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2009年01月 アーカイブ

2009.01.02

等々力渓谷より賀詞言上

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
己丑 元旦

無事に快晴の新年を迎えることができた。
ありがたいことである。
早朝に酒心館で『猩々』を謡い初め。
家に戻って福寿の新酒をいただいて、そのまま爆睡。昼過ぎに起き出して、おせちを食べ、お雑煮を食す。
お雑煮、今年からは「多田先生風」にしてみる。
例年だと「鰹だし」の「醤油味」なのであるが、今年は「鶏だし」の「塩味」で、お酒をどぼどぼ入れる。
たいへん美味である。
年賀状を読み、何通かにご返事を書く。
そんなことをしているうちに日が暮れてきた。東京に行かねばならぬので、住吉駅まで歩きがてら、途中の弓弦羽神社に初詣。
おみくじをひくと「末吉」。
あまりじたばたしないで節度をもって過ごせとのお達しである。
言われるまでもなく、そうできるものなら、そうしたい。
新幹線で新横浜から菊名、自由が丘経由で等々力へ。
大井町線の駅名は読みにくい。
「等々力」は「とどろき」と読む。
「九品仏」は「くほんぶつ」と読む。
私は九品仏に長く住んでいたが「どこにお住まいですか?」と訊かれて「くほんぶつ」と答えると「え?コロンブス?」と聞き返されたことが二度ある。
東京のどこにそんな地名があるものか。
大井町線は自由が丘、九品仏、尾山台、等々力、上野毛、二子玉川と駅が並んでいる。
隣の駅に停まった電車が見えるくらいに駅間が近い。
私は大学生のとき自由が丘に住んでおり、自由が丘道場で多田先生に師事し、そのあと結婚して九品仏に住み、子どもができて上野毛に移った。一方、横浜にいた兄は数年前に等々力に家を求め、相模原にいた母がいまその向かいの借家に住んでいる。同じ町内にex wifeとその母がいて、等々力には平川くん、自由が丘にはるんちゃんとブザンソン出身のブルーノくんがいる。尾山台には小堀さんと笹本さんのアトリエもある。
どうして出自を異にするこれほど多くの人々が半径3キロくらいの範囲に汗牛充棟状態で住むようになったのか、理由がわからない。
私としては知り合いがまとめて集住してくれているわけで、便利この上ない。
去年の3月に引っ越してきた母の家に来るのはこれがはじめて。
その間、東京には10回くらい来ているのに、一度も母の家を訪れないとはとんだ親不孝ものであるが、朝来て夕方とんぼ帰りとか、深夜着いて翌日深夜帰りとかいうハードスケジュールなので、等々力まで足を伸ばす暇がなかったのである。
今回はここに5日まで長逗留して、ゆっくりと母のおしゃべりのお相手をする。
長閑な正月である。
今日はこれからるんちゃんに会って、平川くんと石川くんと賀詞交換の予定。
それまで昼寝でもしよう。

2009.01.05

「内向き」で何か問題でも?

先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日本のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。
「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日本語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯が食える」ということである。
日本人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯が食える」からである。
「外向き」じゃないと飯が食えないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。

どうしてそんなことを考えたかというと、テレビの政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。
フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有している。
どうしてそういうことになったかというと、ノキアは「はじめから世界標準をめざしていた」からである、というのが識者のご説明であった。
それに比べて日本のメーカーは国内市場オリエンテッドな商品開発をしているから国際競争に後れを取るのだと叱責していた。
それはちょっと考え方が違うのではないかと私は思う。
フィンランドは人口520万人である。
兵庫県(560万)より小さい。
兵庫県のメーカーがもし大阪でも岡山でも使えない「兵庫県仕様」の機械製品を作っていたら、それはたいへん愚かなことであるということは誰にでもわかる。
「兵庫県でしか使えない機械」を作る手間暇と「大阪や岡山でも使える機械」を作る手間暇がほとんど変わらないときに、わざわざ市場を制約する人間はいない。
ノキアが「世界標準をめざして製品開発した」のは誰でもわかるとおり「国内市場限定で製品開発したのでは、投下資本が回収できないから」である。
フィンランドの企業が「フィンランド国内市場限定」で商品開発している限り、フィンランド最大の企業でも「甲南みそ漬け」や「芦屋ラーメン」の企業規模を超えることはできぬであろう。
だから、彼らが国内仕様を世界標準と合わせるのは当たり前である。
日本はまるで事情が違う。
日本には巨大な国内市場がある。
国内市場限定で製品開発しても、売れればちゃんともとがとれる規模の市場が存在する。
世界標準で製品開発するのと、国内限定で製品開発するのでは、コストが違う。
これは例外的に「幸運」なことなのである。
その事態がどうして「内向きでよくない」というふうに総括されて、誰も彼もが「そうだそうだ」と頷くのか、私にはその方が理解できないのである。
いいじゃないですか、国内仕様で飯が食えるなら。

国の規模という量的ファクターを勘定に入れ忘れて国家を論じることの不適切であることを私はこれまで繰り返し指摘してきた。
例えば、中国は現在あまり適切な仕方では統治されていない。
だが、この国は人口14億である。55の少数民族を擁し、少数民族だけで人口1億4千万人いる。それだけで日本の人口より多いのである。
それが「日本と同じように法治されていない」ことをあげつらうのはあまり意味のないことである。
中国の統治制度を非とするなら、それに代わるどのような統治制度がありうるのか、せめてその代案について数分間考える程度の努力をしてからでも遅くはないのではないか。

フィンランドが現在たいへん好調に統治されていることを私は喜んで認める。けれども、その好調の重要な要素は「人口が少ない」ということであることを見落とすわけにはゆかない。
もし、兵庫県が「鎖県」して、兵庫県民の納めた税金ですべてのシステムが運営されていた場合には県民たちのタックスペイヤーとしての当事者意識はきわめて高いものになるであろう。
かりに「独立兵庫県」が「高福祉高負担」を政策として掲げた場合には、税金がどのように使われているか、県民の検証はきわめてきびしいものになるであろうし、高負担にふさわしいだけの福祉制度の充実が目に見えるかたちで示されれば、県民たちは黙って負担に耐えるであろう。
国が小さければいろいろなものが目に見える。国が大きくなるといろいろなものが見えなくなる。
当たり前のことである。
だから、小国には「小国の制度」があり、大国には「大国の制度」がある。
「小国」では「いろいろなものを勘定に入れて、さじ加減を案分する」という統治手法が可能であり、大国ではそんな面倒なことはできない。だから、大国では「シンプルで誰にでもわかる国民統合の物語」をたえず過剰に服用する必要が出てくる。
小国が「したたか」になり、大国が「イデオロギッシュ」になるのは建国理念の問題や為政者の資質の問題ではなく、もっぱら「サイズの問題」なのである。

話を戻そう。
「日本の問題」とされるもののうちのかなりの部分は「日本に固有の地政学的地位および地理学的位置および人口数」の関数である。
ということは、日本とそれらの条件をまったく同じにする他国と比較する以外に、私たちが採択している「問題解決の仕方」が適切であるかどうかは検証できないのである。
もちろん、私たちがただいま採用している問題解決の仕方はさっぱり適切であるようには思われない。
さて、その不適切である所以はどのようにして吟味されうるのか。
論理的に言えば、その成否は「今採用している問題解決の仕方とは別の仕方」を採用した場合には何が起きたかというシミュレーションに基づいて採点すべきである。
「日本と地政学的地位も地理学的位置も人口数も違う国」で採用したソリューションの成功と比較することにはほとんど意味がない。
にもかかわらず、相変わらず識者たちは「アメリカではこうである」「ドイツではこうである」「フィンランドではこうである」というような個別的事例の成功例を挙げて、それを模倣しないことに日本の問題の原因はあるという語り口を放棄しない。
たしかほんの2年ほど前までは「アメリカではこうである」ということがビジネスモデルとしては正解だったはずであり、その当時、かのテレビ番組に出ていた識者たちも口々に「アメリカのようにしていないことが日本がダメな所以である」と口から唾を飛ばして論じていたかに記憶している。
その発言の事後検証については、どなたもあまり興味がなさそうである。
しかし、「自分の判断の失敗を事後検証すること」こそ「今採用している問題解決の仕方とは別の仕方を採用した場合には何が起きたかというシミュレーション」の好個の機会である。
その機会を活用されないで、いつ彼らはその知性のたしかさを証明するつもりなのであろう。

興味深いのは、この「日本と比較してもしようがない他国の成功事例」を「世界標準」として仰ぎ見、それにキャッチアップすることを絶えず「使命」として感じてしまうという「辺境人マインド」こそが徹底的に「日本人的」なものであり、そのことへの無自覚こそがしばしば「日本の失敗」の原因となっているという事実を彼らが組織的に見落としている点である。
こうも立て続けに日本の選択が失敗しているというのがほんとうなら、「日本の選択の失敗」のうちには「日本の選択の失敗について論じる言説そのものの不具合」が含まれているのではないかという懐疑が兆してよい。
ある人が、立て続けに人生上の選択に失敗していたとしたら、私たちはその理由を彼が「成功した誰かの直近の事例をそのつど真似していないこと」にではなく、むしろ「彼の選択の仕方そのものに内在する問題点」のうちに求めるであろう。
ふつう私たちがバカなのは、私たちが「りこうの真似をしていない」からではなく、端的に私たちがバカだからである。
そう考えてはじめて「私たちの愚かさの構造」についての吟味が始まる。
別に私は識者たちの知性の不具合を難じているのではない。
個人レベルではできることが国家レベルではできないということはそれが、それこそが「日本の問題」だからである。
私たちがうまく問題を解決できないのは、私たちの問題の立て方が間違っているからである。

「日本の問題」のかなりの部分は「サイズの問題」に帰すことができると私は考えている。
だが、日本は他国と「サイズが違う」ということはあまりに自明であり(小学生でも知っている)、そのような周知のことが理由で「日本問題」が起きているということは専門的知識人たちには許容し難いことなのである。
だから、彼らはそのような単純なことが「日本問題」の原因であることを認めようとしない。
でも、残念ながら、実はそうなのである。
例えば、私自身は「生きる日本問題」である。
私の思考の仕方そのものが「端的に日本人的」だからである。
私の考えていることの87%くらいは「日本人だから、こんなふうに考える」のであり、私がウランバートルや平壌やブロンクスで生まれていれば,絶対に「こんなふう」には考えていない。
そして、私が「こんなふう」に書くのは、私が「日本語が通じるマーケットに通じれば十分」だと思っているからである。
だって、そこだけで1億3千万いるんだから。
私が幕末や明治の人の逸話を録するのも、60年代ポップスの話をするのも、こうやって正月テレビ番組の話をするのも、「それを(一部想像的に)共有している数万の読者」を想定できるからである。
その数万の読者のうちの10%でも定期的に私の著書を購入してくれるのであれば、私は死ぬまで本を書き続け、それで飯を食うことができる。
「たずきの道」ということに関して言えば、私にはぜんぜん世界標準をめざす必要がないのである。
「おまえの言うことはさっぱりわからんね」とアメリカ人にいわれようと中国人にいわれようとブラジル人にいわれようと、私はI don’t care である。
外国人に何を言われようと「明日の米びつの心配をしなくてよい」ということが私のライティングスタイルを決定的に規定している。
しかし、今の日本のメディアを見る限り、自分が100%国内仕様のライティングスタイルを採用しているということをそのつど念頭に置いて書いている人はあまり多くない(ほとんどいない、と申し上げてもよろしいであろう)。
中には「英語で発信すれば世界標準になる」と思って、「私はこれから英語でしか書かない」というようなとんちんかんなことを言う人もいる。
だが、世界仕様というのは要するに「世界市場に進出しなければ飯が食えない」という焦慮、あるいは飢餓感のことである。
「私はこれから英語で発信して、世界標準の知識人になるのだ」ということを日本語で発信して、日本の読者たちに「わあ、すごい」と思わせて、ドメスティックな威信を高めることを喜んでいる人間は、夫子ご自身の思惑とは裏腹に、頭の先からつま先まで「国内仕様の人」なのである。
失礼だけれど、骨の髄まで国内仕様でありながら、世界標準を満たしていると思い上がっている人間は、自分が世界標準とまるで無関係な「ドメスティックプレイヤー」であることを知っている人間より、さらに世界標準から遠いのではないかという危惧はお伝えしておかなければならない。

帝国主義国家が植民地獲得に進出して、よその人々を斬り従えたのも、「世界市場に進出しなければ(たのしく)飯が食えない」と彼らが(たいていの場合は根拠もなく)信じ込んだからである。
私は人間たちが「外向き」になったことで人類が幸福になったのかどうか、まだ判定するには早すぎるのではないかと思っている。
「家にいてもたのしく飯が食える人間」は「世界標準仕様」になる必要がない。
そして、私は「家にいてもたのしく飯が食えるなら、どうして寒空に外に出て行く必要があるものか」とこたつにはいって蜜柑を食べている人間である。

「内向き」が繰り返し問題とされるのは、「内向き」では飯が食えないビジネスモデルを標準仕様にしたからである。
「外向き」になるにはアメリカにはアメリカの、フィンランドにはフィンランドのそれぞれの「お国の事情」というものがある。その切ない事情についてはご配慮して差し上げるべきであろう。
だが、わが日本にはせっかく世界でも希なる「内向きでも飯が食えるだけの国内市場」があるのである。
そこでちまちまと「小商い」をしていても飯が食えるなら、それでいいじゃないか。
2009年はたぶん日本は「内向きシフト」舵を切るようになると私は推察している。
でも、「内向きシフト」は「みなさん、これからは内向きになりましょう、さあ、ご一緒に!」というような元気一杯なものではない。
「私は内向きに生きますけど、みなさんはどうぞご自由に」というのが「内向きの骨法」である。

追伸:と書いてアップしてから平川くんのブログを見たら、「内向き礼賛」というタイトルが掲げてあった。
お正月の賀詞交換のときに、「『内向き』でいいじゃないか、ねえ」と平川くんと怪気炎を上げたのであるが、ちゃんとこうやってふたりで同じテーマで、ちょっとだけ違うことを書いている。
併せてお読みいただければ、私の言いたいことはさらによくご理解いただけるでありましょう。

2009.01.07

読者と書籍購入者

私は論争ということをしない。
自分に対する批判には一切反論しないことにしているから、論争にならないのである。
どうして反論しないかというと、私に対する批判はつねに「正しい」か「間違っている」かいずれかだからである。
批判が「正しい」ならむろん私には反論できないし、すべきでもない。
私が無知であるとか、態度が悪いとか、非人情であるとかいうご批判はすべて事実であるので、私に反論の余地はない。粛々とご叱正の前に頭を垂れるばかりである。
また、批判が「間違っている」なら、この場合はさらに反論を要さない。
私のような「わかりやすい」論を立てている人間の書き物への批判が誤っている場合、それはその人の知性がかなり不調だということの証左である。そのような不具合な知性を相手にして人の道、ことの理を説いて聴かせるのは純粋な消耗である。
というわけで私はどなたからどのような批判を寄せられても反論しないことを党是としている。
それに、私の知る限り、論争において、ほんとうに読む価値のあるテクストは「問題のテクスト」と「それへの批判」の二つだけである。それ以後に書かれたものは反批判も再批判もひっくるめて、クオリティにおいて、最初の二つを超えることがない(だんだんヒステリックになって、書けば書くほど品下るだけである)。
だから、最初の批判が登場した段階で、論争の基礎資料はすでに整っているわけであって、これに贅言を加える要はないと私は考えている。
論の正否の判定をするのは当人たちではなく、読者のみなさんである。
などと書いているくせにまた物議を醸しそうなことを正月早々書く。
私は日本文藝家協会に入っている。
前にも書いたように、この協会の活動の柱の一つは著作権の保護である。
著作権の保護に異論のある人はいない。
問題は著作権という「私権」が「公共の福利」としばしば齟齬することである。
日本文藝家協会が今問題にしているのは「検索エンジン」の違法性である。
グーグルには「書籍検索」という機能があるらしい(アメリカでは実施されているけれど、日本ではまだ)。
協会から送ってきたパンフレットには次のように書いてある。
「ここでは書籍の宣伝のために、本体の2割程度の内容が本屋で立ち読みするように読めるようになっていて、ユーザーが打ち込んだキーワードがその部分にあれば、表示されるようになっています。ユーザーは世界中の書籍から、自分が求めているテーマに言及した書籍を探しだし、その部分を読むことができるのです。(・・・)アメリカではいくつかの大学図書館の蔵書なども検索の対象になっています。その場合は全文が読めます。」(「文藝著作権通信」、第10号、NPO文藝著作権センター、2008年12月)
ネットで本がどんどん読めるというのは、私にはたいへんけっこうなことのように思える。
そのことのどこが悪いのであろうか。パンフレットはこう続く。
「ネット検索だけで調べ物ができるということになれば、それは書籍の売り上げに影響します」
ということらしい。
「新刊書の場合は読める部分が2割程度に限定されるとはいっても、短編小説なら全文読めてしまいますし、コラムや詩、短歌、俳句なら、1ページ読んだだけで作品の全体をただで読めることになります。これでは明らかに損失が出ているように思えますが、フェアユースという考え方では、とりあえずシステムを稼働させてみて、問題があれば苦情を受け付け(すでに日本でも苦情が出て削除されたケースがあります)、それで問題が解決されなければ裁判ということになります。いずれにしても、著作権者が不利な立場におかれることはまちがいありません。」
うーむ。
申し訳ないけれど、私はこのロジックには同意することができない。
とりあえず私の場合、書物を刊行したり、論文を書いたりするのは、一人でも多くの人に読んで欲しいからであり、一円でも多くの金が欲しいからではない。
こちらからお金を払っても申し上げたいことがあるので、本を書いているのである。
現に、私の最初の何冊かの本は自費出版である(『現代思想のパフォーマンス』も『映画は死んだ』も自分でお金を払って本にしてもらった)。
私が「著作権者の不利」と見なすのは、第一に私の書いたものへのアクセスが妨害されたり、禁止されたりすることであり、それ以外はどれも副次的なことにすぎないと考えている。
もし著作物が一人でも多くの読者に読まれることよりも、著作物が確実に著作権料収入をもたらすことが優先するというのが本当なら、物書きは「あなたの書いた本をすべて買い取りたい」という申し出を断ることはできないはずである。買った人がそれを風呂の焚きつけにしようが、便所の落とし紙にしようが、著作権者は満額の著作権料を得たことを喜ぶべきである。
と言われて「はい」と納得できる書き手がいるであろうか。
ネット上で無料で読もうと、買って読もうと、どなたも「私の読者」である。
本は買ったが、そのまま書架に投じて読まずにいる人は「私の本の購入者」ではあるが、「私の読者」ではない。
私が用があるのは「私の読者」であって、「私の本の購入者」ではない。
著作権についての議論ではどうもそこのところが混乱しているような気がする。
もの書く人間は「購入者」に用があるのか、「読者」に用があるのか。
私は「読者」に用がある。
読者の中には「本を購入しない読者」がいる。
図書館で読む人も、友だちから借りて読む人も、家の書架に家族が並べておいた本を読む人も、ネットで公開されたものを読む人も、さまざまである。
どれも「自分では本を購入しない読者」たちである。
だから、彼らの読書は著作権者に何の利益ももたらさない。
けれども、おそらく「本読む人」の全員はこの「本を購入しない読者」から、その長い読書人生を開始しているはずである。
私たちは無償のテクストを読むところから始めて、やがて有償のテクストを読む読者に育ってゆく。
この変化は不可逆的なものであると私は考えている。
私たちの書架にしだいに本が増えてゆくにつれて、そこにはある種の「個人的傾向」のようなものがくっきりと際だってくる。
書架は私たちの知的傾向を表示する。それは私たちの「頭の中身の一覧表」のようなものである。
だから、「本読む人」は必ず「個人的な書架」を持つことを欲望する。
その場合書架に並べられるのは、おおかたが購入された書物である。
図書館の本や借りた本やネットで読んだ本はそこにずっと置いておくことが出来ないからである。
もし物を書く人間に栄光があるとすれば、それはできるだけ多くの読者によって「それを書架に置くことが私の個人的な趣味のよさと知的卓越性を表示する本」に選ばれることであろう。
「無償で読む読者」が「有償で読む読者」に位相変換するダイナミックなプロセスにはテクストの質が深くコミットしている。
「この本をぜひ私有して書架に置きたい」と思わせることができるかどうか、物書きの力量はそこで試される。
原理的に言えば、「無償で読む読者」が増えれば増えるほど、「有償で読む読者」予備軍は増えるだろう。
だから、ネット上で無償で読める読者が一気に増えることがどうして「著作権者の不利」にみなされるのか、私にはその理路が見えないのである。
ネット上で1ページ読んだだけで、「作品の全体」を読んだ気になって、「これなら買う必要がない」と判断した人がいて、そのせいで著作権者に入るべき金が目減りしたとしても、それは読者の責任でもシステムの責任でもなく、「作品」の責任である。
そう考えることがどうして許されないのか。


PS:同じパンフレットが鈴木晶先生のところにも送られてきたらしく、鈴木先生もこの著作権の考え方に批判的なコメントを寄せておられた。こちら(12月29日)もぜひご一読願いたい。

2009.01.10

あれから40年

修士のクロダくんが論文について相談に来る。
修論のテーマは「学生運動」だそうである。
40年前の学生運動のことについて調べたいという。
私が彼女の年齢のとき(1973年)、その40年前というと、1933年である。
ヒトラーが政権を執り、松岡洋右が国際連盟の会議場から歩き去り、滝川事件が起きた年である。
どれも、私にとっては「ジュラ紀ほど大昔の話」である。
だから、ナチスが政権を執ったときのことをリアルタイムで知っている人なんかの話を聴くと、「生きる現代史」みたいな古老だと思っていた。
けれども、よくよく考えてみたら、私自身がもう彼女たちの世代から見たら「歴史的事件を語り継ぐ」古老の立場にいたのである。
69年の全国学園闘争とは何であったのか、お嬢さん、それをこの老人に聴きたい、と。
ほうほう、それは奇特な心がけだのう。
だが、あの話を若い方にご理解いただくためには、明治維新から説き起こさねばならぬのだよ。
少し話しが長くなるので、まあ、縁側に座って、お茶でも飲みながら聴いてくだされ。
新左翼の学生運動というのは、幕末の「攘夷」運動の3度目のアヴァターなのだ。
そのことを政治史家たちが見落としているのはいささか私には腑に落ちぬことである。
ご存知のとおり、日本における学生運動は全学連(全日本学生自治会総連合)とともに始まる。
余談だが、「全日本学生自治会総連合」というのは長いわりにはたいへん覚えやすい。
5・7・5になっているからである。
「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校」
という俵万智の名歌があるが、それに匹敵するナイスなネーミングである。(梁川兄から「引用が間違っている」旨ご指摘メールがありました。すみません。俵万智さんに伏してお詫び申し上げます)
私がそのころ句壇の選者であったら、これを1948年度最優秀句に採ったであろう。
閑話休題。
その全学連を基礎づけたものは何かというと、これは「果たされなかった本土決戦」をもう一度やり遂げなければ、日本の精神的再生はありないという青年たちの「攘夷の本懐」だったのである。
全学連の中心メンバーたちはほとんどが敗戦時に小学生か中学生である。
彼らは「少国民」として皇国不敗を信じ、神風を信じ、最後の一兵まで戦うのだという大人たちの言葉を信じた。
そして裏切られた。
そのあとの「敗戦国の平和」を戦後生まれの私たちはのんびりと享受していたが、敗戦を5歳から15歳の間で迎えた私より10歳から20歳年長のこの人たちは違っていた。
彼らは何よりも熱い「恥」の感覚に貫かれたまま戦後の荒々しい社会を生きた。
そういう彼らが武装闘争路線をとった共産党の山村工作隊・中核自衛隊構想に惹きつけられたのは当然である。
年長世代が放棄した「本土におけるゲリラ戦」を彼らが継続しなければ、本当の意味で戦争は終らない。
けれども、六全協で共産党は武装路線を放棄し、「ウッド・ビー・ゲリラ戦士」たちは切り捨てられた。
そのときの若者たちの途方にくれた心情は柴田翔の『されどわれらが日々』に詳しい。
だが、共産党に切り捨てられた全学連主流派はなおも「攘夷」の戦いを継続することを望んだ。
東条内閣の商工相でA級戦犯だった人物がアメリカの軍事的属国になることで「国體」を延命させようとする政治工作を否とする青年たちに国民たちは敗戦国民として当然の心情的共感を寄せたのである。
しかし、国民的支援を得ながら、60年安保闘争に学生たちは敗れた。
その後、組織的な離合集散を経たあとに、再び全学連がメディアの耳目を集めたのは、佐世保闘争と羽田闘争を三派系全学連(共産主義者同盟、革共同中核派、社青同解放派)が領導したことによってである。
羽田と佐世保という場所の象徴的な意味はあきらかである。
彼らは「神州の開港地に入ってきた植民地主義的洋夷を討ち果たす」ために戦っていたのである。
それが「戦われなかった本土決戦」の再演であることを日本国民に周知させるために、武器は「竹槍」以外ではありえなかった。
だから「ゲバ棒」という脆弱な材木をあえて調達したのである。
このときからデフォルトになったヘルメットも頭部保護のための実用性よりもむしろ装飾性にまさっていた。
「兜」の場合と同じように、ヘルメットの前面には「前立て」の代わりに党派名が書かれていたし、巨大な旗には「○○大学自治会」というふうに身元を示す情報が家紋よろしく大書されていた。
学生たちは無意識であっただろうけれど、彼らは戦国武士のエートスをもって「攘夷の戦い」に立ったのである。
このときに日本の若者を駆り立てたもっともつよい心情は「廉恥」であった。
1967、68年というのはベトナム戦争の激戦期である。
インドシナでは、世界最大のアメリカ軍がその最高の軍事技術を以て、痩せこけた農民ゲリラたちを殺戮していた。けれども、このゲリラたちはしばしば「竹槍」レベルの武器で一歩も譲らずに米軍と戦っていた。
ベトナム戦争は私たち日本人を恥じ入らせた。
理由の一つはもちろん私たちがベトナム戦争の米軍の後方基地となって、アジアの農業国を破壊する仕事の「余沢」に浴して高度経済成長を遂げていたという事実のもたらす「疚しさ」であった。
だが、「私は破壊の加担者だ」という告白はまだしも口にしやすいものであった。
もう一つの疚しさは意識化することにつよい抑圧が働いていた。
それは1945年の8月15日からあと日本列島で展開するはずだった「本土決戦」をベトナムの人々が粛々と継続していることに対する「日本人としての恥」の感覚である。
私たちが放棄した戦いを彼らは堂々と行っている。
自分が「卑屈で臆病だ」ということを認めることは自分の「邪悪」さや「愚鈍」さを認めることよりはるかに困難である。(「俺はワルモノだよ」とか「ぼく、バカですから」と私たちは笑いながら言えるが、「私は卑しい人間です」と言うことはむずかしい)。
けれどもベトナム戦争の報道が日々日本人に否応なしに突きつけたのは「私たちは卑しい」という事実だったのである。
どれほど経済が繁栄して、生活が豊かになっても、アメリカの「核の傘」の下で軍事的に安全になっても、「卑しい国の民」という刻印は消すことができない。
別に他の国の人たちは日本人のことをとりたてて「卑屈な国民」だと思ってはいなかっただろう。
けれども、それは日本人が自分のことを「卑屈な国民」だと思うことを妨げない。
そして、現に1970年前後、ベトナム戦争の激戦期に日本人の自己卑下はその限界に達していた。
それを癒すためには、たとえ自己破壊的な、自殺的なものであろうと、日本人自身によって「攘夷」の戦いが担われるしかない。
私たちはそんなふうに考えたのである(実際には「考えた」わけではない)。
ベトナムで絶望的な戦いを戦っている人々への連帯は「自分自身が機動隊に殴打されて血を流すこと」を通じて示すしかない、と。
だから、三派全学連の闘争に野坂昭如や五木寛之や大島渚たち「焼跡闇市派」の世代がつよい共感を示したのは心理的には平仄が合っている。
70年安保闘争は最終的にハイジャックや爆弾テロや連合赤軍による陰惨な仲間殺しで終わったけれど、それはこの闘争全体が「私たちが私たち自身に罰を与える」という自罰的な動機に発するものだと考えると理解しうるのである。
もうあれから40年が経つ。
あの熱狂は何だったのか、今でも私はときどき考える。
そして、近代150年、日本人が「攘夷」の心情に駆り立てられるときだけ異常に行動的になるという強迫反復に改めて驚くのである。

2009.01.13

足元を見よ

ジブリが出している「熱風」という雑誌がある。
そこに宮崎駿が2008年11月20日に日本外国特派員協会で質疑応答があったときのやりとりが採録されている。
宮崎駿が天才であることに異論のある人はいないだろう。
その天才はつよい思想に裏づけられている。
一読して驚いたのは、宮崎駿もまた「国内市場のサイズ」と「国内需要」を創作のキーワードに挙げていたことである。
宮崎はハンガリーの記者の「日本の観客と世界の観客の違いを意識しているか」という質問にこう答えている。
「実は何もわからないんです。僕は自分の目の前にいる子供達に向かって映画をつくります。子供達が見えなくなるときもあります。それで中年に向かって映画をつくってしまったりもします。でも、自分達のアニメーションが成り立ったのは日本の人口が一億を超えたからなんです。つまり日本の国内でペイラインに達することができる可能性を持つようになったからですから、国際化というのはボーナスみたいなもので、私達にとっていつも考えなければいけないのは日本の社会であり、日本にいる子供達であり、目の前にいる子供達です。それをもっと徹底することによってある種の普遍性にたどり着けたらすばらしい。それは世界に通用することになるんだ、って。」(『熱風』、2009年1月号、スタジオ・ジブリ、p・61)
私はこれこそ彼の慧眼を示す言葉だと思う。
日本のクリエイター(知識人も含めて)の中で、「自分の仕事が成り立ったのは日本の人口が一億を超えたからなんです。日本の国内でペイラインに達することができる可能性を持つようになったからです」ときっぱり言い切れる人が何人いるだろう。
あらゆる仕事には端的に「それで飯が食えるかどうか」というきわめてクールでリアルな分岐線がある。
専門的な技能や知識とその分岐線の間には直接の関係はない。どれほど専門的に高い技能や深い知識があっても、それに対して対価を支払う市場がなければ、「それでは食えない」。
日本のクリエイターは世界的に見ても、きわめて恵まれた制作環境にいる。
日本人相手に日本語ベースの制作物を提供しているだけで、「飯が食える」からである。
「飯が食える」どころか、うまくすると「世界的レベルの仕事ができる」のである。
もちろん、順番を逆にして、「世界的なレベルの仕事をしよう」と思っていきなり世界に飛び出してゆくクリエイターもいるだろう。
私とて、その志を壮とするにやぶさかではないけれど、私たちの国では「国内的なニーズに合った仕事」をしているだけでとりあえず飯が食えるという事実の「重み」を忘れてはならないと思う。
そういうことを言うと、「『内向き』だからダメなんだ」と識者たちは口にする。
だが、そう言っている諸氏の言説が現にメディアに流布し、おかげで評論家とか知識人として「飯が食えている」のは彼らが日本人オリエンテッドな「内向き」言論活動を専一的に行っているせいであるという基礎的事実を忘れてもらっては困る。
「内向きはダメだ」と言っている諸君はいったい「誰に向かって」それを言っているのかについて五秒ほど考えてから言葉を継いだ方がよいであろう。
私自身は徹底的に「内向き」な言論活動を行っている。
実は、それは師匠の教えに従っているのである。
かつて多田先生に「武道家としてまず心すべきことは何でしょう」と訊いたことがある。
そのとき、長時間のインタビューを終えたあと、月窓寺道場の入り口に私たちは立っていたのだが、先生は沓脱ぎに掲げてある木札をすと指さして「脚下照顧」とおっしゃった。
「足元を見ろ、だよ。内田君」
爾来、私は師のこの言葉を座右の銘としている。
多田先生のこの教えは二重の意味で深いと私は思う。
私は先生に「最後に一つだけ」と質問をしたのであるが、それに対して先生は目の前にあるものを指さして応じられたのである。
私はそのときには「たまたま」ぴったりの言葉が書かれている木札の前に私たちは立っていたのだ、おお何という偶然であろう・・・というふうに思っていたのであるが、今となるとそれは違うのではないかと思う。
私が同じ質問を例えば、月窓寺を出て吉祥寺のサンロード商店街を歩きながら先生に向けたら、たぶん先生は違う看板を(例えば「気をつけよう甘い言葉と暗い道」とか)指さして、これまた私の背筋をぴんと伸ばすような言葉をおっしゃったに違いない・・・ということに気づいたからである。
武道は「石火の機」を重んじる。
訊かれたら即答。
その場にあるものをためらうことなく「それ」と指さして、「これだよ」と言わなければならない。
多田先生は大先生や天風先生に師事した時間を通じて、そういう呼吸を体得されたのだと思う。
ロラン・バルトが俳句について書いていた言葉を思い出した。
バルトは「石火の機」の消息に理解が及んだ数少ない西洋の思想家の一人である。
「俳句は純粋な単一の指示作用にまで縮減されている。(・・・)一筆で、一気に引かれた線のように、そこには迷いもためらいもない。 (・・・)俳句は子供が指で何かを指し示して、一言『これ!』(Ça!)と言うときの仕草を再現しているのである。」(Roland Barthes, L’Empire des signes, in Oeuvres complètes II, Seuil, 1994, p.804)
石火の機で「これ」と言い切れるのは、まさしくそのような問いがなされる当のそのときに他ならぬ「これ」の前に私はいるように宿命づけられているという絶対的な確信がその前段にあるからである。
「脚下照顧」とはそのことである。
足元を見ろ。それがお前だ。
私たちが普遍性にゆきつく隘路があるとしたら、それは足元からしか始まらない。


2009.01.15

業務連絡

1月にぱたぱたと講演があります。
いずれも入場無料ですので、ご案内まで。

1月25日(日) 神戸国語教育研究会カプス設立10周年記念講演会

とき:1月25日(日)13:30開場、14:00開演 17:00終演予定
ところ:兵庫県立のじぎく会館大ホール
プログラム
講演1:内田樹「お金をめぐる人生設計」(不思議なタイトルですけど、これは先方のご要望)
講演2:牧口一二(障害者文化情報研究所長・グラフィックデザイナー)「自己変革とは何か」
セッショントーク:演者二人プラス松井仁(カプス代表、仁川学院中高副校長)

入場無料:ただし事前申し込みが必要です。
申し込み先は copse2008@yahoo.co.jp

もうひとつは「関川夏央さんを囲んで文学を語るシンポジウム」
とき:1月31日(土) 13:30~16:00
ところ:神戸女学院大学LAI-21(いちばん大きいあの教室です)

関川夏央さんは2008年度から神戸女学院大学特別客員教授をお引き受け願っています。
いま「プロフェッショナル・ライティング」という科目を担当していただいてます。
せっかく関川さんに来てもらってるので、関川さんを囲んで、みんなでシンポジウムをやろうじゃないかということになりました。

テーマは「大学で文学を教えること」

関川さんが基調講演(13:30-14:15)
そのあと、難波江和英(総合文化学科教授・英米文学)、飯田祐子(総合文化学科教授・日本文学)、そして私の4人でシンポジウムをやります。(16時ごろ終了予定)
入場無料。こちらは連絡も不要です。

できるだけたくさんの方のご来場をお待ちしております。
来てね~

2009.01.18

厭味なインタビュイー

取材が続く。
火曜日が講談社のGrazia,水曜がリクルートの受験雑誌、木曜が朝日新聞。
取材のお題はそれぞれ「30代女性の生き方」「親は受験生をどう育てるべきか」「モンスター・ペアレンツ」
まことにさまざまである。
どのメディアに対しても基本的には同じことをお答えする。
「そういうことはあまり問題にしないほうがいいですよ」である。
これらの問いはいずれも「人間の生き方」「育児戦略」「公民としてのあり方」については「あるべきかたち」が存在し、「あるべきかたち」ではないことがさまざまな不幸を生み出しているという論理形式を前提している。
このような信憑を刷り込まれることで一部の人間は向上心を掻き立てられるが、ほとんどの人(「向上心はなくはないが、行動が伴わない」タイプの人たち)はあまり幸福にはならない。
そういう人たちの前に「成功事例」をニンジンのようにぶら下げてもあまり「いいこと」はない。
それはそのようなニンジンを見せられなければ生まれることのなかったような焦燥感や不充足感や自己卑下を植え付けるだけだからである。
でも、焦燥感や不充足感や自己卑下がもたらす「いいこと」もある。
それは「金遣いが荒くなる」ということである。
人間は商品を購入するとき(それもできるだけ無意味な蕩尽を行うときに)に一時的にだが自分の運命の支配者であるような全能感めいたものを感じるからである。
不充足感を消費行動によって全能感に切り替えるという自己詐術のうちに人々を追い込むことによって、資本主義は久しく繁昌してきた。
当たり前のことだが、今の自分のありようにそこそこ満足している人間の消費活動は、可処分所得とかかわりなく、不活発である。
だから、資本主義社会のメディアはすべて「現状に満足するな」ということだけをアナウンスしている(嘘だと思ったら手元の新聞でも雑誌でもめくってみたらよろしい。「現状に満足しましょう。日本もあなたもこれでいいじゃないですか」と書いている記事をみつけてご一報くだされば粗品を差し上げてもいいくらいである)。
そうしないとモノ(新聞や雑誌やテレビ番組もモノである)が売れないからである。
しかし、それは資本主義の側の事情であって、人間の側の事情は違う。
人間はできるだけ「ありもの」に満足しているほうが幸福である。
自分の生まれた境涯に満足し、自分の容貌に満足し、自分の才能に満足し、自分の健康状態に満足し、自分の配偶者に満足し、自分の子供に満足し、自分の国に満足し、たまに鏡を見て、「ま、こんなもんだわな」とへらへらしている鼓腹撃壌タイプの人間がいちばん幸福である(ほんとに)。
「鼓腹撃壌」とは、そういう方たちがマジョリティであるようなのが人間社会の理想だという考え方である。
向上心に駆られて他人の分まで仕事をばりばりやるような人は一握りいればよい。
この人たちは「向上人という病」に罹患しているのだから、これはこれで放っておけばよろしいのである。
けれども、そのようなタイプの人間は人口の7%程度で十分である。せいぜい10%が限度で、それ以上いてもらっては却て困る。
ところが資本主義というのは人口の100%が「現状に不満足」であることによって市場を無限に拡大するシステムであるので、私たちが「ま、こんなもんでいいのでないの」という言葉を口にすることを許してくれない。
メディアもまた資本主義の中にビルトインされた装置であるから、決して「こんなもんでいいのでは」ということを口にしない。
すべての制度は危機的であり、あらゆることはただちに、徹底的に、変革されねばならないというのがメディアにおける「ふつう」の語法である。
そういうメディアの惰性化した語法そのものが今や「危機的」であり、それこそ「ただちに、徹底的に変革されねばならない」当のものではないんですか、とたいそう嫌みなことを申し上げる。
取材が来るたびに、こんなふうに長々と厭味を言うところから始めるというパターンでこのところずっと取材をお受けしているので、いずれどこからもインタビュー依頼が来なくなるであろう。

2009.01.20

入試「改革」のご提言について

センター入試の日に新聞の社説に入試改革の提言が載せられている。
毎日新聞の社説子はこう書いている。
「少子化や規制緩和の大学増設なので大学の学生獲得競争が次第に強まり、科目を減らしたり独自学力試験をしないなど、試験を安易にする傾向が現れた。
時間をかけ多角的に審査するはずのAO(アドミッション・オフィス)入試や従来の推薦入試も形骸化が指摘される。4割以上が学力検査をくぐらず入学するまでになっている。
一方で大学生の深刻な学力低下が報告される。6割の大学が高校レベルの補習をするなど基礎学力の補完をしている。そうしないととても専門教育ができないという。基本的な教養の欠落も指摘されている。」
ご指摘の通りである。
そのことに私たち大学人も深く苦しんでいる。たぶん、日本でいちばんそのことに苦しんでいるのは、「基礎的な学力」のない学生たちと現場で向き合っている私たちである。
そのわれわれに向かって論説委員はこう言う。
「だが、より根本の問題は学習意欲や動機付けだ。日本の子供たちが勉強を楽しんだり、将来の夢と結びつけたりすることが相対的に希薄なことは国際比較調査にも表れている。入試改革は単に受験知識を増加させればよいのではなく、適性や意欲、好奇心などを土台とする基礎学力をより的確に見いだすものへ変わらなければ真の改善にはほど遠い。」
これを読む限り、社説子はこの状況をなんとかする責任がかかって大学にあり、かつテクニカルには入試改革によって「状況は何とかなる」と思っておられるようである。
私はこの4月から本学の入試の総括責任者になる身であるから、このような文言をすらすらと読み過ごすことはできない。
子供たちに学習意欲や動機づけが不足していることは事実である。
現場にいるとはっきりわかることは、それが「構造的なもの」だということである。
厳密に言えば、今の日本の子供たちは学習意欲や動機づけが「不足している」のではない。
話は逆である。
「学習しない意欲」「学習しないことへの動機付け」が「過剰」なのである。
彼らが専門知識も基礎教養も身につけないのは、そう「したいけれど、できない」からではなく「そうしたくない」からそうなっているのである。
現在の日本の平均的な大学生新入生のTOEICスコアーはたぶん350点くらいである。
これは中学2年生程度の英語力である。
中学高校で6年間英語を勉強してきて、その結果、中学2年生程度の学力しか身につけずに済ませるというのは、よほどつよい動機付けがなければ達成できることではない。
これは教育方法が間違っているとか、教師に教育力がないからだと言ってすませることのできるような事態ではない。
「学びからの逃走」(@佐藤学)へのつよい意欲が子供たちを駆動している。
なぜ、子供たちは学ぶことをこれほど激しく忌避するようになったのか。
その理路については『下流志向』でも『街場の教育論』でも詳述したので、もうここでは繰り返さない。
だが、社説子は、これを私たちの社会を根本から腐らせている構造的な問題だと考えてはいないようである。
それは「子供たちに学習意欲や動機づけを持たせようと思ったら、それを入試で数値的に考量できるように工夫しろ」という主張から伺える。
「学習意欲や動機付け」が広く子供たちのうちにゆきわたっており、ただ、その濃淡の差があるだけなら、それを数値的に考量する入試方法もあるいはありうるかもしれない。
私には思いつかないが。
というのは、学習意欲や動機付けはふつう「受験知識」の増大を伴うからである。多少のずれはあっても、学習意欲があればあるほど知識は増え、それだけ正解率は高まる。
私たちはそういうふうに考える。
受験知識とは別立てに、純粋状態の「学習意欲や動機付け」だけを取り出して見せろといわれても、私には方法が思いつかない。
私だけでなく、そんな入試方法を思いつける大学教員はどこにもいないだろう。
そこでお訊きしたいのだが、社説子は「受験知識とはかかわりなく、学習意欲や動機付けだけを考量する」ために例えばどのような入試方法があると考えているのであろうか。
こういうものがある、と教えていただければ私たちもその導入の可能性について検討できる。
まずそれをお示し願いたい。
話はそれからだ。
おそらく社説子は「学習意欲や動機付けを示すことができれば、受験知識がなくても大学に入れる」というような利益誘導をすれば、子供たちは学習意欲や動機付けを身につけるようになると考えているのであろう。
けれども、教育危機を生み出したのはまさにこの「こうすれば『いいこと』があるよ」という利益誘導によって子供たちを学習に導くという教育観そのものなのである。
競争において相対優位を占める「努力」に適正な「報酬」を約束するという「努力=報酬相関システム」の導入によって、日本の子供たちは勉強することを止めた。
利益誘導によって、私たちは子供たちに「学力そのものには何の内在的な価値もなく、それによって得られる報酬こそが一次的に有用なのである」という信憑を刷り込んでしまったからである。
その結果、子供たちは「学力を身につけること」よりも、「学力による序列付けで高いポジションを得ること」を優先させるようになった。
努力の「費用対効果」を配慮すれば、競争における相対優位を得る方法は一つしかない。
それは同学齢集団(競争相手)全体の学力を低下させることである。
黙って勉強して、自分一人の学力を向上させる努力は自分にしかかかわらないが、教室で私語し、立ち歩き、学級崩壊を達成すれば、クラス全員の学習意欲を損ない、動機付けを傷つけることができる。
「自分の学力を上げる」よりも、「他人の学力を下げる」方が圧倒的に費用対効果がよい。
競争における相対優位を「目的」にすれば、子供たちは必ずそのような合理的判断に導かれる。
そして、現に導かれた。
子供たちの学習意欲と動機付けを阻害しているのは、学ぶことそれ自体には何の意味もなく、意味があるのは競争と選別であるというイデオロギーそのものである。
そして、社説子が言うような「学習意欲と動機付けを考量する入試方法によって、子供たちを競争させ、選別せよ」という提案もまたそのようなイデオロギーの手垢のついた再版にすぎないのである。
学校は序列化や選別のための装置ではない。
その根本のところに日本の教育はもう一度立ち戻らなければならない。

2009.01.22

大統領就任演説を読んで

20日、バラク・オバマが第44代アメリカ大統領に就任した。
その就任演説を読む。
そのまま英語の教科書に使えそうな立派な演説である。
アメリカという国が「もともとある」共同体ではなく、国民ひとりひとりが自分の持ち分の汗と血を流して創り上げたものだという考えが全体に伏流している。
その建国にかかわった人々への言葉が印象的である。
For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life.
私たちのために、彼らはわずかばかりの身の回りのものを鞄につめて大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。
For us, they toiled in sweatshops and settled the West; endured the lash of the whip and plowed the hard earth.
私たちのために、彼らは過酷な労働に耐え、西部を拓き、鞭打ちに耐え、硬い大地を耕してきました。

For us, they fought and died, in places like Concord and Gettysburg; Normandy and Khe Sahn.
私たちのために、彼らはコンコードやゲティスバーグやノルマンディーやケサンのような場所で戦い、死んでゆきました。
Time and again these men and women struggled and sacrificed and worked till their hands were raw so that we might live a better life.
繰り返し、これらの男女は戦い、犠牲を捧げ、そして手の皮が擦り剥けるまで働いてきました。それは私たちがよりよき生活を送ることができるように彼らが願ったからです。
They saw America as bigger than the sum of our individual ambitions ; greater than all the differences of birth or wealth or faction.
彼らはアメリカを私たちひとりひとりの個人的野心の総和以上のものと考えていました。どのような出自の差、富の差、党派の差をも超えたものだと見なしていました。
This is the journey we continue today. We remain the most prosperous, powerful nation on Earth.
彼らのたどった旅程を私たちもまた歩み続けています。私たちは今もまだ地上でもっとも栄え、もっとも力強い国民です。
Starting today, we must pick ourselves up, dust ourselves off, and begin again the work of remaking America.
今日から私たちはまた立ち上がり、埃を払い落とし、アメリカを再創造する仕事に取りかからなければなりません。

よいスピーチである。
政策的内容ではなく、アメリカの行く道を「過去」と「未来」をつなぐ「物語」によって導き出すロジックがすぐれている。
「それに引き換え」、本邦の政治家には「こういう言説」を語る人間がいない。
それを日本の政治家は「見識がない」とか「器が小さい」とか端的に「バカだから」とかいって済ませてもあまり生産的ではない。
私はいま「日本辺境論」という本を書いているのだが、タイトルからわかるように、日本人というのは「それに引き換え」というかたちでしか自己を定義できない国民である。
水平的なのである。
「アメリカではこうだが、日本はこうである」「フィンランドはこうだが、日本はこうである」というようなワーディングでしか現状分析も戦略も語ることができないという「空間的表象形式の呪い」にかかっている。
オバマ大統領のスピーチには、「アメリカはこうだが、ロシア(中国、EU、イスラム諸国などなど)はこうである」という水平方向の比較から「アメリカの進むべき道」を導くという論理操作が見られない。
アメリカ人のナショナル・アイデンティティを基礎づけ、賦活させるためには「他国との比較」は必要ないのである。
「われわれ」が何ものであるかを「他者の他者」というかたちで迂回的に導き出す必要がないのである。
「われわれはかつて・・・であった」だから「これからも・・・であらねばならぬ」が自動的に導かれ、その(よくよく考えるとぜんぜん論理的でない)ロジックに国民の過半が感動的に頷いてしまう、というようなかたちでアメリカは国民的統合を果たしている。
私たちにはこれができない。
「過去の日本」はどうであったのか、「未来の日本」はどうあるべきなのか、という「時間軸」の上にナショナル・アイデンティティを構想するという発想そのものが私たちには「ない」からである。
1868年には「ご一新」があり、1945年には「一億総懺悔」し、何かいやなことがあるとすぐに「改元」し、「終わったことは水に流し」、大晦日を過ぎると借金がチャラになるような生活倫理で生きてきたので、過去と未来を繋ぐ壮大な「物語」というのが「ない」のである。
ナショナリストからしてそうである。
彼らもまた「アメリカ人は愛国心がある」とか「フランス人は自国の文化に誇りを持っている」とかいう「それに引き換え」法によってしか、日本人のナショナリズム復興の喫緊であることを論証できない。
よその国のことなんか眼中になく、「うちは昔からこうであった。今もこうである。これからもこれでゆく」というのが「本態的ナショナリズム」である。
その「本態的ナショナリズム」の実現プロセスではじめて「他国」というものが登場してくる。
アメリカはそうである。
日本は違う。
日本はまず比較原器となる「他国」を決める。それから、「それに引き換えわが国は・・・」というかたちで自己規定を果たす。
このところずっと日本にとっての比較原器はアメリカである(それより前、卑弥呼の時代から幕末までは中国であった)。
ね。
ご覧の通りである。
こうやって現に私自身が日本の特殊性を論じるときすでに「アメリカではこうである。それに引き換えわが国は・・・」というワーディングを使ってしまっているではないか。
私たちはこのワーディング以外では日本について語ることができないのである。
少なくとも日本人読者を「頷かせる」ためには、この語法を採用する以外に手だてがないのである。
ということをしみじみ感じたオバマ大統領の演説であった。

2009.01.27

ミカミさんのこと

東京新聞で三上治さんが『昭和のエートス』について暖かい書評をしてくれた。
私たちの世代には懐かしい「あの」“叛旗派の三上”である。
若い方たちのためにウィキペディアのプロフィールを転載しておこう。

三上治(みかみおさむ、1941年-)評論家。三重県出身。1960年中央大学法学部政治学科入学、安保闘争に参加。1962年再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦運動にも加わる。1969年ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立。1969年、4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。 1970年、一旦保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に。 この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。75年、政治的実践活動から退く。 その後、雑誌『乾坤』を創刊し、執筆活動に転じる。

1970年の安保闘争がなんとなくいじけたかたちで終わったあと、学生運動家たちの一部はテロに過激化し、陰惨な内ゲバに内攻した暗鬱な時代に入った。
その非人情な70年代初期に、少数だが、党派綱領的な大言壮語とは違う、等身大の手触りのある政治的言説を語る人たちがいた。三上治はそんな少数の活動家の一人だった。
三上治というと思い出すことがある。
当時仲のよかったオリハラくんは叛旗派のシンパで、三上治に心酔していた。
オリハラくんがある日「青学にミカミが来る」とちょっと興奮して私に教えてくれた。
すでに実刑判決が下っていて、下獄の直前に、最後のアジテーションをするはずだ。これを聞き逃すわけにはゆかない、と。
私は三上治というのがどんなたたずまいの人なのかぜひ見ておきたかったので、オリハラくんといっしょに講演会場の青学の階段教室に座った。
すると、舞台にギターを持った坊主頭の巨漢が登場してきて、いきなり歌い始めた。
私はこれは三上治の講演の「前座」なのだろうと思った。
叛旗派というのはなかなか懐の深いパフォーマンスをするものだと感心していた。
けれども坊主男の歌は延々と続いて、いっかな終わりそうもなかった。
10分くらい経ったところで、横に座っていたオリハラくんの顔が青ざめてきて、冷や汗が額に浮かんでいるのが見えた。
舞台にいたのは三上寛だったのである。


2009.01.28

学びと暗黙知

後期最終日。
朝から忙しい。
11時にアートマネジメントのインターンシップについて連絡のため登校。
お昼ごろに卒業生の福田くん(チナツじゃないよトモカだよ)が来る。卒業後の波瀾万丈(でもないけど)について事情聴取。
社交館でいっしょにご飯を食べる。
それから取材が2件、写真撮影が1件。
写真なんか「ありものでいいでしょ」と言ったのだが、ダメだといって、わざわざ撮りに来たのである。
カメラマンと担当の他に、ただ私に名刺を渡すだけのために代理店やメーカーの広報担当など5人来た。
もはやそういう無意味な商慣行が許容されるような経済環境ではないと思うのだが、彼らはまだそれに気づいていないのか、気づいていないふりをしている。
取材はNTT東日本の社内報とEsquire。
どちらも、どうしてこんなに日本人は「学ぶ」ことが苦手になってしまったのかという話。
そういえば、同じような話を日曜日の神戸国語教育研究会でも、月曜日の付属住吉中学でもした。
同じトピックをあれこれの角度からしゃべっている。
昨日は「学び」が起動するためには「前・学び」的な機制を整える必要がある、という話をする。
「学び」というのは、「学ぶことの有用性や意味があらかじめわかったので、学び始める」というようなかたちでは始まらない。
それは商品購入のスキームである。
「学び」というのは、「その有用性や意味がわからないもの」(私たちの世界はそのようなもので埋め尽くされている)の中から、「私にとっていずれ死活的に有用で有意なものになることが予感せらるるもの」を過たず選択する能力なしには起動しない。
「学び」を可能にするのは、この「意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。
この力がなければ、子どもたちは「子どもでもその有用性や意味のわかる知識や技能」だけを選択することになる。
そして、「子どもでもその有用性や意味のわかる知識や技能だけ」では私たちは困難を生き延びてゆくことができない(それが「子ども」という言葉の定義である)。
私たちの社会が組織的に破壊してきたのは、子どもたちの中に芽生えようとしているこの「意味のわからないものの意味が予見できる力、有用性がいまだ知れないものの潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。
マイケル・ポランニーはこれを「暗黙知」と呼んだ。
これは識閾下で働く能力であり、意識的に操作することができないし、意識的に操作しようとすると、機能しなくなる。
例えばバイクの運転はきわめて複雑な身体操作の総合によって成立しているが、この操作を個別的に意識化すると、運転がうまくゆかない。
コーナリングにおいてはコーナーの出口一点に感覚を集中させることが必要であり、全身はその一点をめざして複雑に連動する。だから、例えば、障害物や接近してくる車両があり、「それ」を避けようとして、「それ」を意識しながら運転すると、バイクの運転はきわめて困難になる。
特に、高速で運転している場合、前方に障害物があり、ライダーが「それ」を見つめてしまうと、バイクはピンポイントでその障害物めがけて突っ込んでゆく。
「目標に気づかぬうちに吸い寄せられる」という仕方でバイクのライディングテクニックが「暗黙知」的に構造化されているからである。
私たちの知的操作・身体操作のほとんどは「暗黙知」によって「したごしら」されている。
意味や有用性(「これを学ぶと高額の年収が得られる」というような)によって子どもの学習を動機づけるということは、「暗黙知」の発動を止めることである。
初等・中等教育課程の相当部分は「暗黙知」開発のためのプログラムであるべきだと私は思っている。
そこで「今は何の役に立つのかわからないけれど、いつか自分の命を救うことになりそうなもの」を探り当てる感覚を練磨するのである。
それが「学び」の前段ということである。
これが整っていない子どもは「今学んでいることの有用性」(それは「それがもたらす年収の増額分」としてのみ把握されている)についての確信が揺るいだ瞬間に、自動的に学ぶことを止める。
私たちは過去30年にわたって、子供たちをそのように訓練してきたのである。
「あらゆる教育プログラムの効果はエヴィデンス・ベーストで示されねばならぬ、数値的にその効果が示せないような教育プログラムは無価値である」という妄想に日本の教育行政の当事者たちも教育評論家も教育ビジネスマンも取り憑かれている。
これは「病気」を通り越して、ほとんど「狂気」と呼ばねばならないと私は思っている。

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