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2008年03月 アーカイブ

2008.03.03

たまの休みなので部屋の掃除でもしよう

ひさしぶりの休日。
ゆっくり朝寝をしてから、まず午前の暖かい日差しを浴びて朝ご飯。
白米、わかめと油揚げの味噌汁、納豆、生卵、昆布、鰺の干物(湯本のおみやげ)。
ぱくぱく。
続いて大掃除をする。
この一ヶ月、部屋の掃除をしていないので、机の上、床の上にところきらわず本や雑誌が散乱している。要るものを本棚に戻し、要らないものを資源ゴミに分別。
机の上のゲラの束を数えたら4つあった。
パソコンの中にはこれから見るゲラのデータが3つ入っている。
ということはおそらく年内にあと7冊本を出さなければいけないということである。
軽いめまいを覚えつつ、お洗濯とアイロンかけをする。
家の中がだいぶすっきりした。
机に向かって、『哲学の歴史』のためにカミュ論を仕上げる。
『哲学の歴史』の20世紀フランス思想の巻に短いカミュについてのエッセイを書いた。
出だしはこんなのである。

「アルジェリアの影」というタイトルは編集者から依頼されたものである。本巻の構成と私の過去の研究業績から推して、私に課されたのはアルベール・カミュについてのコメントだろうと思う(鷲田先生に確かめたわけではないので、もしかすると違うのかも知れない。違っていたらごめんなさい)。
いずれにしても、カミュは哲学史的には「日の当たらない場所」におり、このタイトルは正しくカミュの立ち位置を指示している。現に、この「哲学の歴史」シリーズの中にはカミュのために献じられた項目が存在しない。私はアルベール・カミュを二十世紀においてもっとも射程の遠い思想を語った哲学者のひとりと評価しているけれど、その評価に同意してくださる方はごく少数なのである。
だが、それにもかかわらず、カミュのテクストは現在でも本巻に収録されているどの哲学者のものよりも多くの人に読まれている。私の記憶に間違いがなければ、『異邦人』はすでに半世紀にわたって「フランス語で書かれた小説」のベストセラー・ランキング一位を占め続けている。この記録を更新する作品がフランス語で書かれる可能性はこれから先もおそらくないだろう。  
死後半世紀を経てもなお新たな読者を獲得して読み継がれているという事実と、その哲学史的な評価の低さの「ミスマッチ」に私は興味がある。なぜアルベール・カミュは哲学史の「影」に置かれるのか?これが、私がこの短い文章の中で考察してみようと思う問いである。

どうです。ちょっと続きが読みたくなったでしょ。
依頼枚数は8枚だったのだが、書き終わったら20枚になっていた。
そのまま掲載してくださるかどうか危ぶまれるが、読み返してみてもなかなか面白いです。
続いて、バリで書きかけた『寺門興隆』のエッセイを書き上げる。
これは宗教についてのエッセイなので、バリ島における「霊的律動」について書く。
続いて、エピスの原稿『ノーカントリー』を書く。
この映画の説話構成がヒッチコックに通じていることに書いている途中で気づく。
それは「何か厄介なものを手に入れたせいで、エンドレスのトラブルに巻き込まれる人の話」ということである。
ヒッチコックの映画はだいたいそうである(「何か厄介なもの」をヒッチコックは「マクガフィン」と呼んだ)。
『39夜』も『知りすぎた男』も『サイコ』も、「そういう話」である。
よく考えたら、『ノーカントリー』は『サイコ』に説話構成がよく似ている。
たまたま大金を手に入れて、それを持って逃亡した人が、それを追ってくる人々との終わりなきトラブルに巻き込まれ、最後に「誰彼構わず殺してしまうサイコパス」に出会って殺される。だが、殺す人間は金を取り戻すためにそうするのではない。彼はいわば人間のかたちをした「災厄」なのである。
なるほど。『ノーカントリー』はコーエン兄弟版の『サイコ』であったのか・・・ということに気づく。
そのことをエピスに書こうかと思ったが、若い読者は『サイコ』なんか観てないであろうから、比較をしてもあまり面白くない。
あれこれ考えているうちに、映画を観ていて、どうも「ひっかかった」ところを思い出した。
それはモス(ジョシュ・ブローリン)がメキシコ国境を越えるところで、「2000万ドル詰まった鞄」をリオ・グランデ川のアメリカ側の河川敷に棄てる場面である。
おい、そんな目に付くところに鞄棄てたら、すぐ誰かに見つかって持ち逃げされちゃうんじゃないの・・・と私はひとごとながら心配になったのである。
実際にその翌日にはスマートな追っ手(ウディ・ハレルソン)がすぐに鞄を見つけてしまう。
でも、どういうわけか彼はそれを拾って持ち帰ろうとしない。
不条理である。
どうして、モスはこの鞄を河原に置き去りにしたのか?どうしてウディ・ハレルソンはその鞄を拾って持ち帰らなかったのか?
理由がわからない。
国境警備隊の仕事ぶりのいい加減さは二度にわたって活写されている(アメリカからメキシコに入国するときに警備員は居眠りをしている)。
だから、「モスは鞄の中身をチェックされるのを避けるためにそうした」という説明は通らない。
ウディ・ハレルソンが鞄を拾わなかった理由はもっとわからない。アメリカ側から河原に降りればいいんだから(現にモスはそのあとそうやって簡単に鞄を回収している)。
でも、彼は鞄を拾わず、手ぶらでメキシコに戻り、殺される。
この不条理を説明できる仮説はひとつしかない。
それはあの鞄は「アメリカ=メキシコ国境を通り越すことができないもの」だということである。
さて、そこで問題です。
アメリカ国内ではすべての人がそれを欲望し、それを所有し、それを支配しようとするけれども、メキシコには持って行けないものとは何でしょう?
論理的にはそれは一つしかない。
答えは讀賣新聞3月のエピス「うほほいシネクラブ」で!
原稿を3本書き上げたところで、お風呂に入る。
風呂から出て、『松風』の謡の稽古と『菊慈童』の舞の稽古をする。
盤捗楽の稽古の途中で、三宅先生がやってくる。
三宅先生ご夫妻と御影のガーデンシティのお寿司屋さんへゆく約束だったのである。
ぱくぱく。
三宅先生、今日もごちそうさまでした~。


2008.03.05

そろそろ春だけど

昨日も今日も会議。
この一週間、数えたら会議が10回あった。
その10回目。
ほとんどの会議が同じ顔ぶれである。
大学教員には二種類がいる。
「会議に呼ばれる人」と「会議に呼ばれない人」である。
たいていの場合、「会議に呼ばれない人」はその会議での議題について、特段の意見がない方ではない。むしろ、当該論件について、きっぱりとした意見をお持ちの方が多い。
彼らが呼ばれないのは、その人が会議で発言を始めると、会議がたいへん長引くからである。
だから、「会議に呼ばれる頻度の高い人」は、「会議で長時間無言でいることに耐えられる人」か、「会議を早く終わらせる特技を有している人」かどちらかである。
私はご案内のとおり、会議で長時間無言でいることに耐えらるような度量の大きい人間ではない。
しかし、私が我慢できずに「ええい、めんどうだなあ。あのね、早い話が」と発言を始めると、場はたちまち収拾のつかない混乱に陥り、議長はやむなく閉会を宣言してしまい、結果的にみんないつもより早く帰れるので、「面倒な会議にはウチダを呼んでおくと、意外に早く終わる」ということが暗黙の学内合意となっているのである。

お正月の大瀧詠一、山下達郎の『新春放談』はナイアガラーにとって「教皇の年頭勅令」というか「大統領の年頭教書」のようなものであるが、たまさか旅先でラジオを聴くことができぬので、石川くんに録音をお願いしておいた。
そのカセットが1月末に届いた。
2月は当方が忙しすぎて聴く暇がなかったが、3月になってすこし時間に隙間ができたので、カセットテレコを車内に持ち込み、ドライブしながら聴ける体制をしつらえて再生してみる。
2008年なので、30年前の1978年の『ナイアガラ・カレンダー』の秘話が語られる。
『ナイアガラ・カレンダー』は3万枚プレスしたが、予約が300枚しか来なかったという(『レッツ・オンド・アゲイン』と並ぶ)ナイアガラ・レーベルでもっとも悲運の一つなアルバムである。
私も発売と同時に購入はしたが、予約はしなかったので、師匠のご心痛にいくばくかの責任はあるのである。
『ロックンロール・お年玉』、『クリスマス音頭』、『五月雨』、『泳げかなづちくん』など歴史的名曲が収録されているのだが、私はとりわけ『座 読書』を愛しており、これを繰り返し聴きながら、上野毛時代に育児家事労働などの励んでいたのである。
ま、それはさておき。
その録音秘話をげらげら笑いながら聴いていたら、談及んでしばらく前に山下達郎さんのSunday Song Book で特集したP・F・スローンのことが話題になった。
そして、師匠が「P・F・スローンがハーマンズ・ハーミッツに提供したA must to avoidの邦題覚えてる?」と山下さんに振ったところ、「あの娘にご用心!」と即答。
そしたら、それに続いて師匠が「ウチダタツル先生が『村上春樹にご用心』という村上春樹論書いたでしょ。そのタイトルについて、あれは大瀧の『あの娘にご用心』からいただきましたって書いてたけれど、もとがP・F・スローンからのパクリなの」と衝撃のコメントをされたのである。
『新春放談』で自分の名前が大瀧詠一師匠の口から出るというのは、どれほど「びっくり」することであるか、全国津々浦々のナイアガラーにはご想像いただけるであろう。
運転中であったので、私はあやうくハンドル操作を誤るところであった。
ああ、おどろいた。
去年のお正月に45スタジオに遊びにおいでと大瀧さんから誘われていた。一度福生に伺って、直接ご拝顔のうえ、これまでの無音のお詫びを申し上げねばならぬのだが、なかなか実現しない。
とほ。
AERAの連載が始まる。
週刊誌連載は「パンツのゴムよりきつい」というのは斯界の常識であるので、私はこれまで固辞していたのであるが、養老先生からのお声がかりではお断りするわけにはゆかない。
今週号のAERAを読んだら、養老先生は「この連載は、次回から内田さんの柔らかい頭を借りたリレーエッセイに装いを替える。あわよくば私に虫捕りに専念しようというもくろみだ。」とお書きになっている。
自分の名前を思いがけぬところで見て、またびっくり。
「あわよくば」って、先生は私に連載をおしつけてAERAをオサラバするもくろみなのであろうか。

午後、朝日新聞の取材が来る。
「女と男」という一年間続いた特集の「しめ」の談話を取りにいらしたのである。
去年の春ごろにその紙面に登場して、何ごとかしゃべったらしい。
むろんな何を話したのか何も覚えていない。
そうカミングアウトすると、取材の記者の方はたいへん悲しそうな顔をされていた。
申し訳ない。
「女と男」というシリーズの記事をいくつか事前に送っていただいていたので、読んだ感想を訊かれる。
「べたべたしてて気持ち悪かったです」と正直にお答えする。
どうして、もっと「さらり」とした、敬意をもって互いを遇し、ていねいに配慮し合う、気分のよいカップルを取材されないのであるか。
その理由はメディアの諸君もまた男女関係を「理解と共感」の上に基礎づけようとしているからである。
愚かなことである。
人間の共同体は個体間に理解と共感がなくても機能するように設計されている。
そのために言語があり、儀礼がある。
人間の生理過程が「飢餓ベース」であり、共同体原理が「弱者ベース」であるように、親族は「謎ベース」である。
親子であれ配偶者であれ、「何を考えているのかよくわからない」ままでも基本的なサービスの供与には支障がないように親族制度は設計されている。
成員同士が互いの胸中をすみずみまで理解できており、成員間につねに愛情がみなぎっているような関係の上ではじめて機能するものとして家族を観念するならば、この世にうまくいっている家族などというものは原理的に存在しない。
原理的に存在しえないものを「家族」と定義しておいて、その上で「家族は解体した」とか「家族は失われた」というのはまるでナンセンスなことである。
変わったのは家族ではなく、家族の定義である。
誰が変えたか知らないけれど、ほんらい家族というのはもっと表層的で単純なものである。
成員は儀礼を守ることを要求される。
以上。
である。
それを愛だの理解だの共感だの思いやりだのとよけいな条件を加算するから家族を維持することが困難になってしまったのである。
現在、家族を形成している方々は総じてたいへん不満顔である。
家族間に理解がない、愛がない、共感がない、価値観が一致しない、美意識が一致しない、信教が一致しない、政治イデオロギーが一致しない・・・だから「ダメ」なんだと結論する。
そのような条件であれば、この世に幸福な家族がひとつとして存在しなくて当たり前である。
家族の条件というのは家族の儀礼を守ること、それだけである。
それがクリアーできていれば、もうオッケーである。
朝起きたら「おはようございます」と言い、誰かが出かけるときは「いってきます」「いってらっしゃい」と言い、誰かが帰ってきたら「ただいま」「おかえりなさい」と言い、ご飯を食べるときは「いただきます」「ごちそうさま」と言い、寝るときは「おやすみなさい」と言いかわす。
家族の儀礼のそれが全部である。
それができれば愛も理解も要らない。
私はそういう意見である。
家族の間には愛情も理解も不要である。
必要なのは家族の儀礼に対する遵法的態度である。
家族と言ったって、ほんとのところは「よくわからない人」である。
とりあえずわかっているのは、「この人もまた私同様に家族の儀礼を守る人だ」ということだけである。
だから敬語を使う。
何を考えているのかわからないときにはたまには「何をお考えなのですか?」と訊いてみる。
訊いてみたらたいへん単純なことだった場合もある(「いや、綿棒どこ置いたかな・・・と思って」とか「昨日の晩御飯って、焼きそばだったっけ?」とか)し、訊いてみてもまるでわからない場合もある(訊かれた本人も自分が何を考えているのかわかっていないからである)。
「私のことを愛していますか?」と心配だったら訊いてもいい。
もちろん、こういう場合には「もちろん愛しているよ。どうして、そんなこと訊くの?」と答えることが「家族の儀礼」で決まっているので、そういう返事がくる。
私はそれだけで十分だと思う。
どうして「家族の儀礼を守らなくちゃいけないの?」という問いには「昔からそう決まっているから」と答えればよろしい。
家族というのはどうしてそのようなものがあるか、その起源についてはよくわかっていない社会制度である。
弱者が共同体をつくることで生き延びる確率を高めようとしたのであろうということしかわからない。
世界に二人といない知己を得たり、めくるめくエロスの極致を経験したりするためのものではない。
もちろんそういうことが副次的に「おまけ」でついてくれば、それに越したことはないが、それはいわば「レクサス買ったら、ドライバーズシートに『腰もみマッサージ機能』がついていたぜ」くらいに「おまけ」的なものである。
どうも世間の方は勘違いをされているのではないか。
愛と共感に基礎づけられ、家族同士が世界の誰よりも深く理解し合い、配偶者たちは夜毎エロスの極限を経験している・・・というようなものを「理想の家族」とするならば、現実のすべての家族はただちに遺棄されて、人々は「理想の家族」めざして「家族探しの旅」にさまよい出なければならぬであろう。
当今の家族論の類を読んでいると、どうも「この自転車にはバックミラーがついてない」とか「この中華料理屋にはなぜクラブハウスサンドイッチがないのだ」(裏軒にはあるが)というような「木によって魚を求む」議論をしているような気がしてならない。
家族は「ひとりでは生きられない」弱者が生き延びるための装置である。
家族成員が強者であることを要求するような家族論ははなから論の立て方が間違っているのである。
というような話を(その10倍くらいくどく)する。

2008.03.07

一人では生きられないので死んで貰います

中高部の礼拝に呼ばれて、朝七時起きで学校へ。
8時半から中高の700人ほどの生徒たちに「隣人愛」とは何かということについて15分「奨励」というものを行う。
私が選んだ聖句は『創世記』2-18。
「その後、神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのはよくない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。』」
人間は一人では生きられないように設計されている。
「一人では生きられない」から共生するというのが人間のデフォルトである。
そして、「一人では生きられない度」の高さがその人間の成熟度と相関していると私は考えている。
赤ちゃんは一人では生きられないが、母親がひとりいれば、「赤ちゃん的必要」の過半は満たされる。
子どもが成長すると、「友だち」が必要になる。「先生」も必要になる。「好きな異性」も必要である。
青年になると、「天敵」とか「ライバル」とかひとひねり効いた「友だち」が必要になるし、渡世上の「親分」とか「上司」とか「師匠」とか「兄貴」とかも出てくるし、教化的にはぜひ「反面教師」も欲しいし、「天津敏あるいは金子信男」的な「悪役」もいるとスパイシーだし、異性も「恋人」のほかに「遊び友だち」「情人」「ワンナイト・スタンド」など、各種取り揃えておけるものなら揃えておきたい。
ビジネスをするなら「ビジネス・パートナー」や「クライアント」が要るし、ピンの芸だって「観客」や「ファン」や「愛読者」が要る。
というふうに、成長につれて、人間の「ひとりでは生きられない」度は高まるのである。
平たく言えば、その人が愉快に生きてゆくためにどれくらい多くの他者の存在を必要としているかが、その人の社会的成熟度の数値的な指標になるということである。
「自立」というのは、この「支え手である他者たち」の数があまりに多いので、入力の変化が当人のアクティヴィティにごく微細な影響しか与えないようなありようのことである。
赤ちゃんが自立していないと言われるのは、母親がひとりいなくなるだけでたちまちその生存が危うくなるからである。
「オレは自立しているぜ」などといくら力んで宣言してもダメである。
自立というのはマインドセットの問題ではなく、現にどのように他者とわかちがたく共生しているかの問題だからである。
自立の最低限の要件は「異性のパートナー」「党派的同志あるいは〈兄弟盃〉をかわしたパートナー」そして「顧客または弟子または支援者」の三つのカテゴリーの他者に支えられていることである。
どうしてこのようなことを断言できるかというと、昨夜『唐獅子牡丹・人斬り唐獅子』をまた見たからである。
これは『博奕打ち・総長賭博』とともに任侠映画の金字塔であるが(そういえば、どちらも山下耕作)、『唐獅子牡丹』を見て、どういう条件が整うと花田秀次郎は風間重吉とともに東雲一家に殴り込みをかけるのかをふと人類学的に考察してみたのである。
花田秀次郎くんにとって「異性のパートナー」はかつての恋人雅代(小山明子)であるが、雅代はいまは人妻。その夫である皆川(大木実)を秀次郎くんはあの名台詞「親分さんには何の恨みもござんせんが、渡世の義理。あっしと勝負していただきます」と言って斬ってしまう。
というわけで彼女は「フリー」になったわけだが、秀次郎くんとしても立場上すぐにどうこうなるわけにはゆかないので、「異性のパートナー」については条件が満たされていない。
「顧客、弟子または支援者」は本作では皆川の頼りない実子(長谷川明男)と剣の親分(片岡千恵蔵)である。
彼が後見すべき実子は東雲一家に殴り込んでテロられて、半死の状態。
渡世上のアイデンティティ担保者である剣の親分は東雲一家に暗殺されてしまう。
この段階で彼にはもう「兄弟盃」しか残されていない。
風間くんは東雲の親分からその直前に「破門」されたために、支援者を失っている。
その点では剣の親分さんを失った花田くんとカテゴリー的には同類となるので、「オレもいっしょに行かせてもらうぜ」という条件が整う。
なるほど、三つの条件のうち二つが失われた段階で「ええんこうまれええのあさくううさそだち」の旋律が可能になるわけであるな。
自立者は三条件のうち二つを失った段階で「自立できなくなって倒れる」ということである。
「倒れる」というのは「不安定な状態が一気に安定した状態に回帰すること」であり、同じことをケミカルに表現すれば「爆発」するということである。
なるほど。
その結果何が起きるか。
今度は彼らを「親分の仇」と狙う「旧・東雲一家」の復讐者たちを生み出す。
復讐者は「顧客、弟子または支援者」のカテゴリーに入れることのできる自立の要件のひとつである。
現に、これに先行する『唐獅子牡丹』シリーズでは、どの作品でも初期設定は何もかも失った花田秀次郎に最後に残っているのは、兄弟盃と復讐者だけであるという設定である。
この二つのカテゴリーに属する他者がある限り、彼はかろうじて自立状態を継続することができる。
逆説的なことだが、彼の死を願う復讐者の存在が彼の生きる支えとなるのである。
「恨まれるのは仕方がないが、この命簡単にはやるわけにはゆかねえんだよ」(というのも花田くんを「兄貴」とか「あなた」とか「おじちゃん」とか言って慕ってくる他者がいつのまにかまたできちゃったからである)ということでシリーズはエンドレスの構造になっているのである。
というような話を中高部の奨励でする(わけがないか)。


2008.03.14

神さまここはハライソ

あまりに長い間、日記の更新がなかったので、江さんが心配して「大丈夫ですか」というメールをくれた。
ご心配をおかけしましたが、大丈夫です。
バリから帰ってから、極楽麻雀に行って、そのあと会議漬けの日々があって、そのあいだに締め切り原稿をばたばたと片付けて、10日から13日まで恒例の極楽スキーで野沢温泉にいたのである。
極楽スキーも91年から数えて17シーズン目である。
途中で膝の痛みで2回欠席したが、あとは皆勤。
92年までは「シーハイルの会」というスポーツマンライクで禁欲的な会だったのであるが、93年に私が幹事に指名されるに至って、「温泉、山海の珍味、スキー」に均等に配慮した快楽オリエンテッドなスキー旅行に衣替えし、会の名称も「極楽スキーの会」と改まったことは既報の通りである。
爾来、十数年野沢温泉さかや旅館で三泊四日の春スキーを楽しんでいる。
ワルモノ先生に7年ほど前に幹事職をお譲りしてから、ますます「極楽テイスト」は強化され、分刻みスケジュールで美食と美酒をしこたま腹に詰め続けるというスキーとは別の意味での体力(主に胃腸肝臓系の)勝負なスキーツァーとなっているのである。
今年の参加者は10名。
常連のウエノ先生、ヤマモト先生、ミスギ先生、ミウラ先生、今年が二度目のイワタ先生、今年初参加のサイトウ先生、そしてワルモノジュニア(はるこさんとふみこくん)。
イーダ先生とドクターは今年はお休み。
若い人たちの参加で多少平均年齢はさがったものの、オーバー60歳スキーヤーが次第に増えてきた。
かくいう私もあと3シーズン後は還暦スキーヤーである。
思えば16歳のときにオガサカの板を買って部屋で「ひとり妄想ウェーデルン」をしていたときに、ふとあと何シーズンスキーができるのだろうと考えたことがある。
そのときに「60歳までできるとして、あと45シーズンか・・・」と指折り数えて絶望的な気分になった。
人生ってそんなに短いのかと思ったのである。
そのときは60歳でスキーをしている自分の姿がうまく想像できなかった(だってそのへんが人生の「消失点」なんだから)。
今なら想像できる。
そして、自分が16歳とのときとあまり変わってないということもよくわかる。
もちろん外観や身体能力や知識量や社会的立場は高校生のときとは変わっている。
でも、変わったのはそれくらいである。
気質とか、好き嫌いとか、価値観とかはまるでおんなじである。
タイムマシンで16歳の自分に会いに行って、「60歳になっても、中身はかわんないぜ」と教えてやったら、どんな顔をするであろう。
え~、オレってこのまんまなの・・・とおそらくは絶望のあまり髪の毛をかきむしるであろう。
高校生が高校生であることに耐えられるのは、自分がそのうち「別人」になるであろうと無根拠に信じているからである。
その信憑は小松崎茂の「未来画」を見て、自分が大人になるころに、自分の子どもたちは「ジェットカー」に乗って、銀色の宇宙服を着て宇宙ステーション内の学校に通うようになるのだろうと素朴に信じていたのと同質のものである。
未来はまことに未知である。
その未知性のうちには「未来はそれほど未知でもない」という驚嘆すべき情報も含まれている。
野沢温泉はあいかわらず人が少ない。
三日間ピーカンで、雪質は最高なのに、ゲレンデはがらがら。
樹氷のあいだをリフトで登ってゆくと、真っ青な空の下に白銀の山々が拡がっている。
エッジを立てるとキュッと粉雪がきしむ。
スキーヤーとしてはまことに快適であるが、この同じスキー場に「雲霞のごとく」スキーヤーがひしめいていた70-80年代を知るものとしては採算的にこの先大丈夫なのであろうかと心配になる。
さいわい、オーストラリアや中国からのスキーヤーが増えていて、彼らが需要の下支えをしてくれている。
野沢温泉ではもうスキー場の告知もメニューもすべて英語併記となっているし、「迷子の呼び出し」も英語でやっていた。私たちの泊まった部屋の隣二室も外国からのお客様であった。
「食堂国家」「温泉国家」「演芸場国家」として「東アジアのスイス」をめざすという私の21世紀の国家戦略は民間レベルではすでに着々と進行しているようである。


2008.03.16

「政治的に正しいこと」は正しいのか?

バリ島海水浴でばりばりに日焼けした上にスキー焼けしたので、季節感のない色黒男になってしまった。
むかしはこういうのを「くろんぼ大会」と称したのであるが若い人はご存じないであろう。
1960年代までは夏休み明けに一番黒く日焼けした子どもを学校で表彰していた。
たいへんよい企図のものであったと思うのだが、「くろんぼ」がご案内のとおりポリティカリーにコレクトではないということで使用禁止用語となり、ついでに「よく遊んだこと」を肌の黒さを基準に考量し、これを讃えるという風儀もまた失われたのである。
ポリティカル・コレクトネスによる用語制限によって私たちが得たものと失ったものはどちらが多いのか、ときどき疑問になる。
自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣を定着させたという功績はむろん高く評価されねばならぬ。
だが、PCの難点は「自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣に伏流するイデオロギー性」の検出にはほとんど知的リソースを備給しないという点にある。
わかりにくくてすまない。
要するに、PC的なことを大声で言うやつは総じて頭が悪いということである。
頭が悪いことと邪悪なことではどちらがより有害であるかについては意見の分かれるところであるが、アナトール・フランスはこの論件についてたいへん適切な言葉を残している。
「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなることがあるが、愚鈍な人間はつねに愚鈍なままである。」
そういえば先日「丸坊主」と書いたら、「PC的に不適切用語です」という校閲からのチェックが入った。
ちょうど山本浩二くんといっしょにお茶を飲んでいるところだったので、いったいどこが不適切であるのかについてしばらく意見交換した。
「丸」はPC的に問題ではないであろうから、不適切なのは「坊主」の方なのであろう。
しかし寡聞にしていつから「坊主」が活字にしてはならぬ語に登録されたのか私は知らない(その経緯を知っている人がいたらご教示ください)。
たしかに「坊主」には貶下的なニュアンスがあるのは事実である。
「三日坊主」とか「腕白坊主」とか「生臭坊主」とか。
そもそも年少のものを呼称するに僧侶の称を流用するという習慣自体が「僧侶一般」に対する世俗の人間たちのambivalentな感情抜きには説明できない。
だが、僧侶を両義的にみつめるまなざしはすでに平安時代から存在したのである。
つまり、「坊主」というのは「その本義とは違う不適切な含意をともなう語」として古来使われてきた語なのである。
その語義を昨日今日ぽっと出てきた「良識」で使用禁止にしてよろしいのか。
それが「正しい」ということになれば、およそ敬意と嫌悪の両義を含むすべての語は使用を禁じられねばならないことになる。
私は一昨日所用のために警察署に行ったが、その窓口で警察官は私を「ご主人さん」と呼んだ。
「ここにハンコ捺して、証紙貼って持ってきて」
「ご」も「主人」も「さん」もどこにも貶下的な語義はないが、その語はあきらかに「市民を敵視する」トーンで使われていた。
「あのですね、こっちは『ご』に『主人』に『さん』と三段構えで敬語使ってるわけですよ。市民に対する公僕の『お仕えする』という姿勢をアピールするために。これなら文句のつけようないでしょう?え?まだ足りないの?『お市民さま』の方がいい?」
こういうのはよろしくないと私は思う。
おそらく警察庁内部の知恵者が「年齢にかかわらず男性は『ご主人さん』、既婚未婚の別なく女性は『奥さん』と統一的に呼称しておけば、まずPC的批判は受けずに済むでしょう」というようなことを提言して、そういうことが内規化されたのであろう。
しかし、私は「ご主人さん」と呼ばれて、飲み屋で「社長」とか「大将」とか呼ばれたような嫌な気分になった。
「社長」も「大将」も、「ご主人さん」も社会的地位についての指示記号である。
そして、私は使用人を持たない未婚の男子であるから、誰からも「ご主人さん」と呼ばれる立場にない。
誰からも「ご主人さん」と呼ばれる立場にない人間に対して平然とそのような呼称を用いるのは、あきらかに非礼である。
「ご主人さん」が貶下的含意をもつのは、そのような指示記号が明らかに事実を指示していない場合にあえてその呼称を用いることで「要するに、お前が社会的に何ものであるかなんてことに、オレはぜんぜん興味ないわけよ」というメッセージを発信しているからである。
あらゆる名詞は「その名詞を用いても、指示対象についての情報が少しも増えない」場合には貶下的含意を持つことができる。
悪意は語義のレベルにあるのではなく、文脈にある。
ポリティカリーにコレクトな「言葉の検閲者」たちを私が嫌うのは、彼らの言語の機能と本質についての理解があまりに浅いからである。
使える言葉をいくら規制しても、使う人間に悪意がある限り、言葉は語義を離れて攻撃的に機能することができる。
現に私は「ポリティカリーにコレクトな人々」という語をもっぱら「頭の悪い人」という意味で用いている。
おそらくこの用例もやがて日本語の語彙に登録されて、「ポリティカリーにコレクトな」という形容詞そのものが「不適切語」として校閲にチェックされる日が来るであろう。

2008.03.21

麻布永坂茶事事始

日記の更新がままならない。
日記は朝起きて、朝ごはんを食べる前にコーヒーを飲みながら書くか、朝ごはんを食べ終わってからコーヒーを飲みながら書くことにしている。
だいたい毎日1時間から2時間をこの作業のために割く。
日記が更新されていないというのは、「朝ごはんの前後にコーヒーをのみながらディスプレイの前に座る」時間がないということである。
家にはいるのだが、ディスプレイの前にすわっている時間がないのか、その時刻に家にいないかのいずれかである。
そういう毎日が続いている。
家の中はかなり無秩序な状態になりつつある。
私はわりときれい好きなのであるが、夜遅くに家に戻ってからだと、掃除をしたり、アイロンかけをしたり、明日の朝ごはんの下ごしらえをしたりするような余力がないので、取り込んだ洗濯物がそのまま床に広がっているし、冷蔵庫の中ではゆっくり食物が腐り始めている。
うう。
返信を求めるメールも毎日たまってゆくが、返信を書いている暇がない(ごめんなさい)
この間、何をしていたのか、備忘のために記しておく。
3月16日上京。AGAINの一周年記念で平川君とトークショー。
かんきちくん、藤田くん、鈴木・船山のアルテス新婚カップル、阿部社長らをまじえて打ち上げ。
学士会館泊。
朝、10時から『クロワッサン』のインタビュー。
お題は「生きがいについて」。
朝の10時の眠い頭に「生きがいってなんでしょう?」というようなラディカルなことを問われても、はかばかしいお答えができない。
そのまま学士会館ロビーにて仕事。
バジリコの『人類学本』の校正を終える。
タイトルは未定。
安藤さんは『江戸前構造主義』という仮題をつけてくれたが、私は今やどっぷり関西人であり、「江戸前」的地域性とはすでに無縁の人である。
では『上方構造主義』ではどうかというと、さらに地域的であって、人類学的普遍性を論ずるにふさわしいものとも思えない。
『構造主義者ならこう言うね』というタイトルを思いつく(みうらじゅん先生からの拝借である)が、その含意を汲んでくれる方は多くはあるまい。
タイトルをつけるのはむずかしい。
16時半に番町に移動。Jフォーラムというところで「日本人の生き方」について講演。
講演はクローズドであるが、コンテンツはNHKラジオで配信するという不思議なイベントである。
前回の講師は柴田翔先生だったそうである。
柴田翔先生の格調高い日本語論のあとに、「21世紀の日本の国家像は“東アジアのスイス”となることです」というような与太話をする。
講演後、ただちに東京駅方面に逃走を企てるが、K談社のS藤さんに捕縛される。
「関川夏央さんとの鼎談、いつになるんですか」と詰問される。
鼎談?
さて、それは何の話でしょう。
S藤さん落胆と怒りのあまり青ざめる。
当然である。
しかし、上京してゲストをまじえて鼎談する日程をはやく確保してくださいといわれても、私は今や一日を生き延びるのに精一杯で、とてもそのような知的営為に対処することがかなわぬ身なのである。
新幹線車中にて死に寝。
翌日は朝から会議。朝一で市役所に立ち寄り、三宅先生のところに立ち寄り、10分遅刻で入試委員会。11時から判定教授会。15時半から学部長会。
その間に大量の郵便物を処理(文字通り「ゴミ箱に投入」の意)する。
その間にじゃんじゃん電話がかかってくる。講演依頼、寄稿依頼は一つを除いて(『日経アーキテクチャー』というところからの依頼)すべて断る。
どういう基準で採否を決しているのか、本人にもよくわからない。
中に「息子の嫁を探してほしい」というプロジェクト関連の電話もまじっている。これで何人目であろうか。
親というのはありがたいものである。
会議のあと、書類を作成しているうちにタイムアップ。
家に帰って、御影駅前でミシマ社の三島くんと会う。
ミシマ社の近況について伺う。
たいへん意欲的な活動を展開しておられるようである。
帰って死に寝。
19日、卒業式。
例のごとく『マタイによる福音書』の22章34節から40節を拝読する。
賛美歌、学院歌、記念歌と三回歌うのだが、私の右となりが朗々たるバリトンの舩橋先生、左となりがソプラノの斉藤言子先生であるので、ペドロ&カプリシャス状態となる(などと言っても若い人にはわかるまいが)。
式後、あいにくの雨のため、第二体育館で茶話会。ゼミ生、合気道部の卒業生たちと記念写真をばしばし撮る。
オフィスに戻って書類書き。
豪雨の中を御影まで戻り、エール・ド・シエルで新潮社の足立さんと打ち合わせ。
前日に引き続き「本を書きなさい」「やだぴょ~ん」という不毛な問答が展開される。
ぐったり疲れて帰宅後、死に寝。
よろよろ起き上がって身支度をして新幹線車中に身を投じる。
『考える人』の連載「日本の身体」の第三回は武者小路千家の若宗匠千宗屋さんをゲストに迎えての対談。
宗匠と対談をするのに茶事について何も知らないというのでは話にならないというわけで、東京麻布永坂に今度宗屋さんが造られた茶室「重窓」(「ちょうそう」と読んでね)に正客としてお招きいただいたのである。
正客であるから紋付袴の正装でなければならない。
出際にかばんの中に着物一式を詰め込んできたはずだが、学士会館について荷解きをしてみたら、帯を入れ忘れていた。
集合時間まであと残り1時間。
学士会館のフロントで「近所に呉服屋はありませんか」と訊ねるが、神保町には呉服屋はないそうである。
学士会館は結婚式場だから、貸衣装屋が入っている。
そこに連絡してもらって、帯を借りる算段をつける。
雨の中タクシーに乗って飯田橋まで行き、帯を借りて、またタクシーで戻り、超ソッコーで着替えて、麻布へ。ぎりぎりセーフ。
今回の連客は高橋源一郎、原研哉、永井一史、鈴木芳雄、足立真穂、そして「詰」が橋本麻里のみなさま。
茶事のことなんか何も知らないので、新幹線車中で「マニュアル」を読む。
「一夜漬け」というより「3時間漬け」の泥縄勉強である。
高橋さんも茶事ははじめてということなので、安心する。
茶事では「拝見」というのが重要な儀礼を構成するのであるが、ご存知のように私は生まれてから一度も「コレクション」というものをしたことがない人間なので、物品を玩味するというやりかたがよくわからない。
つくばいのあと、茶室ににじり入って、掛け軸を拝見し、炉を拝見し、炭を拝見し、箒を拝見し、火箸を拝見し・・・とにかくある限りのものを拝見する。
茶事経験のある永井さんはぐいっと腰を入れてあきらかに「拝見」している。
原さんはデザイナーであるから、あらゆるオブジェに専門家的なスルドイ「拝見」のまなざしを送っている。
鈴木さんは日本美術の目利であるから、当然テクニカルに「拝見」している。
私とタカハシさんが「どう拝見してよいのかわからないコンビ」を形成している。
足立さんと橋本さんは、私とタカハシさんのあやしげな所作を(「おそらくはこの茶事を台無しにするとしたら、この二人の暴走によってであろう」という確度の高い見通しに基づいて)きびしいまなざしで「監視」せねばならなかったために、「拝見」の方はいささか疎かになっていたようにお見受けした。
千宗屋さんとは「鈴木晶先生のうちのワインセラーのワインをタカハシさんと飲み倒す会」、「比叡山根本中堂で梅若六郎の『翁』を見る会」、そして「朝日新聞・大学パートナーズ・シンポジウム」とこれまで三度お会いして、これが四回目。
そのうち二回が橋本麻里プロデュースである。
どういうわけか千さんと会うときはいつも「めちゃ濃い」メンバーといっしょになる。
高橋源一郎、加藤典洋、鈴木晶、茂木健一郎、原研哉、甲野善紀、島崎徹などなど。
千さんには何かそういう「劇薬中和作用」のようなものがあるのかも知れないし、「うるさがたフェロモン」のようなものを宿命的に分泌されているのかも知れない。
いずれにせよ茶人としてはたいへんつきづきしい資質である。
千さんのおもてなしで、すっかりよい気分になる(茶事というのが、あんなにたくさんお酒を飲むものだとは知らなかった)。
杯を重ねているうちに、私とタカハシさんがだんだん「居酒屋のカウンターでだべるおじさん」状態になってゆくのを橋本さんがびしりと「コンニャロ光線」を発して見咎める。
とはいえ、濃茶を頂くときの場の緊張感はただものではなく、半酔の私も思わず居ずまいを正して、ぴりぴりと皮膚が張り詰めるのがわかった。
濃茶が済むと、場を替えて薄茶をいただく。
こちらはがらりとリラックスして、ゆるゆると緊張がほどけてゆく。
それから雑誌用に千さんと私のツーショットを何枚か撮り、記念に私も薄茶を一服点てさせていただき、若宗匠に差し上げる。
千家の若宗匠に手ずから「生まれてはじめてのお点前」を教えていただいたのである。
雨の中大きいかばんを抱えて上京し、帯を求めて都内を彷徨した甲斐があったというものである。
疲労し果てて東京に来たのだが、茶事が終わるころにはすっかり癒されて、たいへんハイな気分で帰途につく。
みなさん、どうもありがとう。ナイスな経験でした。
学士会館に戻り、死に寝。

2008.03.26

ようやく春休みになった

「ねんきん特別便」というのがいまごろ届いた。
開封してみたら私の年金加入記録が残っているのは1990年からの私学共済だけで、それ以前の年金はすべてが「記録もれ」になっていた。
すごい。
私は1977年からは(株)アーバン・トランスレーションの社員であり、そのときもきちんと年金は支払っていたはずであるが、その記録がない。
それどころか、1982年から90年までは東京都の公務員だったのであるが、その年金記録も記載されていない。
社保庁の仕事がずいぶんデタラメだということは報道で聞き知ってはいたが、まさか公務員の年金記録もなくなっているとは知らなかった。
このままだと私は年金受給年齢になったときに「加入年数が25年に満たないので年金は上げられません」ということになったわけである。
とりあえず「訂正してね」という返事を書いて送る。
けれども、1977年のアーバン・トランスレーションの住所なんか、遠い記憶の彼方である。
「渋谷区道玄坂」とだけしか覚えていない。
はたして、このような頼りない記憶で記録との照合が可能なのであろうか。
なんだか無理そうな気がする。

養老先生と池田清彦さんの『ほんとうの環境問題』を読む。
面白い本なので、あっという間に読み終えてしまう。
環境問題を「地球温暖化」に収斂させ、それをさらに炭酸ガス排出制限ですべて解決できるかのように語るメディアの態度については私はかねてより懐疑的であったけれど、お二人もたいへん懐疑的である。
池田さんは気象変化についてたいへん明快な立場である。
その所説をご紹介しよう。
「有史以前から地球は温暖化と寒冷化を繰り返してきた。そのなかで、たとえば恐竜が生息していた中生代白亜紀(約1億4500万年-6500万年前)の地球はいまよりずっと温暖で、極地でも氷床が発達しないほどだった。それほど温度が高かったのは、おそらく当時の炭酸ガスの濃度が高かったためで、火山活動が盛んだったからではないかと考えられている。
地球温暖化によって色んな生物種が絶滅するということが言われているけれども、地球の歴史を見れば、温暖化しているときには大型生物の大量絶滅は起きていない。大量絶滅が起こるときというのは、いずれも、地球が寒冷化したときである。だから、ほんとうは、地球は寒冷化するぐらいなら温暖化したほうがいいはずである。
ともあれ、地球の気温は大きな変動を繰り返してきている。そして、それらの過去の気候変動は人為的な要因によるものではないのは明らかである。人間がいない時期でも大きな気候変動は起きているのだから当たり前である。
すなわち、人間が何をしようがするまいが、放っておいても地球の気温や気候というのは変動する。そして、気候の変動の要因が何かというのは、実はあまりよくわかっていないのである。どこまでが人為的な要因かなんてことは簡単には特定できないのだ。」(『ほんとうの環境問題』、新潮社、2008年、115-6頁)
気候変動の要因として今わかっているのは、太陽の黒点数、太陽の磁気活動、宇宙線の飛来など。
宇宙線の飛来量とによって雲の量が決まる。雲が1%増えると気温は1℃下がる。
宇宙線の飛来量に関与するのは太陽磁気と地球の磁場で、どちらも現在弱まっているので、東京工業大学の丸山茂徳は地球はこれから寒冷化に向かうと予測している(「そういう主張はなぜかマスコミにはまったく報道されない。」117頁)
そもそも地球温暖化によってどのような実害があるのか、それがはっきりしない。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は今世紀中に1.1℃から6.4℃の気温上昇を予測している。2.8℃というのが「いちばんあり得る」数値だそうである。
東京と札幌の平均気温差は7℃である。
5500年―4000年前の日本は気温が現在より2-4℃高かったと推定されている(青森で栗の木が栽培されていたからである)。そのあと2000年前まで気温が下がり続け、食物がなくなって東北の縄文文化は消滅した。
どう考えても、寒冷化よりは温暖化の方が植物の生育には適している。植物はすべての生物の食物である。
人為的な要因で今地球が寒冷化に向かっているというのなら、私たちは青ざめるべきであろう。打てる限りの手を打つべきだろうと思う。
しかし、温暖化で何が起きるのか。それがよくわからない。
ハリケーンや台風が増えるという説があるが、実際には増減がない。
マラリア感染症が増えるという説をなすひとがいるが、伝染病の防止は気温よりも衛生のインフラの問題である。
海面が上昇して世界が沈没するというが、IPCCの予測では海面上昇は100年後に最小で18センチ、最大59センチで、可能性が高いのは35センチという数値である。
日本では冬と夏で海面が40センチ上昇する(冬になると水温が下がって海水面積が縮小するからである)。そもそも満潮時と干潮時では水面差が2メートルある。大阪は地下水のくみ上げで過去100年間に2.6メートル地盤沈下している。
「そういうことに比べて、海面が35センチ上がるというのが、どれだけの脅威だというのだろうか。」(122頁)と池田さんは疑問を呈している。
前に、ゼミで「北極のシロクマさんがかわいそう」と言う女子学生がいた。
その気持ちもわからぬでもないが、シロクマさんたちだって10万年前から極地で暮らしていて、4000年前の温暖期だってちゃんと生き延びたタフな生物種なのである。さほど心配するには及ぶまい。
それにキミだって、北極でばったりシロクマさんと遭遇したときには、クマさんのすみやかな消滅を神に祈念するであろう。
人生は(熊生も)ケース・バイ・ケースだ。
環境問題はむずかしい問題である。
というのは、それについて何を発言しようと、その当否がとりあえず今ここでは検証できないからだ。
何を言おうと、その真偽は「未来」(うっかりすると100年後)にしならないと判定されない。
だから、この問題については、誰もが「言いたい放題」なのである。
とはいえ環境問題について発言する人々のうちの誰の言が信用に足るかを判定することは不可能ではない。
それは「私の言っていることの当否は今ここでは検証できない」という留保条件をつねに忘れない人である。
だから私に向かって「ふざけたことを言うな」と反論してくる人がいても、彼または彼女が「自分は環境問題についてどうふるまうべきかを知っている」という前提からそう発言する限り、私はそのような言は一顧だにしないのである。

2008.03.28

現代日本の精神的危機パート2

25日から春休みが始まり、この三日ほどは気楽な日々である。
懸案の用事を次々と片付ける。今日くらいから「冬物撤収」作業(こたつの撤去、もう着られない冬物衣類の廃棄など)に入れればうれしいことである。
グーグル・カレンダーを見ると、今日は空白である。
一日空白の日というのはいったい何週間ぶりであろう。
3月7日以来である。
その前はと見ると、2月6日である。
つまり、私の休日は月一なのである。
27日は朝カルで名越先生との対談「現代日本の精神的危機」の二回目。
名越先生に定期的にお会いして、最近の出来事について親しく専門的知見を拝聴して、帰り道にお友だちとプチ宴会を楽しみ、ついでにお鳥目までいただき、その対談内容を録音して活字化したものについては原稿料やさらには印税までくださろうではないかという、まるで慈善事業のようなイベントである。
釈住職、川上牧師、ウッキー、ヒロスエ、かんちき、タムラくん親子、トガワさんなど常連メンバーが詰めている。
精神医学と学校教育は決して「体制的」になってはならないという、かなりハードコアな話で締めたのだが、それまでは『唐獅子牡丹・人斬り唐獅子』の人類学的解読とか、宝塚歌劇と『冬のソナタ』における「焦点的人物」の設定とか、そういう楽しい話題ばかりである。
そのときに言い忘れたことを書き足しておく。
『人斬り唐獅子』はシリーズ中の白眉であるが、名越先生がその炯眼によって看破されたように、その理由はこの映画にむせかえるような「エロス」にある。
だが、その最たるものは巷間言われるような「花田秀次郎と風間重吉」のホモセクシュアル的愛ではない。
もっともエロティックなのは度胸千両の剣の親分(片岡千恵蔵)に対する寡黙な代貸(沼田曜一)と若頭(寺島達夫)のすがりつくような愛である。
彼らがまれに口にするのは「親分」という台詞だけであるのだが、そこにこめられたエロス的濃密さは、映画のクライマックスでの池辺良の歴史的名台詞に拮抗するものと申し上げてよろしいであろう。
「兄弟、俺も行くぜ。後生大事に守ってきた渡世の仁義ももう縁はねえ。今の俺には、生まれたときは別々だが、死ぬときはいっしょのおめえだけだ。」(書き写しているだけで動悸が激しくなってくる)。
だが、兄弟盃の水平方向の愛の難点はこの台詞から知れるようにまれに「説明」を要する点にある。
現に、この台詞が口にされるのは、重吉が東雲一家の代貸として剣の親分の殺害に関与したと疑った秀次郎の「この盃はけえすぜ」という絶縁の宣言に対してなされるのである。
ところが、これに類した危機は剣の親分への「親子の盃」関係では生じない。
剣の親分の「親としての有資格性」についての疑義を呈するものはこの世界に存在しないのである。
寡黙な代貸と寡黙な若頭のエロス的幻想は、「親分の盾になって死ぬこと」だけに集約されている。
私はこの濃密にエロティックな親子関係のうちに「天皇制」を支えるエートスを理解するについての鍵があると思う。
しかし、それはまた別の長い話になる。

『冬ソナ』はユジン(チェ・ジウ)になりきってミニョン(ペ・ヨンジュン)に恋をするという心理設定で見ないと意味がわからないという話をする。
現代日本の一般男性は「少女の身になって少年に恋をする」という想像的な心理設定の訓練を子どもの頃に受けていない。
学校でも家庭でも、そんなことは教えないからである。
そのせいで彼らはある種の物語を享受することができなくなっている。
私は10歳のときにジョルジュ・サンドの『愛の妖精』を読んで、「恋」というものがどのようなときめきやほてりを意味するのか、身体的に実感するところからその文学的経験をスタートさせた。
だから、「感情移入」の初期設定が「少女」になっている。
『若草物語』や『あしながおじさん』や『赤毛のアン』に夢中になったのはそのせいである。
『女は何を欲望するか?』の中のフェミニズム言語論批判で、私がフェッタリーやフェルマンの「すべての女性は男性として読むことを強制されている」という論を退けているが、それは彼女たちが「女性として読んでいる男性読者」が存在する可能性を一度も吟味していないからである。

そのほか面白い話がたくさんあったのであるが、これはいずれどこかから活字になって出るはずなので、それをお楽しみに。
名越先生とのセッションは次は5月8日。
釈先生をまじえて三人で「親鸞の顔」について論じるのである。
どんな話になるのか見当もつかない。

2008.03.29

レオン・ブランシュヴィックの日記

ようやくレヴィナスの『困難な自由』の再校に取りかかる。
ゲラが届いたのはたぶん三ヶ月以上前である。
再校などというものはふつう一日で済ませてしまうものなのだが、相手がレヴィナスということになると、自分の書き物のように「あらよっと」というふうに鼻歌まじり、家事の片手間にやることができぬ。
ある程度の期間、その世界に「拉致」されるだけの余裕がないと、レヴィナスは読めない。
読み出していきなり「ぼお」っとして時間を忘れてしまう。
「レオン・ブランシュヴィックの日記」と題する短文である。
ここには若き日にこの哲学者に親炙したレヴィナスの回想が記されている。
すてきな文章である。
レヴィナスの哲学は「邪悪なほどに難解」であるが、ときどきこういう、立ちくらみがするほどに手触りの優しい文章を書くことがある。
レオン・ブランシュヴィックの事績について、二つのことだけレヴィナスの文章から紹介しておこう。
一つは、彼が1882年につけていた日記のことである。
彼は哲学教授試験に合格して、その年ある地方のリセで教えていた。そして、エコール・ノルマル以来の友人で、ひさしく会っていなかったエリ・アレヴィに宛てて毎日自分の感懐を記した。
アレヴィもまた、ブランシュヴィックに宛てて、日記を書き綴った。
そして、ふたりは日記を交換した。
1937年にアレヴィが亡くなったときにブランシュヴィックは旧友の手帖をその未亡人に返した。
アレヴィ未亡人もブランシュヴィックの手帖を彼に返した。
ふたりの友人はそれぞれの日記を45年間手元に置いていたのである。
そして、1942年ヴィシー政府によってあらゆる活動を禁じられていたブランシュヴィックは彼自身の若き日の省察に対して返事を書き始めた。
少し長いけれど、レヴィナスの文章をそのまま引用しよう。

五十年の歳月を隔てた、自分と自分の間の対話。ジャン・ヴァールの美しい表現を借りれば、「一人の若い男と、つねに若かった一人の男」の間の不思議な対話。「私がこれほど私にそっくりであるというのは、驚くべきことである。」ブランシュヴィックは彼の古い日記を読み返しながらそう語っている。この言葉は、時を超えて個人的なかかわりにおいて変化がなかったと言っているように聞こえるかもしれないけれど、そうではない。レオン・ブランシュヴィックの存在が絶えざる自己征服とおそらくは挫折や妥協、総じて彼の人生全部を含んでいるということを忘れてはならない。「私」というものは「自己」に対する違和から始まる。一八九二年一月一五日、ブランシュヴィクはこう書いている。「私であることに耐えることができないでいる私、それが私だ。」この言葉は一九四二年の次の言葉と響き合っている。「五十かける三六五日にわたって相互に譲歩してきたにもかかわらず、私たちは相変わらずまだお互いにわずかな距離感を感じている。」

もう一つの逸話は1937年のデカルト学会におけるガブリエル・マルセルとの論争の一場面についての思い出である。
レヴィナスはこの回想をさまざまな著書で繰り返しているから、よほど深く心に残った情景だったのだろう。

私は一九三七年のデカルト学会のことを思い出す。その頃すでに哲学上の新しい思潮が出現してきていた。実存主義、カトリック思想、マルクス主義。苦悩、死、不安・・・そういう言葉が重くのしかかり始めていた。ある分科会の席上でガブリエル・マルセルはそれらの思想家たちには「内面的なものに対する感覚がまったく欠けており」、神に対して盲目であり、死に対しても盲目であると激しい口調で非難を浴びせたことがあった。するとブランシュヴィックはいつものいかにも気負いがないように見せようとする微かな気負いをこめてこう言った。「ガブリエル・マルセルがガブリエル・マルセルの死を気遣っておられるほどには、レオン・ブランシュヴィックはレオン・ブランシュヴィックの死を気遣っておりません。」もちろんブランシュヴィックの『日記』にも、老いてゆくことへの悲痛や死についての思いが綴られていないわけではない。しかしその悲しみはアイロニーによって鎮められ、賢者の微笑が哲学の門を守護しているのだった。

1945年に戦争が終わったときに世界からはさまざまなものが消滅した。レヴィナスが敬慕するレオン・ブランシュヴィックが体現していたような貴族的な知性もその一つである。
その本質をレヴィナスは次のような言葉でスケッチしている。

ヒロイックな自己超克とは別に、優雅な自己超克、本質的な無-重力性、知性の飛翔というものが存在する。その知性はあらゆることを思考するが、それによって、たとえ揺るぎなき断言によってであれ、自分自身が鈍重なものなることを避けようと気遣っている。断言の宿命的な重みをアイロニーによってやわらげることによって。そしてそのアイロニーそのものをさらにアイロニーによってやわらげることによって。

2008.03.30

入れ歯でGO

午前中はめぐみ会の葺合、生田、長田、兵庫北、須磨、垂水西支部の合同支部会にお招きいただき講演をする。
神戸女学院の同窓生の姉妹がたがその結束と召命を確認すべく神戸クラウンプラザ(旧新神戸オリエンタルホテル)に結集されるのである。
めぐみ会の支部総会にお招きいただき講演するのは、京都、大阪に続いて三回目。
三都物語である。
本学教職員はめぐみ会に対してお返しすることのできぬほど深い恩恵があるので、講演依頼があると、他の用事はさておき、「万障繰り合わせて」参上することにしている。
6月は寝屋川支部からお呼びがかかっている。
昨日は東京支部からも「今度お願いしますね」と肩を叩かれてしまった・・・
テーブルに就くと、左となりはめぐみ会の石割初子会長、右となりは本城智子先生。
背筋を伸ばして、借りてきたチェシャ猫のように、最大限にフレンドリーな笑みを浮かべる。
演題は「日本の家族のゆくえ」。
姉妹がたはたいへんにオープンハーテッドな聴衆であり、なんといっても「身内」であるので、お気楽といえばお気楽である。
どんな話をしても、最後に「それにつけても神戸女学院は地上のパラダイスであります」というオチさえつければ暖かい拍手が送られるわけであるし、第一しゃべっている当の本人が心からそう信じているわけであるから、話は簡単。
日本文学協会のシンポジウムでは(前日多田先生に伺った「合気道家は入れ歯が合う」論を敷衍した)「言語は入れ歯である」説を唱えたが、今回は「配偶者は入れ歯である」説を語る。
「言語=入れ歯説」はとっさに思いついたにしてはたいへんよくできた話であるので、談ここに及んだことを奇貨として、ここにその論の一部を掲げることにする(一部といってもけっこう長いです)

昨日は合気道の講習会がありました。杖と剣の講習会だったのですが、みんなあまり杖と剣をうまく使えない。そこで私の武道の師匠であります多田宏先生がどうやったらそういうものをうまく使えるのかということで喩え話を一つされました。それが非常に印象に残っています。
多田先生のお弟子さんに歯医者さんがいらっしゃって、その歯医者さんのおっしゃるには「合気道をやる人は入れ歯とのなじみがいい」と言うのです。だから、剣杖をうまく使えない人はきっと入れ歯と相性が悪いんだろうと先生はおっしゃった。
みんなそれを聴いて笑っていたのですが、私はこれはずいぶんと本質的なことに触れた話だなと思いました。
入れ歯というのは口腔中の異物です。その異物とどうやってなじんでいくか。健常な私がこちらにいて、その私の一部が欠損したので代替物、異物が入ってきたというような二項対立的な図式で入れ歯をとらえていると、たぶん入れ歯との咬み合わせはうまくゆかないんでしょう。
その歯医者さんによると、入れ歯が合わない患者さんは何度作り直しても合わないのだそうです。合う人は一発で合う。
だとすると、それは口腔の解剖学的な組成とはたぶんかかわりがない。口腔中の異物を異物としてずっと認知し続けるか、あるいはこれも自分の身体の一部分だと思うことができるか、そのマインドの差ではないかと思います。
武道では「敵を作ってはならない」と教えられます。
相手と対立しない。
武道的な意味での「敵」というのは、心身のパフォーマンスを低下させるすべての要素を含みますから、もちろん歯が抜けて入れ歯を入れるという場合の入れ歯も原理的には「敵」にカウントできます。
けれども、それを「敵」だと思わない。
それとふわっと一体化してしまう。
本来あるべき理想の私、健常な私を幻想的に措定して、それが病魔や怪我によって損なわれているので、原状を回復しよう・・・という発想で病を捉えていると、病となじむことができない。臓器や手足の機能不全も自分の一部として受け容れ、それとさりげなく共生していく。
それが「敵を作らない」人間の異物とのかかわり方です。万有共生という考え方です。
私と異物の両方を含む共生態そのものを「私」として再定義する。「私」の次元を一つ繰り上げる、ということです。
先生の言われたことがこれだけ気になったのは、「口腔中の異物」というのが言語の比喩のように私には思われたからです。
私たちは自分の発する言語に違和感をもつということがありますね。「これは『ほんとうに言いたいこと』ではない」と。でも、自分の発する言葉にいつまでも違和感をもってしまう人間は結局どれほど大量の言葉を重ねても、入れ歯が合わない患者と同じように、もしかすると一生自分の言葉となじむことができないのではないでしょうか。
どんなに修辞的に熟達しようと、自分自身の思想や感情を完全に過不足なく表現するということは人間の身には起こりえません。すべての言葉は言い足りないか言い過ぎるかどちらかです。だから、私たちの発するすべての言葉は原理的には「口腔中の異物」であるわけです。それを異物として排除してしまうか、少し違うけど、大体まあこのへんで許容範囲かな、と受け入れるか。そして、自分の言葉を異物ではなく、自分の身の一部として受け入れたとき、隙間やずれが消える。言い足りず、言い過ぎたと思っていた言葉が自分の言葉になる。そういうダイナミックな関係があるのではないか。
以前に「クローサー」という映画を観ました。ジュード・ロウとナタリー・ポートマが出る、まあどうでもいいような恋愛ドラマなんですけれど、その中に印象深いエピソードがありました。イギリスの新聞記者のジュード・ロウが街角で交通事故に遭ったナタリー・ポートマンを拾ってタクシーに乗る。車の中で、女の子にどんな仕事をしているかと訊かれた男は、自分はジャーナリストで、死亡記事を書いていると答える。「そんなことをしていて楽しいの」、「楽しくない、いまにもっといいものが書けるようになると思う」と言ったあとに、男はこう続けます。
「ぼくはまだ自分のヴォイスを発見していないから。」
つまらない映画だったんですけれど、この台詞にはどきっとしました。「自分のヴォイスを発見する」というときの、この「ヴォイス」というのは一体何のことなのでしょう。
たぶん、ふつうの人はこれを自分の思いや情感をぴたりと表現することができるような「自分らしい言葉づかい」のことだと思われるでしょう。でも、それを探しているかぎり、私たちは入れ歯の合わない患者のままなのです。
「ヴォイスを発見する」というのは、自分自身の思いをくまなく表現できる言葉に出会うというようなことではおそらくない。むしろ「自分の思いなんか、言葉にできなくてもいいじゃないか」という涼しい諦観を得ることではないのかと私は思います。そうなってはじめて人はのびやかに言葉を使うことができるようになる。「ヴォイスを発見する」ということは「入れ歯になじむ」ということと同じだろうと私は思います。どんな言葉でも構わない。どんな異物でも、仮にも一度は自分の口腔中に存在した、ご縁のある異物であるなら、その言葉にはきっと何かそこにいなければならないような必然性があったんでしょう。
自分の言葉を聞いて、その後で、なるほど自分がこんなことを言いたかったのか・・・と後でわかるということが現にあります。それが「ほんとうに言いたいこと」だったかどうかなんて、誰にもわからない。私自身にもわからない。でも、現にその言葉が口にされた以上、「そのようなことを言いそうな人間」として自分を構築してゆくプロセスはもう起動している。人間が自分自身についてある程度首尾一貫性のある「物語」を語ろうとするならば、「一度口にした言葉」は自己史の文脈にやはり適切に位置づけられなければならない。私たちは現にそういうことを日々やっているわけです。だとすれば、「言語の自由」というのは自分にジャストフィットした、自分の思いを過不足なく伝達する透明なヴィークルを手に入れることではない、ということになります。そうではなくて、どんな言語を口にしても、それと気持ちよくなじんでしまうような語る側のやわらかいフレキシビリティのことではないか、と。包容力のことではないか、と。そういうしなやかさを獲得することを「ヴォイスの発見」というのだという気が私はしたわけです。
だって、ジュード・ロウは死亡記事専門の記者なわけですから。彼が「これこそ自分のヴォイスだ」という発見をして、いろいろな記事を書かせてもらえるようになるためには「ヴォイスが通った死亡記事」を書くしか手段がないわけです。それは「彼がほんとうに言いたいこと」でも何でもない。死亡記事なんですから。にもかかわらず、そこに彼だけしか出せないヴォイスが響くということがありうる、ということです。
先日、修士論文を書いている学生が相談に来ました。サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の野崎孝訳と村上春樹の訳の違いをテーマにしたいと言うので「面白そうだね」という話をしました。二人の訳のどこが違うのかというと、これはもう新訳についていろいろな人がコメントしていますが、あの小説で語り手は「you=君」に向かって語っているという構成になっています。でも、野崎訳はこの「君」をかなり飛ばしてしまっている。変なところで「君」が出てくると、なんだか違和感があるからでしょう。ところが、村上訳は「君」を全部訳している。だから文章のなかにポンと「君」が出てくる。そこにずいぶん違和感がある。村上訳はその違和感をあえて避けない。すると、読む方はその「君」というのはいったい誰なのかと考え出す。修士論文はこの「君」は何かということについての論考なんです。
その「君」は小説を読む限り、男の子で、ニューヨークに住んでいる。そして背が高い。要するにホールデン・コールフィールド自身です。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という作品はニューヨークで地獄巡りを経験したホールデン少年が、たぶん統合失調症を発症して精神病院に収監されて、その回復過程でなされた独白というかたちになっています。
でも、なぜホールデンは気が狂ってしまったのかよくわからなかった。それが村上訳だと、わかる。これはたしかに狂気に近づいてゆく言語活動だということがわかる。
それはホールデンが自分に向かってしか言葉を語れないからですね。
「君」というのはホールデン自身です。
この小説はホールデンがホールデンに向かって語っているのです。それは自分の言葉を正確に理解できるのは自分しかいないと彼が思っているからです。冒頭で、どこに住んでいるとか、家族構成はどうだとかいう「デイヴィッド・カッパフィールド的な話」はしないよ、とホールデンは宣言するわけですけれど、それは要するに読者に向かって、語り手についての外形的な情報を与えないと宣言していることですね。どうせ他人にはぼくのことなんかわかりゃしない。自分の話が理解できるのは「君」すなわちホールデン自身しかいない、と。読者に対するきっぱりとした拒絶の徴として「君」という二人称が採用されている。そのこと自体がホールデンの病態なのだ。私はそんなふうに読みました。
人間のなかには多様な人格要素が存在しています。自分のなかには卑しいところもあるし、高貴なところもある。攻撃的なところもあるし柔和なところもある。母性的なところもあるし、父性的なところもある。矛盾した多くの要素がごちゃごちゃと混在している。でも、思春期の子どもはそういう自分のなかに同時並列的に複数の人格要素が存在しているというありように耐えられない。どれか一つを選んで「これがほんとうの私だ」と宣言して、それ以外の人格要素を排除していこうとする。でも、それらの人格要素もまたまぎれもなく本人の中に根を下ろしているわけですから、自分らしさをピュアな単一人格として表現することは、手足をもがれるように痛い。
馬場さんが挙げられた原口統三の場合もその典型だと思います。ある人格要素だけを選択して、それだけが私であってそれ以外の人格要素は私ではない、と。そして最終的には「ほんとうの私」が「私の中に巣食っている異物」をまとめて清算するために、自殺してしまう。思春期における統合失調症はそんなふうに解離的に混在している人格要素を統合できる「ゆるい私」を作ることに失敗して発症する。そういうケースが多いですね。
ホールデンが回避する「デイヴィッド・カッパフィールド的な話」にしても、それをしてしまうと、両親がどんな人で、どういう家庭環境で育ってという話をするとホールデンを構成しているさまざまな人格要素のリストができてしまう。読む方も、なるほど、この人はそういうわけで「こういう人」になったんだなということがわかってしまう。ホールデンにしてみると、そういうふうに納得されては困るわけです。自分についての物語は自分が完全に管理したい。私はこれこれの人間であると名乗る権利は専一的に主体に属しており、他の人間から「でも、君にはこういうところもあるじゃないか」というような異議申し立てはさせない、と。ホールデンはそう宣言しているわけです。
今自分の言語を統御している単一の主体だけを残し、その主体が「語る権利」を独占する。それ以外のものには発言権を与えない。
そうなると理想の読者は自分自身以外にいない。
「君」に向かって語られるこの物語はですから完全に閉じられた世界なわけです。思春期の狂気が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」には濃縮されている。村上春樹さんはたぶんそのことに気づいて、これは怖い小説だというふうに言っているんだと思います。
80年代から「自己決定」とか「自己責任」とか「自分探し」とか、そういう言葉が行政主導でうるさく言われてきたわけですけれど、こういうことを思春期の子どもたちに強いるのは、統合失調症の誘因をかたちづくっているんじゃないかという気がしてなりません。自分のなかには無数の人格要素があって、それが対立したり対話したり抑制したりしている。成長の過程というのは、自分はそういう混沌としたものであるという事実を素直に受け容れてゆくことだと思うんです。そのためには緩やかな統合が必要で、その中心に位置する人格性はうすぼんやりした、あまり明確な輪郭をもたないものである方がいい。そういう人格なら、いろいろな人格要素のどれをも排除せずにゆるやかに統合できる。それに反して、水晶のように透明で、均質的で、隅から隅まで自分らしい自我を構築しようとして、すべての「汚れ」を排除しようとする人は思春期の狂気から出られなくなる。

とまあ、そんな感じでそのあとは90年代の国語教育批判に話はつながってゆくのであるが、それは省略しよう。
この中の「言語」を「配偶者」の置き換えて読んでみたらどうなるか、ということである。
「私たちは自分の配偶者に違和感をもつということがありますね。「これは『ほんとうに人生を共に過ごすパートナー』ではない」と。でも、自分の傍らにいる配偶者にいつまでも違和感をもってしまう人間は結局どれほど多くのパートナーを取り替えても、入れ歯が合わない患者と同じように、もしかすると一生自分の配偶者ととなじむことができないのではないでしょうか。
どんなにコミュニケーション技術に熟達しようと、自分自身の思想や感情を完全に過不足なく理解し受け容れる配偶者に出会うということは人間の身には起こりえません。すべての配偶者について100%の理解や共感に達することはできません。だから、私たちの配偶者は原理的には「生活の中の異物」であるわけです。それを異物として排除してしまうか、少し違うけど、大体まあこのへんで許容範囲かな、と受け入れるか。そして、自分の配偶者を異物ではなく、自分の身の一部として受け入れたとき、隙間やずれが消える。理解と共感の不足と思えていたことが、自分自身の可塑性を起動し、自己変革を動機づける。そういうダイナミックな関係があるのではないか。」
というのが「配偶者=入れ歯」論である。
これはめぐみ会ではたいへんに好評であった。姉妹がたは手を叩き、爆笑しておられたのである。
そのあと夜は宝塚ホテルでPちゃんとシオちゃんの結婚式の二次会にかけつけて、冒頭のご挨拶でこの「配偶者=入れ歯」説を再演したのであるが、こちらはあまりはかばかしい反応がなかった。
あら・・・と思ったが、理由は簡単で、その席には入れ歯をした方がおそらくひとりもおられなかったからである。
ともあれ、私がお二人に送りたかったのは、このような言葉だったのである。
ご多幸を祈る。
おっと、そんな簡単に結婚式の話を終わらせるわけにはゆかない。
東大気錬会と神戸女学院合気道部のあいだの結婚にはのぶちゃんかなぴょんの内古閑ご夫妻の前例があり、甲南合気会内部ではドクター佐藤と飯田先生ご夫妻の前例があるが、気錬会OBと女学院合気道部OGかつ甲南合気会門人同士の結婚というのは今回が最初である。
まことにめでたいことである。
これら三組の婚姻は私が合気道部を作ったり、道場を始めたりしなければ、もとよりありえなかったことであるからして、極論するならば私こそが彼ら彼女らの「福の神」なのである。
入れ歯話で多少滑ったくらいのことは諒とせられよ。
合気道家同士の結婚は如上の理由により、たいへん円滑に進行することが知られているので、お二人も幸福な結婚生活を営まれることを私は確信しているのである。
気錬会からはのぶちゃん、工藤君、中野君が来てくれる。披露宴で演武をしてくれたそうであるが、私は二次会からなので拝見の機を逸してしまった。
Pちゃんの関電の同僚と、シオちゃんの法律事務所の上司同僚もお見えになるが、80%くらいは合気道関係者であり、こういう「内輪のり」になるともう歯止めが利かないのがわれわれの会の「宿痾」である。
学生たちはかわいらしく「てんとうむしのサンバ」などを歌って、サキちゃんとアオキが宝塚風に踊ってくれたが、そのあとに出てきたセトッチ、エグッチ、スミッチの「ルパン三世」でいきなりヒートアップ。
この人たちはいったいどれくらいの時間をリハーサルに投じたのであろう・・・
エグッチの「あごひげ」は彼女が「越えてはいけない境界線を越えた」ことを物語っていたようである(セトッチは眼が「飛んでいた」ので、境界線を越えてずいぶん時が経過されていたようである)。
モリカワくんのピアノ独奏(こんな裏芸があるとは知らなかった。彼女もまた数週間にわたって猛練習を積んだらしい)。
そして、ヤベたちの寸劇。
ヤベ、クー、おいちゃん、かなぴょんの四人(現役のときはイクちゃんもいたが)は在学中に合気道部を「裏演劇部」に改組し、「シングルベル」(クリスマスイブの真夜中に岡田山ロッジ3階で上演が開始され、翌朝まで続くミュージカル)という年中行事を発足させた功労者世代である。
今回はおいちゃん宅に泊まりみ、結婚式当日午前5時までゲストのタカオくんをまじえて、スパルタンなリハーサルを繰り返したそうである。
ヤベくんには私の形態模写をギャグのメインにすえた「ウンパンマン」という歴史的名作があるが、今回もヤベに「ウチダ」を演じられてしまった。
それにしてもタカオくんの献身的な演技には頭が下がる思いがした。
彼の輝かしいアカデミック・キャリアに致命的な傷が残るということは心配しなくてよいのであろうか。
司会の労をとられた「ゑぴす屋」タニグチくんとタニオさんのコンビ、「Pちゃんのお母さんの手紙」を代読して、感動のさざ波を呼び起こしたキヨエさんはじめその他実に多くの方々が祝福のためにいろいろなものを「かなぐり棄てて」登壇された。そのすべての人に新郎新婦になり代わって(勝手に「なり代わる」権限は私にはないのであるが)お礼を申し上げたい。
みなさんどうもありがとう。
二人の上にとこしなえに神のみめぐみがありますように。

国を愛するとはどういうことなのか

レヴィナス『困難な自由』の再校が続いている。
ようやく半分ほど終わる。あと二日あれば、終わる。
夏前には本になるだろう。
あまりに内容がタイトなので、読んでいてこめかみがきりきりしてくる。
鈴木邦男『失敗の愛国心』を読む。
これは理論社が出している『よりみちパン!セ』という中学生向き図書シリーズのうちの一つである。ちくまの「プリマー新書」みたいなものらしい。
私も執筆を頼まれている(たしか天皇制についてだったような気がするけれど、違うかもしれない)。
「以下続刊」のところに名前が出ていた。
西原理恵子/リリー・フランキー/叶恭子/安野モモヨ/杉作J太郎/内田樹/中沢新一・・・というふうに著者名が並んでいる。なかなか意欲的なラインナップである。
鈴木さんの本を読むのは初めてである。
読み始めたら、面白くて最後まで一気に読んでしまった。
その本の中で鈴木さんは以前長崎市長テロ事件のあと『朝まで生テレビ』に何人かの右翼活動家とゲスト出演したときのことを書いていた。
司会の田原総一朗が活動家たちに「テロを支持するか」と質問すると、鈴木さん以外の全員が「支持する」と答えた。
そのときのことをこう書いている。
「僕は『テロを否定する』と発言し、あとで右翼のみなに批判された。(・・・)『裏切り者』だと言われた。『仲間が愛国心で、命をかけて行動したのだ。警察やマスコミや一般の人々が批判しても、我々仲間だけは支持し、守ってやるべきだ。それなのに何だ』『仲間としての情がない』『マスコミ受けをねらった卑怯なやつだ』『自分だけがいい格好をしている』と言われた。」(鈴木邦男、『失敗の愛国心』、理論社、2007年、167頁)
それに対して鈴木さんは「それは違うだろう」と言う。
「それから十年以上たって思うのは、僕らはべつに人を殺したり、傷つけるために愛国運動をしているわけではない、ということだ。愛国心は人を殺すことではない。愛国心とは、この国を愛し、この国に住む人を愛することだ。殺すことではない。殺しては愛にならない。」(168頁)
右翼の行動主義のロジックは「自分たちの言い分に誰も耳を傾けてくれない」という被害者意識にドライブされている。直接行動をすると新聞が書き立てる。そして「何のために事件を起こしたのか?」という理由を書く。
「それで我々の主張も間接的に伝わる。それでいい。そう思っている人が多いのだ。
 本当は言論でやりたい。だが、それがないから事件を起こす・・・と。後退した理屈だ。それに、せっかく『朝生』のような『言論の場』が提供されたわけだ。それで『テロは必要だ』はないだろうと僕は思った。言論の場があるのに、それから逃げて、暴力を訴えるのでは、かえって卑怯だ、そう思った。」(168-9頁)
ずいぶん率直な人だ。
愛国心とは、この国を愛し、この国に住む人を愛することだ。
私もそう思う。
その意味でなら、私も「愛国者」である。
「自国を愛する」というのは、「自国にかかわるすべてのものに好意的な(オーバーレイト気味の)まなざしをむける」ということだと思っている。
けれども、私の知っている「愛国者」たちは「自国にかかわるほとんどすべてのもの」に対して罵倒に近い言葉を投げつけている。
どうしてあれほど自国の制度や文化を罵り、同国人を嫌う人々が「愛国者」を自称できるのか、私にはうまく理解できない。
おそらく彼らのうちには「あるべき祖国」の幻影があり、それと現実の落差が耐えられないのであろう。
けれども、もし、「あるべき妻」についての確固たる理想があり、それと現実の配偶者のありさまとの落差が耐えられないので、朝から晩まで配偶者の挙措をあげつらい、その醜悪や鈍重を罵倒し続ける男がいたとして、あなたはその人を「愛妻者」と呼ぶだろうか。
私は呼ばない。
昨日も話したことだけれど、私たちは「愛する」という言葉を軽々しく使うが、実際には「愛する」というのがどういうことかよくわかっていない。
マタイによる福音書には「隣人をあなた自身を愛するように愛しなさい」という言葉がある。
私たちはその意味を知っているつもりでいる。
誰でも自分のことは愛せる。
それと同じような愛情を他人に向けることがむずかしいのだと思っている。
けれども、「誰でも自分のことを愛している」というのはほんとうだろうか。
私は違うと思う。
現に毎年日本では3万人の人が自殺している。
彼らは「自分を愛している」と言えるのか。
彼らはむしろ「自分を愛する」ことに失敗して、死を選んだのではないのか。
思春期の少年少女には自己嫌悪や自己との乖離感に苦しんでいるものが何十万人もいる。
彼らもまた「自分を愛している」とは言うまい。
向上心を持っている人間、克己心を持っている人間。「こんなところにいるはずの人間じゃないんだ、俺は」とイラついている人間。
彼らもまた「今ある自分」には満足していない。場合によっては憎んでさえいる。
その逆に怠惰に暮らし、ジャンクフードを貪り喰らい、酒を浴びるように飲み、皮膚にタトゥーを刻み、ピアスの穴を体中に開けるような人間もいる。
彼らはでは自分を愛しているのか。
彼は自分の「自己破壊欲動」に対してはたしかにたいへん好意的である。けれども、破壊されてゆく内臓や加工される皮膚に対して十分な敬意を寄せているとは言えまい。
今の日本に「私は自分を愛している」ときっぱり言い切れる人が何人いるだろうか。
あまりいないような気がする。
自分を愛する仕方を知らないものが、どうやって隣人を愛することができるのか。
隣人を愛することのできないものが、どうやって国を愛することができるのか。
それとも、自分のことも愛していないし、隣人も愛していないものでも、国や神は愛することができるのだろうか。
そうかも知れない。
とりあえず愛する対象が「ここ」に手に触れることのできる仕方では存在しないから、という理由で。
だが、今ここにいないものなら愛せるが、今ここにあるものは愛せないという人は「愛する」仕方を知っていると言えるのだろうか。
私たちは「愛する」というのがどういうことかをよく知らない。
その無知の自覚から始めるべきだと私は思っている。
「愛国心」についても同じことが言える。
「国を愛する」ということがどういうふるまいを指すのか私たちはよく知らない。
それを決定する権利は私たちの誰にも属していない。
だから、私は「愛国者」を名乗るのである。
私が自分を「愛国者である」と名乗るのは、ただちに「お前なんか『愛国者』じゃない」というリアクションがあることが「確実」だからである。
反論が確実であるからこそ、私はそう名乗るのである。
そこからはじめて「愛国とはどういうふるまいのことなのか?」というエンドレスの問いが始まるからである。
「失敗の愛国心」というのは、愛国を定義することに失敗し続けたという鈴木さんのシビアな自己認識を表している。
「国を愛するとはどういうことか」という問いに鈴木さんもまた軽々しい答えを出すことを自制しているように私には思えた。

2008.03.31

バカ映画二本立て

ニコラス・ケイジの『柳男』とジェット・リー&ジェイソン・ステイサムの『ワルモノ暗殺者』の二本立てを見る(こたつに入ってDVDで)。
どちらもバカ映画であるが、「偏差値低い度」は圧倒的に『柳男』である。
ニコラス・ケイジという人は何かに呪われているのだろうか。
『荒ぶる魂』や『ラスヴェガスを離れて』や『戦争王』のような「ニコラス・ケイジじゃないとこうはいかないよね」的はまり役と『国宝』とか『幽霊バイク便』とか「何考えてんだよ」的なキャスティングを交互に選択している。
不思議な人である。
しかし、『柳男』はあまりの腰抜けエンディングに脱力してしまった。
映画はジェームス・フランコ君が「柳男二世」に選ばれるところで終わる。『蜘蛛男』では「緑の小鬼二世」の大役を果たした彼のことだから、立派におつとめを果たしてくれることであろう。
『ワルモノ暗殺者』は主役二人に加えてジョン・ローン(なつかしい『辰年』と同じ役)石橋陵やデヴォン青木やケイン・コスギが出るてんこもりキャスティングであるが、ストーリーもてんこもりでバカ度がヒートアップ。
妻子を殺され復讐を誓う元FBI捜査官が殺し屋に化けて日本のヤクザとチャイニーズ・マフィアを戦わせて両方皆殺しにしてしまう・・・という『血の収穫』というか『用心棒』というか『荒野の用心棒』というか『生き残り』というか、そういう「ふつうの話」にしてくれればたいへん面白かったのであるが、どうして「妻子を殺して復讐を誓う元FBI捜査官」がわざわざ殺し屋にならなければいけないのかが理解不能。
そのまま職務を全うされた方がよかったのではないか。
自分は死んだことにして潜入捜査をするにしても、「親友」のFBI捜査官ジェイソン・ステイサムとのコンタクトは維持するでしょう。ふつう。
脚本をいじくりまわしすぎているうちにこんなめちゃくちゃなストーリーになってしまったのであろう。
ジェイソン・ステイサムが「日本語がぺらぺらの捜査官」、石橋陵が「英語がぺらぺらのヤクザ」を演じるのだが、ジェイソンくんの日本語はまったく聞き取り不能であったが、石橋くんの英語はたいへんなめらかである。
石橋くんが娘のデヴォン青木と英語でしゃべる場面がある。
どうして日本人の親子がいきなり英語で話すんだよ~と・・・座椅子からずり落ちかけたらデヴォン青木の「Your English is improving」に石橋くんが「I have been practicing 」と答えるところがあって大笑い。
ヤクザもアメリカ進出に備えて日本でちゃんと駅前留学していたのである。
おかしいのは日本のヤクザのいきつけの居酒屋やヘッドクォーターの壁いっぱいに日本語の「ことわざ」の看板が掲げてあること。
ヤクザの本部に掲げてある「治にいて乱を忘れず」はともかくとして、どうして居酒屋の壁に「弱肉強食」とか「下手の横好き」とか「掃き溜めに鶴」とか書いてあるのかよくわからない。
日本に進出したマフィアのオフィスにWhere there is a will, there is a way とかWhen in Roma, do as the Romans doとか看板がかけてあったら変でしょ。
いや、意外につきづきしいかも。

補遺:日記を書いているうちに映画タイトルのカタカナのあまりに書きにくさにイラついてきたので、映画タイトルを独自に邦訳したものをもって代えることにした。各自にて原題を想像せられよ。
全問正解できたと思う方はコメント欄に答えをどうぞ。

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