シープヘッド・ベイの夜明け

2008-04-18 vendredi

Goffin & King のコンピレーションCDを買った。
ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングが1961年から67年までに共作したヒットソング(ヒットしなかったものもある)が収録されている。
ウチダ的なゴフィン=キング作品のベストは Take good care of my baby と Will you love me tomorrow だけれど、それは収録されていない(ちょっと残念)。
でも、ライナーに Will you love me tomorrow をつくったときのエピソードが書いてあった。
佳話なのでご紹介したい。

「ジェリーの話。そのころ僕は研究所の技術者として化学者の助手をしていた。キャロルは秘書として働いていた。彼女のところにドニーから電話があって、ザ・シレルズが曲を探していると言ってきた。僕は海兵隊予備役に編入されていて、その晩そのミーティングがあった。9時ごろ家に帰ってきたら、テープレコーダーに(僕たちはレノルコのテレコを一台持っていたのだ)メロディが吹き込んであって、ピアノの上にメモが置いてあった。『ドニーがこれを欲しがっています。シレルズ向きのメロディだと思います。歌詞書いてね。わたしはママと麻雀してきます。』そこで僕はオープンリールのテープを聴いた。そして、すてきなメロディだなと思った。歌詞はすぐ浮かんできた。キャロルが帰ってきてから、僕たちはいっしょにブリッジを書いた。僕たちはそのころ一台の車を共有していた。彼女が車を使うときは僕は地下鉄で通勤した。僕が車を使うときは彼女が地下鉄。僕たちはブルックリンのシープスヘッド・ベイに住んでいた。キャロルは翌日は仕事に行かなくてもよい日だったので、僕を仕事場まで乗せてから、ドニーのところに『明日も愛してくれる?』を持っていった。」

この曲をシレルズが歌って、1960年11月にビルボードのトップ100に入った。
それから二ヶ月後。

「キャロルとドニーが僕の働いている研究所に来た。キャロルが言った。『ジェリー、あなたもう働かなくてもいいのよ。ドニーがアドバンスを1万ドルくれたの!』レコードはビルボードの1位になっていた。おとぎ話みたいだった。」

去年の「音楽から始まる知の世界」で私は斉藤先生と次々とお気に入りのCDをかけながら音韻の美しさについて話していた。
そのときにある種の音韻がきれいに響くのは人によって違うという話をした。
例えば大瀧詠一師匠は鼻濁音の [ga] の音が美しい。
だから『幸せな結末』では「きかせどころ」でこの鼻濁音を響かせている。
キャロル・キングは [i] の音が美しい(これはわりと例外的なことである)。
だから、ジェリー・ゴフィンは Will you love me tomorrow を書いたときに、この若い妻の歌声のうちでもとりわけ彼が愛していた [i] 音を「きかせどころ」で無意識のうちに選択したのではないか、というのが私の仮説であった。
今日ライナーを読んで、ジェリー・ゴフィンがどんな気分でこの歌詞を書いたのか、ご本人からの証言をうかがったわけである。
ジェリーくんは海兵隊予備役のミーティングのあと家に帰ってきた。
たぶんすごく「マッチョ」な雰囲気のミーティングだったのだろうと思う。
ジェリー・ゴフィンはハイウェイ軍曹(クリント・イーストウッド)が新兵訓練係の担当だったら、かなりきびしく訓練しなければものになりそうもないタイプの青年である(写真をみればわかる)。
だから、けっこう「ぐったり」して帰宅したのだと思う。
そして新妻キャロルの優しい声で癒されたいな・・・と思っていたら、妻はテープに曲を残して、麻雀(!)に行ってしまったのである。
哀号。
そして、ひとり台所のテーブルの上で(たぶんそうだと思う)、テープに録音されたメロディの上に、彼が今キャロルのその口から自分に向けて言って欲しい言葉を選んで、歌詞をかりかりと紙に書いた。
たぶんそうだと思う。

Tonight you’re mine completely
You give your love so sweetly
Tonight the light of love is in your eyes

この冒頭の三行は「事実認知」的な歌詞ではない。
ジェリーくんの「今夜」についての予祝の歌なのである。
そこにキャロルが帰ってきた。
でも、二人はベッドに行く前にする仕事があった。

We both wrote the bridge

「僕たちはいっしょにブリッジを書いた。」
「bridge」というのはこの曲の歌詞ではたぶん次の部分のことだと思う。

Tonight with words unspoken
You say that I’m the only one
But will my heart be broken
When the night meets the morning sun

この歌詞を書いているころにたぶん夜はしらじらと明け初めていた。
もうそろそろ二人のうちどちらか、あるいは二人ともが勤めに出かけなければならない時間である。
この歌詞をメロディに乗せているとき、ジェリー・ゴフィンは21歳、キャロル・キングは18歳である。
ブルックリンの貧しく若い夫婦が狭いアパートの台所で(台所にこだわってごめんね)、自分たちが今、これからあと数十年、もしかすると百年を超えて歌い継がれるかもしれない世界的名曲を作り出しているのだという予感に震えている。
その高揚感はいかほどのものであるであろうか。
二人は見つめ合いながら、自分たちは自分の天才を開花させるもう一人の天才を今目の前にしているという奇跡に驚嘆した。
でも、現実にはジェリーくんは研究所の下働きで、キャロルくんは秘書である。
もうすぐ出勤の時間である。

But will my heart be broken
When the night meets the morning sun

「でも、夜が明ける頃には、私のこのわくわくした気分は消え去ってしまうんでしょうね」

でも、まだ夜明けまではもう少し時間がある。
それまではこの夢の続きを見させてほしい。
明け方の淡い光が差し込むブルックリンの安アパートの台所でこの曲を書き終えて、見つめ合っている二人の姿を想像すると、どうしてこの曲が歴史的名曲になったのか、その理由がわかるような気がする。
--------