休日なのでいろいろなことをする

2008-04-30 mercredi

お休みなのでひさしぶりに居合の稽古をする。
合気道の稽古の一環として、剣の術理についてともに考究しようではないかという趣旨の研究会である。
大会に出るとか、段位をとるとか、そういう現実的な目的抜きで、ただ淡々と操剣の理法について仮説を立て、実験をし、反証事例を吟味し、仮説を書き換える・・・という自然科学的なことをしているのである。
最初は数名ではじめた研究会であるが、いつのまにか人が増えて、今回は15人ほどが集まる。
80畳の道場ではあるが、体術と違って当たると怪我する刀を振り回すわけであるから、これくらいが人数の上限である。
初心者が数名いたので、また刀礼から。
稽古をしているうちに、またいろいろと「気づき」がある。
人間の仕事は剣に初期条件を与えることと停止させることだけである。
あとは剣が自分で最適動線を選んで進む。
人間はその動きの邪魔をしてはならない。
理屈は簡単だが、実際にやるのはむずかしい。
剣を意図的に操作しようとすると、剣勢が殺がれる。
剣を「置きに行く」というのがそれである。
身体を安定させておいて、剣だけを操作するとコントロールは効くが力のない剣になる。
むりに力を加えると、腕や肩の筋肉が痛くなるだけで、斬りの「冴え」は出ない。
では、人間の賢しらで剣を操ることを諦めて、「剣任せ」にすればよいかというと、そうでもない。
剣の操作を諦めると、剣は勢いよく飛んでゆくが、どこに行くかわからない(道場でやれば誰かに刺さる)。
あちらを立てればこちらが立たず。
韓非子に言う「矛盾」的事況となる。
現実的には、「ナカをとって」、初期条件を与えて、剣が動き出したらできるだけ関与せず、止めるときに「いきなり」止める、という技術を稽古することになる。
喩えて言うなら、アクセルを踏み込んで最高速になったところでがつんとブレーキをくれるような感じである。
自動車の場合であれば、セーフティベルトをしていないドライバーはフロントグラスを突き破って前方に飛び出す。
この「フロントグラスを突き破って前方に飛び出すもの」がいうところの「剣勢」である。
剣は止まるが、剣勢は止まらない。
剣だけ止めて、剣勢を止めないのが操剣の要諦である。
とりあえず仮説的には「そういうこと」にする。
剣を止めるときに腕の力で止めようとすれば、たちまち肘が破壊される。
それくらいのエネルギーを刃筋の通った剣は蔵している。
これを止めないといけない。
さて、どうするか。
剣を止めるには「爆発」させればよい、というのが私の仮説である。
「爆発」ということばから私たちは秩序のあるものが瓦解して、無秩序が到成する事態を想像するが、実際にはその逆であって、「爆発」というのは、「不安定な状態にある物質が、一気に安定を回復すること」なのである。
つまり、剣が運動しているときの不安定性を可能な限り高め、それが一気に安定状態になるときに生じる「爆発」のエネルギーをもって空を走る剣のエネルギーを制御するのである。
できるできないは別として、理屈としては筋が通っている。
というわけで、失礼ながら門人諸君の身体を使って、その仮説を実験してみる。
揺らぎと安定のセットを繰り返してもらう。
初期動作の設定をしたあとはできるだけ体を不安定な状態にして、いきなり安定させる。
はじめて剣を握った四人が驚いたことに1時間後には刃筋の通った斬りをし始めた。
「斬り手」と「止め手」という操作の意味がだいぶわかってきた。
どうやら、この仮説は「当たり」だったようである。

家に戻ってから『大人のロック』という雑誌から頼まれた「ペットサウンズ」についてのエッセイを書く。
「ペットサウンズ」の特集をするらしい。
先日、ジム・フジーリ(村上春樹訳)の『ペットサウンズ』の書評を書いたのが編集者の目にとまって、注文が来たのである。
村上春樹が『意味がなければスイングがない』にすばらしいブライアン・ウィルソン論を書いているので、私もちょっと書きたくなった。
「僕はビーチ・ボーイズを最初に聴いた日のことを覚えていない」という書き出しの一行を思いついたら、あとはすらすらと1200字書けた。

仕事が終わったので、三宮に買い物に出かける。
『先生はえらい』が重版したので、そのお祝いである(これで累計43000部)。
大丸へ行ってコルネリアーニの夏のスーツとポロシャツとワイシャツを買う。
昇りのエスカレーターで下りのエスカレーターに乗った元・美人聴講生のエダくんとすれ違う。
「せんせ〜」「おお、元気か〜」と生き別れ。
続いて東急ハンズに行き、マニフレックスのベッドとマットレスを買う。
買い物モードに入ってしまったので、座椅子(麻雀用)と電動のコーヒーミルを衝動買いする。
門でとんかつ定食を食べて、ビールを飲む。
美味なり。
家に帰ってワイン片手にアルモドバルの Talk to her を見る。
この間学生に「先生、これ見ました?」と訊かれて、「いや、まだ見てないの」と答えた映画であるが、見始めてしばらくしたら一度見た映画であることを思い出した。
でも、どういう結末だったかまったく覚えていない(泥酔状態で見たため)ので、最後までどきどきしながら見る。
得をしたような気もするし、損をしたような気もするし、よくわからない。
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