読者からのおたより

2012-09-25 mardi

横浜でクリニックを開業している岩井亮さんという読者の方からメールが転送されてきた。
震災の医療ボランティアをしている方である。
こういう方たちの目に見えない努力が被災地復興を支えていることに、ひとりの日本国民として感謝の気持ちを示したい。
以下の文章は岩井先生が医師会報に寄稿されたものだそうである。
大手メディアにも掲載を打診したが、まだ回答がないそうである。
もうメディアはこういうグラスルーツの活動に対する興味を失ってしまったようで、紙面に復興の現状についてきめこまかく書かれた記事を見ることもしだいになくなってきた。
たいへん具体的な記録と実践的な提言であるので、医療関係者に震災アーカイブとして共有していただければと思う。

東日本大震災および阪神大震災のNGO医療ボランティア参加経験を記す。

阪神時は当時の専門分野である救急がお役に立つかもしれないと予想し、早期に拠点を立ち上げたNGO(AMDA)に連絡をとり震災4日目神戸長田区入りをし、病院への報告帰宅1日をはさみ約二週間活動した。
ただ、救急蘇生のニーズはすでになく、途中現地指揮(といえば聞こえはいいが、ロジスティクスとトラブルバスター)を兼ねていたので、医療の仕事(巡回、診療所)3割、便所掃除、避難所移転の手伝い、必要物資の要請連絡、物資搬入等を含む仕事7割という内容であった。
今回は、3月から単独参加、1日のみということでJAMT登録はしていたがお声はかからなかった。しかし長引く避難所生活や、瓦礫撤去作業による影響でつらい方が多いだろうと予想し、ペインクリニックの需要を現地NGO(ジャパンハート)に打診をし、その傘下で、5月3-5日、19日、29日、6月12日と断続的に現地入りをした。
移動、使用物品の調達は単独で行い現地で合流後に看護士1~2名のサポートで治療する(いないときは一人で)。現地までの距離は東北道経由で約550キロ(奇しくも長田区とほぼ同距離)、混んでいなければ休憩も含め7~8時間を要する。
土曜日診療後14時に車で出発、現地21~22時着、車中あるいは避難所の一室で一人畳半分程度のスペースで雑魚寝、風呂はないので長期滞在の人は1週間程度は入らない。5時ごろ起床、最初は登山食、コンロを持参したが、コンビニは予想以上に充実、避難所のご好意で炊き出しも分けていただいていた。7~13時、14~17時まで二ヶ所の避難所で治療、帰路につき1~2時ごろ帰宅となる。G Wはまだ道路補修が十分でなく、福島~宮城間の走行にやや注意を要したが、6月時はだいぶ道路も滑らかになっている。慣れというのは不思議なもので、当初感じていた遠さが今はあまり気にならず,眠気が少々つらいだけである。
場所は、津波被害の甚大であった気仙沼本吉地区で、避難所となっている、清涼院、仙翁寺二カ所のお寺の一室、階上中学校体育館倉庫を間借りして、治療をした。用意したのは、トリガーポイント注射、鍼治療、シールの置き鍼、コルセット、テーピング、不眠、疼痛、疲労回復用の漢方処方(ツムラT-23,41,54)である。東洋医学は一般に思われているより即効性があり場合により西洋医学をしのぐ。
この際自分の力量で安全確実なものだけを選んだ。
よくメディアでは心のケアについては言及しているが、痛みストレスに関する報道は乏しいような気がする。理由のひとつは、被災された方が我慢しているので伝わらないこともあるように思う。また、PTSDの専門家によれば基本は苦痛体験の表出にあるという。背中をさすり手を握って話を聞いてくれる聞き上手な一般ボランティアは大事だと思う。実際阪神震災時には、治療中も皆さん一様につらかった経験を話したがり、その後憑き物が落ちたような表情で帰られたのを今でも印象深く記憶している。またそこには心身一如の発想が不可欠であり、腰痛肩こりといった身体的な苦痛の除去がリラックスにつながることは自律神経の作用からも明白である。
実際、当初治療を受けた方の口コミもあり、5月29日は、ボランティアスタッフも含め計37名(避難所の1-2割)の治療を行った。避難所生活で、持病の腰痛膝関節痛が悪化した人、瓦礫撤去での頚肩痛、肋骨骨折、捻挫、津波に飲まれ肩関節打撲などさまざまな症状の方がいらしているが、2-3回の治療である程度の症状軽快を維持している方が多い。ただ、瓦礫撤去などで、その時間帯に不在の方の治療ができない点は心苦しい。また、ボランティア活動に当たっては様々な仕事がかみ合って初めて有効に機能する。仙台事務所のロジスティクス担当は一橋大学生が一年休学し、2ヶ月間調整作業をしていた。現地常駐指揮は、カンボジアでの活動経験のある看護士さんが行い、私が参加した時のドライバー、看護士、医師は、南は福岡、北は埼玉まで全国からの参加があった。

阪神震災時では地元医療機関の立ち上がりが予想以上に早く、震災約10日目にはスタッフ間で引き継ぎ、撤退時期についての議論を行った。ボランティアが長く滞在すれば、地元医療の復興に水をさすことになる。ただ被災者の立場なら、無償診療が有り難いはずで、双方をうまく立てなければ、余計なお世話になりかねないので注意は必要である。(行政の無償措置があれば別であるが)今回の震災は、もともと医療過疎である上に医療機関も相当のダメージを負っているため、長期的な支援が必要になると予想する。それも、地元医療復興のお手伝いというかたちがよいのではないか。いずれにせよ、マンパワーの確保という点で、もし本腰を入れるなら、市、県医師会レベルの結束が不可欠であろう。もちろんそれに先立って地元医療機関との協議は不可欠である。
医療ボランティアを行うにあたり注意すべき点は、日常診療が行える環境にないことと被災した方々のコンディションである。場合によっては看護婦さんがいない、薬剤も限られている、暗い、いつ余震で揺れるかもしれない、そうした状況下で安全確実に自分の力量で行えることは何か想像しないとせっかくの医療行為があだとなることもある。現場でやれることには限りがあり、リスクとベネフィットを天秤にかけるクールな視点が必要である。それゆえ、近隣の被害の少ない搬送可能な病院の把握も大事である。
阪神震災時には、外傷性気胸、慢性硬膜下血腫疑いの患者に搬送指示を出した。また、診療所で浣腸を指示された方がプレショックに陥ったことがある。このときは、3-4人のドクターが張り付き、一人はひっきりなしにマンシェットでの血圧測定、一人は、静脈留置鍼で大腿静脈を狙い、私は成人用点滴セットにつないだ側管ドパミン製剤を冷や汗かきながら調整するといった修羅場を経験した。この場合希釈ドパミンのワンショットあるいはボトル注の方がまだましだったのだろう。手元にエフェドリンはなかった。脱水状態にある方にとっては、浣腸あるいは、不用意な降圧剤の処方さえ危険行為となる可能性があるのである。地震による不眠に対する安定剤を処方し、余震が来た場合も同様である。モニターに関しても心電計は余震の影響、電源供給、ソケットなどを考えると使い辛い。水銀柱血圧計と、バッテリードライブのパルスオキシメーターならばある程度の不整脈、低血圧、低酸素が素人でも把握できるという点で便利であろう。たとえ不整脈があろうと、血圧の維持に支障のあるものがわかれば十分である。VTだって、胸苦しいだけのものもあれば、脱水状態なら早期の必要があるときもある。薬剤は使い慣れたもの、リスクの少ないものを選んだほうがよいだろう。
一般ボランティア医療ボランティアを問わず、まず第一に自身の行動が本当に喜ばれ役に立つのかを吟味する必要がある。私の場合、短期滞在でもある程度お役に立てるという予想のもと現地入りを決め、コーディネーターに情報を問い合わせ、その上で計画を立て、2、3日の野宿に耐える準備を含む物品の調達を行った。情報収集、作戦立案、後方支援、前線活動という4点に留意すれば単独行動でも大丈夫である。
立案に当たっての一例を示す。瓦礫撤去時のトラブルに1医師を送る、2防塵ゴーグル及び作業用皮手袋を送る、3それを買うお金を送る、4撤去を手伝う人手を送るなどさまざまなオプションが想定されるはずである。また、不用意な後方支援が前線活動の妨げになることも肝に銘じておいたほうがよい。まず現地のニーズを把握することが大切である。
よく自分には得意分野がないという人もいるが、本当に相手のためになりたいと思うならば専門性に関係なくできることはいくらでもある。鍵は、自分が被災者だったら、という想像力である。相手に生活空間に入り込んでの活動なので、お邪魔かもしれないという意識も大事で、カメラを持参しないのもひとつのモラルだと思う。多数の心ある人のボランティア参加を切に願う。復興はまだ遠い。

以上の内容を、昨年の青葉区医師会報にのせた。昨年は5~7月まで計7回現地入りをして4ヶ所の避難所で治療に当たったが、8月に入り、避難所から仮設住宅への移転、治療場所の確保等の問題から治療は中止した。7月時点でも、気仙沼総合体育館には170~180名の方がおり、苦労されていた。阪神震災の折、発生から1年後神戸を再訪した時にまだ散在する仮設住宅にショックを受けたが、今回はその比ではない。ただ、仮設住宅入居の抽選が当たっても、高台にある場合、特に高齢の方は、足がない、物資の不足等の理由で入居を拒否するケースも多いと聞いた。前述のNGO(ジャパンハート)が本年1月より石巻に内科小児科クリニックを開設しており、現在ペインクリニックのニーズを打診中であり、要請があれば再度活動参加を予定している。
また今回の震災は原発事故の併発という特殊な事情がある。震災から約1年がすぎ、放射能の拡散の広さも明らかになってきている現時点で、原発に対する医師会としての意思表明はあまりに少なすぎるのではというのが個人的な意見である。私に知る限り年間20ミリの値に物申したきりである。先だっての青葉区医師会合で原発に対する意見を挙手にて確認したところ、条件抜き反対が軽く過半数を超えていた。日本医師会会長宛に、医師会としての、原発是非のアンケート調査、医師会レベルでの低線量被爆被害を疑わせる症状の実態調査(関東圏含む福島)、公表を意見としてメールしたが、なかなか重い腰は上がらないようである。
世論の流れは脱原発だが、日本医師会の本来の目的が国民の健康を守るという大義名分に照らせば医師がもっと意見するべきとの思いがある。マスコミでは、健康被害の有無の討論を含め、いろいろな意見があるようだが、そばに行けば確実に死をもたらす物質が日本全土に拡散した事実を忘れてはいけないと思う。国立感染症研究所データのウイルス疾患の軒並みの急増(過去10年比)も関係が皆無とも思われない。ただ、ある疾患の急増は西の地方にも見られるので解析には注意が必要ではあるが。
震災被害は他人事ではない。急場に要求されるのは臨機応変な対応である。阪神震災時には、モップと毛布で担架代わりにしたり、洋服ハンガーと紐で点滴をつったりといった工夫をしていた。また薬剤などを含め、限られた物資、環境でのやりくりが特に初期には不可避である。また、張り紙、ハンドマイク、自転車といったアナログな手段が効果を発揮する場面が多い。当院の所属するクリニックタウンでも、協同で飲料水、乾パンなどの備蓄をしている。物質的な備えの他にいざというときの心の備えも大事であろう。