年末吉例・2011年の重大ニュース

2011-12-31 samedi

大晦日なので、恒例の「個人的重大ニュース」をまとめることにする。
重要性とは関係なくランダムに思いついたまま列挙する。
(1) 定年退職した
2011年3月末日をもって21年間勤めた神戸女学院大学を定年退職した。ほんとうに楽しい大学での楽しい仕事だった。
だから、「あっというま」に21年経ってしまった。
むかし近所にいた「ジョジョ」ちゃんという女の子が小学校時代の6年間のことをまったく記憶していないとカミングアウトしたことがある。
「あまりに楽しかったので、何も覚えていない」のだそうである。
なるほど。
そういうものかも知れない。
(2) 退職したら暇になると思っていたら、全然ならなかった
4月からは「毎日が夏休み」だと思って、いろいろなことを企画していた。
ひとつは初夏にイタリア旅行に行くこと。
山本浩二画伯とふたりで車を借りて、北イタリアをドライブして、きれいな街があったら、そこに泊まって、美味しい郷土料理を食べて、美味しいワインを飲んで、翌日はまた次の街をさがして目的地もなくのんびりドライブする・・・
そんな1週間を計画していたのだが、実際には一泊の国内旅行さえ行けなかった(講演での国内移動はあったが)。
ひとつはアルベール・カミュの『反抗的人間』の翻訳。
『異邦人』の翻訳を退職後の「たのしみ」にとっておいたのだが、これは野崎歓さんが手をつけてしまったので、たぶん誰も手を出さない『反抗的人間』を少しずつ訳してみようと思っていた。
だが、一行も訳せず。
ひとつはレヴィナス三部作の第三部「時間=身体論」。
これはちょっと書き始めたが、50枚くらい書いたところで、袋小路に入って、そのまま放置してある。
書いている自分自身のスケールを大きくしないと扱えない問題なので、これについては焦らない。
むしろ並行して書いていた「合気道私見」の方がレヴィナス論の素材としては使い勝手がよさそうであるので、しばらくは「武道における時間意識」というトピックという搦め手から攻めることにする。
これは稽古それ自体が「仕込み」なので、お稽古しながらも、実は着々とレヴィナス論の準備は進んでいるのである(と自分には言い聞かせている)。
ともあれ、そういった退職前に思い描いていた「夏休み企画」はおおかたが破産した。
わかったことは「毎日が夏休み」を達成するためには、「心を鬼にする」必要があるということである。
「無理です。できません。厭です。やりません」という台詞を無慈悲に人々に投げつけることができなければ、「夏休み人生」は私の身には決して訪れない。
そのことがわかった。
(3) 凱風館が完成した
宿願の専用道場凱風館が神戸市東灘区住吉本町に完成した。
11月から合気道の稽古に活用している。
琉球表の畳と杉の壁板と漆喰と檜の床材につつまれて、たいへん幸福な時間を過ごしている。
まだ能舞台としての使用は一回だけ(「舞台開き」のときに翁の番囃子と独鼓を演じた)。
1月15日に下川先生のお稽古で使い、下川正謡会の新年会も今年は下川先生のお宅の稽古舞台ではなく、試しに凱風館で行うことになっている。
イベントとしての正式利用は1月22日の甲野善紀先生の講習会が最初になる。
このあと、成瀬雅春先生、安田登さん、守伸二郎さん、高橋佳三さん・・・といった身体技法の専門家たちのワークショップを定期的に開くつもりである。
楽しみである。
寺子屋活動の方は4月から。
これは大学院の聴講生たちの要望で再開するゼミである。
毎週火曜日の5限(4時40分から6時10分)。
もう定員の30名が満席になってしまったので、新規の参加は無理であるのだが、「立ち見席」(というより畳に腹ばい席)でもいいというご希望が何人かからあるので、塾頭のフジイさんとご相談せねばならない。
(4) 第三回伊丹十三賞を頂いた
3月11日大震災の翌日、足止めを食っていた直江津から金沢に向かう列車の中で松家さんから携帯に電話があって受賞を教えて頂いた。
第一回が糸井重里、第二回がタモリ、そして私という不思議なラインナップである。
伊丹十三は俳優、エッセイスト、CM作家、映画監督など多彩なキャリアをもつ異能の人であったが、それにちなんで、文章表現分野と映像放送分野から一年交替で人選するということで、私は「文字部門」でご推挽頂いたのである。
伊丹十三は私がもっとも影響を受けたクリエイターであるので(「追っかけ」までしたのだ)、その名を冠した賞を頂くのはたいへん名誉なことである。
授賞式では宮本信子さん、伊丹プロの玉置泰さん、選考委員の周防正行さん(と草刈民代のご夫妻)、中村弘文さん、南伸坊さん(これがご縁でそのあと『呪いの時代』の装丁をお願いすることになった)、平松洋子さん(これがご縁でそのあと『「おじさん」的思考』の文庫版解説をお願いすることになった)にお会いした。
そして、退院後久しぶりの橋本治さん、ヨーロッパから帰ってきた加藤典洋さん、中沢新一さん、鈴木晶さん、関川夏央さん、鶴澤寛也さん、橋本麻里さんたちが駆けつけてくれた。
糸井重里さんとはこのときはじめてお会いした。
岸田秀先生ともはじめて。このときに往復書簡本を出すという企画について「夏の終わりくらいにこちらからお送りします」とお約束したのだが、いつのまにか冬になってしまった・・・岸田先生、すみません!
仙谷由人さんも松井孝治さんも来てくれたし、編集者もこれまで一緒に仕事をした方々がほぼ全員集まってくれたし、身内の甲南麻雀連盟も主要メンバーがずらりと揃ってくれた。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
これが5月6日のことで、「お返し」に松山の伊丹十三記念館を訪れ、松山で受賞のお礼の講演をすることになった。それが11月29日。
内田家社員旅行を兼ねていたので、藤井さんとキヨエさんが仕切ってくださって、「社員」のみなさんはバスで松山まで行って市内観光、道後温泉に入って、講演聴いて、宴会やって、翌日は記念館に寄って、宮本信子さん中村弘文さんと記念撮影して、帰りに丸亀の明水亭でうどんを食べたのである。
バスのドライバーが「内田家」という団体名称の意味がわからなくて、不安がっていた。
そうでしょうね。
玉置さんに記念館の所蔵品を見せて頂いて、宮本信子さんからいろいろお話をうかがって、あらためて伊丹十三という人に深い親しみと敬意を抱いたのである。
(5) 東日本大震災と福島原発事故があった
「個人的な重大ニュース」は外の世界の出来事とは基本的にはリンクしない個人的な出来事ばかりを書いているのだが、この災害には私も間接的なかたちで巻き込まれた。
もうずいぶんこれについては書いているので、すでに書いたことはここでは繰り返さない。
来年以降も抱え込むことになる「宿題」のうち優先性の高いものだけランダムに書き留めておく。
-「対口支援」を国家的規模の災害支援においてはデフォルトにすべきだということを震災直後の大学支援の段階から提言していたのだが、政府はついにこれを主導することをしなかった。
現場と現場が政権中枢を経由しないでダイレクトに繋がるという支援策が、生身の身体が傷つき、病み、苦しんでいるときにはもっとも効率的だしきめ細やかなものになると私は信じているが、中枢的・上意下達的な「統制」を望む人々はこれを嫌ったのである。
だが、これほどの規模の被害が中枢的に統御できるはずがない。
結果的に「中枢」はブロウ・オフして、震災からの復興はどうにもならないくらいに遅れ、多くの人が回復不能な傷を負った。
-問題は現在中枢にいる人たちが「サイズの問題」にきわめて鈍感だということである。
あるサイズの組織や出来事には対処できるモデルが、サイズが変わると適用できないということがある。
そのことが「わからない」という人が非常に多い。
というのは、サイズの変化がモデルの変化を要請するときの「分岐点」は理論的には導出できないからである。
「あ、このサイズになったら、これまでのモデルは使えない」ということがわかるのは「身体」である。
現在の政権中枢には、そのような意味で「身体」を持っている人がほとんどいない。
それが問題なのだが、「それが問題なのだ」ということが彼らにはわからないのである。
-原発事故被災者の共同体単位での「移住」計画について。
これはもう本気で具体的な計画起案がなされるべきだろうと思う。
かつて飢饉や支配者の暴政に対する抵抗で「逃散」ということが行われた。
集団で逃れた人々は新しい無住の土地を開墾して、そこに定住した。
明治の屯田兵も「植民」だったし、戦後は東京近郊でも、多くの土地に大陸からの帰還者たちが「入植」した。
日本全土にはいま少子高齢化で耕作放棄地が急増している。高齢化による限界集落では伝統的な産業の継承ができず、山林が荒廃し、自然環境の劣化が進行しているところがいくらもある。
町村単位での集団移動について、政府はシミュレーションくらい始めてもいいのではないか。
-帰農支援。
これは震災に限定されない。日本全体の21世紀戦略の一環である。
食糧安保の基本は「自給自足」である。
エネルギー安保も「自給自足」である。
経済のグローバル化は国内の雇用や地域経済を破壊するだけでなく、自給自足のための前提条件そのものを破壊する。
これに対して「国民経済の再構築」という大きな筋目を通すことが必須である。
そのことを政治家もビジネスマンもメディアもまだ理解していない。
だが、若い人たちは直感的にそのことを理解している。
だから、帰農志向が、意識の高い若い人たちのあいだでは、誰による使嗾もないままに、自然発生的・同時多発的に亢進している。
当然のことだろう。
「自分の食べるものは自分で作る」
それをデフォルトにする人たちが出てくるのは、グローバル経済環境における雇用条件の絶対的窮乏化趨勢のもたらす必然である。
その方が「生き延びるチャンス」が高いからだ。
「国策としての帰農支援」を政策に掲げる覚悟のある政治家はいるのか。
たぶんいないだろう。
(6) 平松邦夫大阪市長のお手伝いをした。
『おせっかい教育論』でご一緒した平松市長に乞われて去年の5月に大阪市の特別顧問になった。
個人的な教育関連のアドバイザーなので、特別な仕事は何もしなかったのだが、市長選挙があのようなバトルになったので、勢い引き出されて、維新の会の教育基本条例批判について支援集会で話したり、生まれて初めて選挙事務所というところに入ったりした。
そういう「なまぐさい」場所には隠居の身としてはあまり近づきたくないのだが、平松さんが市長選のあとも、市政をチェックするシンクタンクのようなものを作るという。
個人的なおつきあいの範囲で、お手伝いできる限りのお手伝いはするつもりである。
(7) たくさん本が出た。
今年もたくさん本を出したわけではなく、本が勝手に出たという感じですけど。
【単著】
『最終講義』(技術評論社)
『うほほいシネクラブ』(文春新書)
『増補版・街場の中国論』(ミシマ社)
【共著】
『大津波と原発』(中沢新一、平川克美との共著、朝日新聞出版)
『原発と祈り』(名越康文、橋口いくよとの共著、メディアファクトリー)
『有事対応コミュニケーション力』(鷲田清一、藏本一也、上杉隆、岩田健太郎との共著、技術評論社)
『橋下主義を許すな!』(香山リカ、山口二郎との共著、ビジネス社)
【共編】
『嘘みたいな本当の話』(高橋源一郎との共編、イースト・プレス)
【文庫化】
『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫、2001年せりか書房刊の同名単行本の文庫化、解説・釈徹宗)
『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(文春文庫、2004年海鳥社刊の同名単行本の文庫化、解説・門脇健)
『「おじさん」的思考』(角川文庫、2002年晶文社刊同名単行本の文庫化、解説・平松洋子)
『期間限定の思考』(角川文庫、2002年晶文社刊同名単行本の文庫化、解説・小田嶋隆)
『橋本治と内田樹』(ちくま文庫、2008年筑摩書房刊の同名単行本の文庫化、解説・鶴澤寛也)
『街場の大学論』(角川文庫、2007年朝日新聞社刊の『狼少年のパラドクス』の文庫化、
【集成への再録】
『人間はすごいな』(日本エッセイストクラブ編、11年版ベストエッセイ集に「なまずくん、何も救わない」が採録)
『2011ベストエッセイ』(日本文藝家協会編に「年の取り方について」が採録)
【外国語訳】
『私家版・ユダヤ文化論』(韓国語版)
『若者よ、マルクスを読もう』(韓国語版)
来年はまず中沢新一さんとの四年越しの共著『日本の文脈』(角川書店)が出る。
それから『街場の読書論』(太田出版)。
この二つはもうゲラが上がっているので、あとは印刷するだけ。
それから(お待たせしました)『クリエイティブ・ライティング講義 街場の文体論』(ミシマ社)。これはまだ第三講までですけれど、力入ってます。
『すまい作り論』(新潮社)は「芸術新潮」連載の単行本化。
岡田斗司夫さんとの対談本。タイトル未定(徳間書店)。
とりあえずこの5冊が既定。
それから『辺境ラジオ』(名越康文と西靖との共著、140B)もたぶん出ますね。わかんないけど、たぶん。
『合気道探求』に書いた「合気道私見」を骨にして、現段階における武道的身体論をまとめる予定。これは光文社新書から。
個人的には平川君と「移行期」をめぐる往復書簡をやりとりしたいと思っているのだが、どこか企画してくれないであろうか。きっと安藤さんが息せき切って「うちで出します!」と走り込んでくるだろうけど。
などなど。

以上重大ニュースは7つ、それくらいで十分でしょう。
来年こそは、できるだけ重大事件がない静かな一年でありますように祈念したい。
では、みなさんもよいお年をお迎え下さい。