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2008年10月 アーカイブ

2008.10.01

アメリカの選択

金融危機に歯止めをかけるはずだった金融安定化法案が下院で否決され、ニューヨーク株式市場は「史上最大の下げ幅」を記録し、アメリカ発の金融危機が世界同時株安へと連鎖しようとしている。
そうですか。
法案が否決された理由は「高給取りの金融マンを救済するためになんでワシらの税金を投入せにゃならんの」という選挙民の感情に配慮したためだそうである。
11月に下院選挙があるので、ここで民意を逆撫でするような投票行動を取ると落選する可能性がある。だから、世界株安になろうと、世界各地の金融機関がばたばたつぶれようと、「オレの選挙」の方が優先という政治家心理が働いた結果だそうである。
もちろん、市場原理主義という大義名分もある。
生き残る企業と退場する企業はマーケットが選択する。政府がこれに介入すべきではない。
なにしろ、「マーケットは間違えない」という原則に従ってこれまでやってきたのである。

なるほど。
法案否決の報にわが国の財務省幹部は天を仰いだそうであるが、別に驚くほどのことはあるまい。
政治家なんてそんなものだということは自国の政治家を見ていて、先刻ご承知のはずである。
日本の政治家は選挙のことしか考えないバカだが、アメリカの政治家は世界秩序のことを優先的に考えている立派な人たちだともし財務省の幹部が思っていたとしたら、その短見は責められなければならない。
アメリカの議員もやっぱりバカなんです。
サブプライムローンのことを書いたときに、これは「国民を全員バカ化することで利益を上げるシステム」であるから、成功すればアメリカが滅びるのは論理的には自明のことであると書いたけれど、「国民総バカ化」趨勢は私の予想を超えて深く進行していたようである。
少し前に『チャーリー・ウィルソンの戦争』という映画について、こんな映画評を書いたことがある。
アメリカの下院議員の話である。

 1979年アフガニスタンにソ連軍が侵攻したあと、アフガニスタンのイスラム教徒たちは10年間にわたって反ソ連のゲリラ戦を展開しました。アメリカはこのゲリラ戦士たちをCIAを通じて極秘に支援しました。武器の供与と兵士の訓練です。そのときに訓練された反ソゲリラの兵士たちの中にオサマ・ビン・ラディンもいました。ですから、アメリカはアルカイーダのテロリストたちを自費で養成していたことになります。
このゲリラ支援を強力に推し進めたのがテキサス州選出の下院議員チャーリー・ウィルソンです。彼の強引な議会工作がなければ、おそらくアメリカはあれほど深くアフガニスタン内戦にコミットしていなかったでしょうし、結果的に9・11テロも起こっていなかったかもしれない。善意がかえって仇となるというこの歴史的皮肉がどうしてもたらされたのか、その理由の一部がこの映画では解明されます。
この物語の中には主人公のチャーリー・ウィルソンをはじめ、状況を自力でコントロールできる人間が一人も出てきません。何が起きているのか、自分がいったい何をしているのか、それが世界史的にはどういう意味をもつ決断なのか、実のところ、よくわかっていない。彼らは単に「アメリカが大好き」だったり、「世界は善と悪の二つの陣営の間の戦いだ」と信じていたり、「難民たちがかわいそう」と義憤に駆られたり、それぞれ個人の身の丈に合った尺度でこの国際紛争を眺めているだけです。ふつうの市民がTVニュースを見て憤慨しているだけであれば、別に歴史は変わりません。けれども、それが国防予算の極秘支出額を決定できる議員であると話は違ってきます。
チャーリー・ウィルソンの強みは、考え方がシンプルで、行動力があって、声がでかくて、そして情に厚いテキサス男だということです。「こういう人は悪いことはしない」という直観が私たちを重大な決断に導くということが現実にはよくあります。たぶん、チャーリー・ウィルソンの場合もそうだったのでしょう(トム・ハンクスはまさに適役)。そして、テキサスの自分の小さな選挙区で有権者の日常的陳情(「税金下げて」とか、「銃規制に反対して」とか)に応えてきたのとほとんど同じマインドで、チャーリー・ウィルソンはパキスタン大統領やアフガン戦士の「陳情」に応えてしまいます。
この「日常生活感覚で(浴衣に下駄履きで)国際政治の現場に出て行く」チャーリー・ウィルソンの生き方をマイク・ニコルズはいささかの皮肉と愛情を込めて描き出しています。「そういうふるまい」方が許されているのはアメリカ人だけです(だって世界中どこでも英語は通じるし、世界中どんな場所でも「で、いくら欲しいのかね」と言える人間の言葉は注意深く傾聴されますから)。これまではそれがアメリカの最大の強みでした(いつまで続くのかわかりませんけど)。そして、この映画は「ローカルな政治感覚しか持たない政治家が世界史的決定を下すことのできる力を持たされている」という状況がもたらした悲喜劇を丁寧に描いています。『ランボー3 怒りのアフガン』と一緒に見ると、おもしろさ倍増です。

今読み返してみると、なかなか適切にアメリカの議会政治の問題点を指摘しているではないか。
とくに、「日常生活感覚で(浴衣に下駄履きで)国際政治の現場に出て行くことが許されているのはアメリカ人だけです(だって世界中どこでも英語は通じるし、世界中どんな場所でも「で、いくら欲しいのかね」と言える人間の言葉は注意深く傾聴されますから)」というのはアメリカ人が国際政治にかかわるときのピットフォールであるということは今回の事件であらわになった。
アメリカは「自国語で話すことを世界中のどこでも相手に要求できる」ということと「与える金がある」という二つの事実によって世界に君臨してきた。
これがどういうことかは日本語がリンガフランカであり、あらゆる外国人との会話の席において、相手の面倒な話を遮って「で、要するに君はいくら欲しいんだね」と言える立場に私たちが立った場合にどれくらい急速にバカになるかを想像すればご理解いただけるであろうと思う。
これに類する状況がバブル期に局所的に存在したことを覚えているみなさんは、この条件下で日本人がバカ化する速度が想像を絶したものであることにご同意いただけるであろう。
その点から言えば「アメリカ人はバカ趨勢にずいぶん健気に抵抗した」と評価してもよいと思う。
しかし、歴史の歯車は誰にも止められない。
自分の田舎のローカル・ルールが「グローバル・スタンダード」だと言い募っても誰も反対できない状態に長く置かれた人間が節度を保ち続けることは絶望的に困難である。
アメリカの没落は必然的である。
というのは、上に書いたように、まさに今のアメリカ・システムの弱さは「アメリカが強すぎる」という事実によってもたらされてものだからである。
だから、ここでアメリカのシステムを強化する施策はシステムの危機を拡大することにしかならない。
もちろんアメリカにもクレバーな政治家はいるから、私は21世紀のアメリカは遠からず「モンロー主義」に回帰するだろうと見ている。
「ウォール街のヤッピーたちの生活や、外国の金融危機なんか、オレにはどうでもいい。たいせつなのはオレの明日の米櫃だ」というプア・ホワイトたち悲痛な言葉が幅広い共感をもってアメリカの世論に受け止められたということは、アメリカが精神的な「鎖国」に向かう指標だろうと私は思っている。
というか、アメリカ市民の大多数が「オレ以外の人間なんかどうなってもいい。オレの自己利益の追求だけが重要なんだ」という考え方に同意したときに、アメリカ人はすでに「鎖国」に舵を切ったのである。
この宣言の「オレ」を「アメリカ」に置き換えれば、わかる。
かつてアメリカは不干渉主義を掲げ、他国の戦争にできるだけコミットしないことで未曾有の繁栄を言祝いだ。
その歴史的経験に彼らはまたすがりつくだろう。
11月の選挙でオバマが大統領に選ばれた場合(その確率は高い)、彼は「危機地域の秩序回復よりオレの明日の米櫃」を心配するアメリカ市民の要請に応えて、まず「戦費の削減」から始めるはずである(希望的観測)。
アメリカ人が「節度」という言葉をこの機会にもう一度思い出してくれるのであれば、この世界同時株安をアメリカのターニングポイントを画すものとして、奇貨とせねばならない。

2008.10.02

I'm down

体調不良でダウン。
オフの水曜日午後からずっと寝ていたのだが、回復せず、朝教務課に電話をして休講を届け出る。
フランス語のクラスだけだと思っていたら、朝一で高橋佳三さんとの打ち合わせ、午後に新聞社の取材と卒業記念アルバムの撮影が入っていた(グーグルカレンダーを開く気力もなかったために、すべて忘れていた)。
いずれも関係者はさぞや激怒されたことであろう。
まことに申し訳ない。
しかし、起きて大学まで行く気力体力がない。
病気になるのもままならぬ。
病気になると誰かが怒り出す。
因果な人生である。
二週間ほど寝ていれば回復できるだろうが、その間のすべての仕事をキャンセルしなければならない。
その言い訳をする手間だけで倒れそうである。
仕事を断ると、ひとびとは一様に「傷つけられた」という表情になる(メールや電話だと顔はみえないけど、口調から察するに)。
それがつらいので仕事が断れない。
するとエンドレスで仕事が増える。
そして、「こんなこと」が起きて、結果的にいろいろな人に不義理をして怒らせることになる。
不幸のスパイラルである。
明日は私が議長の会議があるから、這ってでも大学に出なければならない。
あと18時間ほどのうちに、大学まで這って行ける程度の体力を回復せねばならぬのだが、果たしてそれは可能であろうか。

誕生日に色々とお祝いのメッセージやプレゼントをいただいた。
この場を借りてお礼を申し上げる。
みなさんどうもありがとう。

2008.10.03

そのとき野田秀樹の横にいた

野田秀樹さんがAERAで「ひつまぶし」というエッセイを連載している。今週号で30年ほど前の俳優座劇場でのできごとを書いている。
伝説の人、学生演劇のAさんに誘われて、野田さんはたいへん挑発的な芝居に主演することになった。
登場人物は全員全裸、せりふは「ただひたすらに昭和天皇を誹謗中傷するものであった」というのだからよく出演を引き受けたものだと思うが、野田さんは「天下の俳優座劇場と伝説の人と好奇心に負け」て、ふらふらと主演することになってしまう。
当日、俳優座に行った後については野田さん自身の言葉をそのまま引用しておこう。

そこではもう芝居が即興的に始まっていた。フリージャズの伝説のサックス阿部薫がプププ、プププ、プププ~と一本調子でやっていた(彼はそれから間もなくして薬で死んだ)。伝説の日活ロマンポルノの中島葵もいた。全裸で。申し訳程度に局部に泡をつけていた(彼女も間もなく死んだ)勿論、伝説の人Aも全裸で泡をつけていた。私は、もう何が何だか状況がわからぬまま、二言三言セリフを言った。俄かに入り口が騒がしくなった。右翼の街宣カーがやってきた。その芝居を聞きつけたのか、Aが最初から呼んでいたのか。とにかくその途端、Aは嬉々として「入り口へ行け!前に出ろ!突っ込め!」みたいなことを叫び、私は押し出されるように矢面に立たされた。(「ひつまぶし」8、AERA、10月6日号、96頁)

Aというのは劇団駒場のかの芥正彦のことである。
私はこの日、チケットを持って俳優座劇場の前に並んでいて、右翼がかんしゃく玉を野田さんに投げつけているとき、横にいたのである。
駒場時代の級友で「45LIII9D二大奇人」の一人であった万代くん(あとの一人は仲間くん)がこの芝居のプロデュースをしていて、その数日前に渋谷の駅頭で万代くんにばったり会って、そのときに「芥がまた芝居やるから見に来てよ」といわれて、チケットを二枚買ったのである。
もう一枚のチケットは故・竹信悦夫に売って、二人で見に行く約束をしていた。
例によって竹信は約束の時間に現れず、そうこうしているうちに右翼と劇団の諸君の小競り合いが始まり、劇場側が「こんな騒ぎになるなら公演は中止だ」ということになり、私は観劇をあきらめて、そのまま人気のない俳優座劇場の壁にもたれて1時間ほど竹信を待ったのである。
芥正彦の十年ぶりくらいの、それも一日限りの舞台だったのだから、あの日、あの時間に俳優座劇場入り口付近には「そういうのが好き系」の人たちがずいぶん集まっていたはずである。
ほかに誰がいたのか知りたいものである。

2008.10.07

足の腫れはひきましたが

週末は箱根湯本でアゲインの株主総会。ビジネスマン諸君と日米経済問題について集中討議。連続10時間に及ぶ展望のやりとりの結果、やはり弱者救済が施策としては最優先すべきであるという立場から、アゲイン店主への集中的な展望投与がなされた。なお、総会の諸経費については当初「頭割り」の予定であったが、招集者である横浜の某商社社長が「公的資金投入」を単独決定、参加者全員「ごっちゃんです」。帰りに山安の干物を買って帰る。次回総会は来年三月の予定。
往路の新幹線車中で『広告批評』のために橋本治論、復路の車中では『新潮45』のために「呪詛論」を書く。
夕方から大阪市内某所で成瀬雅春さんと二度目の対談。
二度目なので、だいたいおたがいの「打ち筋」がわかっている。とんとんと話が進んで、最後は物理学と時間論の話。
成瀬さんにいちばん身体にいいのは「歩くこと」だと教わる。
べつに足腰の筋骨を鍛えることが身体によいのではない(「鍛える」ということはだいたい身体に悪い)。
歩いているといろいろなことが起こる。
それを予期して、最適動線を、そのつどの最適な身体運用で動くためには心身の総合的な能力が必要である。
五感プラス第六感を総動員して空間移動するということ「そのもの」が身体によいのだそうである(だからジムでルームランナーで走ったり、サーキットをくるくる走ることにはあまり意味がない)。
ほとんど同じことを多田先生からもうかがったことがある。
吉祥寺の駅前を月窓寺まで「人にぶつからないように歩く」というだけでずいぶんいい稽古になるそうである(多田先生の歩かれているのを後ろから見ていると「先生の通り道」だけが一本まっすぐ通っているように見える)。
私たちは身体機能をもっぱら空間的な表象形式で把握しているけれど、ほんとうの身体能力というのは「ある時間上の点」から「次の時間上の点」まで移動するときに、どれだけ「細かく」その時間を割れるかということにかかっている。
比喩的に言えば、運動生理学的な身体能力は「輪切りにされたハムの断面」を見て計測され、ほんとうの身体能力は「ハムをどれだけ薄く輪切りにできるか」によって決まる。
いくらハムの断面を凝視しても、ハムの薄さはわからない。
そういうものである。
私は人の多いところを歩くことをあまり好まない。
微細なシグナルにすぐ反応しちゃうので、それが「うるさい」のである。
だから車で通勤している。家の前で車に乗って、岡田山に着くまでドアを開けない。これだと「うるさいシグナル」に反応せずに済む。
私のことを「横着な野郎だ」と思っている方が多いが、実はそういう切ない理由があるのである。
子どもの頃から職住近接主義で、1時間以上かけて通勤通学したことがない(自由が丘から本郷三丁目に通っていたときがもっとも長い通学距離であり、だからほとんど大学に行かなかった)。
高校を中退したいちばん大きな理由も50分かけて高校まで通うのにうんざりしていたからである(誰も信じてはくれまいが、ほんとうなのである)。高校生活そのものはとっても愉しかったのである。だから、もし1967年に内田家が青山とか麹町にあったら、たぶん私は高校をちゃんと卒業していたはずである。
私が「ビバじぶんち」というのはそういうフィジカルな理由によるのである。
私が大学を辞めたら「道場」を「じぶんち」に併設したいと望んでいるのは、それだともう一生涯どこに出かける必要もなくなるからである。
成瀬さんとの対談を終えてから家に帰って、ばたばたと仕事を片付ける。『ひとりでは生きられないのも芸のうち』が文春文庫になる(というのは嘘で、『知に働けば蔵が建つ』の方でした。すみません。すみません)。
そのあとがきゲラを送稿。
解説は関川夏央さんが書いてくれた。関川さんに「内田樹は・・・」というふうに書かれると、なんだか日本文学史上の登場人物になったような気がする。
関川さんの「内田樹論」はすごく身に浸みた。じん。
『新潮45』と文藝春秋の『日本の論点』の原稿をまとめて送稿。
締め切りの迫ったものはだいたい終わった。
次は『ディアスポラの力』(ジョナサン&ダニエル・ボヤーリン)の書評である。これ270頁もあるんだよね。とほ。


2008.10.08

朝の読書

卒論中間発表。
今回は2人欠席で13名が20分間ずつ発表。
正午に開始して、終了したのが6時。
うう、疲れたぜい。
どれもたいへん面白い発表だった。「裁判員制度」や「女子大の存在意義」や「おひとりさま」や「消費者参加型マーケティング」については、そのつどこのブログで自説を述べたので、今回はまだ一度も言及していないトピックについて。
「朝の読書」である。
ウィキペディアの説明を貼り付けておく。
「朝の読書運動は小・中・高等学校において、読書を習慣づける目的で始業時間前に読書の時間を設ける運動。個々の学校や担任単位で1970年代から各地で行われてきたものであるが、1988年の東葉高等学校の運動をきっかけに全国に広まった。とくに小学校で盛んである。
読書時間は10分から15分程度である。生徒が持参した、あるいは学級文庫の中から選んだ本を読む。とくに小学生を対象として、読書教材を少ないページ数でまとめて短時間で読めるように編集された読み物シリーズなどを刊行する出版社がある。
文部科学省が、2001年を「教育新生元年」と位置づけ、「21世紀教育新生プラン」と銘打って、あいさつのできる子、正しい姿勢と合わせて、朝の読書運動を三つの柱のひとつとして取り上げてから盛んになった。文部科学省は5年計画で1,000億円を図書購入の費用として支援する。
ゲーム依存の強い子どもたちに、読書する楽しみや喜びを体験させることは、一斉に読書というかたちであれ、益するところがあるのではないかと考えられている。」
それがどうした、と言われそうであるが、私もずっと「それがどうした」と思って、この運動について無関心であった。
朝の10分やそこら、手近の本をぱらぱらめくったくらいで「読書」になるものか、と思っていたからである。
ところが、卒論の発表の中で「朝の読書は国語の勉強ではありません」という話と、「朝の読書をすると記憶力が向上することが知られている」という指摘に「びびび」と来たのである。
そ、そうだったのか。
私が「朝の読書」ということの有効性をうまく理解できなかったのは、「読書」という語に惑わされていたからである。
あれは「読書」ではなく、「読字」だったのである。
私は重度の「活字中毒」であるが、これは必ずしも「面白い本が読みたい」ということを意味していない。
字が書いてあれば何でもいいのである。
現に、電車の中で本を読み終えてしまうと、私は巻末のカタログを熟読し、奥付を読み、中吊り広告を読み、窓に貼ってある広告(「わきがのことはオレにまかせろ!」などというのを)を熟視する。
これはどう考えても「読書」ではない。
私はおそらく「字を読む」ことそれ自体をはげしく欲望しているのである。
橋本麻里さんも子ども時代から強度の活字中毒で、家中の本を読みあさり、ベッドの中でも読み続けたせいでたちまち近視になったそうである。
「慌てた両親は読書禁止令を出したが、海苔の佃煮の瓶に貼られたラベルを、何度も舐めるように読み返している娘の姿に哀れを催したのか、禁止令はいつの間にかうやむやになってしまった。佃煮のラベルも、読み込めばそれはそれで結構面白い」(『街場の現代思想』の解説から)
そう、これである。
読む本がなくなると、海苔の佃煮の瓶のラベルでも、風邪薬の効能書きでもなんでも「舐めるように読み返す」のが活字中毒者である。
あきらかにコンテンツには副次的な重要性しかない(というか、副次的な重要性さえない)。
重要なのは「文字を読むこと、それ自体」なのである。
脳の一部が「読む」という行為が随伴するある種の生化学的な反応を求めているのである。
どういう生化学的な反応か知らないけれど、網膜に活字が投射されることを脳が要求しているのである。
この要求に屈服して、継続的に活字を脳に供与しているうちに私たちは晴れて「活字依存症」というものになる。
おそらく「文字を読む」という動作には二つの層が存在するのである。
第一の層では「図像」情報としての活字が絶えず入力されている。図像であるから、意味なんかどうだっていいのである。そもそもシーケンシャルに読む必要さえない(「読む」というより「見てる」んだから)。
おそらく、この第一の層において文字情報は図像として一挙に与えられる。
私たちが絵を見ているときに、まず全体を一望して、興味のある細部にそのあと個別的に注視するのと一緒で、まず文字情報は全体として一望的に与えられる。
そして、その後に、脳内に入力されたこの文字情報を私たちは意味レベルで(つまりシーケンシャルに)処理するのである。
何度も引いている話だが、『どくとるマンボウ青春記』の中に、北杜夫がトーマス・マンに心酔していたころに、仙台の街を歩いていて「ぎくり」として立ち止まるという話がある。
どうして「ぎくり」としたのか知ろうとしてあたりを見回すと、酒屋に「トマトソース」という看板がかかっていた、という話である。
「トマトソース」から「トーマス・マン」を読み出すためには、文字順を入れ替えるだけではなく、二つある「ト」を一つ読み落とし、一つしかない「マ」を二度読み、「ソ」を「ン」と読み違え、最後に「・」を付け加えるという作業をせねばならない。
私たちの脳はこれほど手間のかかることを一瞬のうちにやっているのである。
一瞬のうちにそこまで「下ごしらえ」を済ませておいて、それから私たちはようやくそれを「読む」段階に達するのである。
「読字」というのは、この「第一の層」の機能なのである。
北杜夫もまたこの時期重度の活字中毒であり、朝から晩まで、文字入力作業をひたすら続けていた。
そして、文字入力能力がある限界を超えた。
この限界を超えると、頁を開いただけで「見開き2頁分のすべての文字が瞬間的に入力される」ということが可能になる。
もうすでに2頁は一望的には読み終えているのである。
一望的に読み終えた文字列をシーケンシャルに再読するというかたちでいわゆる「読書」が始まる。
それは私が例えば小津安二郎の『秋刀魚の味』を見るときの感覚に近いといえば近いであろう。
私はその映画の中のほとんどすべてのシーンを記憶しており、ほとんどすべての台詞を諳んじている。
にもかかわらず、その「もう見た映画」の上に、シーケンシャルに映画が展開してゆくときに、私は繰り返し深い愉悦を覚える。
記憶と現実の微細な差異(場面の一部についての入力漏れや、台詞についてのわずかな記憶違いなど)が「和音」のようなものを奏でるのである。
私たちは頁を開いたときに2頁分の文字情報の入力をもう終えている。
終えた後に、私たちは「もう読んだ文章」を「まだ読んだことがないふりをして」再読するのである。
それはタイムマシンで5分前の世界に逆戻りした人間のありように似ている。
自分のまわりで起きていること、会う人、その人が言う言葉、その人の表情、それはすべて「もう知っていること」なのである。
けれども、ものには手順があり、世界には秩序があるから、「もう知っていること」だからやらず済ますというわけにはゆかない。
同僚から「おはよう」と言われたら、オレは五分前にそれにもう「おはよう」と返事したんだから、今回はパスねというわけにはゆかない。
五分前に自分がやった通りのこと、言った通りのことをもう一度繰り返さないといけない。
すでに知っていることを、もう一度「知らないふりをして」繰り返す。そこには当然ながら「既視感」と、「私はこれから起こることも全部知っているのだ(みんなは知らないけどさ)」という「全能感」が発生する。
この何とも言えない「既視感」と「全能感」こそ、読書が私たちに与える愉悦の本質ではないのであろうか。
「既視感」というのは、つねづね申し上げているとおり「宿命性」の徴である。
私たちが宿命的な恋に落ちるのは、「私はかつてこの人のかたわらで長く親密な時間を過ごしたことがある」という「既視感」にとらえられたからである。
その消息は村上春樹が『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて』に活写している。
既視感をもって本を読むとき、私たちは「私はまさにいまこのときに、この本を読むことを遠い昔から宿命づけられていた」という感覚にとらえられる。
それはもっとも幸福な読書の体験である。
おそらく「文字を読む」というのは「そういうこと」なのである。
だから、ある日幸福な読書を経験するためには、「海苔の佃煮の瓶のラベル」を舐めるように読むような「読字」の時間が必要なのである。
「朝の読書」運動というのは、誰かそのような不思議な感覚に通じた人が思いついたことに違いない。
「佃煮のラベル」でも「風邪薬の効能書き」でも、毎朝10分舐めるように眺めさせれば「朝の読書」と同様の効果が上がることをどこかの先生が実験してくれないかしら。

2008.10.09

ノーベル文学賞の日

今日はいよいよノーベル文学賞の発表である。
村上春樹氏ははたして今年ノーベル文学賞を受賞するであろうか。
物理学賞、化学賞と立て続けに日本人受賞者が輩出しているので、今年は「日本イヤー」になるかも知れない。
というわけで、新聞社から「村上春樹ノーベル文学賞受賞のコメント」の予定稿を求められる。
今回はS新聞、K新聞、Y新聞の3紙から求められた。
S新聞には過去2回書いているので「三度目の正直」。
私のような門外漢に依頼がくるのは、批評家たちの多くがこの件についてのコメントをいやがるからである。
加藤典洋さんのように、これまで村上文学の世界性について長期的に考えてきた批評家以外は、村上春樹を組織的に無視してきたことの説明が立たないから、書きようがないのである。
だが、説明がつかないから黙っているというのでは批評家の筋目が通るまい。
批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられる知性のことではないのか。
自前の文学理論にあてはめてすぱすぱと作品の良否を裁定し、それで説明できない文学的事象は「無視する」というのなら、批評家の仕事は楽である。
だが、そんな仕事を敬意をもって見つめる人はどこにもいないだろう。
蓮實重彦は村上文学を単なる高度消費社会のファッショナブルな商品文学にすぎず、これを読んでいい気分になっている読者は「詐欺」にかかっているというきびしい評価を下してきた。
私は蓮實の評価に同意しないが、これはこれでひとつの見識であると思う。
だが、その見識に自信があり、発言に責任を取る気があるなら、授賞に際しては「スウェーデン・アカデミーもまた詐欺に騙された。どいつもこいつもバカばかりである」ときっぱりコメントするのが筋目というものだろう。
私は蓮實がそうしたら、その気概に深い敬意を示す。
メディアもぜひこれまで村上春樹を酷評してきた批評家たち(蓮實や松浦寿輝や四方田犬彦などなど)にコメントを求めて欲しいものだと思う。
私は村上春樹にはぜひノーベル文学賞を受賞して欲しいと切望しているが、それは一ファンであるというだけの理由によるのではなく、この出来事をきっかけに日本の批評家たちにおのれの「ローカリティ」にいいかげん気づいて欲しいからである。
純文学の月刊誌の実売部数は3000部から5000部である。
この媒体の書き手が想定している読者は編集者と同業者と、将来編集者か作家か批評家になりたいと思っている諸君だけである。
そのような身内相手の「内輪の符丁」で書くことに批評家たちはあまりに慣れすぎてはいないか。
井上雄彦は一頁描くごとに、彼の新作を待ち焦がれている世界各国、言語も宗教も政体も風俗も異なる数億の読者を想定しなければならない。
世界各国の読者を想定して創作し、現に世界各国の読者に待望されている作家を私たちの社会はすでに多数生み出している(鳥山明も大友克洋も宮崎駿も押井守も)そうだ。
そのような世界的な作家が何を考え、どのような技術を練磨しているのか、それを批評家たちは想像できるのだろうか。
私は懐疑的である。
第一、世界的な作家を批評している人たちのうち、自分の批評的な文章が「日本以外の国々の読者に読まれること」を想定して(せめてそれを希望しつつ)作文している人間が何人いるだろうか。
私はほとんどいないと思う。
村上春樹は批評を一切読まないと公言している。
その作家がノーベル文学賞を受賞した場合、日本の批評家たちはなぜ彼らの仕事が村上からこれほど軽んじられたのか、またなぜ彼らは村上文学の世界性を予測できなかったのか、その意味を今でも理解できないでいるのか、その説明責任を負うだろうと私は思っている。

追記・残念ながら、村上春樹さんのノーベル文学賞受賞はなく、ル・クレジオが受賞することになった。
電話をかけてきた某新聞社の記者は「ル・クレジオって、ご存じですか?」と訊いてきた。まわりにいた記者たちの誰も名前を知らなかったそうである・・・
かわいそうなル・クレジオ。
1970年には大学生たちのアイドルだったのに。
だから、「まだもらってなかったのか」と私は驚いたのであった。
フィリップ・ソレルスとかマルグリット・デュラスとかはどうなのであろう(もう死んじゃったのかな)。

さて、その村上春樹さんノーベル文学賞受賞幻の予定稿であるが、せっかくであるのでここで公表することにしよう。

 「村上春樹ノーベル文学賞受賞」についてのコメントの予定稿を用意して、結局使わずじまいということがここ二年続いた。この原稿(もちろん予定稿)こそはぜひ紙面に載って欲しいものである。
それにしてもどうして「村上春樹のノーベル文学賞受賞」というような日本文壇をあげてことほぐべき事件についてのコメントが私のような文学と無関係なものに回ってくるのか、それが問題である。おそらく日本の批評家の中にこの受賞を慶賀したい気分の人が(加藤典洋さんのような例外を除いて)ごく少数にとどまっているからであろう。
村上文学に対する世界的評価と、国内文壇のほとんど組織的な無視の落差に私は興味がある。どうして村上春樹はこれほど文壇から嫌われるのか。ノーベル文学賞受賞を奇貨として、その問いについて考えたみたい。

村上春樹はその登場のときから、批評家たちから厳しい批判を浴び続けてきた。その作品が80年代の消費文明と浮き草のようなシティライフを活写したせいで、多くの都市生活者たちに「まるで自分のことを描かれているようだ」という(幸福な)錯覚を与えたことは事実である。けれども、高度消費社会の都市生活者が選好するものはすべて「商品」だという推論は論理的でない。現に、批評家たちの多くが「高度消費社会固有のファッショナブルな知的消耗品」とみなした村上春樹の文学は、いつのまにか世界性を獲得して、全世界数十ヶ国語に訳され、多くのフォロワーを出すに至った。言語も政治経済体制も宗教も違う場所に、村上春樹はきわめて熱心な大量の読者を獲得している。それは村上文学がローカルな意匠を通じて、人類全体の琴線に触れる「本質的な物語」を綴ってきたからであると私は思っている。
では、村上春樹が書く「本質的な物語」とは何か。このような重大な論件について、与えられた字数で意を尽くすことは不可能であるが、ひとことだけ言えば、それは「死者とのコミュニケーション」である。村上文学の主人公たちはほとんど全員が「そこにいない人」(しばしば死者たち)を尋ねる仕事を主務とし、「死者」からの聞こえるはずのないメッセージにひたすら耳を澄ませ、「死者」からの言葉をおのれの行動の規矩としようとする。「死者からのメッセージ」を聴き取る能力(または聴き取らねばならないという有責感)が村上文学の主人公を特徴づけている。この能力(あるいは有責感)を軸に生きることをかつて孔子は端的に「礼」と呼んだ。「霊的な生き方」と呼ぶこともできるだろう。
死者からのメッセージをただしく受信することこそが人間の本務であるという信念は世界中のすべての社会集団に共有されている。村上春樹が世界中で読まれているのは、その前衛性によってでも、先端性によってでもない。おそらくはその太古性においてである。

2008.10.11

ア連

世界連鎖株安が止まらない。
株価が下がるのは株式の「価値」についての評価が下方修正されているということで、下方修正されるにはそれなりの「わけ」があり、「わけ」がある以上仕方がない。
これまで株価を過大評価してきたことによってたくさん「儲け」が出た。その「儲け」を今吐き出しているのである。
問題は「儲けた人間」と「吐き出している人間」がしばしば別人だということであり、それさえ気にしなければ全体としては「とんとん」なのである。
こういう調整はどのメカニズムにおいても働く。
アメリカは公的資金を投入して金融機関を救済することにした。平たく言えば、「銀行の国有化」である。ビッグ3にも公的資金を投入した。これは「自動車産業の国有化」である。
アメリカは新自由主義のもたらした社会的な歪みを補正するために今「社会主義化」されつつあるのである。
バラク・オバマが大統領になり、保険や年金制度などのセーフティネットが整備されれば、アメリカはいよいよ社会主義化することになる。
一方、ロシアや中国は社会主義のもたらした歪みを補正するために今「資本主義化」されている。
40-60年代に世界は「社会主義」と「資本主義」に二極化していた。その頃、資本主義国家内では「革命」運動が活発であり、社会主義国家内では「民主化」運動がおこなわれた。
つまりそれぞれの国内ではローカルなかたちでの二極化が存在したのである。
それぞれの党派的立場の方々は自分が正しく、おまえは間違っていると口を尖らせて主張していたが、ほんとうは「対立する立場が拮抗している方がバランスがいいんだから、まあ、これでいいじゃないの」というのが「一般解」だったのである。
結果的に半世紀かけて「二極間の距離」はしだいに縮まって、資本主義は社会主義化し、社会主義は資本主義化するというかたちで均衡は安定に至った。
これを私たちは「経済のグローバル化」と呼んでいる。
政体は経済ほど劇的には二極化が終熄しないけれど、いずれすべての独裁政権は民主化されることになるであろう。
これもまた構造的には不可避なのである。
独裁制というのは独裁者が賢明である限り、たいへん合理的な政体なのであるが、残念ながら、独裁者というのはその後継者の選択において必ず「自分よりバカな人間」を選んでしまう。この経年劣化が三代も続くと、「売り家と唐様で書く」独裁者の施策のほとんどは失敗を宿命づけられることになるのである。
何が言いたいかというと、いま進行しているのは大枠で言えば、「偏在していた富がばらける」プロセスだろうということである。
BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)という新興経済圏に富は集まり始めているし、人口わずか120万人のドバイには今世界のゼネコンが集まっている。
私は前に「短期的な変化にはしばしば合理性がないが、100年単位での構造的な変化にはたいてい合理性がある」と書いたことがある。
「アメリカに集中していた富が世界に還流される」というのはとどめることのできない歴史的趨勢である。
どこが先に潤うか、ということについては偶発的な事情がかかわってくるので予見できないが、いずれ今のアメリカ以外の国々がアメリカが享受してきた「富を独占するシステム」をシェアすることになるという全体的趨勢は変わらない。
「今のアメリカ」とわざわざ書いたのは、アメリカが「今のアメリカじゃないアメリカ」になれば、アメリカにもチャンスはある、ということである。
アメリカは世界でもっとも「国民国家らしくない国民国家」だからである。
アメリカでは、あらゆるレベルでのイノベーションをつねに「移民」が担い、「原住民」はそのつど排除されるというシステムを採用して繁栄してきた。
そのシステムを今後も継続できるなら、「アメリカの覇権」が崩壊したあとに、次のチャンピオンになる可能性がもっとも高いのは「新しいアメリカ」すなわち「アメリカ社会主義共和国連邦」である。
ぜひこれは略称して「ア連」と呼んで頂きたい。

2008.10.13

国際合気道大会

土曜日の夕方から白浜温泉へ。
けっこう遠い。4時少し過ぎに御影を出て、日が暮れたころに和歌山県に入り、そこからさらに90キロほどある。
8時過ぎに白浜に着く。
夕食はないということだったので、道路沿いのレストランで簡単な夕食をして目的地にたどりつく。
住宅街の中にあり、看板も標識もなにもない場所なので、カーナビが「目的地周辺です。運転お疲れさまでした」と宣告しても、目的地がわからない。
しかたがないので電話する。
「丘の上にありますから、上へ上へと上がってください」と言われて、そのとおりとりあえず上へ向かう路地を選んで登ってゆくと、「行き止まり」のところに場違いにロココ調の建物がある。
どうもこれらしい。
ウッキー、ヨハンナ、サキちゃん、ヒロスエ、社長と合流。
金曜日は10人くらい甲南合気会から来ていたが、この日はこの5人だけ。
田辺市で国際合気道大会が月曜日から開催されており、その最終日にようやく間に合った(ウッキーたちは月曜から来ている)。
金曜に多田先生の講習会があったので、そこから参加したかったのであるが、大学教授会研修会で、立場上抜けるわけにゆかないので涙を呑んだのである。
どうも合気道関係では浮き世のしがらみで「涙を呑む」ことばかりである。
はやく浮き世から足を洗って、すきなときにすきなだけ合気道の稽古ができる身の上になりたいものである。
というようなことを道場でお隣にいた坪井先輩にぐちったら、「給料もらって合気道やるのと、年金もらって合気道やるのでは、天と地ほどに違うからね」と呵々大笑されてしまった。
あと2年の辛抱だ。
会場は400畳ほどの広さがあるが、世界49カ国から集まった合気道家が600人、それに全国の合気道家がざっと500人。400畳に1000人を超える人々が蝟集しているのであるから、ラッシュアワーの東京駅ホームで合気道をやるような感じである。
世界各地の合気道家たちと和気藹々と技をかけ合って、2時間の稽古があっというまに終わってしまう。
ああ愉しい。
稽古終了後、窪田兄はじめ諸先輩がたにご挨拶をして、濡れた道着のまま「弁慶の湯」というところに行って、ゆっくりお風呂に浸かる。快適なり。
お風呂屋さんで湯上がりにご飯を食べて、陽気にさわぐみんなを乗せて車で帰る。


2008.10.14

村上春樹と橋本治

日本の批評家は村上春樹を評価していないと書いたら、以前『B學界』の編集長だったO川さんからメールを頂いて、村上春樹を評価している批評家はたくさんいますよと名前を教えていただいた。
「三浦雅士、清水良典、石原千秋、川村湊、藤井省三、鈴村和成、風丸良彦、荒川洋治、川本三郎(特に初期において、現在は批判的)、柴田元幸、沼野充義、和田忠彦、芳川泰久氏、ほかに若い批評家、学者は無数」ということだそうですので、先日のブログのコメントは訂正させていただきます。
蓮實重彦以下ごく少数のケルンが執拗に村上評価を拒否しているらしい。
そうか、彼らは孤立無援の少数派だったのか。
私はどのような論件であれ、絶対的少数派でありながら自説を枉げない人には無条件の敬意を抱く傾向にある。
こうなったら蓮實重彦さんたちにはぜひがんばって孤塁を死守していただきたいと思う。
でも、私が日本の批評家たちを(少数の例外を除いて)あまり信用していないという現況は変わらない。
というのは、橋本治という実例があるからである。
ずいぶん前だけれど橋本さんの小説の書評を頼まれたことがある。
そのとき書評紙の編集者に「どうして私のような門外漢に書評を依頼するのですか」と訊いた。
すると、「あちこちで断られたので、しかたなく」とたいへん正直に教えていただいた。
橋本治のような興味深い書き手について書評を忌避する批評家がいるということに私は驚いた。
そのあとご本人に会ったときに、これまでどんな書評をされてきたのかをうかがったことがある。
そしたら「ない」というお答えが返ってきた。
『窯変源氏物語』が完成したときにある新聞の学芸の記者が橋本さんにインタビューすることになった。
インタビューの前に下調べをしようと、記者がこれまでその新聞で橋本治についてどんな記事が書かれているかコンピュータで検索したところ、学芸関係の記事は「ゼロ」だったそうである。
ゼロである。
日本の批評家たちに対する不信感はそのとき私の中に深く根を下ろしたのである。
知性というのは「うまく説明できないこと」にこそ抗いがたく惹きつけられるものではないのか?
少なくとも科学の世界ではそうである。
本邦の批評家はどうもそうではないらしい。
すらすら説明できることには健筆を揮うが、うまく説明できないことは「なかったこと」にするような態度を「批評的」と呼ぶことに私は同意しない。
橋本治さんのライティング・スタイルが「うまく説明できない」ということは紛れもない事実である。
けれども、その「うまく説明できない」ライティング・スタイルの書き手が『桃尻娘』から『双調平家物語』まで、『アストロモモンガ』から『シネマほらセット』まで200冊を超える「橋本治以外のどのような書き手も書くことができないテクスト群」を書き続けていることに私は興味を抱かずにいられない。
この異常なスピードと生産量とジャンルの多様性は「書くこと」の本質についての私たちの常識を覆すような重要な知見を含んでいるはずである。
それについて『広告批評』に長い評論を書いたので、お暇な方は読んでください。

2008.10.15

親密圏と家族

N経済新聞社から難波の個室ビデオ放火殺人事件についての電話コメントを求められる。
別にこの事件に興味ないんですけど・・・と言いながら結局40分くらいしゃべってしまう。
容疑者は46歳で、もとM下電器のサラリーマンである。ちゃんと学校を出て、結婚もし、妻子もあり、家もあった「中流の人」である。
それがここまで一気に転落する。
転落を途中で食い止めるための「セーフティネット」が機能していなかったということである。
親から家を相続して、それを売ってしばらく糊口をしのいだ時期がある。親からの贈与が「セーフティネット」として一時的には機能したのである。
けれども、それに続くものはもうなかった。
現代社会に「セーフティネットがない」ということ、その整備が必要であることは政治学者も社会学者も心理学者も指摘する。
けれども、その場合の「セーフティネット」とはいったい何のことなのだろう。
行政による貧窮者への公共的な支援のことなのだろうか。
たしかに生活保護を受給すれば、税金によって餓死や凍死はまぬかれることができる。
けれども、それは最低限の生活を保証する緊急避難的な措置であって、個人の自尊感情や自己達成感とはかかわりがない。
しかし、実際に今度の事件の容疑者を追い詰めたのは単なる物質的な窮乏というよりはむしろ「誰からも敬意を持たれない。誰からも期待されない。誰からも愛されない」というメンタルな欠落感だったのではないであろうか。
こういう危機的状況に陥った人にパンとベッドを与え、慰めと癒しをもたらすどのようなセーフティネットがありうるのだろう。
まず「家族」を考えるのがふつうだろう。
幼児のときも、病人のときも、退学させられたときも、失職したときも、私はホームレスにならずに済んだ。
それは家族の支援があったせいである。
私は内田家のみなさまのご高配によって今日まで馬齢を重ねることができたのである。
だが、いまセーフティネットの整備の喫緊であることを主張する人は多いが、家族の紐帯を打ち固めることの喫緊であることを主張する人は少ない(というかほとんどいない)。
どうして経験的にもっとも有効であることが知られているセーフティネットの整備に人々はかくも不熱心なのであろう。
それには理由がある。
セーフティネットは必要だが、それは家族であってはならないというのがごく最近まで(たぶん今でも)公式には「政治的に正しい」意見とされているからである。
嘘だと思う人がいるかも知れないけれど、ほんとうなのである。
ちなみに日本の良識の府である岩波書店刊の『応用倫理学講義5』性/愛所収の「親密圏」の項を引用してみよう。
「親密圏とは、親密な関係を核として、ある程度持続的に互いの生への配慮を共有する他者と他者の関係性であると定義できるだろう。ここでわざわざ『他者』というのは、互いが別個の、対等な人格であることを確認するためである。一心同体的な共生関係には、必ず強者による弱者の支配が入り込んでくるからだ。親密な関係とは、互いに『他者』である相手の存在を承認しあう関係であると定義したい。」(井上たか子、「親密圏」、『応用倫理学講義5』、岩波書店、2004年、240頁)
「親密圏」は家族ではない。
というのは、家族こそはありうべき親密圏の登場を阻んでいる障害物だからである。
井上によると、近代国家の誕生とともに登場した「近代家族」は「親密な関係性を育むことを一義的な目的として制度化されたものではなかった。女性には、近代国家の建設のために、次代を担う『質のよい』国民を養成するという役割が求められ、母性愛という神話が形成される。」
女性はそのようにして「国家や市場という公領域の構成員を再生産するために、家族という私領域に封じ込められたのである。」(同、241頁)
夫婦愛は外で働く男たちを慰撫し、再生産過程に再び送り出すための「近代家父長制の成立のための必要条件」であり、母性愛は女性を性的奴隷の地位に釘付けにし、「国民」の再生産を促すための抑圧的な心理機制であった。
だから、夫婦愛や母性愛や「一心同体的」な共同性に基礎づけられた近代家族は解体され、個人は家族から解放されなければならない。
家族から解放された個人が帰属する先こそは「近代家族からの解放・自由のためのオルタナティブとしての新たな関係性」としての「親密圏」である。
書き写していて、ストックフレーズの乱れ打ちになんだかげんなりしてきたが、こういう理説が現在でも、大学の「女性学」や「ジェンダー・スタディーズ」では教科書的に教えられている。
論理的には整合的な理説である。
けれども、この議論はたいせつなことを勘定に入れ忘れている。
それは「親密圏論」が徹底的に「強者の論理」だということである。
親密圏論を語る人の多くは、それなりの収入や年金を保証された大学教員やジャーナリストであり、退職後も長期にわたって文化的な活動を通じて社会的なレスペクトを維持できる「見通し」がある。
だから、彼らは親密圏を形成して、そこで同類たちと「支え合う」暮らしを理想化することができる。
扶養すべき子どもも、介護すべき親も、気づかわなければならない配偶者も持たず、自分と同じようにリッチで、知性的で、趣味がよくて、気の合う仲間たちと「支え合って」暮らすのはどれほど愉快なことであろうか。
だが、問題はこの「親密圏」に弱者の入る余地はあるのかということである。
現に、「金のないもの、知的能力の劣るもの、趣味の悪いもの、イデオロギー的に間違っているもの(セクシストとか)」は「おひとりさま」たちの「老後の親密圏」には参入資格がない。
一方、仮に最初は十分な会員資格のあるものでも、何かのはずみで収入源を失ったり、重病になったり、障害を被ったり、精神的に不安定になったりして、まわりの人からの片務的なケアが必要になると、これもフルメンバーの資格に抵触する。
というのは、井上自身が書いているように、この親密圏は「互いが別個の、対等な人格であること」を成立条件としているからである。
親密圏のメンバーは「対等」であることを要求される。
年収において、社会的威信において、情報量において、文化資本において、その他もろもろの条件において「対等」であることがメンバー条件となる。もし、非対等的に社会的能力の高い人間や低い人間が入り込んできた場合、そこには「強者による弱者の支配」が成立するリスクが生じるからである。
親密圏から排除されたら生きてゆけない人、その人が親密圏から出て行ったら残ったメンバーが生きてゆけない人、そのような能力において「非対等的」なメンバーは親密圏に参入することが許されない。
つまり、親密圏にとってもっとも重要なメンバー条件は
(1)お互いが見分けがたく似ていること
(2)自立する能力が高いので、他のメンバーに依存する必要がないこと
ということになる。
言い換えると、「その人が親密圏にいてもいなくても、本人も困らないし、まわりの人も困らない人間」であることである。
そのような人間だけが親密圏を構築することができる。
なるほど。
そのような人間になるべく人格陶冶に励むことがどうして喫緊の思想的課題であるのか、私にはよく理由がわからない。
井上が忌避する「家族」は「親密圏」とは逆に、「非対等」を原理とする集団である。
そこではメンバーのうちで「もっとも弱い者」を軸に集団が構成される。
もっとも幼いもの、もっとも老いたもの、もっとも病弱なもの、もっとも厄介ごとを多くもたらすもの、それが家族たちにとっての「十字架」である。
これをどうやって担ってゆくかということがどこでも家族の中心的な(わりと気の重い)課題である。
だが、この「もっとも弱いもの」は本人の意思でそうなったわけではない(人は自分の意思で生まれたり病気になったり死んだり市民的成熟を遅らせたりすることはできない)。
私たちは誰でもかつては幼児であり、いずれ老人になり、きわめて高い確率で病人や障害者になり、よほど幸運に恵まれないと市民的成熟を果たせない。
だから、「家族の十字架」というのは実は「私の可能態の」ことなのである。
幼児とは「過去の私」のことであり、老人とは「未来の私」のことであり、病人や障害者は「たまたまある分岐点で『あっち』に行った私」である。
私たちは時間差を置いて、あるときはこの「十字架」を担う側にまわり、あるときは「十字架」として担われる側にまわる。
トータルではだいたい「とんとん」である。
家族は相互に迷惑をかけているか、かけられているかいずれかであり、赤ちゃんとして迎えられてから、死者として送り出されるまで、最初から最後まで、全行程において、そのつどつねに他のメンバーと「非対等」の関係にあるのである。
家族において「対等」ということはありえない。
どれほど知的にも情緒的にも「対等」な夫婦においても、毎日の生活の中では、どちらか余裕のある方が相手を配慮し、気づかい、支え、激励し、余裕のない方がそのような支援を受ける側にまわるということは避けがたい。
もっとも安定的な家族とは、役割が固定している家族ではなく、むしろ「気づかう人間」と「気づかわれる人間」が局面ごとに絶えず入れ替わるような流動性のある家族だろうと私は考えている。
その消息は「対等」というような空間的な表象形式では語ることができない。
「近代家族」にさまざまな問題点があることを私は認める。
けれども、それに代わる「オルタナティブ」の緊急であることを語るのであれば、それが「近代家族」の担ってきた(かなり痩せ細ったものにはなったが)「セーフティネット」としての機能をどのように代替できるのか、その根拠を示してもらわなければならない。
「親密圏」は「強者が強者でいられる限り、主体が主体性を発揮できる限りのセーフティネット」としては機能するだろう。
けれども、それは家族の中でもっとも「手の掛かる人物」がなお自尊感情を維持したまま生きていけるような家族をどうやって再生するかという問題には何の答えも提供しない。

2008.10.16

1968

A新聞から電話取材で「68年」の総括。
そういえば、このところ「全共闘運動とは何だったのか?」というようなことをときどき訊ねられる。
三月ほど前に、『週刊昭和』だったかしら(違ったらごめんなさい)という雑誌の「1968年号」にこんなことを書いた。
団塊の世代の元・活動家たちは個人的な「物語」を回想しがちであるが、私はむしろそのような「物語」を集団的に賦活させた「文脈」の方に興味があった。

 全共闘運動が日本をどう変えたのか、というのが私に与えられた論題であるけれど、この問いに対する私の答えは「日本は変わらなかった」というものである。あれだけのエネルギーと少なからぬ犠牲者を出しながら、この政治運動は公共的な「よきもの」をほとんど日本社会に贈ることなく姿を消した。しかし、ではどうして「日本を変えない」運動があれほどの動員力と熱狂を産み出し得たのか。それを説明しなければならない。
養老孟司は東大闘争のとき、御殿下グラウンドに「竹槍」を持って整列した数百の全共闘の学生たちの姿を見たとき、強い「既視感」を覚えたと書いている。この「既視感」という言葉はことの本質を正しくとらえていると思う。全共闘の学生たちは丸山眞男の研究室に乱入して、「ナチスも日本軍部もしなかった」乱暴狼藉を働いた。丸山はそのとき終戦で完全にその死を確認したはずの「前近代」が装いを変えて登場したことを知った。
この運動の本質を同時代でもっともただしく見抜いていた吉本隆明の印象深い言葉を借りて言えば、全共闘運動は「上昇型インテリゲンチャ」の「モデルニスムス」を一蹴するために歴史に要請されて登場した「日本封建性の優性遺伝因子」の何度目かのアヴァター(変身)だった。
知られている通り、吉本の戦後の仕事は日本共産党の指導者の獄中転向の研究から始まった。なぜ、彼らはあれほど簡単にマルクス主義を捨てて、天皇主義や仏教に帰依してしまったのか。その理由について吉本はこう書いている。
このマルクス主義者たちは「わが後進インテリゲンチャ(例えば外国文学者)とおなじ水準で、西欧の政治思想や知識にとびつくにつれて、日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリにすぎなかった」。転向とは「この田舎インテリが、ギリギリのところまで封建制から追いつめられ、孤立したとき、侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれたということに外ならなかったのではないか。」(『転向論』)
全共闘運動は敗戦後「民主主義と科学主義」を掲げた戦後日本人が「そこから離脱した信じた日本的小情況」のバックラッシュであった。戦後日本の「後進インテリゲンチャ」たちは、その直前まで全国民を巻き込んで、無数の死者を出した政治的幻想とその罪を、おのれ自身の問題として受け止めることを拒んだ。それはいくたりかのデマゴーグや軍人たちの罪であり、「戦争犯罪人」たちに罪のすべてをかぶせて追い払えば、国民的「浄化」は完了すると思われた。
けれども、戦後日本人が追い払ったはずの「穢れたもの」は一世代のインターバルを置いて戻ってきた(まるで父殺しを犯した男に生まれた息子が殺した父親に生き写しであったように)。それは戦争責任から無傷で遁れようとした先行世代に罰を与えるために回帰したのである。
全共闘運動はマルクス主義政治運動の形態を借りてはいたが、「科学的社会主義」とは無縁であった。私が知る限り、この運動の中で、「科学性」や「推論の適切さ」が配慮されたことはなかった。学生たちを駆動したのは「肉体」であり「情念」であり、冒険的で行動を可能にするのは「断固たる決意」であった。
全共闘運動は日本人に罰を与えて、消えた。しかし、それは私たちが「日本的小情況」を侮るたびに、別のかたちをとって甦るだろうと私は思っている。

大筋は『昭和人論』に書いたことと変わらない。
ただ、これに付け加えておかなければならないのは、「アメリカ」というファクターである。
明治維新以来、日本の若者が「熱く」なるのは「ナショナリズム」(それも「アメリカがらみ」)と相場が決まっている。
明治維新を駆動したのは1853年のペリーの黒船による「砲艦外交」である。
そのあと日本は西洋の文物制度を導入して、近代化してしまったので、「攘夷」の情念は「尊皇」の方に吸収されて消えてしまったように思っている方がいるかもしれないが、そんなことはない。
日本人が「熱く」なるのはいつでも「攘夷的ナショナリズム」によってである。
日清戦争以来の日本のアジア侵略は別にアジア隣国を憎み、これを収奪せんとしていたからではない。
植民地化されているアジア諸国を統合し、近代化された軍隊によって「攘夷」を果たさなければならないというのは、幕末以来のグランドデザインである(最初にこのアイディアをぶちあげたのは坂本竜馬である)。
私たちは日本軍というのをうっかり政府が政治的にコントロールしている「近代的暴力装置」だと思っているが、陸軍は実際にはひさしく「長州藩閥」が私物化していたのである。
彼らが軍を私物化できたのは、「グランドデザイン」を正しく理解し、継承しているのは自分たち「志士の直系」だけだという強烈な選良意識がみなぎっていたからである。
長州の根本的メンタリティは(桂小五郎から安部晋三まで)ずっと「尊皇攘夷」である。
それが太平洋戦争まで続いた。
敗戦で「尊皇攘夷」はいったん沈静化したが、60年安保闘争で「反米ナショナリズム」として復活した。
それが60年代の高度成長の中にのみこまれる。
日本人は「パイが拡大しているときは、ナショナリズムを忘れる」という根本的趨勢がある。
そして、パイが縮み始めると、すぐに「尊皇攘夷」が出てくる。
68年が「わかりにくい」のはパイが拡大して、人々が都市文化を享受し、その中でも若者たちのサブカルチャーかつてなく主導的になった時代に「反米ナショナリズム」が亢進したことの「つじつまが合わない」からである。
68年のナショナリズムに火を点けたのは「ベトナム」である。
インドシナの水田を焼くナパーム弾と前近代的な兵器で世界最強の軍事大国の世界最先端のテクノロジーと戦うベトナムの農民たちのうちに私たちは「ペリーの黒船を撃ち払う志士たち」や「本土決戦」の(果たされなかった)幻を見たのである。
私たち日本人が出来なかったことを貧しいアジアの小国の人々が現に実行している。
その日本人はベトナム戦争の後方基地を提供し、その軍需で潤っていた(朝鮮戦争のときもそうだった。私たちはアジアの同胞の血で経済成長を購ったのである)。
その「恥」の感覚が1968年の学生たちの闘争の本質的な動機だったと私は思っている。
上の文章でも書いたように、全共闘運動の目的は「日本を破壊すること」であった。
「こんなろくでもない国はなくなった方がいいんだ」というようなすてばちな気分が1968年の若者たちにはあった。
学費値上げ反対とか、学生会館の管理反対とかいうのは単なる「いいがかり」である。
学生たちはアジアの同胞たちが「竹槍」で米軍と戦っているときに、自分たちがぬくぬくと都市的快楽を享受していることを「志士の末裔」として恥じたのである。
60年代末の学生運動のもっとも印象深いたたかいは「佐世保闘争」と「羽田闘争」であるが、これは「開国」した港湾に寄港した「アメリカの軍艦」と「アメリカの飛行機」を「ゲバ棒=竹槍」で追い返すというきわめてシアトリカルなものであった。
ゲバ棒というのは若い人はご存じないであろうが、芝居の大道具などにつかう軽量でへろへろで簡単に折れる材木である。
どうしてあのような実効性のまったくない「武器」を学生たちが採用したかというと、それはまさに「実効性がない武器で戦う」というところに「竹槍性」の本質があったからである。
へなちょこなゲバ棒でジュラルミンの盾と警棒で武装した機動隊と戦うときにはじめて「ベトナムの農民との連帯」が幻想的に成立したのである。
そして機動隊に蹴散らされて、血まみれになるときにはじめてアジア人として「恥」の感覚が少しだけ軽減したのである。
あの運動を「何かを建設する」ためのものであるとか、「何か有害なものを破壊する」ためのものであるというふうに合理的に捉えようとする試みは(若い社会学者たちが始めているらしいが)たぶんうまくゆかないと思う。
1968年の運動の本質は「攘夷を果たすことのできなかった志士たちの末裔による自罰劇」にあると私は思っている。
だから、全共闘運動が最終的には官憲の手を煩わせるまでもなく、「内ゲバ」という互いに喉笛を掻き切り合うような「相対死に」のかたちで終熄したのは「自罰のプロセス」としては当然だとも言えるのである。

2008.10.21

若者は連帯できるのか?

土曜は愉しい合気道と例会。
日曜は一日校正と原稿書き。
ゲラがどんどん送られてくるので、どんどん送り返す。
この二週間に3冊分再校した。
ということは近々に(たぶん来月)3冊本が出るということである。
『橋本治と内田樹』(筑摩書房)
『昭和のエートス』(バジリコ)
『街場の教育論』(ミシマ社)
一ヶ月に3冊というのはこれまでにたぶん例がない。「月刊ウチダ」どころか「週刊ウチダ」である。
律儀に買ってくださる方々にはご出費をおかけして、まことに申し訳ない(ほんとにすみません)。
でも、この集中豪雨的な出版が一段落すると、しばらく(たぶん来年の初夏くらいまで)は『知に働けば蔵が建つ』の文庫化以外には新刊は出ないはずである(希望的観測)。
このあとのラインナップは『街場の家族論』『日本辺境論』『クリエイティブ・ライティング』二部作。ゲラの山にまみれる生活はまだなかなか終わりそうもない。
『昭和のエートス』の「あとがき」を書く(勢いがついて20枚も書いてしまった・・・)。
これはメディアに寄稿した既発ものを30本くらい集めたコンピレーション本である。
そのうちの30%くらいが「初出不詳」である。
どうして不詳か、その理由については「あとがき」でくだくだといいわけをしているので、そちらを徴して頂きたい。
原則として活字化されたものは掲載誌が届くと、エクセルの「業績リスト」に掲載誌名、発行所名、発行年月日、掲載頁数、梗概を記録している(年間研究業績書類の一部として提出義務が課されているからである)。
これらのテクストはそのリストにない。
つまり、自分の書いた原稿を掲載したものを私が読んでいないということである。
私に寄稿を依頼し、活字化し、掲載誌を送っておきながら「初出不詳」とされた編集者の怒りはいかばかりであろう。
それを思うとほんとうにつらいのであるが、郵便物の整理をしている時間がないのである。
今も開封されていない書籍や雑誌類がオフィスや自宅の床にうずたかく積み上げてあるが、それらを整理する日がいつ来るのか、私にはわからない。できれば年末の煤払いのときには虫食いだらけの業績リストを完成させたいものである。
続いて『神奈川大学評論』の原稿をこれも20枚書く。
「行き場を失った若者に社会的連帯の可能性はあるか?」というお題を頂いたので、それについてさらさらと書く。
連帯の可能性は残念ながら、きわめて少ないと私は考えている。
「連帯」というのは平たく言えば「小異を捨てて大同に付く」ということである。
だが、「自分らしさ」を追求することを生まれたときからイデオロギー的に強要されてきた若者たちは「自分らしさ」を構成するさまざまな嗜癖や傾向のうち、どれが「私的なもの」(小異)で、どれが「公共的なもの」(大同)であるかを識別することがあまり得意でない。
自分の「個性」のうち「誰とも共有されないもの」を控除した残りが「大同」の基盤になるわけであるが、その「引き算」をしてみると、「自分らしさ」というのは(人には言えない類の嗜癖の他には)実はほとんど存在しない、ということがわかるからである。
自分の「自分らしさ」を構成するもののほとんどが「みんなと共有されているもの」であるというのは「自分らしさ」という定義に背馳する。
この矛盾を若者たちはどうやって糊塗しているのか、というのはたいへん興味深い問題である。
私の見るところでは、「『みんなと共有しているもの』を、あたかも『みんなと共有していないもの』であるかのように見せる」という技術の進化によってこの矛盾はとりあえず先送りされているようである。
たとえば、それは外見上はほとんど違いのわからない服のブランドと価格とその記号的意味をぴたりと言い当てる能力であり、あるいは「むかつく」という形容詞をピッチを変えたり、声門の開きをコントロールしたりして、36通りに変化させて使い分ける技術である。
これはこれでたしかに超人的努力による達成ではあるのだが、果たしてこのようにして、「大同」を偏執的な仕方で差異化する努力の上に「連帯」は基礎づけられるのであろうか。
私はなんだか無理なような気がするのである。
「連帯」というのは「共通してもっているもの」を「個別化、私物化」することではなく、ひとりひとりがばらばらに所有している(かけがえのない)ものを「これ、みんなで使っていいよ」と「共通の財産目録」に贈与することである。
「ほんとうにたいせつなもの」を「パブリック・ドメイン」に置き、私有しない、という構えのことである。
というようなことを書きたかったのだが、「行き場を失っている」という現況の報告だけで20枚を超してしまったので、「連帯の可能性」について吟味する紙数が尽きてしまった。
というわけで、その「マクラ」のみここに記すのである。

2008.10.25

呪詛と祝福

あまりに忙しく、日記を更新する暇がない。
とりあえず備忘のためにあったことだけ記しておく。
22日(水)午前中、下川先生のお稽古。二ヶ月ぶり。『山姥』の謡と立ち回り、仕舞。立ち回りを忘れた。『安宅』の謡。これはまあまあ。
昼から芦屋の市民ホールで芦屋川カレッジ。お題は「村上春樹にご用心」。芦屋と村上春樹のかかわりについて説き起こし、村上春樹は他の作家と「どこ」が違うか、について論じる。
私見によれば、村上春樹が他の作家と違うところは3点。
(1) 走る
(2) 翻訳をする
(3) 変な本(『うさぎおいし~フランス人』とか『またたびあびたタマ』とか)を書く
この3点には実は共通点がある。
それは「与えられたリソースをやりくりし、あらかじめ与えられたルールの中で何とかする」ということである。
もちろんすぐれた作家は誰も程度の差はあれ同じことをしているわけだが、村上春樹ほど「限界の内側で仕事をする」ことの重要性をつよく自覚している人は少ない。
それによって「ふだん使っているもの」がばりばりと皮を破って変性して、「こんな使い方があるとは知らなかった」ような機能を発揮するのである。
帰ってから『ダイヤモンドマネー』の連載最終回の原稿を書いて送稿。
夕方から試写会。ジョン・ウーの『レッド・クリフ』。
男の友情と鳩の2時間半。
試写会後、合気道会の諸君(ゑぴす屋さん、キヨエ&マサコ、おいちゃん、ウッキー&ヒロスエ)と軽く飲む。
23日(木)
昼からサンデー毎日の取材。お題は「橋下徹府知事の評価」。
「市民的成熟」ということに何の価値も認めない時代風潮を代表する人としてコメントする。
フランス語の授業のあと、国内留学の面接試験。
それから学祭の合気道、杖道のリハーサル7時まで。
『神奈川大学評論』に送稿。
24日(金)
朝から学祭のリハーサル。12時半から演武会が始まる。はじめて客席で見る。
1時に釈先生が迎えに来る。釈先生の車で京都は北山の京都精華大学まで。
対談のお題は「呪いと祝い」。
「呪い」という言説形式が私たちの時代において支配的なものになりつつあるという認識から出発して、「呪い」をどう除去するかという「呪鎮」の方法について語り合う。
釈先生は現場の宗教家であるから、ある意味「呪鎮」の専門家である。
私の「呪祝福」論は「時間論・身体論」である。
呪詛はコミュニティの内側でしか機能しない。
それは言い換えると「他者がいない場」において、ということである。
そして、「時間とは他者との関係である」というレヴィナス老師の命題をふまえるならば、呪詛は「時間をもたない関係」だということになる。
祝福はその反対物であるから、「他者の顕現」「時間の流れ」ということになる。論理的にはそうである。
わかりにくい話ではあるが、私自身自分が何を言おうとしているのかよくわからないのである。
けれども、それはまさに「私の言いたいこと」が時間の中で熟成してゆくということであり、そのような言葉は本質的に予祝なのである。
この対談はもう少し深めて、本にする予定(出版社はサンガです)。
釈先生に車で家まで送っていただく。行きに3時間、現地で2時間、帰り道2時間。おしゃべりしっぱなしである。
家に帰ってから翌日の仕込み(グリーンカレー)。
25日(土)学祭二日目。今日は演武会に出場して、説明演武をする。それから我が家で打ち上げ宴会である。ぷふ~。

2008.10.26

会議と書類の大学

ノーベル賞の物理と化学あわせて受賞者が4人出たことは慶賀すべきことであるが、いずれも20年30年前の業績についてのものであることの重大性を指摘する人が多い。
中村桂子さん(JT生命誌研究館館長)もその一人である。
今の日本の研究体制であれば、20年後30年後にノーベル賞を受賞するような研究は出てこないだろうと中村さんは言っている。
「現在、ちょっと変わった新しいことを考える雰囲気がない。大学が法人化され、競争的資金と言われ、すぐに成果の出ることばかりに追われ、自由度がなくなっている。会議と書類づくりの毎日はいつか軌道修正されると思っているが。」(毎日新聞10月26日)
役人が研究をコントロールしようとすれば、必ずそうなる。
役人が教育研究活動に容喙すれば、教育研究の質は不可避的に下がる。
私の大学では「シラバスに成績評価基準を明記していない教師がいる」という理由で先般助成金が削られた。
シラバスというのは授業概要のようなものである。
私は教務部長として「成績評価基準を明記せよ」と教員たちに告知する立場であるが、私自身の成績評価の基準はたいへん曖昧である。「出席、発表、ゼミでの発言などを総合的に勘案して評価する」というような基準ではお役人からは「こんなものは成績基準とは言われない」とリジェクトされるであろう。
しかし、それが実情なのだから仕方がない。
そのようなゼミをやってきて、多くの優秀な学生を送り出し、高い授業満足度のポイントを獲得し、ゼミでの議論をまとめて本も3冊出した。
しかし、「シラバスに成績評価基準が明記されていない教師が一人でもいる大学は全学的にろくでもない授業をしているに違いないから大学全体への助成金をカットするべきだ」と推論するお役人がいる。
この推論にはあまり合理性がないと私は思う。
本学では過去10年あまり授業評価アンケートを実施してきた。
そのデータを統計的に処理した結果、個別評価の数値と総合評価の数値のあいだにまったく相関のない設問が一つだけあることがわかった。
それは「シラバスの内容と実際の授業の内容は一致していましたか?」という設問である。
この問いに学生たちは5段階の評価を下す。
授業そのものへの総合評価の数値とシラバス評価の数値を比較したところ、この2つの数値の間には統計的には相関がないことがわかった。
それ以外の項目、「板書がきれいか」とか「教師は時間を守るか」とか「予復習をするか」といった設問と授業の総合評価の間には弱い連関がある。
けれども、シラバスと総合評価の間には何の関係もなかったのである。
学生たちの知的満足とも教育的アウトカムとも「何の関係もない」ことがただ一つあきらかになったシラバス表記について、そのさらに重箱の隅をつつくようなチェックで、当該教育機関の教育的アクティヴィティの質を「客観的に評価」できると思っている人々が存在し、そのような人々に日本の高等教育の財政的コントロールがゆだねられている。
中村先生の「このままでは日本はダメになる」という見通しに私も賛成である。
来週私どもの大学ではある評価機関による実地調査がある。
この種の調査で大学の質保証を行うことは原理的には不可能であると私は思っている。
というのは、大学教育の質保証のための検査項目は論理的には「無限」だからである。
「この大学はちゃんとしていない大学です」ということを証明するのは簡単である。
二重帳簿があるとか、専任教員が学歴詐称しているとか、本人確認をしないで単位を出しているとか、一つでも「ろくでもない」事実が指摘できれば、「ダメな大学」と認定できる。
法律上の犯罪と同じである。
私たちがふだん市民として大手を振って町を歩けるのは、「私は犯罪者ではない」ことが証明されているからではない。「私が犯罪者であること」が証明されていないからである。
これを「推定無罪」(presumed innocent)という。
もし私たちが「無罪であることを挙証しない限り、有罪とみなす」というルールで生きていたら、まず市民全員を刑務所に入れ、そのあと無罪を立証できた人間からひとりずつ出獄させるという社会システムを構築しなければならない(どれほどのコストがかかるであろう)。
それにそんなシステムを作って、ある人について「100%イノセント」であることが立証できても、そのことからその人が今後もイノセントであることは推論できない(監獄の門を出たとたんに魔が差して、通りすがりの人を刺殺するかも知れない)。
だから、「推定有罪」の原理に立つ限り、私たちは全員が全員を監獄に永遠に閉じ込める以外に合理的な選択肢が存在しないのである。
文科省や大学基準協会が推進している「アクレディテーション」というのは「この大学は100%まっとうな大学です」という質保証をすることである。その質保証ができない大学は「まっとうではない大学」と見なされる。
つまり、「推定有罪」である。
だから、検査項目は無限であり、検査時間も無限になり、私たちが書かされる書類も無限に増えてゆく。
だが、大学はそのもてるすべてのリソースを「質保証」に注ぎ込んでもそれでも「これまで質の高い教育をしてきたし、これからもするであろう」という事実を証明することができない。
永遠にできないことに、本来であれば教育研究に投入すべきリソースを投入することは無駄である。
彼らは大学に向かって「まっとうな教育研究をすることよりも、『まっとうな教育研究をしていることを証明する仕事』を優先させよ」と言っているのに等しい。
子どもがぴいぴい泣いているのを放っておいて、「子どもをちゃんと育てていることを証明する書類」を書いている親や、殺人事件が起きたときに、デスクにかじりついて「凶悪犯をきちんと逮捕していることを証明する仕事」を書いている警察官が不条理な存在であるということは誰にでもわかる。
だが、私たちは現にそのような「カフカ的不条理」のうちに投じられているのである。

2008.10.27

学校選択制

公立中学の一部に「学校選択制」が導入されて4年半。前橋市が全国ではじめて制度を廃止する。特定の学校に生徒が集中し、生徒数の偏りが大きくなったこと、遠距離からの通学者が増えて、地域と学校の連携が希薄になったことが理由に挙げられている。
生徒数が激減した学校ではクラブ活動が維持できない、教員数が減って、専門ではない教科を教えなければならない、生徒数の減少が無根拠な風評によるケースがある、などなど。
私はこの決断はごく「常識的」なものであろうと思う。
むしろ遅きに失したというべきであろう。

学校選択制は規制緩和(ということは「市場原理主義」のことだが)の流れの中で97年に文部省によって導入された。全国約1割の自治体で施行されている。東京都では28市区が実施。学校間の人数の偏りにより、二極化が進行している。
足立区の中学では今春の新入生入学率の一番高い学校は190%、一番低い学校は8%。品川区の小学校では最高が326%、最低が28%。
定員割れの学校は「自助努力が足りない」と評価され、おそらくいずれは廃校になるであろう。
こういう選択では必ず「ポジティブ・フィードバック」がかかるから、勝つものは勝ち続け、負けるものは負け続ける。教育内容や設備にごくわずかの差しかなくても、その差はフィードバックがかかると致命的に拡大する。
QWERT配列というのをご存じだろうか。
みなさんのコンピュータのキーボードの配列のことである。
この文字配列は「打ちやすい」ように並べられているわけではない。「打ちにくい」ように配列されているのである。
初期のタイプライターではタイピストが熟練してくるとキータッチが早くなりすぎて、アームが絡まってしまうということが頻発した。それを防ぐためにキータッチを遅らせるキー配列が工夫されたのである。
最初はごく一部のタイプライターにしか採用されなかったが、大手のレミントンがこの配列を導入したことで、一気にデファクト・スタンダードになった。
そして、私たちは今やキーをどれほど早く打ってもアームが絡まる気遣いがないメカニズムにシフトしたにもかかわらず、「打ちにくい」配列をそのまま踏襲しているのである。
同じことはVHSとベータのときにも起きたし、Windows
とMacの間でも起きた。
複数の選択肢のうちから1つを選ぶことを市場原理にゆだねた場合、ほぼ確実にポジティヴ・フィードバックがかかって、実際の実力差・機能のアナログな差がデジタルな種別格差に「翻訳」されて、相対的弱者は市場から「敗者」として駆逐される。
わずかな入力差が「勝者/敗者」の死活的な差に読み替えられるような危険なシステムはできるだけ社会の枢要なシステムに配備すべきではない。
これはシステム管理上の基本である。
学校選択制はそのような危険なシステムを「マーケットは間違えない」というグローバリストたちの無根拠な信憑に基づいて公教育に導入したものである。
残念ながら、「マーケットはしばしば間違える」。
そのことは世界金融危機をごらんになればおわかりいただけるだろう。
マーケットが無謬であるなら、公的資金の投入というような「人為」はもとより不要のものである。
「マーケットはしばしば致命的な誤りを犯す」
だから、「判断をマーケットにゆだねれば、淘汰されるべきものが淘汰され、生き残るべきものが生き残る」ということは起こらない。しばしば、マーケットは淘汰されるべきものを生き残らせ、生き残るべきものを淘汰する。
足立区や品川区の学校の間に数値にみられるほどの教育的アクティヴィティの差があると私は思わない。けれども、これを放置しておけば、いずれ入学者のいない学校は廃校になるだろう。危機水域の学校では入学者をかき集めることが教育活動より優先するようになるだろう。
以前、品川区のある公立学校の校長が「保護者生徒はお客さまである。お客さまに選択される教育商品を揃えるのが教育の仕事だ」と豪語したことがある。
学校選択制はこのようなタイプの「ビジネスのワーディングでしか教育を語れない人間たち」を組織的に生み出すはずであるし、現にそうなりつつある。
このような人間たちの手によって学校教育はいま日々殺されているのである。
繰り返し言うが、教育はビジネスではない。
教育は資本主義が登場するより以前から存在する。
だから、教育の意味や価値を資本主義市場経済の用語で説明することはできない。
教育の目的はこどもたちを「成熟」させることにある。
子どもたちを成熟させるための装置として「学校」という制度は存在する。
それは株主に配当をもたらすために存在する株式会社という制度とは成り立ちも存在理由もまったく異なるのである。
子どもの成熟は「換金」できない。
「成熟すると、いくらもらえるんですか?」
というような問いをしているかぎり、ひとは成熟とは無縁である。
この当たり前の知見がいまだに共有されていない。


2008.10.29

株価って何

東京株式市場の日経平均株価が昨日一時的に7000円を切った。1982年以来の水準だそうである。
1982年といえば、うちの娘が生まれた年である。
育児に忙しくて、その頃の日本の経済状態がどうだったのか、あまりよく覚えていない。
でも、人々が困窮し、ばたばた倒産が続いていたというような記憶はない。
それなりに平和で豊かな時代だったような気がする。
あの時代にまた戻ったとしても、私は別に構わない。
「なんと愚かな、26年前と比較しても何の意味もないではないか」と経済通は言うだろう。
その時代とは物価も国際環境も為替レートも違うんだから、比較するのはナンセンスだ、と。
いや、おっしゃるとおりだと思う。
だから、「26年前の水準まで下がった」という新聞一面の活字にも何の意味もないと私は思うのである。
株価以外の条件が違うのだから、「株価が同じであった時代」を持ち出して比較することには何の意味もない。
株価というのは「変動する」ということでのみ有意なものである。
ところが、いま見たように「株価が同じであった時代」を想起することが無意味であるというのがほんとうなら、株価が上がろうが下がろうが、当該株価を示したときの社会と比較することには何の意味もないということになる。
では、株価の高下とはいったい何と何を比較することで得られた数値なのだろうか?
株価である。
株価の高下とは株価と株価を比較することで得られた数値なのである。
株価の決定には株価以外の要素も関与している。
だが、それらの要素はすべてまぜこぜになった挙げ句に「株価」として表現されるので、それらの要素のひとつひとつがどのように株価の決定に関与したかは誰にもわからない。
サブプライムローンが今日の世界的な金融危機の原因だということは誰でも言うが、それが個々の金融機関やメーカーの株価の数値の高下とどう相関しているのかは誰にもわからない。
「なんだかよくわかんないけど、やたら下がっちゃった」のである。
ご存じのとおり、株価というのは「人が『上がる』と思えば上がり、『下がる』と思えば下がる」ものである。
平川くんがよく引く喩えを使えば「誰が美人投票で一位になるかを当てる投票」のようなものである。
この投票は自分自身の美の基準とは関係ない。
「みんなは誰に投票するか」ということだけが問題なのである。
「どうもみんなはA嬢に投票するらしい」という風評が立てば、たちまちA嬢に集中豪雨的に票が集まる。
ある会社の株価が少し前に高い水準にあったのは、「人々は『この会社の株価はこれから上がる』と思っている」と人々が思っていたからである。
今下がっているのは、「人々は『この会社の株価はこれから下がる』と思っている」と人々が思っているからである。
だから、「底値」を打ったという風評が立てば「今が買い時」ということで投資家たちは買いにまわるだろう。そうすれば、株価はまた上がる。「まだまだ下がる」という風評が立てば株価は下がり続ける。
株価を決定しているのは「他人はこのように行動するであろう」という予測である。しかるに、この「予測」そのものが「他人の行動」の決定に関与してしまう。
でも、私はこれを「幻想経済」であり、モノ作りは「実体経済」であるという識別の仕方には原理的には有効性がないと思う。
モノ作りといっても、市場のニーズというのはおおかた幻想的なものである。
人間の社会というのは「幻想」の上に成立している。
貨幣は「人が貨幣だと信じるもの」のことであり、記号とは「人が記号として認知するもの」のことである。
株価というのもその点ではすぐれて「人間的」なものであるという点では変わらない。

付記:先日「学校選択制」のところでキーボードのQWERTY配列について書いたところ、安岡さんという専門家の方から「それは間違い」というご指摘を受けた。
私がどこかで読み囓った情報が間違っていたようであるので、ここで謹んで訂正させていただく。
私の説明では用を弁じないのであろうから、ご叱正のメールをそのまま転記したい。

タイプライターやテレタイプやコンピュータにおけるキー配列の歴史を研究しております。貴殿のblogに昨日掲載された『学校選択制』というエントリーを拝読したのですが、そこでレトリックとして掲げられている「QWERT配列」に関する言説に、非常に大きな問題を感じましたのでメールいたします。

| この文字配列は「打ちやすい」ように並べられているわけではない。「打ちにくい」ように配列されているのである。
| 初期のタイプライターではタイピストが熟練してくるとキータッチが早くなりすぎて、アームが絡まってしまうということが頻発した。それを防ぐためにキータッチを遅らせるキー配列が工夫されたのである。
| 最初はごく一部のタイプライターにしか採用されなかったが、大手のレミントンがこの配列を導入したことで、一気にデファクト・スタンダードになった。

この3つの文章に書かれている内容は、全て誤謬であると思われます。まず、世界初の商用タイプライター『Sholes & Glidden Type-Writer』を1874年に発売したのは、レミントン(当時はE. Remington & Sons社)で、しかもその時点で既に上段のキーはQWERTYUIOPと並んでいました。『Sholes & Glidden Type-Writer』以前にはタイプライターという機械自体存在せず、したがって「タイピストが熟練」などということはありえません。また、『Sholes & Glidden Type-Writer』はアップストライク式のタイプライターですので、アームなどという機構を有しません。アームを有するフロントストライク式タイプライターは、1893年発売の『Daugherty Visible』が最初のもので、それ以前には存在しないのです。

さらに、QWERTY配列がデファクト・スタンダードになっていく過程では、レミントンよりむしろThe Union Typewriter社によって形成されたタイプライター・トラストが大きな役割を果たしているように思われます。ただ、このあたりに関しては、かなり複雑な歴史過程が渦巻いていますので、詳しくは拙著『キーボード配列 QWERTYの謎』をごらんいただけますと幸いです。ちなみに「打ちにくいように」というネタそのものは、1930年代にAugust Dvorakが独自のキー配列を考案した際、既存のキー配列を攻撃するために言い出したいわばイチャモンで、元となった論文(August Dvorak: "There Is a Better Typewriter Keyboard", National Business Education Quarterly, Vol.12, No.2 (December 1943), pp.51-58,66.)に書かれている記述そのものに、すでに誤謬があります。

なお、貴殿がお書きになった「QWERT配列」に関する言説は、すでに
http://blog.goo.ne.jp/tatkobayashi/e/06f88e608897a4e6043a95d776917515
http://blog.goo.ne.jp/hkaiho/e/f5ee6c7ecd5d74c44f1f3b5ba94fceda
などに飛び火しています。技術史研究者の私としては、このようなガセネタが広がっていくのは困りますので、とりあえず
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/456534
を書いたのですが、残念ながら、貴殿の言説の方が強く、まだまだ広がっていくものと思われます。貴殿がなぜ私の研究分野に土足で踏み込んできて、このようなガセネタをバラ撒いていくのか理解に苦しむのですが、どうしてもそのような必要があるのでしたら、是非メールあるいはブログでご説明くださると幸いです。

というものである。
ご叱正を多としたい。
私が「間違ったことを書いた本を読んで、それを真に受けた」のか「正しいことを書いた本を読んだのが、それを間違って記憶したのか」は判じがたいが、いずれにせよブログの読者のみなさんはこの機会に正しい情報をぜひご記憶にとどめておいていただきたいと思う。

どこに就職したらいいんでしょう

株式市場の混乱で、ついに新卒者の内定取り消しが出始めた。
以下は朝日新聞の報道から。

米国に端を発した金融危機が、大学生や高校生の雇用に影を落とし始めた。ここ数年は「売り手市場」との声さえ聞かれた就職戦線。しかし、「経済情勢の激変」を理由に、一転して内定や求人の取り消しが相次ぐ事態になっている。急速に冷え込む「雇用」に大学や教育委員会は不安を隠せない。
「このまま入ってきてくれても希望の部署にはいけないと思う。あなたのキャリアを傷つけることになるので、就職活動を再開した方がいい」
関西の私立大に通う4年生の学生(21)は先週初め、5月に内定をもらった大手メーカー(東京)から、電話で内定「辞退」を促された。今月初めの内定式で顔を合わせたばかりの人事責任者は、「業績が悪化し、株価も激しく落ちている。会社はリストラを始めている」と付け加えた。
学生にとっては、留学経験を生かせると考えて内定3社の中から選んだ会社だった。同社の内定者仲間にも同様の電話がかかっている。学生は「今はまだパニック状態としか言えません」とこぼした。
「こんな事態は初めて。内定取り消しなんてしたら、翌年から誰もその会社には応募しなくなるのに」。
流通科学大(神戸市西区)の平井京・キャリア開発課長は困惑を隠せない。同大学の4年生2人が、相次いで就職の内定取り消しを受けたからだ。
大阪市の不動産会社に内定していた男子学生は、9月下旬に呼び出され、「景気が悪くて、マンションが売れない。社員の一部にも退職をお願いしている危機的な状況だ」と取り消しを告げられたという。学生は「この時期から、どう就職活動をすればいいのか」と途方に暮れる。
(・・・)
大学3年生の就職活動はまさにスタートしたばかりだ。28日、商社の企業説明会を受けてきたという和歌山大教育学部3年の女子学生(20)は「説明会でも景気の影響で採用は減ると言われた。不安なので、公務員試験の勉強もしています」。
奈良県立大(奈良市)の就職指導室では、3年生に早めに就職活動を始めるよう指導するつもりだ。「学生には公務員など別の進路を考えることも指導したい」と担当者は話す。
就職支援サイト「リクナビ」の岡崎仁美編集長は「売り手市場は08年春入社でピークを超えた」とみる。流通や外食産業を中心に採用計画の見直しが進み、来春採用の内定者が採用予定数に満たなくても補充しない企業も増えてきた。岡崎さんは「大学3年生が就職する10年春の採用では、募集するかさえ決められないでいる中小企業も多い」と話す。

ゼミの四年生はもうおおかた就職先が決まった。
しかし、三年生たちの就活はこれからである。一年前と比べて求職環境は激変することになる。
金融関係や輸出頼みの産業は当然求人を絞り込んでくるだろう。
「就職氷河期」というかつて一世を風靡した言葉がまた復活することになるのかも知れない。
とりあえず就活の学生たちには「産業構造の変化」について基本的なレクチャーをしている。
どのような業種がこの経済環境で生き延びることができるのか、予測することはそれほどむずかしくはない。
金融はしばらく立ち直れないだろう。
新銀行東京の混乱ぶりを見ていると、金融マンの能力もモラルも私たちの予想を超えて劣化が進行しているようである。
一時期目を血走らせた学生たちが殺到した大学の「金融工学」領域もおそらく来学期は志願者を確保することさえむずかしくなるだろう。
不況になるとまっさきに削られるのが広告費である。これはバブル崩壊時に経験済みである。
すでに雑誌の廃刊が相次いでいるが、原因の一つは広告出稿の減少である。
毎日配達される新聞はどんどん厚くなっているが、読むところはだんだん減っている。
新聞広告が異常に増えているせいである。
広告が増えるのは「数」でこなさないと出版コストがまかなえないほどに出稿単価が安くなっているからである。
先日、ゴールデンタイムにひさしぶりにTVをつけたら、ある電鉄会社とある畳メーカーのチープなTVCMがオンエアされていた(「ふざけて安っぽく作っているのか?」と一瞬目を疑ったほどである)。
制作費はたぶん100万円くらいだろう。
その程度の資金力しかない企業でもゴールデンタイムにCMが打てるほどにTVCMの時間売り単価は暴落しているということである。
昨日の夜、スポーツニュースを見ようと思って11時台にしばらくTVを見ていた。
CMばかりで、なかなかニュースが始まらない。ニュースが始まっても途中ですぐに切れてCMが入る。私が見ていた15分ほどについて言えば、もう放送コンテンツとCMの放映時間はほとんど同じだった。
単価の安いCMをとにかく数でこなさなければ制作費がまかなえないところまで来ているということである。
ヴァラエティに吉本興業の芸人しか出なくなったのはたぶんTV局が吉本興業と格安の「パケット契約」しているからだろう(違うかな)。
「使い放題」契約なので、TVのプロデューサーたちは「使わないと損」だとばかりにヴァラエティ番組に10人も20人もの芸人を並べるようになったのではないか。
(追記:と書いたら、携帯電話会社につとめている大学院聴講生のスナダくんからメールが来て、この場合は「パケット定額」と表記するのが正しいのではというご指摘を受けました。スナダくんによると「パケット」というのは携帯等でデータ通信をする場合に使う方式のことで、1パケットとは通信したデータの量が128バイト(日本語で64文字分)です。docomoだとこれが0.2円だそうです。このパケットを使い放題にするのが「パケット定額」だそうです。なるほど、と言われても「128バイトを使い放題」と言われても、「それだと128バイトまで使い放題ということ・・・?」とコトバの意味がやっぱりよくわかっていないウチダでした。以上、訂正でした!)
これほどTVのコンテンツが劣化してくると、そのうち広告主もブランドイメージを守るために出稿をためらうようになるだろう(本業の収益がないので、広告費も出ないし)。
というわけだから、私の見るところ、民放を筆頭に、広告頼りのマスメディアはどれも「就職危険業種」である。
新聞社や出版社も危ないが、それなりのコンテンツの備蓄があるから、当座はしのげるだろう。でも、アーカイブにこのあと新しい知的コンテンツを加算できなければビッグ・ビジネスとして生き残ることはむずかしいだろう。
輸出だよりのメーカーは円高で今は気息奄々であるが、何はなくとも手元に「ブツ」があり、技術がある。
「他を以ては代え難い」ところの製品と技術を基盤にする「クラフトマン」型企業はたぶんこのあとも大丈夫だろう。
安全策の公務員志望が増え、当然、教員志望も増える。おそらく「様子見」の大学院進学者も増えるだろう。
あとはまだよくわからない。
第一次産業と医療介護関連と「貧困ビジネス」はこれから市場規模が急伸するだろう。
もうひとつこういう景況のときにかえって収益が増加する業種がある。
「宗教法人」である。
ただ、これはふつう大学には求人票が来ないので、学生たちに就活指導のしようがないのである

2008.10.30

おたずね

すみません。
不特定多数のみなさまにお伺いします。
私のグーグルカレンダーの来週の水曜日11月5日15時から「鳥取八頭郡小学校教育研究会」という予定が入っているのですが、いつ入力したのか、どういう経緯で入力したのか、覚えておりません。
手元には出講依頼もプログラムもマップも確認メールも見あたりません。
これは何かのマチガイで、私がきっと夢の中でキーボードを叩いただけで、そのような催しは存在しない・・・というふうに解釈してよろしいでしょうか?
解釈可能性としては、
(1)すべては夢である
(2)そのような催しはほんとうに行われるのだが、ウチダが講師に呼ばれたというのは夢である
(3)そのような催しがほんとうに企画され、ウチダは講師に呼ばれていたのだが、不測の事態があって、行事がなくなったことがウチダには連絡されていない
(4)そのような催しはほんとうにあり、ウチダは講師に呼ばれており、それについての詳細な連絡文書も送ってあるのだが、すべてをウチダがなくしてしまった
などいくつものものがあります。
(1)から(3)の場合は何の問題もないのですけど、(4)の場合は関係各方面に多大のご迷惑をかけることになります。

というわけで、鳥取県八頭郡小学校教育研究会関係のみなさまに緊急におたずね致します。
答えは何番?

追記:答えはどれでもなくて、「オッファーがあったときにウチダが断った」ということでした。
どういう理由で断ったか忘れてしまいましたが、きっと連絡をうけたときに非常に体調が悪かったか気分がすぐれなかったのでしょう。
鳥取県八頭郡小学校教育研究会のみなさまには心からお詫び申し上げます。
イベントを取り消しておきながら、グーグルカレンダーには入力していたとわけで、「講演会場に講師が現れない」という最悪の事態は回避できましたけれど、逆の場合を考えるとぞっとしますね。


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