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2012年09月 アーカイブ

2012.09.02

アメリカ抜きの日本外交はありうるか?

沖縄タイムズから「日本外交は対米従属から抜け出せるか?」というお題を頂いた。
許された字数が1200字なので、とても書ききれない。
問いに対する答えはもちろん「No」である。
そもそも日本外交が「対米従属である」と思っており、それを「何とかしなければいけない」と思っている人は日本の外交政策の決定過程には存在しない。
存在しないのだから、「アメリカ抜きの日本外交」が構想されるはずがないし、実施されるはずもない。
構造的に「そのことについて考える」ことが禁じられているのである。
一国の外交戦略について、これほどの抑圧がかかっているのは歴史的に見ても例外的な事例であろう。
独仏は普仏戦争から70年間に3回戦争をして、延べ数百万人の同胞を犠牲にした。独仏国境に「満目これ荒涼惨として生物を見ない」惨状を見た両国民が「もう戦争をしない」ために手作りした同盟関係がEUである。
誰に強制されたわけでもない。両国民がその主体的意思に基づいて「もう戦争をしないために手作りした」関係である。
ということは、絶えず「次の戦争」を回避するための手立てを尽くしているということである。
それが日米関係との決定的な違いである。
日米同盟は「もう戦争をしない」ために日米両国が手作りしたものではない。
アメリカが日本に「もうアメリカを相手に戦争をさせない」ために与えたものである。
それ以外の選択肢が許されなかったために、日本は戦後一貫して日米同盟基軸の外交を展開している。
だが、これは日本国民の主体的決意によるものではない。
現在67歳以下のすべての日本国民は、自分たちが安全保障についても、国防構想についても、「アメリカの許諾抜きで」政策を起案できるという可能性は「ない」ということが常識とされる環境に、生まれてからずっと暮している。
属領に生まれた属領の子たちである。
それが「自然」だと思っている。
それ以外の「国のかたち」がありうるということを想像したことがない。
というか想像することを制度的に禁じられている。
日米同盟基軸という外交戦略が選択肢として適切であるかどうかという「合理性」問題と、それ以外の外交的選択肢を構想するために知性を行使する自由があるかどうかという「権利」問題は、別の次元に属している。
日米同盟基軸という外交戦略は、日本の国益を勘案した場合、きわめて合理性の高い選択肢である。
けれども、「それがきわめて合理性の高い選択肢である」ということと、それ以外の選択肢を吟味することが制度的に「禁じられている」ということは論理的には繋がらない。
私が会った限りの政治家や外交専門家で、「アメリカ抜きの安全保障」についてなぜ想像力の行使を惜しむのかという問いに対して、「合理性」次元以外での反論を立てた人はいない。
ひとりもいなかった。
権利についての問題を私が問うているのに対して、全員が「合理性」レベルで回答して、そもそも私のような問題の立て方が「ありえない」と斬って捨てた。
繰り返し言うが、私は日米同盟基軸が「きわめて合理性の高い外交的選択肢」であることを認めている。
けれども、二国間関係は定常的なものではありえない。
歴史的状況は変化する。
80年代までは「東西冷戦構造」の枠内で日米同盟の合理性は基礎づけられていた。
90年代は「経済のグローバル化・ボーダーレス化」の枠内で基礎づけられていた。
00年代は「対テロリズム」の枠内で基礎づけられていた。
10年代は「中国の拡張主義抑制論」の枠内で、日米同盟関係の合理性は基礎づけられている。
さいわい(と言ってよいだろう)、この60年間はどのようにスキームが変化しても、そのつど日米同盟関係は「合理的なもののように見えた」。
けれども、それはスコラ派があらゆる自然現象を「神の摂理」で説明できたことに似ている。
私はこんな想像をする。
もし、1945年の戦況が今と違っていて、ソ連が日本を占領していて、その強い影響下に戦後日本の統治システムが構築されていたら、日本はどうなっていただろう。
おそらく戦後ずっと、日本の政治家も官僚も学者たちも、もちろんメディアも「日ソ同盟基軸」が唯一の合理的な安全保障体制であり、国防構想であると言い立てていただろう。
そういうものである。
「支配者」が要求する生き方を「合理的である」と思い込める人間は、「支配者」が代っても全く同じリアクションをする。
そういう人間だけが「出世」できる。
そういうものである。
それはかつての中国の官僚群が、新しい征服者が到来する度に、王城の門の前に一列に並んで、「ようこそおいでくださいました。私どもにどうぞご命令を」と一礼したのと同じことである。
同じことはどこでも起きる。
1939年にフランス第三共和政が瓦解したあと、その官僚群はそのまま「居抜き」でヴィシー政権の官僚群を形成した。1944年にヴィシー政権が瓦解したあと、その官僚群はそのまま第四共和政の中枢に移行した。
そういうものである。
私はそれが「悪い」と言っているわけではない。
そういうものだ、と言っているだけである。
だから、「そういうものだ」ということを「勘定に入れて」治国平天下のことは論じなければならないと申し上げているのである。
今の日本の政治家や官僚や学者やメディアのうちで、「1945年段階で、日米同盟関係以外の外交的立場(ソ連の属領)に日本は位置づけられる可能性があった」というSF的想像に知的資源を投じる人はほとんどいない。
「ほとんど」というのは遠慮しすぎかもしれない。
ゼロである。
だが、「そのような可能性もあった」ということを想像し、その場合に日本はどうなったかについて想像することができる人間にしか、「アメリカ抜き」の日本外交は構想できない。
歴史は事後的に回想すると、「それ以外にありえない一本道」をたどっているように見える。
けれども、未来に向かうときには「どれが正しいかわからない」複数の選択肢の前に立ち尽くしている。
そのときに適切な選択ができるためには、「なぜ、『あること』が起きて、それとは違うことが起きなかったのか?」「『起きてもよかったのに、起きなかったこと』と『実際に起きたこと』の間にはどのような違いがあったのか?」というかたちで不断に想像力と知性のトレーニングをしておく必要がある。
いつか日米同盟基軸が「あまり適切な選択肢でない」時点に私たちは遭遇する。
それは避けがたい。
その日が決して来ないことを切望する人たちの気持ちは理解できる。
だが、高い確率で、「起きない方がいいこと」は起きる。
「起きない方がいい」と必死に願うということ自体、「起きる可能性の切迫」を無意識が感知しているからである。
そのときには、生き延びるために「それとは違う選択」をしなければならない。
いつその日が来るのか。
どういう条件が整えば、そう判断できるのか。
そのときに私たちが取り得るオルタナティブにはどのようなものがありうるのか。
それが必要になった時点で「ただちに実現可能な代替選択肢」であるためには今からどのような「備え」をしておく必要があるのか。
そのことを今から考えなければいけない。
だが、「アメリカ抜きの日本外交」について知的資源を投じる用意のある人間は、現代日本にはほとんど存在しない。
そんなところに資源を投じても、誰も評価しないし、誰からも感謝されないし、収入もポストも知的威信ももたらされないからである。
そんな無駄なことは誰もしない。
私が「アメリカ抜きの日本外交」がありえないと答えた理由は以上である。
それは「日本には外交がない」ということとほとんど同義であるが、そのような国がこの先激動する歴史的状況を生き抜けるのかどうか私にはわからない。
日本の長期低落傾向を「元気がないからだ」というような締まりのない言葉でまとめて、「東京オリンピックを誘致すれば元気になる」とか「道州制にすれば元気になる」というような「一攫千金」話している限り、国運の回復機会は決して到来しないだろうということしか私にはわからない。

2012.09.03

分配ゲームの先行きについて

自民党の総裁選が迫り、維新の会の国政進出のための「品定め」が始まったために、政界の「右顧左眄」劇が進行している。
プレイヤーたちの全員が「バスに乗り遅れない」タイミング、「ババをつかまされない」タイミングをみはからって、他のプレイヤーの出方をきょろきょろ見守っている。
私たちは今「他人を出し抜くゲーム」に立ち会っている。
もちろんキープレイヤーは大阪維新の会である。
「みんなの党」は当初維新の会との新自由主義的な政策的な近さを強調し、国政での連携を期待していた。
だが、ご存じの通り、政策が近すぎたせいで、党員たちが「どうせ選挙に出るなら、当選できそうな政党から」と「合理的」に判断したせいで、解党的な危機に直面している。
渡辺喜美代表は昨日「維新も最近は自民党にすり寄っている感じがある。まさか『維新八策』まで捨てるわけではないだろう」と皮肉った。
上野宏史、小熊慎司両参院議員の維新参加には「きちんと党に説明するのが先だ」と記者団に語り、不快感を示した。
民主党の前原政調会長もまたひさしく維新の会との政策的な近さを強調して、国政での連携可能性と選挙協力を模索し、大阪都構想実現のための法案成立に奔走してきたのはご案内の通り。
それで「恩が売れる」と思ったのかもしれないが、こと志に反して、維新の会はぜんぜん恩義を感じる気配もなく、かえって「法案成立の段取りが悪い」と文句を言われた。
前原さん、さぞやはらわたが煮えくりかえるような日々を過ごされていたのではないかと想像するのだが、ようやくこのままでは民主党も維新の会の候補者「草刈り場」になりそうな気配に気づいて(今ごろでは遅すぎると思うが)、「橋下徹大阪市長の人気に乗じ、政治経験のない人がいっぱい出てきて議席を取ったらこの国の政治はどうなるのか」と批判した(「政治経験のない人がいっぱい出てきて議席を取ったら」何が起きるかは2009年の政権交代選挙で前原さんも熟知されているのだろう)。
民主党の松野頼久元官房副長官らが参加する動きについても「維新の勢いを借りて当選しようという志の低い人が国会に残ってどうなるのか」と語った。
自民党も総裁候補者たちは維新の会との距離感のとりかたに苦労している。
「戦後体制からの脱却」を唱える安倍氏は、思想的に近い大阪維新の会との連携を狙い、「教育や憲法改正で維新の会の力を生かしたい」とも強調する。
石破茂前政調会長は最近、周囲に「安保政策について橋下徹大阪市長と議論してみたい」と、維新トップとの接触に意欲を示した。
石原伸晃幹事長も維新の会の国政選挙での協力を当てにしている。
谷垣総裁はその中では例外的に警戒感が強く、維新の会が「維新八策」で掲げた衆院定数半減を「無理だ」と切り捨てた。
減税日本を率いる河村たかし氏は必死のリクルートの末、小林興起、小泉俊明二名の衆院議員の入党を発表し、次の衆院選に100人を擁立すると宣言した。
だが、大阪維新の会への連携アピールは知事にも市長にも一蹴された。
昨日(9月2日)の維新の会市議の議長就任パーティには橋下河村両市長が出席したが、橋下市長はスピーチで減税日本との連携については一言の言及もせず、続いて登壇した河村市長の挨拶も聞かずに退場した。
その場における河村市長の心中を察するにあまりある。
まこと日替わりで政治家たちの言うことも顔色もくるくる変わる政局ゲームが展開しているわけだが、この「他人を出し抜くゲーム」は、意外なことに科学的データによれば、「他人を出し抜いたプレイヤーが総取りする」わけではないらしい。
これは池谷裕二さんの『脳には妙なクセがある』(扶桑社、2012年)からの引用。
決断能力を調べるゲームがある。
二人のプレイヤーがいる。プレイヤーAに10000円の収入があった。それを他方のプレイヤーBとシェアする。分配比率の提案権はAにある。例えば「オレが8000円で、キミが2000円ね」というふうに提示できる。
Bが提案を呑めば、二人ともそのままの金額を手にはいる。
でも、Bには拒否権がある。
この分配比率はフェアではないと思ったら、拒否権を行使できる。
すると、AもBも取り分はゼロになる。
冷静に考えれば、どんな比率で提案されてきても、Bは「OK」すれば、すべての場合に収入がある。
ところが池谷さんによると、人間はそんなに単純ではない。
プリンストン大学のコーエン博士の実験分析では、分配比80:20を提案した場合の拒否権発動率は50%に達するそうである。
人間は自分が想像していた相手と自分の「力関係」とあまりにずれた利益配分比率を示されると、「自分の利益を犠牲にしてまで、相手に社会的制裁を与える」ことを願う動物なのである。(59頁)
まことに興味深い話である。
現在維新の会は「分配比率」を提示できる立場にある。
だが、「すりよってくる側」は提示された比率がどれほど彼らの自己評価と食い違いがあろうとも、丸呑みするわけではない。
「食い違い」がある閾値を超えると、「丸呑み」するよりは「噛みつき返す」方が合理的なふるまいのように思えるようになる。
人間というのは、そういうものらしい。
それは私の経験則とも一致している。
私が見るところ、この後はまず「みんなの党」が、「維新の会の草刈り場になり、所属議員の大半が逃げ出すが、少しは(代表と幹事長が食べられるくらいの)草が残る」という分配比率に直面したときに、「丸呑み」を拒むことになるだろう。
つまり、「共倒れ」というソリューションを選ぶということである。
彼らの構想する「共倒れ」シナリオがどういう内容のものかは予測することができないが、とにかく「相手をひどい目に遭わせないと気が済まない」という心理状態に追い込まれたときに人間がしそうなことをするであろう。
「減税日本」もコケにされてまで大阪維新の会にすり寄っていたら、いずれ名古屋の支持者の気持ちが河村市長から離れてしまうだろう(もう離れているかも知れないが)。
河村市長はどこかのタイミングで「共倒れ」シナリオを採択するはずである。
そうしないと、地域政党どころか、彼自身の政治生命が終わってしまうからである。
民主党は大阪都法案で大幅な譲歩を示したが、それに対する「見返り」が何もないことに苛立っている。
維新の会としては「朝貢」してくる既成政党のうちから「いちばん使い勝手のよい政党」をパートナーに選ぶセレクションをしているつもりでいるわけだから、「朝貢」に対して「見返り」なんか出す気はない。
そんなことにもっとはやく気づけばいいのに、今頃気づいて怒り始めている。
今はまだ「青筋を立てて苛立っている」という段階だが、これ以上政治行動のいちいちについて地域政党の幹部たちに「査定」されるような状態が続くと、ある閾値を超えた時点で民主党執行部も「逆ギレ」することになるだろう。
維新の会と自民党が限られた選挙区であれ、具体的な「選挙協力」をすることになった場合には、民主党執行部は「絶縁」の決断を下すしかないところに追い詰められる。
そのとき、自民党の一部と公明党の他のすべての既成政党が大阪維新の会の「敵」になる。
既成の政党と全面対決するのは望むところだ、という元気のいい考え方もあるだろうが、さきほどのゲームの統計が教えるように「あまりに相手を追い詰めると、相手の立場を思いやった場合よりも失うものが多い」ということは忘れない方がいい。
統計によると、分配比率の提示権を持っているものの収益が最大化するのは65:35という分配比率を提示したときだそうである。
果たして、大阪維新の会に、「権力を分配する相手に、35%の花を持たせる」ことの効率に気づくだけの知恵者がいるかどうか。
いない、と私は思う。

嗜好品について

嗜好品についてのエッセイを頼まれたと思っていたら、「口にする嗜好品」のことだった。
これは使えませんということで没になった原稿。
「読みたい」という方がツイッター上に二人いらしたので、公開します。
ぜひお読みいただきたい、というようなクオリティのものじゃないんですけど・・・

嗜好品というものがない。
だから、よく男性誌で特集している「男なら、この一品」というようなカタログを眺めても、そのようなものに「こだわる」人の気持ちがよくわからない。
自分の持ち物については、洋服も、靴も、時計も、ペンも、バイクも、自動車も、家も、別に「これでなければならない」というようなこだわりがない。
必要になったら、ふらふらと街に出て、ウインドーショッピングをしているうちに「目が合う」ものがあれば、それを買う。それだけである。迷うということも、目移りするということも、ない。目が合ったら、「あ、これください」だけである。
だから、買い物にはぜんぜん時間がかからない。
今乗っている自動車は銀のBMWである(型番とかあるのだろうが、よく知らない)。
原チャリで国道を走っているときに、ディーラーの前を通過した。何気なく横目でウィンドーを見たら突然BMWが欲しくなった。そのままバイクを停めて、店に入って、展示モデルを見渡したが、どうも違う。
営業マンに「カタログ見せて」と頼んで、ぱらぱらめくったら「目が合った」。
「これください」と言ったら、営業マンの若者がしばらくぼんやりした顔をして私をみつめていた。
「ほんとうにお買いになるんですか?」と訊かれた。
原チャリで乗り付けた防寒用のダウンジャケットに汚いジーンズの男にパンを買うような口調で「これください」と言われたのに、ちょっと傷ついたようだった。
それから細かい仕様について相談した。カーナビはどうするとか、フォグランプはつけるかとか、そういうことである。
適当に決めて、立ち去った後、家に電話がかかってきた。
なんだか困った声で「ほんとうに買ってくれますよね?店長がどうしても信じてくれないんです」と言われた。

2012.09.14

集団的自衛権と忠義なわんちゃんの下心について

日本維新の会の橋下代表は13日、集団的自衛権の行使について「基本的に認めるべきだ」との立場をはじめて明らかにした。
集団的自衛権の行使は許されないとするこれまでの日本政府の立場を否定して、「権利があるけれど行使できないなんて役人答弁としか言えない」と批判、「主権国家であれば当然認められる。」とした。
この人は何か勘違いしているようだが、集団的自衛権というのは、これが制定された歴史的文脈に即して言えば、わが国のような軍事的小国には「現実的には」認められていない権利である。
それが行使できるのは「超大国」だけである。
集団的自衛権というのは平たく言えば「よその喧嘩を買って出る」権利ということである。
安全保障条約の締結国や軍事同盟国同士であれば、同盟国が第三国に武力侵略されたら、助っ人する「義務」はある。
でも、助っ人にかけつける「権利」などというものは、常識的に考えてありえない。
よほど、戦争をしたい国しか、そんな権利は行使しようと思わないからである。
実際、そのような歴史的文脈において、集団的自衛権という「概念」は「製造」されたのである。
自国が侵略された場合にこれを防衛するのは「個別的自衛権」と言って、国際法上「固有の権利」とされている。
だが、集団的自衛権という概念がこの世に出たのは、20世紀になってから、米ソの東西冷戦構造の中においてである。
米ソはそれぞれNATOとワルシャワ条約機構という集団的自衛のための共同防衛体制を構築した。
だが、同盟国内におきた武力紛争にこれらの地域機関が介入するためには国連憲章上は「安全保障理事会による事前の許可」が必要とされる。
米ソはもちろん安保理の常任理事国として、相手側の共同防衛機構の軍事介入を拒否するに決まっている。
そこで、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権が国連憲章に明記されることになったのである。
要するに、超大国が自分の支配圏内で起きた紛争について武力介入する権利のことである。
だから、冷戦期には米ソ両大国はその「属邦」の内部で、少しでも「宗主国」から離反の動きが見えると、武力介入を行い、集団的自衛権をその武力行使の法的根拠とした。
集団的自衛権の行使例は次のようなものがある。
ハンガリー動乱(1956年 ソ連)
レバノン派兵(1958年 アメリカ)
ヨルダン派兵(1958年 イギリス)
チェコスロバキア「プラハの春」(1968年 ソ連)
ドミニカ軍事介入(1965年 アメリカ)
ベトナム戦争(1965年 アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど)
アフガニスタン軍事介入(1979年 ソ連)
チャドへ派兵(1983年 フランス)
ニカラグア軍事介入(1985年 アメリカ)
ご覧になればわかるとおり、集団的自衛権の発動はほとんどの場合外部からの武力攻撃が発生していない状態で行われている。
従属国内で「傀儡(パペット)政権」の倒壊のリスクが高まると、「パペットマスター」が登場する。
その強権発動の法的根拠を「集団的自衛権」と呼ぶのである。
ハンガリー動乱やプラハの春では、主権国内部で親ソ政権を民衆が倒しかけたときに、民衆を武力制圧するためにソ連軍の戦車が市民たちをひき殺すためにやってきた。
集団的自衛権とは、平たく言えば、「シマうちでの反抗的な動きを潰す」権利なのである。
他国の国家主権を脅かす権利を超軍事大国にだけ賦与するという、国際法上でも、倫理的にも、きわめて問題の多い法概念だと私は理解している。
だから、どうして、日本がこのような権利を行使すべきだと橋下徹や安倍晋三が考えるに至ったのか、私にはその理由がよく理解できない。
だって、日本は例外的な軍事大国なんかじゃないからである。
だいたい「シマ」がない。
どこか日本の「シマうち」(そんなものが存在すれば)で反日的な民衆運動があったり、反日的な勢力の侵入があったら、ただちにそれを潰さなければならないという「理屈」はわかる。
でも、いったい、それはどこの国のことを想定しているのであろうか?
アメリカ?
まさかね。
日本がアメリカに対して集団的自衛権を発動する場合は二つしか考えられない。
ひとつは、これまでの発動例と同じように、アメリカの民衆が「日本のくびきからアメリカを解放せよ」と言って、「日本の傀儡政権」であるホワイトハウスにおしかけたときに、それを潰しにかかるという場合である。
でも、たぶんそういうことにはならないと思う。
このような政治的リスクを真剣に考慮して、その場合の自衛隊派遣軍の編制やロジスティックスや反日運動制圧後の「アメリカ臨時政府」の布陣などについてシミュレーションしている外務官僚や防衛官僚がいたら、私が彼の上司なら「君ね、そのレポートはオレに出すんじゃなくて、SF大賞に応募したらいいよ」とサジェッションすることであろう。
もうひとつはロシアや中国や北朝鮮やイランやキューバやニカラグアがある日アメリカに武力侵攻してきて、カリフォルニアとかテキサスが占領されてしまったという場合である(ジョン・ミリアスの『若き勇者たち』的シチュエーションだ)。
この場合、日本は「権利」ではなく、日米安保条約第五条に規定された「義務」の履行として、アメリカ出兵に法的根拠が与えられるので、集団的自衛権を権原に求める必要はない。
ただ、アメリカが他国に侵略された場合に、日本政府は太平洋を越えて出兵するだろうか?
私はためらうだろうと思う。
というのは第五条にはこうあるからだ。
「両国の日本における、いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。」
「おい、コネチカット州が中国に占領されたらしいけど、それって『日本の平和及び安全を危うくするもの』かな。」
「コネチカットって、どこよ?」
「いや、いいんだ。忘れてくれ」
というような展開になる蓋然性はきわめて高い。
それにここには堂々と「憲法」と書いてある。
憲法九条には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。
これは別に日本だけの条項ではなく、同じような平和憲法を掲げている国は世界にいくつもある。
そもそも憲法九条第一項は1928年のパリ不戦条約の文言をコピーしたものである。
不戦条約には、アメリカもソ連もイギリスもドイツもフランスもイタリアも、もちろん日本も署名している。
条約にはこうある。
「第一条
締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
第二條
締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス」
不戦条約には脱退規定も失効規定も存在しないので、国際法上はいまも有効である。
日本国憲法と不戦条約と日米安保条約を法的根拠とした場合には、「コネチカット州に中国が武力侵攻した場合」というようなSF的ケースにおいても、「憲法や不戦条約の整合性を考えると、にわかにはわが国の方針は決しがたく。安保理の採決を待って・・・」といってごにょごにょして時間稼ぎをするということは国際法上可能である。
可能であるというか、世界中のすべての国が、とりあえず「様子見」をするはずである。
まして、日本の場合、外交と国防については「後見人であるアメリカが決める」ことになっているのである。
その後見人がピンチなのである。
ということは、そのうち、後見人が別の国に変わるかもしれないし、もう被後見状態を解除します。好きにして、と言われるかもしれない。
そう思ったら、とりあえず「様子見」と判断するのは主権国家として国益を守るために当然のことである。
だから、総理大臣が「まず情勢を十分に見きわめて、適切な時期に適切な行動をとることで、国際社会の期待に応えたいと存じます」というようなことをもごもご言っても、日本国民は「まあ、そうかな」という話になると私は思う。
アメリカ救出義勇軍とかそういうものをつくって、ボートで太平洋を渡ったりする奇特な人がいるかも知れないが、集団的自衛権というのは残念ながら個人が行使できる権利ではない。
となると、いったい橋下代表は「どういうケース」を想定して、集団的自衛権のことを言っているのかがわからなくなる。
新聞によると「自衛隊がイラクやアフガニスタンで米国と共同行動をすることがねらい」と書いてある。
なるほど。
それなら、わからないでもない。
先行事例でこれに類するものとしては、ベトナム戦争での米国の軍事作戦へのオーストラリア、ニュージーランド、韓国の派兵がある。
この戦争も「米国の傀儡政権からの支援要請に応えて、国内の反政府=反米勢力を制圧する」ためのものであった。
だが、ご存じのとおり、ベトナム戦争にコミットしたことでアメリカは多くのものを失った。
私たちは「アメリカがベトナム戦争で多くのものを失った世界」の住人なので、アメリカが戦争に踏み込まなかった場合の世界の歴史については想像をめぐらせるしかないが、とりあえず「ベトナムの泥沼に入り込むのを自制したアメリカ」は「今のアメリカ」よりも軍事的にも経済的にも倫理的にも国際社会で「圧倒的な優位性」を保っていただろうということは想像できる。
その点でいうと、アメリカのベトナムでの集団的自衛権の行使については「よしたほうがいいぜ」と言ってあげるのが友邦のなすべきことだったと私は思っている。
友邦だったら。
でも、日本はアメリカの友邦ではない。
アメリカの属邦である。
従属国家である。
だから、「主人」の家が焼け落ちようと、「主人」の地所が切り取られようと、「主人」の執事が惨殺されようと、ぼんやり眺めていることしかできないし、ぼんやり眺めている「権利」を持っている。
従属民ゆえに外交や国防について主体的に判断できないように日本のシステムを作り込んだのは他ならぬ「ご主人さま」である。
そして、そのことについて、日本人はアメリカに対して深く抑圧された憎しみを感じている。
だから、日本は友邦のような顔をして、アメリカが没落への道を歩むときには、いつもにこやかにその「背中を押してあげよう」とするのである。
現に戦後、世界中の国がアメリカに向かって「それはよしたほうがいいよ」と友情あふれる忠告をなしたときに、いつも日本だけは「私は全幅の同意をお寄せします」と犬のような忠義面をしてみせた。
忠義面して、主人の放蕩や蛮行をアシストする臣下がほんとうは何を考えているのかは誰にもわからない。
たぶん日本人自身にもわかっていない。
日本人は無意識のうちではアメリカの没落を願っている。
そして、それを「アメリカのやることを(どれほどの愚行でも、愚行であればあるほど)すべて支持する」というかたちで実現しようとしている。
日本がこれからアメリカの中東や東アジアにおける軍事行動にこまめにコミットして、反米運動を暴力的に叩き潰す活動に鋭意邁進すれば、その分だけアメリカとその同盟国である日本は世界の人々の怨嗟の的となり、日米の同時的没落の時は早まるだろう。
アメリカと心中したいというのが「集団的自衛権の行使」を言い立てている人々の抑圧された欲望であるという可能性は決して低くない。
小泉純一郎はそうだった。安倍晋三も石原慎太郎もたぶんそうだと思う。
きっと橋下徹もそうなのだろう。
だから、アメリカの国務省内部では「日本の政治家たちが集団的自衛権の行使を言い立てている」という現況についてはすでにリサーチが進んでいると思う。
そして、きっとこのブログなんかもたまにチェックしている国務省の日本担当の小役人がいて、上司へのレポートには「日本人でアメリカに忠義面してすり寄ってくるやつを信用しないほうがいいって日本人がブログに書いてました」と書くことであろう。
上司はそのレポートを「既読」のボックスに放り込んで、鼻を鳴らして、こう言うのだ。
「なに今頃言ってんだよ。そんなこと、ルース・ベネディクトが70年前に国務省宛のレポートで書いてたじゃないか」

2012.09.25

読者からのおたより

横浜でクリニックを開業している岩井亮さんという読者の方からメールが転送されてきた。
震災の医療ボランティアをしている方である。
こういう方たちの目に見えない努力が被災地復興を支えていることに、ひとりの日本国民として感謝の気持ちを示したい。
以下の文章は岩井先生が医師会報に寄稿されたものだそうである。
大手メディアにも掲載を打診したが、まだ回答がないそうである。
もうメディアはこういうグラスルーツの活動に対する興味を失ってしまったようで、紙面に復興の現状についてきめこまかく書かれた記事を見ることもしだいになくなってきた。
たいへん具体的な記録と実践的な提言であるので、医療関係者に震災アーカイブとして共有していただければと思う。

東日本大震災および阪神大震災のNGO医療ボランティア参加経験を記す。

阪神時は当時の専門分野である救急がお役に立つかもしれないと予想し、早期に拠点を立ち上げたNGO(AMDA)に連絡をとり震災4日目神戸長田区入りをし、病院への報告帰宅1日をはさみ約二週間活動した。
ただ、救急蘇生のニーズはすでになく、途中現地指揮(といえば聞こえはいいが、ロジスティクスとトラブルバスター)を兼ねていたので、医療の仕事(巡回、診療所)3割、便所掃除、避難所移転の手伝い、必要物資の要請連絡、物資搬入等を含む仕事7割という内容であった。
今回は、3月から単独参加、1日のみということでJAMT登録はしていたがお声はかからなかった。しかし長引く避難所生活や、瓦礫撤去作業による影響でつらい方が多いだろうと予想し、ペインクリニックの需要を現地NGO(ジャパンハート)に打診をし、その傘下で、5月3-5日、19日、29日、6月12日と断続的に現地入りをした。
移動、使用物品の調達は単独で行い現地で合流後に看護士1~2名のサポートで治療する(いないときは一人で)。現地までの距離は東北道経由で約550キロ(奇しくも長田区とほぼ同距離)、混んでいなければ休憩も含め7~8時間を要する。
土曜日診療後14時に車で出発、現地21~22時着、車中あるいは避難所の一室で一人畳半分程度のスペースで雑魚寝、風呂はないので長期滞在の人は1週間程度は入らない。5時ごろ起床、最初は登山食、コンロを持参したが、コンビニは予想以上に充実、避難所のご好意で炊き出しも分けていただいていた。7~13時、14~17時まで二ヶ所の避難所で治療、帰路につき1~2時ごろ帰宅となる。G Wはまだ道路補修が十分でなく、福島~宮城間の走行にやや注意を要したが、6月時はだいぶ道路も滑らかになっている。慣れというのは不思議なもので、当初感じていた遠さが今はあまり気にならず,眠気が少々つらいだけである。
場所は、津波被害の甚大であった気仙沼本吉地区で、避難所となっている、清涼院、仙翁寺二カ所のお寺の一室、階上中学校体育館倉庫を間借りして、治療をした。用意したのは、トリガーポイント注射、鍼治療、シールの置き鍼、コルセット、テーピング、不眠、疼痛、疲労回復用の漢方処方(ツムラT-23,41,54)である。東洋医学は一般に思われているより即効性があり場合により西洋医学をしのぐ。
この際自分の力量で安全確実なものだけを選んだ。
よくメディアでは心のケアについては言及しているが、痛みストレスに関する報道は乏しいような気がする。理由のひとつは、被災された方が我慢しているので伝わらないこともあるように思う。また、PTSDの専門家によれば基本は苦痛体験の表出にあるという。背中をさすり手を握って話を聞いてくれる聞き上手な一般ボランティアは大事だと思う。実際阪神震災時には、治療中も皆さん一様につらかった経験を話したがり、その後憑き物が落ちたような表情で帰られたのを今でも印象深く記憶している。またそこには心身一如の発想が不可欠であり、腰痛肩こりといった身体的な苦痛の除去がリラックスにつながることは自律神経の作用からも明白である。
実際、当初治療を受けた方の口コミもあり、5月29日は、ボランティアスタッフも含め計37名(避難所の1-2割)の治療を行った。避難所生活で、持病の腰痛膝関節痛が悪化した人、瓦礫撤去での頚肩痛、肋骨骨折、捻挫、津波に飲まれ肩関節打撲などさまざまな症状の方がいらしているが、2-3回の治療である程度の症状軽快を維持している方が多い。ただ、瓦礫撤去などで、その時間帯に不在の方の治療ができない点は心苦しい。また、ボランティア活動に当たっては様々な仕事がかみ合って初めて有効に機能する。仙台事務所のロジスティクス担当は一橋大学生が一年休学し、2ヶ月間調整作業をしていた。現地常駐指揮は、カンボジアでの活動経験のある看護士さんが行い、私が参加した時のドライバー、看護士、医師は、南は福岡、北は埼玉まで全国からの参加があった。

阪神震災時では地元医療機関の立ち上がりが予想以上に早く、震災約10日目にはスタッフ間で引き継ぎ、撤退時期についての議論を行った。ボランティアが長く滞在すれば、地元医療の復興に水をさすことになる。ただ被災者の立場なら、無償診療が有り難いはずで、双方をうまく立てなければ、余計なお世話になりかねないので注意は必要である。(行政の無償措置があれば別であるが)今回の震災は、もともと医療過疎である上に医療機関も相当のダメージを負っているため、長期的な支援が必要になると予想する。それも、地元医療復興のお手伝いというかたちがよいのではないか。いずれにせよ、マンパワーの確保という点で、もし本腰を入れるなら、市、県医師会レベルの結束が不可欠であろう。もちろんそれに先立って地元医療機関との協議は不可欠である。
医療ボランティアを行うにあたり注意すべき点は、日常診療が行える環境にないことと被災した方々のコンディションである。場合によっては看護婦さんがいない、薬剤も限られている、暗い、いつ余震で揺れるかもしれない、そうした状況下で安全確実に自分の力量で行えることは何か想像しないとせっかくの医療行為があだとなることもある。現場でやれることには限りがあり、リスクとベネフィットを天秤にかけるクールな視点が必要である。それゆえ、近隣の被害の少ない搬送可能な病院の把握も大事である。
阪神震災時には、外傷性気胸、慢性硬膜下血腫疑いの患者に搬送指示を出した。また、診療所で浣腸を指示された方がプレショックに陥ったことがある。このときは、3-4人のドクターが張り付き、一人はひっきりなしにマンシェットでの血圧測定、一人は、静脈留置鍼で大腿静脈を狙い、私は成人用点滴セットにつないだ側管ドパミン製剤を冷や汗かきながら調整するといった修羅場を経験した。この場合希釈ドパミンのワンショットあるいはボトル注の方がまだましだったのだろう。手元にエフェドリンはなかった。脱水状態にある方にとっては、浣腸あるいは、不用意な降圧剤の処方さえ危険行為となる可能性があるのである。地震による不眠に対する安定剤を処方し、余震が来た場合も同様である。モニターに関しても心電計は余震の影響、電源供給、ソケットなどを考えると使い辛い。水銀柱血圧計と、バッテリードライブのパルスオキシメーターならばある程度の不整脈、低血圧、低酸素が素人でも把握できるという点で便利であろう。たとえ不整脈があろうと、血圧の維持に支障のあるものがわかれば十分である。VTだって、胸苦しいだけのものもあれば、脱水状態なら早期の必要があるときもある。薬剤は使い慣れたもの、リスクの少ないものを選んだほうがよいだろう。
一般ボランティア医療ボランティアを問わず、まず第一に自身の行動が本当に喜ばれ役に立つのかを吟味する必要がある。私の場合、短期滞在でもある程度お役に立てるという予想のもと現地入りを決め、コーディネーターに情報を問い合わせ、その上で計画を立て、2、3日の野宿に耐える準備を含む物品の調達を行った。情報収集、作戦立案、後方支援、前線活動という4点に留意すれば単独行動でも大丈夫である。
立案に当たっての一例を示す。瓦礫撤去時のトラブルに1医師を送る、2防塵ゴーグル及び作業用皮手袋を送る、3それを買うお金を送る、4撤去を手伝う人手を送るなどさまざまなオプションが想定されるはずである。また、不用意な後方支援が前線活動の妨げになることも肝に銘じておいたほうがよい。まず現地のニーズを把握することが大切である。
よく自分には得意分野がないという人もいるが、本当に相手のためになりたいと思うならば専門性に関係なくできることはいくらでもある。鍵は、自分が被災者だったら、という想像力である。相手に生活空間に入り込んでの活動なので、お邪魔かもしれないという意識も大事で、カメラを持参しないのもひとつのモラルだと思う。多数の心ある人のボランティア参加を切に願う。復興はまだ遠い。

以上の内容を、昨年の青葉区医師会報にのせた。昨年は5~7月まで計7回現地入りをして4ヶ所の避難所で治療に当たったが、8月に入り、避難所から仮設住宅への移転、治療場所の確保等の問題から治療は中止した。7月時点でも、気仙沼総合体育館には170~180名の方がおり、苦労されていた。阪神震災の折、発生から1年後神戸を再訪した時にまだ散在する仮設住宅にショックを受けたが、今回はその比ではない。ただ、仮設住宅入居の抽選が当たっても、高台にある場合、特に高齢の方は、足がない、物資の不足等の理由で入居を拒否するケースも多いと聞いた。前述のNGO(ジャパンハート)が本年1月より石巻に内科小児科クリニックを開設しており、現在ペインクリニックのニーズを打診中であり、要請があれば再度活動参加を予定している。
また今回の震災は原発事故の併発という特殊な事情がある。震災から約1年がすぎ、放射能の拡散の広さも明らかになってきている現時点で、原発に対する医師会としての意思表明はあまりに少なすぎるのではというのが個人的な意見である。私に知る限り年間20ミリの値に物申したきりである。先だっての青葉区医師会合で原発に対する意見を挙手にて確認したところ、条件抜き反対が軽く過半数を超えていた。日本医師会会長宛に、医師会としての、原発是非のアンケート調査、医師会レベルでの低線量被爆被害を疑わせる症状の実態調査(関東圏含む福島)、公表を意見としてメールしたが、なかなか重い腰は上がらないようである。
世論の流れは脱原発だが、日本医師会の本来の目的が国民の健康を守るという大義名分に照らせば医師がもっと意見するべきとの思いがある。マスコミでは、健康被害の有無の討論を含め、いろいろな意見があるようだが、そばに行けば確実に死をもたらす物質が日本全土に拡散した事実を忘れてはいけないと思う。国立感染症研究所データのウイルス疾患の軒並みの急増(過去10年比)も関係が皆無とも思われない。ただ、ある疾患の急増は西の地方にも見られるので解析には注意が必要ではあるが。
震災被害は他人事ではない。急場に要求されるのは臨機応変な対応である。阪神震災時には、モップと毛布で担架代わりにしたり、洋服ハンガーと紐で点滴をつったりといった工夫をしていた。また薬剤などを含め、限られた物資、環境でのやりくりが特に初期には不可避である。また、張り紙、ハンドマイク、自転車といったアナログな手段が効果を発揮する場面が多い。当院の所属するクリニックタウンでも、協同で飲料水、乾パンなどの備蓄をしている。物質的な備えの他にいざというときの心の備えも大事であろう。

2012.09.26

中国離れについて

尖閣国有化をめぐる日中の対立が経済に大きな影響をもたらし始めた。
日本側ではトヨタ自動車が中国市場からの限定的な「撤退」を決めた。
工場の管理のむずかしさ、販売に対する国民感情の抵抗に加えて通関検査の強化で日本からの部品供給が停滞するリスクを抱え込んだからだ。
現地生産台数を10月は白紙に(昨年は7万8千台)、高級車レクサスなどの輸出は停止する。
他にも中国に生産拠点を置いている企業、中国市場をメインターゲットにしている企業は軒並み株価を下げている。
コマツの株価は5月から33%減。日産自動車が18%減、ホンダが11%減。新日鉄、住友化学なども20~40%株価を下げた。
住友化学と言えば、経団連の米倉弘昌会長が会長をつとめる会社である。
その米倉会長は事態を重視して、トヨタの張富士夫会長らと昨日北京に飛んで事態鎮静のための交渉に当たっている。
経済界は日中での政治的対立の深まりをつねに懸念している。
米倉会長は2010年の尖閣での漁船衝突事件についても、領土問題では両国それぞれに言い分があるとして、政府方針(「領土問題は存在しない」)に異論を唱えて物議を醸した。
「尖閣なんかどうだっていいじゃないか」というのは中国を生産拠点、巨大な市場として依存している日本企業にとっては「口に出せない本音」である。
そんなことをうかつに口にしたら、こんどは国内のナショナリストから「売国企業」と名指されて、不買運動を起こされるリスクが高い。
だから、本音を言えば尖閣問題で国士気取りの発言をして、メディアでのお座敷を増やしている政治家たちに対しては、内心では腸が煮えくり返るような思いをしているはずである。
でも、口が裂けても言えない。
しかし、この反日デモで「口に出せない」苦しみを感じているのは日本のビジネスマンだけではない。中国のビジネスマンも同じ苦しみを味わっている。
中国景気は減速を続けているが、ここに来て一気に低落傾向が強まった。
株価指標である上海総合指数は3年7ヶ月ぶりの安値。5月から20%の下落である。
先行き不安から中国への投資も鈍化している。
中国の政体が国民的な支持を得て、国内を効果的に統治できているという信頼感は今回の反日デモで深く損なわれた。
また今回のデモの過程で、工場従業員たちが賃上げ要求や待遇改善を求めて暴動に近い行動を起こしたことも、企業の中国進出にブレーキをかけている。
既報のとおり、すでにトヨタをはじめとする日本企業は生産拠点を人件費の高い中国から人件費の安いインドネシアやマレーシアに移しつつある。
この流れは今回のデモで一層加速するはずである。
日本の場合は産業の空洞化はかなり長期にわたって徐々に進行したし、日本人の経営する企業である以上、国民経済的な配慮(自分さえよければ、地元はどうなってもいいのか・・・的疚しさ)から完全に自由ではなかった。
でも、日本企業(中国政府との合弁だが)が中国から撤退するのに、そのような逡巡はない。
生産拠点の「中国離れ」はこの後たぶん一気に進む。
かつて日本で起きたのと同じように、ある日数万人を雇用していた工場が消失する。
雇用がなくなり、地域経済が瓦解し、法人税収が失われる。
パナソニックの工場が移転した後、守口市は火が消えたようになったが、それでも市民はその「不運」に黙って耐えていた。
でも、中国ではそうはゆかない。
人々は自分たちを「裏切った」日本企業を恨み、その反感は中国全体に拡がり、罷業や不買運動や工場や店舗への攻撃が起こるだろう。
そして、ますます日本企業の「中国離れ」は加速する。
今回の反日デモはイデオロギー的なものであり、領土問題はデモで解決するようなレベルの問題ではないので、それで「問題の解決が遅れる」ことはあっても「とんとんと話が進む」ということはない。でも、経済的な意味で、このデモは大きな影響を与えた。
中国はこのデモが露呈した統治上の瑕疵ゆえに法外な額の国富をすでに失ったし、今も失いつつある。
それがどれくらいの規模のものになるのか、今政府内部では必死に試算をしているだろうが、たぶん計測不能である。
外資の「中国離れ」によって最も大きな影響を受けるのは、都市労働者である。
彼らは雇用を失うか、雇用条件の急激な劣化を強いられる。
直接に影響を受けるのは個別企業の従業員であった数万人、数十万だが、その波及効果はそれにとどまらない。
外国企業の「中国離れ」が政体そのものの危機にまで至る可能性は低いが、経済成長はこれで長期にわたる停滞を余儀なくされるであろう。
だから、反日デモを眺めながら、「尖閣なんかどうだっていいじゃないか。そんな小島のせいでオレに破産しろというのか」と歯がみしている中国のビジネスマンもたくさんいるはずである。
でも、彼らもそれは口には出せない。
ナショナリストに何をされるかわからないからである。
尖閣をめぐるナショナリズムの角突き合いで得をする人間は誰もいない。損をする人間は数え切れないほどいる。
でも、損をする人たちは「オレが損をするから、領土問題でもめるのはやめてくれ」という言葉を口に出すことが許されない。
この抑圧された「怨み」はどこに噴出することになるのだろうか。
それが日中両国民を「外交能力の高い統治者を選出する」というソリューションへ導けばよいのだが、たぶんそうはならないだろう。
暗い気持ちでいる人間が下す判断は必ず間違ったものになるからである。

2012.09.30

日本維新の会のこれから

日本維新の会が28日に発足した。
同日制定された党規約では、党の意思決定や代表選出について、国会議員と地方議員に同じ力を与えた。
党の重要事項は「執行委員会」で決定するが、代表、副代表、幹事長、副幹事長、政調会長、総務会長で構成される委員会のメンバーの大半は代表が選任する。
国会議員は副代表・副幹事長として執行委員会には加わるが、議決には代表を含む過半数の賛成が必要。
このほか、国政・地方選挙の候補者選定、公認、推薦、比例代表名簿順位の最終決定権は代表に帰属する。
ほとんど橋下徹大阪市長の「個人商店」のような政党である。
この記事を読んで、維新の会のこれからの様子がなんとなく見えてきた。
維新の会の「おとしどころ」がわかったような気がする。
いったいどのへんに「おとしどころ」があるのか、こういうことは事後的に「あのときに私はそう予見していたのだ」と言っても所詮「後知恵」である。
あとで賢しらな様子をするよりは、はやめにばんばん予言しておいて、外れたら謝るというのが私のやり方である。
こういうことについてはできるだけ断定的な予言をした方がいい。
それが自然科学の骨法である。
仮説の提示、実験、反証事例の出現、仮説の書き替え。
自然科学はそのエンドレスの繰り返しである。
だから、科学者はその段階で適切だと思った解釈を断定的に語らねばならない。
どうとでも取れる玉虫色の解釈をすること(「ノストラダムスの大予言」みたいなこと)はしてはならない。
どれほど愚かしくても、未来について「これから、こうなる」ということははっきり予測しておいたほうがいいというのが私の考えである。
そうしないと、自分が推論に当たってどんな要素を読み落とし、どんな推理上の誤りを犯したのかが自分にもわからなくなるからである。
問題は「予言の遂行性」ということである。
強く念じたことは実現する。
だから、誰かが断定的に予言したことは、誰も言わなかったことよりも実現する可能性が高い。
困ったものである。
とにかく、2012年段階で、私は次のような未来予測を立てた。
まず、維新の会内部で、地方議員と国会議員団の間で対立が起きる。
これはもうすでに起きている。
党規約の起案に3週間を要したのは「大阪維新の会」の幹部と新党に合流する国会議員団の間で激しい主導権争いがあったためである、とどの新聞も報じている。
今はまだ国会議員は7名だし、「軒を借りる」立場だから、党規約では大幅な譲歩をせざるを得なかった。だが、内心では「いつかみてろよ」と思っているはずである。
このあと国政選挙があり、議員数が増えた場合に、彼らが地方議員と同じ権限に甘んじ、地域政党の幹部に頥使されることを受け入れるということは考えにくい。
ご本人たちの決意がどうあれ、「世間の扱い」が違うからである。
国会議員の「先生」と地方議員の「先生」では待遇が違う、歳費が違う、権限が違う、席順が違う。
世間に出れば「上席」に置かれる人間が、党内では「同席」を求められる。
どちらが「非常識」であるのか、これに悩む人はいない。
「自分に対してより多くの敬意が示される世界が『あるべき世界』である」と考えるのは人性の自然である。
だから、当選してしばらくすると国会議員団の諸君は「大阪の党本部」と「国会議事堂」のどちらがより「あるべき世界」かと問われると、逡巡しつつも「国会」と答えるようになる。
これは不可避の自然過程である。
これを処罰によって規制することはできない(処罰されたら、彼らはたちまち離党して「新党結成」するか、どこかの党に泣きつくだろう)。
採りうるのは「国会議員団を、他の政党の場合と同じように、地方議員団より上位に置く」というソリューションだけである。
というわけでいきなり党規約改定ということになる。
でも、それでは地方議員団が収まらない。
ふざけるんじゃないよ。
東京一極集中を排し、大阪に政治のセンターを作り出すのが「大阪維新の会」の当初のプランである。
国会議員が地方議員や首長の上に来るなら、既成政党と同じじゃないか、と。
この混乱を収拾する「みんなが納得するロジック」は存在しない。
というわけで、選挙直後に党内に国会議員と地方議員・首長のグループ対立という危機が訪れる。
というのが予言その1。
政党である以上、衆議院での首班指名では「自党の党首」に投票しなければならない。
今、議員団の代表は松野頼久衆院議員であるから、論理的に言えば、次の衆院選のあと、彼が当選していれば、日本維新の会の国会議員たちは彼に投票することになる。
だが、それについて橋下代表は明言を避けている。
「いずれリーダーを示さなければならない」と語っているが、これは誰でもわかるように背理的な文章である。
リーダーを指名するのが機関ではなく個人であるなら、指名されるのは「リーダー」ではなく「子分」だからである。
似た組織に公明党がある。
公明党の党首は事実上創価学会会長の指名人事である。
それでうまく政党が回っているのだから、維新の会でもいけるのではないかとたぶん考えた人がいたのだろう。
だが、公明党は「宗教政党」である。地方議員も国会議員も信徒の中から選び出される。
「公明党の政策に共感したので、自民党を離党して公明党に合流する」というようなオプションは原理的にはありえない。
だから、維新の会が公明党に似たことをしようと望むなら、組織統合の軸を「政策」ではなく、「信仰」に置くほかない。
たぶん、何となくそのことは維新の会の幹部たちもわかっていると思う。
だから、議員たちに「橋下徹への個人的な帰依」をまず要求しているのである。
代表に拒否権を付与するというのは、代表が政策判断において「無謬である」ということを意味するわけではない。
だが、「他のすべての党員よりも政策判断において適切である蓋然性が高い」ということを認めている。
ここにいう「他のすべての党員」の中には、「まだ入党していないもの」も含まれている。
その知性や見識について「まだ知られていない人間」よりも代表を上位に置くルールはやはり「信仰」という他ないだろう。
果たして国会議員たちはこの「信仰」をどこまで維持できるか。
むずかしいだろうと思う。
他党の議員からすれば、「陣笠」議員といくら合議しても、対話しても、根回ししても、結局は代表の一存で党議が決するなら、相手にするだけ無駄だからである。
それゆえ、他党の議員たちから維新の会議員団は「見下される」ことになる。
個々の人物の器量や見識によってではなく、「自分たちは政策判断の適否において代表よりも誤る確率が高い」という誓言を代償にして議席を得たという事実によって。
その「見下し目線」に彼らはどこまで耐えられるか。
あまり長くは耐えられないだろうと思う。
というわけで、国会議員団と大阪市長が別立てである限り、この二重権力システムは遠からず軋みを上げることになる。
それを防ぐには橋下代表が国政に出馬して、国会議員団を「締める」しかない。
だから、私は維新の会の国会議員数が一定数(20人)を超えるような勢いであれば、代表は出馬せざるを得ないだろうと思う。
だが、当選議員数がそれ以下(10人そこそこ)なら、大阪からのリモートコントロールも可能である。
大阪市長を任期途中で辞職して国政に出る場合には、「大阪市政をどうするんだ」という市民からの反発が予想される。
その反発が日本維新の会への全国的な逆風につながる可能性がある。
それに、大阪市長選挙で反維新系の候補者が当選した場合には、これまでの職員条例とか教育条例など「維新シフト」はまるごと廃止される可能性がある。
それでは何のために府知事を辞めて大阪市長選に出たのか、わからない。
代表が国政に出ると維新の会の支持率に悪影響が出ると思えば、「出馬しないでほしい」という党内からの声が当然出てくるだろう。
とくに現職の国会議員たちは口々に「国政はわれわれに任せて、あなたは大阪市政に集中しなさい」と忠告するだろう。
だが、これは代表にとってかなり不愉快な発言である。
「おまえらに任せられるくらいなら、はじめから出馬なんて考えなくてよかったんだから・・・(ぶつぶつ)」
だから、まことに逆説的なことではあるが、橋下代表にとっていちばん「望ましい」展開は、支持率があまり伸びず、候補者の大半が落選し、15名程度を国会に送り出すにとどまる、というあたりである。
これなら、「第三極」として、そこそこの議会内勢力でありうるし、大阪市長も辞めずに済む。
そのあたりの「おとしどころ」をめざしてこれから候補者選定が始まると私は予測している。
さて、私の予測は当たるか。刮目して待つべし。

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