映画について書き出すと止まらない

2008-04-01 mardi

昨日のクイズの答えがコメント欄に寄せられたが、私のPCでは読み出せなかったので、採点できません。ごめんね。
正解は

『柳男』The Wicker Man
『ワルモノ暗殺者』Rogue Assassin
『荒ぶる魂』Wild At Heart
『ラスヴェガスを離れて』Leaving Las Vegas
『戦争王』Lord of war
『国宝』National Treasure
『幽霊バイク便』Ghost Rider
『蜘蛛男』Spider Man(「緑の小鬼」はウィレム・デフォーがやった悪役 Green Goblin)
『辰年』Year of the Dragon
『荒野の用心棒』Per qualche dollaro in più
『生き残り』Last Man Standing

でした。
『ラストマン・スタンディング』はウォルター・ヒル監督、ブルース・ウィリスが三船敏郎、クリストファー・ウォーケンが仲代達也で『用心棒』をリメイクしたという(織田裕二主演で『椿三十郎』をリメイクするよりはだいぶ)野心的な企画であったにもかかわらず大コケした歴史的バカ映画(どうしてバカであるかについては公開当時私が分析しているので、それを参照されよ)。
黒澤明の『用心棒』のオリジナルはダシェル・ハメットの名作『血の収穫』Red Harvest。それをセルジオ・レオーネがクリント・イーストウッド主演でマカロニ・ウェスタンの名作に改作。それがまたハリウッドに戻って改作されたのが『ラストマン』。(セルジオ・レオーネをレルジオ・レオーネと表記しておりましたところ、鈴木晶先生から誤記のご指摘をいただきました。謹んで訂正いたします。キーボードを叩く指がフライングしちゃうんですよ)
黒澤は名作を映画に改作する名人であり、ドストエフスキー(『白痴』)、シェークスピア(『蜘蛛巣城』、『乱』)、ゴーリキイ(『どん底』)、エド・マクベイン(『天国と地獄』)、芥川龍之介(『羅生門』)など、傑作をいくつも仕上げているが、なぜか『用心棒』の原作にはダシェル・ハメットの名前を挙げていない。
黒澤は「このアイディアは自分のオリジナルである」というようなことを強弁する人とは思えないから、著作権の関係でクレジットできなかったのだろう。
そのせいか黒澤のアイディアもまた開放性があり、繰り返し改作されている。
もちろん、いちばん有名なのは『七人の侍』をリメイクした『荒野の七人』(The Magnificent Seven)(『七人の侍』は今年リメイクされるそうであるが・・・まさか織田裕二主演じゃないでしょうね?)。
黒澤にいちばんインスパイアされたフィルムメイカーはジョージ・ルーカス。『スター・ウォーズ』には『隠し砦の三悪人』の千秋実と藤原釜足がC-3POとR2-D2に、『姿三四郎』の「さいづち和尚」(高堂国典)が「ヨーダ」に変形されるなど、全編に黒澤映画へのオマージュが仕掛けてある。
ことほどさように映画というのは多起源的なものである。
ロラン・バルトのいうところの「テクスト」性を現代においてもっとも理想的に体現しているのはこの種の映画だろうと私は思う。
というのも、「テクスト」を読解可能なものにするのはそれを今読みつつある読者/観客だからである。
バルトはこう書いている。

「テクストはさまざまな文化的出自をもつ多様なエクリチュールによって構成されている。そのエクリチュールたちは対話を交わし、模倣し合い、いがみ合う。しかしこの多様性が収斂する場がある。その場とは、これまで信じられてきたように、作者ではない。読者である。読者こそは、あるエクリチュールを形づくるすべての引用が、一つとして失われることなしに、書き込まれる空間そのものなのである。テクストの統一性はその起源のうちにはなく、その宛先のうちにあるのだ。」(「作者の死」)
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