BlogNagayaLinkaGuestsColumnsBookMovieSeminarBudoPhotoArchivesProfile

« 2017年06月 | メイン | 2017年08月 »

2017年07月 アーカイブ

2017.07.31

地方移住の意味するもの

先週の『サンデー毎日』に少し長めのものを寄稿した。
もう次の号が出る頃だからネットに再録。

先日、奈良の山奥の集落で、都会から移住してきた若者たちと話し合う機会があった。
都市住民の地方移住は3・11以来途絶えることなく続いているが、メディアはこれを特に重要なことだとは考えていないらしく、ほとんど報道されることがない。総務省も国交省も農水省も、この動きには特段の関心を示していない。そもそも今のところ、地方移住については公式の統計さえ存在しない。2015年末に毎日新聞が明治大学の研究室と共同調査を行い、2014年度に地方自治体の移住支援策を利用するなどして地方に移住した人が1万1735人であることを報じた。それによると、09年度から5年間で地方移住者は4倍以上に増えたという。ただし、これは自治体の移住支援を受けた移住者だけの数であり、行政の支援を受けずに移住した人たちがおり、アンケート未回答の自治体もあるので、移住の実態は明らかにされないままである。
私はメディアと政府のこの無関心にむしろ興味をそそられる。過疎化・高齢化による「地方消滅」という危機的事態の切迫を考えると、若者の地方移住をどうやって支援するかということは国家的な急務だと私には思われるからである。だが、そのような熱意を政府やメディアから感じとることはない。なぜか。
そのときのトークセッションのテーマは「10年後の地方移住」というものであった。
集まってきた人たち(若者ばかりではない)はそれぞれの仕方で地方移住を果たした人たちである。住民たちと親しくなり、高齢の農業従事者からは「地域の農業文化を絶やす事なく継承して欲しい」と頼られるようになり、それなりに質の高い生活を営めるようになった。あと数年は「こんな感じ」で暮らしていけるだろう。けれども、10年後にはどうなっているのだろう。今のような生活がこの先10年後も20年後も維持できるのか。それについて意見を聴きたいと言われた。
私の見通しは明るいものではない。だから、こんなふうな話をした。
いま、みなさんが村落共同体のメンバーとして迎え入れられたのは、限界集落化という地方の窮状ゆえである。かつての村落共同体は、都市からやってくる「ニューカマー」たちに対してそれほど宥和的ではなかった。村の閉鎖性が解除されたのは、「このまま人が減り続ければ集落が消滅する」という危機感がリアルなものとなったからである。
だから、当然のことだが、移住者に対して最もフレンドリーなのが70代以上の高齢者で、それより年齢が若くなるほど移住者に対して距離感を持つということが起きる。同じことをいくつかの場所で聞いた。そうだろうと思う。「まだ時間がある」と思えば、見ず知らずの部外者の助力を求めるまでもなく、自力で何とかしようと考える。「もう時間が残されていない」と感じる人は「藁をもつかみ」、「猫の手」も借りたいと思う。閉鎖的な村落共同体の扉が緩んだのは高齢者たちが抱くこの危機感ゆえである。
だが、このような「チャンス」は長くは続かない。というのは、「脱都市」志向は文明史的な出来事だから、これからも続く者が出るだろうが、「限界集落消滅寸前」という事態にはタイムリミットがあるからである。
先日、私がある席で隣り合わせた岐阜県の人は、故郷の村はいま200戸あるが、子どもたちが引き続き村に住むと言っているのは2戸だけだと悲しげに語っていた。おそらくあと20年もすれば彼の故郷はほとんど住む人のない村になるだろう。
まだ集落としての体をなしているうちは移住者の受け入れもできる。だが、ある時点で、受け入れる主体そのものが消えてしまう。だから、地方移住はある意味で時間との競争なのである。このまま高齢化・少子化が進めば、20年後には「地方移住希望者をぜひ受け入れたい」と切望する集落そのものがなくなってしまう。諸君は「村落共同体の扉が一時的に開き、たぶん永遠に閉じる前の、ごく限られた時間帯」に地方移住を果したのである。そういう話をした。
気を付けなければいけないのは、地方の人口はなだらかな曲線を描いて減るのではなく、ある時点で一気に垂直に下降してゼロに近づくということである。先にあげた「200戸の集落が2戸になる」ケースを考えてみればわかる。2戸だけしか住人がいない集落にはもうバスも通らないし、学校もないし、病院もないし、警察もないし、消防署もない。住みたければ住んでもいい。「そういう生き方」を自己責任で続けたいという人を止めることはできない。だが、同じ地方自治体の他の地域の住民と同じクオリティの住民サービスを行政に期待してはならない。そう告げられるだろう。住民が2戸だけの集落にバスを通したり、ライフラインを維持したりするコストを税金で分担することを、他の地域の住民は拒否するだろう。だが、家族の中に子どもがいる場合は学校が近くになければ困る。介護看護を要するものがいる場合には病院が近くになければ困る。だから、人口減によって行政サービスが劣化した地域の人々は、生業を捨てて、「地方都市」へ移住することを余儀なくされる。
「コンパクトシティ」構想という国交省のプランは、この「里山から地方都市へ」という人口移動を利用しようとするものだと私は考えている。
たしかに、里山の住人たちを地方都市に呼び集めれば、一時的に地方都市は人口を回復し、消費活動も活発になるだろう。だが、それも一時的なものに終わる。そもそも里山の人口減は高齢化によるものである。高齢者を地方都市へ集めれば、地方都市が高齢化するだけの話である。彼らは年金や貯金の取り崩しによって、しばらくの間はいくばくかの消費活動を行い、介護など高齢者対象の雇用を創出しはするだろう。だが、里山で営んでいた生業を継続することはもうできないし、新たに起業することも期待できない。そして、何年か経って、消費活動に特化したこの高齢者層が「退場」したあと、「コンパクトシティ」はかつての里山と同じステイタスになる。住民たちは「採算が取れない」という理由で、それまで享受していた交通や通信や上下水道や医療や教育や防災や治安のサービスを打ち切られる。「採算が合わない行政サービスは廃止すべきだ」というロジックをかつて一度受け入れた以上、二度目も三度目も、受け入れ続けるしかない。かつて里山からコンパクトシティへ移住したように、今度は次の「もう少し大きい地方都市」への移住が促される。でも、やがてそこも人口減になる。すると、今度は「首都圏」への移住が促されるだろう。そして、最終的に首都圏に列島の人口の大部分が集まり、その外には「無住の荒野」が広がる。
「採算が合うか合わないか」ということを唯一の物差しにして、公共サービスの打ち切り・縮小を続けていれば、100年後の日本は「そういう光景」になる。
厚労省の中位推計によれば、100年後の日本の人口は約5000万人。今から7000万人ほど減って、日露戦争の頃の人口にまで縮減するのである。その5000万人が明治時代の日本のように列島各地に広く分布し、その頃のような穏やかな風景を取り戻すことになるのか、あるいは今私が描いたようなディストピア的風景になるのか、それはまだわからない。だが、経産省や国交省が描いている未来社会は「ディストピア」の方である。
前代未聞の人口減局面に立ち至って、まだ「経済成長」というようなことを言っている人たちなのだから、これからも「選択と集中」を呪文のように唱え続けるだろう。五輪や万博を招致し、カジノやアミューズメントパークを作り、リニア新幹線のような不要不急の土木事業に巨額の国富を投じ、「一発大当たりしたセクターからのトリクルダウン」を約束して、国民には増税や低賃金や私権の制限を求める。私は個人的にこれらの政策を「日本のシンガポール化」と呼んでいるが、政官財が日本の「明日の姿」として合意しているのはその方向と断じて間違いない。
シンガポールはご存じの通り、国是が「経済成長」であり、すべての社会制度は経済成長に資するか否かを基準に適否が決定される。だから、建国以来事実上の一党独裁であり、治安維持法によって令状なしで逮捕拘禁ができ、反政府的メディアも反政府的な労働運動も市民運動も学生運動も存在しない「世界で一番ビジネスがしやすい国」である。然るべき筋に通じて、権力者によって「身内」認定されれば、面倒な手続きも審査も「岩盤規制」もなしに利益の多いビジネスが始められる環境のことをもし「ビジネスがしやすい国」と呼ぶのだとすると、本邦における森友学園・加計学園問題のプレイヤーたちがどういう社会体制を理想としているかはおのずと知れる。
地方移住する若者たちになぜメディアも行政も関心を示さないのか、なぜ里山をもう一度豊かな故郷に蘇生させようとする彼らの願いに対して国を挙げての支援体制を整えようとしないのか、その理由は以上の説明でだいたいご理解頂けただろうと思う。
地方移住者たちは直感的にそういう生き方を選んだ。それは経済成長が止まった社会において、なお「選択と集中」という投機的な経済活動にある限りの国富を投じようとする人たちに対抗して、まだ豊かに残っている日本の国民資源-温帯モンスーンの豊饒な自然、美しい山河、農林水産の伝統文化、地域に根付いた芸能や祭祀を守ろうとする人たちが選んだ生き方である。
先月号の『フォーリン・アフェアーズ・レポート』では、モルガン・スタンレーのチーフ・グロバル・ストラテジストという肩書のエコノミストが、経済成長の時代は終わったという「経済の新しい現実を認識している指導者はほとんどない」ことを嘆いていた。経済目標を下方修正しなければならないにもかかわらず、政治家たちは相変わらず「非現実的な経済成長を目標に設定し続け」ている。中でも質の悪い指導者たちは「人々の関心を経済問題から引き離そうと、外国人をスケープゴートにしたり、軍事的冒険主義に打って出たりすることでナショナリズムを煽っている」(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』、2017年 第六号、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン、21-22頁)。
まるで日本のことを書かれているような気がしたが、世界中どこでも政治指導者たちの知性の不調は似たり寄ったりのようである。
だが、このエコノミストのような認識が遠からず「世界の常識」になるだろうと私は思っている。今求められているのは、この後始まる「定常経済の時代」において世界標準となりうるような「オルタナティヴ」を提示することである。若者たちの地方移住はその「オルタナティヴ」のひとつの実践である。海外メディアがこの動きを「超高齢化・超少子化日本の見出した一つの解」として興味をもって報道する日が来るのはそれほど遠いことではないと私は思っている。

街場の五輪論のむかしの前書き

久米宏さんが五輪反対の論陣を孤軍で死守されているので、それを応援する意味で、だいぶ前(4年くらい前)に出した『街場の五輪論』(平川克美、小田嶋隆との鼎談)の「まえがき」を採録する。
五輪についての私の意見はこのときとまったく変わっていない。
久米さんによると、1000億円の違約金を払えば五輪は返上できるそうである。
その方が「まだまし」だと私も思う。東京都民が「それでもやりたい」というのなら「お好きにどうぞ」という他ないが。

五輪招致が決定したときのテレビ放送を私は見ていない。もともとほとんどテレビを見ないし、五輪の中継もシドニー五輪のマラソンからあと見たことがないし、今回の五輪招致事業にも何の興味がなかったからである。
ところが、朝起きたら、寝不足気味の妻が五輪開催地が東京に決まったと教えてくれた。その前の猪瀬都知事のニューヨークでのイスラーム圏蔑視失言に露呈した夜郎自大なナショナリズムと五輪精神の軽視によって、IOCの委員たちは東京開催を見限ったはずだと思っていたから結果には驚いた。
そのあと新聞を開いたら、「お・も・て・な・し」という見出しが大きく出ていて、プレゼンテーションがうまかったので招致に成功したという話になっていた。
なんだか気鬱になっていたら、あちこちのメディアから「五輪招致成功についてどう思いますか」と取材された。そのたびに「うんざりしてます」と答えていた。どうしてこんなに同じ話で取材が続くのかと思って、何度目かに新聞記者に理由を訊いてみた。すると「ウチダさんの他には『五輪招致に異議あり』と公言する人がきわめて少ないのです」ということだった。せっかく国民的気分が盛り上がっているときに、冷水を浴びせるようなことを言うのは「空気が読めないやつ」だということなのだろう。
そのときに「僕以外に『五輪に異議あり』というコメントを取れたのは誰からですか?」と訊いたら、「想田和弘さんと小田嶋隆さんです」と答えたので、苦笑してしまった。なんだ、知り合いばかりじゃないか。意固地で偏屈な人間たちが「似たもの同士」で固まって棲息しているというふうに世間からは見えているのだろうと思った。
でも、この言論状況はかなり危険ではないかと思う。
私は「空気を読む」ということについてはきわめて敏感な人間である。経験的に言って、時代の「潮目の変化」を見落としたことはこれまで一度もない。地震が来る前になまずが騒いだり、鳥が泣き叫んだりするのとあまり変わらない原始的な本能の発露であるけれど、地殻変動的な社会の変化の予兆を感知しそこなったことはない。その「野生の勘」が五輪開催によって日本社会のさまざまなシステムの劣化と崩壊は加速するだろうと告げている。問題は、私の他にそういうふうに感じている言論人がほとんどいない、あるいはいるけれど発言を控えているということである。
同じことは二年前の大阪市長選挙のときにも感じた。私は大阪維新の会という政治勢力が世界的なグローバリズムの政治的尖兵であり、その政治目標が国民国家と地方自治体の「株式会社」化とデモクラシーの空洞化にあると直感したので、橋下候補の政治的意見を批判した。次々と新聞社が取材に来た。あまりに取材が続くので、「私の他に橋下さんを批判する学者はいないのですか」と訊いたら、「いない」と言われた。あとは北大の山口二郎、中島岳志、立教の香山リカさんくらいですと教えられた。地元大阪や京都の学者で橋下批判した教員はきわめて少ない。大阪のある私学の教員は例外的にメディアに橋下批判を書いたが、すぐに大学の上層部に呼び出されて「やめろ」と言われたそうである(ご本人から聞いた)。
なぜ地元の学者たちは橋下批判を控えるのかと重ねて訊いたら、ある新聞記者が「仕返しが怖いのです」と教えてくれた。だが、私はこの説明は奇妙だと思った。いったい一地方自治体の首長が、彼の政治的意見や政策を批判した民間人にどんな「仕返し」ができるのか。いくらなんでも、日本はそのような無法な国ではない。私はそう信じている。彼はメディアを通じて私に反論したり、場合によっては私を罵倒したりはするだろうが、それは彼の当然の市民的な権利である。まさか、彼が隠然たる政治力を利用して、私に「仕返し」をするようなことはあるはずがない。私はそれくらいには日本の法治と橋下徹の市民的常識を信じている。だから、心おきなく批判したけれど、近畿圏の大学教員たちの中では、私のように考えた人はむしろ少数であった。
私にはそのことに衝撃を受けた。彼らは実効的な法治も、民主的に選ばれた政治家の常識も信じていない。たしかにそれはある種の健全な懐疑精神の発露であるかも知れない。何も信じないという猜疑心の深さと知性の厚みの間にはもしかすると一定の相関があるのかも知れない。しかし、彼らがその懐疑精神を豊かに発動して無言を貫いたせいで、ある政治勢力については自由に語ることが「できない」という「空気」が現実に醸成されてしまった。語ることを控えた学者たちは、そのことについていくばくかの責任を感じてもよいのではないかと私は思う。
それと同じような無言の同調圧力を私は五輪招致という論件についても感じる。「そんなことを言っても、いまさら始まらない」という無力感と世論の中で孤立して無用のバッシングを浴びたくないという恐怖心が、五輪問題についての「そんな話、オレは知らんよ」というシニカルな態度を導き出しているということはないのだろうか。
というようなことを書くと私はますます嫌われ、ますます孤立するわけだが、それでも誰かがこの面倒な仕事を引き受けなければならないという確信は揺るがない。日本社会では、どのような論件についても無力感や恐怖感を感じることなく、自分の意見を述べる権利が保障されているということを公的に確認するために、どんなに賛同者の少ない少数意見であっても、一応言ってみるというのはたいせつなことである。
正直言って、私たちは「五輪なんかどうだっていい」と思っている。でも、「だから黙っている」という選択肢はどうも許されないような言論状況であるので、この本を作ることになった。
だから、この本について言えば、そこで語られていることよりも、「こういうことを語る人がこの三人の他にあまりいない」という言論状況そのものの方が問題なのだ。「語られているコンテンツ」より「そのようなことが語られることに対して抑圧が働いている」という事実の方が重いということである。
だから、この本を読んだ方に持って頂きたい感想は「これくらいのことは、言っても大丈夫なんだな」ということである。何人かの読者が「自分の感じていた息苦しさが少し緩和した」と思ってくれたら、それだけでもこの本を出した甲斐はあったと思う。
鼎談に集まった三人はそのような「炭坑のカナリア」の役目を引き受けることを自分の物書きとしての責務の一部だと感じている人間たちである。カナリアが鳴いているうちは大丈夫である。だが、彼らが鳴き止んだら、そのときはみなさんはできるだけすみやかに今いる場所から逃げ出した方がいい。そのときにまだどこかに逃げる場所があるかどうかはわからないけれど。

About 2017年07月

2017年07月 にブログ「内田樹の研究室」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは 2017年06月 です。

次のアーカイブは 2017年08月 です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。