そのとき野田秀樹の横にいた

2008-10-03 vendredi

野田秀樹さんが AERA で「ひつまぶし」というエッセイを連載している。今週号で30年ほど前の俳優座劇場でのできごとを書いている。
伝説の人、学生演劇の A さんに誘われて、野田さんはたいへん挑発的な芝居に主演することになった。
登場人物は全員全裸、せりふは「ただひたすらに昭和天皇を誹謗中傷するものであった」というのだからよく出演を引き受けたものだと思うが、野田さんは「天下の俳優座劇場と伝説の人と好奇心に負け」て、ふらふらと主演することになってしまう。
当日、俳優座に行った後については野田さん自身の言葉をそのまま引用しておこう。

そこではもう芝居が即興的に始まっていた。フリージャズの伝説のサックス阿部薫がプププ、プププ、プププ〜と一本調子でやっていた(彼はそれから間もなくして薬で死んだ)。伝説の日活ロマンポルノの中島葵もいた。全裸で。申し訳程度に局部に泡をつけていた(彼女も間もなく死んだ)勿論、伝説の人 A も全裸で泡をつけていた。私は、もう何が何だか状況がわからぬまま、二言三言セリフを言った。俄かに入り口が騒がしくなった。右翼の街宣カーがやってきた。その芝居を聞きつけたのか、A が最初から呼んでいたのか。とにかくその途端、A は嬉々として「入り口へ行け! 前に出ろ! 突っ込め!」みたいなことを叫び、私は押し出されるように矢面に立たされた。(「ひつまぶし」8、AERA、10月6日号、96頁)

A というのは劇団駒場のかの芥正彦のことである。
私はこの日、チケットを持って俳優座劇場の前に並んでいて、右翼がかんしゃく玉を野田さんに投げつけているとき、横にいたのである。
駒場時代の級友で「45L III 9D二大奇人」の一人であった万代くん(あとの一人は仲間くん)がこの芝居のプロデュースをしていて、その数日前に渋谷の駅頭で万代くんにばったり会って、そのときに「芥がまた芝居やるから見に来てよ」といわれて、チケットを二枚買ったのである。
もう一枚のチケットは故・竹信悦夫に売って、二人で見に行く約束をしていた。
例によって竹信は約束の時間に現れず、そうこうしているうちに右翼と劇団の諸君の小競り合いが始まり、劇場側が「こんな騒ぎになるなら公演は中止だ」ということになり、私は観劇をあきらめて、そのまま人気のない俳優座劇場の壁にもたれて1時間ほど竹信を待ったのである。
芥正彦の十年ぶりくらいの、それも一日限りの舞台だったのだから、あの日、あの時間に俳優座劇場入り口付近には「そういうのが好き系」の人たちがずいぶん集まっていたはずである。
ほかに誰がいたのか知りたいものである。
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