足の腫れはひきましたが

2008-10-07 mardi

週末は箱根湯本でアゲインの株主総会。ビジネスマン諸君と日米経済問題について集中討議。連続10時間に及ぶ展望のやりとりの結果、やはり弱者救済が施策としては最優先すべきであるという立場から、アゲイン店主への集中的な展望投与がなされた。なお、総会の諸経費については当初「頭割り」の予定であったが、招集者である横浜の某商社社長が「公的資金投入」を単独決定、参加者全員「ごっちゃんです」。帰りに山安の干物を買って帰る。次回総会は来年三月の予定。

往路の新幹線車中で『広告批評』のために橋本治論、復路の車中では『新潮45』のために「呪詛論」を書く。

夕方から大阪市内某所で成瀬雅春さんと二度目の対談。
二度目なので、だいたいおたがいの「打ち筋」がわかっている。とんとんと話が進んで、最後は物理学と時間論の話。
成瀬さんにいちばん身体にいいのは「歩くこと」だと教わる。
べつに足腰の筋骨を鍛えることが身体によいのではない(「鍛える」ということはだいたい身体に悪い)。
歩いているといろいろなことが起こる。
それを予期して、最適動線を、そのつどの最適な身体運用で動くためには心身の総合的な能力が必要である。
五感プラス第六感を総動員して空間移動するということ「そのもの」が身体によいのだそうである(だからジムでルームランナーで走ったり、サーキットをくるくる走ることにはあまり意味がない)。
ほとんど同じことを多田先生からもうかがったことがある。
吉祥寺の駅前を月窓寺まで「人にぶつからないように歩く」というだけでずいぶんいい稽古になるそうである(多田先生の歩かれているのを後ろから見ていると「先生の通り道」だけが一本まっすぐ通っているように見える)。
私たちは身体機能をもっぱら空間的な表象形式で把握しているけれど、ほんとうの身体能力というのは「ある時間上の点」から「次の時間上の点」まで移動するときに、どれだけ「細かく」その時間を割れるかということにかかっている。
比喩的に言えば、運動生理学的な身体能力は「輪切りにされたハムの断面」を見て計測され、ほんとうの身体能力は「ハムをどれだけ薄く輪切りにできるか」によって決まる。
いくらハムの断面を凝視しても、ハムの薄さはわからない。
そういうものである。
私は人の多いところを歩くことをあまり好まない。
微細なシグナルにすぐ反応しちゃうので、それが「うるさい」のである。
だから車で通勤している。家の前で車に乗って、岡田山に着くまでドアを開けない。これだと「うるさいシグナル」に反応せずに済む。
私のことを「横着な野郎だ」と思っている方が多いが、実はそういう切ない理由があるのである。
子どもの頃から職住近接主義で、1時間以上かけて通勤通学したことがない(自由が丘から本郷三丁目に通っていたときがもっとも長い通学距離であり、だからほとんど大学に行かなかった)。
高校を中退したいちばん大きな理由も50分かけて高校まで通うのにうんざりしていたからである(誰も信じてはくれまいが、ほんとうなのである)。高校生活そのものはとっても愉しかったのである。だから、もし1967年に内田家が青山とか麹町にあったら、たぶん私は高校をちゃんと卒業していたはずである。
私が「ビバじぶんち」というのはそういうフィジカルな理由によるのである。
私が大学を辞めたら「道場」を「じぶんち」に併設したいと望んでいるのは、それだともう一生涯どこに出かける必要もなくなるからである。

成瀬さんとの対談を終えてから家に帰って、ばたばたと仕事を片付ける。『ひとりでは生きられないのも芸のうち』が文春文庫になる(というのは嘘で、『知に働けば蔵が建つ』の方でした。すみません。すみません)。
そのあとがきゲラを送稿。
解説は関川夏央さんが書いてくれた。関川さんに「内田樹は・・・」というふうに書かれると、なんだか日本文学史上の登場人物になったような気がする。
関川さんの「内田樹論」はすごく身に浸みた。じん。
『新潮45』と文藝春秋の『日本の論点』の原稿をまとめて送稿。
締め切りの迫ったものはだいたい終わった。
次は『ディアスポラの力』(ジョナサン&ダニエル・ボヤーリン)の書評である。これ270頁もあるんだよね。とほ。
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