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2011年12月 アーカイブ

2011.12.25

「辺境ラジオ」で話したこと

名越康文先生と西靖さんとのコラボ、『辺境ラジオ』の公開収録がクリスマスイブのMBSで行われた。
名越先生が最初から飛ばして、ずいぶん過激な内容となった(と書くとまるで名越先生のせいみたいだが、もちろんそれに応えて暴走したのは後の二人も同じです)。
放送は25日の25時半(というのは深夜放送の言い方)。『辺境ラジオ』はそのうち活字化される予定である(発行元は140B)。
その中でいくどか社会制度そのもののとめどない劣化(政治、経済、メディア)について言及された。
政治過程の劣化はすさまじいが、これまでそれなりに(ぎりぎり)合理的にふるまってきたように経済活動についても、ビジネスマンたちの思考は混濁し、5年10年というスパンについて見通しを述べられる状態にない。
思考停止している人間の特徴はすぐに「待ったなし」と言うのでわかる。
「待ったなし」というのは「選択肢の適否について思考する時間がない(だから、とりあえず一番でかい声を出している人間の言葉に従う)」ということしか意味していない。
だから、「待ったなし」で選択された政策はそれがどれほどの災厄を事後的に引き起こした場合でも、その政策を選択した人間は責任をあらかじめ解除されている(「待ったなし」だったんだから、最適解を引き当てられるはずがないという言い訳が用意されているのである)
ひどい話だ。
メディアもしかり。
このままでは新聞もテレビも雑誌も情報の発信源としての信頼性の下落を食い止められないだろう。
オルタナティブとしてのネットについても、私の見通しはあまり明るくない。
ネットに繁殖している言葉の多くは匿名であり、情報源を明らかにしないまま、断定的な口調を採用している。
ネットは実に多くの利便性をもたらしたが、それは「匿名で個人を攻撃をするチャンス」を解除した。
今ネット上に氾濫している言葉のマジョリティは見知らぬ他人の心身の耗弱をめざすために発信される「呪い」の言葉である。
呪いの言葉がこれほど空中を大量に行きかったことは歴史上ないと私は思う。
名越先生が昨日も指摘されていたが、「抑鬱的、攻撃的な気分で下された決断は必ず間違う」という心理学的経験則に従うなら、ネット上で攻撃的な口調で語られている言明のほとんどは構造的に間違っていることになる。
誤解して欲しくないが「間違う」というのは、その時点での整合性の欠如や論理の破綻やデータの間違いのことではない(そういう場合も多々あるが)。
そうではなくて、「間違った言葉」というのは結果的にその言葉を発した人間を不幸な生き方へ導く言葉のことである。
抑鬱的な気分の中で、攻撃的に口にされた言葉は事実認知的に「間違っている」のではなく、遂行的に「間違っている」のである。
発している当人たちを後戻りのできない「不幸な生き方」へと誘う言葉がネットの上に大量に垂れ流されている。
「呪いの言葉」は「自分に対する呪い」として時間差をおいて必ず戻ってくるという人類の経験知は誰もアナウンスしない。
あれもダメ、これもダメ。
そうやって指折り数えると、まるで希望の余地がないようであるが、これほどシステマティックにものごとが悪くなるというのは、ふつうはない。
ふつうはないことが起きたときは、解釈規則を変えた方がいい。
シャーロック・ホームズもそう言っている。
「うまく説明できないこと」が重なって起きれば起きるほど、それを説明できる仮説(まだ誰も立てていないが)は絞り込まれるからである。
私の解釈は、この制度の全体的劣化は「システムそのものの根本的な作り直し」について私たちのほぼ全員が無意識的に同意を与えていることと解すべきだろう、というものである。
「根本的」というのはほんとうに根本的ということである。
2011年はさまざまな「問題」がランダムに提示された一年だった。
2012年はこれらの問題群に伏流している「論理的な構造」がしだいに露出してくる一年になるだろう。
それがどのような構造なのか、私たちが選ぶことになるオルタナティブとはどのようなものなのか、それについてはこれからゆっくり考えたいと思う。
「ゆっくり考えている余裕なんかないんだよ。事態は待ったなしなんだ」と怒号する人々がきっといると思うけれど、彼ら自分たちが「古いシステム」と一緒に「歴史のゴミ箱」に投じられるハイリスクを冒していることに気づいた方がいいと思う。
いや、ほんとに心配してるんです。

2011.12.26

劇化する政治過程・カオス化する社会

今朝の日経発表の世論調査によると、野田佳彦内閣の支持率は36%で、11月末から15ポイント急落した。
不支持は14ポイント上昇の56%で、9月の内閣発足以来はじめて支持率を上回った。
内閣発足から3ヶ月で支持率が30ポイント以上下がったのは2008年の麻生内閣以来。
とくに福島第一原発の事故について首相が16日に原子炉の低温停止状態を受けて「事故収束」を宣言したことについての不満が高く、「納得できない」が78%で、「納得できる」の12%を大きく上回った。
争点の消費増税については、15年頃までに段階的に10%まで引き上げる政府案に賛成が38%、反対が53%。前回調査より賛成が7ポイント下落、反対が6ポイント上昇。
興味深い数字である。
なぜ、これほど急落するのか、私には理由がよくわからないからである。
たぶん政権発足3ヶ月でできることは「せいぜいこの程度」だろうと私は思っていた。
日米関係が劇的に改善されて普天間基地問題が片付くとか、尖閣諸島問題や竹島問題に交渉のめどが立つとか、拉致問題が解決するとか、東北の復興が急ピッチで進むとか、原発事故の原因と現状が徹底的に検証されて、官邸発の原発情報の信頼性が高まるとか、そういうことがほんとうに起こると日本国民の多くが期待していて、3ヶ月で「そうなっていない」という理由で支持から不支持に転換したというのなら、わかる。
そのような無根拠な楽観的期待を抱いたご本人の政治的見通しの不適切は脇へ置いても、話の筋は通っている。
問題は「そんなことははじめから期待していなかった」という方々である。
その方々がなぜ支持から不支持に切り替わったのか、その理由が私にはわからない。
基地問題も領土問題も拉致問題も三ヶ月では解決しないだろうし、解決のめども立たないだろう。経済指標も好転しないだろう。雇用も創出できないだろう。税収も増えないだろう。公務員制度改革も進まないだろう。財政規律も保てないだろう。
私はそう思っていた。たぶん多くの人もそう思っていたはずである。
そのような人が、この三ヶ月の野田内閣の実績を見て、「支持」から「不支持」に変わるということの理由が私にはよくわからないのである。
それほど劇的な失政があったと私は思っていない。
できる範囲内では(それが狭いというのが問題だが)一生懸命仕事をしているのではないかと思っている(さしたる成果が上がっていないというのが問題だが)。
でも、首相の器量も内閣の短期的な成果見通しも、内閣発足時点で「たぶんこの程度だろう」ということは私たちの多くにはわかっていたのではないのか。
その予想通りであった政治的達成に対して「劇的に評価を変える」ということはふつう起こらない。
ふつう起こらないことが起きた場合には、特殊な仮説を立てる必要がある。
それまでこの種の現象については適用されない仮説を案出する必要がある。
私が言っているのではなくて、シャーロック・ホームズが言っているのである。
前にも引いたが、もう一度。
「君にはもう説明したはずだが、うまく説明できないもの(what is out of the common)ものはたいていの場合障害物ではなく、手がかりなのだ。この種の問題を解くときにたいせつなことは遡及的に推理する(reason backward)ということだ。このやり方はきわめて有用な実績を上げているし、簡単なものでもあるのだが、人々はこれを試みようとしない。日常生活の出来事については、たしかに『前進的に推理する』(reason forward)方が役に立つので、逆のやり方があることを人々は忘れてしまう。統合的に推理する人と分析的に推理する人の比率は五〇対一というところだろう。」
(Sir Arthur Conan Doyle, A Study in Scarlet)
「前進的に推理する」人たちはAという出来事があり、Bという出来事が時間的に後続した場合に「AがBの原因である」というふうに推論する人である。
Bという出来事があったときにその前段を振り返ると、「いかにも原因顔をした出来事」たちがずらずらと並んでいる。「前進的に推理する人」たちは、その中からいちばん使い勝手のよいAを選んで、「これが原因だ」という仮説を立てる。
今の場合であると、出来事Bは「野田内閣の不支持率の急上昇」。
ほとんどの人はこの出来事の「原因」として、「野田内閣の失政」を選ぼうとする。
「遡及的に推理する」というのは、その逆。
Bという出来事があったときに、遡及的に振り返ってみて、その中に「うまく説明できないもの」を探すのである。
今の場合なら、「野田内閣の失政として際立った失敗がない」というのが「うまく説明できないもの」である。
そこから私たちは仮説を案出する。
際だった失政がないにもかかわらず、「劇的に」支持率が低下したのは、有権者たちが今政治過程に求めているのは、「劇的なもの」それ自体だからである、というのが私の提出する仮説である。
彼らは「劇的に支持率が低下した」という事実そのもののうちに、「政治過程に期待するもの」をすでに見出して、それなりの「満足」を得ている、というのが私の仮説である。
「劇的な破綻」、「劇的な制度崩壊」、「劇的な失敗」・・・そういうものが「緩慢な破綻」や「進行の遅い制度崩壊」や「弥縫策が奏功しない失敗」よりも選好されている。
人間的諸活動のtheatricalization (劇化)と呼んでもいい。
社会制度が破綻することによって自分自身が「いずれ」受けるはずの苦しみよりも、社会制度が劇的に破綻するのを「今」鑑賞できる愉悦の方が優先されている。
このままゆけば野田内閣はあと半年保つまい。
野党は総選挙を望むだろう。マスコミもそう言うだろう。
民主党は大敗して、政権の座から転げ落ちるだろう。
けれども、自民党にも公明党にも少数政党のどこにも日本を混迷から引き出すような骨格の太い見通しを語れる政治家はいない。
ここを先途と、秦の始皇帝が死んだ後や隋の煬帝が死んだ後の中原のように、天下を狙うポピュリストやデマゴーグがわらわらと出てきて、総選挙報道は諸勢力の合従連衡を論じて、ヴァラエティショー的な興奮で沸き立つだろう。
人々は「それ」が見たいのである。
その気持ちは私にもわかる。
でも、そんな政治過程の「劇化」をおもしろおかしく享受している間、日本の政治過程は停止し、傷みきった制度はさらに崩れてゆく。
そのことについては、誰も考えないようにしている。
考えても仕方がないからである。
それよりは「目先の楽しみ」だ。
とりあえず長い間社会の柱石であった諸制度ががらがらと壊れて行くさまを砂かぶりで見ることだけはできる。
屋根が崩れ、柱が折れたあと、どうやって雨露をしのぐのか、それについては考えない。それよりも屋根が崩れ、柱が折れるのを眺める爽快感を楽しみたいのである。
制度が崩れるのを見る権利くらい自分にはあると思っている人が増えている。
「制度はオレに何もしてくれなかった。だから、そんなものが崩れたって、オレはすこしも困らない」
そう思っている人たちがたぶん増えている。
そのせいで、医療制度がまず崩れ、続いて教育制度が崩れ、行政制度も崩れつつある。
どんな社会制度も耐用年数が過ぎれば壊れてゆくのは当たり前である。
でも、「その先」にどのような社会制度を構築するのか、そのプランについて創造的な議論がないままに、ただ制度の崩壊を喜んでいると、制度解体のあとに、一時的に「カオス」が到来する。
カオスというのは、誤解している人が多いが、社会全体が混乱し、みんなが苦しむということではない。
局所的には秩序があり、条理が通り、正邪理非の判定が下されているのである。そこでは「だいたい今まで通りの暮らし」ができる。
でも、そうではない「不条理な界域」がしだいに増えてくる。
そこでは、ものごとの適否の判定基準が効かない。約束とか信義とかいうものが成り立たない。誰もがおのれひとりの自己利益確保を最優先する。
だから、「不条理な界域」では、長期的な計画が立てられない。集団で何かを共同所有したり、共同管理するということもできない。他人に自分のたいせつなものを負託することもできない。
人々は自分の手元に自分の資源を後生大事に抱え込み、つねにそれを背負って生きることを強いられる。
「人を見たら泥棒と思う」人々で埋め尽くされた界域で生きることの非能率がどれくらい個人のパフォーマンスを低下させるかは、誰でも想像すればわかるだろう。
カオス的社会というのは、「そこそこ条理の通る局所的秩序の内側に住む人」と「無-底の不条理界域に置き去りにされた人たち」に二極化する社会のことである。
「共同的に生きる知恵と技術をもつ人々」と「誰も信じず、自己利益だけを追求する人々」が「上層」と「下層」に決定的に分離する社会のことである。
階層間で、集団的な営為の質において、知的生産において、乗り越えがたい断絶が深まる社会のことである。
今日本はゆるやかにではあるが、すでにカオス化の兆しを示している。
上に書いたように、それは一時的・過渡的な制度の機能不全であり、必ずしも社会全体を覆い尽くすわけでもない。
けれども、「一時的」とは言っても、それが30年、50年というスパンのものであれば、人によっては「一生をカオスのうちで過ごした」という人も出てくる。
社会全体を覆い尽くすわけではないといっても、「局所的な秩序」に帰属できず「生まれてから死ぬまで、暮らした場所のすべてはカオスだった」という不幸な人も出てくる。
「制度的時間」と「人間的時間」はスケールが違う。
「百年後には平和と繁栄がきます」とか「ここではない場所では人々は幸福に暮らしています」と言われたからといって、今自分が味わっている苦痛や貧困が耐えやすくなるということはない。
制度が生成し、壊れ、また再生するときの「制度的な時間の流れ」と、人間が生まれ、育ち、死ぬまでの「人間的な時間の流れ」は、人間にとってはまるで違うものなのである。

2011.12.29

ツイッターとブログの違いについて

『街場の読書論』という本を書き上げた。
ブログコンピ本なので、ゲラをいただいたのは一年近く前なのだが、他の仕事が立て込んでいて、手が回らなかったのである。
ブログのコンピ本というのは、他にあまりなさっている方がいないようだが、私は「よいもの」だと思う。
書いているときに「これはいずれ単行本に採録されるかもしれない」と考えている。
だから、そのときになってあわてないように、引用出典とかデータの数値とはについては正確を期している。
ブログ上で他の方の著書から引用するときに、発行年や頁数まで明記する人はあまりいないが、こういう書誌情報は「あとになって」調べようとすると、たいへんに時間がかかるものである。
ほんとに。
それにそうしておくと、ブログが「ノート代わり」に使える。
ブログには検索機能がついているので、キーワードを打ち込むと、そのトピックについて私が書いたことがずらずらと出てくる。
その中に必要なデータのかなりの部分が含まれている。
Twitterはこういう使い方はできない(引用の書誌情報なんか書いていたら、140字分のスペースがすぐに埋まってしまう)。
だから、どんなナイスなアイディアが浮かんでも、論文の一章分くらいの素材をTwitter上に残しておいて、あとでそのままコピペして使うという芸当はできない。
Twitterには「つぶやき」を、ブログには「演説」を、というふうになんとなく使い分けをしてきたが、二年ほどやってわかったことは、Twitterに書き付けたアイディアもそのあとブログにまとめておかないと、再利用がむずかしいということである。
Twitterは多くの場合携帯で打ち込んでいるが、これはアイディアの尻尾をつかまえることはできるが、それを展開することができない。
指が思考に追いつかないからである。
だから、Twitterは水平方向に「ずれて」ゆくのには向いているが、縦穴を掘ることには向いていない。
そんな気がする。
ブログは「縦穴を掘る」のに向いている。
「縦穴を掘る」というのは、同じ文章を繰り返し読みながら、同じような文章を繰り返し書きながら「螺旋状」にだんだん深度を稼いでゆく作業である。
Twitterだと自分の直前のツイートがすぐに視野から消えてしまう。
誰かのツイートがはさまると、もう自分の先刻のアイディアの「背中」が見えなくなる。
「アイディアの背中」というのは、けっこうたいせつなものである。
自分の脳裏をついさきほど「横切った」アイディアがある。
それは「あっ」と思って振り返ると、もう角を曲がりかけていて、背中の一部しか見えない。
そういうものである。
長い文章を書いているときは、その「背中」がけっこう頼りなのである。
自分が進んでいる道が「どうも展望がない」ということがわかって、「そうだ、あのときのあのアイディアについてゆけばよかったんだ」と思うことがある。
振り返って、走り戻って、「アイディアの袖口」をがしっとつかむ。
そして、いっしょに「角を曲がる」。
長い文章を書いているとそういうことができる。
ほんとに。
言語学では「パラダイム」という言い方をする。
ある語を書き付けると、それに続く可能性のある語群が脳内に浮かぶ。
原理的には、文法的にそれに続いても破綻しないすべての語が浮かぶ(ことになっている)。
例えば、「梅の香が」と書いたあとには、「する」で「匂う」でも「香る」でも「薫ずる」でも「聞える」でも、いろいろな語が可能性としては配列される。
私たちはそのうちの一つを選ぶ。
だが、「梅の香がする」を選んだ場合と、「梅の香が薫ずる」を選んだ場合では、そのあとに続く文章全体の「トーン」が変わる。
「トーン」どころか「コンテンツ」まで変わる。
うっかりすると文章全体の「結論」まで変わる。
そういうものである。
このパラダイム的な選択を私たちは文を書きながらおそらく一秒間に数十回というぐらいのスピードで行っている。
そのときに「選択に漏れたもの」がある。
そして、そのとき「その語を選択したあとに続いたかもしれない文章と、そこから導かれたかもしれない結論」が「一瞬脳裏をよぎったのだが、もう忘れてしまったアイディア」である。
これをどれだけたくさん遡及的に列挙できるか。
それが実は思考の生産性にふかくかかわっていると私は思う。
自分の思考はあたかも一直線を進行しているかのように思える。
ふりかえると、たしかに一直線に見える。
でも、実際は無数の転轍点があり、無数の分岐があり、それぞれに「私が採用しなかった推論のプロセスと、そこから導かれる結論」がある。
分岐点にまで戻って、その「違うプロセスをたどって深化したアイディア」の背中を追いかけるというのは、ものを考える上でたいせつな仕事だ。
「なぜ、ある出来事は起こり、そうでない出来事は起きなかったのか?」
これは系譜学的思考の基本である。
「起きてもよいのに、起きなかった出来事」のリストを思いつく限り長くすることは知性にとってたいせつな訓練だ。
「起きてもよいことが起きなかった理由」を推論する仕事は「起きたことが起きた理由」を推論するのとはかなり違う脳の部位を使用するからだ。
これもたぶんreason backward の一つのかたちなのだと思う。
というわけで、来年からはもっとブログに時間を割こうと決意したのでした。

2011.12.30

「腹の読めないおじさん」から「のっぺりしたリーダー」へ

毎日新聞の取材で「リーダー論」について訊かれる。
どういうリーダーがこれから求められるのか、というお話である。
大阪のダブル選挙に見られたように、時代は「あるタイプのリーダー」をつよく求めている。
そのトレンドは仮に「反・父権制」(anti-paternalism)的と呼ぶことができるのではないかと思う。
このトレンドは個別大阪の現象ではなく、日本社会全体を覆っており、それどころか国際社会全体を覆い尽くしているように見える。
かつて国際政治の立役者たちは「父」たちであった。
ヤルタ会談に集ったルーズベルト、チャーチル、スターリンの三人が図像的に表象していたのは「あらゆることを知っており、水面下でタフな交渉をし、合意形成に至れば笑顔を見せるのだが、そこに至る過程での熾烈な戦いと、そこで飛び交った『カード』についてはついに何も語らない父たち」である。
「父」たちの特徴は「抑制」と「寡黙」である。
彼らは何を考えているのか、よくわからない。
ただ「いいから、私に任せておきなさい」というだけである。
なぜ彼らに任せておけばよろしいのか、その理由については特にご説明があるわけではない。
「いいから、任せておきなさい。悪いようにはしないから」と言うだけである(それを言いさえしない場合もある)。
彼らに任せたせいで、どんな「いいこと」があるのか、その予測も語らない。
ただ、思慮深そうなたたずまいと、低い声と、抑制的な感情表現を示すだけである。
そういう場合、私たちはなんとなく「じゃあ、この人のいうことに従おうか」という気になる。
政治というのは「そういう人たち」がやるものだと私たちは久しく思っていた。
19世紀から20世紀半ばまではそうだった。
どうして「任せておけた」のか。
それはたぶんその人のことを「公人」だと思えたからである。
公人とは「自分の反対者を含めて集団を代表できる人」、「敵とともに統治することのできる人」のことである(これはオルテガの定義だ)。
反対者や敵対者も含めて代表してもらえるなら、「自分」がそこから漏れることはないだろうと思えて、「じゃあ、お任せします」ということになったのである。
スターリンたちが「そういう人」ではなかったことを私たちは今では知っているが、同時代の同国人の相当数から「そういう人」だと思われていれば指導者としての機能を担う上でとりあえず支障はなかったのである。
その「父」たちが政治の表舞台から退場する。
20世紀の中頃から後のことである。
カズオ・イシグロの『日の名残り』は1930年代にヨーロッパ諸国の「紳士たち」がダーリントン伯爵の館に集まって、ドイツの運命について語り合うエピソードがひとつの柱になっている。
その秘密会議に招かれたアメリカの下院議員がこの「紳士たち」に向かって、「みなさんは政治のアマチュアだ」となじる場面がある。
紳士たちが集まって秘密裏の談合で国際政治について重要決定をくだすような時代はもう終わった。政治過程というのは、もっと「にべもない」ものである。名誉や友愛というようなものはもはや国際政治のファクターではない。クールでリアルな利害得失の計算が必要なのだ。これからはわれわれプロに任せなさい、と下院議員は言う。
たしかに、その後の歴史は彼の予言のとおりに推移した。
物語の中では、ヨーロッパの紳士たちの善意にもとづく支援によってドイツを健全な国家として再生することを夢見たダーリントン伯爵は結果的にナチの台頭に加担することになり、「反逆者」の汚名を着たまま死ぬ。
『日の名残り』というのは執事とメイドの話だと思って読んでいたが、よく考えるとこれは政治主体の歴史的交代を副旋律に絡めた小説だったのである。
カズオ・イシグロは「紳士たち」が退場して「プロたち」が国際政治を取り仕切るようになる推移を控えめな哀しみのうちに回顧した。
1960年代にジョン・F・ケネディがアメリカ大統領になった。
それが「おじさん」から「お兄ちゃんへ」の、「原父」から「悪い兄たち」への交代の劇的な指標だったと思う。
大統領就任のときケネディは弱冠44歳だった。
前任者のアイゼンハワーは70歳、アメリカのゴールデン・エイジの8年間大統領職にあった「アメリカで最後の古いタイプのリーダー」だった。
「古いタイプのリーダー」ということは「何を考えているのか、よくわからないおじさん」だったということである。
それは彼の軍歴によく現れている。
アイゼンハワーの軍歴のきわだった特徴は平時の長期にわたる停滞と戦時における異常な速度の昇進である。
アイゼンハワーは少佐から中佐に昇進するまで16年間を要した。アメリカが相対的な平和と繁栄のうちにあった1930年代を彼は同期生が昇進するのを指をくわえて眺めながらまるまる少佐という低い階級で過ごしたのである。
第二次世界大戦勃発時にアイゼンハワーは一介の中佐に過ぎなかった。
そのような凡庸な(というより劣悪な)軍歴しかもたない軍人が、抜擢され、ノルマンディー上陸作戦を成功させ、ヨーロッパ戦線の連合軍450万人を指揮し、5年で中佐から陸軍元帥になった。
これはアメリカ陸軍における昇進スピードの最速記録であり、おそらくこのあと破られることがないだろう(ナポレオン軍にはあったと思うが)。
一介の中佐が開戦後あっいう間に元帥まで超スピード昇進したのは、彼が「想定外の事態」に遭遇したときに、例外的に手際よく最適解を選択できるだけでなく、起案した作戦計画を遅滞なく実行できる人物だということがひろく軍隊内部で知られていたからである。
頭のよい参謀なら「最適解」を選ぶことができるかも知れない。けれども、起案したその「最高の作戦」を実施するためには、連合軍内部での利害調整や思惑のすりあわせや腹の探り合いやらを手際よく片付けられなければならない。
アイゼンハワーはブラッドリーやパットン将軍といった前線指揮官の信頼を勝ち取り、チャーチルやド・ゴール将軍のような腹の底の見えない同盟者たちと巧みに連携し、ソ連軍のジューコフ元帥やスターリンとさえタフな交渉をした。
このような仕事ができる人のことを「豪腕」という。
「豪腕」というのは、前にも書いたことがあるが、暴力的に「無理を通す」人のことではない。
「あいつはもののわかった人間だから」という評価が安定している人のことである。
だから、頼まれた方は、何がどう「よほどのこと」かはわからないけれど、あいつがわざわざ頼んでくるくらいだから、「よほどのこと」なのだろう。とすれば、断るわけにはゆくまいと思う。
そういうふうに交渉相手に思わせることのできる人だけが「無理を通せる」。
アイゼンハワーは「天才的な管理能力と交渉力」があったと言われるが、それは彼があらゆる機会をとらえて、「いずれ大事なことを頼みそうな相手」には「貸し」を作っておくということを心がけていたからだと私は思う。
とくに不遇の16年間を彼はもっぱら軍隊の内部に、「いずれ大事なことを頼みそうな相手」を見出し、ケアするという仕事を丁寧にやっていたのであろう。
さまざまな部署に散らばっている「この人の頼みは断れない」と思ってくれる人のことをスパイ用語では「アセッツ」と呼ぶ。
「アセッツ」をどれほど広い範囲に多様なレベルに展開しているか、それによって、その人の「政治力」は決定される。
こういう「どこに何を隠しているのかわからない」人がひさしく国際政治の登場人物であった。
ケネディの話をしているところだった。
アイゼンハワーやチャーチルやド・ゴールのような「腹の読めないおじさん」が退場して、それに代って、頭は切れるが、考えることはわりとシンプルで、話はわかりやすいが、構想の射程が短く、喜怒哀楽の感情が豊かで、腹の中がよく見えるという「青年」政治家が超大国のリーダーになった。
ケネディは19世紀だったらまず大国のリーダーにはなれるはずのない人物である。
彼はもう「ややこしい交渉ごと」をしなかった。
ケネディがやった唯一の苛烈な外交交渉はキューバ危機だが、このときケネディは「フルシチョフでも『この人の頼みなら断れない』人に仲介してもらう」というような古典的な手立てを講じなかった。そういうアイディアそのものが彼にはなかったのかも知れない。
ケネディがしたのは「チキンレースでブレーキを踏まなかった」ことだけである。
だから、フルシチョフがミサイル撤去を決定しなければたぶん米ソは第三次世界大戦に突入していた。
さいわい第三次世界大戦が起きなかったので、ケネディの政治手腕についてはあまり問題にされないが、けっこう危ないところだったのである。
そして、ケネディの「成功」が呼び水となって、1960年代から世界のリーダーたちは「腹の読めないアセッツおじさん」たちから「チキンレースでブレーキを踏まないガッツな兄ちゃん」たちに順次入れ替わっていった。
その趨勢は21世紀に入ってますます強化されている。
オバマもプーチンもサルコジもベルルスコーニもブレアやブラウンも、あるいは本邦の人気政治家たちの顔を思い浮かべてもらえば、「言うことは簡単だが、妙に強気なお兄ちゃん」政治家たちが選好されていることがわかる。
何を考えているのかよくわからないけれど、「まあ、ここは私に任せておきなさい。悪いようにはしないから」と低い声でつぶやくような政治家はまったく人気がない。
そういう歴史的なトレンドの中に私たちは今いる。
それはそれなりの歴史的条件が要請したものだから、良い悪いを言っても始まらない。
だが、私の見るところ、どうもこれは「グローバル化」の副産物のようである。
ケネディは東西冷戦構造という枠組みが要請したリーダーである。
「東西冷戦構造」とは言い換えると、「半分ずつグローバル化した世界」のことである。
社会主義圏は社会主義圏として規格化・標準化し、自由主義圏も圏まるごと規格化・標準化した。
そういうのっぺりした世界では、政治家たちもだんだんのっぺりしてくる。
冷戦構造が終わって、今度は「世界全体が規格化・標準化」した。
政治家たちはさらにのっぺりしてきた。
グローバル化がこの先さらに進行すれば、政治家たちはさらにのっぺりしてくるだろう。
「のっぺり」というのは、自分と価値観が違う、正否の判断基準が違う、宗教が違う、言語が違う、美意識が違うような人間と交渉することにぜんぜん興味もないし、適性もない人間のことである。
全員が同じルールでゲームをしているときに相対優位に立つための術には優れているが、「違うルール」でゲームをしている人間のことはまったく理解できないし、理解する必要も感じない。
それが「のっぺりしたリーダー」である。
世界がそういう人間たちで覆われたあとに、「想定外」が起きたときにどうするのか。
それを考えると、今のうちから「リスクヘッジ」として、「もしものときに無理を通せる」タイプの人々を政治経済の要路に配置しておいたほうがよろしいのではないか。
というようなお話をインタビューではした。
あまりに変な話なので、たぶん記事にはならないだろうと思うので、ここに備忘のために録すのである。

2011.12.31

年末吉例・2011年の重大ニュース

大晦日なので、恒例の「個人的重大ニュース」をまとめることにする。
重要性とは関係なくランダムに思いついたまま列挙する。
(1) 定年退職した
2011年3月末日をもって21年間勤めた神戸女学院大学を定年退職した。ほんとうに楽しい大学での楽しい仕事だった。
だから、「あっというま」に21年経ってしまった。
むかし近所にいた「ジョジョ」ちゃんという女の子が小学校時代の6年間のことをまったく記憶していないとカミングアウトしたことがある。
「あまりに楽しかったので、何も覚えていない」のだそうである。
なるほど。
そういうものかも知れない。
(2) 退職したら暇になると思っていたら、全然ならなかった
4月からは「毎日が夏休み」だと思って、いろいろなことを企画していた。
ひとつは初夏にイタリア旅行に行くこと。
山本浩二画伯とふたりで車を借りて、北イタリアをドライブして、きれいな街があったら、そこに泊まって、美味しい郷土料理を食べて、美味しいワインを飲んで、翌日はまた次の街をさがして目的地もなくのんびりドライブする・・・
そんな1週間を計画していたのだが、実際には一泊の国内旅行さえ行けなかった(講演での国内移動はあったが)。
ひとつはアルベール・カミュの『反抗的人間』の翻訳。
『異邦人』の翻訳を退職後の「たのしみ」にとっておいたのだが、これは野崎歓さんが手をつけてしまったので、たぶん誰も手を出さない『反抗的人間』を少しずつ訳してみようと思っていた。
だが、一行も訳せず。
ひとつはレヴィナス三部作の第三部「時間=身体論」。
これはちょっと書き始めたが、50枚くらい書いたところで、袋小路に入って、そのまま放置してある。
書いている自分自身のスケールを大きくしないと扱えない問題なので、これについては焦らない。
むしろ並行して書いていた「合気道私見」の方がレヴィナス論の素材としては使い勝手がよさそうであるので、しばらくは「武道における時間意識」というトピックという搦め手から攻めることにする。
これは稽古それ自体が「仕込み」なので、お稽古しながらも、実は着々とレヴィナス論の準備は進んでいるのである(と自分には言い聞かせている)。
ともあれ、そういった退職前に思い描いていた「夏休み企画」はおおかたが破産した。
わかったことは「毎日が夏休み」を達成するためには、「心を鬼にする」必要があるということである。
「無理です。できません。厭です。やりません」という台詞を無慈悲に人々に投げつけることができなければ、「夏休み人生」は私の身には決して訪れない。
そのことがわかった。
(3) 凱風館が完成した
宿願の専用道場凱風館が神戸市東灘区住吉本町に完成した。
11月から合気道の稽古に活用している。
琉球表の畳と杉の壁板と漆喰と檜の床材につつまれて、たいへん幸福な時間を過ごしている。
まだ能舞台としての使用は一回だけ(「舞台開き」のときに翁の番囃子と独鼓を演じた)。
1月15日に下川先生のお稽古で使い、下川正謡会の新年会も今年は下川先生のお宅の稽古舞台ではなく、試しに凱風館で行うことになっている。
イベントとしての正式利用は1月22日の甲野善紀先生の講習会が最初になる。
このあと、成瀬雅春先生、安田登さん、守伸二郎さん、高橋佳三さん・・・といった身体技法の専門家たちのワークショップを定期的に開くつもりである。
楽しみである。
寺子屋活動の方は4月から。
これは大学院の聴講生たちの要望で再開するゼミである。
毎週火曜日の5限(4時40分から6時10分)。
もう定員の30名が満席になってしまったので、新規の参加は無理であるのだが、「立ち見席」(というより畳に腹ばい席)でもいいというご希望が何人かからあるので、塾頭のフジイさんとご相談せねばならない。
(4) 第三回伊丹十三賞を頂いた
3月11日大震災の翌日、足止めを食っていた直江津から金沢に向かう列車の中で松家さんから携帯に電話があって受賞を教えて頂いた。
第一回が糸井重里、第二回がタモリ、そして私という不思議なラインナップである。
伊丹十三は俳優、エッセイスト、CM作家、映画監督など多彩なキャリアをもつ異能の人であったが、それにちなんで、文章表現分野と映像放送分野から一年交替で人選するということで、私は「文字部門」でご推挽頂いたのである。
伊丹十三は私がもっとも影響を受けたクリエイターであるので(「追っかけ」までしたのだ)、その名を冠した賞を頂くのはたいへん名誉なことである。
授賞式では宮本信子さん、伊丹プロの玉置泰さん、選考委員の周防正行さん(と草刈民代のご夫妻)、中村弘文さん、南伸坊さん(これがご縁でそのあと『呪いの時代』の装丁をお願いすることになった)、平松洋子さん(これがご縁でそのあと『「おじさん」的思考』の文庫版解説をお願いすることになった)にお会いした。
そして、退院後久しぶりの橋本治さん、ヨーロッパから帰ってきた加藤典洋さん、中沢新一さん、鈴木晶さん、関川夏央さん、鶴澤寛也さん、橋本麻里さんたちが駆けつけてくれた。
糸井重里さんとはこのときはじめてお会いした。
岸田秀先生ともはじめて。このときに往復書簡本を出すという企画について「夏の終わりくらいにこちらからお送りします」とお約束したのだが、いつのまにか冬になってしまった・・・岸田先生、すみません!
仙谷由人さんも松井孝治さんも来てくれたし、編集者もこれまで一緒に仕事をした方々がほぼ全員集まってくれたし、身内の甲南麻雀連盟も主要メンバーがずらりと揃ってくれた。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
これが5月6日のことで、「お返し」に松山の伊丹十三記念館を訪れ、松山で受賞のお礼の講演をすることになった。それが11月29日。
内田家社員旅行を兼ねていたので、藤井さんとキヨエさんが仕切ってくださって、「社員」のみなさんはバスで松山まで行って市内観光、道後温泉に入って、講演聴いて、宴会やって、翌日は記念館に寄って、宮本信子さん中村弘文さんと記念撮影して、帰りに丸亀の明水亭でうどんを食べたのである。
バスのドライバーが「内田家」という団体名称の意味がわからなくて、不安がっていた。
そうでしょうね。
玉置さんに記念館の所蔵品を見せて頂いて、宮本信子さんからいろいろお話をうかがって、あらためて伊丹十三という人に深い親しみと敬意を抱いたのである。
(5) 東日本大震災と福島原発事故があった
「個人的な重大ニュース」は外の世界の出来事とは基本的にはリンクしない個人的な出来事ばかりを書いているのだが、この災害には私も間接的なかたちで巻き込まれた。
もうずいぶんこれについては書いているので、すでに書いたことはここでは繰り返さない。
来年以降も抱え込むことになる「宿題」のうち優先性の高いものだけランダムに書き留めておく。
-「対口支援」を国家的規模の災害支援においてはデフォルトにすべきだということを震災直後の大学支援の段階から提言していたのだが、政府はついにこれを主導することをしなかった。
現場と現場が政権中枢を経由しないでダイレクトに繋がるという支援策が、生身の身体が傷つき、病み、苦しんでいるときにはもっとも効率的だしきめ細やかなものになると私は信じているが、中枢的・上意下達的な「統制」を望む人々はこれを嫌ったのである。
だが、これほどの規模の被害が中枢的に統御できるはずがない。
結果的に「中枢」はブロウ・オフして、震災からの復興はどうにもならないくらいに遅れ、多くの人が回復不能な傷を負った。
-問題は現在中枢にいる人たちが「サイズの問題」にきわめて鈍感だということである。
あるサイズの組織や出来事には対処できるモデルが、サイズが変わると適用できないということがある。
そのことが「わからない」という人が非常に多い。
というのは、サイズの変化がモデルの変化を要請するときの「分岐点」は理論的には導出できないからである。
「あ、このサイズになったら、これまでのモデルは使えない」ということがわかるのは「身体」である。
現在の政権中枢には、そのような意味で「身体」を持っている人がほとんどいない。
それが問題なのだが、「それが問題なのだ」ということが彼らにはわからないのである。
-原発事故被災者の共同体単位での「移住」計画について。
これはもう本気で具体的な計画起案がなされるべきだろうと思う。
かつて飢饉や支配者の暴政に対する抵抗で「逃散」ということが行われた。
集団で逃れた人々は新しい無住の土地を開墾して、そこに定住した。
明治の屯田兵も「植民」だったし、戦後は東京近郊でも、多くの土地に大陸からの帰還者たちが「入植」した。
日本全土にはいま少子高齢化で耕作放棄地が急増している。高齢化による限界集落では伝統的な産業の継承ができず、山林が荒廃し、自然環境の劣化が進行しているところがいくらもある。
町村単位での集団移動について、政府はシミュレーションくらい始めてもいいのではないか。
-帰農支援。
これは震災に限定されない。日本全体の21世紀戦略の一環である。
食糧安保の基本は「自給自足」である。
エネルギー安保も「自給自足」である。
経済のグローバル化は国内の雇用や地域経済を破壊するだけでなく、自給自足のための前提条件そのものを破壊する。
これに対して「国民経済の再構築」という大きな筋目を通すことが必須である。
そのことを政治家もビジネスマンもメディアもまだ理解していない。
だが、若い人たちは直感的にそのことを理解している。
だから、帰農志向が、意識の高い若い人たちのあいだでは、誰による使嗾もないままに、自然発生的・同時多発的に亢進している。
当然のことだろう。
「自分の食べるものは自分で作る」
それをデフォルトにする人たちが出てくるのは、グローバル経済環境における雇用条件の絶対的窮乏化趨勢のもたらす必然である。
その方が「生き延びるチャンス」が高いからだ。
「国策としての帰農支援」を政策に掲げる覚悟のある政治家はいるのか。
たぶんいないだろう。
(6) 平松邦夫大阪市長のお手伝いをした。
『おせっかい教育論』でご一緒した平松市長に乞われて去年の5月に大阪市の特別顧問になった。
個人的な教育関連のアドバイザーなので、特別な仕事は何もしなかったのだが、市長選挙があのようなバトルになったので、勢い引き出されて、維新の会の教育基本条例批判について支援集会で話したり、生まれて初めて選挙事務所というところに入ったりした。
そういう「なまぐさい」場所には隠居の身としてはあまり近づきたくないのだが、平松さんが市長選のあとも、市政をチェックするシンクタンクのようなものを作るという。
個人的なおつきあいの範囲で、お手伝いできる限りのお手伝いはするつもりである。
(7) たくさん本が出た。
今年もたくさん本を出したわけではなく、本が勝手に出たという感じですけど。
【単著】
『最終講義』(技術評論社)
『うほほいシネクラブ』(文春新書)
『増補版・街場の中国論』(ミシマ社)
【共著】
『大津波と原発』(中沢新一、平川克美との共著、朝日新聞出版)
『原発と祈り』(名越康文、橋口いくよとの共著、メディアファクトリー)
『有事対応コミュニケーション力』(鷲田清一、藏本一也、上杉隆、岩田健太郎との共著、技術評論社)
『橋下主義を許すな!』(香山リカ、山口二郎との共著、ビジネス社)
【共編】
『嘘みたいな本当の話』(高橋源一郎との共編、イースト・プレス)
【文庫化】
『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫、2001年せりか書房刊の同名単行本の文庫化、解説・釈徹宗)
『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(文春文庫、2004年海鳥社刊の同名単行本の文庫化、解説・門脇健)
『「おじさん」的思考』(角川文庫、2002年晶文社刊同名単行本の文庫化、解説・平松洋子)
『期間限定の思考』(角川文庫、2002年晶文社刊同名単行本の文庫化、解説・小田嶋隆)
『橋本治と内田樹』(ちくま文庫、2008年筑摩書房刊の同名単行本の文庫化、解説・鶴澤寛也)
『街場の大学論』(角川文庫、2007年朝日新聞社刊の『狼少年のパラドクス』の文庫化、
【集成への再録】
『人間はすごいな』(日本エッセイストクラブ編、11年版ベストエッセイ集に「なまずくん、何も救わない」が採録)
『2011ベストエッセイ』(日本文藝家協会編に「年の取り方について」が採録)
【外国語訳】
『私家版・ユダヤ文化論』(韓国語版)
『若者よ、マルクスを読もう』(韓国語版)
来年はまず中沢新一さんとの四年越しの共著『日本の文脈』(角川書店)が出る。
それから『街場の読書論』(太田出版)。
この二つはもうゲラが上がっているので、あとは印刷するだけ。
それから(お待たせしました)『クリエイティブ・ライティング講義 街場の文体論』(ミシマ社)。これはまだ第三講までですけれど、力入ってます。
『すまい作り論』(新潮社)は「芸術新潮」連載の単行本化。
岡田斗司夫さんとの対談本。タイトル未定(徳間書店)。
とりあえずこの5冊が既定。
それから『辺境ラジオ』(名越康文と西靖との共著、140B)もたぶん出ますね。わかんないけど、たぶん。
『合気道探求』に書いた「合気道私見」を骨にして、現段階における武道的身体論をまとめる予定。これは光文社新書から。
個人的には平川君と「移行期」をめぐる往復書簡をやりとりしたいと思っているのだが、どこか企画してくれないであろうか。きっと安藤さんが息せき切って「うちで出します!」と走り込んでくるだろうけど。
などなど。

以上重大ニュースは7つ、それくらいで十分でしょう。
来年こそは、できるだけ重大事件がない静かな一年でありますように祈念したい。
では、みなさんもよいお年をお迎え下さい。

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