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2008年04月 アーカイブ

2008.04.01

映画について書き出すと止まらない

昨日のクイズの答えがコメント欄に寄せられたが、私のPCでは読み出せなかったので、採点できません。ごめんね。
正解は
『柳男』The Wicker Man
『ワルモノ暗殺者』Rogue Assassin
『荒ぶる魂』Wild At Heart
『ラスヴェガスを離れて』Leaving Las Vegas
『戦争王』 Lord of war
『国宝』National Treasure
『幽霊バイク便』 Ghost Rider
『蜘蛛男』 Spider Man (「緑の小鬼」はウィレム・デフォーがやった悪役Green Goblin)
『辰年』 Year of the Dragon
『荒野の用心棒』 Per qualche dollaro in più
『生き残り』 Last Man Standing
でした。
『ラストマン・スタンディング』はウォルター・ヒル監督、ブルース・ウィリスが三船敏郎、クリストファー・ウォーケンが仲代達也で『用心棒』をリメイクしたという(織田裕二主演で『椿三十郎』をリメイクするよりはだいぶ)野心的な企画であったにもかかわらず大コケした歴史的バカ映画(どうしてバカであるかについては公開当時私が分析しているので、それを参照されよ)。
黒澤明の『用心棒』のオリジナルはダシェル・ハメットの名作『血の収穫』Red Harvest。それをセルジオ・レオーネがクリント・イーストウッド主演でマカロニ・ウェスタンの名作に改作。それがまたハリウッドに戻って改作されたのが『ラストマン』。(セルジオ・レオーネをレルジオ・レオーネと表記しておりましたところ、鈴木晶先生から誤記のご指摘をいただきました。謹んで訂正いたします。キーボードを叩く指がフライングしちゃうんですよ)
黒澤は名作を映画に改作する名人であり、ドストエフスキー(『白痴』)、シェークスピア(『蜘蛛巣城』、『乱』)、ゴーリキイ(『どん底』)、エド・マクベイン(『天国と地獄』)、芥川龍之介(『羅生門』)など、傑作をいくつも仕上げているが、なぜか『用心棒』の原作にはダシェル・ハメットの名前を挙げていない。
黒澤は「このアイディアは自分のオリジナルである」というようなことを強弁する人とは思えないから、著作権の関係でクレジットできなかったのだろう。
そのせいか黒澤のアイディアもまた開放性があり、繰り返し改作されている。
もちろん、いちばん有名なのは『七人の侍』をリメイクした『荒野の七人』(The Magnificent Seven)(『七人の侍』は今年リメイクされるそうであるが・・・まさか織田裕二主演じゃないでしょうね?)。
黒澤にいちばんインスパイアされたフィルムメイカーはジョージ・ルーカス。『スター・ウォーズ』には『隠し砦の三悪人』の千秋実と藤原釜足がC-3POとR2-D2に、『姿三四郎』の「さいづち和尚」(高堂国典)が「ヨーダ」に変形されるなど、全編に黒澤映画へのオマージュが仕掛けてある。
ことほどさように映画というのは多起源的なものである。
ロラン・バルトのいうところの「テクスト」性を現代においてもっとも理想的に体現しているのはこの種の映画だろうと私は思う。
というのも、「テクスト」を読解可能なものにするのはそれを今読みつつある読者/観客だからである。
バルトはこう書いている。
「テクストはさまざまな文化的出自をもつ多様なエクリチュールによって構成されている。そのエクリチュールたちは対話を交わし、模倣し合い、いがみ合う。しかしこの多様性が収斂する場がある。その場とは、これまで信じられてきたように、作者ではない。読者である。読者こそは、あるエクリチュールを形づくるすべての引用が、一つとして失われることなしに、書き込まれる空間そのものなのである。テクストの統一性はその起源のうちにはなく、その宛先のうちにあるのだ。」(「作者の死」)

2008.04.02

京都で養老先生と暴走

AERAのお仕事で、京都へ。
国際マンガミュージアムで館長の養老孟司先生とおしゃべりをする。
国際マンガミュージアムに来るのははじめてである。
烏丸御池の町中の小学校の跡地を改装したところと伺っていたので、「そういう感じ」の建物かと思っていたら、レトロ趣味ではあるけれど、これはまたずいぶん立派なものであった。
たくさんの人々が笑顔でマンガに読み耽っている。
入館料さえ払えば、あとは閉館時間まで「マンガ立ち読み」し放題なわけであるから、私が小学生くらいのときにこのような空間に投じられたら、歓喜のあまり失禁したことであろう。
館長室(たぶん小学校時代の校長室)で養老先生とおしゃべり。
日本とコスタリカとブータンの観光立国比較論から始まって、「オサマ・ビン・ラディンはCIAの替え玉説」(論拠は『プラネット・テラー』)など、養老先生と暴走トーク。
当日は精華大学芸術学部マンガ学科の新入生のオリエンテーションをミュージアムでやっていたので、新入生にご挨拶ということで養老先生がいったん中座して戻られたあと、芸術学部長がお礼のご挨拶に館長室においでになる。
精華大学芸術学部マンガ学科といえば・・・
そう、竹宮恵子である。
『風と木の詩』の『私を月まで連れてって』の『地球へ』の、あの竹宮恵子である。
私はなま竹宮恵子と会って名刺交換してしまったのである。

竹宮惠子の名刺
これが竹宮先生の名刺。個人情報保護のため一部非公開となっております

竹宮さんは名刺交換した相手の某女子大教師を名乗る身体(と態度)のでかい男が「わお・・・」とうめいていたことの意味をよくは解しておられぬようであった(私の年齢の男性で青年期に竹宮恵子を耽読したというものはきわめて少ないのである)。
マンガミュージアム館長は、定年退職後に私が「やってみたいな」と思っている唯一の公職であるので、養老先生に「跡目継がせてください」とお願いしている。
仕事は月に一度出勤して一日中マンガを読んでいればよいのだそうである(ほんとかしら)。
そのことを橋本麻里さんにしゃべったのが活字になって、それをちゃんとミュージアムの事務局の方が読んでいて、「ミュージアムの方の企画にもどうぞよろしくご協力ください」とお願いされる。
おやすいご用である。
百万遍の割烹で晩ご飯を食べながらさらに暴走トークは続き、気がつけば養老先生と5時間半しゃべり続けであった。
養老先生とおしゃべりしていると、頭の中を涼風が吹き抜けるように爽快になる。激されると「ふざけちゃいけねえってんだよ」的巻き舌になるのがまことにチャーミングである。

2008.04.03

誰か教えて

ドキュメンタリー映画 『靖国YASUKUNI』の上映が予定されていた映画館五館が、嫌がらせや営業妨害を懸念して、上映を取りやめた。
同じような事件は年初にもあった。
日教組の教研集会会場に予定されていたグランドプリンスホテル新高輪が同じ理由で使用を断ったのである。
右翼の街宣車が集まって、顧客や周辺住民に迷惑がかかるからという理由だった。
そのとき、グランドプリンスホテル新高輪関係者に訊きたかったことがあるので、忘れないうちに書いておく。
グランドプリンスホテル新高輪は日教組をこの場合「顧客」には算入しなかったと解釈してよろしいのか、ということである。
予定していた集会が中止になることによって日教組が蒙る損害は「顧客の迷惑」にはカウントされない、と。
つまり、利用者のうち誰が「顧客」であり、誰が「顧客」でないかは、グランドプリンスホテル新高輪が利害得失を勘定して決定する。ということでよろしいのか。
いや、それが悪いと言っているのではない。
そちらがそういう「ルール」でやるということを公言しているのであれば、それでよろしい。
そこで、お訊きしたいのだが、『ホテル・ルワンダ』という映画をご覧になった方はグランドプリンスホテル新高輪の従業員にはおられるのだろうか。
たぶんいないだろうから、あらすじをお教えしよう。
ルワンダにはツチ族とフツ族という二つの民族集団があり、62年の独立後も民族紛争が続いた。73年に多数派のフツ族が政権を握り、ツチ族を支配し、ツチ族はルワンダ愛国戦線を組織してこれに抵抗した。94年にフツ族の大統領の飛行機事故死をきっかけに内戦が再燃、政府軍と暴徒化したフツ族によって、三ヶ月間に100万人のツチ族と穏健派フツ族が殺害された。
その混乱の中でホテル・ルワンダの一人のマネージャーがホテルに逃げ込んできた1000人以上の「顧客」を命がけで暴徒から守った。
その実話に基づいた映画が『ホテル・ルワンダ』である。
私は別にこのような超人的な勇気をグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーも持つべきだというような無法なことは申し上げない。
私が言いたいのは、SF的想定であるが、もしグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーが内戦時代のルワンダでホテルのマネージャーをしていたら、彼はためらうことなくツチ族の顧客全員を政府軍に差し出しただろうということである。
ホテルの(ツチ族以外の)「顧客」や「周辺住民」に多大の迷惑をおかけすることになるからだ。
そうしなければ話の筋目が通るまい。
平時にしたことを彼らが合理化できるなら、戦時においては同じふるまいを合理化することは一層容易である。
私の推論は間違っているだろうか?
それとも、日教組の集会は断るが、政府軍の戦車に追われて逃げ込んできた被迫害民族集団は命がけでお守りしますと言うのだろうか。
そうであれば、たいへん失礼なことを申し上げた。
だが、私の経験が教えるのは、平時に卑劣なふるまいができる人々は、軍国主義の時代や恐怖政治の時代にも同じ種類のふるまいを(もっと葛藤なしに)できるということである。
そのことを覚えておこう。
映画館についても同じことを申し上げる。
この程度の圧力で上映を中止する映画館主たちは、これよりも強い圧力が予想される政治的状況におかれたら「言論の自由なんかなくてもいいです」という宣言書にただちに署名するだろう。
人間が卑劣であったり、惰弱であったりすることを私は責めない。
けれども、「言論の自由」を二束三文で売れるタイプの人間にはメディアの仕事にはあまりかかわってほしくないと思う。
それともう一つ、私にどうしてもよく理解できないのは、こんなふうにして少しでもハードな圧力が加えられそうになると、「言論の自由」の看板をすぐにおろしてしまうような惰弱な人間ばかりで日本社会が埋め尽くされることをどうして右翼の諸君は歓迎するのか、ということである。
たしか彼らは日本人は「もっと誇りを持たなければならない」ということを主張していたのではないのか。
「抗議の電話があるかもしれないから怖いので仕事を止めます」というようなことを軽々に口にする惰弱な人間が「日本を守る戦い」においてだけは例外的に勇敢に戦うとは誰も思うまい。
少なくとも私は思わない。
こんな人間は平時でも戦時でも、どこにいても何の役にも立たない。
そんな人間を組織的に作り出すことに何の意味があるのか?
国民が陋劣な人間ばかりになることによって日本国民はどんな利益を手に入れるのか?
誰か教えて欲しい。

2008.04.04

バチ当たりな映画を見る

ペドロ・アルモドヴァル監督の映画について卒論を書いたという大学院聴講生が入ってきたので、ペドロ・アルモドヴァルの作品をまとめてアマゾンに発注したら、どかどかと届いた。
『All about my mother』だけは見ていたが、あとは未見。
とりあえず『アモーレス・ペロス』を見る。
なんかタッチが違うなあ・・・と思っていたら、これはアルモドヴァルではなくて、アレハンドル・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品であった。
どうも「スペイン語映画」ということで私の脳内に隣接して置かれていたために混同が生じたようである。
Amores perros というタイトルを見て「父性愛」とか、そういう意味なのかしらと想像していたが(スペイン語知らないので)、どうもそうではなくて「愛犬」という意味だったようである(それも違うかもしれない)。
イニャリトゥ監督は『21グラム』と『バベル』の監督である。
その次の作品タイトルはフランス語でChacun son cinéma ou Ce petit coup au coeur quand la lumière s’éteint et le film commence 「ひとりひとりの映画館。あるいは明かりが落ちて、映画が始まるときのあのときめき」だそうである。
すてきなタイトルである。
とにかく、私はアルモドヴァルとイニャリトゥを間違えてしまったのであるが、こういう錯誤は(フロイト先生が看破されたように)分析的に無根拠であるはずがない。
私はこの二人に共通する「何か」を感知したのである。
それは何か。
おそらくそれはルイス・ブニュエルの「血」である。
この二人はどうもルイス・ブニュエルが「スペインで作った子どもとメキシコで作った子ども」腹違いの兄弟のように私には思われるのである(そしてロバート・ロドリゲスはイニャリトゥのさらに従弟くらいに当たるのではないか)。
なんかブニュエル臭いぞと思いながら、アルモドヴァルの初期の長編映画『バチ当たり修道院の最期』を見る(すごいタイトルだな。配給会社はもしかしてアルバトロス?)。
原題はEntre tinieblas。
誰かスペイン語知っている人、意味教えてください。
これがかなり物議を醸しそうな映画であった。
カンヌに出品したら、カトリック教会が激怒して上映中止になったそうである。
そりゃ、なるわな。
修道院の尼たちがヘロインやったり、LSDやったり、官能小説書いたりして「罪深い生き方」とはどういうものか深く研究するという話なんだから。
スペインにおいては1975年のフランコ独裁の終焉まで、カトリック教会は政治的権力と結んで、強い権威を揮っていた。
ブニュエルの『アンダルシアの犬』(Un chien andalou, 1929)におけるカトリック司祭の戯画的な描き方は、スペイン内戦という政治的文脈抜きでは理解できない。
『バチ当たり修道院』は83年の映画であるから、おそらく独裁終焉のあとの「ゆれ戻し」の中で、カトリック司祭や修道女を冷笑的に愚弄する作品群がいくつも作られたうちの一つなのであろう。
たぶんそういう作品はいっぱいあり、それなりに反教権主義者のスペイン人観客に受けたのだが、スペイン以外の国でも観客を惹き付けるほどの質のものがなかったせいで、『アンダルシアの犬』の系譜に続くものとしては、ひとりアルモドヴァルの映画だけしか国際マーケットに登場しなかった。
だから、私たちには「こういう映画」が作られることにどういう必然性があるのか、その歴史的文脈がうまく見えてこない。
そういうことではないかと思う。

2008.04.05

言論の自由について

言論の自由について思うことを述べる。
繰り返し書いていることだが、たいせつなことなので、もう一度書く。
言論の自由とは
私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。
その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。
ただそれだけのことである。
だが、ほとんどの人は「言論の自由」を前段だけに限定してとらえており、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件を言い落としている。
私は「言論の自由」が持続可能な社会的規範であり続けるためには、後段の条件が不可避であろうと思う。
「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件のどこがそれほど重要なのか。
それはこの条件が「敬語で書かれていること」である。
それは擬制的に「理非の判断を下す方々」を論争の当事者よりも「上に置く」ということである。
「私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。理非の判断は聴いているお前らが勝手に下せばいい」というワーディングで語られたとき、「言論の自由」はその要件を満たさない。
かつてフランスで歴史修正主義をめぐる論争があった。
ロベール・フォーリソンという「自称歴史家」が「アウシュヴィッツにガス室は存在しない。なぜなら、それを証明するナチスの公文書が存在しないからである。ユダヤ人はチフスで死んだのである」という奇怪な論を立てた。
その書物の序文をノーム・チョムスキーが書いた。
チョムスキーは「私はこの著者の論に賛成ではないし、論証も不備であると思う。しかし、どのように人を不快にする主張であろうと、それを公表する権利を私は支持する」と書いた。
私はそれを読みながら、チョムスキーの言うことは正しいけれど、いささか無理があると思った。
そこには原理に対する敬意はあったけれど、当の本を読んで、その理非を判断する人々の知性に対する敬意は感じられなかったからである。
「私を批判する言説であっても、私はそれを公表する権利を擁護する」と言ったのはヴォルテールである(文言は定かではないが、だいたいそんな内容のことである)。
これは言論の自由のマクシムとして広く人口に膾炙しているが、私はいささかの物足りなさを感じる。
ここには「私は『私を批判する言説であっても、私はそれを公表する権利を擁護する』という立場なんですけれど、これについてみなさんはどうご判断されますか?」というメタ・メッセージが欠けているような気がするのである。
自分の意見を言い切っておしまい、ということだとそれでは言論の自由にならないのではないか。
いや、原理的にはなるのだろうが、社会制度として、もちこたえることができないのではないか。
私はそういうふうに考えている。
現にヴォルテールは自ら掲げた「言論の自由」の原理に基づいて、激しい反ユダヤ主義的な文書を書き連ねた。
けれども、その時代のユダヤ人たちにはヴォルテールに反論する機会は事実上与えられていなかったのである。
反論する機会を持たない人を激しく攻撃することをも「言論の自由」だと言い切れる人間はやはりどこか病んでいると私は思う。
原理や制度は正しければいいというものではない。
それを機能させ、持続させ、活用し、そこから豊かなものを引き出すために原理や制度を人間は作り出したのである。
ヴォルテールの原理主義に対置されるものとして、私はグルーチョ・マルクスの反原理主義的構えを思い出す。
グルーチョは「私を入会させるようなクラブに私は入会したくない」と言った。
これは「当クラブはどのような人にも開かれている」という原理とも「当クラブは誰を入会させ誰を拒否するかの権利を保持する」という原理とも次元を異にしている。
それは「クラブの掲げる原理」に対する批評を原理のさらに上に置く、ということである。
そして、その批評は「批評者自身に対する批評(今の場合であれば、グルーチョの自虐)」を含むことによってみずからが原理化することを回避しているのである。
ややこしい話ですまない。
私が言いたいのは、「言論の自由」を機能させるためには、「言論の自由」の原理主義に対する反原理的な批評性が不可欠だろうということである。
と言い換えても少しもわかりやすくならないですね。

2008.04.06

麻雀の季節

16の2。
0. 125
かろうじて「割」が残ったが、このままあと5半荘負けると「割のない男」になってしまう。
麻雀の勝率はだいたい野球の打率と同じくらいの難度のものとお考えいただいてよい。
2005年度は3割8分2厘、2006年度は3割4分2厘、2007年度はあれだけ前半苦戦しつつも最終的には3割1分7厘をキープした総長であるが、2008年度は年頭より歴史的不調のうちに喘いでいる。
先般麻雀についての取材を受ける。
麻雀について取材を受けるというのは例外的なことであるが、これは事情があって、非公開のメディアである。
インタビュアーは若い方であったが、彼らのまわりでも最近ひそかな麻雀ブームが起きているそうである。
これはいったいいかなる社会現象でしょうかというご下問である。
お答えしよう。いささか長い話になるが我慢していただきたい。
映画に行っても、バレエに行っても、歌舞伎に行っても、能に行っても、美術館に行っても、若い男たちのグループというのを見ることがなくなって久しい。
男性はもっぱら家族連れか、女性の「おとも」である。
男性二人とか三人とかのパーティをそのような場所で見かけることはもう絶無といってよろしい。
それはつまり、そこに来る理由がおもに「家庭サービス」や「彼女の趣味につきあって」であり、男性諸君自身には、当該文化事業への内発的な関心がない、ということを意味している。
70年代はそうではなかったような気がする。
コンサートでも芝居でも、だいたい男同士連れだって行っていた。
そして、帰りに居酒屋でホッピーを飲んで煮込みをつつきながら、「アヴァンギャルドとは何か」というようなことを熱く語っていたのである。
男たちを同性集団への形成する力をもつものは実は一つしかない。
それは「政治」である。
70年代まで、文化は政治的であった。
「政治的」という意味がわかりにくいと言われる方もおられるであろうから、私なりに定義をしておく。
「政治的」というのはメッセージが「みなさん」という二人称複数で始まり、動詞がしばしば「・・・でなければならぬ/せねばならぬ」という義務・当然・未来のニュアンスで結ばれるようなものの総体のことである。
というふうに私は定義している(勝手に)。
「みなさん」という呼びかけの段階で、呼びかけられている人々はある種の「カテゴリー」のうちに本人の同意抜きに括り込まれる。
「ねばならぬ」構文で話をまとめられることによって、そのような構文で提示された命令に対して、私たちはただちに「賛成/反対」の意思表示をなすことを義務づけられる。
「・・・ねばならぬ」という義務の構文の悪魔性はそこにある。
その命令そのものに義務強制力があるのではない。
そうではなくて、義務強制力は、そのような義務の構文で語られたことについては「無視する」ことができないという仕方で機能するのである。
「この命令についての諾否の立場をはっきりさせなければいけない」という「メタ・命令」については、それを無視することが許されない。
それが「政治的」ということである。
こちらの同意抜きで、自分ではその一員であると思ったこともない「集団」の一員とみなされて、その集団に義務づけられた仕事(ふつうは「これまでの自分のありようについての自己批判」と「政治的に正しい人間への自己造形」)の履行を急かされること。
それが「政治的」ということである。
話を戻すと、70年代までは文化は政治的であった。
それは私たちが個人として文化を享受することが許されなかったということである。
そのつど、抑圧された未成年者として、権利を奪われたプロレタリアとして、資本主義の走狗として、第三世界を収奪して享楽する帝国主義国民として・・・つねに、なんらかの「くくり」の中で私たちは文化に接した。
中学二年のときに『A Hard Day’s Night』を見に行ったとき、私の連れは男ばかり10人ほどの団体であった。
私たちはバス停の近くのパン屋で菓子パンと牛乳を買い、それを段ボール箱に詰めてバスに乗り込み、川向こうのグラインド・ハウスで一列に並んで同じ映画を二度繰り返し観た。
どうしてそういう鑑賞形態を選んだのか、よく理由は思い出せないが、どちらにせよ、「ビートルズの映画を一人で観る」という選択肢は私たちにはなかった。
それは擬似的なコンサートとして経験されねばならぬものであり、そのためにはジョン・レノンがこじゃれた台詞を口にするたびにぎゃあぎゃあ騒ぐ同類が一定数かたわらにいることが必須だったのである。
そういう鑑賞の仕方は「政治的」である。
唐十郎や佐藤信や寺山修司の演劇の「毒」は二十歳くらいの若者が個人で受け止めることのできる質のものではなかったから、観客たちはそのような場にはしばしば大人数のパーティを組んで繰り出した。
70年代のそのような文化的イベントのあと、私たちは火照りを鎮めるために、新宿西口やゴールデン街や渋谷のセンター街の薄汚れた居酒屋でホッピーを飲んで煮込みを食べた。
麻雀はまさしくそのような政治的熱気の渦中で選択されたのである。
今にして思うと、麻雀は一種の「緩衝地帯」というか「非武装地帯」であった。
というのも、少年たちはほぼ全員が「党派系列化」されていたので、素面で政治的な問題について議論した場合、ただちに罵倒中傷諍いどづき合いというものに展開する可能性があったからである。
飲酒は「ま、酒の席で野暮はよそうよ」という暗黙の約束があったせいでそこで党派的な議論になることはまれであったが、それでもうっかり政治的話題に触れると、カウンターの向こう側にいる見知らぬ兄ちゃんから「おめーら、ふざけたことぬかすんじゃねーぞ」というような意外な介入があったりすることは避けがたいのであった。
その点、麻雀は絶対に政治的にならない。
超党派で遊べる唯一の遊技、それが麻雀であった。
すべての党派の諸君が麻雀卓を囲むときは、「ローンウルフの雀鬼」となった。
門地も学歴も党派の看板も、そんなものは自摸打牌には何の関係もない。
牌を握るとき、私たちはただ一人で自分の過酷な運命に立ち向かうしかない。
そして、繰り返し申し上げているように、麻雀は確率的には4回に1回しか勝てない。つまり、4回に3回は敗者となることが構造的に定められているのである。
むろん実際にはそうではない。勝つものは勝ち続け、負けるものは負け続けるので、勝率2割5分の打ち手というのは麻雀にはほとんどいない。
ヴォリューム・ゾーンは勝率1割台である。
敗北率90%。
これは人生の実体験がはじきだす数値にかなり近い。
つまり麻雀とは「その遊技時間のほとんどを敗者として過ごす」ゲームなのである。
政治少年たちは麻雀を打ちながら、「負け方」を学んでいたのである。
私はそう思う。
どんなふうに威信を保ったまま負けるか、どんなふうに愉快に負けるか、敗北からどれほど豊かな教訓を引き出すか・・・私たちは麻雀を通じて、それを学んでいたのだと思う。
だから80年代以降、日本人が敗北から教訓を引き出すことより、成功から愉悦を引き出すことを優先的な課題にシフトしたとき、日本人は麻雀を止めてしまったのである。
そしていま日本人が再び牌を握り始めたというのは、私たちが「敗北の時代」と「政治の時代」に回帰しつつあることの徴候ではないかと私は愚考するのである。
階層社会というのは、「勝つ人」と「負ける人」に階層化された社会ではない。
「ごく少数の勝つ人」と「圧倒的多数の負ける人」に二極化した社会である。
「麻雀的状況」と申し上げてよいかと思う。
「敗北がデフォルト」になった社会には、それにふさわしい生き方が工夫されねばならない。
それは「政治的にふるまう」仕方をもう一度吟味してみることと、「とりあえず日々の敗者的状況を愉快に生きる」ための知恵の涵養と、二方向への展開を要請する。
そのために今若者たちは牌を手にし始めたのではないか。
May force be with you
雀神さまの支えと導きが諸君らのうえに豊かにありますように。

2008.04.07

原則的であることについて

原則として「ことに臨んでは無原則に対応する」ことにしている。
原則的にふるまうのはよいことであると言われるけれど、これは半真理であり、取り扱いに注意がいる。
というのは、原則的であることが必須である局面があり、原則的ではない方がよい局面があるからである。
その見極めがむずかしい。
例えば、親は子どもに対して原則的に対応しなければならない。
無原則な親は子どもにとってたいへん迷惑な存在だからである。
あるふるまいを昨日は叱り、今日はほめ、明日は無視するというふうな態度を続けると、子どもは社会性の獲得に支障を来す(統合失調の素因になるとベイトソンは論じている)。
子どもに対しては原則的に対応した方が、子どもは成長しやすい。
そういう親は「乗り越えやすい」からである。
親の立てる原則の無根拠や理不尽をひとつだけ指摘すれば、もう親を乗り越えた気になれる。
それでよいのである。
親はそのためにいるのだから。
けれども、教師はつねに原則的である必要はない。
できるだけ遠くまで子どもをひっぱってゆき、次の教師に「パス」するのが教師の仕事である。
そのためには過度に原則的でない方がよい。
「先生、昨日と言うことが違うじゃないですか」と子どもが口をとがらせても、「昨日は昨日だ」で済ませるのが教師の骨法である。
さらにその上位の「老師」というような格になると、もう原則もへったくれもない。
弟子が老師の推論形式について適用しようとするすべてのルールを軽々と踏みにじるのが仕事である。
というふうに原則の適用は「原則的」には運用されないのである。
どのような遂行的な効果を期待するかによって、原則は伸縮自在である。
相手が幼児的な段階にあるときは原則的にふるまい、相手がある程度成長してきたら、無原則をまじえ、相手が十分に成長してきたら、無原則に応じる。
そういうものである。
ここまでの理路はおおかたの人には経験的に納得いただけることと思う。
納得しない方もいるかもしれないが、その方にとっては以下の話はさらに納得しがたいであろうから、ここで読むのを止めておうちに帰ってくださって結構である。
ここからがいささかややこしい話になる。
人間は自分に対しても原則を立てる。
「原則を立てる私」と「原則を適用されて言動を律される私」に二極化するという芸当が私たちにはできる。
そして、自分自身のために立てた原則はどのような外在的な規範よりも拘束力が強い。
「プリンシプルのある人間」という評言が、表面的にはほめ言葉でありながら、ある種の皮肉を含んでいるのはそのせいである。
きびしい原則を立てて自分を律している人間は、それと気づかぬうちに自分を「幼児」とみなしていることを私たちは無意識に察知している。
その人は、自分自身のうちで擬制的に「親と子」を二極化して、理想我としての「親」によって、現実の幼児的な自我を「訓導」させようとしている。
これは効率的には悪い方法ではない。
しかし、難点は現実の親子と違って、この場合は「親」も「子」も同一人物だということである。
理想我であるところの「私=親」は「私=子ども」に乗り越えられることをはげしく拒否する。
そこが現実と違う。
現実の親は子どもにできるだけ早く「乗り越えられる」ことを実は期待しているからである。
だからこそ、シンプルで「一見合理的」な原則を立てて、子どもに接するのである。
その方が早い段階で子どもが「親を乗り越えた」と思ってくれるからである。
親をさくさくと乗り越えてもらわないと「パス」が次に繋がらない。
親は教師にはなれないし、なろうとしてはいけない。
親が立てる「シンプルで一見合理的」な原則は子どもにも反証を列挙できるほどに実は底が浅いのである。
子どもが乗り越えやすいように、わざとそういうしつらえにしてあるのである。
親がどんどんハードルを高くしては、子どもは成長できなくなる。
親の仕事はハードルを適当な高さに設定して、「とりあえず、ハードルをクリアーした」という体感を子どもに経験させることである。
ところが、この「子どもに乗り越えられる親の仕事」を「プリンシプルのある人」は容易に引き受けることができない。
だって、彼らにおいては、「子どもである私」を訓導する「親である私」こそがアイデンティティの本籍地だからである。
「プリンシプルのある人」はあらゆる手立てを用いて、「子どもである私」を「親である私」が立てた原則に従わせようとする。
たしかに、原則の要求レベルが高い場合はそれが教育的に機能することもある。
けれども、それが十分教育的に機能した場合に、シンプルで「一見合理的」なその原則の「底の浅さ」にやがて自分自身で気がつくようになる。
「私は自分自身に高い要求をつきつけて、それをクリアーしていることで成長している気になっているが、この『要求をつきつけるもの』や『成長の度合いを査定しているもの』の判断の妥当性はいったい誰が、どのようにして担保しているのか?」という問いに必然的に遭遇するからである。
自分で立てたルールの拘束力が成長を妨げる方向に機能するのは、このような場合である。
「ブレークスルー」というのは「自分はまだ十分に知識や能力がない」という無能の自覚で終わるのではない。
その「無能の自覚」をさらに高みから眺めて「おお、結構なことじゃないか」と満足顔をしている「わがうちなる査定者」の下す査定の妥当性に対する懐疑にまで及ぶのである。
自分の無知や無能を認めることは、「よくある向上心」にすぎない。
「ブレークスルー」は「向上心」とは次元が違う。
自分自身が良否の判定基準としている原則そのものの妥当性が信じられなくなるというのが「ブレークスルー」である。
ところが、「原則的な人」はこのような経験を受け容れることができない。
自分が立てた原則に基づいて自分自身を鞭打ち、罵倒し、冷酷に断罪することにはずいぶん熱心だが、その強権的な原則そのもの妥当性については検証しようとしない。
原則の妥当性を検証する次元があるのではないかということに思い及ばないのである。
それが「原則的な人」の陥るピットフォールである。
そのようにして「原則的な人」はしばしば全力を尽くして自分自身を「幼児」段階に釘付けにしてしまう。
小成は大成を妨げるというのは甲野先生のよく言われることであるが、それはほんとうで、局所的に機能する方法の汎通性を私たちは過大評価する傾向にある。
「原則的に生きる人」はある段階までは順調に自己教化・自己啓発的であるが、ある段階を過ぎると必ず自閉的になる。
そして、どうしてそうなるのか、その理路が本人にはわからない。
これだけ努力して、これだけ知識や技能を身につけ、これだけ禁欲的に自己制御しているのに、どうして成長が止まってしまったのか。それがわからない。だから、ますます努力し、ますます多くの知識や技能を身につけ、ますます自己制御の度合いを強めてゆく。
そして、知識があり、技能があり、言うことがつねに理路整然とした「幼児」が出来上がる。
若い頃にはなかなか練れた人だったのだが、中年過ぎになると、手の付けられないほど狭量な人になったという事例を私たちは山のように知っている。
彼らは怠慢ゆえにそうなったのではなく、青年期の努力の仕方をひたすら延長することによってそうなったのである。
これを周囲の人の忠告や提言によって改めることはほとんど絶望的に困難である。
本人が自覚するということも期しがたい。
そういう人を見たら、私は静かに肩をすくめて立ち去ることにしている。
けれども、たまに相手をすることもある(なにしろ無原則だから)。

2008.04.08

1970年4月駒場

大学の新学期が始まった。
入学式でマタイによる福音書を拝読する。
教務部長の任期もあと1年。式でこの仕事をするのもあと一回限りである。
なんでも私は「カウントダウン」するのが好きである。
どんな面倒な仕事でも、「これができるのもあと何回」と数えてみると、なんとなくそのディテールが愛おしくなってくるのである。
昨日は新入生オリエンテーション。
総合文化学科の200人ほどの学生の前で簡単に自己紹介をして、それから9名の新入生とお手伝いに来てくれたゼミの4回生2人でいっしょにランチを食べる。
膝つき合わせて、志望理由や大学での計画についてあれこれとおしゃべりする。
しゃべっているうちに不意に40年前の大学入学の日のことを思い出した。
1970年だからもちろん入学式なんかない。
クラスごとにオリエンテーションがあっただけである。
時計台のある建物の一階のきたない、窓ガラスの割れた教室に集められて、担任の先生(というものがあったのである。そのとき一回会ったきりだったけれど。本間長世さんという物静かな学究であった)からご入学おめでとうという簡単な挨拶をもらってから、上級生(68年入学で留年して同じクラスになった方々。カジイくんとかセキヤくんとかコンドウくんとかマーボーとかトサ坊とか)の全共闘のみなさんから「バトルフィールドにようこそ」的なご挨拶をいただいた。
そのあと、たしか一人ずつ教壇に立って自己紹介をした。
久保山くんが眼を細めてクラスを睨め付けたのを覚えている。
「なめんなよ」というメッセージのようであった。
ハマダくんは、薄笑いを浮かべて登壇し、早口に何か言ってから急にまじめな表情になった。それからまた薄笑いを浮かべた。
どうも彼の脳内では外部よりも速く時間が流れているようであった。
ぼくが「日比谷中退の内田です」と自己紹介して、席の間を歩いて戻る途中で、痩せた背の高い男がにやにや笑って「お前が日比谷の内田か。噂は聞いてるぜ」と囁いた。
痩せた男伊藤くんとはそのあと友だちになったが、何の噂なんだったのか聞きそびれた。
黙って黒板に「筑波大学附属駒場高校」と書いた少年のことを覚えている。
一瞬、何のことだかよく意味がわからなかった。そんな学校はこの世にまだ存在していなかったからである。それが「キョーコマ」の諸君の怒りの表現であることにややあって気づいた。
おもしろい子だなと思って、そのあと話しかけて、友だちになった。高橋くんという人で、のちに美術史学者になった。
今もウオッカ・トニックを飲む度に高橋くんのことを思い出す。トニック・ウォーターというものをはじめて飲んだときに彼と一緒だったからである。
東北大学工学部を辞めて文IIIに来たというがりがりに痩せた爆発するような長髪の男はただちに「トンペイ」というあだ名を得た。
すぐれた宗教学者だったが夭逝した。
愛知でうどん屋をやっていたが、弟妹の学資援助が終わったので、自分も受験勉強をして大学に入ったという年長の穏和な男がいた。のちに東大の教授になった。
黒光りするような肌の少年がいて、「スミダガワ高校から来ました」と名乗った。隅田川で泳ぐとあんな色になるのかしらと思った。
そのナメカタくんは今もときどき神戸に来る。そのときは一緒にご飯を食べる。
40年間なんてあっという間である。
「不整合世界の住人」トンペイくんと熱血と侠気の人久保山裕司くんはもうずいぶん前に鬼籍に入った。
同級生たちもそろそろ定年の時期である。
その頃にもう一度会ってみたいような気がする。


2008.04.10

Voiceについて

今日から授業。
最初の日からクリエイティヴ・ライティングの授業がある。
これは2006年度に難波江さんとふたりの「合同演習」というかたちで半期行い、去年は難波江さんがおひとりでされた。今年は私の担当である。
ものを書くというのはどういう営みであるのか、それについて原理的に、かつラディカルに究明しようではないかという意欲的な教科である。
二年前の学生たちは「物書き」志望の人が多かったので、ずいぶん真剣に受講してくれた。
「書くこと」をめぐって難波江さんと毎回長い時間話をした。
授業の準備としてではなく、ふだん私たちが差し向かいで話していることを、そのまま学生たちの前で公開して、その話の中で浮かび上がったトピックでエチュードを書いてもらうという形式が何となくできあがった。
このやり方はたいへん面白かった。
最初は「ヴォイス」というトピックから入った。
これはもう何度も書いていることだけれど、「ヴォイス」というのは文体のことではないし、バルトの言う「エクリチュール」とも違う。
自分の発する言葉と自分自身の「齟齬」を感知する力のことである。
というふうに書くと、「言いたいこと」と「それを言葉にしたもの」のあいだの乖離をどう埋めるかという問題設定にすり替わって、「自分の言いたいことを十全に表現できる自分らしい言葉を見出す」という、文章修業の話になってしまうが、私が考えているのはもう少し説明しにくい話である。
文章を書く。ある程度書いたあと、それを読み直す。
すると、ところどころ「これは違う」という箇所に出会う。
形容詞のなじみが悪い。主語の位置の落ち着きがわるい。読点がないほうがいい。「しかし」が二回続いている。最後に「ね」があるのがべたついて不快だ・・・というふうに、私たちは自分自身の文章を「添削」している。
だが、このとき添削している私と書いた私はどういう関係にあるのか。
そもそも何を規範として添削を行っているのか。
「美文」というような基準ではない(そんなものは存在しない)。
私が添削しているときに準拠している規範は「自分がいいたいこと」である。
けれどもそれは書かれた文章に先行して存在していたわけではない。
添削するという当の行為を通じて(大理石の中から彫像が現れてくるように)、しだいにその輪郭をあらわにしてくるのである。
「自分がいいたいこと」という理想は、書くことを通じて、現に書かれたことは「それではない」という否定形を媒介して、あらゆる否定の彼方の無限消失点のようなものとしてしか確定されないのである。
まず「言いたいこと」があり、それを運搬する「言葉」がある。「言葉」というヴィークルの性能を向上させれば、「言いたいこと」がすらすらと言えるようになる。というのが通常の「文章修業」の論理である。
しかし、「言いたいこと」というのは、言葉に先行して存在するわけではない。それは書かれた言葉が「おのれの意を尽くしていない」という隔靴掻痒感の事後的効果として立ち上がるのである。
「ヴォイス」というのはいわばこの「隔靴掻痒感」のことである。
この隔靴掻痒感そのものを言語に載せることができれば、言葉は無限に紡がれる。
「言いたいこと」がもし単体として存在するなら、きわめて巧妙に言葉を使える書き手の場合、ある時点で「言いたいこと」が底をついてしまうだろう。
私が巧妙な言葉の使い手になりたいと望む理由が「言いたいことが底をつくところまで行きたい(そして以後永遠の沈黙を享受したい)」ということのはずがない。
言葉が無限に紡がれるというのは、牛がよだれを繰るように、同じ調子の文章がだらだら書き継がれるということではない。
そうではなくて、ある一つのことを語ろうとしたときに、その「こと」がとても簡単な言葉では言い尽くせないので、その「こと」のさまざまな層に分け入り、その「こと」がいったん文脈を変えると、どういうふうな意味の変化を遂げるかを吟味する・・・というような作業のことである。
だから言葉を無限にあやつる人というのは、うっかりすると、わずか一つの言葉から小説一本分のコンテンツを引き出すような芸当ができる。
当代随一の「言葉遣い」の達人である町田康の文章はその好個の適例である。
私が「ヴォイス」という言葉を聴いたのは、もう何度も書いているけれど、映画『クローサー』の中でのジュード・ロウの台詞である。
新聞の死亡記事欄の記者である彼が死亡記事欄から抜け出せないのは「ぼくがまだ自分のヴォイスを発見していないからだ」と彼は言う。
それは彼が別の欄の記事を書くことではない(だって死亡記事担当なんだから)。
ある日、いつもように著名人の死という散文的な出来事を淡々と報ずる文章を書いているうちに、それまで書いてきたものとは別の水準、別の肌理が立ち現れる予感がする、ということをおそらく彼は言っているのである。
「ヴォイス」というのはそのことである。
名優サラ・ベルナールはレストランでメニューを読み上げただけで、同席した人々は涙を流したという。
作り話だろうとは思うけれど、ことの本質はただしく言い当てている。
ヴォイスはコンテンツとはほとんど関係がない。
文章の肌理、あるいは密度のことである。
どこまで細かくセンテンスが、単語が、音韻が「割れているか」。
一流のピアニストがキーを人差し指で下まで押し下げるだけで、そこには音楽が生まれる。
それは指がキーに触れてから離れるまでの時間をピアニストが細かく割っているからである。弱く始まり、加速し、強く高まって絶頂を迎え、またゆっくり消えてゆく、というような音の変化を、コンマ何秒のあいだに、指が1センチ動くあいだに、演じることができるのがプロのピアニストである。
首斬り朝右衛門として知られる八代山田朝右衛門吉亮は明治になって斬首刑がなくなるまでその任にあり、生涯に300余人の首を斬った。
その朝右衛門が晩年に述懐して、首斬りの極意について語っている。
それは剣をかざしてから、小指を締めながら「諸行無常」、薬指を締めながら「是生滅法」、中指を締めながら「生滅滅己」、人差し指を締めながら「寂滅為楽」と唱えると首がころりと落ちるというものである。
長くてもコンマ数秒で完了する太刀の切り下ろしをまず指の4工程に割り、その各工程をまた経文の4文字に割り当て、全体を16のセグメントに割っているということである。
聞き書きの記者はおそらく武道の心得のなかった人らしく、このことがどれほど技術的に高度なことであるかがよくわかっていなかったようであるが、これは100分の1秒レベルで身体運用をコントロールできる、ということを意味している。
太刀の切れ味というのは、切っ先のスピードや力の強さのことではない。
太刀の動きがどこまで微細に「割れているか」によって決されるのである。
ヴォイスというのは詮ずるところ「肌理のこまかさ」のことである。
私がさきに言語表現を完成に導くのは「隔靴掻痒感」であると書いたのは、そのことである。
あら、今日午後の一回目の授業でしゃべるはずのことを全部書いてしまった。

2008.04.11

クリシェと割れた言葉

新学期になってフランス語とクリエイティヴ・ライティングの授業が始まる。
フランス語は仮履修者名簿には18名とあったので、教室に行ったら40人ほどの学生が待っていた。
残りの方たちは聴講生だそうである。
イントロダクションとして、「なぜ外国語を学ぶのか」について話す。
クリエイティヴ・ライティングの授業は10名から15名程度の学生たちを相手に、膝つき合わせてしみじみと文章修業をする予定で、資料を少し多めに20枚刷って教室に行ったら、学生が廊下に溢れ出していた。
広い教室に移動してもらったけれど、それでも100名近くいる。
100名を相手に文章修業の添削なんかしてられない。
申し訳ないけれど、「冷やかし」の方と、それほどモチベーションがない方はご遠慮願いたいと申し上げたら、ぞろぞろと帰って行った。
授業が始まって私が話している間も、二人三人と席を立って帰って行く。
要するに私の話を聴いて「つまらん」とご判断されたわけである。
ふだんであれば、いくら何でもそれは非礼な・・・と青筋を立てるところであるが、今回ばかりは「どうもありがとう」と心の中で手を合わせる。
最終的に70名ほどが残る。
これをさらに少人数に絞るために課題を出す。
昨日はご案内のとおり「voice」についてお話した。
ヴォイスとは端的に言えば「わずかなきっかけで言葉が無限に湧出する装置」のことである。
入力と出力が1:100というような異常な比率で作動する言語生成装置のことである。
勘違いしてもらっては困るが、それは「同じような話」をエンドレスで垂れ流す言語運動のことではない。
「同じような話」のことを「クリシェ」という。
原義は印刷用語で、頻用されるストックフレーズの場合、いちいち活字を拾うのが面倒なので、ストックフレーズを構成する活字群をまとめて紐で縛っておいてあるもののことである。
それが出てくると「ほいよ」とその活字の束を放り込む。
クリシェだけで文章を綴ることは簡単である。
かなり長い文章を繰り返し書くこともできる。
ただクリシェの難点は、植字工が「ほいよ」と活字を束で扱うように、読者もまたそれがでてくると「ほいよ」と束のまま飛ばして、先へ進んでしまうので、ついに味わって読まれることがないということである。
私たちがクリエイティヴ・ライティングの授業を通じて獲得しようとしているのはそのようなものではない。
そのちょうど反対の事態である。
クリシェの比喩をそのまま使わせてもらえば、一個の活字をさらに細かく打ち砕いて、活字の鉛の部分と木部を切り離し、それぞれの材料を分析し、活字に貼り付いているインクの材質を分析し、タイポグラフィの曲線を分析し・・・という「自分が現に運用している言語そのものの内側へ、細部へと切り込んでゆく」作業である。
ヴォイスとは、「自分が語りつつメカニズムそのものを遡及的に語ることのできる言語」のことである。
といってもどんなものだかなかなかわからないであろうから、学生たちに今日の資料であった町田康の短いエッセイを読んで聴かせる。
最初は不思議な顔をして聴いていた学生たちは途中から痙攣的に笑い出し、最後は爆笑のうちに終わった。
町田康は「自分がいま書きつつある運動そのもの」を言語化することができるという点においてまごうかたなき天才である。
ご参考のためにその一部を採録する。
「だから自分は随筆を書き進めるにあたって、没にならないように細心の注意を払わなければならないが、どういうところを気をつければよいかというと、面白くないから没ということはほとんどない。つまり没といわれて、きっと面白くなかったからだ、と気に病む必要はまったくないということである。またその原稿の内容が不正確であったり、錯誤・過誤にみちみちているから没ということもまずない。その場合は誤りを指摘されるだけである。
 では没の理由はなにか、というとすなわち、その原稿が人をして厭な気持ちにさせる、不快な気持ちにさせる可能性がある、ということが没の理由の9割5分3厘をしめる。すなわち、その原稿の掲載された誌面を見て怒る人が出てくるかも知れない。これが一番困るのである。なぜなら、どんな偉い先生でも、いわれなく人を不愉快にするのはいけないことだからである。
 だから順に考えると随筆を書く場合、没にされないように書く必要があり、そのためには他が不快にならないように書く必要があるということであり、これが基本の基本、初歩の初歩、イロハのイ、鉄則中の鉄則なのである。 
 そういうことを踏まえて、さあ随筆を書こう。

 昨日、パンを買いに行った。家にパンがなくなったからである。

 というのは大丈夫だよね?オッケー?オッケー?いいよね?別に誰も不快になってないよね。よし大丈夫。じゃ進めよう、ってええっと、なんだっけ?そう、オレはパンを買いに行ったのだ、のだけれどもちょっと待てよ。パンを買いに行った、なんていうことをこういう公の場所でいう場合、ことによるとパン食を奨励しているというように受け取られないだろうか。つまり、読者にはパン以外の、米や饂飩やパスタ類を食べてはいけない、と言っているふうに誤解されないだろうか。だとしたらその産業にたずさわっている人はきわめて不快な思いをするに違いなく、その可能性があるだけでもやはり問題で、没になる可能性はきわめて大である。書き直そう。

昨日、パンを買いに行った。家にパンがなくなったからである。だからといって米や饂飩やパスタ類が嫌いでパンしか食べぬという主義ではない。というかそういうものは非常に好きなのだ。ただそのときは気分でね、パンを食べたかっただけなのであって、小豆などの雑穀類もそれは買わなきゃあと、米も饂飩も買わなきゃあ、と強く強く念じ、絶対に今後一生私は米や饂飩やパスタや雑穀をパンと同じくらいの比率・割合で食べていくと固く心に誓いながら、そして世の中のみんなもそうあればよいと祈りにも似た気持ちを抱きながらパンを買いに行ったのである。

とこれでいいだろう。まだ穴があるかも知れないがそれはゲラで直せばよい。(「そら、気ぃ遣いまっせ」、『テースト・オブ・苦虫2』、中央公論新社、2006年、75-77頁)

というふうに延々と続いて、町田康さんはパンを買いに家を出て、商店街にむかい、横断歩道をわたるまでに膨大な紙数を投じるのである。
聴いていた学生たちは「固く心に誓いながら」というあたりで歯止めを失って笑い出し、あとはエッセイの最後まで(まだまだこの調子で続くのである)笑い続けていた。
これが「クリシェ」の反対の「割れた文章」のお手本である。
言語は内側に割れること(これをimplosion「内破」という哲学用語に言い換えてもよい)によって、そこから無限の愉悦と力を生み出す。
クリシェもまたエンドレスで言葉が紡がれているように見えるという点で、一見すると「内破」した文章に似て見える。
書いた本人は場合によっては「無窮のエクリチュールを見出した」と思っているかも知れない。
けれども、それは「流しの排水穴に繋がった蛇口」のようなものである。
たしかにそこからは終わりなく言葉があふれてくる。
けれどもそれは、すべてその人自身によって、また彼の同類の「クリシェ使い」たちによって、過酷なほどに酷使され、すり減り、手垢にまみれ、汚物がまつわりついた「使い古し」の言葉なのである。
私たちは自分の言葉を割る仕方を学ばなければならない。
ということを最初の授業でお話する。
そこで、宿題。
君たちの日常的なごくごくふつうのふるまい。それこそ「パンがなくなったのでパンを買いに行った」という程度の「ふつうのできごと」を割って割ってどこまで割れるか、それを600-800字のエッセイで試みてみなさい。
宿題をやってきたひとだけに来週からの聴講を許可します。
では、また来週!
はたして何人やってきてくれるだろう。

2008.04.13

お茶と合気道

芦屋のお稽古に行ったら、また新しい人が3人来ていた。見学者が2人。
木曜の大学の合気道の稽古も新人が(舞踊の村越先生と、舞踊専攻学生たち3人を入れて)7人。
ウッキーが担当している合気道の授業も受講希望者が30人いたそうである。
合気道をやってみたいという人は確実に増えている。
別にメディアがそういう風説を流しているので、それにアオられたということではない。
それぞれ自発的に、なんか「こういう感じのこと」がやりたいな・・・と思っていて、たまさか「合気道」という文字にフックしたのである。
こういうのはほんとうにネーミングの勝利である。
なにしろ、「合」と「気」と「道」である。
「道」が二翻なら、これだけで満貫である。
「合気する」というのは古くからある武術用語で、「同期する」ということである。
同期されるということは相手のいいように扱われるということである。
だから、武道修業プログラムには「どうやって合気されないか」という技術的課題が必ずビルトインされている。
「あはぬ拍子をよしとす」ということは『兵法家伝書』や『五輪書』にも書いてある。
拍子が合ってはならない。
それを転倒させて、「合気すること/合気されること」を表裏一体の技術ととらえたのが合気道である。
「弛す(はずす)」とか「賺す(すかす)」とか「躱す(かわす)」というのはいずれも拍子をはずすための技法である。
これらはいずれも高度な技術なのであるが、マインドに瑕疵がある。
いずれの動詞も「私」という主語を取ってしまうことである。
それでは「主体-敵」という二元論フレームから出ることができない。
それでは「天下無敵」にならない。
「天下無敵」とは「天下に並び立つものがいない」ということである。
別に敵対するやつを全部殺してしまったとか、そういうことではない。
みんな「私」なので、「敵」がいないということである。
天下無敵とは「敵」をどうこうする他動詞的所作のことではなく、「私」の概念を書き換えるということである。
世界と他者を「『私』を主語とする他動詞的なフレームワークの中で思量しない」ということである。
合気道の動きでは申し上げたとおり、「合気する/される」が表裏一体となっているので、術者は原理的には「私」という主語を取ることができない。
ふつう武道的動きは「私は敵を・・・・する」という他動詞的な構文で語られる。
合気道はそうではない。
文法用語を使って言えば、合気道というのは「再帰的な身体運用」である。
「私たちは、私たちを・・・する」という再帰的なしかたで身体を運用するのである。
動作の主語は「私」ではなく、「私たち」である。
とりあえず頭が二つ、体幹部が二つ、手が四本、足が四本ある「複素的身体」がここに現出している。
単体のものに比べて、操作方法が複雑ではあるが、まあ所詮は人間の身体である。
そこには当然「理」というものがある。
その理に従えば、この複素的身体は操作可能である。
合気道の稽古とはこの複素的身体運用のテクニカルな法則性を探すことである。
その法則性を発見すれば、一人でお箸を使ってご飯を食べたり、筆で字を書いたりするのと同じように、二人から成る複素的でご飯を食べたり、手紙を書いたりすることができる(はずである。原理的には。私はまだできない。せいぜい床に落ちているものを拾うくらいである)。
この技術は人を投げ飛ばしたり、関節を折ったりする技術よりもはるかに汎用性が高い。
私たちはたしかに相手を投げ飛ばし、関節を極めるというようなことを稽古しているが、それは「それをするため」ではない。
そのような技術はできることなら一生涯に一度も使わずに済ませたいものである。
ではどうして「一生涯に一度も使わない方がよい技術」の洗練を稽古するかというと、そういう稽古が「それとは違う、それよりもはるかに汎用性の高い能力」の開発に効果的であることが経験的にわかっているからである。
だから、ときどき「合気道って強いですか?」と訊かれると、私はぽかんとしてしまう。
「漢字が読めると喧嘩に強くなりますか?」とか「お風呂に入るとお金が儲かりますか?」とか質問されるのといっしょで、答えようがないのである。

お稽古のあと、中之島のリーガロイヤルのリーチバーで千宗屋さんと対談。東京から橋本麻里さんと足立真穂さんの「スーパー・エディター・シスターズ」が来ている。
この方々を前にすると、私たちは「飛んで火に入る夏の虫」というか「自家薬籠中のもの」というか、とにかく「活殺自在にされちゃった状態」である。
『考える人』のために先日の麻布の重窓での茶事を「総括」する。
この初体験茶事についてはあらたに発見したことが山のようにあったので、千さんに素人の所見を縷々述べる。
述べたのは考えてみたら、いずれも上に述べたようなことであった。
茶道では「賓主互換・賓主歴然」ということばがあるそうである。
そこから、主客が自在に入れ替わり、混じり合い、また分離し・・・という共身体形成プロセスこそが茶事の人類学的本質ではないかという「いつもの話」になる。
茶事では「躙り口」で四足歩行を強いられ、そのあと無言で炉の火を見つめ、共同で飲食し、濃茶の点前では強烈な体感統御力をもつ亭主の「コンダクト」で身体的同期を経験する。そして、同期から緩やかに解放されたところで「民主的」な薄茶が提供される。
これって、人類史そのものじゃないですか・・・という「トンデモ話」になる。
たいへん面白い話であったが、詳細は『考える人』の次号をご覧くだされ。
そのあと四人でブザンソンという名前のフレンチレストランへ繰り出し、シャンペン、ワインなどをじゃんじゃん頂き、さらに談論風発、深更に至る。
しかし、千宗屋さんという人は恐るべき人物である。
まだ32歳。
この人が50代になって武者小路千家の家元になるころ、どれほどの貫禄になるのか、ちょっと想像できない。
私もぜひあと20年ほどは長生きして、立派なイジワル爺さんとなり、官休庵で千さんに濃茶を点てていただきながら清談を楽しみたいものである。

2008.04.14

ストレスフル・ライティング

日曜日なので、一日お休みである。
たまった原稿を書かねばならぬ。
『論座』に「靖国」上映をめぐる問題について原稿をさらさらと書いて、送稿。
続いて、『教育と医学』というところの教育論を書く。
字数が6000字と多いので、なかなか終わらない。
疲れたので、休憩に「中国とどう付き合うか」という「週刊現代」のエッセイを書く。
さらさらと筆が進む。
私の場合、理由は簡単で、「これを読んだら頭から湯気を出して怒る人がたくさんいるだろうな」と思うと、筆の滑りがたいへんよろしくなるのである。
なぜなのであろう。
むろん、私とて人の子、一読した編集者が感動のあまりうめき声をあげ、植字工(なんてもういないのかしら)が活字を拾いながら躍り上がり、満都の読者が随喜の涙をこぼし、批評家も絶賛、というようなものを書きたいとは念じている。
しかし、みんなが喜んでくれることを書こうとすると、これが不思議なことに「頭から湯気を出して怒る人」が必ず出てくるものを書いてしまうのである。
考えてみれば理由は簡単。
読者たちが待望しているのは、彼らに「ストレスをかけているもの」の正体が暴かれ、その愚鈍と邪悪さのよって来るところが解明され、然るべき制裁を受けることだからである。
この作業はおおかたの読者には歓迎されるのであるが、当然のことながら「ストレッサー」ご自身にとってはぜんぜん歓迎されない。
ならば、私の筆先によって憤慨する「ストレッサー」さんたちの数を減じて、ごく少数の「ほんとうにたちの悪いストレッサー」だけを選択的に批判すればよいかというとそういうことではない。
だって、「ストレッサー」が現にストレッサーとして活発に機能しているのは、彼らが広い範囲に遍在しており、なかなかその姿がとらえにくく、彼らがもたらす被害評価が下し難いからである。
局所に固まっているだけなら、「馬糞小屋」(@村上春樹)と同断で、近くに行かなければなにごともない。
ストレッサーたちは「遍在する」がゆえにストレッサーなのである。
それゆえ、私の批評的な文が満都の読者に歓迎されるためには、いきおい「遍在するもの」にその矛先は向かねばならず、結果としてきわめて多くの人が私の文を読んで「これはオレのことか」と激怒するということになるのである。
因果な商売である(商売じゃなくて、趣味なんだけど)。
上映禁止問題については、これは「民主主義の根幹的価値を守れ」ということを書いていれば、あまり怒る人はいない。
それではつまらない。
かといって、「そういう反日的なものの上映は国益を損なうであろう」というようなことを書いたら、リベラルの人は激怒するが、保守の人や右翼のひとは大喜びしてしまう。
それではつまらない。
両方とも怒らせるような論の立て方はないものかと思案する。
そうだ、「政治的に正しいことを言うやつは信じるな」ということを書けば、左右問わず政治的に正しい人たち全員が怒るに違いない。
おお、そうしよう。
さらさら。
教育問題はどうしたものか。
まず教育行政を批判し、ついで消費文化を批判し、モンスター・ペアレンツを批判し、学力のない子どもたちを批判し、そのような事態を放置した教師たちを批判し、批判ばかりしているメディア知識人(私を含む)を批判する。
これでほぼ日本人全員を怒らせる論が完成した。
次は中国論。
「中国はろくでもない国だ」と書くと親中国の人は怒るが、反中国の人は喜ぶ。
「中国の言い分にも一理ある」というようなことを書くと、反中国の人は激怒するが、親中国の人は喜ぶ。
それでは曲がない。
どちらもみんな怒るような論の立て方はないものか。
ということで中華思想解説というものを書く。
別にいかなる政治的主張も含まれていないのだが、おそらく誰が読んでもたいへん不愉快になること請け合いである。
勘違いしてほしくないが、私が文を草する目的は「できるだけ多くの読者のストレスを除去すること」である。
しかし、その作業はどうしても「きわめて多くの読者が不快になること」を伴ってしまうのである。
なぜであろうか。
賢明なる読者はもうその理路がおわかりになったであろう。
そう。
私たち自身が私たちにとってのストレッサーだからである。
私たちを傷つけるのは他者ではないからである。
私たち自身の弱さと邪悪さと愚鈍さが私たちを生きにくくしているからである。

2008.04.15

大学はビジネスなのか?

昨日、送稿した教育についてのエッセイの最後を私はこんなふうに結んだ。

教育再生のための方法として私から提言できることは一つだけである。それは教育現場から消費文化のイデオロギーを一掃すること。さしあたり、ビジネスのワーディングで教育を語る人間(メディアで教育を語っている人間のおよそ半数はそうである)にすみやかにご退場願うことである。もちろん、誰もそう簡単にはご退場くださらないであろうから、私はこうして機会あるごとに懇願しているのである。

家に帰って夕刊を開いたら立命館大学での「転部応募」の話が一面に掲載されていた。
こんな話である。
今春新設の生命科学部で、280人の入学定員に対して、414人を受け容れてしまったために、定員超過率が1.48倍となった。これでは文科省からの私学助成が交付されない。
だが、立命館は助成金の交付を望み、「あと22人入学者数を減らせば、交付が受けられる」という計算で、22人分の他学部への転部希望者を募ったのである。
今朝の新聞によると立命館大学は過去にも4回、同様の転籍措置によって補助金を得ようとしていたらしい。
どうしてこういうことが起きたのか。
理由は簡単である。
「文科省からの助成金がもらえる限界ぎりぎりまで入学させる」ということが立命館では入試戦略の「常識」だったからである。
立命館の入試担当者は生命科学部の入学者が280×1.4=392人になることを「目標」に残留率を計算した。そして、思いがけなく予想よりわずかに残留率が高く、22人オーバーしてしまったのである。
280人定員で22人の「読み違え」というのは、7.8%の誤差であるから、通常の仕事では許容範囲であるが、「ひとりでも越えたら助成金交付が受けられない」というほどにタイトな数値設定をしていたら、この誤差は命取りになる。(今朝書いたとき計算まちがいして25人と書いてしまいました、ごめんね)
今回一回だけの出来事であれば、新設学部の人気と残留率を読み違えたものと見て、おおかたの大学人は立命館の入試担当者に同情的であったであろう。
けれども、過去に同様のケースが4回あったということになると、それほどにこやかではいられない。
それはつまりこの大学では「ひとりでも越えたら助成金交付が受けられないぎりぎりの数字まで入学者を読み切ること」を入試担当者に「業務」として要求していたということだからである。
もし読みがはずれたら、転籍をして帳尻を合わせればいい。学生納付金は最大限徴収し、かつ助成金も受け取るのが「よいこと」だというのはビジネス的には「常識」である。
しかし、これは大学人にとっては「常識」ではない。
私たちは教育を行うために学生たちを入学させるのであり、その「私たちのやりたい教育」が持続可能であるために、収支が赤字にならないように工夫しているのである。
収支を黒字にするために教育をしているのではない。
私は関西の私学のことについてわずかばかりのことを知るばかりであるが、それでも大規模校のほとんどが程度の差はあれ、もう「学校」ではなく、「企業」になりつつあることがはっきり感知される。
大学の規模が巨大化すれば、管理部門が肥大化する。
権限と情報がそこに集中するようになる。
そのような仕事は教育研究とは兼務できない。
だから、教育者でもなく研究者でもないクールでリアルなビジネスマンたちが大学行政を担当するようになる。
彼らには「私たちのやりたい教育」などというものはない。
彼らにとっての優先的な課題は「コストの削減」とか「精密なマーケットリサーチ」とか「集客力のある教育プログラム」とか「アイキャッチングなパブリシティ」とかとか、そういう類のことだけである。
もちろん「学生納付金を最大化し、かつ助成金も交付されるぎりぎりの数値まで入学者を読み切る技術」は「在庫管理」技術の単純な応用であるからそのような大学では高い評価を受けるであろう。
だから、こういう出来事が頻発する。
私はビジネスマインデッドな人間が大学教育に不要だと申し上げているのではない(そんな無法なことは申さない)。
「大学経営」にはむろんビジネスマインドが必要である。
大学がつぶれたら教育はできないからである。
けれども、教育活動を続けるために経営の工夫をすることと、より大きな収益を上げるために教育活動に工夫を凝らすことはまるで別のことである。
そのことに気づかない人々に教育を語って欲しくない。
私はそう申し上げてるのである。

2008.04.17

ヴォイスを割る

クリエイティヴ・ライティングの二回目。
宿題をして来たものだけ受講を許すといったら、一気に半分以上いなくなって(やれやれ)、40人ほどになる。
これなら、まあなんとか課題を出して読めない数ではない。
二回目は「ヴォイスを割る」ということについての課題でたぶんほとんどの人が「勘違い」をしているであろうというお話から入る。
「割る」というのは水平的、空間的に割るのではなく、「次元を割る」ということである。
「ご飯を食べる」という一行を、「箸を手に取り、茶碗をたぐりよせ、口を開いて、口中に投じた米を咀嚼し・・・」というふうに書くのは「割る」でもなんでもなくて、ただの「引き延ばし」である。
町田康さんの一文を読んで、そういうふうに解釈した人はその段階で課題の理解を誤っている。
町田康の文章のもつコミュニケーションの深度は、「いまこの文章を書きつつある私のメカニズムそのものへの批評的自己言及」によって担保されている。
ある言葉を発する。
だが、ただちにその言葉をごく自然に発している私はどうしてこのような語り方を「自然」であるとみなしているのかという疑念が兆す(それが兆さない人はクリエイティヴィティとは生涯無縁である)。
その疑念はとりあえず「自分への問い」あるいは「自己批評」というかたちをとる。
自問自答である。
ところがこれだけでは「ヴォイスの割れ」とは言われない。
それだけならただの「腹話術」である。
たしかに、自分を擬制的に「定型的なものいい」と「壊乱的なものいい」に二重化してみると、話はとんとんと進むけれど、最終的にこの言葉の基調音は「攻撃的で皮肉で嘲弄的な壊乱者」の批評性を上位においた秩序に帰着してしまう。
自己批評、自己否定の契機を自分は自分のエクリチュールにビルトインしていると思っている書き手のほとんどは実はただの「腹話術師」にすぎない。
誤解してほしくないけれど、私は町田康さんが腹話術を使っているといっているのではない。
彼の文章を「腹話術」として理解して、わかった気になることの危うさを語っているのである。
もちろん、「腹話術」的対話でもないよりはましである。
でも、そのようなものを私どもは「ヴォイスの割れ」とは申さない。
とりあえず実例をお見せしようということで、今日は佐々木倫子さんの『Heaven?ご苦楽レストラン』の一頁を分析する。
少女マンガのリテラシーは「私の語り」のレベル差をどこまで感知できるかによって決まる。
かつて大塚英志は紡木たくの『ホットロード』を素材にして、その中の語りのレベルがいくつあるかを検証したことがある(ジェラール・ジュネットが『フィギュール』で定式化したのと同じテクスト分析方法をまったく独自に考案してマンガに適用したのである。この点での大塚の仕事はもっと評価されてよいと私は思う)。
だから、今回も『ホットロード』を素材に使おうと思って探したのだが、どうもるんちゃんが持ち去ったらしく、わが家の「マンガコーナー」にはなかった。それで佐々木倫子さんにお出まし願ったのである。
私たちが読んだ2頁には
(1)「現実に発語されたことば」(これは「ふきだし」の中に写植で打ってある)
(2)「内面のモノローグ」(これは「ふきだし」を伴わないが写植で打ってある)
(3)「(1)(2)の双方の言葉についてのコメント」(これは佐々木さんの特徴のある手書き文字で書かれている)
の三つのレベルが検出された。
(3)のレベルに出現するのは、「ある種の価値判断(ただしそれは話者に意識化されていない)をともなった言明」である。
文法用語で言えば「接続法で語られた言明」である。
それだけがきれいに切り取られたように「手書き文字」で書かれている。
そこに検知されたのは「伊賀くん(といってもわからない人にはわからないだろうが、マンガの主人公のフレンチレストランのサービスマンである)の死ぬほど自分勝手なオーナー(『動物のお医者さん』における菱沼さんのアヴァター)に対する彼自身も気づいていないエロティックな関心」である。
この6巻のマンガの中で伊賀くんがオーナーに性的関心を持っているというシグナルは図像的にも物語的にも一度も表明されない。
しかし、彼は彼女を愛しているのである。
それは彼が彼女の個性的なふるまいを表象するときに「接続法」を採用するというささやかな「モード変換」のうちに暗示されるのである。
『Heaven?』はエロティックな要素がゼロであるところの恋愛物語なのであるが、それでも、それが濃密なラブストーリーであることが「語りのレベル」の切り替えを感知できる読者だけに感知できるように構造化されているのである。
などということを言っても、読んでない人にはまるでわからないであろうから、この話はここまで。
「私」のレベルをどこまで割れるかというテクスト・パフォーマンスの実例として、次は小田嶋隆先生の『人はなぜ学歴にこだわるのか』の1頁を読む。
これは当該文庫の解説に私が書いたことの繰り返しなのであるが、未読の読者のために、それを再録しておこう。

 この人は天才かも知れないと思ったのは、小田嶋隆(敬称略。すみません、小田嶋先生)の二冊目の単行本『安全太郎の夜』(河出書房新社1991年)の中の文章を読んだときのことである。それは「ビール」というタイトルの短いコラムで、こんなふうに終わっていた。

 ビールの問題は「きりがない」ことだ。ビールは確かにウイスキーや日本酒に比べればアルコール度数の低い酒だが、逆にいえば、この酒は浴びるほど飲むことによってはじめて酒たり得る酒だ。頭が痛くならないと飲んだ気がしないのだ。ビールに適量はない。飲み足りないか、飲み過ぎるかのどちらかなのだ。
 しかもビールは、自宅の冷蔵庫にはもちろん、自販機にも喫茶店にも映画館にも、ドライブインやそばやにも、ある。ビールは私が行くあらゆる場所に、あまねく存在し、私に向かって、
「冷えてますよ」
と呼びかけることをやめない。
「勝手に冷えてやがれ」
と、思うときもあるが、せっかく私のためにそうやって冷えてくれているものを、拒み続けることができるだろうか。
 まとまりのない話ですまない。そう。お察しの通り私はビールを飲みながらこれを書いている。本当にすまない。(「ビール」、『安全太郎の夜』、河出書房新社、1991年、56-7頁)

 げらげら笑って読んでいたのだが、笑い続けているうちに、なんだか寒気がしてきた。
 書かれているのは、どうでもいいような話である。ビールを飲み続けている男がその言い訳をしている。ただそれだけの文章である。
 たしかに「ビールに適量はない。飲み足りないか、飲み過ぎるかのどちらかなのだ」という言葉は酒について書かれた警句の中で私が最も納得したものの一つである。しかし、それくらいのことで私は人を「天才」とは呼ばない。
 重要なのは最後の二行である。 
 物書きが飲酒とそれに伴う愚行を悔悟する文章や自己嫌悪に苦しむ文章を書くことは少しも珍しいことではない。しかし、飲酒癖について書いた短い文章の最後を「本当にすまない」で切り上げたテクストのあることを私は寡聞にして知らない。
 というか、そもそもどのような論件について書かれたものにせよ、「本当にすまない」のひとことを以て筆を擱いた人のあることを私は知らない。
 小田嶋隆という人は、これまで誰もしたことのないことを「ビールを飲みながら」できてしまう人なのだ。
 私はそれを知って、寒気がしたのである。
 「本当にすまない」で終わる文章に呼応するように、本書には「わからない」で終わる次のような一文がある。
 
 赤ん坊の頃から知っている従姉妹が結婚するという。
 私はおふくろに尋ねる。
 「で、相手はどんな人なの?」
 おふくろは心得ている。
 「慶應の経済を出て、なんだか商事といった会社でなんだかをやってる人らしいわよ」
 なるほど。慶應の経済か。
 私はわかった気になっている。
 おい、何がわかったんだ?
 わからない。
 幸せって、何だろう?
 わからない。

 私はこれを読んだときも眩暈に似たものを覚えた。
 頭がくらくらして当然だと思う。
 だって、この文では、わずか十行ほどの間に、驚くなかれ、それぞれ機能を異にする「五つの私」が相次いで登場するのである。
 「で、相手はどんな人なの?」と母に尋ねている「私」。これが「第一の私」である。
 「なるほど。慶應の経済か」と内心で独語する「第二の私」。
 「私はわかった気になっている。」と「独語する私」について外側から、あるいは上空の視座から冷静にコメントしている「第三の私」。
 「おい、何がわかったんだ?」とそれに問いかける「第四の私」。
 そう訊かれて、「わからない」と答えている「第五の私」。
 わずかな行数のうちに、まるでドリルが垂直に地中に沈んでゆくように、小田嶋隆は、「私」と語る機能の起源に向けて垂直に掘削するのである。
  
 おい、何がわかったんだ?
 わからない。
 幸せって、なんだろう?
 わからない。

 こういう言葉を書けるほど徹底的に内省的な人間は多くはいない。というか、現代日本にはたぶん小田嶋隆しかいない。賢愚とりまぜさまざまな方々の書物を腐るほど読んできた私がそう言うのだから、この判断は信用して頂きたい。(小田嶋隆、『人はなぜ学歴にこだわるのか』、光文社、2005年)

これが「ヴォイスが割れる」ということである。
「私」を割る技術の洗練について、さらに実例をおめにかけようということで、今度は高橋源一郎さんの『タカハシさんの生活と意見』の1頁を読む。
これはあまりに凄い多元構造なので、残り時間ではとても解説できないので、また来週ね。


2008.04.18

シープヘッド・ベイの夜明け

Goffin & King のコンピレーションCDを買った。
ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングが1961年から67年までに共作したヒットソング(ヒットしなかったものもある)が収録されている。
ウチダ的なゴフィン=キング作品のベストはTake good care of my babyとWill you love me tomorrow だけれど、それは収録されていない(ちょっと残念)。
でも、ライナーにWill you love me tomorrow をつくったときのエピソードが書いてあった。
佳話なのでご紹介したい。
「ジェリーの話。そのころ僕は研究所の技術者として化学者の助手をしていた。キャロルは秘書として働いていた。彼女のところにドニーから電話があって、ザ・シレルズが曲を探していると言ってきた。僕は海兵隊予備役に編入されていて、その晩そのミーティングがあった。9時ごろ家に帰ってきたら、テープレコーダーに(僕たちはレノルコのテレコを一台持っていたのだ)メロディが吹き込んであって、ピアノの上にメモが置いてあった。『ドニーがこれを欲しがっています。シレルズ向きのメロディだと思います。歌詞書いてね。わたしはママと麻雀してきます。』そこで僕はオープンリールのテープを聴いた。そして、すてきなメロディだなと思った。歌詞はすぐ浮かんできた。キャロルが帰ってきてから、僕たちはいっしょにブリッジを書いた。僕たちはそのころ一台の車を共有していた。彼女が車を使うときは僕は地下鉄で通勤した。僕が車を使うときは彼女が地下鉄。僕たちはブルックリンのシープスヘッド・ベイに住んでいた。キャロルは翌日は仕事に行かなくてもよい日だったので、僕を仕事場まで乗せてから、ドニーのところに『明日も愛してくれる?』を持っていった。」
この曲をシレルズが歌って、1960年11月にビルボードのトップ100に入った。
それから二ヶ月後。
「キャロルとドニーが僕の働いている研究所に来た。キャロルが言った。『ジェリー、あなたもう働かなくてもいいのよ。ドニーがアドバンスを1万ドルくれたの!』レコードはビルボードの1位になっていた。おとぎ話みたいだった。」
去年の「音楽から始まる知の世界」で私は斉藤先生と次々とお気に入りのCDをかけながら音韻の美しさについて話していた。
そのときにある種の音韻がきれいに響くのは人によって違うという話をした。
例えば大瀧詠一師匠は鼻濁音の[ga]の音が美しい。
だから『幸せな結末』では「きかせどころ」でこの鼻濁音を響かせている。
キャロル・キングは[i]の音が美しい(これはわりと例外的なことである)。
だから、ジェリー・ゴフィンはWill you love me tomorrow を書いたときに、この若い妻の歌声のうちでもとりわけ彼が愛していた[i]音を「きかせどころ」で無意識のうちに選択したのではないか、というのが私の仮説であった。
今日ライナーを読んで、ジェリー・ゴフィンがどんな気分でこの歌詞を書いたのか、ご本人からの証言をうかがったわけである。
ジェリーくんは海兵隊予備役のミーティングのあと家に帰ってきた。
たぶんすごく「マッチョ」な雰囲気のミーティングだったのだろうと思う。
ジェリー・ゴフィンはハイウェイ軍曹(クリント・イーストウッド)が新兵訓練係の担当だったら、かなりきびしく訓練しなければものになりそうもないタイプの青年である(写真をみればわかる)。
だから、けっこう「ぐったり」して帰宅したのだと思う。
そして新妻キャロルの優しい声で癒されたいな・・・と思っていたら、妻はテープに曲を残して、麻雀(!)に行ってしまったのである。
哀号。
そして、ひとり台所のテーブルの上で(たぶんそうだと思う)、テープに録音されたメロディの上に、彼が今キャロルのその口から自分に向けて言って欲しい言葉を選んで、歌詞をかりかりと紙に書いた。
たぶんそうだと思う。
Tonight you’re mine completely
You give your love so sweetly
Tonight the light of love is in your eyes
この冒頭の三行は「事実認知」的な歌詞ではない。
ジェリーくんの「今夜」についての予祝の歌なのである。
そこにキャロルが帰ってきた。
でも、二人はベッドに行く前にする仕事があった。
We both wrote the bridge
「僕たちはいっしょにブリッジを書いた。」
「bridge」というのはこの曲の歌詞ではたぶん次の部分のことだと思う。
Tonight with words unspoken
You say that I’m the only one
But will my heart be broken
When the night meets the morning sun
この歌詞を書いているころにたぶん夜はしらじらと明け初めていた。
もうそろそろ二人のうちどちらか、あるいは二人ともが勤めに出かけなければならない時間である。
この歌詞をメロディに乗せているとき、ジェリー・ゴフィンは21歳、キャロル・キングは18歳である。
ブルックリンの貧しく若い夫婦が狭いアパートの台所で(台所にこだわってごめんね)、自分たちが今、これからあと数十年、もしかすると百年を超えて歌い継がれるかもしれない世界的名曲を作り出しているのだという予感に震えている。
その高揚感はいかほどのものであるであろうか。
二人は見つめ合いながら、自分たちは自分の天才を開花させるもう一人の天才を今目の前にしているという奇跡に驚嘆した。
でも、現実にはジェリーくんは研究所の下働きで、キャロルくんは秘書である。
もうすぐ出勤の時間である。
But will my heart be broken
When the night meets the morning sun
「でも、夜が明ける頃には、私のこのわくわくした気分は消え去ってしまうんでしょうね」
でも、まだ夜明けまではもう少し時間がある。
それまではこの夢の続きを見させてほしい。
明け方の淡い光が差し込むブルックリンの安アパートの台所でこの曲を書き終えて、見つめ合っている二人の姿を想像すると、どうしてこの曲が歴史的名曲になったのか、その理由がわかるような気がする。

2008.04.20

Spin off たち

兵庫県西部にお住まいで合気道をしようかな~と思っている人へのお知らせ。 

神戸女学院大学合気道部の先々代主将で、多田塾甲南合気会の永山春菜二段が高砂で四月から道場を開きました。
高砂近くにお住まい、ご通勤の方で「四月になったから、合気道なんか始めてみようかな~」と思っている方々にご案内します。
永山くんは歴代主将の中でも屈指の「がんばりやさん」。そのたゆまぬ精進には頭が下がります。
今度も大学を卒業して、バイトしながら、合気道の専門家として立つべくがんばっています。
みんな応援してくださいね。
道場はこちら
http://www.geocities.jp/aikidotakasago/

これで私の道場からのスピンオフは三つ目。

最初は内古閑佳奈ちゃんの合気道芦屋道場。
ここはもう創立して7年になります。子どものための合気道道場です。
芦屋周辺にお住まいで、子どもに合気道習わせたいな~と思っている人はこちらへどうぞ。
http://aikidoashiya.at.infoseek.co.jp/index2.htm

もう一つはウッキーの芦屋合気会(名前が似てるけど、佳奈ちゃんのとは別の道場です)。
こちらは大人のための道場。
http://space.geocities.jp/ashiya_aikikai2006

このあとも私としてはお弟子さんたちに続々と「のれん分け」をして、全国チェーン展開をする予定でおります。
あ、それから、このスピンオフ道場に入門した方たちは多田塾甲南合気会のお稽古にも参加することができます。甲南合気会の稽古は土曜日です。
とりあえずこの三道場をどうぞごひいきに。


4月20日の十大事件

本日の十大事件。
(1) 朝ご飯お代わりしちゃった事件。合気道合宿帰宅後ひさしぶりに計量したら78.3キロというテラ・インコグニタを記録して以来、減量に心がけている私であるが、76キロと77キロの間を行き来するばかりで、76キロの壁の前で苦しんでいる。ようやく昨日、合気道稽古後に75.6キロを達成したが、調子に乗って晩ご飯に「カレーうどん、豚肉大盛り」を作成し、ビールとともに飲食したのが災いしてか、今朝の計量では77キロに逆戻り。がっくりして気の張りが抜け、朝ご飯にご飯、味噌汁(わかめ、油揚げ)、納豆、生卵、キュウリの漬け物、塩鮭でご飯を二膳食べてしまったら、お腹がいっぱいになり、そのまま寝てしまった・・・
(2) 『現代霊性論』幻のゲラ事件。本願寺のフジモトさんにせかされているまま放置されていた『現代霊性論』のゲラ直しに昨日よりとりかかる。釈先生との漫才授業の講義録であるが、その中に「名前は呪である」という話が出てくる。そういえば、フジモトさんに二度目にお会いしたとき、名前が覚えられなくて、「マミ」ってどういう字でしたっけと訊いたら「真善美の善を抜いたやつです」と教わり、それ以来「思っていることを包み隠さず言う邪悪な美女」という固定観念が私に呪のように取り憑いているので、そのことを書こうと思ったが、別に満天下の読者に告知するほどのことでもないし、そもそもフジモトさんの名誉にもかかわることであるので、自粛することを決定したが、その経緯をこんなふうに暴露したのでは、本に書いたのと変わらないではないか。
(3) 『ビーチボーイズ』ファルセット事件。斉藤先生とのおしゃべり授業のネタで「ファルセット・ヴォイスで女の子はキャーと声を上げる」という「ファルセット・ヴォイス=フェロモン論」を取り上げることにした。そのネタのビーチ・ボーイズのライブ盤収録のThe Little Old Lady From Pasadenaを聴く。むかし聴いたときにはコーラスの声が裏返る瞬間に客席の女の子たちが「きゃ~」と絶叫するという印象があったのだが、全編「きゃ~」ばかりである。困った。
(4) 『タカハシさんの生活と意見』事件。高橋源一郎さんの『タカハシさんの生活と意見』を「本歌取り」の教材に使うことんしたので再読する。『タカハシさんの生活と意見』という作物の結構は、直接には伊藤整の『伊藤整氏の生活と意見』というエッセイのタイトルを踏まえているが、その伊藤整のエッセイは『得能五郎の生活と意見』という伊藤整自身が書いた小説のタイトルのセルフパロディであり、ネタもとは伊藤自身の愛読書であった『トリストラム・シャンディの生活と意見』であるというマトリョーシカ人形構造になっているのである。私はこの四冊のうち三冊を読んでいる。そういう人はたぶんこの世にそれほど多くないであろう。
(5) 『歌占』が終わっちゃった事件。大倉流祖先祭とて湊川神社まででかける。『菊慈童』の能が出るのと、大倉源次郎家元の一調を聴くつもりでいったが、能と舞囃子が終わって、ちょっとトイレに行って走って戻ってきたら、家元の『歌占』が終わっていた。哀号。
以下、
(6) 『リアル』事件
(7) 『ブロンコ・ビリー』事件
などがこれまでにあった。まだ今日は5時間残っているので、あと3つくらい事件が起こるものと思われる。無事で一日が終わって欲しいのだが。

2008.04.21

中国が「好き」か「嫌い」かというような話はもう止めませんか

朝刊を広げたら、週刊現代の新聞広告を目に入った。
特集は「中国、『好き』か『嫌い』か」。
なんと。
外交は好き嫌いでやるものではない。
小学生ではないのだから、「好き嫌い」で外交戦略を決するような愚かしいことは止めて欲しいものである。
どのような人がこのような特集に寄稿しているのか一瞥すると、「中華思想の骨法がわかれば中国は御しやすい」などという愚なるタイトルを掲げた文を草しているものがいる。
誰だ、このバカはと思ってみると、私の名前が書いてある。
う?
そんなもの私は書いたのか?
たしか十日ほどまえに「中国との付き合い方」というタイトルで寄稿を依頼された覚えがある。
週刊現代だったかもしれない。
その中に私は「好き嫌いで外交方針を起案するような愚かなことはいい加減やめたらどうか」ということを書いた。
外交戦略は先方がどのような国家像をもち、どのようなコスモロジーのうちにおのれを位置づけているかを理解するところから始まる。
どのように傍目から理不尽に見えるようなふるまいであれ、たいていの場合、先方の政府や国民にとっては「主観的には合理的な根拠」がある。それを「おまえのしていることは私にはよくわからん」といくら大声で言ってみても始まらない。
どうして、「そのようなこと」が先方にとっては「主観的に合理的であり、かつ正義にかなっている」ように思えるのか、その判断の構造を理解しなければ、生産的な対話は始まらない。
私はたしかに中華思想の理解が喫緊の課題であることを寄稿には書いた。
「中国人を動かす工夫」の必要であること、その必要性を理解している方がきわめて少ないことを私は書いたが、どこにも「御しやすい」などということは書いていない。
「御しにくい」から「御し方を研究したらいかがか」ということを書いたのである。
13億の中国人が机上の空論ひとつ聴いただけで「御せる」ものなら誰も苦労はしない。
このタイトルはゲラの段階で見たはずなのだが、そのときは「週刊誌的」なアオリだからしかたがないか・・・と思っていたのであるが、改めて新聞広告で見ると、中身を誤解させるように作為的につけられたタイトルのようないやな気がした。
というわけなので、寄稿した文章をそのままここに採録することにする。
書いていることは『街場の中国論』の焼き直しで、なんの曲もないものだが、とりあえず「中華思想の骨法がわかれば中国は御しやすい」というようなことはどこにも書いていないことを明らかにしておきたいのである。

中国とどう付き合うか。これは日本にとってほとんど二千年来の変わらぬ宿題である。元寇のときと、日清戦争から太平洋戦争までの二回を除き、日中はおおむね良好な関係を取り結んできた。それは私たちの国の先賢たちが「中華思想」というものの様態を理解していたからであると私は思っている。
中華思想というのは一種のコスモロジーである。中央に中華皇帝がおり、その周辺に「王土」が拡がり、中華の光が及ぶ範囲は「王化」されているが、中央から遠ざかると光が薄まり、「化外の民」が跋扈する「蛮地」になる。蛮地は蛮人たちの自治に委ねる。彼らが朝貢するならば、地方の王(漢委奴国王とか親魏倭王とか)の官位を与え、さまざまな下賜品を与えて帰す。だから、中華思想はナショナリズムではない。このことを覚えておこう。中華思想には「国境線」という概念がない。周縁には王土なのか化外の地なのかよくわからない「グレーゾーン」が拡がっている。
近代における日中の確執は「主権の及ぶ範囲の確定を曖昧なままにしておきたい中国」と「主権の及ぶ範囲の確定を求める日本」というスキームで推移した。台湾出兵、琉球処分、日清戦争はいずれも中国と日本が出会う周辺エリアの主権と帰属をめぐる闘争である。日清戦争のときに北京で対中外交の任にあった森有礼は「清国政府は一面に於て、朝鮮は内治外交とも其自主に任す故に朝鮮に起りたる事件に付ては直接に其責任を執らずと云ひながら、他の一面に於ては朝鮮は尚ほ中国の属邦にして決して一個独立の王国と認むる能はずといふが如き前後矛盾の属邦論を主張」したことに非を鳴らしているが、この「前後矛盾」のロジックこそが中華思想の骨法であることを森だって知らなかったはずはない。
同時期に外務卿であった陸奥宗光も「日清両国が朝鮮に於ける関係は従来殆ど氷炭相容れざる主義に基き居たるものあり」と書いている。戦争は地政学的権益の争奪ではなく、国家観の問題なのであるということを陸奥は理解していたのである。
近代における日本と中国の確執は、本質的にはこの「曖昧なる宗属の関係」を分明にせんとする日本と、何があっても分明にしたくない中国の間のコスモロジーの違いから派生している、というのが私の意見である。この違いを勘定に入れないと、どうして中国人は「一国二政府」というような香港の統治形態を「気持ちが悪い」と感じないのか、どうして台湾が独立したら武力侵攻するぞと言いながら、台湾から資金と人間が流入することを「気持ちが悪い」と感じないのか、どうして日中の海底ガス田の帰属について、「決着を棚上げするというソリューションもあり」と言い出すことを「気持ちが悪い」と感じないのかが理解できない。
中国人は、私たち日本人にとってはたいへん気分が悪い「宗属関係の曖昧さ」がまるで気持ち悪くないのである。周辺に広くグレーゾーンが拡がっていることを常態とし、その帰属をはっきりさせようとするすべての企てに反対するのが中華思想の本義なのである。
今、中国政府の政策を批判している方々のロジックは煎じつめると「中国人は日本人と同じ考え方をしない。けしからん」ということを繰り返し言っているにすぎない。だが、そんなことを言っても何も始まらないと私は思う。私からのご提案は、「私たちとは違う中国人の考え方を研究し、そこから引き出された法則を利用して、中国人を操作する工夫したらいかがか」ということである。どうして、そういうことを誰もメディアでアナウンスしないのか、その理由が私にはよくわからない。

2008.04.23

ダライ・ラマ畏るべし

五輪の聖火リレーが火種になって各地でトラブルが起きている。
日本ではリレーの出発地に予定されていた善光寺が聖火リレーへの協力を断念した。
中国国内でも事件が起きた。
フランスで聖火リレーが妨害されたことに対する報復として、今度は中国各地でフランス系のスーパー、カルフールが「反仏デモ」に襲われている。
カルフールとウォルマートは(日本進出には成功しなかったが)、中国ではブリリアントな成功を収めた。
出店数第一位のカルフールは100店舗を展開しているので、中国人にとっていちばん「身近なフランス」である。
そこが標的になった。
自国主催のオリンピック大会への批判に、それに対する反対運動があった国(と関係があるもの)に対する攻撃を以て反撃する、というのはどう考えても無理筋である。
仮に中国で行われるのが「毛沢東生誕100年祭」とか、そういうドメスティックな趣旨のものであるならば、そういうナショナルな催しに対する批判にナショナルな暴力を以て報いるという選択は論理的には筋が通っている(愚かなことに変わりはないが)。
しかし、オリンピックは(実情はどうあれ、建前としては)「万民共生」を言祝ぐ祭典である。
「国境の隔たりを越えてアスリートたちが出会う」イベントを実現させるために「ナショナルな単位の間の共生不能」を言い立てるような政治的行動をとることはイベントの趣旨を否定することになるのではないか。
それは「世界の人々は愛し合いましょう」というイベントをやるために、「ここでイベントやるのに、お前ら邪魔だから出て行け」と言って、そこにいた人を殴りつけるのと同じように没論理的なふるまいである。
中国政府がこのような国民感情を「それなりに自然なもの」とみて、宥和的な態度を示しているのは、中国政府がオリンピックを「ナショナルな威信の発揚」の機会として捉えているからである。
しかし、国際社会における「威信」というのは大きな競技場を建てたり、高速道路を通したりすることによって担保されるものではない。
そこが開催するオリンピックの成功を「万人が願う」ような国際社会内部的なポジションにあることを「威信」と言うのである。
形式的にはオリンピックは実施され、運営上のトラブルも致命的なものは回避されるかも知れない。
けれども、このオリンピックの成功を心から願っていたせいで、このイベントをいつまでも記憶し、いつまでも語り継ぐような人々を中国以外に見出すことはきわめて困難であろう。
たしかに中国の軍事力や市場としての魅力のせいで、世界各国は中国に「強いことが言えない」立場にいる(日本もそうである)。
それを中国は「インターナショナルな威信」と取り違えた。
だが、実際にはそれは「威信」と呼べるようなものではない。
国際社会における「威信」は軍事力や経済力ではなく、文化的なもののクオリティの高さ、倫理的な筋目の通し方によって基礎づけられる。
今回の事件がここまで大きくなった背景にあるのはダライ・ラマ14世の「筋目の通し方」がみごとだったことである。
ダライ・ラマ14世は中国の周辺地域の政治指導者としてはきわめて例外的な人物である。
それは彼が中国とタフな政治的ネゴシエーションを演じたことによってではなく、「倫理的に正しい言葉」だけを選択的に語ってきたことによって確立したポジションである。
中国には55民族、1億4000万人の少数民族がいる。その55民族の政治指導者たちの中に、中国政府の指導者たちに匹敵するだけの国際的知名度を誇るものが何人いるだろうか。
私はダライ・ラマ14世の名しか知らない。
おおかたの日本人は私と同様であろう。
チベットにおける中国政府の軍事支配と漢族の経済・文化的支配の実情を私たちはよく知っている。
ニュースで繰り返し報道されているし、Seven years in Tibet のようなハリウッド映画で「学習」したからである。
少数民族の中でも小規模の人口270万人のチベットの弾圧については私たちには例外的に潤沢な情報が提供されているのに対して、例えば、チベットと似た境遇にある新彊ウイグル自治区(こちらは人口1900万人、中国の国土面積の17%を占めている「大国」である)における強権支配についてはほとんど何も知らされていない。
なぜか。
別にメディアが怠慢であるからだとは思わない。
おそらくは新彊ウイグルにはダライ・ラマ14世に相当するだけの「国際的知名度」をもった政治家がいないからである。
それは他の中国国内少数民族にとっても同じである。
どこの少数民族集団にも、すぐれた政治指導者はいるのだろう。けれども、私たちにはその人たちについてほとんど何のニュースも提供されていない。
私たちがその名と事績を熟知し、そのメッセージを繰り返し耳にする機会のある中国少数民族指導者はダライ・ラマ14世ひとりである。
ダライ・ラマ14世は、毛沢東、周恩来以来すべての中国指導者と五分で渡り合い、いまだに中国の「対抗者」のポジションにいる世界でただ一人の政治家である。
スターリンもフルシチョフもケネディもニクソンもネルーも蒋介石もスカルノもみんな死んだ。リー・クアン・ユーもマハティールも李登輝も現役を引退している。
その中にあって、ダライ・ラマ14世だけがただ一人現役の「中国のカウンターパート」として、つねに世界のメディアの注目を集めている。
繰り返すが、これはきわめて例外的なことである。
私たちはなんとなくダライ・ラマ14世というのを穏和で平和主義的な宗教家だと思っているけれど、この人は現存する政治家の中で「最長不倒距離」を誇るスーパーマンなのである。
その「恐ろしさ」をおそらく毛沢東や周恩来は早い時期に気づいた(59年にインドに逃げられたときに)。
それはずっと中国の政治指導者たちに申し送られてきた。
「ダライ・ラマには絶対気を許すなよ」
そして、申し送りが始まってから半世紀たって、オリンピック気分にまぎれて「ダライ・ラマには絶対気を許すなよ」という申し送りの緊急性が忘れられた頃に、ダライ・ラマはきっちりと「おとしまえ」をつけた。
私はそう思っている。
中国が国際社会で威信を失墜し、「チベット」ということばが連日世界中のメディアで繰り返し言及され、世界中の「人権派」たち「チベット支援」を熱く語るこの出来事こそ、ダライ・ラマ14世が待望していたものである。
ダライ・ラマ14世の主張はシンプルで、かつリーズナブなものである。
チベット亡命政府はチベットの完全独立を求めているわけではない。外交と国防は中国政府に委ね、それ以外の、宗教、文化、経済面におけるチベット人の「高度な自治」を求めている。
チベットは「中華人民共和国の枠内での高度な自治」を平和的に実現することを要求している。
というのがダライ・ラマ14世の提案である。
これ以外のソリューションはないだろうと私は思う。
でも、中国政府はこれを呑むことができずにいる。
これ以外にはないソリューションをどうして呑めないかというと、「中国政府が言わねばならぬこと」を先にダライ・ラマ14世に言われてしまったからである。
中国政府だって、「落としどころ」はこのあたりしかないことはわかっている。
でも、それを先にダライ・ラマに言われてしまったので、それに同意すると、「まるで中国政府がダライ・ラマの言いなりになったように見える」。
それが業腹なのである。
それともう一つ、チベットを「高度な自治」にできない理由として、チベットに入り込んだ漢人資本の「既得権益」を守るという、きわめて世俗的な理由がある。
「金の話」である。
ところが、これを中国政府は国際社会に向けてはおおっぴらには口に出せない。
「主権の問題では譲歩できるが、金の問題では譲歩できない」というような恥ずかしいことは口が裂けても言えない。
だから、困っているのである。
そして、このような窮状に追い詰められたのは、もとはといえばダライ・ラマ14世の方が「一枚役者が上」だったということなのだが、それを認めるのが厭なので、こわばってしまっているのである。
オリンピックがある程度の面目を保って行われるためには、中国政府は少なくともダライ・ラマ14世との「対話」に入ることだけは国際社会に向けて約束せざるを得ないだろう。
もちろん、それしかソリューションがないことは中国政府にだってわかっている。
だから、今水面下ではどこかの大国が仲介に入って、中国政府の顔が丸つぶれにならないようなタイミングをはかっている。
私はそう予測しているけれど、はたしてどうなるんでしょう。

日本語って変かも

大学院のゼミ、今季は「日本辺境論」である。
日本の地政学的辺境性あるいは文明論的辺境性という補助線を引くことによって、日本の「ありよう」を再解釈しようという野心的な企てである。
第一回目の発表はイハラさんの「外来語」。
これはなかなかすぐれた着眼点である。
というのは、日本語は外来語に対して、世界の諸国語の中でも例外的に開放的な言語だからである。
原日本語(大野晋先生によれば、もとはタミル語だそうであるが)に漢字が入り込み、さらに近代になってヨーロッパの言語が入り込んできた。
私たちの使う言語には、それらが混在している。
どうして、漢字カタカナひらがなalphabetが並存するような言語が成り立ちうるのか。
こういうことは、あまりに当たり前なので、ふだんは私たちはあまり考えない。
それについて考えてみる。
このタイプの混淆言語は巨大な文明圏の周辺部分に生まれる。
朝鮮半島もインドシナ半島も日本列島も、それぞれのオリジナルな言語に漢字をまぜて書く言語を作りだした。
けれども、韓国は漢字を棄ててハングル表記に一元化しつつある。ベトナムも漢字やベトナム文字を棄てて、アルファベット表記にシフトした。東南アジアの他の国々も漢字とオリジナルな文字を棄てて、アルファベット表記へ移行するのが大勢である。
その趨勢の中にあって日本は漢字とオリジナル文字の並存を選択している例外的な国である。
どうしてこういうことが起きるのか。
それはわが国のリテラシーの「異常な」高さと関係がある。
私たちは日常的には非識字者というものにほとんど出会うことがない。
だが非識字というのはヨーロッパでもアメリカでも重大な社会問題なのである。
非識字者の存在がプロットの鍵になるような物語(ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』やロバート・B・パーカーの『プレイメイツ』など)に類するものを私は日本の小説のうちに知らない。
数年前に『フィガロ』が非識字率を主題にした特集を組んでいたことがある。
そこには、フランスの12歳児の35%が「速読できない」という統計結果が示されていた。
「速読できない」というのは単語を拾って文章を読み上げることはできるのだが、読み終えたあとに「今読んだところに何が書いてあったのか」と質問されても答えられないということである。
フランスの初等教育カリキュラムに別に構造的な難点があるわけではない。
しかし、つねに一定のパーセンテージで非識字者が発生する。
一方、日本の初等教育については、その欠点をなじる人はいくらもいるが、にもかかわらず日本人には非識字者がほとんどいない「功績」については、言及する人が少ない。
なぜ日本人は識字率が世界でもっとも高いのか。
私は長いことその理由がわからなかったが、先般、養老先生にその理由を教えていただいた。
それは、日本人が文字を読むとき脳内の二カ所を同時に使っているからである。
漢字は表意文字であるので、図像として認識される。ひらがなカタカナは表音文字であるので、音声として認識される。
図像を認識する脳内部位と、音声を認識する脳内部位は「別の場所」である。
だから、アルファベット言語圏では、脳の器質障害の結果の失読症では患者は端的に文字が読めなくなるが、日本人の失読症患者の場合、障害を生じた箇所によって、「漢字は読めないが、かなは読める」「かなは読めないが、漢字は読める」という二つの病態に分岐するのである。
文字を読むときに単一の部位を使うのと、二つの部位を使って並列処理するのでは、作業能率が違う(たぶん)。
だから、日本でマンガが生まれた、というのが養老先生の仮説である。
マンガは図像と(「ふきだし」が示す)音声の二つの言語記号が同じコマ内に存在する。
この二種類の記号を並列処理する能力がないとマンガを「すらすら」読むという芸当はできない。
むろんマンガを「すらすら」と描くこともできない。
「ふきだし」の中にも漢字はあるじゃないかというご意見もおありだろう。
では、お近くにあるマンガ本を手にとってよく見て欲しい。
少年マンガであれば、例外なく「ふきだし」の中の漢字にはルビが振ってある。
「ふきだし」の中の文字は原理的には「音声」として処理されているからである。
だから、子どもたちはあれほどのスピードでマンガを読むことができるのである。
ところが。
ある種の少女マンガでは「ふきだし」の中の漢字にルビが振られていないことがある(岡崎京子とか岡野玲子とか)。
するとどうなるか。
読むのが遅くなるのである(当たり前だね)。
画像記号の処理を、「絵」についてと、「ふきだし」の中の「漢字」について、レベルを替えて二度行わないといけないからである。
このわずかな作業量の増加ゆえに、読者は一コマを通常のマンガの場合よりも長時間熟視することを求められる。
それがマンガの細部への「読み込み」を可能にする。
余白や描線を味わったり、台詞の「裏の意味」を読むことができるのは、このようにして確保された「わずかなタイムラグ」のおかげなのである。
少女マンガを読むのに少年マンガを読むより「時間がかかる」ことが多く、またしばしば「パーソナルな読後感」(他の読者はおそらく読み落とした記号を私は読んだ・・・という感覚)をもたらすのは、そのせいである。
そういうわけで、日本以外の国においていわゆる「マンガ」が発祥し、発達するということはなかったのである。
現在、欧米の若者たちの間には「マンガ・リーダー」たちが生まれいる。
興味深いのは、これら非日本人の「マンガ・リーダー」たちがほぼ全員「アニメ」から入ったということ(そしてしばしばアニメファンにとどまっていること)である。
アニメの場合には、音声は声優の声で伝達されるので、「表音文字を音声として認識する」という作業は必要がない。
だからアニメを見ている限り、日本人との脳機能の差は前景化しないのである。
差が歴然と現れるのはアニメを見るときではなく、マンガを読むときである。
これを誰か科学的な実験を通じて証明してくれないであろうか。
閑話休題。
というわけなので、日本人は外来語を「括弧でくくる」ということをカタカナ表記で行うのである。
それはまず漢字とひらかなからなる文字列に登場した「異物」として、「これは外来語ですよ(だから、あなたには意味よくわかんないかもしれないです)」という図像上のタグをつけられる。
だから、「新聞を読んでいて、カタカナが出てくると、そこだけ飛ばす」というリテラシー運用が可能になる。
一方、カタカナ・リテラシーのある人は、カタカナを見た瞬間に、これを「ひらがな」とは「別種の」表音記号として読むモードに切り替える。
そして、それを読むときに、「ひらがなを読むときには決してしない脳内活動」(音声表記から原綴を類推する)を行うのである。
さまざまな出自の語がまじりあっている文章を読みなれているせいで、日本人には他国の国語話者がおそらくほとんどなさらない種類の「造語」を行うことができる。
すなわち漢語と外来語、あるいは外来語と外来語の「合成」による新語の創造である。
その多くは旧制高校において「隠語」として作成された。
「ゲルピン」は「ゲルト(Gelt=ドイツ語「金」)とピンチ(pinch=英語「窮状」)」の合成語で「金がない」という意味。
「バックシャン」は「バック」(back=英語で「背中」)と「シェーン」(schoen=ドイツ語「美しい」)の合成語で「背中から見ると美人」
「ゼミコン」は「ゼミナール」(Seminar =ドイツ語「演習」)と「コンパ」(company =英語「交際」)の合成語。
この旧制高校的造語はその後、「学生運動用語」として60年代まで作られ続けたが、この時期のものは「日本語プラス外来語」のものが多い。
これに新左翼運動にひそむ本態的なナショナリズムを検知することも仮説的には可能かも知れない。
「内ゲバ」は「左翼内」と「ゲバルト」(Gewalt=ドイツ語「暴力」)の合成語。
「ボス交」は「ボス」(boss=英語「首領」)と「交渉」の合成語。
「ブル転」は「ブルジョワ」(bourgeois =フランス語「市民」)と「転向」の合成語。
50-60年代の造語が学生運動を主たる培養基としたのは、この運動そのものが「学生寮」を基盤にしていたことに関係があるのかもしれない。
その後、私たちの語彙に登録されたものとしては「ドタキャン」(土壇場、cancel),「脱サラ」(脱出、salaried man),「蟹コロ」(蟹、croquette)、合コン(合同、company)など無数にあるが、すべてが「日本語プラス外来語」であり、旧制高校スラングのような「外来語プラス外来語」の造語は60年代以降のネオロジスムの中に見出だすことは困難である(見つけた人はご教示ください)。
旧制高校生は当時の日本社会におけるエリートであり、彼らがその知的卓越性の記号として「二種類の外来語を組み合わせて隠語を作る」能力を誇示しようとした、というのはありそうなことである。
そして、またそのような造語能力が実は日本人に固有のものであることを、それゆえ、このような隠語を作り出すことを通じて「日本語の例外的な可塑性」を示すことができることを、高校生たちも無意識のうちに感知していたのではないか。
というような話から、日本語クレオール説というトンデモ話に話頭は転じるのであるが、これはもうあまりに学問的に無根拠なダボラなので、ブログとはいえ採録することがかなわぬのである。

2008.04.25

伯母の葬儀

伯母が84歳で亡くなったので、岡山県赤磐市町苅田の伯母宅まで葬儀に行く。
新神戸で横浜から新幹線で来た兄と合流、いっしょに岡山まで。
伯母は母の姉である。
母も叔母も東京在住であるが、もう高齢であるので、今回は私たち兄弟だけが参列する。
葬儀はキリスト教式で行われた。
伯母はだいぶ以前から従姉の導きで近くの教会の方々と親交を深めていたそうである。
知らなかった。
キリスト教式の葬儀は簡潔である。
讃美歌、証し、祈祷、讃美歌、献花、讃美歌。
40分ほどで終わる。
意外なほど多くの会葬者が参列した。
伯母は親族のひいき目で言うのではないが、まことに温厚で、勤勉で、そして聡明な人であったので、地域の人々に深く愛されていたのである。
午後から用事がある兄が先に帰り、私は残って、従兄弟たち岡山の親族との久闊を叙すことにする。
るんちゃんところころ転げて遊んでいた女の子たちがもう立派な大人になっている。
びっくり。
まあ、こちらももうじき還暦、隠居の年齢である。
子どものころに法事で見かけた親戚の「ぎゃはは」と笑い声だけでかい、赤ら顔のおっさんのようなものに自分自身なっているのである。
従兄のつぐちゃんに御影まで送ってもらう。
車中で、つぐちゃんと長女のあかりちゃんの「デンタル親子」から歯科医療事情についてさまざまなインサイダー情報を伺う。
帰ってから、母親に電話で報告。
「あら、あんた行ってくれたの?」と意外そうな声を出している。
そりゃ、行きますよ。だって岡山ですよ。新幹線で40分じゃないですか。
「冠婚葬祭はできるかぎりフルエントリー」というのは私が父から教えられたたいせつな人類学的ルールである。

2008.04.27

心霊的読書

連休が近づいているので、なんとなく気分がうきうきする。
恒例の美山町以外には、別にどこにでかけるというわけでもないが、家の掃除をしたり、ふとんを干したり、夏物冬物整理をしたり、「主夫」的労働に時間を割くことができるのがありがたい。
午前中のやわらかい光を浴びて、モーツァルトを聴きながら、家事労働をしているときが私にとって至福の時間なのであるが、ひさしくそういう愉悦が与えられていない。
ゲラの山は2つ片付いたけれど、まだ残りが3つ。
とりあえず『現代霊性論』から始める。
読み出すと、いろいろ霊の問題に興味がわいてきて、調べ物を始めてしまう。
鎌田東二さんの『呪殺・魔境論』を読む。
呪いと魔境というのは霊性論でも取り上げるトピックであるが、この問題に科学的にアプローチするのはなかなかむずかしい。
鎌田さんは滝行をしているときに二度「幽体離脱=脱魂」を経験したことがあるそうである。
等々力不動における脱魂経験について、鎌田さんはこう書いている。
「ある夜、滝場で、岩と水から発せられる凄まじいエネルギーの圧力に襲われ、その衝撃で吹き飛ばされそうになった。その直後、滝場を出ると、奇妙なことに意識の座が自己の内にではなく、外にあった。しかもきわめて具体的で、右頭上50センチばかりの中空にあるのが自覚できた。しかし、心身はとんでもなく不安定で、落ち着かず、自分が調子の悪い機械仕掛けのロボットのように思えるのである。自分を自分で遠隔操縦しているという感じで、大変不快で、ギクシャクしてすべての動作がおぼつかない。そのうち、このまま意識の座が中空にあり続けたら気が変になってしまうとか、何者かに乗っ取られるのではないかという不安がこみ上げてくる。」(『呪殺・魔境論』、集英社、2004年、177-8頁)
さいわい短い眠りの後に、意識はちゃんと自己の内側に戻ったそうである。
その鎌田東二さんからは先日お手紙をいただいた。
京大でやっている研究会に連携研究員として参加して欲しいという要請である。もちろん、よろこんで入れてもらいますとご返事をした。
私自身は幽体離脱とかクンダリニー覚醒とか空中浮遊とか、そういうスペクタキュラーな経験はないけれど、そういうことを「経験した」と言う人については、その人が信じられる人であれば信じることにしている。
コンテンツではなくて、語る人間のクオリティを基準にしていればこういうトピックでも困ることはない。
以前に、多田先生とヨガの成瀬雅春さんの対談があった。
フロアから成瀬さんの空中浮揚について質問があり、そのときに成瀬さんは「あれは浮くのは簡単なんだけれど、降りるのがむずかしい」と答えて、大受けしていた。
終わった後に、多田先生と五反田駅に向かって歩きながら、「成瀬さん、ほんとに空中浮揚するんですかね」とお訊ねしたら、先生は笑って「成瀬さん本人がそう言うんだから、浮くんだろう」と答えられた。
私はこの骨法を師から学んだのである。
続いてコナン・ドイルの『心霊学』を読む。
サー・アーサー・コナン・ドイルは人も知るスピリチュアリズムの研究者で、シャーロック・ホームズで稼いだ印税を「スピリチュアリズムの伝道」に投じた人である。
私はホームズの推理術というのは、実は「霊能力」によるものではないかと考えている(京極夏彦の発明にかかる名探偵榎木津礼二郎と同じ)。
ホームズのモデルになったのはコナン・ドイルのエディンバラ大学医学部時代の恩師であるジョーゼフ・ベルという人で、この先生は患者が診察室のドアをあけて入ってきたのを一瞥しただけで、出身地や職業や来院の目的である疾病をずばりと言い当てたそうである。
ホームズが初対面のクライアントに「アフガニスタンで負傷されましたね」というようなことを言って驚かすのと同じである。
ホームズの場合はそのあとに「種明かし」をするが、あれも適当に言いつくろっているだけで、実は、「わかる人にはわかる」のである。
村上春樹も軽いトランス状態に入ると、初対面の人の職業や家族構成くらいならわかると、どこかのエッセイに書いていた(だから、その程度のことを「霊能力」とか大仰に言うのはディセントではないと続く)。
実際に彼の書く物語の中には、「一見しただけでは職業がわからない人」のエピソードが何度か出てくる(「綱渡り芸人」とか、ありましたね)。
これは村上春樹自身にとって「あれ、この人、何やっている人だかわからないぞ・・・」という診断停止がわりと例外的な経験であって、だからそれが印象に残っていると考えたい。
「一見しただけでは、職業がわからない人」が村上春樹にとっては「フックする」事象なのであるくらいに、「一見したらわかる」という事実の方に私は興味がある。
こういう能力のある人は、自然に「探偵物語」に心惹かれるはずである。
だから、村上春樹も実はおそるべき炯眼の私立探偵を主人公にした長編推理小説をいつか書くんじゃないかと私は思っている(読みたいですね)。
というふうに観念奔逸してしまうので、ゲラの仕事はぜんぜん進まないのである。

2008.04.29

橋下府政三ヶ月の総括

朝日新聞の取材。
お題は「橋下徹府政三ヶ月目の総括」。
隣県のこととて、あまり興味がなく、テレビでポピュラリティを獲得したという当の人物についてもテレビを見ない人間としてはよく知るはずもない。
新聞記事だけから断片的に知れるのは、この人が着任以来「金の話しかしない」ということである。
「政治というのは金の分配のことである」というのがこの人の信念らしい。
その点では、「金で買えないものはない」とうそぶいた堀江貴文や「金儲けは悪いことですか?」と獅子吼した村上世彰と同系列の人物と見てよろしいであろう。
「金の全能性」への信仰が血肉と化しているという点で「魂の兄弟たち」である。
だから、メディアや府下の市町村が「金の分配の仕方」について批判したり、異議を唱えたりしている限り、「政治とは金の分配のことである」という橋下イデオロギーはますます強固なものになる。
橋下府政三ヶ月は「政治的難問とは金がないことであり、金さえあれば世の中のほとんどすべては解決する」という強固な確信のうちにその反対者たちをも含めて巻き込んだ。
その点では、序盤戦は橋下知事側の「大勝利」と評価してよろしいであろう。
彼が府知事に選ばれたのも、「ぶっちゃけた話、『金がない』というのが大阪のかかえる唯一の本質的な問題なわけでしょ」というシンプルなストーリーに有権者たちが飛びついたからである。
その点では「構造改革」や「郵政民営化」の小泉イズムと似ていないこともない(スケールははるかに小さいが)。
今のところ、府政にかかわるすべての議論はあたかもそれが真の問題であるかのように「リソースの分配」をめぐって熱く展開している。
けれども、これは「あたかもそれが真の政治問題である」かのように仮象しているだけで、真の政治問題ではない。
真の政治問題とは「リソースを優先的に配分する使途を、明確なヴィジョンに基づいて明らかにし、承認を得ること」だからである。
ビジネスの場合であれば、話は簡単である。
「リソースを優先的に配分する使途」とは「採算がとれる部門」のことであり、分配がカットされるのは「採算不芳部門」だからである。
ところが行政はビジネスではない。だから、「採算の上がる部門」というものは存在しない。
久しくリソース分配の優先順位は、「次の選挙で票が集まりそうな事業」に予算をつけようと争う政治家たちの実力差によって決された。
そして、このルールでやっているうちに底抜けの財政破綻に至ったわけであるから、このルールはもう使えない。
理屈から言えば、府民全体の承認を得た「あるべき自治体像」から逆算して、予算を優先配分するところと、削減するところが決められる、というのがことの筋目であるが、橋下知事には残念ながら、そのような明確な自治体像がない。
だから、このリソースの分配についての争いは、最終的には「すべての部門の配分を同じ比率で減らす」という「痛み分け」に帰着するはずである。
つまり、すべての行政サービスを同じ比率で劣化させる、ということである。
たしかにそれで財政赤字は多少とも目減りするだろう。
けれども、「それによって利益を得る府民が一人もいない、痛みをともなった構造改革」は、不満顔の府民たちと、窓口でその府民に文句をつけられて「僕に言われても困りますよ。文句があったら、知事に言ってください」と仏頂面をする府職員たちを大量に生み出す結果になる。
もちろん知事はその責任を取ることを拒否する。
彼は「このような結果になったのは、府内外の『抵抗勢力』が私のやりたいことを妨害したせいである」と顔を赤くして言い訳するだろう。
「私こそが最大の被害者なんです」と。
不満だけが残り、その責めを負うものがどこにもいないという「いつもの風景」がここでもまた繰り返されることになる。
橋下知事が忘れているのは、集団のパフォーマンスというのは、「どうやって支出を減らすかというような」退嬰的な目的によっては決して高まることがないという平明なる人間的事実である。
給料を減らされることでアチーブメントを高める人間は存在しない。
集団のパフォーマンスを高めるのは「オーバーアチーブする人」の存在だけである。
与えられた仕事の範囲を超えて責任を取り、創意工夫を行うことを喜びとするメンバーをどうやって府政内部に組織的に生み出すのか、それを自治体の首長であればまず考慮しなければならない。
オーバーアチーブメントを支えるのは「士気」であり、これは数値的に表示されない。
そして、「金の全能性」イデオロギーの信奉者の最大の弱点は、数値的に表示されないものを「ゼロ査定」してしまうということにある。
知事はおそらく「人気」と「士気」を取り違えているのだろうと思う。
「人気」は「この人は私たちのために何かをしてくれるだろう」という期待の関数である。
「士気」というのは「この人のために私たちは何をしてあげられるだろう」という意欲の関数である。
知事は今のところ人気は高いようだが、府職員の士気高揚のためにはほとんど何の努力もしていないように見える。
いずれ彼が「私たちのためには何もしてくれない」ことが有権者たちに実感されたときに、橋下知事はいまの人気を維持することはむずかしいだろう。
その他、朝日新聞のインタビューに対して府知事の今後について私はある予言を行ったのであるが、予言には遂行性があり、予言したことはしなかったことよりも実現する可能性が高いことを顧慮し、何を予言したかについては非公開とすることにした(11時半から3時間ほどの間ブログを読んだ人は心の中にしまっておいてくださいね)。

2008.04.30

休日なのでいろいろなことをする

お休みなのでひさしぶりに居合の稽古をする。
合気道の稽古の一環として、剣の術理についてともに考究しようではないかという趣旨の研究会である。
大会に出るとか、段位をとるとか、そういう現実的な目的抜きで、ただ淡々と操剣の理法について仮説を立て、実験をし、反証事例を吟味し、仮説を書き換える・・・という自然科学的なことをしているのである。
最初は数名ではじめた研究会であるが、いつのまにか人が増えて、今回は15人ほどが集まる。
80畳の道場ではあるが、体術と違って当たると怪我する刀を振り回すわけであるから、これくらいが人数の上限である。
初心者が数名いたので、また刀礼から。
稽古をしているうちに、またいろいろと「気づき」がある。
人間の仕事は剣に初期条件を与えることと停止させることだけである。
あとは剣が自分で最適動線を選んで進む。
人間はその動きの邪魔をしてはならない。
理屈は簡単だが、実際にやるのはむずかしい。
剣を意図的に操作しようとすると、剣勢が殺がれる。
剣を「置きに行く」というのがそれである。
身体を安定させておいて、剣だけを操作するとコントロールは効くが力のない剣になる。
むりに力を加えると、腕や肩の筋肉が痛くなるだけで、斬りの「冴え」は出ない。
では、人間の賢しらで剣を操ることを諦めて、「剣任せ」にすればよいかというと、そうでもない。
剣の操作を諦めると、剣は勢いよく飛んでゆくが、どこに行くかわからない(道場でやれば誰かに刺さる)。
あちらを立てればこちらが立たず。
韓非子に言う「矛盾」的事況となる。
現実的には、「ナカをとって」、初期条件を与えて、剣が動き出したらできるだけ関与せず、止めるときに「いきなり」止める、という技術を稽古することになる。
喩えて言うなら、アクセルを踏み込んで最高速になったところでがつんとブレーキをくれるような感じである。
自動車の場合であれば、セーフティベルトをしていないドライバーはフロントグラスを突き破って前方に飛び出す。
この「フロントグラスを突き破って前方に飛び出すもの」がいうところの「剣勢」である。
剣は止まるが、剣勢は止まらない。
剣だけ止めて、剣勢を止めないのが操剣の要諦である。
とりあえず仮説的には「そういうこと」にする。
剣を止めるときに腕の力で止めようとすれば、たちまち肘が破壊される。
それくらいのエネルギーを刃筋の通った剣は蔵している。
これを止めないといけない。
さて、どうするか。
剣を止めるには「爆発」させればよい、というのが私の仮説である。
「爆発」ということばから私たちは秩序のあるものが瓦解して、無秩序が到成する事態を想像するが、実際にはその逆であって、「爆発」というのは、「不安定な状態にある物質が、一気に安定を回復すること」なのである。
つまり、剣が運動しているときの不安定性を可能な限り高め、それが一気に安定状態になるときに生じる「爆発」のエネルギーをもって空を走る剣のエネルギーを制御するのである。
できるできないは別として、理屈としては筋が通っている。
というわけで、失礼ながら門人諸君の身体を使って、その仮説を実験してみる。
揺らぎと安定のセットを繰り返してもらう。
初期動作の設定をしたあとはできるだけ体を不安定な状態にして、いきなり安定させる。
はじめて剣を握った四人が驚いたことに1時間後には刃筋の通った斬りをし始めた。
「斬り手」と「止め手」という操作の意味がだいぶわかってきた。
どうやら、この仮説は「当たり」だったようである。
家に戻ってから『大人のロック』という雑誌から頼まれた「ペットサウンズ」についてのエッセイを書く。
「ペットサウンズ」の特集をするらしい。
先日、ジム・フジーリ(村上春樹訳)の『ペットサウンズ』の書評を書いたのが編集者の目にとまって、注文が来たのである。
村上春樹が『意味がなければスイングがない』にすばらしいブライアン・ウィルソン論を書いているので、私もちょっと書きたくなった。
「僕はビーチ・ボーイズを最初に聴いた日のことを覚えていない」という書き出しの一行を思いついたら、あとはすらすらと1200字書けた。
仕事が終わったので、三宮に買い物に出かける。
『先生はえらい』が重版したので、そのお祝いである(これで累計43000部)。
大丸へ行ってコルネリアーニの夏のスーツとポロシャツとワイシャツを買う。
昇りのエスカレーターで下りのエスカレーターに乗った元・美人聴講生のエダくんとすれ違う。
「せんせ~」「おお、元気か~」と生き別れ。
続いて東急ハンズに行き、マニフレックスのベッドとマットレスを買う。
買い物モードに入ってしまったので、座椅子(麻雀用)と電動のコーヒーミルを衝動買いする。
門でとんかつ定食を食べて、ビールを飲む。
美味なり。
家に帰ってワイン片手にアルモドバルのTalk to her を見る。
この間学生に「先生、これ見ました?」と訊かれて、「いや、まだ見てないの」と答えた映画であるが、見始めてしばらくしたら一度見た映画であることを思い出した。
でも、どういう結末だったかまったく覚えていない(泥酔状態で見たため)ので、最後までどきどきしながら見る。
得をしたような気もするし、損をしたような気もするし、よくわからない。


キャリアを考える

「キャリアを考える」というタイトルのリレー式の講義の順番がまわってきた。
一回90分。80人ほどの学生さんたちを相手に「キャリア教育」のために一席弁じる。
「キャリア教育」というプログラムの問題点についてはこれまでに何度か書いてきた。
就活の学生たちがもっとも苦しんでいるのは「適性・適職」というイデオロギーである。
このイデオロギーはRクルートをはじめとする就職情報産業によって組織的に流布されている。
就職情報産業は営利事業であるから、そこが主力商品であるところの「就職情報」に対するニーズを大量に、かつ継続的に求める「クライアント」を確保することに腐心するのは当たり前のことである。
学生諸君はまさにその「クライアント」である。
就職情報産業にとって「理想的なクライアント」とは、きわめて早い時期から(できれば入学と同時に)就活マインドに火が点き、以後在学中眼を血走らせて就職情報を渉猟し、内定が出ても、「より適性にあった職場」を求めて就活を継続し、就職した後も、「これは適職ではない」と判断すれば、ただちに離職して、次なる転職先を探すようなタイプの人間、すなわち「就職情報ジャンキー」である。
だから、Rクルート以下の就職情報産業から学生に伝達される就活アドバイスは「ジャンキー系学生」を組織的に作り出すように起案されている。
むろん、ビジネス的にはそれでよいのである。
私はそれが悪いなどという無法なことは申し上げるつもりはない。
Rクルートさんだってリアルかつクールにビジネスをされているのである。どんどんおやりになればよろしい。
しかし、教育の現場にいる人間としては、おめおめと学生たちが「就職情報ジャンキー」になるのを見過ごすことはできない。
教師としてはかかる事態を全力を挙げて防がなければならない。
それゆえ、「キャリアを考える」では、「適性・適職イデオロギーに惑わされてはならない」ということをまず申し上げる。
自分の本性であるとか、自分の能力であるとかいうものは自己評価するものではなく、「まわりが決めてくれること」なのであるから、それに任せておけばよろしい。
繰り返し申し上げているように、キャリア・パスのドアのこちら側には「ノブ」が付いていない。
ドアは向こう側からしか開かないのである。
ドアの前にぼおっと立って開くのを待っていると、ドアの向こうから「マジックワードは?」と訊いて来る。
そう訊かれたら、「知りません。教えてください」と言えばよろしい。そうすればドアは開く。
「いつまでも、今のままの自分でいたい。今のままの自分でいることに誇りがある。今のままの自分が大好き」という人の前では「次のステップ」に進むドアは永遠に開かない。
「仕事をする」というのは「私のもっているどんな知識を求め、私の蔵しているどんな能力を必要としているのかがわからない他者」とコラボレーションすることである。
相手構わず、「私はこれこれのことを知っています。これこれのことができます」というリストを読み上げても意味はない。
「私はあなたのために何ができるのですか?」
そうまっすぐに問いかける人だけが他者とのコラボレーションに入ることができる。
「他者からの要請があるより先に、あらかじめその価値が知られている知識や技術」は存在しない。
それは「子どもを持ったことのない人間に備わっている親の愛」とか「弟子をもったことのない人の教育力」とか「素寒貧の資金運用能力」とかいうのと変わらない。あるのかもしれないけれど、あるかどうかは「やってみないとわからない」。
私が何ものであるのかは私が何をなしとげたのかに基づいて知られる。
なしとげる以前に「私」は何ものであるかまだわからない。
だから、「仕事をするより先に、まず自分の適性を知り、適職を探せ」というのはことの順逆が転倒していると申し上げているのである。
とはいえ、いまだ知られざるおのれの適性・適職を「予知する」方法がないわけではない(ここまでの話とぜんぜん背馳するが、私の話はだいたいそうなのである)。
それをこれからご教示しよう。
学生たちはたいへん熱心にノートを取っていた。
お知りになりたい人もブログ読者におられるかもしれないが、それはまたの機会にということで。

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