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2015年08月 アーカイブ

2015.08.15

オバマとウィルソンの「悲劇」

オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したのはもう6年も前の話だ。
今の若い人にはその事実さえ知らない人がいるだろう。
オバマはもうひとりの大統領と歴史的条件が似ている。そのことについて当時ある媒体に寄稿した。ここに書いたアメリカの「国家戦略」についての私の意見は今も変わらない。

バラク・オバマ大統領が「核なき世界」を提唱した功績によってノーベル平和賞を受賞した。08年7月、大統領候補に内定していた段階でオバマはベルリンで「核兵器のない世界をめざす」と演説して、世界を驚嘆させ、大統領就任後の4月、プラハ演説で、「核なき世界」構想を正式表明し、国連安保理の議決まで取り付けた。ノーベル平和賞はこの「理想的行動」に対するものである。
バラク大統領のノーベル平和賞受賞に対して、アメリカ国内ではただちに批判の声が上がった。保守勢力からの「アメリカを去勢するのか」というような批判は当然として、リベラル派からも「まだ何も業績を上げていないのに」という戸惑いの声が聞こえている。
同じことが以前にもあった。90年前、アメリカの現役大統領がその「理想的行動」によってノーベル平和賞を受賞したときのことである。そのときもまた彼が提唱した平和戦略はアメリカの個別的な国益を損なうものであるという国内からのきびしい批判にさらされた。世界平和を訴えたせいで議員たちに背を向けられた最初の大統領はウッドロー・ウィルソンである。
ウィルソンは「14ヶ条の平和原則」を掲げて、第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議に臨み、世界的な軍縮、民族自決、植民地問題の解決、国際的な平和機構の創建などを提案した。今読むと常識的な提言だが、これが提唱されたのは、いまだ弱肉強食の帝国主義がデフォルトだった時代である。クリーンな理想主義と、生臭いリアリズムの対比という点で、オバマ大統領とウィルソン大統領のケースはよく似ている。
オバマとウィルソンの間には人間的にも共通点がある。それは「マイノリティ」出身の大統領だということである。オバマは父がケニア人のムスリムで、母がアメリカ人、ハワイとインドネシアで少年時代を送った。ウィルソンの少数性は南北戦争のあと南部出身で大統領になった最初の人、つまりアメリカ史上最初の「敗戦国出身の大統領」だったという点にある。その二人が歴代大統領の中で例外的に「理想主義的」な世界戦略を掲げ、国際社会から評価され、国内からは激しい批判を浴びた。ここに私は興味深い相同性を見るのである。
ウィルソンは世界大戦の悲劇を繰り返さないために、国際紛争調停のための国際連盟を提唱したが、共和党が多数を占める上院はこれを拒否し、合衆国は国際連盟に参加することができなかった。バラクのアメリカの非核化構想も国内の激しい抵抗に遭遇して遅々として進むまい。
けれども私はこれを単純な「進歩と反動・平和と戦争」の二元的対立だとは思わない。アメリカというのはつねにそのような二元的対立を含むかたちで構造化された国だからである。世界平和よりも国益を優先させ、敵を殲滅するためには軍事力の使用をためらわないと平然と言い放つ人々を統治機関の中枢に一定数含まなければアメリカはアメリカとして機能しない。
核抑止戦略は「核兵器をいつ、どのようなタイミングで使用するかを正確には予測できない」という恐怖のうちに敵を置くことではじめて機能する。理性的で有徳な人物がコントロールしている核兵器は、感情的で不道徳な人物が操作する核兵器よりも敵に及ぼす恐怖が少ない。だから、オバマ大統領が四軍の指揮官としてアメリカの核兵器を完全にコントロールしている場合、核兵器はその抑止力を大きく減殺されることになる。というのは、「どこまでアメリカを追いつめれば核兵器を使うか」のデッドラインが合理的推論によって予測可能だからである。それはそこまではアメリカを追い詰めても大丈夫ということである。そのような「合理的に行動する国」だと思われている場合と、「いつ、どういう理由で核兵器を使うか予測できない国」だと思われている場合と、どちらが少ない外交カードで大きなゲームに張れるかは考えるまでもなく明らかである。
アメリカは「理性的な統治システムを持つ国」だと思われたがっていると同時に、「何をするかわからない国」だと恐れられたがっている。この矛盾する要請に同時に応えるためには一つだけ方法がある。それは理想主義者の大統領が、利己的な国内勢力のせいで理想を実現できないでいるという「物語」を(おそらくは無意識のうちに)全世界にアナウンスすることである。彼らはそれにかつて一度成功した。たぶん今度も成功するだろう。

2015.08.18

「困難な成熟」予告編

夜間飛行から『困難な成熟』という人生相談本が出る。
Amazonの広告に一部が出ていたけれど、せっかくだから、その第一問の問いと答えを全部公開。こういう感じでの説教が延々と続くのである。『説教本」が好き、という人にとってはこたえられない噛み心地。


「責任を取る」とはどういうことでしょうか。ニュースを眺めていると、テレビでもネットでも、不祥事を起こした企業や個人に対する「責任を取れ」という言葉が溢れています。しかし、人の死にかかわることや、原発事故など、個人のレベルをはるかに超えた問題について、人はどう責任を取ればいいのでしょうか。


答えはシンプル

「責任を取る」とはどういうことか。これは僕にとってはストライクゾーンど真ん中の質問です。というのも、「責任論」というのは、僕の師匠であるところのエマニュエル・レヴィナス先生の哲学の最大の主題であったからであります。ということはつまり、僕はレヴィナス先生に「弟子入り」宣言をなした1987年から四半世紀にわたり「責任」について考え続けてきたということになります。
ですから、問いに対する僕の答えはシンプルです。でも、その理由を語るためにはいささか長い紙数が必要になります。
問いはこうでした。「責任を取るということは可能でしょうか?」

答え、「不可能です」

以上。おしまい。

シンプルですよね。でも、どうして責任を取るということが不可能なのか、その理路を語るためには、ずいぶん長いお話に付き合ってもらわなければなりません。そのご用意はよろしいかな。トイレに行きたい人はいまのうちに、コーヒーなんか飲みながらの方がいいなと思う人はいまのうちにお支度をどうぞ。
さて、用意はよろしいですか。では、話を始めます。

「ごめん」で済む話はない

人を傷つけたり、人が大切にしているものを損なったりした場合、それを「復元する」ということは原理的に不可能です。
仮にすばらしく医学が発達していて、多少の怪我なら死者でも蘇生させることができる世界があったとします。そこで、誰かがあなたを殺しました。それもけっこうえげつないやり方で。斧で首を切り落とすとか、チェーンソーで胴体まっぷたつとか。でも、すぐに病院に運び込んだら、失血死した死者を医師たちがさくさくと縫い合わせて、傷跡をきれいにして、どんと心臓に電気ショックを送ったら、あなたは無事に蘇生しました。病院に運んだりする手間はぜんぶ殺人者が整えてくれました。もちろん、医療に要した費用も彼が払いました。
さて、この場合、「いったん殺したけれど、きれいに元通りにしたから、これでチャラね」と殺人者が言ったとして、あなたはそれを許せますか?
もし、責任を取るというのが、「損なわれたものを原状に復す」ということを意味するなら、この殺人者はたしかに責任を取ったことになる。
でも、「冗談じゃない」と皆さんは思うでしょう?
斧で首を切られて殺されたときの不快感と絶望感は、傷跡が生理学的にどれほどきれいに縫い合わされたからと言って、それで消えるものじゃない。その経験は人間の深いところにある、何かピュアで無垢なものを取り返しのつかないしかたで壊してしまった。そこで失われたものはどんな手立てを尽くしてももう復元できません。
別にそこまで極端な例を挙げなくても、ふだんの生活でも、復元というのは不可能だということはわかりますね。
あなたが配偶者とか恋人に向かって「あなたのその性根の卑しいところが私は我慢できないの」とか「おまえさ、飯食うときに育ちの悪さが出っからよ、人前でいっしょに飯食うのやなんだよ、オレ」とか、そういうめちゃくちゃひどいことを言ったとします。でも、言ったあとに「これはあまりにひどいことを申し上げた」と深く反省して、「さっきのなしね。ごめんね。つい、心にもないことを言ってしまって……」と言い訳しても、もう遅いですよね。もう、おしまいです。復元不能。
世の中には、「ごめん」で済む話もあれば、「ごめん」で済まない話もある。そして、たいていの話は(満員電車の中で足を踏んじゃったとかいう、ほんとうにささいな事例以外は)「ごめんじゃ済まない」話なんです。足踏まれたくらいでさえ、「てめ、このやろう」と逆上して、刺しちゃう奴とかいるくらいですから。
「ごめんで済む話」はこの世にない、と。そう思っていいたほうが無難だと思います。

「眼には眼を、歯には歯を」という知恵

「ごめん」で済む話はない。どのような損害であれ、それを原状に復元して、「なかったこと」することはできない。そういうことです。ですから、「もう起きてしまったこと」について「責任を取る」ということはできません。原理的にできないのです。もう起きちゃったんだから。
 だから、人が不始末を犯したときに、「おい、どうすんだよ。責任取れよ」と凄んでいる人がいますけれど、あれは「私がこうむった損害について、あなたが原状回復をなすならば、すべては『なかったこと』にしてあげよう」と言っているわけじゃないんです。「どうすんだよ、お前、こんなことしやがって。どうやって責任取るんだよ。でも、おまえがどのようなかたちで責任を取ったつもりになろうしても、オレは『それでは責任を取ったことにはならない』と言うからね」と言っているんです。
だからこそ、「眼には眼を、歯には歯を」という古代の法典が作られたのです。
これは「同罪刑法」と呼ばれるルールですが、別にこれは未開人が考え出した残虐な法律というわけではありません。逆です。
どこかで無限責任を停止させなければならないので、法律で「これ以上は責任を遡及してはならない」という限度を定めたのです。
人に眼を抉られた人間には、相手の眼を抉る権利があるということを言っているのではありません。逆です。「人に眼を抉られた人間は、相手の目を抉る以上の報復をなしてはならない」と、復讐の権利の行使を抑制しているのです。
実際には、眼を抉られた人の視力は、加害者の眼を抉ったことで回復するわけではありません。目は見えないままだし、痛みは消えないし、容貌だってずいぶん損なわれてしまった。でも、そういう損害は、相手の目を抉っても、何一つ回復されない。
だから、「責任を取る」とは「原状に回復すること」であるというルールに基づけば、「眼には眼を」というのは、全然「原状回復」じゃない。だから、責任を取ったことにはならないのです。
同罪刑法が教えているのは、どのようなことであれ、一度起きてしまったことを原状に復することはできないということです。人間は自分がひとたび犯した罪について、これを十分に償うということが決してできない。
同罪刑法は「責任を取ることの不可能性」を教えているのです。人間が人間に加えた傷は、どのような対抗的暴力を以ても、どのような賠償の財貨を以ても、癒やすことができない。「その傷跡からは永遠に血が流れ続ける」とレヴィナス先生は『困難な自由』に書いています。

「責任を取る」ことなど誰にもできない

まことに逆説的なことですが、私たちが「責任」という言葉を口にするのは、「責任を取る」ことを求められるような事態に決して陥ってはならないという予防的な文脈においてだということです。それ以外に「責任」という言葉の生産的な使用法はありません。
さっき言ったように「責任取れよな」という言葉は、「お前には永遠に責任を取ることができない」という呪いの言葉です。「これこれの償いをなしたら許されるであろう」と言っているわけではありません。
学校でいじめにあった子どもが自殺したときに、親がいじめた子どもの両親と学校長と担任を相手取って、「1億円の損害賠償請求」をしたというような記事を読むことがあります。これだって「1億円払ったら許してやる」と言っているわけではありません。この賠償額の設定基準は「相手の一生を台無しにできるくらいの金額」ということです。つまり、賠償請求をすることを通じて、「私はおまえたちを絶対に許さない」という賠償の不可能性を告げているのです。
「責任を取れ」というセンテンスは「なぜなら、おまえには責任を取ることができないからだ」という口にされないセンテンスを常に伴っているのです。
ですから、「どうやって責任を取るのか」というのは問いのありようとして、すでに間違っているのです。
責任は取れないんですから。誰にも。
私たちが責任について思考できることは、ひとつだけです。
それは、どうすれば「責任を取る」ことを求められるような立場に立たないか、ということ、それだけです。
勘違いしてもらっては困りますが、それは何についても「私は知らない。私は関与していない。私には責任がない」という言い訳を用意して、逃げ出すということではありません。まるで、逆です。
だって、その人は「私には責任がない」と言い張っているわけですからね。いかなる不祥事が起きようと、他人が傷つこうと、貴重な富が失われようと、システムが瓦解しようと、「私には責任がない」と言って逃げ出すんです。そんなことを金切り声で言い立てる人間ばかりだったら、世の中、どうなりますか。「私には責任がない」と言う権利を留保している人間だけで構成された社会を想像してください。そりゃすごいですよ。電気は消える。水道は止まる。電車は来ない。銀行のATMは動かない。電話は通じない。その他もろもろ。
きちんと機能している社会、安全で、そこそこ豊かで、みんながルールをだいたい守っている社会に住みながら、かつ「責任を取ることを人から求められないで済む」生き方をしようと思ったら、やることはひとつしかありません。
それは「オレが責任を持つよ」という言葉を言うことです。

逆説的な結論

これも考えればすぐにわかりますが、構成員全員が「オレには責任ないからね」と言い募り、不祥事の責任を誰か他人に押しつけようと汲々としている社会と、構成員全員が自分の手の届く範囲のことについては、「あ、それはオレが責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会で、どちらが「誰かが責任を取らなければならないようなひどいこと」が起こる確率が高いか。
まことに逆説的なことではありますが、「オレが責任を取るよ」という言葉を言う人間が一人増えるごとに、その集団からは「誰かが責任を取らなければならないようなこと」が起きるリスクがひとつずつ減っていくのです。集団構成員の全員が人を差し置いてまで「オレが責任を取るよ」と言う社会では、「誰かが責任を取らなければならないような事故やミス」が起きても、「誰の責任だ」と言うような議論は誰もしません。そんな話題には誰も時間を割かない。だって、みんなその「ひどいこと」について、自分にも責任の一端があったと感じるに決まっているからです。「この事態については、オレにも責任の一端はあるよな」と思って、内心忸怩たる人間がどうして「責任者出てこい」というような他罰的な言葉をぺらぺら口に出すことができるでしょうか。
長くなりましたので、結論を申し上げます(もう申し上げましたけど、まとめ)。
責任というのは、誰にも取ることのできないものです。にもかかわらず、責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものです。というのは、「責任を引き受けます」と宣言する人間が多ければ多いほど、「誰かが責任を引き受けなければならないようなこと」の出現確率は逓減してゆくからです。
どのような社会的な概念も、人間が幸福に、豊かに、安全に生き延びるために考案されたものです。「責任」という概念もそのひとつです。
「責任」は「鍋」とか「目覚まし時計」のように、実体的に存在するものではありません。でも、それが「ある」というふうに考えた方がいいと昔の人は考えた。それをどういうふうに扱うのかについて、エンドレスに困惑することを通じて、人間が倫理的に成熟してゆくことを可能にする、遂行的な概念だからこそ、作り出されたのです。
そういう意味では、それは「摂理」とか「善」とか「美」とかいう概念と同じようにとらえがたいものです。「どんなものだか見たいから、ここに紐で括って持って来い」というようなご要望にお応えできる筋のものではありません。
それはあるいはヒッチコックが「マクガフィン」と呼んだものと似ているのかも知れません。
マクガフィンというのは、スパイ映画なんかで、敵味方が入り乱れて奪い合う「マイクロフィルム」とか「秘密の地図」の類です。それが何であるかはどうでもよろしい。とにかく、それをめぐってすべての登場人物の欲望が編制されている。誰一人、その呪縛から逃れることができない。でも、実体が何だかわからない。そして、なんだからわからなくても、サスペンスの興趣は少しも減殺されない。
マクガフィンには効果だけがあって実体がありません。これについてヒッチコックはこんな小咄を紹介しています。

「その網棚の上にあるのはなんだい?」
「これかい、これはマクガフィンだよ」
「マクガフィンて、何だい?」
「アディロンダック山地でライオンを狩るための道具だよ」
「アディロンダックにライオンなんかいないぜ」
「ほら、マクガフィンは役に立っているだろ」

マクガフィンを「責任」に、「ライオン」を「われわれの社会を脅かすリスク」に置き換えて読んでみて下さい。

2015.08.21

北海道新聞のインタビュー

「歴史と語る」内田樹さん(64歳) 思想家、武道家

私たちは今、戦争と戦争のはざまの時代、「戦争間期」にいる。
思想家、内田樹さんが最近、あちこちで訴えている。国会で審議中の、戦後平和主義を転換させる安全保障関連法案に反対しているだけではない。現代日本の根底にある問題を見据えた上での警告だ。それは何か。神戸を訪ねて話を聞いた。

ー70年を迎えた戦後。どう捉えていますか。

「戦後の日本は『対米従属を通じての対米自立』を国家戦略としてきました。敗戦国としてはそれ以外に選択肢がなかったのです。主権国家として自立するために占領国に従属するという『面従腹背』が国家戦略の基本でした。でも、『直近の敵国に従属している』という屈託につねにとらえられていた。田中角栄や中曽根康弘世代までの政治家には、一日も早く対米独立を果したいという焦燥感と意志が感じられました」

ー対米追従の結果、何を得たのでしょう。

「連合国軍総司令部(GHQ)に徹底的に従った結果、敗戦からわずか6年後にはサンフランシスコ講和条約で国際法上の主権を回復できました。60年代には国際社会で批判の高かったベトナム戦争で米国を全面的に支持して、それが72年の沖縄の施政権返還に結実した。この時期までは、少しずつではあるけれど、国土と国家主権は着実に回復されていました。この頃までは『対米従属を通じての対米自立』は合理性のある国家戦略だったのです」

ー現在に至るまで政府は同じ戦略に見えます。

「ある時点から変質したのです。手段としての『対米従属』が自己目的化し、『対米自立』という長期的目的が忘れられてしまった。すでに沖縄返還から43年が経ちましたが、国土も主権も何一つ奪還していません。沖縄、横田などの基地について日本政府には返還を求める様子さえない。戦後70年にわたって、外交、防衛からエネルギー、食糧、医療、教育に至るまで、重要政策について日本は絶えず米国の顔色を伺いながら、その許諾を求めて、政策決定をしてきました。その結果、米国の意図を忖度して、手際よく実現できる人たちばかりが日本の政官財界、メディアから学界まで牛耳るようになってしまったのです」

ーどうしてそんなことに。

「田中角栄のケースが響いていると思います。田中は米国の了解を得ずに中国との国交正常化を図ったため米政権の怒りを買い、米国上院から始まったロッキード事件(注1)で逮捕されました。以後、米国の逆鱗に触れた政治家は政権を維持できないということは日本の常識です。佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎・・・、親米派の政権以外は長期政権を保つことができない」

ー米国が日本の内政に露骨な干渉をしているとは思えません。

「米国が直接口出ししなくても、日本国内に従属システムができあがっています。最近では鳩山由紀夫首相が沖縄の米軍普天間基地の移設先を『最低でも県外』と言ったら、いきなり首相の座から引きずり下ろされた。別に米国が内政干渉したわけではありません。日本の政治家、官僚、メディアが一致して『米国の国益を損なうような政治家に政権は任せられない』と大合唱して辞めさせたのです。彼らのロジックは『米国の国益を最優先に配慮することが日本の国益を最大化する唯一の道である』というものです。そういう発想をする人間が日本では『リアリスト』と呼ばれているのです」

ー同じ敗戦国のドイツやイタリアは日本と違うのですか。

「ドイツやイタリアでは戦時中でも政権への激しい抵抗が繰り返されました。ドイツではヒトラーの暗殺が何回も計画されましたし、イタリアのムソリーニはパルチザンに処刑されましたし、イタリア軍は最後は連合国側に立ってドイツ軍と戦いました。しかし、日本には戦争指導部に対する理性的な批判も、組織的な抵抗もありませんでした。だから、戦争が終わったときに敗戦の総括をしうるだけの倫理的・知性的な基盤をもった国民主体が存在しなかったのです」

ーなぜ日本では抵抗が弱かったのでしょう。

「日本にも自由民権運動に代表されるオルタナティブが存在したのですが、1910年の大逆事件(注2)などで徹底的に弾圧され、反権力的な知の血脈が途絶えてしまった。
それ以前に、幕末の戊辰戦争(注3)、西南戦争での敗戦処理がうまくゆかなかった。そのせいで明治の日本では、ほんとうの意味での国民的統合は果されなかった。日本の制度としての強みは300の藩に統治単位が分かれていたリスクヘッジの確かさにあったと私は思いますが、明治政府が導入した欧米的な中央集権的な統治システムによって、日本の社会的多様性が失われ、社会が均質化・定型化した。それが戦争への抵抗の弱さ、そして敗戦そのものに帰結したと私は思います」

ー多様性を消し去ったことが戦争の背景にあると。

「陸軍の長州閥が消滅したあと、1930年代に『旧賊軍』藩士の子弟が大量に入り込みました。太平洋戦争開戦時の首相だった東条英機の家はもともと岩手、満州事変首謀者の石原莞爾は山形、板垣征四郎も岩手。『旧賊軍のルサンチマン(遺恨)』を抱えた彼らが暴走したのは勝者である薩長がつくった『明治レジームからの脱却』を目指したためです」

ー何だか現在に重なって聞こえます。

「今は先の戦争と次の戦争の間の『戦争間期』にあると私は思っています。安倍首相の言う『戦後レジームからの脱却』は憲法を基につくり上げた国のかたちを破壊することです。具体的にどのような統治システムを作りたいのか自民党改憲草案を読めばはっきりはわかりますが、国のかたちについて彼が語る言葉はほとんど抽象的な空語です。とりあえず戦後日本の統治システムを破壊したいということしかわからない。彼が最優先しているのは、とにかく『戦争ができる国』になることです。彼の脳裏では『戦争ができる国』が主権国家と等置されている。それが米国の従属下であっても、戦争ができるようになりさえすれば「国家主権は回復された」と彼は思い込んでいる。
「戦後レジームからの脱却」は端的には民主制・立憲主義を捨てることを意味しています。安倍政権を支える財界人たちが理想とする国家モデルはおそらくシンガポールです。経済成長が国是で、一党独裁、反政府メディアも反政府的な労働運動も学生運動も存在しない。治安維持法で政府にとって不都合な人物は予防拘禁される。経済活動だけに専念したい人にとっては統治コストがきわめて安い、理想の国家モデルに見えていることでしょう。しかし、国家は企業ではありません。株式会社なら経営に失敗しても倒産して株券が紙くずになるだけです。それで終わりです。でも、国家の失政によって何百万人も死ぬ。戦争犯罪や植民地支配のツケは何世代にもわたって支払い続けなければなりません。国家経営の失敗には倒産という手は使えないのです」

ーどうすれば破滅を食い止められるのですか。

「世界は今、歴史的な転換点にあり、国際社会の枠組みは急速に変わっています。超覇権国家だった米国の衰退が始まり、中国やロシアが台頭し、欧州ではドイツが一人勝ちの状態です。16億人を抱えるイスラム圏がこの先どうなるのかも見通しが立ちません。にもかかわらず、日本政府は相変わらず対米追従以外に何の国際戦略も持っていません。思考が停止している。海外メディアが日本は危機的な状況にあると繰り返し警告しているのに、耳を貸す様子もない。このような状態で日本が歴史的激動期を生き抜けるのかどうか、たいへんに心配です。」


<内田さんのこの一冊>
ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書

石光真人編著
1971年、中公新書
660円(税別)
明治維新で朝敵の汚名を着せられ、降伏後は下北半島に移封され寒さと飢えの生活を強いられた会津藩。柴五郎は「賊軍」会津の出身でありながら陸軍大将になった硬骨の軍人であり、その少年時代を回想した自伝が本書である。
薩長中心に書かれた明治維新史の裏面であり、日本が本当は統一された国家になっていなかったことが読み取れる。そのことが戦争に至る政策決定にも大きく影響している。

<略歴>
うちだ・たつる 1950年、東京都生まれ。東京大仏文科卒業、都立大大学院博士課程中退。年から神戸女学院大助教授。年に同教授。2011年3月に退官。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。合気道6段。著書は「街場のアメリカ論」「日本辺境論」「街場の戦争論」「日本戦後史論」(白井聡氏との共著)など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

<取材して>
インタビューの後、自宅1階にある武道場で杖を使った武道の稽古を見学させてもらった。師範の内田先生は初心者の子どもにも真剣に向き合う。身体の動かし方について手本を見せるだけでなく、さまざまな表現を用いて説明を尽くしながら指導していた。
言論の府であるはずの国会では、聞かれた質問に答えなくても委員会の時間数を重ねれば十分とばかりに強行採決が行われた。内田先生は「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼びかけ人になって、集会や記者会見で今日も語り続けている。言葉を尽くすこと。それしかない。
(東京報道センター次長 志子田徹)


<注釈>
 注1 ロッキード事件 1976年、米上院でロッキード社が大型旅客機「トライスター」を全日空に売り込むため、日本の政界にわいろを送っていたことが発覚。東京地検特捜部は同年7月27日、5億円を受領したとして外為法違反容疑で田中角栄元首相を逮捕、翌8月に同法違反と受託収賄の罪で起訴した。
 注2 大逆事件 1910年、明治天皇の暗殺を計画したとして幸徳秋水らの社会主義者、無政府主義者など全国で数百人が摘発された思想弾圧事件。起訴された26人のうち翌11年に24人が死刑判決を受け、幸徳ら12人が処刑された。
 注3 戊辰戦争 1868年から69年にかけて、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。最後の拠点だった箱館五稜郭が陥落して終結し、明治国家確立への道が本格化した。

2015.08.24

8月23日SEALDsKANSAI京都でのスピーチ

8月23日(日)15:30から京都円山公園で開催されたSEALDs KANSAIの集会で「安全保障関連法案に反対する学者の会」を代表して連帯の挨拶を述べた。
ふだんは即興でやるのだが、この日は少し長めの時間をもらったので、原稿を作っていった。それをだいたい頭に入れて話した。現場でした話と細かいところは違うけれど、だいたいこういう話。

安全保障関連法案に反対する学者の会を代表して、ひとことご挨拶を申し上げます。
この円山公園での「戦争法案に反対する若者の全国一斉行動」にお集まりくださったすべてのみなさんに学者の会を代表して、感謝と連帯の気持ちを表したいと思います。
そして、この間、一貫して忍耐強い、手作りの反対運動を全国規模で展開し、現に行われている国会審議にも強い影響力を及ぼし、さらに国内だけでなく、海外メディアからも注目されるに至ったSEALDs の学生諸君の献身的な活動に対しても、心からの敬意を表したいと思います。みなさんのご努力のおかげで、安保法制に対する反対の運動は、国民的な規模の「うねり」にまで高まりつつあります。
僕が知る限り、過去にこれほど大きな規模の、国民的な政府への異議申し立ての運動が、いかなる既成の政治勢力や政治組織とも無関係に、自発的に、自分たちの手作りで、無名の学生たちがひとりひとりの個人的な発意に基づいて、文字通り「身銭を切って」創り出したことはありません。戦後70年をふりかえっても、このような運動のかたちははじめてのことではないかと思います。
SEALDsのこの運動のかたちは、戦後70年にわたる平和主義と立憲デモクラシーの蓄積という土壌からはじめて生まれた「地場の平和主義、自前の立憲デモクラシー」のかたちだと僕は評価しています。
日本の平和主義と立憲デモクラシーは、残念ながら、戦後日本人が手作りしてきたものではありません。敗戦国として、戦勝国アメリカに「与えられた」ものです。ですから、それを「押しつけられた政治体制」だと言い張る人たちがつねにいた。そして、それがついには日本の政官財メディアの世界、それらの世界の指導層の中での支配的な意見になるに至った。安倍政権を支持し、安保法制の整備に賛成し、自衛隊の海外派兵を国威の発揚のチャンスであり、また絶好のビジネスチャンスであると信じている人たちが、いまの日本の指導層を形成しています。政界、財界、官界、メディアにおいては、すでに多くの領域で「戦争をしたがる人たち、戦争をするためには、平和憲法が最大の妨害であり、立憲デモクラシーという政体が非効率だと思っている人たち」がトップに立っています。
みなさんは、そのような否定的な状況の中から立ち上がった。
僕が一番うれしく思うのは、そのことです。みなさんが語る言葉は政治の言葉ではなく、日常のことば、ふつうの生活実感に裏づけられた、リアルな言葉です。
その「ふつうの言葉」で平和主義と立憲デモクラシーが語られている。これまで、ひとまえで「政治的に正しい言葉」を語る人たちにはつねに、ある種の堅苦しさがありました。なにか、外来の、あるいは上位の「正しい理論」や「正しい政治的立場」を呼び出してきて、それを後ろ盾にして語るということがありました。
でも、SEALDsのみなさんの語る言葉には、そういうところがない。自分たちとは違う、もっと「偉い人の言葉」や「もっと権威のある立場」に頼るところがない。自分たちがふだん学生生活や家庭生活のなかでふつうに口にしている言葉、ふつうに使っているロジック、それにもとづいてものごとの正否を判断している常識、そういう「手元にある道具」を使って、自分たちの政治的意見を述べている。こういう言葉づかいで政治について語る若者が出現したのは、戦後日本においてははじめてのことだと思います。
僕が学生時代に経験した政治闘争から学んだことのひとつは、政治闘争は「持続」しなければならないということでした。いっときの高揚感や興奮によって、夢中になって、寝食を忘れて、家族との語らいも、友だちとの付き合いも、大学での勉強や、日々のふつうの学生生活を犠牲にして行う政治活動は長続きしない。持続できない運動は弱い。そのことを僕はかつて学びました。
そのときに得た教訓は「自分が日常的に、何の気負いもなく語れるような政治的意見でなければ、どんなときにも、どんな抑圧や規制にも耐えて、持ち続けることはできない」ということでした。それこそ、朝起きて歯を磨いて、顔を洗って、ご飯を食べて、というような日常的なルーティンのなかに組み込まれて、自分にとってごく自然で、当たり前のもの、呼吸するように自然に口から出てくるような言葉だけが、どのように歴史的条件が変わっても、風雪に耐えて語り続けられる。「呼吸するように語る言葉」とは「それを口にすることを止めたら自分自身が死んでしまう言葉」だからです。
SEALDsのみなさんのスピーチを聴いて、僕が感じたのは、この人たちはどんな局面でも、どんな人を相手にしても、今ここで言った言葉をそのままきちんと繰り返すことができるだろうということです。それは彼らにとっての「自然な言葉」「深く身体の中にしみこんだ言葉」「身体の奥底からにじみ出てくる言葉」だからです。
そのような言葉づかいで戦後日本の平和主義と立憲デモクラシーを擁護し、顕彰する言葉が語られる時代が来たことを、日本人のひとりとしてほんとうにうれしく思います。
僕たちは安倍政権の登場、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権行使容認の閣議決定、そして、戦争法案の強行採決衆院通過というかたちで、この2年間戦後日本の平和主義と立憲デモクラシーが破壊され、踏みにじられ、否定される現場に立ち合ってきました。それは平和主義と立憲デモクラシーの敗北、その失敗を示すものでした。
しかし、それと同時に、SEALDsの運動は平和主義と立憲デモクラシーが、この日本の土壌深くに根づき、こうしてみごとに開花したことを知る機会を提供してもくれました。これは戦後日本の平和主義と立憲デモクラシーの堂々たる勝利と成功のしるしだと僕は思っています。
つまり、僕たちはいま、2015年の夏に、戦争法案の参院審議のさなかにあって、日本の平和主義と立憲デモクラシーの「死」と「再生」の劇に立ち合っているということです。法案が廃案になれば、それは平和主義と立憲デモクラシーの勝利です。決定的な勝利です。日本に外から「押しつけられた」と言われてきた平和憲法の理念が、ついに日本人自身によって選びとられ、その理念を自分のものとして語ることのできる「身体」を持ったということです。
それが事実なら、これは私たち日本人にとって戦後政治史上最大の勝利となるはずのものです。そのような決定的瞬間に歴史的瞬間に、いま僕たちは立ち合っています。
今日この場に参加したすべてのみなさんが、あと何年かしたあと、「2015年の夏に、日本は決定的な岐路にたっていた。そのとき、私は歴史の方向を変える運動に身を以て参加していた」と誇りを持って回想できることを願っています。
ありがとうございました。

2015.08.28

「若者よマルクスを読もう」中国語版序文

マルクスのために

『若者よマルクスを読もう』の中国語版の序文を求められましたので、「中国でマルクスを読むことの意義」についてひとこと書いてみたいと思います。
この本は日本語で出版されたすぐあとに韓国語に訳されました。これには少し驚きました。ご存じのように、日本と韓国はここ数年外交関係があまり友好的ではないからです。日本の書店には「反韓・嫌韓」本がずらりと平積みになっており、東京や大阪のコリアン・タウンにはレイシストのグループがおしかけて、「韓国人、朝鮮人は死ね」というような激烈な排外主義的なヘイトスピーチを繰り広げています。竹島(独島)の領有をめぐっては日本と韓国が激しい言葉を応酬しあっています。
そういう状況下で、僕と石川康宏さんの共著『若者よマルクスを読もう』が出版直後に翻訳されたというのは興味深いトピックだと思います(もちろん、日本のメディアは一行も報じてくれませんでしたが)。
実を言うと、僕の本はこれまですでに10冊ほど韓国語に訳されています。短期間にこれほど韓国で翻訳が出た日本人の書き手はあまりいないと思います。僕のようなマイナーな思想研究者の本が韓国でなぜ選好されるのか。
自分のことについて、「どうして私の本は売れるのか?」というような問いを立てるのがあまり趣味の良くないことであることは僕だってわかっています。でも、それをあえて問わないと、この序文で「なぜ中国人読者にこの本が読んで欲しいのか」を語れないような気がするのです。というわけですので、ちょっとだけ「うんざり」した気分をこらえて、「内田の本はなぜ韓国で読まれるのか?」という問いにお付き合い下さい。

最初に韓国語に訳された本は『寝ながら学べる構造主義』という本でした。これはフランスの構造主義者たちの理論と業績を一望したものです。フェルディナン・ド・ソシュールの一般言語学から説き起こして、クロード・レヴィ=ストロースの構造人類学、ラカン派の精神分析、ミシェル・フーコーの系譜学、ロラン・バルトの記号論について概説しました。
もちろん、日本語で書かれた構造主義の解説書はほかにも無数に存在します。でも、そういう類書と僕の本は少しだけ趣を異にするものでした。それは「構造主義について、ぜんぜん予備知識がないけれど、ぜひとも構造主義を理解したいと願っている読者」をめざして書いたということです。つまり、「十分な理解力はあるが、思想史的知識には乏しい。機械はきちんと働いているが、処理すべき素材が足りない」という読者を想定して書いたということです。
僕は「読者は十分な理解力があること」をものを書くときの第一の条件としています。特別なことではないように思われるかも知れませんが、そうでもありません。世の中には読者の知性を侮っている物書きは少なくないからです。現に、ときどき哲学や思想の入門書の中には「サルにもわかる・・・」というようなタイトルを付したものがあります。こういう入門書は手に取ってみるとわかりますけれど、読者の知性をかなり低めに設定しています。そして、そのせいで、むしろわかりにくいものになっている。それも当然です。「サルにもわかる」本は、読者に自分の知的枠組みを壊して、拡大することを要求しないからです。「あなたはサルのままでいいんです」という言葉で「消費者を甘やかして」本を売り込むつもりなんですから。
でも、どのようなジャンルであれ、読者にいかなる知的努力も知的緊張も要求しないような書物は書かれるべきではないと僕は思います。書きたければ書いてもいいけれど、それは書物ではなく、ただ頁に何かが印刷されている商品に過ぎません。僕はそういうものを「書物」とは呼びたくありません。
書き手としての僕自身は読者には予備知識を要求しません。僕が要求するのは、読者が自分の知性を可塑的・可変的な状態にしてくれることです。頭を柔らかくしておいて欲しいのです。僕が読者に求めるのは「十分な予備知識」ではなく、「柔らかく、自由にかたちを変えることのできる容れ物」です。「コンテンツ」ではなく、「コンテナー」の可塑性・開放性です。

韓国語に訳された僕の構造主義入門書は「知性は十分に成熟しているが、ある分野についての知識が組織的に欠如している人」を読者に想定して書かれました。そして、韓国の人たちはこの本のこの条件に敏感に反応して、この本の読者は「自分たち」だと感じた。
理由はすぐに想像がつきました。それは「反共法」の存在です。
中国の人たちでもご存じの方は少ないかも知れませんが、韓国には1961年に制定され1980年に廃止されるまで20年間「反共法」という法律がありました。マルクス主義に関する書物は刊行することも、頒布することも、所持することも、読むことも禁じられていたのです。
僕の韓国人の年長の友人の一人は1960年代にソウル大学の経済学部の大学院生だったときに、学問的関心から『資本論』のコピーを手に入れたことを咎められて、懲役15年の刑を受けました(反共法の廃止まで13年半投獄されていました)。
1945年の終戦からあと、韓国はつねに隣国北朝鮮との潜在的な戦争状態にありました。そして、北朝鮮がマルクス主義を「創造的に適用」して作り上げた「主体思想」を公認イデオロギーとしていたために、マルクス主義への知的関心はただちに「通敵行為」「国家への反逆」とみなされました。多くの国民はマルクス主義にかかわる言論規制をやむなく受け容れました。
けれども、20世紀の社会科学系・人文科学系の学問でマルクス主義とまったく無縁のものは、探すことの方が困難です。政治学でも経済学でも歴史学でも社会学でも心理学でも文学研究でも、マルクス主義と何の接点もない研究者、マルクス主義との「距離の取り方」を意識しないで自分の研究を行った人はほとんど存在しません。フリードリヒ・ハイエクやカール・ポパーはその著作を通じてマルクス主義を手厳しく批判しましたけれど、「反共法」下の韓国人知識人は彼らが何を批判しているのかうまく理解できなかったのではないかと思います。
つまり、マルクスを読むことを禁じたことによって、戦後の韓国社会は、ほぼ1世紀分の西欧の社会学・人文学の学的成果へのアクセスを結果的に国民に禁じたことになったのです。それが韓国における社会科学の発展にどれほどのダメージを与えることになったのか、僕にはうまく想像がつきません。
けれども、とにかく反共法が廃止されたことで、韓国でもマルクス主義関連文献が読めるようになりました。それでも、この学術的ビハインドは依然として大きなものでした。それを埋めるために先行研究を急いで採り入れることが必要でした。そこで日本のマルクス研究が、とりわけ「十分な予備知識がなくても、理解力さえあれば読める本」が選択された。
そういう流れではないかと思います。

日本には19世紀にまで遡るマルクス主義研究の豊かな伝統が存在します。大杉栄や幸徳秋水のクロポトキンやレーニンについての翻訳研究は世界的に見ても先駆的な業績でした。
でも、そのあと20世紀に、一度20年間の断絶がありました。1925年に治安維持法が制定されたせいです。この法律に基づいて、マルクス主義者への組織的弾圧が行われました。1945年の敗戦ののち廃止されるまで、同法違反の疑いで、7万人が逮捕され、1700人が獄死しました。
ただし、日本の場合、思想弾圧はマルクス主義者を網羅的に逮捕拘禁して、社会的に排除する(場合によっては虐殺する)という極端なかたちを嫌いました。警察はマルクス主義者たちをできることなら「転向」させて、再社会化しようとしました。
戦前の共産党を指導した佐野学、鍋島貞親は、獄中で「転向」し、コミンテルンの指導下での国際共産主義運動の路線は間違いであり、日本は天皇制を温存した「一国社会主義」の道をとるべきだと論じました。当時獄中にあった多くの共産党員はこれに同調して、「転向」しました。
日本のマルクス主義者たちの「転向」という政治的現象については中国ではあまり知られていないのではないかと思います。少し説明します。
もっぱら欧米渡来の文献的知識によってマルクスを学び、革命理論を構築、宣布してきた戦前の日本マルクス主義知識人が、投獄されたのち、獄中で仏典や日本文学の古典をひもといて、それまで「後進国の前近代的遺制」と侮ってきた日本文化の奥行きの深さにはじめて気づき、驚嘆して、一夜にして仏教徒になったり天皇主義者になったというのが「転向」の典型的な事例です。彼らはマルクス主義を完全に放棄したわけではなく、「マルクス主義は日本の固有の文化的風土に合わせて修正したかたちで適用されなければならない」という方向で軍国主義や天皇制との和解をはかりました。日本の伝統文化や統治システムとマルクス主義の「共存」の可能性を探ったのです。いわば「マルクス主義の土着化」をめざしたのです(その点では、北朝鮮の「主体思想」は日本型「転向」に構造的にはよく似ていることがわかります)。
外来の思想や制度文物をそれまであった土着の文化に「接ぎ木」して、文化的なアマルガムを作って共存をはかるというのは、日本の外来文化受容の特徴です。「転向」もまたその典型的な一例だと言ってよいでしょう。
僕が言いたいのは、実は治安維持法下においてさえ、日本ではマルクス主義の系譜は断絶していなかったということです。マルクス主義が外来の、先進国渡来の制度文物である限り、日本人はそれを「どうやって土着化させるか」ということを考える。「日本の風土になじまないからまるごと棄てる」ということはできるだけしない。
外来のものは、思想や学術や宗教も、できるだけ土着化して保存しようとするというのは、辺境である日本の文化受容の際立った特徴です。仏教も発祥したインドではのちに途絶えてしまいましたが、日本には中国・韓国経由で流入した経典・仏像・仏具・儀軌が伝えられ、1500年にわたる教学の歴史が蓄積しています。

僕たちの書いた本の歴史的位置づけを理解していただくために、ここで日本におけるマルクス主義の歴史を大急ぎで一瞥しておきます(あまり興味がない人は飛ばしてもいいです)。
日本共産党の創建は1922年。中国共産党よりも1年あとのことです。軍国主義の時代に過酷な弾圧を受けたことは中国の場合と同じです。敗戦後、日本共産党は合法化され、46年の旧憲法下の衆院選挙で帝国議会に5議席を獲得しました。しかし、その後は日本列島を「反共の砦」として東西冷戦の前線にするというアメリカの対日政策下で弾圧され、過激化した一部の党員たちは武装闘争を取り、やがてそれを放棄し、反主流派が離脱し、60年の日米安保条約改定をめぐる闘争では共産党の学生組織が自立し、それが60年代末から70年代はじめにかけての「全国学園闘争」やベトナム反戦闘争や第三世界との連帯をめざすテロ活動の母胎となってゆく・・・というめまぐるしい歴史をたどります。
ご覧になればわかるとおり、日本のマルクス主義者たちは、どれほど歴史的条件が変わっても、そのつどの歴史的変化を繰り込んで、「マルクスの新しい読み方、新しい解釈」を探し出そうとしてきました。
日本が東アジアにおけるマルクス研究の「一大拠点」でありうるのは、実はこのめまぐるしい転身のためではないかと僕は思っています。

「マルクスの本が読める」ということは日本人にとって自明のことです。日本中どこに行っても、『共産党宣言』や『資本論』の文庫版は本屋で簡単にみつかります。日本人はそれが「当たり前」のことだと思っていますけれど、この知的環境は実はかなり例外的なものです。
先ほどの書いたように、韓国には「反共法」がありました。カンボジアでは、かつてマルクス主義者を名乗ったクメール・ルージュが300万人の同胞を殺しました。インドネシアでは、1960年代に愛国者を名乗る人々がインドネシア共産党の支持者100万人を虐殺しました。ですから、この両国では今でも自分は「マルクス主義者である」と公然と名乗るためには例外的な勇気を必要とするはずです。北朝鮮は「主体思想」の国ですから、そこで「私はマルクス主義者だ」と名乗ることは、現在の統治体制に対する異議申し立てと解釈されるリスクを冒すことになるでしょう。
中国はどうでしょう。中国共産党は、インドネシア共産党、日本共産党とともに、東アジアで最も古い歴史を持つマルクス主義政党です。出発点においてはマルクス=レーニン主義を掲げていましたが、毛沢東主義、鄧小平の先富論によって大きな解釈変更を受けています。今の中国がマルクス=レーニン主義国家であるかどうかというデリケートな問題にはここでは踏み込みません。けれども、ある政党が一党支配しており、党決定がそのまま国家公認のイデオロギーとなるという仕組みが「その政党の基本的思想について自由に論じかつ自由に解釈することが推奨されている」知的環境とは言いがたいということは誰にもわかります。

誤解して欲しくないのですけれど、僕は別に中国の今の統治システムを批判しているわけではありません。僕は現代の中国は効率的に、かなり合理的に統治されていると思っています。僕の国にもよく「中国は独裁的、専制的で非民主的な国家だ」となじる人たちがいます。彼らはいわば「中国が日本のようではない」ということを非としているのです。僕は「中国が日本のようではない」ことには同意しますけれど、「じゃあ、あなたは他にどういう統治システムが中国では可能だと思っているのか?」と反問したい気持ちを抑えることができません。14億近い国民(そのうち10%は言語も宗教も生活文化も異にする少数民族です。それだけでも日本の人口より多い)を求心的に統合するために、どのような民主的で共和的なシステムが可能なのか。
僕だって正直言って今の中国の統治システムにはたくさん問題点があると思います。でも、今の中国を効果的に統治できる「民主的で共和的なシステム」をたとえ机上の空論としてであっても、制度設計するためにはとてつもなく複雑な方程式を相手にしなければならない。それくらいのことは僕にもわかります。
僕は現在の中国の統治システムを批判するためにこの文を書いているのではありません。言いたいことはあるけれど、それは今は論じません。
でも、中国がマルクスを研究するための環境として日本より恵まれているかどうかという点については「日本にアドバンテージがある」と断言できると思います。
マルクス主義は中国においては国家の根幹にかかわる思想的基軸であるがゆえに、軽々しく論じることが許されません。日本ではそうではありません。日本ではマルクス主義はつねに「反体制的な思想」でした。それを担う人たちは労働者であったり、知識人であったり、学生であったり、市民であったり、次々と変わって行きましたけれど、一度も公認イデオロギーになったことがないという点では一貫しています。
そして、とりあえず今のところ、日本ではマルクスについてどのようなことを述べようと語ろうと、警察に逮捕されたり、発禁処分を受けたりする気づかいがありません。「公認イデオローグ」から「おまえの解釈は間違っているので黙るように」と口を封じられることもない。これはもう一度言いますが東アジアにおいてはかなり例外的なことです。
以上が僕がこの本の中国語版序文で中国人読者のみなさんにまずお伝えしたいことです。

この本は二人の学者の共著です。石川康宏さんは僕よりはだいぶ若いけれど、マルクス主義経済学者で、日本共産党の代表的な文化人党員のひとりです。彼のマルクス解釈は日本においてはごく正統的なものです。
僕のマルクス解釈はそれとはいささか趣が違います。解釈が違うというより、解釈するときの「構え」が違います。
僕自身は全国学園闘争のときには大学生でした。いろいろなデモや集会に参加し、警察官と殴り合ったりしました。でも、日本共産党とも他の新左翼政治党派とも反りが合わず、ひとりでぽつんとマルクスやその周辺のものを読み漁っていました。今もどのような政治党派ともかかわりがありませんし、どのような教条的なマルクス解釈とも無縁です。でも、高校時代から繰り返しマルクスを取り出し、読み続けてきました。マルクスを読むと「気合が入る」からです。マルクスには「堕夫をして立たしむ」喚起力がありますから。
レヴィ=ストロースがあるところで「論文を書く前にはマルクスを取り出して数頁読む」と書いています(この逸話については本書の中でも触れています)。レヴィ=ストロースの言いたいことが僕にはよくわかります。マルクスの修辞法、その論理の「走らせ方」「飛躍のさせ方」にはある種の感染力があります。マルクスを集中的に読んでいると、マルクスに「かぶれる」。「かぶれる」のは表層だけではありません。論理の走らせ方、論理の飛ばし方、奇跡的な修辞の魔力、そういうものに感染してしまう。僕はそういうタイプの読者でした。
僕は今でも読むたびにマルクスに魅了されます。マルクスが何を言っているのかではなく、どのように語るのかに焦点を合わせて僕はマルクスを読みます(具体的にどういう読み方なのかは本書を読めばよくおわかりになると思います)。
そういうマルクスの読み方はたぶん正統的マルクス主義者からは「邪道」だと見なされるだろうと思います。中国共産党ではたぶん推奨されていないでしょう。中国共産党の入党の口頭試問(そんなものがあるかどうか知りませんが)「僕はマルクスの思想内容より、彼の文体が好きです」などと言ったら、入党させてもらえないんじゃないでしょうか。知りませんけど。
でも、そういうふうにマルクスを読み、自分なりのマルクス理解を語ることが日本では許されています。僕はこれは「例外的なアドバンテージ」だと思っています。
そういうふうに読むとマルクスが「ほんとうに言いたかったこと」がわかるとか、読みが深まるとかとか言っているわけではありません。そういう視点からしか見えないものが見えてくる可能性があるというだけのことです。「そういう視点からしか見えないもの」にどれほどの学術的な価値があるのか、僕にはわかりません。ただ、この本が韓国に続いて、中国でも翻訳されるということを聞いて、僕は日本でのマルクス研究の100年の歴史が、ある種の沖積土のようなものを形成して、そこから他の場所では見られない独特の植物のようなものが芽生えたことが理解されてきたのかも知れないと思いました。
ヨーロッパ生まれのマルクス主義の種子が、遠い東アジアの島に漂着して、一世紀以上を閲しているうちに固有の風土になじんで、ヨーロッパでは見られないような独特の生物種をつくりだした。それを見て、同じ漢字文化圏・儒教文化圏に属する中国韓国の読者が「懐かしさ」や「親しみ」を感じてくれていて、翻訳してくれるのだとしたら、著者である僕たちにとって、それにまさる喜びはありません。
できれば、最後まで読んで下さい。そして、中国のみなさんもまた、みなさんに固有の思想的風土から新しいマルクス理解を育んで下さることを願っています。

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