくださったことがある。
「情報」というのはすでにパッケージされ、その意味や有用性が周知されているもののこと。
「情報化」とは、「なまの現実」を切り出し、かたちを整えて、「情報」にパックする作業のことである。
文系の学者たちは、情報の操作には長けているが、「なまの現実」を情報化するという作業にはあまり関心がないように見える。
「なまの現実」というのは、端的に言えば、「生き死ににかかわること」である。
例えば、医療の現場では、そこに疾病や傷害という「なまの現実」がある。
それを手持ちの医療資源を使い回して「どうにかする」しかない。
「こんな病気は存在するはずがない」とか「こんな病気の治療法は学校では習わなかった」という理由で診療を拒むことは許されない。
とにかく何かしなければいけない。
池上六朗先生は患者が来たら「何かする」のが治療者である、とおっしゃったことがある。
「正しい治療」をするのではない。
「何かする」のである。
治療は「結果オーライ」だからである。
人間の身体のような「なまもの」は「正しい治療」をすればさくさくと治癒するというものではない。
「正しくない治療」をしても、治療者が確信をもって行い、患者がその効果を信じていれば、身体的不調が治癒することがある。
新薬の認可がなかなか下りないのは、「画期的な新薬」を投与したグループと「これは画期的な新薬です」と言って「偽薬(プラシーボ)」を投与したグループのどちらの患者も治ってしまうので、薬効のエビデンスが得られないからである。
その点では、現代人に呪術医療を侮る資格はないのである。
池上先生は大学病院が匙を投げた難病患者を受け容れたときに、することを思いつかなかったので、とりあえず「九字を切った」ことがあるそうである。
「臨兵闘者皆陣列在前」と唱えて空中で縦横に指を切ったら、患者は治ってしまった。
池上先生は患者が来たらいつも九字を切るわけではない。
そのときは「たまたま」九字を切りたい気分になったそうである。
治療者の資質はたぶんここに現れる。
「なまもの」相手のときは、マニュアルもガイドラインもない。
「なまもの相手」というのは、要するに「こういう場合にはこうすればいいという先行事例がない」ということだからである。
どうしていいかわからない。
どうしていいかわからないときにでも、「とりあえず『これ』をしてみよう」とふっと思いつく人がいる。
そういう人だけが「なまもの相手」の現場に踏みとどまることができる。
どうしていいかわからないときにも、どうしていいかわかる。
それが「現場の人」の唯一の条件だと私は思う。
私が知り合った「理系の人たち」はどなたもそういう「なまの現場」に立っている方たちである。
現場にとどまり続けるためには「わからないはずなのだが、なんか、わかる」という特殊な能力が必要である。
そのことを先端研究にいる人たちはみんな熟知している。
だから、その「特殊な能力」をどうやって高いレベルに維持するか、そのことに腐心する。
先に名前を挙げた方たちのふるまいをみていると共通点がある。
それは「やりたくないことは、やらない」ということである。
これは領域を問わず、先端的な研究者全員に共通している。
やりたくないことを我慢してやっていると、「わからないはずのことが、わかる」というその特殊な能力が劣化するからである。
どうしてだか知らないけれど、そうなのである。
だから、自分に負託された使命が切迫している人ほど「特殊能力の維持」のために、さまざまなパーソナルな工夫を凝らすようになる。
池上先生が水に潜ったり、三砂先生が着物を着たり、池谷さんがワインとクラシックにこだわったり、茂木さんが旅したりするのは、それぞれのしかたで「そうすると、自分の特殊な能力が上がる」ことがわかっているからである。
別に趣味でなさっているわけではないのである。
「やりたくないことは、やらない」という厳しい自律のうちにある人たちは、だから総じていつも上機嫌である。
上機嫌であることが知性のアクティヴィティを(「おめざ」のあんこものと同じくらいに)向上させることを彼らは知っているから、「決然として上機嫌」なのである。
オープンマインドとハイ・スピリット。
これが知的にアクティヴな人の条件である。
そういう人たちが「ダマ」になっている学術領域は「生きがいい」ところである。
不機嫌な人や、威圧的な人や、心の狭い人や、臆病な人や、卑屈な人がマジョリティを占めているような学術領域は「先がない」。
現在のその学術領域に配分されている予算や、大学教員のポスト数や、メディアへの出場頻度や、政府委員の数や、受勲者リストの長さなどとは何の関係もなく、「先がない」のである。
ある学術領域が「生きている」かどうかは、そのフロントランナーたちが「なまもの」を扱っているかどうかで決まる。
第一線に立つ人たちが、「それをどう扱っていいか、まだ誰も知らない素材」を扱っているかどうかで決まる。
私はそんなふうに考えている。
文系の、それも文学研究における「なまもの」とは何であろうか。
私はそれは畢竟するところ「人間の知性」だと思う。
文学研究の対象は人間の知性である。
人間はどのように推論するのか、どのように想像するのか、どのように欲望するのか、どのように臆断に囚われるのか・・・それを研究するのが人文科学の仕事ではないかと私は思うのである。
研究の「素材」はなによりもまず自分自身である。
自分自身の知性の好不調や、妄想や欲望の亢進と停滞、想像の逸脱、推論の逸脱・・・それはどのような法則に基づいて生起し、どのように構造化されているか。
知性によって現に活動している知性そのものを遡及的に解明する。
この不可能なアクロバシーを託されていることこそが人文科学の栄光ではないのであろうか。
昨日の講演のあとの質疑応答では「文学は大学教育に必要なのでしょうか?」という質問があった(質問したのは経済学部の学生。質問には「文学なんか不要でしょ?」というニュアンスが込められていた)。
とてもよい質問だと私は思った。
「文学はなんのためにあるのか?」
これは文学研究者がまっさきに考えなければならない問いである。
もちろん「正解」があるわけではない。
けれども、文学研究をする人間であれば、志したときから、死ぬまで考え続けなければならない問いである。
「文学はいかにして可能か?」
思えば、私はモーリス・ブランショのこのエッセイを精読するところから文学研究を始めたのだった。
「文学はいかにして可能か?」
この問いをつねに胸元に突き付けられた匕首のように受け止めること。
それが文学研究者のあるいは唯一の条件ではないのであろうか。

2011.01.23

最終講義と、パーティのお礼

1月22日最終講義。
21年間勤めた神戸女学院大学へのお別れと、感謝のご挨拶をする。
別に「講義」というほど肩肘張ったものではないのだけれど、それを聴くために、わざわざ遠方から岡田山まで来てくださっている人がいるので、ある程度はまとまりのある話をしなければいけない。
愛神愛隣、リベラルアーツ、ヴォーリズの学舎
という三題噺をすることに前夜明け方ベッドの中で決める。
リベラルアーツとヴォーリズについては、これまでも何度も書いてきたことなので、もうここでは繰り返さない(いちばん最近のヴォーリズ論は今月号の『新潮45』に「死者からの贈与」のみごとな事例として取り上げたので、お時間のあるかたはどうぞご覧ください)。
愛神愛隣について。
「愛神愛隣」は本学の学院標語であり、出典はマタイによる福音書の22章34節から40節。
律法の中でどの掟がもっともたいせつかというパリサイ派の律法学者の問いにイエスはこう答える。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これがもっとも重要な第一の掟である。第二の掟もこれと同じように重要である。隣人をあなた自身のように愛しなさい。律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている。」
私は教務部長として、入学式卒業式で4年間16回、この箇所を、この講堂で、朗読した。
聖句というのは声に出して読むものである。
声に出すことで、聖句はつよい物質性を帯びるようになる。
この聖句はイエスのオリジナルではなく、古代からラビたちに口伝されてきた、ユダヤ教の起源に遡る教えだと飯先生に教えていただいたことがある。レヴィナス老師もこの聖句をユダヤ教の本質に触れるものとして、詳細な注解を加えている。
おそらく私たちが「宗教」という名で総称している心的態度のもっとも本質的なものがこの聖句には託されている。
「超越的な境位」と「具体的な境位」を結びつけるのは「ここにいる、他ならぬこの私である」と名乗ること。
神のいます超越的な世界と、隣人のいる現実的な世界は、ここにいる、この私が、その生身を捧げることによってのみ架橋される。
超越的境位は、それだけで自存することができない。
「信じるものをもたない神」、「被造物をもたない造物主」というのは悖理である。
神は世界を持たなければならない。
この不完全な世界において、不完全な被造物たちが、それぞれの有限な資源をかき集めて、神のかたちをかたどり、神の摂理を忖度し、神の秩序をこの地上に実現しようと試みるときはじめて、神は欠性的に開示される。
レヴィナスはホロコーストの後に、民族の最大の災厄のときにも天上的な介入を行わないような神は信じるに値しないという理由から信仰を捨てようとした西欧のユダヤ人たちに向かってこう告げた。
あなたがたはこれまでどのような神をその頭上に戴いていたのか。
それは善行をしたものには報奨を、悪行をなしたものには懲罰を与える、そのような単純な神だったのか。
だとすれば、それは幼児の神である。
だが、私たちがこうむった災厄は神のなしたものではない。
人間が人間に対してなしたことである。
人間が人間に対して犯した罪を神が代わって贖うことはできない。
人間が人間に対して犯した罪は人間しか贖うことができない。
神がもしその威徳にふさわしいものであるなら、神は必ずや「神抜きで、独力で、地上に公正と平安をもたらすだけの能力を備えた被造物」を創造されたはずである。
神の支援がなければ何もできず、ただ暴力と不正のうちで立ち尽くすようなものを神が創造されるはずがない。
人間が人間に対して犯した不正は、人間が独力で、神の支援抜きで正さなければならない。
人間が自分ひとりの力で、地上に平和で公正な社会を実現したときにはじめて私たちはこう宣言することができる。
「世界を創造したのは神である。なぜならば神が手ずから創造すべき世界を被造物である私たちが独力で作り出したからである。神がなすべき仕事をみずからの責務として果たしうるような被造物が存在するという事実以上に神の威徳と全能を証明する事実があろうか。」
「唯一なる神に至る道には神なき宿駅がある」(Difficile Liberté, Albin Michel, p.203)
神を信じるものだけが、神の不在に耐えることができる。
成人の信仰とはそのようなものである。
レヴィナスはそう述べて、ヨーロッパ・ユダヤ人社会を崩落寸前の崖っぷちで食い止め、タルムードの学習と戒律遵守を喜びとする伝統的で静かな信仰の生活のうちにユダヤ人たちを押し戻した。
私は老師のその教えと同じ起源をもつ聖句としてこの「愛神愛隣」の言葉を受け止めている。
それは超越的な世界とこの現実の世界を媒介するのは、「公正で慈愛に満ちた世界を構築する仕事を、まず自分の足元から始めるひとりの生活者である」ということである。
私たちは私たちの手持ちの資源しか差し出すことができない。
そのささやかな資源を以て「世界をすみごこちのよいものにするための人類史的な作業」のどの部分を自分が担いうるかを吟味すること。
そのようなしかたで自分の有限な知恵と力を工夫して使うことのできる人たちを世に送り出すこと、それが遠い中東の荒野に発祥した信仰が長い歳月と遠い距離を踏破して、この列島に着床してかたちをとったこの学舎の聖史的使命ではないかと私は思うのである。
私は39歳からの21年間、レヴィナスの読書と神戸女学院の宗教的エートスに深く浸かることによって、気づかぬうちに、ユダヤ=キリスト教的な倫理を私自身の「日本的身体」の構造となじませる道筋をずっと工夫してきたようである。
退職の日を間近にして、昨日ようやくそのことを知った。
私がこの大学に負っているものは、たぶん私が想像しているよりずっと多い。
そのKCからの「贈り物」のリストはこれから(あぶり出しの文字のように)、時間をかけてゆっくりと言葉になってゆくのだろうと思う。


最終講義、茶話会、退職記念の歓送迎会(不思議なネーミング)においでくださった方々、準備のためにお骨折りくださった方々、遠くから応援してくださった方々に、心からお礼を申し上げます。
飯謙学長、山本義和先生、松田高志先生、川合真一郎先生、茂洋先生はじめKCの同僚の皆様、日本各地から参集してくれた内田ゼミの歴代の卒業生諸君と記念品贈呈して泣かせてくれた現役のゼミ生たち。東京から来てくださった高橋源一郎さん、鈴木晶さん、関川夏央さん、中沢新一さん、茂木健一郎さん、安田登さん、鶴澤寛也さん、そして平松邦夫市長。何度も登壇させてしまった平川くん、10分くらい独演会しちゃった画伯、パッチ姿も凛々しい江さん。10年ぶりの「ウンパンマン」のニューヴァージョン「となりのタツル」を見せてくれたヤベッチ、クー、おいちゃん、かなぴょん、エグッチ。準備のために長期間奔走してくれたホリノさん、ドクター佐藤、ゑびす屋谷口さん。ナレーションしてくださった西靖さん。茶話会仕切ってくれたウッキー。最終講義をツイートしてくれた前田さん、藤井さん。お菓子と写真担当の宇都くん、あらゆる雑用で走り回ってくれた黒田くん、ヨハンナ、サーシャ&カナコと合気道部と杖道会のみなさん。「祭り」を笑い声で盛り上げてくれた甲南合気会と甲南麻雀連盟(本部ならびにスーさん率いる浜松支部)の諸君とフルメーク・ドレスアップの司会のサキちゃん。そして、最初から最後まであらゆる場所で大活躍だった大迫力くん。
まだまだとても名前を書ききれませんけれど、ほんとうに、ほんとうに、みんな、どうもありがとうございました。
(追記:と書いてアップロードしてから、なんだか大事な人たちのことを忘れていたような気がしていたが、夕方お風呂に入っているうちに思い出した。私はお客さまたちのうち、すべての編集者の名前と、民主党のおふたりの議員の名前を書き漏らしていたのである。
無意識のこととはいいながら、「仕事の話を持ってきてくださる方々」のことを忘れようとする抑圧の強さにいまさらながら驚嘆するのである。(なにしろさっきまで足立さんと光嶋くんと担当の前田さんと『芸術新潮』の打ち合わせしてたんだから)
というわけで、いまさら手遅れですけれど、その足立さん、三重さん、野木さん、加藤さん、岡本さん、吉崎さん、井之上さん、安藤さん、白石さん、鳥居さん、杉本さん、大村さん、大波さん、浅井さん、古谷さん、川口さん、ヤマちゃん、大室さん、平林さん、三島くん、遠路はるばるありがとうございました。
それからお忙しいなかお越しいただきました松井孝治さんと細野豪志さんにもお礼申し上げます。


2011.01.24

四月になれば私は・・・

そうなるのではないかと思っていたが、最終講義とパーティーが終わったとたんに脱力して、ぐーすか寝続けている。
まだ礼拝もあるし、授業もあるし、もちろん会議もあるし、入試業務も合否判定もレポートの採点も卒業判定も卒業式も謝恩会もあるのだが、なんだか「もうだいたい終わった」感がじくじくと身体の芯からにじみ出してきて、「わし、もうどーでもえーけんね」状態になりつつある。
たぶん四月になって、もう全部終わった・・・と思ったとたんにばたりと倒れて一週間くらいベッドから起き上がれないということになるのではないかと思う。
『あしたのジョー』と同じで、ゴールめざして走っている間はパンチ・ドランカー症候群は発症しないのである。
そういうことが過去20年間に2回あった。
最初は93年の春、次は96年の秋。
93年の春は、離婚して、小さな娘の手を引いて神戸に移ってきて、見知らぬ街で、新しい職場に適応するために必死になって二年間がむしゃらに生きた後、ようやくいろいろなことが片づいて、ほっと一安心したところで高熱を出して倒れて、3週間入院した。
96年は震災のあと1年間大学再建のために必死になって働いて、ようやくいろいろなことが片づいて、ほっと一安心したところで壮絶な不眠症と鬱に襲われて、これは97年の春まで半年近く悶え苦しんだ。
どちらも「気合いで体力の不足を補う」という無理を長期にわたって続けたことの「ツケ」を払ったのである。
どこかで「前払い」してもらったものは、そのうち「精算」を求められる。
ちゃんと帳尻は合っているのである。
管理職になってからの6年間の「無理」は体力的なものというよりは、「立場上の無理」であるから、解放されたあとに「倒れる」というかたちでは発症しないのではないかと思う。
「立場上の無理」というのは、DVDの冒頭にアナウンスしてある「インタビューにおける発言などは個人のものであって、●●映画会社の公式見解ではありません」という、あれである。
大学教員はその個人的発言を「●●大学の公式見解」と取り違えられるリスクを負っている。管理職であればなおさらである。
というかそもそも「大学の教師ともあろうものが」という一般的な「教員イメージ」についての連帯責任を負っている。
私は大学の教師を32年やってきた。
「大学の教師である以上、・・・はしてはならない」という自己規制はほとんど血肉化している。
その「縛り」からついに解放されるのである。
だから、こんどは「さんざん無理をしてきた分の債務を払う」というよりは、「さんざん無理をさせられてきた分の債権を回収する」というかたちで発症するのではないかと思う。
つまり、四月になると、これまでの私以上に、態度が悪く、横着で、無責任で、傍若無人な人間として再生するのではないかと懸念されるのである。
これまでだってずいぶん非常識な人間だったのである。
その「たが」がさらに外れた場合にどうなるのであろう。
何をしても、もう「譴責」とか「訓戒」とか「減俸」とか「始末書」とか、そういう心配をしなくてもよいのである。
「天下の素浪人」なんだから。
四月以降私が属する組織は多田塾甲南合気会と甲南麻雀連盟だけで、それはどちらも私が「師範」であり、「総長」なのであって、人々を譴責したり、「ケジメつけんかい、おら」と恫喝する側であって、される側にない。
そんなに自由になった自分がどんなふうにふるまうか、うまく想像ができない。
あるいは「大学教師的エートス」はもう血肉と化しており、四月以降も「あいかわらず」なのかも知れない。
とりあえず、その帰趨を確かめるのが四月一日からの楽しみの一つである。

2011.01.25

アブラハムと顔の経験

神戸女学院大学における最後の奨励のための聖句に私が選んだのは『創世記』12:1である。
「時に主はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。』」
これは信仰の起源を示す聖句だと私は思う。
信仰はこの言葉に聴き従うものから始まる。
前に書いたとおり、神は「神の言葉に聴き従うもの」の出現を俟ってはじめて神として存在し始める。
もちろん神はそれ以前から存在するのであるけれど、誰もそれを「神」とは呼ばなかったのである。
「私は被造物である」と名乗るものが出現するまでは、「造物主」という概念そのものが存在しない。
神の言葉に聴き従うものを持ってはじめて神は神になる。
神は神の言葉に聴き従うものを必要とする。
全知全能の存在である神は、他には何も必要とせず、ただ「神の言葉に聴き従うもの」だけを必要とするのである。
それゆえ主はアブラムに呼びかける。
「父の家」というのは、私たちがそこに育ち、根を下ろしている「世界」のことである。
私たちはその世界に固有の価値観に基づいて正邪理非を判断し、その世界の言語で語っている。
だから、「その世界を離れよ」というメッセージは、原理的には「意味不明」の言葉であった。
英語を聴いたことのない日本語話者がいきなり英語で話しかけられた状況に近い。
何を言っているのか、わからない。
でも、わかることがある。
それは、「それは私宛てのメッセージだ」ということである。
そして、発信者のようすから、「そのメッセージを私が可及的すみやかに理解する必要性が切迫している」ということが察せられるのである。
「主の言葉」がはじめて預言者に臨むときの、それが基本的な状況である。
主が何を言おうとしているのかは、わからない。
でも、それが私宛てのパーソナルなメッセージであり、ほかならぬこの私が「そのメッセージを読解できる人間」になることを先方は熱烈に望んでいるということは、わかる。
私たちはたとえメッセージのコンテンツが理解できなくても、それが自分宛てであるかどうかは過たず判定することができる。
そして、私たちはそれが「自分宛て」であると確信されたメッセージについてはおのれの全力をあげて理解しようとする。
「なぜ全力をあげるのか」と問われても、答えようがない。
ただ、人間というのは、「そういうもの」だとしか言いようがない。
まさに私たちはそのようにして母語を習得したからである。
私たちは嬰児のとき、母語をひとことも理解しない状態から言語の習得を始めた。
言語という概念さえもたない状態から言語の習得を始めることができるのは、嬰児でも空気の波動が「ほかならぬ自分にまっすぐ触れている」ということだけは感知できるからである。
言語習得という奇跡は、人間がメッセージのコンテンツをまったく理解できないところから出発して、メッセージの統辞構造や語彙や音韻や修辞についての深い理解に達することができるという平凡な事実に存する。
この力動的な言語習得のプロセスを駆動した「最初の一撃」は「この波動は私に向けられている」という受信者の側の絶対的な確信である。
主の言葉が預言者に臨むときの構造とこれは同一である。
アブラムに主の言葉が臨んだ時、アブラムは主が何を言っているのか、ぜんぜんわからなかった。
おそらくそれは雷鳴や地鳴や暴風に類する「非分節的・無文脈的」な空気の波動として到来したはずである。
そのようにしか聴こえなかったはずである。
けれども、アブラムはそれを「自分宛てのメッセージ」だと聴いた。そして、その「雷鳴」を「人間の言葉」として解釈できるまで霊的に成熟することを自らに課した。
その瞬間に、アブラムはアブラハムになり、一神教信仰の歴史が始まった。
「自分宛ての『意味不明のメッセージ』の意味を理解できる人間になること」を遠い目標に措定して、アブラハムは以後の霊的旅程を望見したのである。
アブラハムの夢はそのまま現代に受け継がれている。
信仰においても、学びにおいても、それを起動させる「最初の一撃」は同じものである。
それは「このメッセージは私宛てである」という確信である。
「聴け、イスラエルよ」(シェマア・イスラエル)から預言者の言葉は始まる。
ここでいう「イスラエル」はその言葉が発される前から存在している民族集団の名ではない。
その預言者の叫びを「私宛ての言葉だ」と思いなしたもの、それが「イスラエル」なのである。
私とは「『私宛て』のメッセージを聴き取ったもの」である。
そのように順逆の狂った仕方で主体は構造化されているのである。
ここまでの理路はそれほどむずかしいものではない。
問題はどのようにして私たちは「私宛てのメッセージ」をそうではないメッセージと識別しているのか、ということである。
なぜ、それが私たちにはわかるのか。
なぜ、「この人は私に向かって話しかけている」ということがわかるのか。
なぜか知らないけれど、わかる。
レヴィナスが「顔」(visage)という語で言おうとしていたのは、おそらくそのような先駆的な確信が成立する劇的な事況のことである。
レヴィナスはこう書いている。
「語ること、それは他者を認知すると同時に、他者におのれを認知してもらうことである。他者は単に知られるだけでなく、挨拶される(salué)。他者は単に名指されるのみならず、祈願される。文法用語を使って言えば、他者は主格ではなく、呼格において出現するのである。私は単に他者が私にとって何であるかを考えるだけではなく、また同時に、それより先に、他者にとって私が何ものであるのかを考える。他者を『これ』とか『あれ』とか名づけて、一つの概念をあてはめること、それはすでに他者に訴えかけることである。私は知る(connais)だけではない、私はかかわりのうちに入るのである。パロールが含意するこの交通(commerce) こそはまさしく暴力なき行動である。動作主は、行動するまさにその瞬間に、いかなる支配もいかなる主権も断念して、他者からの返答を待つという仕方で、他者の行動におのれの身をさらしている。語りかけることと聞くことは同じ一つのことであり、継起するものではない。語りかけることはそのようにして等格の道徳的関係を創出し、その結果、正義を知る。奴隷に向かって語りかけているときでさえ、ひとは等格者に対して語りかけているからである。ひとが言わんとすること、伝達されるその内容は、他者が認識されるより先にまず対話の相手として重きをなしているような、顔と顔を向き合わせた(face à face)関係があってはじめて聴取可能になるのである。ひとはまなざしを見つめる。まなざしを見つめるとは、みずからを放棄せず、みずからを委ねず、見つめ返してくる(viser)ものを見つめることである。顔を見つめる=顔とかかわる(regarder le visage)とはこのことである。」(『困難な自由』)
私はこの文章をこれまで何十回となく引用してきた。
そのときつねにこの「私」(je)とか「ひと」(on)というのを人間一般のことだと思ってきた。
けれども、まったく違う考え方もあるのではないか。
もしかすると、「私」とは「主」であり、「他者」とは被造物たる「人間」のこととしても、この文章は読むことができるのではないか。
「主」が「私は」と語っていると想像して(想像しにくいであろうが)、もう一度今引用した箇所をゆっくり読み直して欲しい。
そのときに人間が主からの意味不明のメッセージを「これは私に向かって語りかけられた言葉だ」と確信できたのはなぜかがわかるはずである。
「ひとが言わんとすること、伝達されるその内容は、他者が認識されるより先にまず対話の相手として重きをなしているような、顔と顔を向き合わせた(face à face)関係があってはじめて聴取可能になるのである。」
レヴィナスはそう書いている。
私たちが「これは私宛てのメッセージだ」という確信を持つ根拠は実は一つしかないのである。
それは「受信者の知性に対する敬意」である。
驚くべきことだが、今の文脈で言うならば、それは「主の、彼の被造物である人間に対する敬意」なのである。
私たちは自分に対して「法外な敬意を先払いしてくれるようなメッセージ」に対しては激しく反応する。
そのコンテンツがたとえ理解不能であろうとも、私たちは「自分に向けられた敬意」を決して見落とさない。
人間は自分に向けられた愛情を見落とすことはある。
けれども、敬意を見落とすことはない。
そういうものなのである。
主が人間にきわめてたいせつなメッセージを伝えようと望んだとき、主は「人間が決して聴き落とすことのないパッケージ」にくるんでそれを差し出した(全能の神はなさることにはまことに遺漏がない)。
主は人間を「主と知性において、権利上等格のもの」と擬制することによって、過たずそのメッセージを宛て先に送り届けたのである。
そのことを通じて主は「神に聴き従う」人間をこの世に作り出し、それによって「神」という概念を世界内部的に受肉させたのである。
主は理解も共感も絶した他者にもなお届く言葉を語るためにはどのように語るべきかについて、その範例を自ら示されたのである。
私は今学び舎のうちの祈りの場所であるソール・チャペルでこの話をしている。
私の願いは私の言葉が過たずみなさんに届くことである。
そのために何が必要であるかを、私は今みなさんの前に、身を以てお示ししたと思う。
それはこの場にいるすべてのみなさんの知性に対する私からの全幅の信頼である。
というような話をするはずだったのだが、持ち時間が8分しかなかったために短くなってしまったので、補綴のためにここに書き記すのである。

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