株価って何

2008-10-29 mercredi

東京株式市場の日経平均株価が昨日一時的に7000円を切った。1982年以来の水準だそうである。
1982年といえば、うちの娘が生まれた年である。
育児に忙しくて、その頃の日本の経済状態がどうだったのか、あまりよく覚えていない。
でも、人々が困窮し、ばたばた倒産が続いていたというような記憶はない。
それなりに平和で豊かな時代だったような気がする。
あの時代にまた戻ったとしても、私は別に構わない。
「なんと愚かな、26年前と比較しても何の意味もないではないか」と経済通は言うだろう。
その時代とは物価も国際環境も為替レートも違うんだから、比較するのはナンセンスだ、と。
いや、おっしゃるとおりだと思う。
だから、「26年前の水準まで下がった」という新聞一面の活字にも何の意味もないと私は思うのである。
株価以外の条件が違うのだから、「株価が同じであった時代」を持ち出して比較することには何の意味もない。
株価というのは「変動する」ということでのみ有意なものである。
ところが、いま見たように「株価が同じであった時代」を想起することが無意味であるというのがほんとうなら、株価が上がろうが下がろうが、当該株価を示したときの社会と比較することには何の意味もないということになる。
では、株価の高下とはいったい何と何を比較することで得られた数値なのだろうか?
株価である。
株価の高下とは株価と株価を比較することで得られた数値なのである。
株価の決定には株価以外の要素も関与している。
だが、それらの要素はすべてまぜこぜになった挙げ句に「株価」として表現されるので、それらの要素のひとつひとつがどのように株価の決定に関与したかは誰にもわからない。
サブプライムローンが今日の世界的な金融危機の原因だということは誰でも言うが、それが個々の金融機関やメーカーの株価の数値の高下とどう相関しているのかは誰にもわからない。
「なんだかよくわかんないけど、やたら下がっちゃった」のである。
ご存じのとおり、株価というのは「人が『上がる』と思えば上がり、『下がる』と思えば下がる」ものである。
平川くんがよく引く喩えを使えば「誰が美人投票で一位になるかを当てる投票」のようなものである。
この投票は自分自身の美の基準とは関係ない。
「みんなは誰に投票するか」ということだけが問題なのである。
「どうもみんなは A 嬢に投票するらしい」という風評が立てば、たちまち A 嬢に集中豪雨的に票が集まる。
ある会社の株価が少し前に高い水準にあったのは、「人々は『この会社の株価はこれから上がる』と思っている」と人々が思っていたからである。
今下がっているのは、「人々は『この会社の株価はこれから下がる』と思っている」と人々が思っているからである。
だから、「底値」を打ったという風評が立てば「今が買い時」ということで投資家たちは買いにまわるだろう。そうすれば、株価はまた上がる。「まだまだ下がる」という風評が立てば株価は下がり続ける。
株価を決定しているのは「他人はこのように行動するであろう」という予測である。しかるに、この「予測」そのものが「他人の行動」の決定に関与してしまう。
でも、私はこれを「幻想経済」であり、モノ作りは「実体経済」であるという識別の仕方には原理的には有効性がないと思う。
モノ作りといっても、市場のニーズというのはおおかた幻想的なものである。
人間の社会というのは「幻想」の上に成立している。
貨幣は「人が貨幣だと信じるもの」のことであり、記号とは「人が記号として認知するもの」のことである。
株価というのもその点ではすぐれて「人間的」なものであるという点では変わらない。

付記:先日「学校選択制」のところでキーボードの QWERTY 配列について書いたところ、安岡さんという専門家の方から「それは間違い」というご指摘を受けた。
私がどこかで読み囓った情報が間違っていたようであるので、ここで謹んで訂正させていただく。
私の説明では用を弁じないのであろうから、ご叱正のメールをそのまま転記したい。

タイプライターやテレタイプやコンピュータにおけるキー配列の歴史を研究しております。貴殿の blog に昨日掲載された『学校選択制』というエントリーを拝読したのですが、そこでレトリックとして掲げられている「QWERT 配列」に関する言説に、非常に大きな問題を感じましたのでメールいたします。

| この文字配列は「打ちやすい」ように並べられているわけではない。「打ちにくい」ように配列されているのである。
| 初期のタイプライターではタイピストが熟練してくるとキータッチが早くなりすぎて、アームが絡まってしまうということが頻発した。それを防ぐためにキータッチを遅らせるキー配列が工夫されたのである。
| 最初はごく一部のタイプライターにしか採用されなかったが、大手のレミントンがこの配列を導入したことで、一気にデファクト・スタンダードになった。

この 3 つの文章に書かれている内容は、全て誤謬であると思われます。まず、世界初の商用タイプライター『Sholes & Glidden Type-Writer』を 1874 年に発売したのは、レミントン(当時はE. Remington & Sons 社)で、しかもその時点で既に上段のキーは QWERTYUIOP と並んでいました。『Sholes & Glidden Type-Writer』以前にはタイプライターという機械自体存在せず、したがって「タイピストが熟練」などということはありえません。また、『Sholes & Glidden Type-Writer』はアップストライク式のタイプライターですので、アームなどという機構を有しません。アームを有するフロントストライク式タイプライターは、1893 年発売の『Daugherty Visible』が最初のもので、それ以前には存在しないのです。
さらに、QWERTY 配列がデファクト・スタンダードになっていく過程では、レミントンよりむしろ The Union Typewriter 社によって形成されたタイプライター・トラストが大きな役割を果たしているように思われます。ただ、このあたりに関しては、かなり複雑な歴史過程が渦巻いていますので、詳しくは拙著『キーボード配列 QWERTYの謎』をごらんいただけますと幸いです。ちなみに「打ちにくいように」というネタそのものは、1930 年代に August Dvorak が独自のキー配列を考案した際、既存のキー配列を攻撃するために言い出したいわばイチャモンで、元となった論文 (August Dvorak: "There Is a Better Typewriter Keyboard", National Business Education Quarterly, Vol.12, No.2 (December 1943), pp.51-58,66.) に書かれている記述そのものに、すでに誤謬があります。
なお、貴殿がお書きになった「QWERT配列」に関する言説は、すでに
http://blog.goo.ne.jp/tatkobayashi/e/06f88e608897a4e6043a95d776917515
http://blog.goo.ne.jp/hkaiho/e/f5ee6c7ecd5d74c44f1f3b5ba94fceda
などに飛び火しています。技術史研究者の私としては、このようなガセネタが広がっていくのは困りますので、とりあえず
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/456534
を書いたのですが、残念ながら、貴殿の言説の方が強く、まだまだ広がっていくものと思われます。貴殿がなぜ私の研究分野に土足で踏み込んできて、このようなガセネタをバラ撒いていくのか理解に苦しむのですが、どうしてもそのような必要があるのでしたら、是非メールあるいはブログでご説明くださると幸いです。

というものである。
ご叱正を多としたい。
私が「間違ったことを書いた本を読んで、それを真に受けた」のか「正しいことを書いた本を読んだのが、それを間違って記憶したのか」は判じがたいが、いずれにせよブログの読者のみなさんはこの機会に正しい情報をぜひご記憶にとどめておいていただきたいと思う。
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