AERAのお仕事で、京都へ。
国際マンガミュージアムで館長の養老孟司先生とおしゃべりをする。
国際マンガミュージアムに来るのははじめてである。
烏丸御池の町中の小学校の跡地を改装したところと伺っていたので、「そういう感じ」の建物かと思っていたら、レトロ趣味ではあるけれど、これはまたずいぶん立派なものであった。
たくさんの人々が笑顔でマンガに読み耽っている。
入館料さえ払えば、あとは閉館時間まで「マンガ立ち読み」し放題なわけであるから、私が小学生くらいのときにこのような空間に投じられたら、歓喜のあまり失禁したことであろう。
館長室(たぶん小学校時代の校長室)で養老先生とおしゃべり。
日本とコスタリカとブータンの観光立国比較論から始まって、「オサマ・ビン・ラディンはCIAの替え玉説」(論拠は『プラネット・テラー』)など、養老先生と暴走トーク。
当日は精華大学芸術学部マンガ学科の新入生のオリエンテーションをミュージアムでやっていたので、新入生にご挨拶ということで養老先生がいったん中座して戻られたあと、芸術学部長がお礼のご挨拶に館長室においでになる。
精華大学芸術学部マンガ学科といえば・・・
そう、竹宮恵子である。
『風と木の詩』の『私を月まで連れてって』の『地球へ』の、あの竹宮恵子である。
私はなま竹宮恵子と会って名刺交換してしまったのである。
これが竹宮先生の名刺。個人情報保護のため一部非公開となっております
竹宮さんは名刺交換した相手の某女子大教師を名乗る身体(と態度)のでかい男が「わお・・・」とうめいていたことの意味をよくは解しておられぬようであった(私の年齢の男性で青年期に竹宮恵子を耽読したというものはきわめて少ないのである)。
マンガミュージアム館長は、定年退職後に私が「やってみたいな」と思っている唯一の公職であるので、養老先生に「跡目継がせてください」とお願いしている。
仕事は月に一度出勤して一日中マンガを読んでいればよいのだそうである(ほんとかしら)。
そのことを橋本麻里さんにしゃべったのが活字になって、それをちゃんとミュージアムの事務局の方が読んでいて、「ミュージアムの方の企画にもどうぞよろしくご協力ください」とお願いされる。
おやすいご用である。
百万遍の割烹で晩ご飯を食べながらさらに暴走トークは続き、気がつけば養老先生と5時間半しゃべり続けであった。
養老先生とおしゃべりしていると、頭の中を涼風が吹き抜けるように爽快になる。激されると「ふざけちゃいけねえってんだよ」的巻き舌になるのがまことにチャーミングである。
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(2008-04-02 11:18)