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2008年02月 アーカイブ

2008.02.01

テレビ的成熟

青山さんが府知事選のあとの新聞の底意地の悪いコメントに怒っている。
http://yummyao.at.webry.info/
私も同感である。
済んでしまったことについて、後から「だから言ったじゃないか」みたいな訳知り顔をされても得るところはない。
そんな訳知り顔をする暇があったら、この「災厄」がもたらす被害を最小限に食い止めるにはどうすればよいのかを考えることに知的リソースを投じる方が生産的だろう。
外洋航海士であった池上六朗先生から伺ったことだが、船が座礁したときには、「だから言ったじゃないか」みたいなことを言ってせせら笑う人間に用はない(というか、そんなやつはその場ではり倒される)。
とにかく、この苦境から脱するためには「使えるものはすべて使う」という姿勢でなければならない。
猫の手も借りたいときに人間の手を使わない法はない。
こういう場合に必要なのが「ブリコラージュ」的な知性運用である。
『野生の思考』の冒頭でレヴィ=ストロースは「ブリコルール」についてこう書いていた。
「ブリコルール(bricoleur=使えるものは何でも使う屋)の道具的世界は閉じられている。彼のゲームのルールは何はともあれ『とりあえず手元にあるもの』でやりくりするということである。今手元にあるのは道具にせよ資材にせよとりとめのないものばかりである。今直面している目的のために集められたわけではないのだから仕方がない。というか、そもそもいかなる特定の目的のために集められたものでもない。ただ、目についたものをどんどん合切袋に放り込んでいたら、こんな収集物になったというだけのことである。だから、ブリコルールの持っている手段の総体を単一の目的によって定義することはできない。(・・・)これらの要素は『こんなものでもいつか役に立つかも知れない』(ça peut toujours servir)の原則に基づいて収集され、保存されてきたものなのである。」(Claude Lévi-Strauss, La Pensée sauvage, Plon, 1962,p.31)
私もまたレヴィ=ストロース老師の訓戒に従い、「こんなものでもいつか役に立つかも知れない」原則に基づいて目に付くものはどんどん合切袋に放り込むようにしている。
漢語には「これを奇貨として」という似た言葉もある。
どのような災厄のうちにも何らかのチャンスはある。
それを最大化するために努力することの方が、せせら笑いよりは建設的だろう。
私はこの選挙結果を日本国が「エンターテインメント国家」という方向に舵を切った重大な歴史的選択であると考えたいと思う。
この事件を「21世紀のグランドデザイン」についての議論のきっかけにできるならば、それは生産的なことだろう。
「なわけねーだろ」というご反論ももちろんおありであろうが、別に私がそう言ったからといって誰かが損することもないし、この仮説についてしばらくスペキュレーションを暴走させてみたいと思う。
先般私は「食堂国家ニッポンの成熟」について書いた。
これについてはどなたからも異論がなかったように思う。
その前には「温泉国家ニッポンの国際的評価の高さ」について書いた。
これもまたどなたからも反論がなかった(事実だから当然であるが)。
「演芸場国家ニッポン」については当惑された方が多かったようであるが、私はこの考想は現状を理解するために有効な補助線ではないかと思っている。
「演芸場国家」というと、ほとんどの方は「政界の芸能界化」というようなマンガ的風景を思い浮かべられるであろうが、私のイメージはそれとは違う。
日本の有権者たちは古典的なタイプの政治家たち(代議士秘書からのたたき上げとか、中央省庁からの天下りとか、松下政経塾出身でアメリカ留学経験者とか、政治学・経済学専門の大学教授とか、業界や労組の利益代表とか)よりもテレビタレントたちの方を政治家として適任であると考える傾向にあり、その傾向はどうも強まり続けているように見える。
彼らに指導力や政治的卓越性を求めているからであろうか。
たぶん違うだろう。
そうではなくて、日本の有権者たちはおそらく「有権者と統治者」の関係を「視聴者とテレビタレント」の関係を基準に再編しようとしているのである。
統治者と大衆の関係の「理想」として私たちが戦後63年の経験の結果、たどりついた結論は「視聴者=有権者/タレント=統治者」の関係だった、ということである。
私はここには掬すべき見識の一端があるように思われる。
というのは、「視聴者とタレントの関係」は、現在の平均的日本人が他者と取り結ぶ中では、あきらかにもっとも「練れた」関係の一つだからであ。
テレビを見ているときの観客たちはきわめて「醒めた」状態にいる。
一家四人が黙ってテレビの画面を見つめている。
母親がぽつりと呟く。
「片平なぎさも老けたわね」
誰も応えない。
これほど「クール」な状態でメディアに対峙している機会というのは他にないのではないか。
天気予報を見ているときの方がまだしも人々は「素」になって感情をあらわにする。
テレビの画面の中のタレントたちをみつめている視聴者たちの眼は冷たく、そして不思議な暖かさを伴っている。
歯に衣着せぬ批評性と慈母のような寛大さ。
視聴者としてテレビの芸を享受するときに、日本国民はほかのどの場面でよりも成熟した社会的人格を実現している。
私たちはそのことを半世紀近いテレビ・ウオッチングを経由して、経験的に学習したのである。

橋下徹知事のパフォーマンスについては、爆笑問題の太田光が、テレビでは話していることのコンテンツではなくメッセージの「熱い」差し出し方が注目されるという有用なアドバイスをしたことが繰り返し報道された。
この知見はジジェクの言う「ポスト・イデオロギー社会」を特徴づけている。
テレビの中の人々は「彼ら自身」を演じる。
それは彼らが「こうすれば受ける」という計算に基づいて構築した架空の人格である。
しかし、この架空の人格はたいていの場合、「真正なる人格」よりも「リアル」である。
むしろ、「実相」にリアリティがないほど「仮面」のリアリティが増すと申し上げてよろしいであろう。
パスカルはかつて「跪いて祈り、信じているように行動しなさい。そうすれば信仰は自然にやってくるだろう」と語った。
ジジェクは反対のことを言う。
「跪いて祈り、信じているように行動しなさい。そうすれば信仰を自然に追い払える」
私たちは自分の内面の信仰や愛情や確信を動員することなしに、それらにかかわる仕事をやり遂げることができる。
というより、内面的なものを動員しない方がたいていの場合、その仕事は手際よくこなせるのだ。
例えば、挨拶をするときに、「やあ、こんにちは」という言葉を相手の身に対する祝福の気持ちが内面に充実するまで保留していた場合、私たちは「なかなか挨拶をしない失礼な人間」だと思われるリスクを負うことになる。
ジジェクは内面的な確信の動員抜きで成し遂げることができる社会的行為の総体を「文化」と呼ぶ。
ニールス・ボーアの家の玄関の扉には蹄鉄が打ち付けてあった。家を訪れた人がこの高名な理論物理学者が蹄鉄が幸運を呼ぶというような迷信を信じていることに驚くと、ボーアはこう答えたそうである。
「私だって信じていません。それでも蹄鉄を打ち付けてあるのは、信じていなくても効力があると聞いたからです。」(ジジェク、『ラカンはこう読め!』、59頁)

何が言いたいのかというと、私たちは「内面的な政治的信念に忠実な政治家」よりもおそらく「おのれの政治的信念に誠実な政治家のふりをすることに長けた政治家」を優先的に選ぼうとしている、ということである。
テレビにおいてもてはやされるのは、興味深いことに内面と表層のあいだに架橋不能の「断絶」を含んだ人間である。
断絶にはいろいろなヴァリエーションがある。
「表面的にはフレンドリーだが、何を考えているのかわからない人間」、「表面的には毒舌だけれど、何となく暖かそうな人間」「言うことは偉そうだけれど、本性が俗悪そうな人間」「言うことは下品だが、内面に深い信仰や政治的信念を持っていそうな人間」などなど。
表層と内面のあいだに何らかの相克的な対立を抱えている人間をテレビは好む。
テレビはこのような表層と内面の齟齬を映し出す装置としてはどのメディアよりも卓越している。
かつての長野県知事もいまの宮崎県知事も大阪府知事も、「本心で何を考えているかわからないけれど、『受け』を求めることについては貪欲」という点で共通している。
メディアは後の方の特性について集中的に報じたが、私は有権者が支持したのはむしろ「本心で何を考えているかわからない」という点ではなかっただろうかと思う。
彼らはどう見ても崇高な政治的理念をもった人間のようには見えない。
けれどもそのような人間に見られたいということについては、きわめて貪欲である。
そのような心理的洞察に基づいて、有権者たちは「徳性も知性も高くないが、それを糊塗することには全力を賭けるタイプの候補者」を選択したのではないか。
「そういう人間のふるまい方についてなら、テレビを見て、よく知っている」と信じているからだ。
有権者たちは「自分にもそのふるまい方が予期できる政治家」を統治者として優先的に選択する。
現代の有権者がもっとも人物鑑定において客観的になれるのがテレビ媒体と向き合っているときであるとしたなら、テレビ露出度の高い人間を統治者に選ぶという判断は間違っていない。
彼らの見通しが正しかったのかどうかが明らかになるまで、私は大阪府民の選択に対してしばらく判断を留保したいと思っている。

2008.02.04

イベント続きの週末

カレンダーを見ると、2月前半は「死のロード」が続く(後半も「ロード」なのだが、バリ島とか湯本温泉とか、行き先は「安楽死」傾向のところ)。
昨日3日が下川正謡会の新年会。本日4日から6日まで甲野先生の集中講義。5日が岡山で講演。7日が東京都庁で講演。8日が終日会議。9日が合気道のあと、養老先生と対談。10日がENGINEの撮影と対談。11日が取材二件。12日が入試。13日が会議と税務相談。14日が修論審査。15日が会議。16日が合気道。17日が例会。18日が宴会。19日が会議。バリ島出発まで用事のない日が一日もない。
その間に締め切りが4本。単行本のゲラが3個。
自己責任で引き受けた仕事であるから、今さら誰を恨むわけにもゆかないのだが、それにしてもまあずいぶんタイトなスケジュールだこと。
学期中は「本務がありますから」ということで学外の講演などはさくさくとお断りしているのだが、休み中だと「休みたいから」という理由では断れない(断ってもいいのだが、そう言って断ると相手はたいへん不機嫌になる)。
池上先生に「日本で一番不幸なひと」と命名されたのはゆえなきことではない。
はやくバリ島で昼寝がしたい。
2日は三宅将喜くんの結婚式がリーガロイヤルである。
池上先生やモガミさんもおいでになるというので、物見遊山気分ででかける。結婚式によばれて、ただご飯を食べてお酒を飲んで帰ってくればよいというのは気楽なことである。
好事魔多し。
披露宴の前に、池上先生たちと懇談していたるとき、池上先生が私が飲み食いだけでスピーチが当たっていない楽勝体制であることを見咎め、ただちに三宅先生を呼び寄せ、「ウチダ先生にもスピーチをさせなさい」と厳命したのである。
三宅先生青ざめるが、師匠には逆らえず、披露宴のプログラムを急遽変更することになる。
「池上先生、今日の主賓ですよね?ご苦労さまなことです。僕は食べて飲むだけです。わはは、ははは」などとつい口走ったのが災いした。
私たちのテーブルは池上先生ご夫妻と吾朗さんに赤羽さんにモガミさん、K-1の武蔵さんとキックの森知行さんご兄弟とWBC世界チャンピオンの長谷川穂積さんという「たいへんに濃い」メンバーが集められた。

たいへんに濃いメンバー

前列左から森知行(キックボクシング日本チャンピオン)、武蔵(K−1ジャパン)、長谷川穂積(WBCバンタム級世界王者)。
後列は私、池上六朗先生、池上吾朗さん。

武蔵さんから、リングに上がるときには「別人格」が憑依するから「ああいうこと」ができるのであって、素では「あんなこと」できないですというたいへん興味深い話を伺う。
格闘家には自己分析に優れた人が多い。
自分の中にあるさまざまな種類の「弱さ」についてのクールでリアルな省察がないと、たぶん「ああいうこと」はできないのであろう。
お三方ともたいへんウイットに富んだスピーチをする。
新郎新婦はずいぶんお若いカップルであったが、友人知人たちから愛され、信頼されていることがひしひしと伝わってくる、たいへん気分のよい披露宴であった。
三宅先生泣き続け。
みなさんどうぞお幸せに。
披露宴のあと、地下のセラーバーで池上先生ご一行と二次会。
昼過ぎから飲み続けなので、頭がぼおっとしてくる。
途中で橋本麻里さんとBRUTUSのスズキさんが登場。
どうやらBRUTUSの仕事を引き受けてしまったらしい。
さいわい池上先生がその場にいらしたので、もう少し先に予定していた『考える人』の次回のゲストを池上先生にお願いする。
また信州に遊びにゆきますねと約束して池上先生、モガミさんとお別れする。
明けて三日は下川正謡会新年会。
私の出番は素謡『正尊』の義経、『弱法師』のワキ。舞囃子『菊慈童』。それから地謡が『大原御幸』、『櫻川』、『雲林院』、『百萬』、『吉野天人』、『葵上』などなど朝から晩まで終日謡い続け。
盤捗楽は必死に稽古した甲斐あって、ノーミスでクリア。
やれやれ。
ドクター佐藤が進境著しい。
もともと「お醤油顔」のドクターであるので着物がよく似合うし、紋付袴できりりと「開き」を決めたときの格好がたいへんにつきづきしい。
よれよれになって家に戻ってから、季節の行事なので、パジャマ姿になってから節分の豆まき。
「福は~うち、鬼は~そと」という古めかしい節回しで家の中にマメを撒き散らす。
明日のお掃除がたいへん。

2008.02.05

情報と情報化

前にラジオでおしゃべりしているときに養老孟司先生から「情報」と「情報化」というのはまるで違うことだと教えていただいたことがある。
情報化というのは「なまもの」をパッケージして、それを情報にする作業のことである。
例えば、獣を殺して、皮を剥いで、肉をスライスするまでの作業が「情報化」だとすると、トレーに載せられて値札を貼られて陳列されたものが「情報」である。
「情報」(トレーの上に並べられた肉)を他の「情報」(隣のトレー)と見比べているときに、(こちらが豚肉で100グラム200円、あっちは牛肉で100グラム400円・・・というような比較をしているとき)それが「情報化」されたプロセスのことを私たちは考えない。
情報の差異の検出に夢中になっているとき、私たちはそもそもそれらの情報がどうやって私たちの下に到達したのかという情報化プロセスのことをできるだけ考えないようにしている。
私たちの脳は同一の事象について、「水平面の差」と「階層的な差」を同時に認識することができないからである。
そして、情報と情報の差は「空間的に」表象され、情報と情報化の差は「時間的に」表象される。
とりあえず、「空間情報処理のために用いる知的エネルギー」と「時間情報化のために用いる知的エネルギー」はゼロサムの関係にある。
あちらが立てばこちらが立たず。
私たちの社会で起きているさまざまな問題はこの「情報と情報化の階層差」の見落としに起因しているように私には思われる。

例えば、過日、福岡のサイバー大学が在校生の30%に対して本人確認を行わないまま単位を与えようとしたことで文科省から注意を受けるということがあった。
これについてはすでに一度書いたがそのときには、どうして「本人確認」というような重大な事務上の手続きを懈怠したのか、その理由がよく理解できなかった。
そのことがしばらく「魚の小骨」のように喉にひっかかっていた。
人間が「何の理由もなく」仕事をさぼるということはない。
あらゆる怠業には主観的には合理的な理由がある。意識に前景化しないだけである。
サイバー大学が本人確認を怠った理由は、おそらくそれが実はサイバー大学の根幹に触れる禁忌だったからである。
サイバー大学というのは、インターネットで授業が受けられるというのが売り物である。
ある学生の名前とパスワードで送られてきたレポートがほんとうにその学生が書いたものであるかはレポートだけからはわからない。(本人を呼びつけて口頭試問してもたぶんわからない)。
私たちがふだんこともなく学業成績と学生本人を結びつけることができるのは、「人間を知っている」からである。
学期末に提出されたレポートを見て、「え?あの子、こんなレポート書けるの?」と思うことがある。
それは日頃の受講態度によって、その学生の語彙の限界や論理操作の不自由さを私が熟知しているからである。
彼女の語彙にない言葉が使ってあり、彼女には操作できないロジックで文章がつづられていた場合、高い確率でそれはWikipediaからコピペしたものであるので、ちゃかちゃかと検索をかけれれば瞬時に「ご用」となるのである。
だから、私たちのような「対面教育」をベースにしているところでは「本人確認」の必要性はほとんど感じられることがない。
サイバー大学の場合は対面教育というのは例外的な(できることなら存在させたくない)教育形態である。
だから、この大学の教務システムは、提出されたレポートを手際よく処理するために開発されたものであって、そのレポートなり答案なりを「本人が書いたものかどうか」をチェックするためのシステムにはおそらくそれほど設備投資しなかったのである。
これは「情報」を取り扱うことを本務とする人々が陥る典型的なピットフォールである。

「情報」を手際よく処理するシステムの開発に熱中する人は、その「情報」が「生の現実」からどうやって抽出されたのかという「情報化」プロセスには関心を寄せない。
情報化プロセスからはむしろ眼を逸らそうとする。
同じ「どんぶり」からエネルギーを取り出しているのだからそれが当然なのである。

その典型的な例が実は社保庁の年金記録である。
年金記録の「オリジナル」の手書き記録は、コンピュータに入力されたあと、廃棄されたり、倉庫に段ボール箱につっこまれたり、たいへん手荒に扱われていた。
そのあと手書き記録の突き合わせが今手作業で行われているようだが、この作業の手荒さも『週刊現代』がリアルに報じているのでご存じのかたも多いであろう。
この重要な作業はまるごとバイト任せで、本庁の役人はかかわっていない。
この「生もの」に対する軽視・蔑視(というよりはむしろ積極的な嫌悪)は「情報」を扱う人間の特徴である。
メディアは憤慨していたが、これはよく考えれば「当然」なのである。

コンピュータで記録を管理するというときに大事なのは、「情報化がすでに完遂している」ということであって、「情報化の作業をどれだけ丁寧にやっているか」ということには副次的な重要性しか認められない。
情報処理担当者からすれば、「すでに情報化されたもの」をどれくらい手際よく処理するかが腕の見せ所であり、情報が「オリジナル」を正確に表象しているかということなんか、はっきり言って「どうでもいい」のである。
住基コード化に対して私たちが何となく「うさんくさい」気がするのも同じ理由による。
それが便利であることはよくわかる。
だが、「コンピュータにはそう記録されています」「でも、それは現実とは違う」という押し問答が役所の窓口で多くの機会に予測されるがゆえに、私たちは生の現実をコード化するシステムに対して不信のまなざしを向けるのである。
情報と情報化の階層差について、行政はまことに鈍感だからである。
「前例がない」と「そういう決まりになっていますから」というのは小役人が「生もの」をつきつけられたときに使う代表的な遁辞である。これはいずれも「それはすでに情報化されています」と言い換えることができる。
小役人が「小」役人であるのは、彼らは「すでに情報化されたもの」だけしか取り扱うことが許されず、「生の現実が情報化されるプロセス」には参入することが許されないからである。
「国民総背番号制」制度を私たちが忌避するのは別にジョージ・オーウェル風の「ビッグブラザーがすべてを見ている」管理社会を恐れているからではない。
そうではなくて、この国民総背番号情報の中には山のようなバグが含まれていて、誤った情報によってでたらめな管理をされる迷惑に加えて、それに対する修正の申し立てにはたいへん不機嫌な対応をされることが確実だからである。

それは別にわが国の公務員がとくに怠慢であるからではなくて、情報と情報化の階層差の重大さに気がつかない人間はみな同じ穴に落ちるのである。
私たちの「高度情報社会」は「ありもの」情報の処理速度の向上には無限の投資を惜しまないが、「生もの」を情報化するプロセスの充実のための投資にはきわめて吝嗇である。
それは情報処理の理想が「無時間モデル」(入力と出力の時間差がゼロ)なのであるのに対して、情報化の理想が「無限」(入力から出力までの間に「永劫の時間」が流れること)だからである。
そして、資本主義社会は基本的に無時間モデル社会だからである。

情報化操作は「身体」が担当する。
というのは、情報化というのは時間的な表象形式を要求する作業なのであるが、人間システムの中で「時間部門」を担当しているのは身体だからである。
私たちは呼吸と鼓動を基軸にして「時間ベース」を作っている。
それに基づいてしか時間は表象されない。
時間をカウントするためには身体が要る。
時間という表象形式がないと情報化は行われない(情報化というのは「さっきここにあって今はもうない『あれ』は今ここにある『これ』に代理表象された」という考え方のことだからである。「さっき」と「今」の時間差を設定しない限り情報化は成立しない)。
つまり、「身体がないと情報化は行われない」ということである。
高度情報社会というのは、いかにして「身体抜き」でシステムを動かすかに焦点化した社会であるのだから、そこで情報化プロセスが不調になるのは論理的には自明のことだったのである。
年金問題が私たちにもたらした一番生産的な知見はそのことではないかと私には思われる。

2008.02.06

言語と身体

岡山県高等学校教育研究会図書館部会研究協議会という長い名前の集まりに呼ばれて「言語と身体」と題する講演をする。
オーディエンスは岡山県下の高校の先生方である。
岡山の高校からは多数の卒業生を本学にお送り頂いている関係もあり、いそいそと岡山まで出かける。
新神戸に車を置いて新幹線で30分ちょいで岡山である。
岡山は私の母方の祖父の郷里であり、今も伯母と従兄一家が住んでいる。ゼミの卒業生のマキちゃんもいるし、私にとっては懐かしい土地である。
高校の先生たちにはいろいろと申し上げたいことがある。
「申し上げたいことがある」と言っても、別に文句があるわけではなくて、そちらが18歳まで育ててくださった続きをこちらは引き受けて教育をさせて頂いているという「スクラムハーフからスタンドオフへ」というような関係である。
この間のパスの連携に「阿吽の呼吸」というものがなければ、教育はうまく機能しない。
私がまめに中高の先生がたの集まりに顔を出すのは、この「パス」の精度を高めたいと念じているからである。
「まくら」に『論座』の話をする。
『論座』の今月号に私は短いエッセイを書いた。
掲載誌を送ってきたので、ぱらぱらと読んでいたら特集が「ポスト・ロストジェネレーション」である。
ロストジェネレーション話についてはこれまで何度か書いたので、私がこの問題の切り出し方について批判的であることはご案内の通りである。
この論題を持ち出したのはもともと朝日新聞であり、それが「え、もうポストなの?」と私はちょっと驚いたのである。
その中に「ポスト・ロストジェネレーション世代」の座談会というのがあって、四人の20代前半の男女がおしゃべりをしている。
読み進むと、中の一人の「01年に関西の高校を卒業して、それから東京に出てきてずっとフラフラしている」女の子が「東京高円寺の『素人の乱』という、アナーキストとろくでなし(笑)がやっているリサイクルショップでバイトしていましたが、いまは完全な無職です」と自己紹介したので、口からワインを噴き出す。
あまり父親を脅かすものではないよ。
読むと、ずいぶんつらく苦しい子ども時代を送っていたようである。
「もう本当に、小学校時代からずっと『早く学校を卒業したい』と思ってました。ゴミを拾っただけで、『お前ホントにいいやつだな=偽善者だな』とか言われる。だから、目立たないようにひたすら蹲って『早く大人になりたい』と思ってましたね」
そうだったのか。
私は娘がそれほど学校生活で屈託していたとは気がつかなかった。
学校がつまらないのは私もよくわかる(だから私も一年で中退したんだから)。
でも、自分の子どもの苦しみは「誰でもそんなもんだろう」と高をくくっていて、それほど深く苦しんでいるとは思わなかった。
配慮の足りない親であった。
育児論を偉そうに語る資格はない。
教師としても同じようにろくでもない教師であり、おそらく相当数の学生を回復不能な仕方で傷つけたはずである。
ろくでもない親でかつろくでもない教師の話としてお聞き願いたいという条件付きで、それでも身を削って理解したいくつかのことをお話しする。
今日話した中でたいせつなことの一つは、子どもは健全な成長の過程で必ず「毒を吐く」ということである。
それは彼らが彼らを保護してきた皮膜を破るときに必ず起きる生理現象である。
それまで彼らを守ってきたものを文字通り「弊履のごとく」捨てないと子どもたちは「脱皮」できない。
それはそれまで信じてきたものに唾を吐きかけ、愛おしんできたものを踏みにじるようなふるまいとして表現される。
教育における教師の困難な課題は、この「毒を吐く」というプロセスをきちんと受け止めることである。
自分を保護してきた甲殻を破り捨てるのは、子どもたちにとっても怖い。
清水の舞台から飛び降りる覚悟で彼らだって毒を吐いているのである。
その冒険的な営みが彼らの成熟のために必須であるということを私たちは理解しなければならない。
むずかしいのは、それをまともに受け止めてはならないということである。
例えば、彼らは必ず一度はかつて畏敬していたものを否定する。
聞くに堪えないような言葉づかいでかつて彼らにとって「天蓋」であったものを罵る。
教師たちはその言葉を黙って聞かなければならない。
「そんなことを言うものではないよ」と言葉を遮ってはならない。
黙って聞く。
けれども、「黙って聞く」ということと「同意を与える」ということは違う。
「新しい言葉づかい」を獲得することを支援するということと、その言葉づかいで語られるコンテンツに同意するということは次元の違う話である。
それはカトリックの聴聞司祭の仕事と同じである。
「恐るべきこと」を言語化することは受け容れるが、そのコンテンツには同意しない。
教師はややもすると「言葉そのものを遮る」か「言葉の内容に同意する」か、どちらを選んでしまう。
でも、ほんとうにたいせつなのは「言葉は遮らないが、内容には同意しない」という構えである。
私たちは誰も成熟の過程のどこかで「畏るべきこと」を言語化しなければならない。
それは年長者によって聞き届けられねばならないが、同意されてはならない。
というのはそれがまさしく「畏るべきこと」だからである。
それに同意を与えれば私たちのささやかな「現実」が崩壊する。
しかし、それを言語化したいという欲求を抑圧すれば、「畏るべきこと」とどうかかわるかという死活的に重要な生きる技術を学ぶ機会を逸してしまう。
しかし、それがまさしく「畏るべきこと」であるがゆえに、それをまともに受け止めては年長者だって身体が保たない。
そのような言葉は「アース」する以外に接する手だてがない。
「アース」する技術にはマニュアルがない。
でも、身体はやり方を知っている。
私たちの身体は何億年かを生き抜いてきたしたたかな生命体である。
「人間性」というものを構築してからも数万年を経ている。
意識が知らなくても、無意識が知っていることがある。
私がレヴィナス老師と多田先生から学んだのは「畏るべきもの」とかかわる人間的技法である。
教師の仕事は実定的な知識や技術を教えることではない。
子どもを成熟させることである。
そして、成熟の旅程は牧歌的な風景でみたされているわけではない。
それは一種の「地獄巡り」である。
教師の責務は子どもたちが地獄巡りをしたあとに、戻り道を指し示すことである。
戻り道は身体だけが知っている。
曹洞宗の南直哉老師から聞いた話だけれど、座禅で「魔境」に入ったときに、そこから道は「呼吸」をたどって戻って来るのだそうである。
どれほどすさまじい幻覚に襲われても、自分の呼吸を数えている限り身体から致命的に遊離することはない。
呼吸は前に書いたように、私たちが「時間」を表象するとき基礎形式である。
呼吸が時間を教えてくれる。
そして、時間というのがたぶん人間を人間的たらしめているフレームワークなのである。
成熟というのも(当たり前だが)時間的な、それゆえ人間的な現象である。
その導きの糸になるのは呼吸である。
教師の仕事はだから極論すれば一つしかない。
それはつねに規則正しく、深く「呼吸する」し、それによって「時間」という、揺るがすことのできない人間的な「軸」を立ち上げることである。
というような話をすればよかったが、とてもそれでは90分では終わらないので、だいぶ違う話をしてしまった。


2008.02.08

激闘!西新宿

あまりに忙しくて日記を更新している暇がない。
ふひ~。
とりあえず備忘のために今週の出来事をメモしておく。
5日は岡山に行った(この話は書いたな)。6日は甲野先生の集中講義の最終回なので、最初から最後まで受講。
甲野先生の授業は講習会と同じように、あっちでごろごろこっちでごろごろとみんなが習ったことをそれぞれに練習している。わからないで困っていると、先生か陽紀さんか今回のアシスタント北川くんが手助けしてくれる。
私は杖の型を習ったので、それをお稽古する。
ときどき「重い人を持ち上げてみたい」というニーズに応じて、介護技術の「重し」役として、学生たちに持ち上げられる仕事もする。
うら若い女性にぎうっと抱き締められて空中に「だっこ」してもらう役なので、見ようによっては「いかがなものか」というご批判もあろうやもしれぬが、そんなことを言われても困る。
講義が終わって、宴会部長ウッキーに率いられて、ぞろぞろと打ち上げへ。
甲野先生も三日の講義が終わってほっとしたらしく、いろいろと武道関係・霊術関係の「ここだけの」話をしてくださる。
内容はあまりに差し障りがあるので、一言とて公開できないのが残念であるが、どうして甲野先生はあんなに「アンダーワールド」のことにお詳しいのであろう。
その日が誕生日の甲野先生のタクシーを学生たちと「ハッピーバースデー」の歌で西宮北口駅頭でお送りする。
七日から死のロード。
初日は東京で仕事が三つ。
まず新宿のアシュラムノバへ伺って、池上先生に身体の歪みを調整して頂く。
左の膝がこのところぴりぴり痛んでいたのだけれど、だいぶ体軸が右にねじれていたらしい。
先生に触ってもらったら、すうっと痛みが引く。
元気を取り直して、まず東京都庁へ。
なんの講演かよく知らないで行ったら(それもどうかと思うが)、東京都青少年問題協議会の専門部会というところの「ヒアリング」にお招き頂いたのである。
教育問題専門の委員のみなさんにぐるりと囲まれてようやく、これはえらいことになったと気づく。
議長は早稲田の加藤諦三教授、委員は増田美香、三坂彰彦、宮台眞司、村松励、内山絢子、大葉ナナコ、小島貴子、近藤彰彦、篠崎武久、西村和義のみなさん。それに「東京都青少年・治安対策本部」のお歴々である。
宮台眞司さんとこのようなところでお初にお目にかかるとは思っていなかった。
それにしても私のような人間をこういう席にお呼びくださるとはまことに都庁も太っ腹である。
ご期待に添うべく「青少年の非社会化」というお題で1時間ほど自説を語る。
委員のみなさんは好意的なリアクションであったが、当然ながら(まあ筆禍というのはこういうところで清算を強いられるのだが)宮台さんからはにこやかだが手厳しい質疑がなされた。
私も精一杯にこやかにお答えをする。
宮台さんは終始紳士的なうちにも果敢に追撃の手を緩めない。となると私もだんだんにわか紳士の体面を維持するのが困難となり、やがて「がるる」と唸り声とあげて凶悪な本性が露出しかけたところで、議長の加藤先生がイエローカードを掲げて「はい、そこまで。そろそろ内田先生も新幹線の時間があるそうですので」とホイッスルを吹いてノーサイドとなった。
聴衆のみなさんは「いやあ、ハブとマングースの戦いみたいだったね」とひそかに喜ばれたことであろう。
もしかするとそれを見たくて神戸からわざわざ私を呼んだのかも知れない。
がっくり疲れて東京駅へ。
丸善で某テレビ局と談合ならびに「アサヒ芸能」の取材。
時間をまちがえて18時にダブルブッキングしてしまう。
テレビは某ニュース番組のコメンテイターのお話。
サラリーマンなので、レギュラー出演はできませんとお断りする。
「アサヒ芸能」は『ひとりでは・・・』の紹介記事。
他者といかに共生するかという問題について小一時間しゃべりまくる。
丸の内の東京駅前でばしばし写真を撮られてから、小走りに新幹線に飛び乗って、「深川めし」とビールでほっと一息。
ジグムント・バウマンの『コミュニティ』を読んでいるうちに爆睡。
明けて8日は終日会議デー。
早起きして、ねぼけまなこで本日締め切りの毎日新聞の原稿を書き飛ばす。
野沢菜おやきを囓りながら大学へ。
朝から入試委員会、精神保健福祉士連絡会、合否判定教授会、科別教授会。そのあいまにレポートを読んで添削して、CLAにメールを打って、手紙を二本書いて、宅急便を一個出して、シラバスを一本書いて、10通ほどのメールに返信する。
教授会の席で学長から「上野千鶴子さんとの対談をぜひ引き受けてください」と頼まれる。
業務命令にはいつも粛々と従うウチダであるが、「この件ばかりはひらにご容赦」とお断りする。
こっちは前日に「マングースに頭を囓られるハブの切なさ」を味わったばかりなんだから。
読み切れなかったレポートを抱えて、よれよれになって帰宅。
明日から「死のロード」第二弾である。

2008.02.09

訂正のお知らせ

『街場のアメリカ論』の中に事実誤認があるのではないかというご指摘がアメリカの読者のかたからありました。
205頁のチェイニー副大統領についての記述です。
私は「チェイニー副大統領はユダヤ系」であると書いていますけれど、そのようなことはアメリカでは知られていないというご指摘でした。
調べてみたら、これはたしかに私の勘違いで、彼の宗教生活についてはそのような情報はありませんでした。
どうしてそういう勘違いをしたのかわかりませんが、こういう「思いこみ」はしばしば無意識的な欲望の効果ですから、根の深いものかもしれませんし、単なる無知のせいなのかもしれません(たぶんその両方に関係があるのでしょう)。
ともあれ、そういう事実は公認されていないということで、お手数ですがお手元の同書205頁6行目から10行目までを削除してください。
世の中には「姦淫聖書」みたいに、そういう恥ずかしい事実誤認が書いてある本を「稀覯本」としてコレクトしている人がいるかも知れませんが、『街場のアメリカ論』はもう絶版間近ですから、探してもダメです。

ご叱正くださいましたアメリカの一読者の方に深謝するとともに、チェイニー副大統領には宗教生活について不正確な記述をなしたことを伏してお詫び申し上げます。

2008.02.11

Tokyo Boogie Woogie

9日は死のロード第二弾。
雪の中で合気道の稽古。暑くなってきて道場の窓を開ける。
みなさんたいへん熱心である。ぐんぐんうまくなる。
教えている当人が言うのもなんだけれど、どうしてかよく理由がわからない。
自分は何を教えているのかよくわかっていないのに、教わっている人たちがきちんと上達するというのも不思議なものである。
この一年ほどは「主体」概念の拡大ということを身体技法の主題にしている。
経験的にわかったことは、「私たち」という複素的な身体をの中枢は「接点・正中線・正中面」にあり、その中枢は操作しようとすると操作できず、操作することを断念すると操作できるということである。
あらゆる運動体には宿命的な動線がある。
その動線に速く同調したものが、運動体の「みかけの」操作主となる(ただし、古典的な意味での「主体」ではもうない)。
「私」が「敵」を制するという発想をしていると、主体の動線と複素体の動線の間に「乖離」が生じる。
その乖離が動きを歪め、遅滞させる。
複素的な運動体の中枢は「接点・正中線・正中面」にあると書いたが、「点・線・面」という用語の通り、それは不断に様態を変える。喩えて言えば、自動車のシフトレバーが「触る/触らない」で反応する、「上下左右に動かす」ことで反応する、「触れてから離すまでの経過時間」に反応する・・・というふうに絶えず反応モードが変わる自動車を運転するようなものである。
入力/出力の方程式が絶えず変化する装置を運転する場合に運転主体を「常数」に取ることはきわめて非能率的である。
運転主体の条件をはじめから「入力/出力モードの変化に同調して変化するもの」というふうに設定しておけば話が早い。
要するにそういうことである。
などという説明ではぜんぜん意味がわからないであろうが、合気道の稽古をしているとそのことが初心者にも「わかる」のである。
雪の中を走って帰宅。鞄をつかんで電車に飛び乗り、東京へ。
関ヶ原がいつものように大雪で新幹線が40分遅れる。
8時少し過ぎに学士会館に到着。
AERAのお仕事で養老孟司先生と対談。
養老先生との「往復書簡」を短期連載でAERA誌上で行う。
AERAへの連載を打診されるが、今は讀賣新聞の「うほほいシネクラブ」が月一、毎日新聞の「水脈」とダイヤモンドの「ただしいお金のなくし方」と『考える人』の「日本の身体」が三月に一回。
これでも日経と共同通信の連載が終わって、だいぶ楽になったところである。月刊連載でさえ四苦八苦していたのに、週刊誌連載なんて論外である。
養老先生と中華料理を食べながらわいわいおしゃべりをする。養老先生のお話をうかがっていると、脳内の血の巡りがよくなるのか、熱い風呂に浸かっているようにぽかぽかしてくる。
腹一杯食べて、ビールと紹興酒でほろ酔いになってみなさんとお別れする。
10日は早起きして、目黒のスタジオへ。
『ENGINE』の表紙撮影である。
スズキさんからのご指名であるので、お断りするわけにはゆかない。
足立さんも見学に来ている(フットワークいいなあ)。
車はBUGATTI。1000馬力、最高速度407km/h。
公道で走ることができる世界一速い車だそうである。
「お値段は?」とおそるおそる伺ってみると、「2億円」というお答えであった。
あ、そうですか。
そのブガッティさまとツーショット。
とはいえ先方はそのような由緒正しいお方であるから、こちらもグルーミングというものをせねばならない。
生まれて初めてスタイリストという方がついて、ヘアメイク、メークアップをする。
「ウチダのヘアをなんとかするプロジェクト」は宝塚の光安さんが長期計画を立てて実行中なのであるが、忙しくてカットに行く暇がないから、もうあちこちで渦巻きカールが始まっている。
「少し切ってよろしいですか?」と訊かれたので、バリ島から帰るまで宝塚に行く暇がなさそうなので、「あ、じゃんじゃんカットしてください」とお願いする。
「他人がカットするとすぐわかっちゃうんですよね」と困っていたけれど、光安さんごめんねと宝塚方面に心の中で手を合わせる。
イタリアンスーツを着せられて、ぴかぴかの靴を履かされて(この靴はめちゃめちゃ履きよかった)、自前の衣装はトランクスだけという「着せ替え人形」状態でそのまま撮影。
もうこうなると「俎の上の鯉」状態であるから、「笑って」と言われればにっこり笑い、「シリアスに」と言われれば目元を吊り上げる。
「はい全部脱いじゃお」と言われたら私だって全部脱いじゃうかもしれない。
なるほどね、と思った。
女の子がついヌード写真を撮られちゃうのは、あれはカメラマンのアオリに乗せられてしまうからだけではなくて、「あまりに多くの人」が自分のために仕事をしている「やましさ」が関係している。
「私のような人間のために、大の大人が日曜の朝から集まってくれて、ほんとうに申し訳ない」という「すまなさ」がレバレッジとなって、「もうみなさんが早く仕事を終えてお帰りになれるなら、なんでも協力します」マインドになってしまうのである。
撮影はさくさくと終わり、そのあともとのボロ服に戻ってスズキさんと「表紙の男インタビュー」。
これはたいへんに愉しいおしゃべりであった。
そのあとスズキさんの運転するMGで丸の内まで送っていただく。
「スズキさんの運転するMGの助手席に乗って日曜の昼の東京都内を疾走」するというのがどういう種類の経験であるかは矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴』の読者であれば、おそらく想像できるであろう。
びゅーん。きゅきゅきゅ~ん。
スズキさんは齢耳順に近くなってもマインドは「ブント魂」であるから交通標識とかそういうものにはあまり配慮されないのである。
丸の内ホテルでスズキさんとお茶をして、それぞれの家庭の話などをしんみりとする。
続いて2時からは『医療崩壊』の小松秀樹虎ノ門病院泌尿器科部長と「ロハスメディカル」のための対談。
小松先生の本は出てすぐに読んで、世の中には過激さと科学性を兼備した知性というのが存在するのだなと深く感心したことがある。
前夜に養老先生とお会いしていたので二日続きで東大医学部卒の医学者と対談することなる。
昨日は養老先生と・・・と言いかけたが、年代的に考えると、「虎の尾」方面に展開する蓋然性が高いので、黙っている。
小松先生のお話もたいへん面白かった。
『医療崩壊』は医療事故をメディアと検察警察がヒステリックに告発し、厚生行政が責任を放棄して、実現不可能なガイドラインを現場におしつけてほおかむりしている間に、「立ち去り型サボタージュ」によって医療が空洞化している現実を鋭く活写した名著である。
地域医療の拠点病院で診療科がどんどん閉鎖されているのはご存じのとおりであるが、二年前に小松先生が予言した通りに事態は進行している。
同時に、勤務医の開業医への転職が進行しているが彼らは別に地域医療の中核になるつもりでそうしているわけではない。
開業医の中には診断も医療も忌避し、検査数値に異常があると、専門医に回すだけのことしかしていない人間がいる。
医療システムは崩壊寸前の危機にあるが、それにもかかわず、日本の医療技術の水準は世界最高レベルにある。
それはこの劣悪な状況でも「立ち去る」ことを拒否し、メディアのバッシングと患者の怒号に耐えて、治療の現場にふみとどまっている医師たちが疲弊しながらも医療システムの最終的な崩壊を防いでいるせいである。
「立ち去り」がこれ以上進行したら、もう医療はもたない。
今現場にふみとどまって身をすり減らしているいる医師たちをどう支援するか。
それが行政もメディアも医療の受益者である私たちにとっても喫緊の課題であるはずだが、そういう考え方をする人はきわめて少ない。
3時間ほどの対談のあと、小松先生とお別れして、旧友太田泰人くんと夕食。
太田くんは昨冬に腎臓癌がみつかって手術したばかりである。
ようやく手術のあとの傷の痛み消えたというので快気祝いで乾杯。
われわれももう「余命」を指折り数えなければならない年頃である。
太田くんと酌み交わしながら、彼と最初に会って、こんなふうにおしゃべりするようになったのはもう40年近く前のことなんだなと思い出す。
目の前の太田くんは僕の目には声も笑い方もそのときの18歳の少年とほとんど変わらない。
年を取るというのは不思議な経験である。
新幹線の改札口で手を振り合って別れる。


2008.02.12

福田政権の無為と女性的資本主義について

久しぶりのお休みなので、9時まで朝寝をする。
玄米を炊いて、納豆と卵と若布の味噌汁と昆布で朝ご飯。
洗濯をしてから、推薦入学者のレポートを読んで添削してゆく。
面白い仕事ではあるのだが、数が多いのでたいへんである。
気がつくともう昼過ぎ。
本日は取材が二件あるので、あわてて部屋を片付ける。
2時からSightの取材。
お題は「福田政治の中間報告」。
どうして私のようなシロートにそのようなことを訊きにわざわざ東京からお越しになるのか、その意図がはかりしれぬが、とりあえず思いついたことをお話しする。
前にも書いたが、福田康夫は安部晋三の「暴走」にブレーキをかけるという政治史的要請に応えて登場したわけである。だから、その責務が「政治過程の停滞・政策の非決定・拱手傍観」であるのは理の当然であり、その点で福田首相はたいへんよくその負託に応えてお仕事をされているのではないかという感想を述べる。
メディアは「ねじれ国会」でさっぱり政策が物質化しないことに文句をつけているが、「ねじれ国会」というのはそういうものである。有権者の総意は安部内閣時代のあまりにばたばたと法案が成立し、このままでは改憲にまで突っ走りそうな情勢に不安を抱いて、参院選での自民党の歴史的大敗を選択したわけであるから、法案がさっぱり成立しないのは国民からの要請に応えて、「代議制が正しく機能している」ことと見るのがことの筋目であろう。
大阪府知事選については、有権者の政治システムに対する無根拠な楽観(「誰がなっても、何とかなる」)と無根拠な悲観(「誰がなっても、どうにもならない」)のアマルガムが表出したものであり、その選択の根拠がいずれも「無根拠」という点で、評価することのむずかしい選択であると述べる。
このあと数ヶ月以内に、メディアは集中豪雨的に橋下知事のスキャンダルと政治的無策に対する攻撃的報道を開始するであろうし、有権者の多くはそれを期待している。
「持ち上げて」から「落とす」のはテレビ視聴者のタレントに対する基本的な態度だからである。
おそらく、それからあとの残任期間、大阪府政は長い停滞を余儀なくされるだろうが、それを代償に差し出しても、府民は「目先のスペクタクル」を選択したのである。
これもまた「何か新しいこと」が始まるより、「見慣れた失望」が繰り返すことを願う有権者の無意識の不安が反映したものと見るべきであろう。
「変革が停止すること。現状がだらだらと続くこと」。おそらく有権者は無意識のうちにそれを望んでいる。
「いまこそ根底的変革を」という、その無内容と非実効性が熟知されている擦り切れたスローガンを飽きずに繰り返しているという点に民意の退嬰性は顕著に徴候化している。
というようなお話をする。
続いて4時からはBRUTUSの取材で、鈴木副編集長と橋本麻里さんが登場。
今度のお題は「経済の本質は女に訊け」(仮題)。
政治の次は経済ですかい。
どうして私のようなシロートに・・・(以下同文)
「富の偏在」のもたらす資本主義の停滞と、「誇示的消費」と「享受的消費」の差異についてお話する。
ご案内のとおり、日本社会では階層の二極化が急速に進行している。
金のある人間のところにどんどん金が集まり、金がない人間のところからはどんどん金が失われてゆく。これは日本だけの現象ではなく、世界的趨勢である。
富は偏在しつつある。
世界人口の1%の資産家が世界の富の40%を所有しており、日本はその中でも最も豊かな国で、一人当たり平均資産は世界一、資産家上位1%のうち27%は日本に居住している。
「日本は豊か」と言われてもまるで実感がないという方々が多数おられるであろう。
その通りである。
それは世界の富が集中しているはずの日本国内において、富はさらに一部の階層に集中しているからである。
私たちの生活実感は「日本人口の1%の資産家が日本の富の40%を所有しており、資産家上位1%の27%が港区に居住している」というのに近い。
これをグローバルスタンダードの成就としてにぎやかに寿いでよろしいのか。
私は「よろしくない」と思う。
たしかに一見すると貨幣の運動はたいへんに活発であるかのように仮象する。
だが、貨幣は集中すると流動性を失う。
個人レベルで考えればわかる。
例えば私が年収200万で暮らしているときに1000万円の臨時収入があったとする。これはまさに夢のような大金であり、私は「あれも買いたい、あれも食べたい」と具体的な欲望に身を焦がし、居ても立ってもいられずに財布を握り締めて街に飛び出すであろう。
しかし、年収2億円の人にとっての10億円の臨時収入はそれほど活発な消費活動を起動しない。
というのは、その人は金で買えるようなモノはもうすべて持っているからである。
10億円で買えるものといえばもう証券と不動産しか残っていない(これらは貨幣の特殊形態にすぎない)。
つまり、個人資産があるレベルを超えると「金で金を買う」以外にすることがなくなるのである。
大富豪は奢侈品に惜しげもなく大金を投じることがある。けれども、それが経済にもたらす効果は限定的なものにとどまる。
アラブの王族が10億円で自家用ジェット機を買ってハワイに飛び、五つ星ホテルを借り切ってひとり宴会をすることがもたらす経済波及効果は、一万人の日本人ツーリストが10万円の格安チケットでハワイツァーをした場合のそれに遠く及ばない(ホノルル国際空港の空港使用料収入に限って言えば一万分の一である)。そういうものである。
経済活動は個人資産が広い範囲に薄くばらけている方が活発になる。それゆえ、貧富の二極化を私は(人権的配慮よりはむしろ)穏健なる資本主義者としての観点から好ましからざるものと見ているのである。
二極化は「誇示的・記号的消費」と「享受的・実体的消費」の二元的対立という図式でとらえることもできる。
実体経済を支えているのは後者である。
誇示的消費(consommation ostentatrice)は「象徴価値」のある物品やサービスに投じられる。
その目的はもっぱら階層格差を記号的に指示することであり、購入される商品の使用価値はほとんど顧慮されない(というか「使用価値ゼロ」の商品の方が象徴価値は高い)。
王侯貴族がたくさんの使用人や食客を寄生させているのは、彼らにさせる仕事があるからではなく、何も仕事がない人間を徒食させておくことが象徴価値を形成するからである。
一方、享受的消費(consummation jouisseuse)もまたその究極のかたちは(これまた不思議なことに)使用価値ゼロなのである。
それは消費されたあとにかたちを残さない。
身体組成そのものが「享受したこと」によって変成するので、「モノ」としては残らないのである。
例えば、音楽を聴く、舞踊を見る、美術品を見る、美食を食する、温泉に浸かる、スキーをする・・・といった消費行動は享受的である。
それは消費主体自身の細胞レベルでの快楽に捧げられた消費であり、その経験を通過したことによって消費主体は別人となるが、消費財それ自体は収蔵することもできないし、カタログ化することもできないし、記号的に誇示することもできない。
「いや~、よいね~」と嘆息するだけのことである。
享受的消費は誇示されない。
むしろ「誰にも見られていないこと」によって快楽が昂進する場合が多い。
だから、「享受している」姿を他者に誇示することで、階層格差の記号として功利的に利用しようとする人間のことを、私たちは「野暮」とか「スノッブ」とか呼称する。
ふつうの消費行動は「誇示型」と「享受型」の両方の性質を備えている。
フェラーリでアウトバーンを疾駆するのは、半ば誇示的で、半ば享受的である。スカラ座のバルコニーでオペラを鑑賞するのは、半ば誇示的で、半ば享受的である。
しかし、享受的消費は「身体という限界」を有している。
どれほどの美食でも一日に五食も食えば、身体を壊す。フェラーリを運転できるのも最大一日24時間までである。ぶっつづけで運転してもよいが、遠からず過労死するであろう。どれほど衣装道楽でも、着られるのは一度に一着だけである。一度に二着着ると『百年目』の番頭さんみたいになる。
実体経済というのは、「身体という限界」の範囲内でなされる消費活動をベースにした経済活動のことである。
実体経済が空洞化しているというのは、消費活動における「身体という限界」の規制力が弱まっているということである。
女性の消費活動は濃密に「身体的」であり、ディスプレイ上に表示される電磁パルスの数値を見て極快感を得ることのできる女性はあまりいない。
女性に「引きこもり」が少ないことはつとに指摘されているが、それはコンピュータのディスプレイ上のデジタルな数値変化を「現実的快感」に読み替えることが女性には困難とされていたからである。
彼女たちはどれほど記号的であっても、せいぜい宝石とか毛皮とか香水とかドレスとか「手で触れることのできるもの」を要求し、「債券」に印字された数字を見てぐふふとよだれを垂らすというような芸当は本来はなされない。
しかるに現代の消費の過半は誇示的=記号的なものになってしまっている(そこで消費される金額が桁外れだからである)
一方で、享受型消費は今ほぼ完全に女性ジェンダー化している。
バレーでも歌舞伎でも演劇でも映画でも温泉でも花見でも、どこに行っても、いるのは女の方々ばかりである。
男たちはもうこのような享受型消費財に対する欲望をほとんど失ってしまったかのようである。
消費活動の性的二極化もまた進行している。
困ったことである。
経済政策の基本として私がご提言したいのは、とにかく「富の偏在」を是正して、できるだけ多くの人々に「使いでのある小銭」というかたちで貨幣が流通するようにすること、そして誇示型消費を抑制して、できるだけ享受型消費(現在女性たちがなされているような)に軸足を移すことである。
誇示から享受へ。幻想から等身大へ。
それが「日本の行く道」であるように私には思われるのである。
というようなお話をする。
インタビュー二つで疲れ果て、IT秘書を相手にワインを飲み、御影駅前のペルシエでIT秘書の愚痴を肴に晩ご飯を食べる。
あまり疲れが取れない。

2008.02.13

二月の秋刀魚

大学入試C日程。
今年からはじまった前期と後期のあいだの「中期入試」。
受験生にとっては受験機会が増えるし、大学にとっても受験料収入が増えるし、「みかけ」の志願者数も増えるから、双方にとってありがたい話であるが、よくよく考えると、その分だけ他の入試で合格する人の数を減らしているわけである。
気の毒なのは、何度も受けて何度も落ちる「大学へのロイヤルティは高いが、学力の低い」受験生である。
大学での「のびしろ」を見ると、「大学へのロイヤルティの高さ」は学力の向上とつよい相関がある。
本学のさまざまな試験を10回近く受験したが・・・というような気の毒な受験生には「マイレージ」で下駄を履かせて入れてあげたいね、というような話を控え室でする。
本年の本学の志願者数は前年度比160%という大健闘である。
これは試験数が前年度より増えているから、単純比較はできないけれど、実数でも志願者は増加している。
全体の傾向では、次々と新学部を展開している「関関同立」に志願者が集まり、中小は大苦戦。志願者数が減りすぎてもうどうにもならない大学も少なくない。
18歳人口が120万人に減少している危機のときに、18歳が205万人いた92年よりも大学数が増え、それぞれの大学も定員を増やして対応しているわけなのだから、しかたがない。
ただ、その新学部の集客力もどこまでもつか。
一時期人気だった総合政策学部はどの大学も志願者を激減させた。
女子大が争って新設した薬学部も同じ憂き目にあっている。
いずれどこも、新しい学部を作っては、それを棄てて次の新学部を・・・という自転車操業的蟻地獄にはまりこむことになるだろう。
最終的には大学の生き残り競争は「どこまで損失を出してもつぶれないで保つかの資金力」を競うことになる。
やがて、執行部の過半がビジネスマンで、きわめて低い労働条件で教職員を雇用し、ネットとアウトソーシングを活用してコストのかかるスクーリングをできるだけ減らした「低コスト体質」の大学だけがこの「チキンレース」を生き残ることになるであろう。
文科省のめざす教育改革や財界の望む教育への「市場原理の導入」の行き着く先は、要するに「そういうこと」である。
みなさんが「そうしたい」と言うから「そういうこと」になったのである。
文句を言う相手はどこにもいない。
さいわい本学は「浅草の路地裏の煎餅屋」のような小商いであるから、「おたくの煎餅じゃなきゃダメなんだよ」というこだわりのクライアントを少数確保しておけば、細々と商いを続けていける。
そういう大学がいくつか残ることだけが最後の希望である。
入試監督を終えて、レポートを出してから家に戻る。
日の高いうちに家に戻ったのは久しぶりのことである。
コーヒーを一杯飲んでから、締め切りリストを見る。
ゲラは三つ残っているが、とりあえずそのことは忘れて一番切羽詰っている鷲田先生のお仕事から片付けることにする。
10行くらい書いたところで「待ち合わせ」のアラームが鳴る。
げ、と思ってみると「神戸新聞取材」とある。
忘れていた。
あわてて御影駅へ。
寒空に記者さんとカメラマンさんを放置していた。
ごめんね。
お題は「私のいちばんすきな映画」。
『文藝春秋』の「昭和の美男」、『映画秘宝』のオールタイムベストテンもあったし、似たようなアンケート取材が続く。
もちろん私のベストワンは小津安二郎『秋刀魚の味』。
あらためて、『秋刀魚の味』のどこがすばらしいのかについて考える。

2008.02.16

ぜろぜろななはころしのばんごう

14日は朝カルの名越先生との対談。
川上牧師、ウッキー&ヒロスエ師弟、タムラ母子、かんちきくん、トガワさんなどいろいろな人がおいでになった。
日が日なので、いろいろな方からたくさんスイーツをいただく。みなさんどうもありがとうございます。
これからしばらく「おめざ」のお菓子に困らない。
自分で言うのもなんだが、たいへん面白い対談であった。
どこかで本にしたらと思うのだが、話の半分くらいは公開不可ネタであった(府知事の精神鑑定とか)。
そのあと朝カルの森本さん小西さんに隣のビルから遊びに来た江さんや大迫力とかいておおさこちからと読む大迫くんらもまじえてプチ宴会。
Everything is all right が「かめへん」に変換される江さん訳の「岸和田弁で語るポール・スミス」に全員抱腹絶倒。
あまりにおかしすぎて北新地から歩いて阪急梅田まで笑い続け。
翌15日は13時から17時半まで会議が4つ。
『街場の現代思想』のゲラを放置していたら文春のヤマちゃんが忍耐の限界に到達したらしく、「もう見なくていいです。そのままお返しください。そのまま出しちゃいますから」と震える声で電話してきたのであわててゲラを取り出す。
すると「2月1日必着」と書いてある。
なんと15日間も放置プレイをしていたのである。
まあ、怒るわな。ふつうは。
あわててゲラを会議中に直す。
別にたいして直すところもないので、「そのまま出しちゃって」も別によかったのであるが、せっかく2週間も延ばしたのであるから、何か書かなければ悪いので、「あとがき」を書く。
家に帰ってカレーを作る。
ときどき発作的にカレーが食べたくなる。
今回は「ハウス・ザ・カリー」辛口をベースに、鶏肉、パプリカ、タマネギ、ベーコン、舞茸、しめじを投入。
タマネギを茶色になるまでしつこく炒めたので、わりと甘めのカレーになる。
炊きたてのコシヒカリにこれをまぶして食す。
まことに美味である。
幸福な気分になったので、007シリーズ全巻踏破の旅を再開する。
すでにこの旅は先年実行したのであるが、その後「007シリーズ全20巻ボックス・スチール製アタッシュケース入り」というものが発売されたので矢も楯もたまらずamazonで購入してしまったのである。
ところで「attaché case」はいつから「アタッシュケース」から「アタシェケース」に発音変更になったのであろう。
「アタッシュケース」という語が巷間流布するようになったのはまさしく007の第二弾『ロシアより愛を込めて』でQがボンドに貸与した仕掛け満載の皮のケースが中坊たちの耳目を集めてからである。
中坊は「皮」が好きである。
われわれの世代においてインパクトのあった「皮もの」と言えばまず『ウェストサイド物語』のシャーク団の諸君が着用の皮のリストバンド。そして『大脱走』でスティーヴ・マックイーンが着用していた皮のジャケット(これだって1960年代はきっちり「ボンバー・ジャケット」と発音されていたのであるが、いつのまにか発音が正しくなってしまった。正しく発音するのはむろん結構なのであるが、その場合、それ以前違う発音で指称されていた物品はそれとはやはり「別物」なのである)。
1977年に私が平川くんと創立した株式会社アーバン・トランスレーションの制式バッグは「アタッシュ・ケース」であり、私たちはそれを携行してジェームス・ボンド気分でいた(これも「ジェームズ・ボンド」ではなく「ジェームス・ボンド」だったのである。おそらくは『少年ジェット』における悪役の名からの連想だったのであろうが、60年代の中坊たちはきっちり「ジェームス・ボンド」と発音していたのである。歴史を改竄してはならぬ)。
ともあれ『ドクター・ノオ』から見る(もちろんこれも正しくは『007は殺しの番号』なのであり、むろんのこと007は「ダブローセブン」ではなく、きっちり「ぜろぜろなな」と海軍式に呼ばねばならぬ)。
初期のジェームス・ボンドはワルサーPPKサイレンサー付きでばんばん人を殺してしまう(何しろ大英帝国発行「殺しのライセンス」所持者であるだから立場が強い)。
しかし、今見るとデント教授を殺すのはいくらなんでもやりすぎであろう(生かしておいて尋問しなければならないことが山のようにあるのに)。
それも丸腰の相手を一発撃って、「うぐぐ」と苦悶させて、さらにダメ押しの二発目で絶命させるのである。
ジェームス・ボンドは第一作の頃はけっこう残酷な人だったのである。
アーシュラ・アンドレス(しつこいようだが、これも断じて「ウルスラ・アンドレス」ではないよ)のハニー・ライダーは途中で水に入るときにわざわざ水着の上半分を脱いでしまうのであるが、これは論理的には納得の行かないところである。水着というのは水に入るときに着用するものであって、脱衣するものではない(もちろん観客的にはノープロブレムであるが)。
などなどたいへんに愉しい2008年007の旅がこれから二ヶ月ほど展開するのである。

2008.02.17

小学生に英語を必修させる必要があるのか?

文科省は学習指導要領を改訂し、小学校五年六年から英語を必修化することを決めた。
愚かなことである。
日本語がこれだけできなくなっている知的状況で二カ国語を学ばせる意味がどれほどあるのか。
特にオーラル中心の語学教育の子どものメンタリティへの影響については、もうすこし真剣に考えた方がよろしいのではないか。
英語運用能力を重視する教育機関で何が起きているか、みなさんはご存じであろうか。
論理的には当たり前のことであるが、それは「英語運用能力の高さにもとづく人間的価値のランキング」である。
「英語が他の教科に比較して際だってよくできる」という条件をクリアーしてその教育機関に入学した学生は、当然ながら、「英語ができることは、きわだってすぐれた人間的能力である」というイデオロギーのかたくなな信奉者になる。
これはごく自然なことであるから非とするには当たらない。
けれども、そのような学生たちの教場でのふるまいは場合によっては、いささか常軌を逸してくる。
東京の某一流私学は「英語だけで授業をする学部」を新設した。
国際人を育てるためである。
ところがこの学部では授業がうまく成立しない。
というのはここの学生たちは「一番英語がうまい人間」を知的位階の最上位に置いてしまうことを習慣づけられているので、教壇に立っている日本人教師よりもフロアにいるネイティヴの留学生や帰国子女の方が英語が流暢な場合には、教師よりも「発音のいい人間」の意見に従う傾向があるからである。
それも無理はない。
現に私自身の教壇における知的威信の80%くらいは私の日本語話者としての語彙の豊富さと落語に学んだ滑舌のよさによって担保されているからである。
同一のコンテンツであっても、私が仮に外国人であり、学習した日本語で論じた場合には、どれほど文法的に正確な日本語で講じても、学生たちはそれほどには聞き入ってはくれぬであろう。
というわけで、そういうところを卒業した学生たちは「英語がぺらぺらしゃべれる人の告げる情報の重要性と客観性を過大評価する傾向」を刷り込まれて実社会に登場する。
これはもちろんゴールドマンサックスとかウォルマートとかの日本支社のマネージャーからすればたいへん雇用することの楽な労働者であるが、そうではない会社ではあまり役に立たない。
なにしろ、そういう会社では彼または彼女より英語がうまい人間があまりいないからである。
しかるに彼らは「英語がうまい人間の発信する情報の重要性と客観性を過大評価する傾向」を血肉化しているので、いきおい上司や先輩やクライアントよりも「自分の言うことの重要性と客観性を過大評価する」人間となる。
こういう人間は私どもの社会では総じて「バカ」というふうに呼称される傾向にあるので、彼らの企業内部的身分はあまりプロミシングなものとはならない。
けにゃらら大学の総合政策学部はたいへんに英語のよくできる学生を世に送り出したのであるが、あまりに英語運用能力がすぐれ上司に経営学の講義をしてくれたりするのでそれほど英語もできないしMBAも持っていない上司たちからは「使いにくい」ということで現在では企業サイドからは「できれば採用したくない学部」にランクされてしまった。
りにゃらら大学の総合政策学部はそのあとを追って創設されたのであるが、今年の志願者数を見るとなんと前年比39%という悲惨な数値であった。
たにゃらら大学も英語運用能力と国際性の育成を謳って創設されたが、その卒業生の事績として最初に新聞に出たのは放火犯であった(それ以後彼以外の卒業生についてメディアで報じられた例を私は知らないので、その大学は私にとっては今のところ「第一期生で放火犯を出した大学」のままである)。
わにゃらら大学では英語能力だけで人間を価値づける学生を組織的に輩出しそうな気配で、その学部で現に教鞭を執っている先生から「このままではどうなるか心配です」とうかがったことがある。
ともあれ、外国語運用能力をあまり重視することに私はひさしく外国語で飯を食ってきた人間(ほんとに食っていたのよ)の一人として懐疑的である。
外国語なんて大きくなってからで十分である。
子どものときはそれよりも浴びるように本を読んで、音楽を聴いて、身体を動かして、お絵かきをして、自然の中を走り回り、家のかたづけやら皿洗いやら廊下の雑巾がけなどをすることの方がはるかにはるかにたいせつである。
外国語は「私がそのような考え方や感じ方があることを想像だにできなかった人」に出会うための特権的な回路である。
それは「私が今住んでいるこの社会の価値観や美意識やイデオロギーや信教」から逃れ出る数少ない道筋の一つである。
その意味で外国語をひとつ知っているということは「タイムマシン」や「宇宙船」を所有するのに匹敵する豊かさを意味する。
けれども、それはあくまで「外部」とつながるための回路であって、「内部」における威信や年収や情報や文化資本にカウントされるために学習するものではない。
外国語は「檻から出る」ための装置であって、「檻の中にとどまる」ための装置ではない。
役人たちは国民を「檻の中に閉じ込める」ことを本務としている。
その人々が外国語学習の本義を理解していると私は考えることができないのである。

2008.02.18

霊的都市論

私にとっての東京とはどの範囲かという話を昨日江さんと堀埜さんを相手にしゃべった翌日に小田嶋隆さんのブログを訪ねたら、小田嶋さんも同じ主題について書かれていた。
おお、シンクロニシティ。
小田嶋さんは東京「キタ」の人であり、私は東京「ミナミ」の人であるので、この差異について若干の思弁を弄したいと思う。
ちなみに「キタ」は「キ」に、「ミナミ」は「ミ」にアクセントを置く(三波春夫と同じ)のが関西風儀である。
まず小田嶋さん的東京とは次のような範囲を指す。

自転車で走る場所も、さすがにネタが尽きてきた。
河川敷のサイクリングロードを上下するのは、この時期、冷たい北風が強すぎてあんまり気がすすまない。苦行っぽいし。
で、都内を走ることになるわけなのだが、情けないことに、私の輪行は、孫悟空の飛翔やハムスターの疾走と同じで、決まった範囲から外に出ることができない。堂々巡りを繰り返している。
その「範囲」は、簡単に言えば、山手線の北半分、もう少し詳しく言うと、「山手線を新宿と秋葉原を結ぶ総武線で切断した際にできる半円の北側に、赤羽・田端・池袋を結んだ三角形の帽子をかぶせた地域」ということになる。
私は、このとんがり帽子から外に出ることができない。
山手通りを走っていても中野区に足を踏み入れるととたんに心細くなるし、明治通りも台東区まで行くとにわかに里心がつく。大田区だとか世田谷区品川区あたりは検討の候補にさえのぼってこない。だって、クルマで走っていてさえアウェーな感じがしてくるこの世の果てなのだからして。
北、板橋、豊島、文京の4区は、どこをどう走ってもなじみ深い。ホームタウンだからね。
この4区は古い時代の都立高校の学区分けにおける第四学区に相当する。ここには、高校の同級生の自宅が散在している。それゆえ、すべての町名に、何らかの手がかりがある。
この「旧第四学区」に、新宿周辺とお茶の水秋葉原界隈を加えたものが私にとっての「東京」のほとんどすべてということになる。ついでに言うなら、私にとっての「日本」も、8割方はこの範囲内に格納されている。うん。わがことながらケツめどが小さい。ヒデよ、笑わないでくれ。3LDKの国際感覚。携帯祖国。

これは東京ミナミキッズからすると、みごとに実感通りの境界線である。
私は大田区多摩川べりの生まれである。
それゆえ私にとっての東京は「山手線を新宿と秋葉原を結ぶ総武線で切断した際にできる半円の南側」に限定される。
総武線以北とお茶の水以東は私にとって「アウェー」である。
私が東京にいた40年間に居住したのは大田区下丸子、目黒区駒場、世田谷区野沢、千代田区外神田、目黒区自由が丘、世田谷区尾山台、世田谷区上野毛(途中で例外的に半年ほど神奈川県川崎市の平間というところにいたけれど、これはガス橋のたもと、つまり生まれた街の対岸である。だから通学には最寄りの平間じゃなくて、下丸子駅までガス橋を歩いた)。
それから神奈川県相模原市にも1年いた。これは親がそこにマイホームを建てたせいである。予備校生は親の決定に逆らうことができぬので1年間そこから1時間40分かけて駿台まで通った。やたら寒いところだった。
いちばん通学先になじみが薄かったのが大学時代の後半。
お茶の水駅付近は高校時代からの遊び場であるので、スキップしながら歩けるのだが、橋を渡って本郷になると、どうにも土地と相性が悪い。
「本郷もかねやすまでは江戸のうち」というくらいであるから、いきおい本郷三丁目に向かう私の足取りは重いものになったのである。

このような「棲み分け」は東京ネイティヴにとってはごく自然なことなのであるが、途中から東京在住になった人にはこの「見えない境界線」の手前とあちらの「ホーム/アウェー」感覚はなかなかご理解いただけないことがある。
例えば、南東京人たちの「デートコース」はふつうまっすぐ西へ向かう。
皇居を起点として、東宮御所の横を通って、表参道、渋谷へ進み、道玄坂を上って246を直進。三軒茶屋から二子玉川。そこから第三京浜で横浜を通り抜けて、逗子、葉山、江ノ島、鎌倉あたりの海辺のカヘでお茶して、帰りは横浜中華街でご飯、というのが「車でデート」のときの定番である。
東京ミナミキッズで、「筑波山にドライブにいかね」とか「九十九里浜の波が見たいね」とかいうものはおらない。
これは江戸時代・明治期における市民の娯楽が「大川沿い、足を伸ばして墨東へ」という方向に展開していたことを考えると、地殻変動的変化と申し上げてよろしいであろう。
かのオーギュスタン・ベルク先生はこの変化を風水的に説明されている。
ご存じのように、江戸城は大手門が東にある。
風水的に言うと、大手門は「朱雀」の方向、すなわち南に位置するのが決まりである。
江戸城はそれを90度東にずらして構築されている。
京都を90度反時計回りに回転させた状態をご想像願いたい。御所が嵐山の辺にあって、四条河原町が百万遍の辺りにあるとどうであろうか。
想像すると、ちょっと気持ち悪いでしょ。
これは風水的にはバランスの悪い地形であるから、当然この「90度回転した都市」には復元力が働く。
つまり都市全体が時計回りのスパイラル運動エネルギーを内蔵させるのである。
これが東京のアクティヴィティの秘密である、とベルク先生は看破された。
東京の繁華街(悪場所)はそれゆえ吉原、浅草、品川、渋谷、新宿というふうに「時計回り」に発展している。
山の手線という環状線もそうである。
あれに乗るとき、例えば、渋谷から「山手線で東京一周しようぜ」というような場合に、おそらく東京ミナミキッズはほとんどが渋谷、代々木、新宿というコースを取るはずである。
一方、小田嶋さんのような東京キタキッズが池袋から乗車して「東京一周」をする場合には間違いなく大塚、巣鴨、駒込コースを採択されるはずである。
山手線というのは「時計回り」の路線なのである。
このような強い方向指示力は他の都市の環状線(例えば大阪の環状線)にも働いているのであろうか。
私にはよくわからない。
大阪から天王寺へ行く場合に、時計回り、反時計回りのどちらを大阪ネイティヴの方々は採択されるのであろう。
私は何となく京橋・鶴橋というコースを選ぶような気がするけれど、もしかすると単に所要時間が少し短いだけなのかも知れない(外回り=時計回りの方が本数が多いという説もある(むろん、ふつうの人は大阪から天王寺に行く場合は地下鉄御堂筋線に乗るのであるが)。

閑話休題。
もう一つの風水的な力は富士山によるものである。
江戸は東は「筑波山」、西は「富士山」という二つの霊山によって東西に引き裂かれているわけだが、霊的には東へ引かれる力と西へ引かれる力では、歴然と西へ引かれる力の方が強い。
先ほどのドライブコースをイメージすればわかるとおり、青山通り、玉川通り、246はまっすぐ西に向かう道路であり、その正面には大山(これも霊山である)と富士山がずっと見えている。

それに人間というのは「迷ったら、とりあえず西へ向かう」という習性が生物学的に備わっている。
というのも人類史の黎明期において、日暮れ以降というのは夜行性の動物の活動時間であり、人間はできるだけ安全な場所にいて朝まで動かないというのが生存戦略上の基本だったからである。
だから、私たちがつい西へ足を向けるのは、「まだ安全な場所にたどりついていないときは日没が一秒でも遅くなる方角に移動し続けることが生存可能性をわずかなりとも高める」という身体の古層に刷り込まれた真理を忘れていないからである。

さらに江戸の場合には「潮見坂」と「富士見坂」という二種類の斜面のもつ力がある。
これはかつて西武百貨店の店舗開発で辣腕をふるったハマダくんが江戸の古地図と現在の歩行者の動線を研究して得た結論である。
東京で商売をやるときは「まっすぐ下ると海が見える坂」か「まっすぐ下ると富士山が見える坂」に店を開くというのが江戸人の常識であった。
六本木というのは今はビルと高速道路にはさまれて何も見えないが、乃木坂、西麻布、鳥居坂、飯倉、溜池すべての方向に下り坂がある。つまり、ビルと高速道路を取り払うと、六本木というのは南に芝の浜から越中島に至る海岸線が、西方に大山越しに富士山がくっきり見える「潮見坂」と「富士見坂」に囲まれた東京屈指の「展望台」だったのである。

大阪はご存じのように上町台地というかまぼこ型の丘陵が都市の核をなしていて、この南端に四天王寺、北端に石山本願寺という浄土信仰の二大拠点があったことは何度も述べた。
浄土信仰にいう「日想観」とは西方浄土すなわち大阪湾に沈む日没を拝むことである。
だから、現代の大阪人もやはり西に強く惹きつけられる方向性を感知しているはずである。

大阪の都市設計について私は門外漢だが、歴史的に考えれば、近世以降も大阪城を起点として、西に向かうかたちで都市が形成されていったはずである。
だから、現在、梅田を起点として堂島、淀屋橋、心斎橋、難波と御堂筋を歩く人はその右手に海岸線を、左手に二つの浄土信仰の拠点の大伽藍をつねに霊的なランドマークとして意識していたはずである。
そもそも「御堂筋」というのは、北御堂(本願寺派津村別院)と南御堂(大谷派難波別院)という浄土真宗の二大寺院を結ぶ筋という意味である(と偉そうに書いているが、これは先日釈老師にご教示いただいたのである)。

というわけで古くから存在する都市の場合、そこのネイティヴの子どもたちは、大地から発するこのような無数の信号を受信しながら、無意識的にその動線を決定していたのである。
このような能力が何の役に立つのか、さっぱり理解できんという合理主義的な近代人もあまたおられるであろう。
だが、この「土地に導かれる」感覚を持たない人間はしばしばさまざまな形態をもった「ドブ」にはまるのである。
禅語に「脚下照顧」という。
足下を見よ。
そこに次に進むべき方向を感知できる人間と感知できない人間の差はみなさんが想像しているよりはるかに大きい。

2008.02.19

業務連絡

みなさまにおしらせ。
ウチダは今からしばらく姿を消します。
どろん。
携帯電話も届かないところです。
25日ごろに復帰しますけれど、それまで私を探さないでね。
お願いね。
ではみなさん、バリハ~イ。

2008.02.25

バリ島珍道中

2月20日
外は車軸を流すような豪雨。
ときおり、切り裂くような鳥の声が聞こえる。
アロハに半ズボンにゴム草履というカジュアルないでたちで、ベランダからぐっしょりぬれた鬱蒼とした木々を眺めている。
ここはバリ島Ayodya Resort むかしのヒルトンである。
10年ほど前にも同じホテルに泊まったことがある。
バリはよい。
私は地の気に感応するタイプであるので、土地の気がよいと眠りが深い。
バリは眠りが深い。
つねづね申し上げているように、東京で私が定宿にしているのは学士会館であるが、その理由はよく眠れるからである。
神田一ツ橋の街の真ん中のホテルでよく眠れるというのは不思議であるが、あそこは平川門の真東だから、と東京でたぶんもっとも呪鎮が効いているせいだと私は考えている。
単に霊的に静かということではないように思える。
いろいろなものがざわめているのだが、それがある種の秩序を保っているせいで「やかましい」という感じがしない。
学士会館のすぐ横には、みずから新皇と称して首を斬られた平将門の首塚がある。
たぶんバリもそういう感じなのだろう。
善神悪神魑魅魍魎があたりを跳梁跋扈しているのだが、ある種の整序をなしているので、それが霊的な交響楽のようにここちよく人間の身体には感知せらるるのではないかと思う。
むろん物理的な理由もある。
むかし、ある科学者がリピーターの多いリゾートとリピーターが少ないリゾートのあいだの土地の磁気を比較するということを思いついた。
結果は予想されたとおり、リピーターの多いリゾートは地磁気が有意に高かった。
バリもその一つに入っていた。
つまり、バリのビーチで眠っていると、全身に「ピップエレキバン」を貼られたような状態になるわけである。
肩凝りもほぐれよう。
というわけで私も3度目のバリである。
今回は某代理店のブッキングミスで、乗る飛行機が直前に変わり、ガルーダのビジネスクラス。
昼前からシャンペンを飲むと一気に気分がだらけてくる。
とりあえずこの3日間だけは思う存分休息させていただくことにする。
今回のツァーは「バリ島ででれでれする会」のみなさまとごいっしょの総勢18名である。
中には見知った顔もいるし、お初にお目にかかりますという方もいる。
ブッキングミスは3名分だったので、私とクロタムラ(かんちき命名)コンビがガルーダに乗る。残りのみなさんはJAL。
ガルーダは11時関空発なので、5時ごろにデンパサールに着く。
常夏の国だから当然ながら暑い。
そしてエイジアンリゾートならではのむせ返るような湿気。
ハワイは乾いていて、バリは湿っている。
どちらも捨てがたいが、一つだけ選ぶならどちらがいいと訊かれたら、私はたぶんバリを選ぶだろう。
このべとついた「アジア的湿気」にはどこかしら「やさしさ」が感じられるからだ。
生き物たちを包み込む豊穣性がこの湿気の中には漂っている。
樹木や虫や鳥や魚たちがこの湿気の中でぐいぐい繁殖しているのだということが空気の中に実感させられる。
ハワイの気持ちよさの中にはそういう無駄な豊穣性は含まれていない。
ハワイの気持ちよさには節度があり、バリのそれには節度がない。
自分の心身がどういうタイプの休息を求めているのかによって人々はリゾートの行き先を無意識のうちに選択している。
私がいま切望しているのは、バリがもたらす「節度のないだらだら感」である。

飛行機の中で『エコノミスト』を読む。
「没落する日本」というタイトルが気になったので手に取ったのである。
一人当たりGDP2位→18位、国際競争力4→24位、株価騰落率51位。実効レート「歴史的円安」、財政赤字「先進国最悪」、学力「理系離れ深刻」内向きになった企業と官僚化する組織。
とタイトルに並んでいる。
10人ほどのエコノミストが現在の日本社会の「没落ぶり」を論じている。
しかし申し訳ないけれど、私はどこがどう没落したのか、よくわからない。
国民一人当たりGDPは1993年に世界2位だったが、今は18位であり、「没落」したという。
しかるに93年も06年も1位の国は変わらない。
どこでしょう?
1分間あげるから考えてください。
はい、1分経ちました。
1位はルクセンブルクでした。
2006年の一人当たりGDPのトップ10は1位ルクセンブルク、2位ノルウェー、3位アイスランド、4位アイルランド、5位スイス、6位デンマーク、7位アメリカ、8位スウェーデン、9位オランダ、10位フィンランドである。
日本のまわりにはフランス16位、ドイツ17位、イタリア19位、スペイン20位といったところが並んでいる。
このリストを見るとわかることは、一人当たりGDPの高い国は(アメリカを除くと)、「国民数が少ない国」だということである。
ちなみに1位のルクセンブルクは人口46万人、2位のノルウェーは457万人、3位のアイスランドは28万人、4位のアイルランドは400万人、5位のスイスは745万人。
あるいは「寒い国」、「キリスト教(それもプロテスタント)の国」というのも指標に取れるであろう。
私にはそれらの国に共通する特徴としてはそれくらいしか抽出できなかった。
これらのどの条件もわが国には当てはまらないし、今後採用することもできない。
だから、93年に日本が世界2位であったということがむしろ「異常」であって、今の18位くらいのところが適切なポジションではないかと私には思われるのである。
また日本の没落を示す数値として『エコノミスト』は「富豪の数」の減少をあげている。
1989年に日本は「世界の富豪」トップ10に6人を送り込んでいたのが、06年では世界富豪ランキングの129位に孫正義がいるのが最高である。
だが、これをして「没落」というのは果たして適切なのか。
ちなみに89年にランクインした6人の日本人とは1位堤義明(国土計画)、2位森泰吉郎(森ビル)、6位竹井博友(地産グループ)、8位渡辺喜太郎(麻布グループ)、9位吉本晴彦とその家族(大阪マルビル)、10位糸山英太郎(新日本観光)。
これらの方々が日本人全員がその刻苦勉励の鑑とすべき理想的日本人であるのかどうかについては私からはとやかく言わないが、とりあえず1位の堤氏が日本国憲法30条についてはたいへんに遵法意識の低い方であったことは護憲派の一員として指摘しないわけにはゆかない。
日本中のビジネスマンが堤氏のような方ばかりになったら、むしろそのときこそ日本が没落するときではないのか。
そのほかさまざまな指標があげてあるが、バブル時代と比べて目減りしていない唯一の指標は「国防費」であった。
これは世界6位で変わらず。
日本より上位にいる国は91年のサウジアラビア(3位)が中国(2位)に変わっただけで、あとはいつもの軍事大国クラブのメンバーたち(アメリカ、ロシア、フランス、イギリス)である。
順位は6位でかわらないが、国防費は165億ドルから439億ドルに約3倍に増えた。
事務次官のゴルフ代なども請求書の数字に加算されていたはずであるから、これは増えて当然。
というわけで、私としてはこの10年の間に日本が急激にろくでもない国になったという判断には与しない。
「没落」前からすでに十分に「ろくでもない国」だったんだから。

寄稿者の中では竹中平蔵と榊原英資の意見が対比的で面白かった。
竹中は「地方が疲弊しているのは構造改革が不十分だからであり、農業の構造改革はやっていないし、分権もまだこれからだ。『もう構造改革はやめるべきだ』という誤った選択に陥りつつある」と小泉内閣が掲げた構造改革とグローバリゼーションの継続を訴えている。
一方、榊原は「自民党はこの10年間、橋本龍太郎政権から小泉純一郎政権に至るまで、改革、改革と言いながら失敗している。小泉改革なんて掛け声だけで、ほとんど実効性がない。道路公団の民営化は結局改悪で、『三位一体改革』は地方格差を広げただけ。郵政もこれからどうなるかわからない。教育も劣化し、年金も問題が噴出。医療システムも崩壊している。」と自民党主導の改革の失敗を指摘し、さらに徹底した「革命」の必要を説いている。
「中央と地方の関係も変え、完全な地方分権をやる。厚生労働省、文部科学省は基本的に国にはいらない。政府は外交や防衛、財政金融などに専念する。事業権限は地方に渡せばいい。道州制とは違って、私は基礎的自治体といっているが、合併を進めて人口30万人の自治体を300くらいつくる。300の藩があった江戸時代のスタイルにして分権をやる。」
榊原の地方分権論は期せずして、私の「廃県置藩」論と同じ趣旨であった。
これは50の「国」に分権しているアメリカ合衆国の統治原理と同じものであり、アメリカの統治システムが20世紀後半までは「世界で2もっとも成功した」ものであったことに異論のある人はいないであろう。
「300の藩から成るUnited States of Japan」の一つ一つはそのときにルクセンブルクやアイスランド並みの規模となる。
おそらくそのとき一人当たりGDP世界一の「藩」は日本のどこかから出現するであろう。

2月21日
終日ごろ寝。
朝ごはんはビュッフェで食べる。さすがに食べすぎなので、ちょっと控える。
雨が小降りになったので、プールサイドに出て、昼寝(というより朝寝)。
春日武彦先生から出発前にご恵与たまわった「問題は、躁なんです」(光文社新書)をプールサイドで読む。
日本の精神疾患の問題がはたしてバカンスの選書として適切であろうかどうか自信がなかったのだが、人間の狂気の問題は、バリ島のように霊気のたちこめるところで読むと、たいへんにつきづきしい。
たちまち読み終えてしまう。
次にMDに入れてきた大瀧詠一師匠の「リマスターシリーズ」の萩原哲晶さんとの対談を聴く。
クレイジーキャッツの歌を聴いているうちに、とろとろと眠くなってくる。
うう極楽。
眠りから覚めると小腹が空いている。
ここで食べると夕食が入らなくなるから昼は抜こうかしらと思ったが、だんだんおなかがすいてくる。
プールサイドのカフェを見やると、客がぜんぜん入っていない。
小雨の中ではプールに出てくる人もいないのだから、しかたがない。
それでは商売になるまい。ここは義侠心を出して、売り上げに協力せねば、と腰を上げてホットドッグとビールを食す。
たいへん美味である。
総じてこのホテル内のご飯系ファシリティズは充実している。
美味であり、かつボリュームが多く、かつ安価である。
困ったものである。
デブになるばかりである。
昼酒を飲んだので当然眠くなる。
爆睡。
夕方目覚める。
プールサイドにはほとんど無人である。
よく寝た。
部屋に戻って鏡を見ると、赤く日焼けしている。
ずっと小雨が降っていたのに日焼けしているとは。
赤道直下の太陽は侮りがたい。
シャワーを浴びて、冷たいビールを飲む。
当然、眠くなる。
志ん生の『化け物使い』を聴きながら眠る。
夕食の時間になったので、よろよろと起き上がり、待ち合わせ場所に行く。
今日はホテル内の地中海料理の店に行くことにする。
ここもがらがら。
カルパッチオ、サラダ、パスタ、ピザ、ポークピカタなどを食す。
いずれもたいへん美味である。
しかし、朝昼とばっちり食べたので、もう腹に入らない。
同行の諸君も同様のようである。
バリ島は肉がうまい。
島内を車で通行していると、牛さんや鶏さんが元気に闊歩されている。
あの方々を「ほい」と何して、食膳に配しているのであろう。
日本の肉よりもなんというか「生きがいい」。そのいかにも「殺生しました」という感じがダイレクトに伝わってきて、いささかの悔悟の念も含めて、味わい深いのである。
ディジェスティフをいただく頃にはすでにまぶたが重くなる。
みなさまにおやすみのご挨拶をして部屋に戻り、シーバスの水割りを飲みながら、大瀧さんの『ひばり島珍道中』を聴く。
聴き終えて、ベッドに移動、ベッドサイドのあかりの中でプレイヤード版のカミュを読む。
フランス語を読んでいると(いつものことだが)抗し難い眠気が襲ってきて、そのまま爆睡。
一日18時間くらい眠っている。

2月22日
8時起床。今日も雨。
朝ごはんを食べて部屋でごろごろしていると携帯電話が鳴る。
取り上げると大学の文学部事務室から。院試についての確認の電話である。
携帯を買い換えたときに、これで海外でも使えますと言われたが、海外で使えるようにするためには、あれこれの手続きが要るのかと思っていたが、そのまま使えたのである。
便利な時代になったものである。
「携帯電話の届かないところ」がなくなったという点では不便な時代になったというべきか。
雨が上がったので、プールにでかける。
ホテルの売店でゴーグルを購入したので、ばりばり泳ぐ。
プールはだだっぴろいし、ほとんど数人しか泳いでいない。
雨季なので、やはりホテルも客が少ないのである。
客室も2割くらいしか稼動していないのではないかしら。
ヨーロッパやオーストラリアからの客も散見されるが、客の主体は日本人、中国人、韓国人などアジア系である。
これは2002年10月にデンパサルのディスコで爆発テロがあったことと関係がある。このときには外国人を中心に180人あまりが死亡し、300人以上が負傷した。インドネシアの治安当局はシンガポール、マレーシア、インドネシアにネットワークをもつジェマー・イスラミアの犯行としている。
このテロのあと、『南太平洋』以来(あるいは『エマニュエル夫人』以来か)、欧米人にとって「楽園」の印象があったバリ島への観光客が激減した。
バリ島は観光事業で生きている島なので、このテロは多くの島民に致命的なダメージを与えた。だから、島民の中にはイスラム過激派に対する反感は深い。
欧米人が潮を引くように去った後に、バリ島はメインターゲットを日本人に照準し、プラス中国や韓国の中産階級を主たる客層にしようとしている。
中国人、韓国人、日本人はイスラミストからは識別しがたく、まかり間違って中国人をテロにかけた場合には、中国政府のイスラム原理主義に対する(比較的)宥和的な態度が失われる可能性がある。
ということは、現在のアジアのリゾートでは「中国人がいるところはわりと安全」という原則が成り立つのではないかと私は考えている。
東京の超一流ホテルやリゾートも今では中国のニューリッチのみなさんが豊かに享受していると聞く。
そういうところもイスラム過激派に対する中国のあいまいな態度が続く限りは「イスラム過激派のテロに対して比較的安全」というふうに判断してよろしいであろう(中国富裕層に対する中国貧民のテロというようなものが始まった場合はその限りではないが)。
ともあれ、たぶんそういうわけで、バリ島のアヨドヤ・リゾートの客の半分くらいは日本人であり、従業員たちは誰も片言の日本語を話し、ホテル内の表示もほとんど英語日本語併記であって、たいへん便利である。
太陽が出てきたのでプールで昼寝。
前日は昼にホットドッグを食べて満腹して夕食が入らなかったので、本日は昼抜き。
iPodでいろいろな音楽を聴く。
フリオ・イグレシアスとジョアン・ジルベルトがこの状況ではたいへんつきづきしいということを発見した。
あの鼻にかかった「だらけた発声法」がバリの空気によく合っている。
レストランではよくレゲエがかかっているが、その気持ちもよくわかる。
日が暮れてきたので泳ぎを切り上げて、ホテル内のスパにゆく。
バリ風オイル・マッサージを試みる。
所要時間75分、40ドル。
掌からすごい気を出すおねいさんにぐいぐい揉みほぐしてもらううちに、意識がぼんやりしてくる。
ふにゅ~。

2月23日
ようやく最終日に快晴となる。
朝ご飯を食し、気合いを入れて買い物やらエステやらに出かける諸君を送り出してから、部屋にこもって原稿書き。
2月末締め切りの『寺門興隆』の原稿と『哲学の歴史』の原稿を二本まとめて一気書きする。
『寺門興隆』は宗教の話であるから、バリ島で霊的にリラックスしているのでたいへん書きやすい。
『哲学の歴史』の方はカミュの話。
バリで哲学というのはどうかな~と思ったけれど、考えてみたら、熱帯の海にじゃぶじゃぶ泳いでいればあるいは地中海的な感覚に通底するところもあるやもしれぬ。
1時間ほどで書き上げ、夏休みの宿題を終えた子どものような気分になり、海パンにはきかえて、サングラスと文庫本と煙草とiPodをバッグに詰めて、海岸に走り出る。
ひとりのんびりバリの空と海を満喫し、日焼けして深夜デンパサールから飛行機に乗る。
ご一同さまお疲れさまでした。
愉しい旅行でしたね。

2008.02.29

温泉発試写会着

バリ島から帰ったと思ったら、一日おいてすぐに箱根湯本へ。
今度は極楽麻雀である。
こうもスケジュールがタイトでは「極楽」というのもどうかと思うが、7ヶ月に一度はよし行け旅館に集合ということがクラブの規則で決まっているので、私の一存ではどうにもならない。
会議を終えてソッコーで帰宅して、荷造り。新幹線に飛び乗る。
車中でカミュ論の続きを驚異的な集中力で書き続ける。
8-9枚という原稿依頼だったはずだが、なんだかどんどん長くなる。
アカデミックな論考のあいだにはさまれる「息抜きコラム」のはずであるが、これでは読者が窒息してしまうのではないか。
7時半ごろに旅館着。夕方着の兄ちゃん、平ちゃん、石やんはもう宴会状態。
さっそくビール、日本酒などと頂き、宴会モードに切り替え。
食後さっそく卓を囲む。
ご存知のように、私は今期の甲南麻雀連盟では勝率1割以下という絶不調のうちにある。
この温泉麻雀も歴史的大敗を覚悟しての参戦である。
勝つはずがないと涼しく笑いながら打てば、それなりにかえって平静な心境となり、打牌に意外な冴えが・・・というような打算が一瞬私の脳裏をかすめなかったといえば嘘になろう。
だが、心せよ。雀神さまはそのような賢しらをこそ憎まれるのである。
勝敗に一喜一憂する俗情を咎め、勝敗意に介せずといった小面憎い気取りもまた許されない。
雀神さまはただ一打一打に感謝の思いを込めて無心に打つものだけを嘉されるのである。
12戦2勝。勝率1割6分7厘。勝ち点17という貧しい戦績がこのあとも私の前に広がるであろう終わりなき荒野を暗示している。
この試練は私が真の「無心」の境地を知るまで続くであろう。

今回の極楽ツァーの出費はすべて兄上の奢り。
私ども若輩三名は「ごっちゃんです」で済まさせていただいた。
まこと人間の真価は金持ちになったときに露呈するものである。
二泊の休暇を終えて、そのまま兄ちゃんの車で横浜へ。
みなとみらいクイーンタワーのFEEDのオフィスをはじめてお訪ねする。
19階から横浜港が一望という結構なロケーションである。
お茶して兄上と別れ、新宿へ。
午後は『考える人』の「日本の身体」第二回、池上六朗先生との対談。
橋本麻里さん、足立真穂さんという強力布陣によるこの対談シリーズは、各界の身体技法の達人たちを訪れて、日本人の身体運用の歴史と構造について深く考察しようではないかという意欲的な企画なのである。
池上先生のところにゆくと、「もれなく治療が付いてくる」ので、カメラマンも含めて全員がまず治療をしていただく。
もっとも体軸がゆがんでいるのは橋本さんであろうと思ったが、案に相違して(というか案の定)私であった。
働き(というかスケジュール詰め込みすぎ)である。
池上先生に付けていただいた「日本で一番不幸な人」という呼称はそのまま継続である。
4時間ほどさまざまな治療技術の実演をまじえながら対談。
終わったあと、新幹線の時間まで赤羽さんたちとちょっとだけビールなどをいただいて池上先生とお別れする。
次は6月7日の本学での「身体性の教育」のシンポジウムでのゲストスピーカーでお会いすることになる。
新幹線車中でチェスタトンの『ブラウン神父の童心』を読んでいるうちに爆睡。

翌日はひさしぶりの半日休暇。
東灘区役所に行って印鑑証明と住民票を取り、郵便局で局留めの荷物を受け取り、家に戻って原チャリのナンバープレートをはずし、芦屋市役所へプレートを返却に行き、東灘区役所にまた戻って原チャリの転出届けをし、それからまた芦屋に戻ってナカジマモータースで自賠責の払い込みをする。
ここまで所要時間3時間半。
帰って掃除をしたら、半日休暇が終わってしまった。
夕刻日経ビジネスの取材。
NECが出すウェブマガジンのビジネス講話みたいな企画で、上司とどうつきあうかについて訊かれる。
上司というもののつきあいに特に悩んだことがないので、よくわからない。
今も職階上の上司はいるけれど、大学の教員組織は上意下達の命令ではないから、企業の人事の参考にはならない。
強いて挙げれば、私にとっての「上司」経験は、アーバン時代の平川くんと、極東物流創立時の兄ちゃんという二人の社長に仕えた二回だけである。
彼らはいずれもたいへん有能であり、かつお気楽な上司であった。
有能でかつお気楽な上司の下で働くのはたいへん気分のよいものである。
ということは、「上司をいかに有能かつお気楽な人物であらしめるか」ということが部下たちにとっての最優先の遂行的課題であることはロジカルには自明のことである。
上司の能力はおもに「部下掌握力」によって外形的には評価されるが、これは部下の側で「掌握されたふり」をすればただちに達成できる。
上司をお気楽な状態にするためにはなにをすればよろしいか。
これも簡単である。
彼の日常業務をできるだけ軽減する。報告、連絡、相談(いわゆる「ほうれんそう」というやつですね)をできるだけしない。なるべく権限委譲を引き受けて、自分の裁量でできることはしてしまう。会議はできるだけ開かず、やむなく開く場合には上司が言うことにはとりあえず何でもはいはいと頷いておく。頷こうが頷くまいが、実現できることは実現し、実現できないことは実現できないのであるから、同じことである。同じことなら会議がはやく終わる方が誰にとっても幸福である。
以上のような項目を履行するならば、上司を短期間に「有能かつお気楽な人物」に改造することが可能となるはずである。
少なくとも私が上司であった場合には、このような部下を持つと、つねに機嫌のよい状態をキープできるであろう。

取材のあと、ばたばたと西宮北口へ。
コーエン兄弟の『ノー・カントリー』(では意味がわからない。原題はNo country for the old men「この国はもう老人が住めるところじゃね~な」)の試写会。
ゑぴす屋さんのご招待であるので、ウッキー、ヒロスエ、エグッチという不思議なメンバーが揃っている。
映画はたいへん面白い。
いまハリウッドでこの種の不条理映画を撮れるのはコーエン兄弟とデヴィッド・リンチくらいであるが、リンチ映画よりずっとエンターテインメント。
映画評は来月のえぴすでね。


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