バリ島珍道中

2008-02-25 lundi

2月20日
外は車軸を流すような豪雨。
ときおり、切り裂くような鳥の声が聞こえる。
アロハに半ズボンにゴム草履というカジュアルないでたちで、ベランダからぐっしょりぬれた鬱蒼とした木々を眺めている。
ここはバリ島 Ayodya Resort むかしのヒルトンである。
10 年ほど前にも同じホテルに泊まったことがある。
バリはよい。
私は地の気に感応するタイプであるので、土地の気がよいと眠りが深い。
バリは眠りが深い。
つねづね申し上げているように、東京で私が定宿にしているのは学士会館であるが、その理由はよく眠れるからである。
神田一ツ橋の街の真ん中のホテルでよく眠れるというのは不思議であるが、あそこは平川門の真東だから、と東京でたぶんもっとも呪鎮が効いているせいだと私は考えている。
単に霊的に静かということではないように思える。
いろいろなものがざわめているのだが、それがある種の秩序を保っているせいで「やかましい」という感じがしない。
学士会館のすぐ横には、みずから新皇と称して首を斬られた平将門の首塚がある。
たぶんバリもそういう感じなのだろう。
善神悪神魑魅魍魎があたりを跳梁跋扈しているのだが、ある種の整序をなしているので、それが霊的な交響楽のようにここちよく人間の身体には感知せらるるのではないかと思う。
むろん物理的な理由もある。
むかし、ある科学者がリピーターの多いリゾートとリピーターが少ないリゾートのあいだの土地の磁気を比較するということを思いついた。
結果は予想されたとおり、リピーターの多いリゾートは地磁気が有意に高かった。
バリもその一つに入っていた。
つまり、バリのビーチで眠っていると、全身に「ピップエレキバン」を貼られたような状態になるわけである。
肩凝りもほぐれよう。
というわけで私も3度目のバリである。
今回は某代理店のブッキングミスで、乗る飛行機が直前に変わり、ガルーダのビジネスクラス。
昼前からシャンペンを飲むと一気に気分がだらけてくる。
とりあえずこの3日間だけは思う存分休息させていただくことにする。
今回のツァーは「バリ島ででれでれする会」のみなさまとごいっしょの総勢18名である。
中には見知った顔もいるし、お初にお目にかかりますという方もいる。
ブッキングミスは3名分だったので、私とクロタムラ(かんちき命名)コンビがガルーダに乗る。残りのみなさんはJAL。
ガルーダは11時関空発なので、5時ごろにデンパサールに着く。
常夏の国だから当然ながら暑い。
そしてエイジアンリゾートならではのむせ返るような湿気。
ハワイは乾いていて、バリは湿っている。
どちらも捨てがたいが、一つだけ選ぶならどちらがいいと訊かれたら、私はたぶんバリを選ぶだろう。
このべとついた「アジア的湿気」にはどこかしら「やさしさ」が感じられるからだ。
生き物たちを包み込む豊穣性がこの湿気の中には漂っている。
樹木や虫や鳥や魚たちがこの湿気の中でぐいぐい繁殖しているのだということが空気の中に実感させられる。
ハワイの気持ちよさの中にはそういう無駄な豊穣性は含まれていない。
ハワイの気持ちよさには節度があり、バリのそれには節度がない。
自分の心身がどういうタイプの休息を求めているのかによって人々はリゾートの行き先を無意識のうちに選択している。
私がいま切望しているのは、バリがもたらす「節度のないだらだら感」である。
飛行機の中で『エコノミスト』を読む。
「没落する日本」というタイトルが気になったので手に取ったのである。
一人当たりGDP2位→18位、国際競争力4→24位、株価騰落率51位。実効レート「歴史的円安」、財政赤字「先進国最悪」、学力「理系離れ深刻」内向きになった企業と官僚化する組織。
とタイトルに並んでいる。
10人ほどのエコノミストが現在の日本社会の「没落ぶり」を論じている。
しかし申し訳ないけれど、私はどこがどう没落したのか、よくわからない。
国民一人当たりGDPは 1993 年に世界2位だったが、今は18位であり、「没落」したという。
しかるに 93 年も06年も1位の国は変わらない。
どこでしょう?
1分間あげるから考えてください。
はい、1分経ちました。
1位はルクセンブルクでした。
2006 年の一人当たりGDPのトップ10は1位ルクセンブルク、2位ノルウェー、3位アイスランド、4位アイルランド、5位スイス、6位デンマーク、7位アメリカ、8位スウェーデン、9位オランダ、10位フィンランドである。
日本のまわりにはフランス16位、ドイツ17位、イタリア19位、スペイン20位といったところが並んでいる。
このリストを見るとわかることは、一人当たりGDPの高い国は(アメリカを除くと)、「国民数が少ない国」だということである。
ちなみに1位のルクセンブルクは人口46万人、2位のノルウェーは457万人、3位のアイスランドは28万人、4位のアイルランドは400万人、5位のスイスは745万人。
あるいは「寒い国」、「キリスト教(それもプロテスタント)の国」というのも指標に取れるであろう。
私にはそれらの国に共通する特徴としてはそれくらいしか抽出できなかった。
これらのどの条件もわが国には当てはまらないし、今後採用することもできない。
だから、93年に日本が世界2位であったということがむしろ「異常」であって、今の18位くらいのところが適切なポジションではないかと私には思われるのである。
また日本の没落を示す数値として『エコノミスト』は「富豪の数」の減少をあげている。
1989年に日本は「世界の富豪」トップ10に6人を送り込んでいたのが、06年では世界富豪ランキングの129位に孫正義がいるのが最高である。
だが、これをして「没落」というのは果たして適切なのか。
ちなみに89年にランクインした 6 人の日本人とは1位堤義明(国土計画)、2位森泰吉郎(森ビル)、6位竹井博友(地産グループ)、8位渡辺喜太郎(麻布グループ)、9位吉本晴彦とその家族(大阪マルビル)、10位糸山英太郎(新日本観光)。
これらの方々が日本人全員がその刻苦勉励の鑑とすべき理想的日本人であるのかどうかについては私からはとやかく言わないが、とりあえず1位の堤氏が日本国憲法30条についてはたいへんに遵法意識の低い方であったことは護憲派の一員として指摘しないわけにはゆかない。
日本中のビジネスマンが堤氏のような方ばかりになったら、むしろそのときこそ日本が没落するときではないのか。
そのほかさまざまな指標があげてあるが、バブル時代と比べて目減りしていない唯一の指標は「国防費」であった。
これは世界6位で変わらず。
日本より上位にいる国は 91 年のサウジアラビア(3位)が中国(2位)に変わっただけで、あとはいつもの軍事大国クラブのメンバーたち(アメリカ、ロシア、フランス、イギリス)である。
順位は6位でかわらないが、国防費は165億ドルから439億ドルに約3倍に増えた。
事務次官のゴルフ代なども請求書の数字に加算されていたはずであるから、これは増えて当然。
というわけで、私としてはこの 10 年の間に日本が急激にろくでもない国になったという判断には与しない。
「没落」前からすでに十分に「ろくでもない国」だったんだから。
寄稿者の中では竹中平蔵と榊原英資の意見が対比的で面白かった。
竹中は「地方が疲弊しているのは構造改革が不十分だからであり、農業の構造改革はやっていないし、分権もまだこれからだ。『もう構造改革はやめるべきだ』という誤った選択に陥りつつある」と小泉内閣が掲げた構造改革とグローバリゼーションの継続を訴えている。
一方、榊原は「自民党はこの 10 年間、橋本龍太郎政権から小泉純一郎政権に至るまで、改革、改革と言いながら失敗している。小泉改革なんて掛け声だけで、ほとんど実効性がない。道路公団の民営化は結局改悪で、『三位一体改革』は地方格差を広げただけ。郵政もこれからどうなるかわからない。教育も劣化し、年金も問題が噴出。医療システムも崩壊している。」と自民党主導の改革の失敗を指摘し、さらに徹底した「革命」の必要を説いている。
「中央と地方の関係も変え、完全な地方分権をやる。厚生労働省、文部科学省は基本的に国にはいらない。政府は外交や防衛、財政金融などに専念する。事業権限は地方に渡せばいい。道州制とは違って、私は基礎的自治体といっているが、合併を進めて人口30万人の自治体を300くらいつくる。300の藩があった江戸時代のスタイルにして分権をやる。」
榊原の地方分権論は期せずして、私の「廃県置藩」論と同じ趣旨であった。
これは50の「国」に分権しているアメリカ合衆国の統治原理と同じものであり、アメリカの統治システムが20世紀後半までは「世界で2もっとも成功した」ものであったことに異論のある人はいないであろう。
「300の藩から成る United States of Japan」の一つ一つはそのときにルクセンブルクやアイスランド並みの規模となる。
おそらくそのとき一人当たりGDP世界一の「藩」は日本のどこかから出現するであろう。

2月21日
終日ごろ寝。
朝ごはんはビュッフェで食べる。さすがに食べすぎなので、ちょっと控える。
雨が小降りになったので、プールサイドに出て、昼寝(というより朝寝)。
春日武彦先生から出発前にご恵与たまわった「問題は、躁なんです」(光文社新書)をプールサイドで読む。
日本の精神疾患の問題がはたしてバカンスの選書として適切であろうかどうか自信がなかったのだが、人間の狂気の問題は、バリ島のように霊気のたちこめるところで読むと、たいへんにつきづきしい。
たちまち読み終えてしまう。
次にMDに入れてきた大瀧詠一師匠の「リマスターシリーズ」の萩原哲晶さんとの対談を聴く。
クレイジーキャッツの歌を聴いているうちに、とろとろと眠くなってくる。
うう極楽。
眠りから覚めると小腹が空いている。
ここで食べると夕食が入らなくなるから昼は抜こうかしらと思ったが、だんだんおなかがすいてくる。
プールサイドのカフェを見やると、客がぜんぜん入っていない。
小雨の中ではプールに出てくる人もいないのだから、しかたがない。
それでは商売になるまい。ここは義侠心を出して、売り上げに協力せねば、と腰を上げてホットドッグとビールを食す。
たいへん美味である。
総じてこのホテル内のご飯系ファシリティズは充実している。
美味であり、かつボリュームが多く、かつ安価である。
困ったものである。
デブになるばかりである。
昼酒を飲んだので当然眠くなる。
爆睡。
夕方目覚める。
プールサイドにはほとんど無人である。
よく寝た。
部屋に戻って鏡を見ると、赤く日焼けしている。
ずっと小雨が降っていたのに日焼けしているとは。
赤道直下の太陽は侮りがたい。
シャワーを浴びて、冷たいビールを飲む。
当然、眠くなる。
志ん生の『化け物使い』を聴きながら眠る。
夕食の時間になったので、よろよろと起き上がり、待ち合わせ場所に行く。
今日はホテル内の地中海料理の店に行くことにする。
ここもがらがら。
カルパッチオ、サラダ、パスタ、ピザ、ポークピカタなどを食す。
いずれもたいへん美味である。
しかし、朝昼とばっちり食べたので、もう腹に入らない。
同行の諸君も同様のようである。
バリ島は肉がうまい。
島内を車で通行していると、牛さんや鶏さんが元気に闊歩されている。
あの方々を「ほい」と何して、食膳に配しているのであろう。
日本の肉よりもなんというか「生きがいい」。そのいかにも「殺生しました」という感じがダイレクトに伝わってきて、いささかの悔悟の念も含めて、味わい深いのである。
ディジェスティフをいただく頃にはすでにまぶたが重くなる。
みなさまにおやすみのご挨拶をして部屋に戻り、シーバスの水割りを飲みながら、大瀧さんの『ひばり島珍道中』を聴く。
聴き終えて、ベッドに移動、ベッドサイドのあかりの中でプレイヤード版のカミュを読む。
フランス語を読んでいると(いつものことだが)抗し難い眠気が襲ってきて、そのまま爆睡。
一日18時間くらい眠っている。

2月22日
8時起床。今日も雨。
朝ごはんを食べて部屋でごろごろしていると携帯電話が鳴る。
取り上げると大学の文学部事務室から。院試についての確認の電話である。
携帯を買い換えたときに、これで海外でも使えますと言われたが、海外で使えるようにするためには、あれこれの手続きが要るのかと思っていたが、そのまま使えたのである。
便利な時代になったものである。
「携帯電話の届かないところ」がなくなったという点では不便な時代になったというべきか。
雨が上がったので、プールにでかける。
ホテルの売店でゴーグルを購入したので、ばりばり泳ぐ。
プールはだだっぴろいし、ほとんど数人しか泳いでいない。
雨季なので、やはりホテルも客が少ないのである。
客室も2割くらいしか稼動していないのではないかしら。
ヨーロッパやオーストラリアからの客も散見されるが、客の主体は日本人、中国人、韓国人などアジア系である。
これは 2002 年 10 月にデンパサルのディスコで爆発テロがあったことと関係がある。このときには外国人を中心に 180 人あまりが死亡し、300 人以上が負傷した。インドネシアの治安当局はシンガポール、マレーシア、インドネシアにネットワークをもつジェマー・イスラミアの犯行としている。
このテロのあと、『南太平洋』以来(あるいは『エマニュエル夫人』以来か)、欧米人にとって「楽園」の印象があったバリ島への観光客が激減した。
バリ島は観光事業で生きている島なので、このテロは多くの島民に致命的なダメージを与えた。だから、島民の中にはイスラム過激派に対する反感は深い。
欧米人が潮を引くように去った後に、バリ島はメインターゲットを日本人に照準し、プラス中国や韓国の中産階級を主たる客層にしようとしている。
中国人、韓国人、日本人はイスラミストからは識別しがたく、まかり間違って中国人をテロにかけた場合には、中国政府のイスラム原理主義に対する(比較的)宥和的な態度が失われる可能性がある。
ということは、現在のアジアのリゾートでは「中国人がいるところはわりと安全」という原則が成り立つのではないかと私は考えている。
東京の超一流ホテルやリゾートも今では中国のニューリッチのみなさんが豊かに享受していると聞く。
そういうところもイスラム過激派に対する中国のあいまいな態度が続く限りは「イスラム過激派のテロに対して比較的安全」というふうに判断してよろしいであろう(中国富裕層に対する中国貧民のテロというようなものが始まった場合はその限りではないが)。
ともあれ、たぶんそういうわけで、バリ島のアヨドヤ・リゾートの客の半分くらいは日本人であり、従業員たちは誰も片言の日本語を話し、ホテル内の表示もほとんど英語日本語併記であって、たいへん便利である。
太陽が出てきたのでプールで昼寝。
前日は昼にホットドッグを食べて満腹して夕食が入らなかったので、本日は昼抜き。
iPodでいろいろな音楽を聴く。
フリオ・イグレシアスとジョアン・ジルベルトがこの状況ではたいへんつきづきしいということを発見した。
あの鼻にかかった「だらけた発声法」がバリの空気によく合っている。
レストランではよくレゲエがかかっているが、その気持ちもよくわかる。
日が暮れてきたので泳ぎを切り上げて、ホテル内のスパにゆく。
バリ風オイル・マッサージを試みる。
所要時間75分、40ドル。
掌からすごい気を出すおねいさんにぐいぐい揉みほぐしてもらううちに、意識がぼんやりしてくる。
ふにゅ〜。

2月23日
ようやく最終日に快晴となる。
朝ご飯を食し、気合いを入れて買い物やらエステやらに出かける諸君を送り出してから、部屋にこもって原稿書き。
2月末締め切りの『寺門興隆』の原稿と『哲学の歴史』の原稿を二本まとめて一気書きする。
『寺門興隆』は宗教の話であるから、バリ島で霊的にリラックスしているのでたいへん書きやすい。
『哲学の歴史』の方はカミュの話。
バリで哲学というのはどうかな〜と思ったけれど、考えてみたら、熱帯の海にじゃぶじゃぶ泳いでいればあるいは地中海的な感覚に通底するところもあるやもしれぬ。
1時間ほどで書き上げ、夏休みの宿題を終えた子どものような気分になり、海パンにはきかえて、サングラスと文庫本と煙草とiPodをバッグに詰めて、海岸に走り出る。
ひとりのんびりバリの空と海を満喫し、日焼けして深夜デンパサールから飛行機に乗る。
ご一同さまお疲れさまでした。
愉しい旅行でしたね。
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