ミカミさんのこと

2009-01-27 mardi

東京新聞で三上治さんが『昭和のエートス』について暖かい書評をしてくれた。
私たちの世代には懐かしい「あの」“叛旗派の三上” である。
若い方たちのためにウィキペディアのプロフィールを転載しておこう。

三上治(みかみおさむ、1941年-)評論家。三重県出身。1960年中央大学法学部政治学科入学、安保闘争に参加。1962年再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦運動にも加わる。1969年ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立。1969年、4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。1970年、一旦保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に。この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。75年、政治的実践活動から退く。その後、雑誌『乾坤』を創刊し、執筆活動に転じる。

1970年の安保闘争がなんとなくいじけたかたちで終わったあと、学生運動家たちの一部はテロに過激化し、陰惨な内ゲバに内攻した暗鬱な時代に入った。
その非人情な70年代初期に、少数だが、党派綱領的な大言壮語とは違う、等身大の手触りのある政治的言説を語る人たちがいた。三上治はそんな少数の活動家の一人だった。
三上治というと思い出すことがある。
当時仲のよかったオリハラくんは叛旗派のシンパで、三上治に心酔していた。
オリハラくんがある日「青学にミカミが来る」とちょっと興奮して私に教えてくれた。
すでに実刑判決が下っていて、下獄の直前に、最後のアジテーションをするはずだ。これを聞き逃すわけにはゆかない、と。
私は三上治というのがどんなたたずまいの人なのかぜひ見ておきたかったので、オリハラくんといっしょに講演会場の青学の階段教室に座った。
すると、舞台にギターを持った坊主頭の巨漢が登場してきて、いきなり歌い始めた。
私はこれは三上治の講演の「前座」なのだろうと思った。
叛旗派というのはなかなか懐の深いパフォーマンスをするものだと感心していた。
けれども坊主男の歌は延々と続いて、いっかな終わりそうもなかった。
10分くらい経ったところで、横に座っていたオリハラくんの顔が青ざめてきて、冷や汗が額に浮かんでいるのが見えた。
舞台にいたのは三上寛だったのである。
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