一人では生きられないので死んで貰います

2008-03-07 vendredi

中高部の礼拝に呼ばれて、朝七時起きで学校へ。
8時半から中高の700人ほどの生徒たちに「隣人愛」とは何かということについて15分「奨励」というものを行う。
私が選んだ聖句は『創世記』2-18。
「その後、神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのはよくない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。』」
人間は一人では生きられないように設計されている。
「一人では生きられない」から共生するというのが人間のデフォルトである。
そして、「一人では生きられない度」の高さがその人間の成熟度と相関していると私は考えている。
赤ちゃんは一人では生きられないが、母親がひとりいれば、「赤ちゃん的必要」の過半は満たされる。
子どもが成長すると、「友だち」が必要になる。「先生」も必要になる。「好きな異性」も必要である。
青年になると、「天敵」とか「ライバル」とかひとひねり効いた「友だち」が必要になるし、渡世上の「親分」とか「上司」とか「師匠」とか「兄貴」とかも出てくるし、教化的にはぜひ「反面教師」も欲しいし、「天津敏あるいは金子信男」的な「悪役」もいるとスパイシーだし、異性も「恋人」のほかに「遊び友だち」「情人」「ワンナイト・スタンド」など、各種取り揃えておけるものなら揃えておきたい。
ビジネスをするなら「ビジネス・パートナー」や「クライアント」が要るし、ピンの芸だって「観客」や「ファン」や「愛読者」が要る。
というふうに、成長につれて、人間の「ひとりでは生きられない」度は高まるのである。
平たく言えば、その人が愉快に生きてゆくためにどれくらい多くの他者の存在を必要としているかが、その人の社会的成熟度の数値的な指標になるということである。
「自立」というのは、この「支え手である他者たち」の数があまりに多いので、入力の変化が当人のアクティヴィティにごく微細な影響しか与えないようなありようのことである。
赤ちゃんが自立していないと言われるのは、母親がひとりいなくなるだけでたちまちその生存が危うくなるからである。
「オレは自立しているぜ」などといくら力んで宣言してもダメである。
自立というのはマインドセットの問題ではなく、現にどのように他者とわかちがたく共生しているかの問題だからである。
自立の最低限の要件は「異性のパートナー」「党派的同志あるいは〈兄弟盃〉をかわしたパートナー」そして「顧客または弟子または支援者」の三つのカテゴリーの他者に支えられていることである。
どうしてこのようなことを断言できるかというと、昨夜『唐獅子牡丹・人斬り唐獅子』をまた見たからである。
これは『博奕打ち・総長賭博』とともに任侠映画の金字塔であるが(そういえば、どちらも山下耕作)、『唐獅子牡丹』を見て、どういう条件が整うと花田秀次郎は風間重吉とともに東雲一家に殴り込みをかけるのかをふと人類学的に考察してみたのである。
花田秀次郎くんにとって「異性のパートナー」はかつての恋人雅代(小山明子)であるが、雅代はいまは人妻。その夫である皆川(大木実)を秀次郎くんはあの名台詞「親分さんには何の恨みもござんせんが、渡世の義理。あっしと勝負していただきます」と言って斬ってしまう。
というわけで彼女は「フリー」になったわけだが、秀次郎くんとしても立場上すぐにどうこうなるわけにはゆかないので、「異性のパートナー」については条件が満たされていない。
「顧客、弟子または支援者」は本作では皆川の頼りない実子(長谷川明男)と剣の親分(片岡千恵蔵)である。
彼が後見すべき実子は東雲一家に殴り込んでテロられて、半死の状態。
渡世上のアイデンティティ担保者である剣の親分は東雲一家に暗殺されてしまう。
この段階で彼にはもう「兄弟盃」しか残されていない。
風間くんは東雲の親分からその直前に「破門」されたために、支援者を失っている。
その点では剣の親分さんを失った花田くんとカテゴリー的には同類となるので、「オレもいっしょに行かせてもらうぜ」という条件が整う。
なるほど、三つの条件のうち二つが失われた段階で「ええんこうまれええのあさくううさそだち」の旋律が可能になるわけであるな。
自立者は三条件のうち二つを失った段階で「自立できなくなって倒れる」ということである。
「倒れる」というのは「不安定な状態が一気に安定した状態に回帰すること」であり、同じことをケミカルに表現すれば「爆発」するということである。
なるほど。
その結果何が起きるか。
今度は彼らを「親分の仇」と狙う「旧・東雲一家」の復讐者たちを生み出す。
復讐者は「顧客、弟子または支援者」のカテゴリーに入れることのできる自立の要件のひとつである。
現に、これに先行する『唐獅子牡丹』シリーズでは、どの作品でも初期設定は何もかも失った花田秀次郎に最後に残っているのは、兄弟盃と復讐者だけであるという設定である。
この二つのカテゴリーに属する他者がある限り、彼はかろうじて自立状態を継続することができる。
逆説的なことだが、彼の死を願う復讐者の存在が彼の生きる支えとなるのである。
「恨まれるのは仕方がないが、この命簡単にはやるわけにはゆかねえんだよ」(というのも花田くんを「兄貴」とか「あなた」とか「おじちゃん」とか言って慕ってくる他者がいつのまにかまたできちゃったからである)ということでシリーズはエンドレスの構造になっているのである。
というような話を中高部の奨励でする(わけがないか)。
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