麻布永坂茶事事始

2008-03-21 vendredi

日記の更新がままならない。
日記は朝起きて、朝ごはんを食べる前にコーヒーを飲みながら書くか、朝ごはんを食べ終わってからコーヒーを飲みながら書くことにしている。
だいたい毎日1時間から2時間をこの作業のために割く。
日記が更新されていないというのは、「朝ごはんの前後にコーヒーをのみながらディスプレイの前に座る」時間がないということである。
家にはいるのだが、ディスプレイの前にすわっている時間がないのか、その時刻に家にいないかのいずれかである。
そういう毎日が続いている。
家の中はかなり無秩序な状態になりつつある。
私はわりときれい好きなのであるが、夜遅くに家に戻ってからだと、掃除をしたり、アイロンかけをしたり、明日の朝ごはんの下ごしらえをしたりするような余力がないので、取り込んだ洗濯物がそのまま床に広がっているし、冷蔵庫の中ではゆっくり食物が腐り始めている。
うう。
返信を求めるメールも毎日たまってゆくが、返信を書いている暇がない(ごめんなさい)
この間、何をしていたのか、備忘のために記しておく。

3月16日上京。AGAINの一周年記念で平川君とトークショー。
かんきちくん、藤田くん、鈴木・船山のアルテス新婚カップル、阿部社長らをまじえて打ち上げ。
学士会館泊。
朝、10時から『クロワッサン』のインタビュー。
お題は「生きがいについて」。
朝の10時の眠い頭に「生きがいってなんでしょう?」というようなラディカルなことを問われても、はかばかしいお答えができない。
そのまま学士会館ロビーにて仕事。
バジリコの『人類学本』の校正を終える。
タイトルは未定。
安藤さんは『江戸前構造主義』という仮題をつけてくれたが、私は今やどっぷり関西人であり、「江戸前」的地域性とはすでに無縁の人である。
では『上方構造主義』ではどうかというと、さらに地域的であって、人類学的普遍性を論ずるにふさわしいものとも思えない。
『構造主義者ならこう言うね』というタイトルを思いつく(みうらじゅん先生からの拝借である)が、その含意を汲んでくれる方は多くはあるまい。
タイトルをつけるのはむずかしい。
16時半に番町に移動。Jフォーラムというところで「日本人の生き方」について講演。
講演はクローズドであるが、コンテンツはNHKラジオで配信するという不思議なイベントである。
前回の講師は柴田翔先生だったそうである。
柴田翔先生の格調高い日本語論のあとに、「21世紀の日本の国家像は “東アジアのスイス” となることです」というような与太話をする。
講演後、ただちに東京駅方面に逃走を企てるが、K談社のS藤さんに捕縛される。
「関川夏央さんとの鼎談、いつになるんですか」と詰問される。
鼎談?
さて、それは何の話でしょう。
S藤さん落胆と怒りのあまり青ざめる。
当然である。
しかし、上京してゲストをまじえて鼎談する日程をはやく確保してくださいといわれても、私は今や一日を生き延びるのに精一杯で、とてもそのような知的営為に対処することがかなわぬ身なのである。
新幹線車中にて死に寝。

翌日は朝から会議。朝一で市役所に立ち寄り、三宅先生のところに立ち寄り、10分遅刻で入試委員会。11時から判定教授会。15時半から学部長会。
その間に大量の郵便物を処理(文字通り「ゴミ箱に投入」の意)する。
その間にじゃんじゃん電話がかかってくる。講演依頼、寄稿依頼は一つを除いて(『日経アーキテクチャー』というところからの依頼)すべて断る。
どういう基準で採否を決しているのか、本人にもよくわからない。
中に「息子の嫁を探してほしい」というプロジェクト関連の電話もまじっている。これで何人目であろうか。
親というのはありがたいものである。
会議のあと、書類を作成しているうちにタイムアップ。
家に帰って、御影駅前でミシマ社の三島くんと会う。
ミシマ社の近況について伺う。
たいへん意欲的な活動を展開しておられるようである。
帰って死に寝。

19日、卒業式。
例のごとく『マタイによる福音書』の22章34節から40節を拝読する。
賛美歌、学院歌、記念歌と三回歌うのだが、私の右となりが朗々たるバリトンの舩橋先生、左となりがソプラノの斉藤言子先生であるので、ペドロ&カプリシャス状態となる(などと言っても若い人にはわかるまいが)。
式後、あいにくの雨のため、第二体育館で茶話会。ゼミ生、合気道部の卒業生たちと記念写真をばしばし撮る。
オフィスに戻って書類書き。
豪雨の中を御影まで戻り、エール・ド・シエルで新潮社の足立さんと打ち合わせ。
前日に引き続き「本を書きなさい」「やだぴょ〜ん」という不毛な問答が展開される。
ぐったり疲れて帰宅後、死に寝。
よろよろ起き上がって身支度をして新幹線車中に身を投じる。
『考える人』の連載「日本の身体」の第三回は武者小路千家の若宗匠千宗屋さんをゲストに迎えての対談。
宗匠と対談をするのに茶事について何も知らないというのでは話にならないというわけで、東京麻布永坂に今度宗屋さんが造られた茶室「重窓」(「ちょうそう」と読んでね)に正客としてお招きいただいたのである。
正客であるから紋付袴の正装でなければならない。
出際にかばんの中に着物一式を詰め込んできたはずだが、学士会館について荷解きをしてみたら、帯を入れ忘れていた。
集合時間まであと残り1時間。
学士会館のフロントで「近所に呉服屋はありませんか」と訊ねるが、神保町には呉服屋はないそうである。
学士会館は結婚式場だから、貸衣装屋が入っている。
そこに連絡してもらって、帯を借りる算段をつける。
雨の中タクシーに乗って飯田橋まで行き、帯を借りて、またタクシーで戻り、超ソッコーで着替えて、麻布へ。ぎりぎりセーフ。
今回の連客は高橋源一郎、原研哉、永井一史、鈴木芳雄、足立真穂、そして「詰」が橋本麻里のみなさま。
茶事のことなんか何も知らないので、新幹線車中で「マニュアル」を読む。
「一夜漬け」というより「3時間漬け」の泥縄勉強である。
高橋さんも茶事ははじめてということなので、安心する。
茶事では「拝見」というのが重要な儀礼を構成するのであるが、ご存知のように私は生まれてから一度も「コレクション」というものをしたことがない人間なので、物品を玩味するというやりかたがよくわからない。
つくばいのあと、茶室ににじり入って、掛け軸を拝見し、炉を拝見し、炭を拝見し、箒を拝見し、火箸を拝見し・・・とにかくある限りのものを拝見する。
茶事経験のある永井さんはぐいっと腰を入れてあきらかに「拝見」している。
原さんはデザイナーであるから、あらゆるオブジェに専門家的なスルドイ「拝見」のまなざしを送っている。
鈴木さんは日本美術の目利であるから、当然テクニカルに「拝見」している。
私とタカハシさんが「どう拝見してよいのかわからないコンビ」を形成している。
足立さんと橋本さんは、私とタカハシさんのあやしげな所作を(「おそらくはこの茶事を台無しにするとしたら、この二人の暴走によってであろう」という確度の高い見通しに基づいて)きびしいまなざしで「監視」せねばならなかったために、「拝見」の方はいささか疎かになっていたようにお見受けした。
千宗屋さんとは「鈴木晶先生のうちのワインセラーのワインをタカハシさんと飲み倒す会」、「比叡山根本中堂で梅若六郎の『翁』を見る会」、そして「朝日新聞・大学パートナーズ・シンポジウム」とこれまで三度お会いして、これが四回目。
そのうち二回が橋本麻里プロデュースである。
どういうわけか千さんと会うときはいつも「めちゃ濃い」メンバーといっしょになる。
高橋源一郎、加藤典洋、鈴木晶、茂木健一郎、原研哉、甲野善紀、島崎徹などなど。
千さんには何かそういう「劇薬中和作用」のようなものがあるのかも知れないし、「うるさがたフェロモン」のようなものを宿命的に分泌されているのかも知れない。
いずれにせよ茶人としてはたいへんつきづきしい資質である。
千さんのおもてなしで、すっかりよい気分になる(茶事というのが、あんなにたくさんお酒を飲むものだとは知らなかった)。
杯を重ねているうちに、私とタカハシさんがだんだん「居酒屋のカウンターでだべるおじさん」状態になってゆくのを橋本さんがびしりと「コンニャロ光線」を発して見咎める。
とはいえ、濃茶を頂くときの場の緊張感はただものではなく、半酔の私も思わず居ずまいを正して、ぴりぴりと皮膚が張り詰めるのがわかった。
濃茶が済むと、場を替えて薄茶をいただく。
こちらはがらりとリラックスして、ゆるゆると緊張がほどけてゆく。
それから雑誌用に千さんと私のツーショットを何枚か撮り、記念に私も薄茶を一服点てさせていただき、若宗匠に差し上げる。
千家の若宗匠に手ずから「生まれてはじめてのお点前」を教えていただいたのである。
雨の中大きいかばんを抱えて上京し、帯を求めて都内を彷徨した甲斐があったというものである。
疲労し果てて東京に来たのだが、茶事が終わるころにはすっかり癒されて、たいへんハイな気分で帰途につく。
みなさん、どうもありがとう。ナイスな経験でした。
学士会館に戻り、死に寝。
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