1970年4月駒場

2008-04-08 mardi

大学の新学期が始まった。
入学式でマタイによる福音書を拝読する。
教務部長の任期もあと1年。式でこの仕事をするのもあと一回限りである。
なんでも私は「カウントダウン」するのが好きである。
どんな面倒な仕事でも、「これができるのもあと何回」と数えてみると、なんとなくそのディテールが愛おしくなってくるのである。
昨日は新入生オリエンテーション。
総合文化学科の 200 人ほどの学生の前で簡単に自己紹介をして、それから 9 名の新入生とお手伝いに来てくれたゼミの4回生2人でいっしょにランチを食べる。
膝つき合わせて、志望理由や大学での計画についてあれこれとおしゃべりする。
しゃべっているうちに不意に 40 年前の大学入学の日のことを思い出した。
1970 年だからもちろん入学式なんかない。
クラスごとにオリエンテーションがあっただけである。
時計台のある建物の一階のきたない、窓ガラスの割れた教室に集められて、担任の先生(というものがあったのである。そのとき一回会ったきりだったけれど。本間長世さんという物静かな学究であった)からご入学おめでとうという簡単な挨拶をもらってから、上級生(68 年入学で留年して同じクラスになった方々。カジイくんとかセキヤくんとかコンドウくんとかマーボーとかトサ坊とか)の全共闘のみなさんから「バトルフィールドにようこそ」的なご挨拶をいただいた。
そのあと、たしか一人ずつ教壇に立って自己紹介をした。
久保山くんが眼を細めてクラスを睨め付けたのを覚えている。
「なめんなよ」というメッセージのようであった。
ハマダくんは、薄笑いを浮かべて登壇し、早口に何か言ってから急にまじめな表情になった。それからまた薄笑いを浮かべた。
どうも彼の脳内では外部よりも速く時間が流れているようであった。
ぼくが「日比谷中退の内田です」と自己紹介して、席の間を歩いて戻る途中で、痩せた背の高い男がにやにや笑って「お前が日比谷の内田か。噂は聞いてるぜ」と囁いた。
痩せた男伊藤くんとはそのあと友だちになったが、何の噂なんだったのか聞きそびれた。
黙って黒板に「筑波大学附属駒場高校」と書いた少年のことを覚えている。
一瞬、何のことだかよく意味がわからなかった。そんな学校はこの世にまだ存在していなかったからである。それが「キョーコマ」の諸君の怒りの表現であることにややあって気づいた。
おもしろい子だなと思って、そのあと話しかけて、友だちになった。高橋くんという人で、のちに美術史学者になった。
今もウオッカ・トニックを飲む度に高橋くんのことを思い出す。トニック・ウォーターというものをはじめて飲んだときに彼と一緒だったからである。
東北大学工学部を辞めて文IIIに来たというがりがりに痩せた爆発するような長髪の男はただちに「トンペイ」というあだ名を得た。
すぐれた宗教学者だったが夭逝した。
愛知でうどん屋をやっていたが、弟妹の学資援助が終わったので、自分も受験勉強をして大学に入ったという年長の穏和な男がいた。のちに東大の教授になった。
黒光りするような肌の少年がいて、「スミダガワ高校から来ました」と名乗った。隅田川で泳ぐとあんな色になるのかしらと思った。
そのナメカタくんは今もときどき神戸に来る。そのときは一緒にご飯を食べる。
40 年間なんてあっという間である。
「不整合世界の住人」トンペイくんと熱血と侠気の人久保山裕司くんはもうずいぶん前に鬼籍に入った。
同級生たちもそろそろ定年の時期である。
その頃にもう一度会ってみたいような気がする。
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