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2015年07月 アーカイブ

2015.07.01

言論の自由について再論

「言論の自由」について思うことを述べる。
繰り返し書いていることだが、たいせつなことなので、もう一度書く。
言論の自由とは
私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。
その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。

ただそれだけのことである。
だが、ほとんどの人は「言論の自由」を前段だけに限定してとらえており、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件を言い落としている。
私は「言論の自由」が持続可能な社会的規範であり続けるためには、後段の条件が不可避であろうと思う。
「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件のどこがそれほど重要なのか。
それはこの条件が「敬語で書かれていること」である。
それは擬制的に「理非の判断を下す方々」を論争の当事者よりも「上に置く」ということである。
「私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。私の言うことが正しいので、他人による理非の判断はもとより不要である」と考える人間は「言論の自由」について語る資格がない。

かつてフランスで歴史修正主義をめぐる論争があった。
ロベール・フォーリソンという「自称歴史家」が「アウシュヴィッツにガス室は存在しない。なぜなら、それを証明するナチスの公文書が存在しないからである。ユダヤ人は感染症で死んだのである」という奇怪な論を立てた。
その書物の序文をノーム・チョムスキーが書いた。
チョムスキーは「私はこの著者の論に賛成ではないし、論証も不備であると思う。しかし、どのように人を不快にする主張であろうと、それを公表する権利を私は支持する」と書いた。
私はそれを読みながら、つよい違和感を覚えた。
チョムスキーの言葉は論理的には一見正しそうに見えるが、実践的には無理があると思った。
そこには「誰でも自分の言いたいことを言う権利がある」という原理だけが声高に語られていて、なんのためにそのような権利が保障されているのかについての考察が欠如しているように思えたからである。

「言論の自由」は何のために存在するのか?
それは「理非の判断をお任せできる人々」を出現させるために存在する。
言論の自由さえ確保されていれば、長期的・集団的には必ずや正しく理非の判定が下る。
というのは事実ではない。
「理非の判定を下しうる人たち」は今まだここにはいない。
だからこそ、その出現が懇請されているのである。
そのために「言論の自由」はある。そのため「だけ」にあると言ってもよい。

それは陪審員裁判における陪審員のありように似ている。
陪審員たちは裁判が始まった時点では、まだ理非の判断が下せない状態でいる(裁判長が開廷を宣言したとたんに「はい、被告は有罪」というような陪審員はいない)。
検察官と弁護士がそれぞれの立場から情理を尽くしておのれの推論に理があることを証明しようとするのを陪審員たちは長い時間をかけて黙って聴いている。
そして、その時間を通じて「理非の判断が下せる人」へと自己形成してゆくのである。
ここで検察官と弁護士は「言論の自由」を享受している。
だが、その権利は「理非の判断が下せる人」がより適切に判断を下すことを支援するため「だけ」に賦与されている。
だから、検察官や弁護士には相手に向かって「黙れ」と言う権利がない。
たとえ相手が「間違ったこと」を言っていると思っても、「黙れ」と言うことは許されない。
それは相手の「言う権利」を損なうからではなく、陪審員の「聞く権利」を損なうことによって「理非の判断が下せる人になるプロセス」を阻害するからである。
判定者がより適切に判定できる機会を奪うからこそ、「黙れ」は許されないのである。
「黙れ」と言った法曹はただちに法廷侮辱罪でその場から放逐される。
彼が放逐されるのは、「間違ったこと」を主張したからではない(この処分は発言内容の正否とは関係がない)。
そうではなくて、彼は陪審員たちの「適切な判断を下す能力」を信じなかったがゆえに追放されるのである。
自分が実力で黙らせなければ、「愚かな陪審員たちは、こいつの舌先三寸に騙されて『間違った判決』を下すかもしれない」と思う人間だけが、論敵に「黙れ」と言う。
自分が陪審員に代わって正義の判断を下してやらなければ、陪審員たちは間違った判決を下すだろうと思う人間だけが「黙れ」と言う。
彼に欠けているのは「正義」ではない。
「真実」でもない。
「場の判定力」に対する「敬意」である。
「場の判定力」に対する信認を誓言できないものは、自由な言論の場に立つことが許されない。
だから、言論の自由を求める人間は必ず「場への敬意」を表さなければならない。
必ず。

それは野球のプレーボールのときにピッチャーがアンパイヤの投じるボールに帽子をとって一礼するのと同じである。
あれは別にアンパイヤに「ストライクゾーン甘くとってくださいね」とごまを摺っているわけではない。
ボールに対して礼をしているのである。
「野球の神さま、いまからこのグラウンドで私たちはプレーをします。私たちが最高のパフォーマンスを発揮できますように知恵と力をお授けください」と祈っているのである。

それと同じである。
陪審員の判定力を信じない人間は法廷に立つことができない。
それと同じように、「理非の判断をくだす方々」への敬意を欠いた人間は「言論の自由」の名において語ることが許されない。
「永遠の真理の名において」語ることや「神の摂理の名において」語ることや「歴史を貫く鉄の法則性の名において」語ることはできる。
どのような権威を呼び出そうと、それはその人の自由である。
けれども、「言論の自由」の名において語ることだけは許されない。
自分がたったいま冒瀆し、遺棄した原理の名において語ることは、その原理を信認している人間全員に対する侮辱だからである。

今問題になっているのは、「国民は長期的・集合的には必ずや適切な判断を下すだろう」という「国民の叡智」に対する信認の存否である。
いくつかの新聞を挙げて「つぶれた方がいい」と言った人間はその新聞の読者たちに向かって「おまえたちは新聞に騙されているから、間違った判断を下すだろう」と言っているのである。
「私が代わりに判断してやるから、お前たちは私が『読んでもよい』というものだけ読んでいればいい」と言っているのである。
ここに「理非の判定を下す人々」への敬意を見出すことはむずかしい。
「理非の判断を下す人々」の判定力を信じない人、「自由な言論が行き交う場がなくてはすまされない」とは考えない人たちがいる。
それはしかたがない。
けれども、彼らが「言論の自由」を汚す権利を「言論の自由」の名において要求することを私は許さない。

2015.07.13

琉球新報主宰「琉球フォーラム」での講演

「憲法と戦争 - 日本はどこに向かうのか」

皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました内田でございます。
ご紹介の通り、子どもの頃から本当に態度の悪い少年でありまして、ご指摘頂きました高校中退というのもさまざまな非行を重ねた末に学校から放逐されたわけでありました。その後もずっと攻撃的で、反抗的な子どもでした。とにかく、エネルギーが有り余っていて自制がきかない。二十歳を超えた頃になると、さすがにこのまま暴走し続けたら、どんな人間になるのか分からないと自分が怖くなってきまして、誰かに頭をしっかり抑えてもらわないとまずいと思うようになりました。武道の師匠を探し始めたのはその頃です。いくつかの武道を渡り歩き、25歳の時に合気道の多田宏先生に出会い、「この方について行けば自分の攻撃性を抑制できる」と確信して、ほっとしました。孫悟空が玄奘(げんじょう)法師に出会って頭に金の輪っかをはめられ、悟空が悪さをすると玄奘が経文を唱えてキリキリと頭を締め付けるという話があります。あれで悟空の暴力性を制御したわけですが、あれと同じです。誰かに「輪っか」をはめてもらいたかったんです。ですから、僕にとって武道というのは、「体を鍛える」とか「健康になる」というのとはぜんぜん違うんです。自分自身を滅ぼしかねない過剰なものが体の中に分泌されている。それを抑制するためにはどうしても体系化された、規範力の強い枠組みが必要だった。宗教的な行とか、特殊な職能の習得ということでもよかったのですが、僕の場合はそれが合気道だった。
25歳に多田先生に入門してから40年間修行してきました。お蔭さまで、多少なりとも穏やかな人格になり、そこそこ社会的にも認知されるようになったと思っています。

本日は琉球新報のお招きで参りました。実を言うと、講演というものは今は全部断っているんです。特にこういうタイプの講演が一番苦手なんです。経営者のセミナーとか、名士たちの集まりが苦手なんです。
10年ぐらい前に、関西の経営者セミナーに呼ばれて、ちょうどこんな感じでお昼ご飯をご一緒して、その後、登壇してしゃべったんですけれど、そのときはお昼にお酒が出たんです。だから、ご飯のときから悪い予感がしていたんですけれども、案の定、演壇に立って講演を始めたら、前の方の席にいたおじさんたちが次々と居眠りを始めて、中にはイビキをかいている人さえいた。怒りをこらえながら1時間ほど話をして、以後二度と経営者セミナーの類には行かないと決意したのでした。
ですから、今日も、こんな集まりだと知っていたらお断わりしたと思うんですけれど、琉球新報主催ということで、何も調べずに来てしまいました。先ほど会員制の名士たち集まりだと聞いて「しまった」と思ったんですが、もう手遅れでした。
本当は、講演て全部嫌いなんです。僕はふだん何も準備しないで話し出すので、うまくいく時はうまくいくんですけれども、失敗する時はもう手も着けられない。壇上で絶句して青ざめてしまうということも時々あります。
ですから、今のうちにお願いしておきますけれど、携帯電話が鳴る、居眠りする、話の途中で退場する、というようなことがあるとはっと緊張が緩んで、そのとたんに自分が何を話そうとしていたのか忘れる、ということがあるんです。ですから、携帯電話鳴らすことと、居眠りすることと、途中退場することはご遠慮ください。今日は途中退場の方がいらっしゃるそうですけれども、その方は別に僕の話に怒って退場するわけじゃなく、ご用事で中途退場するので気にしないでくださいと先ほど社長からご注意頂きました。
それでも、壇上で絶句するというのは実に絶望的なものです。原稿がない状態で、次に何しゃべるつもりだったのか思い出せないまましばらく黙っているわけですから。立ち尽くしている僕も大変だけど、聞いている方も大変です。結婚式のスピーチで言うこと忘れて絶句している人を見守るように、皆さん息を詰めて次の言葉を待っているわけで、どちらも辛いんです。
だから、講演はできるだけ受けないことにしているんですけれども、なかなか断りきれない。今回は沖縄からのご招待でしたから、重い腰を上げて伺いました。それから秋には福島からも呼ばれておりまして、これも行かざるを得ない。
というのは、僕は沖縄のメディアに対しても、沖縄県民の皆さんに対しても深い敬意を抱いているからです。すでにあちこちに書いたことですけれど、今の日本では、沖縄の人たちが一番日本の現実を真っ直ぐに見ている。一番冷めた目で現実を見ていると思います。

今日は『憲法と戦争 ―日本はどこへ向かうのか―』というお題をいただきました。この憲法と戦争という2つのトピックに絡めて、いったい日本はどうしてこんな国になってしまったのか、どうしてこういう現状になってしまったのかについてお話をしたいと思います。特に興味があるのは「これからどうなるのか」です。
ふつう学者というのは、これから日本はこうなる、世界はこうなるというような未来予測はしません。外れることがあまりに多いから。でも、僕は別に学者ではありませんから、予測が外れても別にそれでペナルティを受けるわけじゃない、学問的威信を失うわけでもない。ただの一介の市民ですから、未来予測が外れても誰も困らない。僕も困らない。だから、なるべく予言をするようにしています。当たれば自分の推論が正しかったことになるし、外れれば自分の推論のどこが間違っていたか、どういうデータを勘定に入れ忘れたかを自己点検して修正できる。自分の推理能力を高めるためには、具体的にはっきり「当たり外れ」がわかるかたちで予言した方がいいんです。
ですから、これから後、日本はどうなるのか、世界はどうなるのかということですについて、できたら少し時間を割いて話してみたいと思っております。

昨日、僕は東京に行っておりました。参議院議員会館で福島瑞穂さんと対談をして、それを本にするという企画が進行中で、その三度目の対談をしてきました。当然のことながら「安保法制はいったいこれからどうなるんでしょう」という話になりました。福島さんの予測では国会会期を8月中旬ぐらいまで延長して、8月10日前後ぐらいに強行採決、という見通しでした。
これだけ世論が反対し、政府の法案説明もまったく不十分であり、加えて衆議院の憲法審査会で参考人の憲法学者が揃って「安保法制は違憲の疑いがある」と言ったにもかかわらず、官邸はどうやらそういう反論をすべて無視して強行採決しそうな気配がします。
それを止める手だてがあるのか。当分、選挙がありませんから、どれほど街頭闘争が盛り上がっても、メディアが激しい反論の論陣を張っても、首相がやる気なら、強行採決は止めることはできないと思います。
これまで第二次安倍政権では、官邸が決定したことは国会はほとんど素通りしています。官邸で、少人数で非公開の場で決められたことが、そのまま閣議決定されて、国会を通って現実化していく。
この間、新聞で報道されましたが、閣議の平均時間は13分だそうです。発言したい閣僚は事前に質問書面を出すことを義務づけられている。だから、その場で思いついたことを発言できない。閣議というのは政府案を詰めて議論する場ではなく、ただ官邸が持ってきた法案を黙って承認するだけの儀礼的な場になってしまっている。
国会もそうです。最大の問題は、日本ではすでに三権分立が事実上成立していないということです。立法府の威信が際立って低下している。
今、安保法制で問題になっていることのひとつに「審議時間が短い」ということがあります。昨日の毎日新聞にも取り上げられていました。過去の重要法案のときはどれくらい時間をかけて審議したのか、その表が掲げてありました。イラク特措法のときは何十時間かけたか、PKO法のときはどうだったかと安全保障関連の重大な法案審議にどれぐらいこれまで時間をかけたかということがリストになって、今回はまだこれだけの時間しか審議していないという理屈で審議の不十分さを批判していた。僕はその論調を見て、ちょっと衝撃を受けました。重要法案の審議が十分であったかどうか、その指標が「審議時間」だけということに驚いたのです。
法案の審議には最低でも何時間までという下限が決まっていて、そのミニマムをクリアすれば「充分に審議を尽くした」という言い分が通るということを、新聞自身が認めてしまっている。安保法制に批判的な記事を書いている記者自身がそう思っている。
国会の審議というものは時間数でカウントするものじゃない。そこで何が審議されたのか、審議の内容、審議の質こそが問われるべきです。どこまで問題を掘り下げたのか、どこまで問題の本質が明らかになったのか、どこまで広い射程で法案の適否を吟味したのか、それが問われるべきなのに、政府も議員もメディアも、「何時間審議したのか?」という時間数にこだわっている。バイトじゃないんですから、タイムカードを押すみたいに「何時間審議したからもう十分」というようなことが言えるはずがない。でも、実際には政府がストップウオッチで審議時間をカウントしていて、「ミニマム」を超えたら、「十分に審議した」ということにして、採決を強行しようとしている。
国会の審議が十分なのか不十分なのかを審議時間数で決定するという習慣はいったいいつからのものなのか、少なくとも1970年代、80年代までは、国会の審議の時間数を新聞が報道して、「あと何時間くらい審議すれば十分」というようなアナウンスをしたことはない。僕自身はそんな記事を見た記憶はありません。
でも、今は国会がその機能を果たしているかどうかを、その内容によってではなく、審議時間に基づいて判断するような習慣が定着した。
これは他の面でもそうなんですけれども、今の日本人はもう数値化されたものでしかものごとの価値を判断できなくなっている。ものごとの質を問うということができなくなっている。これこそ現代日本の社会全体を覆い尽くしている知的頽廃の際立った兆候だと思います。国会審議の時間数で法案の精査がなされたかどうかを判断しているような立法府が他の国の議会でもあるのか。
立法府の威信はそこまで低下している。立法府で全国民を代表する選良たちこが議論して、衆知を集めて日本にとって最適な政策が何であるかを決定してくれるだろうという期待をもう日本人は持っていません。今の小学生に、「国権の最高機関はどこですか?」という質問をしたら、ほとんどの子どもは「内閣」と答えると思います。国会が国権の最高機関だと思っている小学生はもうほとんどいないお思います。塾で受験勉強している子ども達は知っているかもしれませんが、ふつうの子どもたちは、それこそ大学生だって答えられないんじゃないですか。そこまで立法府の威信が下がっている。
国会蔑視は審議時間数によって国会の機能を測定するという態度だけではありません。もうひとつはいろいろなメディアが垂れ流している、国会議員の議場内におけるふるまいですね。審議中に居眠りしていたり、スマホを見ていたり、本を読んでいたり、あるいは立ち上がって出歩いていたりしている。そういうことをメディアが皮肉な調子で報道している。メディアコントロールに対してあれほど神経質な官邸も、なぜか国会議事堂内部での国会議員たちの明らかな任務放棄に関しては何のコメントもしない。メディアに国会の威信を損なうような報道は控えてくれという要望も出していない。たぶん、内心では国会議員がいかに仕事をしていないか、いかに国会審議というものが形骸化しているのか、それをアピールすることは行政府にとっては好都合なことだと思っている。だって、ああいう写真を見れば、有権者はどう思うでしょう。「なんだ、国会議員て、ぜんぜん仕事してないじゃないか。こんなやつらに高い給料払うことないよ。議員定数だって多すぎる、もっと数を減らした方がいい。」そういう印象を持つに決まっている。そういう反応は行政府にとってはむしろ「ありがたい」。
国会の委員会でも、最近の質問者はすぐフリップを出しますね。TVカメラに向かってマンガみたいなものを出してきて説明する。テレビ中継の時にフリップを出すというのは、あれもいったいいつ頃からなのか。せいぜいこの10年くらいのことだと思います。僕は子どもの頃、国会中継の場面で、あんなものを見たことがないです。ある時点から国会中継がテレビ向けの政治ショーみたいな感じになった。でも、それを見て、「国民に分かりやすく説明してくれてありがたいな」と思うの人と、何か愚弄されているような気になる人とどちらが多いのでしょう。僕はあんなマンガのようなものを見せて法案を説明されると、バカにされたような気になります。
国会では国会議員たちが全国民を代表して、その知恵を絞り、情理を尽くして法案の適否について、憲法に照らして、あるいは法律との整合性に照らして、国際社会の常識に照らして、徹底的な議論をしているというふうに国民はもう思っていない。国会審議はただの儀礼である、アリバイ作りである、そういうふうにみんな思うようになってしまった。
でも、それは意図的にそういうふうな仕組みに持っていってことの結果ではなかと僕は思います。この20年で立法者の威信は急激に低下した。国会だけじゃなくて、地方議会もそうです。
僕は兵庫県民ですけれど、先般の統一地方選挙の前に、地元紙の記者が取材に来ました。「今回の地方選挙どう思いますか」という取材だったんですけれど、僕は県議会のことも市議会のことも、どんな活動をしているのか、ほとんど何も知らなかった。新聞ではほとんど何も報道されないですから。だから訊いてみました。いった議会は何をしているのか、どういうことが今地方議会での争点なのか。すると地方議会、とくに県議会はほとんど機能していないのだと教えてくれました。
ご存知かもしれませんけれども、兵庫県議の「号泣議員」という人が政務調査費を使い込んだ事件が大きく報道されました。そのあと、芋づる式に他の議員たちも政務調査費で家族と温泉旅行に行きましたとか言ってお金を返済するということがありました。「何で、こんなにモラルが低いんでしょうか」と尋ねたら、記者の答えは「仕事がないからじゃないですか」というものでした。
過去20年間で、兵庫県の県議会で議員が提案した条例が2つしかないそうです。あとはすべて県庁から降りてくる条例。議会ではほとんど修正もしないそうです。
号泣議員は一年間だけで195回日帰り出張をしたということで政務調査費を使い込んでいましたけれど、一年の半分以上が「自由時間」であり、その期間に何をしているのかをチェックする仕組みがなかったということに僕は驚きました。だったら、県議会なんかあってもなくても同じじゃないですか。県民はそう思いますよ。
でも、これはわざとそういうふうにシステムを作り込んでいるんだと思います。立法府が機能しないような仕組みを政治家たちと官僚たちが作っている。
ひとつは候補者の選定ですね。これはもういろいろな人が指摘していますけれども、候補者は執行部が選ぶ。今はなんでも党議拘束されますから、とにかく政党執行部の指示通りに起立する議員の頭数が欲しい。それ以上に独自の政治的見識があったり、妙に選挙民に人気があったりする議員は要らない。
だから、そこそこ弁が立って、そこそこルックスが良くて、そこそこの学歴で、上に逆らわないようなイエスマンたちが優先的に政党の候補者として選択されてゆく。個々の人物がどれほどの器量か、どういう見識を持っているのかというようなことは政党にとってはもう「どうでもいい」ことなんです。ただの起立ロボット、選挙のときの集票マシンとして使い勝手がいい人間だけが登用される。その結果、地方議会も国会もこんなざまになってしまった。

立法府の威信低下によって相対的に行政府の威信がどんどん上がっている。結果的に、国会で定めた法律よりも閣議決定の方が上位に来るという逆転が今起きています。閣議決定に合わせて法律が作られ、閣議決定に合わせて憲法が解釈される。そういうことをもう大臣たちが国会答弁で平然と口にするようになった。国権の最高機関は内閣であり、さらに言えば官邸という密室であるということを、もうみんなが認めるようになった。
ですから、今、明らかに違憲とされている法律が国会を通ろうとしている。これは行政府が横暴であるという以上に、立法府の威信や権限が低下したことを意味していると思います。全国民を代表して国事を議するはずの人たちに、われわれはもう信を託せなくなっている。この状況は非常に深刻だという気がします。
これは一朝一夕で作り込まれた状況ではありません。だから、これからいったいこれを立法府の威信と良識を回復していくのか、それが問われなければならない。
これに関しては地方から立法府の威信回復の運動が起きているように僕には見えます。沖縄もそうでしたが、地方の議会選挙や知事選挙では、あちこちで中央の指示に逆らう人たちが出て来て、当選している。
大阪の都構想の住民投票でも、最終的には自民・公明・共産・民主の4政党が維新の「大阪都」構想に反対するという形で足並み揃えました。官邸は維新に対するあからさまな支持を示しましたけれど、大阪の自民党府連はそれに逆らった。同一政党で、地方と国の間でこれほど政策的に対立したことは、これまでにはなかった。
行政府があまりに強大化したことによって国会の威信が低下したところまでは行政府の狙い通りだったのでしょうけれど、国会審議が形骸化していることに苛立った有権者が、地方の政治に期待を託すようになったとすれば、これは官邸の読み違えでしょう。

そもそもいま審議されている安保法制とは何か、ということを次に論じてみたいと思います。
この法案についてはどの世論調査でも、過半数が反対している。にもかかわらず最近でも内閣支持率は50%を超えている。個別的な政策に対しては反対だけれども、内閣は支持するというのは、どういうことなのか。これは非常に説明がしにくい。戦後70年の間に日本の国家戦略が微妙に変質してきたということをふまえないと理解に難い事態だろうと思います。
敗戦した1945年から後の日本の国家戦略の基本は「対米従属を通じての対米自立」でした。これについてはどなたも異論はないと思います。日本は敗戦国、被占領国です。マッカーサーに「世界の4等国」と言われて、二度と国際社会に登場することはないだろうとまで言われた後進国日本にとって生き延びる道は対米従属しかなかった。これについてことの良否を言うことはできません。他に選択肢がなかった。
対米従属を通じてアメリカの信頼を獲得し、アジアにおける信頼できるパートナーとして認知され、それを通じて、国家主権を回復し、国土を回復するというこの戦略はそれなりに整合的なものだったと思います。
現に、1945年の敗戦から6年経ったあと、1951年サンフランシスコ講和条約が結ばれて、国際法上、日本は主権を回復した。サンフランシスコ講和条約は歴史的に見ても例外的に敗戦国に対して寛大な講和条約でした。これによって形式的に日本は国家主権を回復した。6年間にわたってGHQに徹底的に従属したことによって主権を回復した。これは当時の日本人たちにとっては、ひとつの政治的達成として受け止められたと思います。「対米従属」は「引き合う」という成功体験を日本人は味わった。
この成功体験はその後も続きました。1968年には小笠原が返還され、そして1972年には沖縄の施政権が返還されます。1972年というとベトナム戦争でアメリカの国際社会における評価が地に落ちた時期のことでした。多くの国がその不当性をなじったベトナム戦争に関して、日本は単に支持するのみならず、後方支援基地として全面的にサポートして、それによって経済的恩恵さえこうむった。アメリカの意図はどうあれ、日本人の多くは沖縄の施政権返還を「大義なきベトナム戦争を支持したことへの報奨」として受け止めたはずです。
これはサンフランシスコ条約以上に大きな達成感を日本人にもたらした。国土が還ってきたんですから。このときに日本人の中に「どんなことがあっても対米従属を続けるしかない」という深い信念が刻みつけられた。アメリカについてゆきさえすれば、「いいこと」があるとみんな信じるようになった。
田中角栄、中曽根康弘というあたりまでは戦中派の人たちが日本のトップにいた。彼らにとってはアメリカは直近の敵、殺し合った相手でした。自分たちは敵国に占領された敗戦国民であり、「面従腹背」以外に生きる道がないという屈託を抱え込んでいた。だから、なんとしても対米自立を早く果したいという思いが強かった。
しかし、それが1972年沖縄返還からあと、しだいに変質してゆく。「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略そのものは一般的なプログラムとして継続されてゆくのですけれど、戦略を具体的に担う個人は生身の人間なので、やがて老いて、第一線を去って、やがて消えて行く。プログラムは走っているけれど、世代交代する。
「対米従属をどの程度の強度で、どの程度の期間続けたら、対米自立が達成されるのか」という「さじ加減」はそれまで政治家たちの身体感覚に委ねられていました。けれども、その生身の身体が世代交代によって失われ、代わりに「対米従属」というとりあえず目の前にあるプログラムをどうやって効率的に手早く実行するかという技術的な課題だけが政治家や官僚の前に残った。
対米従属のやり方は年次改革要望書や日米合同委員会やアーミテージ・ナイ・レポートのようなかたちで具体的に定期的に示される。でも、対米自立のやり方は誰も知らない。誰も教えてくれない。誰も指示しない。プログラムもないし、手順を知っている人間もいない。だから、結局いつのまにか統治機構全体が「対米従属」という「目先の仕事」に100%のエネルギーを注ぎ込むようになった。それが何のためのものであるのかという目的を忘れて、ただ対米従属を手際よくこなすと、出世できるし、社会的評価が高まるし、個人資産も増えるという経験則だけに人々は従うようになった。

1972年の沖縄返還からすでに43年経ちました。敗戦後6年目にサンフランシスコ条約で主権回復、27年後に沖縄返還で国土回復。「対米自立」の成功体験はそこで終わりです。以後43年間、日本は対米従属だけを果たしているけれど、国家主権も回復されず、国土も還ってこない。
相変わらず外交・防衛での重要政策はすべてアメリカの許諾を得ないと実施できない。エネルギー政策でも食糧政策でも医療でも教育でも、ぜんぶそうです。これならアメリカが許してくれるだろうという見込みがある政策しか日本政府は採択しなくなった。
43年間まったくリターンがないまま、同一の国家戦略を維持している。そのことに対して「これはちょっとおかしいんじゃないか?」という声が出て来てよいはずですけれど、誰もそんなことは言わない。僕は、おかしいと思う。 
横田基地をこの間横を通りましたけれど、離着陸する飛行機もないし、フェンスの向こうには人影もない。でも、じゃあ横田基地を返しますという話にならない。東京上空に巨大な米軍専用の空域があって、そこは民間機が入っちゃいけないということになっている。不便だから使ってないなら返して下さいと日本政府が交渉したっていいでしょう。でも、そんな交渉をする気がない。
対米従属というのは、あくまで国土を回復し、主権を回復するための戦術的な迂回なのだという初発の動機を、日本人は見失ってしまった。対米従属が自己目的化してしまい、なんのために「こんなこと」をしているのかと自問することさえしなくなってしまった。
日本がアメリカの許諾抜きに重要な外交政策を決定したのは1972年の日中共同声明でした。それを実行した田中角栄に対して、当時のキッシンジャー国務長官は「絶対に許さない」と公言しました。その後、田中どのようなペナルティが課されたかは史実が明らかにしています。
田中以後、アメリカの許諾を得ないで日本が独自外交を展開した事例は一つもありません。すべての重要政策はアメリカの指示に従うか、アメリカの許諾を得てから決定されている。アメリカの指示してくる政策はあくまでアメリカの国益を最大化するためのものですから、日本と利益相反するものもある。けれども、多くはそれなりに合理的なものだった。だから、言うことを聞いていれば、日々のルーティンはちゃんと回ってゆく。
そうやって対米従属に安住しているうちに、日本人は自力で「日本の国益を最大化するためには、どういう政策が好ましいのか?」という問いを発する習慣そのものを失ってしまった。どうもこれはアメリカがいやがりそうだと思うと、そんな政策は仔細に検討してみても、どこかの段階で「ダメだ」ということになるに決まっている。だったら、はじめからそんな政策について考えるだけ時間の無駄である。アメリカが必ず呑むはずの政策だけを選択的に吟味するという習慣が日本のエスタブリッシュメントに定着してしまった。
日本人はもう「衆知を集めて最適解を探す」という思考習慣を失ってしまった。アメリカの意向を忖度することに長けた人間たちだけが政治家も官僚もビジネスマンも学者もジャーナリストも指導層を独占するようになった。これがこの20年、30年の間に日本社会に起きた劇的な変化です。
沖縄のことは分かりませんけれども、少なくとも東京ではそうです。アメリカの国益を正確に忖度できる能力だけが高く評価される。アメリカの意向を忖度できる人間の前にだけキャリアパスが広々と開けている。今の日本のキャリアパスというのは、もうそれしかないんです。アメリカに留学して、アメリカで学位を取り、アメリカの要路に友人知人がおり、アメリカの意向が知れる人間、そういう人間でないと、政治の世界でも、経済の世界でも、学術の世界でさえ、もう上層にはたどりつけない。そういう仕組みになってしまった。

学術の世界もそうです。過去30年間、日本の大学はひたすらアメリカの教育システムをそのまま導入しようとしてきました。自己評価活動とか、シラバスとか、アクレディテーションとか、秋学期とか、任期制とか、英語での授業とか、いかにして「アメリカの大学みたいにするか」のために全力を尽くしてきた。そんな制度改革がほんとうに必要なのかという議論がされないままに「アメリカではこうなっているだから」だけで強行された。教職員は30年に及ぶ度重なる制度改革で疲労の極にある。
大学の社会的使命が「グローバル人材育成」というところにまで劣化したところで、さすがに日本の大学教員たちもほとほと疲れ果てたらしく、僕の知っている中でも何人かの東大教授が定年前に辞職しました。東大教授って「出世すごろく」の上がりですから、オックスフォード大学に行くとか、ハーヴァード大学に行くとかいうことがなければ、まず定年前に辞めるなんてことはなかったんです。それが「もう我慢できない」と言って辞める人が出て来た。
いま東大のトップは「元フルブライト留学生」たちのネットワークで構成されていて、「アメリカ・モデル」に準じて大学を全面的に作り替えようとしている。それに反対する人間は、全部、既得権益とか守旧派というレッテルを貼られて排除されてしまう。そういう制度改革にどんな意味があるのか、ほんとうに教育研究にとってプラスになるのかというような問いはもう立てることさえ許されない。
戦後70年間経って、「対米従属を通じての対米自立」という戦略が放棄されて、対米従属それ自体が国家目標となる時代が到来した。40代から50代ぐらいが一番多い。もうそれ以外の国家ヴィジョンがないんです。

今、大学の人文系の学科を潰して、理系の実学的な学部に資源を集中しろということに教育政策が向かっています。でも、人文系の学問領域を潰してしまうことでどういうリスクが生じるのかについては何も考えていない。
確かに今はアメリカが世界の覇権国家だし、世界標準をアメリカが作っている。でも、覇権国家だっていつかは衰退して、別のプレイヤーに取って代わられる。歴史上のすべての超大国は衰退したわけですから、アメリカもいずれは衰退する。これは避けられない。
事実、アメリカはもうすでに凋落期に入っています。アメリカが国際政治の統括者の地位を降りたあとに、国際関係・地政学的布置がどう変わってゆくかは日本にとって死活的に重要な問いであるはずですけれど、それについて考えている人間がほとんどいない。アメリカの意向を忖度し、アメリカに追随することでキャリアを切り拓いてきた人たちしか指導層にいないんですからしかたがない。彼らは「アメリカが『世界の警察官』でなくなった世界」をどう生きるかについての「プランB」がない。今のうちに「プランB」を考えておいた方がいいという発想さえない。
アメリカの恩恵を豊かにこうむってきた人たちがこれからもアメリカが超覇権国家であることを願望するのは当然です。でも、主観的願望を以て客観的情勢判断に替えることはできない。アメリカの国力が衰微して、列国と複雑な外交ゲームを展開しなければならない日がいずれ来るわけですけれど、そのことについては考えたくない。だから、考えない。

昨日、友人の平川克美君と話していて「アメリカはもうそろそろダメだね」「そうだね」という話をしていました。とりあえずのところアメリカはいまだ世界最大の軍事国だし、技術的なイノベーションの発信地でもあるけれど、世界中を安全保障のネットワークを独力でコントロールする力はもうなくなっている。
「アメリカが退いたあとに、どこが出てくるだろうね」という話になって僕が「やはり中国かロシアかな」と言ったら、平川君が「違う」と言うんです。「どこが出て来るの?」と訊いたら、彼は「ドイツだ」と言う。エマニュエル・トッドの本の受け売りらしいんですけれど、アメリカの「撤収」の後、その空隙を埋めるのはヨーロッパであり、ヨーロッパを仕切るのはドイツだ、と。
確かに、先ほどニュース番組を見ていたら、G7のニュースがあって、首脳たちが並んでいる写真撮影のとき、真ん中に立っているのはメルケルなんですよ。女の人だから「レディファースト」で真ん中に立たせたように見えますけれど、それは違うと思います。記念撮影の立ち位置というのはあらわに国際関係における力関係を反映するものです。この人が次に何を言うのか、何をするのかが一番注目されている指導者が写真の中央に来る。G7で衆目の一致するところ一番重要な政治家はオバマじゃなくてメルケルだということです。僕たちが気がつかないうちに、いつの間にかドイツの国力はそこまで強くなっている。
「ドイツが出て来たら、どうなるんだろうね」と言いながら、僕は日本はそのための備えをまったくしていないと思いました。なにしろ今の日本ではドイツ語読める人がどんどん少なくなっているから。
人文系の学部の中で、真っ先に衰微したのが独文科でした。80年代から独文科の進学者が急減した。今ではもう日本の大学でドイツの専門家を育成しているところはほとんどないんじゃないですか。かつては独文があり、ドイツ史やドイツ法学の専門家がいくらでもいた。ドイツの政治、経済、宗教、生活文化に精通している専門家がたくさんいた。ドイツ人はどういうふうに世界をとらえていて、どういう国家戦略を立てているのか、そういうことについて研究している人が学術の世界にはいくらでもいた。でも、この30年ほど、独文も仏文も「アメリカの覇権」のあおりですっかり存在感を失ってしまった。今度の人文系学科の廃止でもたぶんそのあたりに残存している研究分野がもっとも冷遇されることでしょう。でも、まことに皮肉なもので、ドイツ語を読める人、ドイツの政治や経済に精通している人が不要になって、教育資源の分配に与れなくなった頃に、ドイツが世界政治のキープレイヤーとして登場してきた。たぶん今の日本にドイツ政治の専門家の数はアメリカ政治の専門家の1000分の1もないでしょう。
もしかすると、アメリカが衰退した後にはヨーロッパから次のプレイヤーが出てくるかもしれないと思っていれば、「万一に備えておく」という発想もあったのでしょうけれど、日本にはまったくそんな備えがなかった。
パックス・アメリカーナはいつか終わります。終わったときにどういう国家戦略で行くのか、どういう国とどういう同盟関係を結んでゆくのか、そういうシミュレーションを日本の外交官は誰も真剣にはしていない。歴史は動くという当たり前のことを想定していない。ふつうはあれこれと「あるかもしれない事態」を想定して、それについてリスクヘッジをしますけれど、日本ではこの30年ほど、「対米従属の技術に長けた人間」だけを選択的に政策決定の中心に登用してしまったので、「対米従属だけでは対応できない局面」になったときにはただ呆然自失するしかなくなってしまった。

アメリカはこの後間違いなく縮んで行きます。モンロー主義という伝統的国是があるという理由もありますけれど、もう一つはイギリスの例を知っているからです。
大英帝国は1950年代まで7つの海を支配する日の没することのない世界帝国だった。それが戦後、短期間に世界中の植民地や委任統治領を手放し、大西洋に浮かぶ小島にまで縮んでいった。これほど一気に帝国の版図を自力で縮めて見せた国は世界史上にないと思います。
そうやって拡げすぎた領土を整理して、自分たちの国力相応の規模に収まることでイギリスは生き残った。今も安保理の常任理事国だし、核保有国だし、国際社会の重要なプレイヤーであり続けている。確かに、60年代に「英国病」と呼ばれる経済の低迷と社会的不活動の時期がありましたけれども、世界帝国が一気に縮小したことの衝撃がその程度のことで済んだというのは「たいしたこと」だったと僕は思います。実際にはイギリスは帝国の縮小に成功した。世界に拡げたネットワークの撤収をみごとにやり遂げた。
アメリカはこの同じアングロ=サクソンのイギリスの成功例を強く意識していると思います。だから、イギリスに倣って縮むというシミュレーションをもうアメリカの国務省では始めていると思います。
日本人のふつうの感覚だと、一度世界帝国になった国が、自発的に縮んで行くことなんか「ありえない」と思うでしょうけれど、アメリカ人の立場になって考えれば、「拡げすぎた店を縮めて小商いに戻る」というダウンサイジングの戦略は十分に合理的な選択肢なんです。だから、僕はそうなるだろうと予測しています。アメリカはこれから60年前のイギリスに倣って、世界に拡げた安全保障ネットワークを切り縮めていくでしょう。
次の大統領選挙の結果がどうなるかはまだ分からないですけれども、20世紀にアメリカが戦争をしてきたのは、ジョージ・W・ブッシュのイラク戦争を除くと、ウッドロー・ウィルソンからバラク・オバマまですべて民主党の大統領の時代です。共和党は本来戦争をしたがらない。外国の紛争に介入しないで、ひたすら国益増大をはかるというのが共和党の基本戦略です。
ですから、次の選挙で共和党の大統領が選出された場合、海外駐留基地の大幅な縮減、今、世界五十数カ国と締結している安全保障条約の見直しを始めると思います。もう「世界の警察官」なんかやっている余裕はない、と。別に世界平和を願ってのダウンサイジングじゃなくて、よその国のことなんか知らない、平和が欲しければアメリカに頼らず自分で何とかしろということです。そうなると、西太平洋における地政学的な環境も一気に変わってしまう。
アメリカが「撤収」した後、中国、韓国、台湾、北朝鮮、そしてロシアと日本の関係はどう変わるのか。どういうかかわりをすれば日本の安全は保障されるのか。これは「もしも」に備えて、もう今すぐから考えておかなければならないことです。
日本人が一番予測できない国際政治ファクターはイスラームです。昨日の平川君との話で、彼は次に出てくるのはドイツだという意見でしたが、僕は次に出てくるのはイスラームだという意見でした。その点では意見が違ったのですけれどいずれにせよ「その場合にはどう対処すればいいのか?」について考えなければいけないという点では一致していました。
イスラーム世界がどういう世界戦略を持っていて、日本はそれにどう対応すべきかという問いは日本ではまだ誰も真剣には考えてない。イスラームの専門家を国策的に育ててもいませんし、イスラーム世界に「知日派」のネットワークを構築するための努力もしていない。
イスラーム世界はモロッコからインドネシアまでに広がり、人口は16億人います。平均年齢が29歳。日本よりも20歳若いんです。この人たちが、「ウンマ・イスラーミーヤ(イスラーム共同体)」というグローバル共同体を形成している。宗教が同一で、言語が同一で、食文化が同一で、服装が同一という、異常に同質性が高い集団を形成している。これほど同質性の高いグローバル共同体はイスラーム以外に存在しません。いくらアメリカが価値観を共有するグローバル共同体を形成しようとしてみても、その同質性はせいぜい「英語が公用語。選択と集中で資源を分配し、勝者が総取りする」という程度の同一性です。イスラーム共同体とアメリカ的グローバル共同体では、求心力に大きな差がある。
この強い宗教的・文化的求心力を持つイスラーム共同体がオスマン帝国の没落以後はじめて集団として国際政治の表舞台に登場しようとしている。これまでイスラームが国際政治においてそれほど重要な役割を果してこなかったのは、それがいくつもの領域国民国家に分断されていたからです。オスマン帝国の中東エリアはかつては一つのまとまりでしたけれど、1916年のサイクス=ピコ協定でイギリス、フランス、ロシアの帝国主義的計画に基づいて恣意的に分断された。あの辺の国境線が直線の国々は自然発生的にできた国ではありません。机上の地図にヨーロッパ人が適当に線を引いて作った国です。
その領域国家への計画的分断という帝国主義的政策に対する、イスラームからのカウンターが「脱―領域国民国家」という新しい運動形態です。タリバンも、アルカイダも、ISももう固定した国境も、官僚機構も、常備軍も、国民も持たない流動的なネットワークです。こういう運動を従来のような「国対国」の戦争で制御することはきわめて困難でしょう。
これまでの政治学的なスキームでは理解できない、制御できない行動をイスラーム共同体はこのあと取ってくるはずです。因習的な国民国家ではなく、クロスボーダーな運動として動いていく。そのグループごとに、それぞれの組織原理があり、それぞれの行動パターンがあり、行動目的がある。そういう多様な運動がこれから後国際情勢に関与してくる。それにどうやって対処するか。
でに、今の日本にアラビア語ができる人、ペルシャ語ができる人、トルコ語ができる人が何人いるのか。イスラームの専門家がどれだけいるのか。
僕の友達に中田考さんというイスラーム法学者がいますけれど、彼なんかISとの関係を疑われて公安に追われているわけです。中東のさまざまなイスラームのグループに友人があり、意志疎通できる「パイプ」を持っている中田先生のような貴重な人材を日本政府は犯罪者扱いしている。彼の知見に耳を傾けて、少しでも適切な中東外交政策を立てようという人が今の日本政府部内には一人もいない。
16億人のグローバル共同体が何を考え、何をするのかについて研究しようという計画さえ日本にはないのです。ドイツやフランスやロシアについても同じです。これからどういうかたちで、これらの国々が国際政治に関与してくるのか。全部の国や集団について、ひと通りの研究だけは絶やさずにおこう、それぞれの分野の専門家を育てておこう、要路に「知日派」「親日派」のチャンネルだけは構築し、維持しておこう、これがリスクヘッジの基本ですけれど、繰り返し言うように今の日本の指導層には「リスクヘッジ」という発想そのものがない。

安倍さん自身の脳内には政治的妄想としての「あるべき国家像」があると思います。それは「戦争ができる国」です。いつでも、誰とでも戦争ができる国になりたい、と。そう考えている。彼の場合は「国家主権の回復」というのは「戦争ができる国になる」ということと同義なのです。
そう考えると、彼の改憲に対する熱情が理解できます。彼はとにかく「戦争ができる国」になりたいのです。集団的自衛権行使の閣議決定も特定秘密保護法も安保法制も、目的は一つです。それは「戦争ができる国」になるということです。
今の日本がアメリカの従属国で、主権国家ではないということは、安倍首相にも分かっている。でも、彼は主権がない理由は「戦争ができない」からだと考えている。それは違いますよね。主権国家じゃないのは端的にアメリカの属国だからですよ。だから、どうやってアメリカの属国から、日本の主権を回復していくのかと考えるべきなのに、彼はそういうふうには考えない。日本がアメリカの属国だから主権がないという事実からは眼を反らす。日本が国際社会で侮られているのは「戦争ができない国」だからであり、それは平和憲法や日教組の偏向教育のせいだと思っている。国内的な要因で、左翼のせいで「戦争ができない国」にとどまっていると思っている。だから、国内的要因を除去して、何が何でも「戦争ができる国」になりたい。
安倍首相にとって幸運なことに、そこに安全保障環境の変化が起きた。アメリカの「撤収」です。チャンスがめぐってきた。アメリカは誰かに自分たちのやってきた「汚れ仕事」の肩代わりをしてもらいたがっている。中東に地上部隊を派遣して、治安維持や施設警備をする仕事を誰かに押しつけたい。この窮地に安倍首相は「自衛隊を出しましょう」と言い出した。アメリカ兵士の代わりに自衛隊員が死にます。その代償に「戦争ができる国」になる許可をくれ、と。アメリカもこれは断れる話ではありません。ただし、日本に軍事的フリーハンドを与える気はありません。100%アメリカの指揮下にある場合に限り軍事行動を許すというのがアメリカの出した条件です。つまり、「徹底的な対米従属を約束すれば、戦争をさせてやる」とアメリカは言ってきた。そして、安倍首相はそれを丸呑みした。 
一体彼は何と何を交換したつもりなんでしょう。戦後日本の国家戦略において、対米従属の代償は対米自立でした。でも、今度は違います。対米従属の見返りは「アメリカのために戦争ができる権利。アメリカのために自衛隊員が殺される権利」です。こんな倒錯的な取り引きが成り立つのは、安倍首相の頭の中では「戦争ができる国」になることが最終目標に設定されているからです。だから、その目標が実現されるなら、どんな交換条件にも応じるつもりでいる。
「戦争ができる国」というのは実際には国際政治の場面でどういうふうにふるまうのかを考えた上で選択された国家像ではありません。だって、日本はアメリカの指揮下でしか戦争をしないのですから、戦争が「外交の延長」になることはありえない。戦争を外交のカードに使うのはアメリカであって、日本には外交カードを切る権利はない。では、いったい「戦争ができる国」になることで安倍首相は何を実現したいのか?
さしあたりは「非民主的国家」の実現です。「戦争ができる国になって、アメリカのために自衛隊員が死ぬ」ことの代償として、安倍首相はアメリカから「日本が非民主的な国になる許可」を引き出すつもりでいる。
具体的には「東京裁判は間違っていた」と公言する権利、「ポツダム宣言は受け容れ難い」と公言する権利、「日本国憲法はアメリカの押しつけた醜悪な憲法だ」と公言する権利、「日本国民には民主制も市民的自由も要らない」と公言する権利、それと引き替えなら「自衛隊員を差し出す」つもりでいる。
安倍首相はある意味でアメリカの「足元」を見ているのです。アメリカは世界に「自由と民主主義の理想」を宣布したがる伝道的国家であるけれど、それと同時に「自分さえよければそれでいい」という利己主義的な国家でもある。今のアメリカは「自分さえよければそれでいい」という方向に、共和党的・モンロー主義的傾向に傾きつつある。ですから、日本がアメリカの統治理念を否定しようと、東京裁判史観を否定しようと、非民主的で強権的な国家システムを採用しようと、日本人がアメリカ人の代わりにアメリカのする戦争で死んでくれるという「実利」の前にはいやでも譲歩する。安倍首相はそう思っている。

自民党の改憲草案を読むと分かりますが、ここに描かれている国家像は近代市民革命以前のものです。たぶんこの中にもあの草案を全部読んでいる人はいないと思うんですけれども、ぜひ読んでおいて欲しいと思います。自民党が夢みている「戦争ができる国」の国内的な体制がどういうものか、実にリアルに描かれています。
来年の5月に改憲が政治日程に上っていますけれど、いくら自民党でも、この草案をこのままでは出せないということはわかっていると思うんです。なにしろめちゃめちゃな憲法草案ですから。いずれ手直しはされると思いますが、草稿には自民党の思い描く日本社会の「理想」が剥き出しにされている。その点では重要な資料です。
最も重要なのは、憲法制定の主体が明記されていないことです。世界に多くの憲法がありますけれど、誰が制定したのかわからない憲法というのは例外的です。
『マグナカルタ』の時代から、ふつう憲法の制定主体は「われわれは…」なんです。「われわれ」が憲法を制定する。誰が、どういう歴史的文脈の中で、どういう権原に基づいて制定するのか、それを明らかにするところから憲法は始まる。「法の支配」のための規定なんですから。
ところが、自民党改憲草案は制定主語抜きで、いきなり「日本国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の散見分立に基づいて統治される」と始まる。憲法前文の最初の文が受動態なんです。主語がない。日本国は「統治される」のだが、誰が、どういう権原に基づいて、日本国を統治するのか、その統治主体については言及がない。
この草案をとりまとめたのは中谷防衛大臣です。誰が統治するのか、もちろん「この憲法を起草した俺たち」が統治するということなんですけれど、さすがにそれは書けないので、受動態にしてごまかしている。
現行の日本国憲法はご存じのように「日本国民は」から始まります。「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とある。世界中の憲法の基本的な文型はこれです。この前文をあえて変えたのは統治主体が日本国民であると自民党の草案起草者は考えていないからです。日本国民は「統治される」側にいる。憲法は権力者を規制するものではなくて、国民を制約するものである。実際にそう明記されている。
現行憲法では99条に「公務員の憲法尊重擁護義務」が明記されています。「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とある。自民党草案にはこれがないんです。代わりに国民に憲法尊重義務が課されている。
「102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。第二項 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。」
現行憲法では国民には憲法尊重擁護義務は課されていません。当たり前です。法擬制的にはこの憲法は国民が制定して、公務員に対して「尊重遵守を命じている」というかたちになっているからです。自分の権利と自由のために定めた憲法ですから国民がそれを尊重擁護するのは当然のことです。そんなことは書くまでもない。それをあえて書いている。それは、この憲法は国民の権利と自由のために起草されたものではないということを起草者たち自身が自覚しているからです。彼らはこの憲法草案を国民の権利と自由を規制するために起草した。日本国民が進んで憲法を尊重擁護するはずがないと思っているからです。だから憲法に明記した。いずれ法律や条令によって、憲法尊重擁護義務に違背した国民を処罰する気でいる。その権限を確保するために、こんな条文を入れたのです。
もう一つ問題なのは、第二項で「天皇または摂政」の憲法尊重擁護義務を解除していることです。改憲案によれば、天皇は日本国民ではなく、公務員でもない。憲法上天皇はなにものでもない。改憲案第一章に「天皇は日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定してはありますけれど、この「元首」には憲法尊重擁護義務がない。どうして起草者たちが天皇の憲法尊重擁護義務を解除したのか、その理由はわかりませんが、憲法ではなく、超憲法的な政治主体(すなわち、自民党)が統治する「人治」の政治体制を夢に描いているからでしょう。天皇は憲法に従う必要はない。「オレたち」の言うことを黙って聴いていればいいんだという不敬な気持ちが透けて見えます。
自民党の改憲草案は制定主体が明記されていない。前文の一番最後にとってつけたように「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するためにここに、この憲法を制定する」とあります。現行憲法はご存じのとおり、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会にいて、名誉ある地位を占めたいと思う」という理想を掲げ、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と誓約しています。でも、自民党改憲案には、そのような国際社会に訴えるメッセージは何もありません。何もない。ゼロです。国際社会についての言及はわずかに「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、いまや国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」という箇所だけです。これを読むと、わが国はすでに「国際社会において重要な地位を占めている」ことはもう既成事実となっている。諸外国との友好や世界平和への貢献も、未来に向けての決意ではなく、あいまいな「現在形」が使われています。だから、読み方によってはすでにそういう課題は達成されたとも読める。英語に訳したらどうなるのか。「発展した」「占めた」は現在完了形で書かれ、「増進する」と「貢献する」が現在形で書かれる。そんな不細工な文章をネイティブは許さないでしょう。人によっては全部の動詞を現在完了形にしないと「かっこ悪い」と思ってそう英訳することでしょう。起草者は無意識のうちにそのような「誤解」を狙っているのだと思います。諸外国との友好も、世界平和への貢献も、もう十分にやった。我が国にはこれから後よそから「憲法前文通りにやっているのか」とうるさくせかされるような「国家目標」はない、と。たぶん、そう言いたいのでしょう。
現行憲法の制定主体は「日本国民」です。けれども、これは単なる法擬制です。憲法制定時点の1946年11月3日にこの憲法を制定できるような「日本国民」などというものは存在しなかった。日本人たちは前日までは大日本帝国憲法下の「帝国臣民」だったわけです。何人かの日本人が憲法起草に関与したにせよ、この憲法のアイディアを実質的に指示したのがGHQであるということについては争う余地はないと思います。日本人の憲法学者なり政治家なりが関与していたにせよ、憲法を起草し、制定できるような政治的実力を有した「日本国民」などというものはその時点には存在しなかった。
憲法の制定主体は形式的には「日本国民」ですけれど、憲法制定の事実上の主体はGHQでした。でも、GHQのことは憲法の中に一行も出てこない。つまり、この憲法は超憲法的主体によって制定されたということです。そのことを日本人はみんな知っていた。戦争に負けて、外国軍に占領されている国で、民主的な憲法が発布された。それについて「オレは憲法起草作業に参加してなかったから」というような理由で反対した日本国民はいなかった。アメリカが憲法を書いてくれた。それを受け容れるしかない。だって、日本国の統治機構のさらに上にGHQが存在したんですから。
憲法の制定権というのは憲法内部的に基礎づけられるものではありません。戦争に勝つとか、革命を起こすとか、そういう圧倒的な力の差があるところで、力のあるものが力のないものに憲法を押しつける。それはジョン王に貴族たちが「マグナカルタ」を押しつけたときから変わりません。憲法を制定するのは超憲法的主体です。
自民党の改憲案がグロテスクなのは、この憲法草案を書いた人間は別に革命を起こして前政体を打倒したわけじゃないということです。直近の選挙での比例代表の得票を見ても、有権者全体の20%の支持も得ていない政党が、戦勝国が敗戦国に押しつけるような、革命に勝利した党が支配した国民に押しつけるような憲法を起草している。戦争も革命も経由しないで、議会で相対多数にある政党がいきなり「超憲法的主体」の地位を占めようとしている。その増長ぶりに僕は驚嘆するのです。

改憲草案の中で一番気になるのは第九章の「緊急事態」です。これは現行憲法には存在しない条文です。そこに仔細に記してあるのは、どういう条件で憲法を停止できるかです。憲法を停止して、内閣総理大臣が全権を持つための条件を細かく規定している。間違いなく、この憲法草案の中で一番力を入れて書かれた部分がここです。
よく読むと分かりますけれども、いったん緊急事態を宣言したら、運用上は未来永劫に内閣総理大臣が独裁権を行使し、立法権も司法権も全部停止できるようになっています。100日を超えて緊急事態を継続する場合には国会の議決が要るとか書いてありますけれど、与党多数のときに緊急事態を宣言すれば、そのあと議員選挙は宣言の解除まで行われないわけですから、理論上は無限に憲法が停止できる。その期間は内閣の発令する政令が法律を代行する。完全な独裁体制です。そう書いてある。これを読むと、この憲法草案は「憲法を停止させて独裁体制を作るための合法的な手続き」を定めたものだということがよくわかります。
これは自民党が野党時代に書いたものですから、ある意味「破れかぶれ」というか、何でもいいから書いてやれというワイルドな気分で起草されたものだとは思いますけれど、無責任に書かれたものだけに一層ストレートに自民党改憲派の気分がにじみ出している。
今、憲法学者たちが、安保法制を違憲であると言っていますけれども、彼らが怒る理由も当たり前です。だって、もし自民党改憲草案のようなものが憲法になってしまったら、もう憲法学という学問自体が存立不可能になってしまうからです。憲法そのものが論理的に破綻しているわけですから。憲法をすみやかに停止して独裁体制を合法化するための手続きを定めることが草案の趣旨そのものなんですから。ある種の精神病理の資料としてなら読む価値はあるかも知れませんけれど、学問的に研究して、それに基づいて法律の適否を判断するというようなことは学術的知性には不可能です。
これほどひどい草案を掲げて安倍政権は改憲に臨もうとしているわけですけれど、これに対してメディアはほとんど効果的な抵抗を組織できていない。NHKも讀賣、朝日、産経はもう御用新聞、政府広報化している。地方紙が多少骨のある記事を書いている。琉球新報や沖縄タイムズのような沖縄の地方紙が一番健全で、一番リアリスティックだと思います。
このメディアの劣化は誰もが感知している。「もうメディアはダメだ」ということは日本人全員が感じ始めている。実際に全国紙はもうあと何年も持たないと思います。
僕は2年前まで朝日新聞の紙面審議委員をやっていました。その当時、朝日新聞は年間5万部の売り上げ減でした。僕は「かなり深刻な事態だ」と思ったのですけれど、朝日新聞の論説委員は笑って気にしない。「年間5万部ですから、ゼロになるまであと160年かかります」と言っていた。
僕はそれは甘いと思いました。今の読者層はほとんど60代以上です。若い人たちはもうほとんど宅配の新聞を取っていません。年寄りは順番に死んで行くけれど、新しい読者は増えない。人口構成が逆ピラミッドの日本では、新聞発行部数の減少のスピードは彼らの予測をはるかに超えるだろうと思いました
実際に昨年になって全国紙の売り上げ部数は急減しました。去年1年間で朝日新聞は年間45万部減らしました。10倍近くのスピードで部数が減っている。讀賣も1年間で約100万部減らしました。朝日叩きで部数を増えると計算したのでしょうけれど、朝日の読者が讀賣に移るということはなくて、両紙とも読者を減らした。このペースで行くと、朝日も讀賣も、どちらも14年後には発行部数がゼロになります。
そこまでは減らないで数十万部くらいのところで底を打つとは思いますが、そのときにはもう新聞販売ビジネスは成立しないでしょう。新聞社はビルや不動産を持っていますから、不動産の賃料で細々と新聞を出すくらいのことはできるだろうけれど、新聞というビジネスモデルは終わる。
数十万部でも、クオリティペーパーとして生き残れればいいと思っているジャーナリストもいるかも知れませんけれど、僕は無理だと思う。
世界のクォリティ・ペーパーというのはどこも少部数です。『ル・モンド』が30万部、『ザ・ガーディアン』が25万部、『ニューヨークタイムズ』でかろうじて100万部です。でも、朝日や讀賣の部数が落ちたからといって、『ル・モンド』や『ザ・ガーディアン』レベルのクオリティ・ペーパーに転身するというのは不可能です。そんなレベルの高い記事を書ける記者を育てて来なかったんですから、いまさら無理ですよ。
民放ももう長くはないと思います。CMを流す代わりに無償でコンテンツを流すという民放モデルというのは、よくできたビジネスモデルでしたけれど、もう賞味期限が切れた。僕は10歳ぐらいから40歳近くまで、かなりヘビーなテレビ・ウォッチャーでした。テレビの草創期から見始めて、全盛期を観て爛熟期を観て、今、末期を観ている。というか、もう観ていない。
テレビは悪いけれどもう「終わっているメディア」だと思っています。ここにもテレビの人がいたらたいへん失礼ですけれど、もうビジネスモデルとしては終わっている。制作費の予算も縮んでいるし、出稿される広告の質も落ちている。たまに観ると、放送時間の3分の1ぐらいCMが入っています。それだけ広告出稿料が安くなっていて、大量に流さないと番組の制作費を捻出できないんでしょう。
今の若い人はほとんどテレビ観ないです。新聞も読まない。就活のときあわてて日経読むくらいで、ふだんは全然新聞読まない。テレビも観ない。今、新聞を読んでいる、テレビを観ているというのは60代以上です。高年齢層に依存しているビジネスモデルが消えるのは時間の問題です。

あと、皆、言いたがらないけど大学もそうです。ビジネスモデルとしては末期です。高校生を相手に講演するときに言うのは、「昔は大学進学先を決めるときには、自分偏差値と行きたい学校の偏差値を見比べて、あとは住みたい街はどこかとか、学費はいくらかとか、そういう条件を考えて進学先を決めたものだけれども、今は違う。君たちが大学を選ぶ時の最優先の基準は『卒業した後もその大学が残っているかどうか』だ」って。卒業して何年かして「どこのご卒業ですか?」って訊かれて大学名を言っても、誰も知らない、もう存在しない、そういうケースがこれから多発します。
定員割れの学科を抱えている大学はすでに全体の50%に達しました。教育予算も年々削られている。国公立大学はこれからさらに縮小を強いられる。理系に予算を集めて、人文系の学部学科はどんどん潰される。その結果、さらに学術的な生産力が下がる。
日本の大学の論文数はかつてアメリカについで世界2位でしたけれど、2004年から下がり続けて、中国に抜かれ、イギリスに抜かれ、ドイツにも抜かれました。人口当たりの論文生産数は、今や日本は先進国最下位レベルです。韓国より台湾よりも下です。
20世紀の終わり頃、日本の教育は東アジア最高レベルでした。それがわずか20年で、先進国最低レベルにまで落ちた。システムが崩れる時って早いんです。腐ったシステムが崩れ出すと、もう止められない。もう大学はこのあと崩れてゆくしかない。
「選択と集中」の原理に基づいて、今は理系に教育資源を集めようとしてますけれど、これは必ず失敗します。少し前に韓国がそれをやったんです。グローバル資本主義に最適化した学術領域に教育資源を集中させた。人文系の学部の予算を削った。だから、最初に進学者がいなくなったのは、韓国語学、韓国文学、韓国史学でした。自国の言語も、文学も、歴史も知らない、興味がないという子どもたちにしか出世のチャンスがない。そういう子どもたちがどういうエリートになるのか。少なくとも自分の国のため、同胞のために活動する意欲はきわめて低い人たちばかりがエリート層を形成することでしょう。
同じことは日本でももう起きていると思います。「金になるかならないか」だけを基準に教育資源を傾斜配分してきた結果、この15年間で日本の学術的生産力は劇的に低下した。これは動かしようのない統計的事実です。でも、文科省はその事実を認めようとしない。認めないどころか、絶対に失敗することが確実な教育政策をさらに強化しようとしている。
地方の国立大学は遠からず統廃合されてゆくことになると思います。となると、いずれ無大学県が出てくる可能性もある。僕は日本の大学についても大学生の頃から40年間間近で観察していますけれども、もう末期だということは実感しています。もう腐臭を発している。大学に限らず、日本社会のさまざまな仕組みが同時多発的に壊れ始めている。

でも、こういったことはすべてある意味で、自然過程なんだと思います。現実的で、プラグマティックな人たちが制度を設計し、管理運営している間はいいんです。でも、どこかで何のためにその制度があるのか起源の意味を忘れて、効率的に運営するとか、コストを削減するとかいうことが自己目的化する。そうなると、もうあとは落ちるだけなんです。必ず堕落し、腐敗してゆく。でも、腐って崩れ墜ちたあとは、また現実的な人たちが登場してきて、新しい仕組みを作る。
すでに古い仕組みに代わる新しい仕組みがあちこちで生まれ始めていると思います。ただメディアが報道しないだけで。メディアの情報収集力はずいぶん劣化していますから、これまでの枠組みにないような新しい動きについては感知することができない。それでも、感度のいいメディアの中には新しい仕組みが出来つつあることに気づいて、報道しているところもあります。どれも、まだ小さいメディアですけれど。
この新しい仕組みを作り出しているのは20代の人たちです。新聞も読まない、テレビも観ない人たちですけれども、彼らは彼らなりに自分たちの動物的な直感で「この仕組みはもう先がない。ここじゃないところへ行って生き延びよう」と思っている。
どういう動きが始まっているのかそれについては今日はもう話す時間がありません。どんな社会システムも壊れておしまいということはありません。具合の悪いところがでてくれば、必ずそれを補正する動きも出てきて、古い仕組みが壊れて、新しい仕組みが動き出す。自然な新陳代謝が行われる。
今、日本はその過渡期・移行期にいます。どの国も同じです。タイムラグはありますけれど、グローバル資本主義に最適化した社会システムを作ったことの「ツケ」をどの国もそれぞれ固有のしかたで、順番に払って行くことになる。日本だけじゃない、中国も韓国も、日本と相前後して、同じようなシステム劣化に直面することになると思います。世界的な移行期ですから。

その中で予測が立てにくいのがアメリカなんです。たしかにアメリカは凋落期にあります。でも、この国の持っている復元力は侮れない。もしかすると、アメリカはもう一回V字回復するかもしれない。と言いますのは、あの国はどこか開放的なところがあるんです。息が詰まりそうになると、誰かが窓を開ける。
僕がいつも感心するのは、ハリウッド映画なんです。ベトナム戦争から戻って来た帰還兵が頭がいかれて人を殺しまくるというパターンの映画があります。『タクシードライバー』とか『ランボー』とか。その手の映画って腐るほどあるんです。そういう国民的なトラウマ経験をアメリカ人は娯楽作品として消費することができる。そういうタフさって、他の国にはちょっと例がない。
今、もし日本でイラク戦争に行った自衛隊員が戻ってきて、頭のネジが外れて人を殺しまくるなんて映画を作ったら、すさまじいスキャンダルになるでしょう。自民党や讀賣新聞が大騒ぎして、たちまち上映禁止になる。でも、アメリカではそれができる。そこに僕はアメリカの強さを見るんです。ハリウッド映画には、大統領が殺人犯だとか、CIA長官やFBI長官が陰謀の張本人だったとか、そんな話がいくらでもあります。自分たちの国の統治機構のトップが「ワルモノ」であり、そのせいでシステムが狂うのだが、一匹狼のヒーローが登場してきてそれを食い止めて正義が回復するという話を、アメリカ人は毎年何十本と作って、享受している。
このカウンターカルチャーの厚みは他国に見ることができないものです。「自分たちの国はたいした国じゃない」という人たちがいて、「いや、たいした国だ」という人たちがいて、その葛藤がアメリカ社会の深みと奥行きを形成している。カウンターカルチャーがアメリカの堂々たる文化資源として発信され、巨大なビジネスとして成立し、さらにそれがアメリカに対する評価を高めている。
1975年にベトナム戦争が終わりますけれども、あの時代の世界は反米気運に満ちていました。日本の若者たちもアメリカの政策が大嫌いだった。でも、70年代の終わりまでには、その反米気運が嘘のように消えてしまった。それはアメリカのカウンターカルチャーの力だったと思います。ヒッピー・ムーヴメントやドラッグ・カルチャーやロックや西海岸の生活文化や、そういうものが日本に流れ込んできた。アメリカのカウンター・カルチャーにとってベトナム戦争や人種差別をしているアメリカのエスタブリッシュメントは端的に彼らにとっての「敵」なんです。僕たち日本人と帝国主義的アメリカを「敵」としている点では変らない。そこで共感しちゃうんです。だから、日本の若者たちは、反米の政治運動をしながら、アメリカのロックを聴き、レイバンのグラスをかけ、ジッポで煙草に火を点け、リーバイスを穿いて暮らしていた。アメリカはそうやってアメリカ政府の政策には反対だけれど、アメリカのカウンターカルチャーには共感するという数億人の「アメリカ支持者」を世界中に作りだした。それが結果的には「あれほど反権力的な文化が許容されているって、アメリカってけっこういい国なんじゃないか」というアメリカ評価につながってしまった。「ソ連にカウンターカルチャーはないけど、アメリカにはある」。最終的には東西冷戦でアメリカが勝った理由はそこにあるんじゃないかと僕は思っています。
こんな二重底構造を持った国というのは、今のところ世界にアメリカしかない。だから、アメリカは、軍事力や経済力は衰えても、文化的には創造的であり続ける可能性があると思います。僕が「アメリカの復元力」というのはそのことです。

なんだか怒り狂っているうちに時間が終わってしまいましたけれども、僕は周りの若い人たちを見ていると、日本はまだまだ大丈夫だという気がするんです。今ある仕組みは壊れていくだろうけれども、それに代わる新しい仕組みがいま芽生えつつある。そこに僕は希望と期待を持っています。だから、そんなに心配することはない。その新しい仕組みが実現して、開花するのを見届けられるかどうか、それはわかりません。あと20年くらいのうちだったら、生きているうちに見られるかも知れませんが、見ずに終わるかもしれません。でも、そんなに絶望したものでもないということで、今日の講演を締めたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

2015.07.16

大衆の変遷

だいぶ前に吉本隆明の著作の解説に付した文章だが、「岸信介と60年安保」について言及した箇所があり、それが7月15日のできごとに関連しているような気がしたので、


「大衆」の変遷 
私自身は高校生のときから大学院生の頃まで吉本隆明の忠実な読者だったが、その後、しだいに疎遠になり、埴谷雄高との「コム・デ・ギャルソン論争」を機に読まなくなった。その消息については別のところに書いたのでもう繰り返さない。たぶんその頃、吉本がそれまで政治評論において切り札として使っていた「大衆」という言葉に不意にリアリティを感じられなくなってしまったからだろうと思う。それは吉本のせいではない。彼がその代弁者を任じていた、貧しくはあるが生活者としての知恵と自己規律を備えていた「大衆」なるものが、バブル経済の予兆の中でしだいに変容し、ついには物欲と自己肥大で膨れあがった奇怪なマッスに変貌してしまったことに私自身がうんざりしたからである。マッスに思想はないし、むろん代弁者も要さない。そんな仕事は電通とマガジンハウスに任せておけばいい。私はそんな尖った気分で吉本の「大衆論」に背を向けてしまった。

60年代に吉本隆明は「大衆の原像」というつよい喚起力を持つ言葉を携えて登場した。そして、戦前からの左翼運動が一度として疑ったことのない「革命的前衛が同伴知識人を従えて大衆を領導する」という古典的な政治革命の図式を転倒させてみせた。それはたしかに足が震えるような衝撃だった。
「庶民や大衆は、複雑な抵抗多い日常体験をもとにして、知識人、文化イデオローグ、思想イデオローグの優位に立つ可能性をもっているのが、日本の社会における特質であるということができる。」(「知識人とは何か」、『吉本隆明全集6』、晶文社、2014年、160頁)
政治的な言葉というのは、それまでは政治的知識人の専管物と思われていた。大衆がその固有の生活実感に基づいて語る言葉が政治的たりうること、そればかりか知識人よりも優位に立つ可能性を持っていると言い切った左翼知識人は吉本以前にはいなかった。
もちろん大衆の日常の身体実感のうちに潜む政治的エネルギーを功利的に活用しようとした思想家はいくたりもあった。というより、大衆の「複雑な抵抗多い日常体験」が分泌する情念をこそ日本のファシズムはその滋養としたのである。だから、誰が大衆の思想的代弁者なのかということはきわめて本質的な問いであった。戦前の左翼と右翼の間で争われたのは「大衆の思想的代弁者」を名乗る権利であり、その帰趨は周知のごとくである。
吉本の「転向論」は、なぜ戦前の左翼知識人たちがついに大衆の思想的代弁者たりえなかったのかを問うたものである。本来なら彼よりずっと年長の知識人たちが「自分の問題」として引き受けるべき問いを、吉本は転向経験を知らない世代でありながら、自らの問いとして引き受けた。
吉本隆明は敗戦の年に二十歳だった。彼よりもう少し年長の知識人たちは、戦前は「プロレタリア」の旗を振り、戦中は「八紘一宇」や「皇運扶翼」の旗を振り、戦後は「民主主義」の旗を振った。彼らはそのつどの支配的な言説になびいて生き延びた。草莽の臣として「大君の辺にこそ死」ぬことを本望としていたかつての軍国少年は敗戦をまたぐ彼らの「変節」につよい嫌悪を感じたのである。
吉本世代の経験は、喩えてみれば、生まれてからずっと閉鎖病棟の中で過ごしてきた子供が、ある日「この病棟で行われてきたことはすべて間違っていた。ここはもう閉院するから今すぐ出て行け」と言われたのに似ている。子供たちはその病棟で、少ない年数ながら、四季の移ろいを味わい、師友に出会い、恋人を思い、書を読んできた。それぞれの経験がもたらした感動は、誰が何と言おうと、本人にとっては唯一無二かけがえのないものだった。それらの経験すべてを「間違った治療行為がもたらしたものだったので、なかったことにしてほしい」と言われていきなり「なかったこと」にできるものではない。
戦後日本が「なかったこと」にしようとしている戦前の日本に吉本隆明は文字通り「自分の半身」を遺していた。それを切り捨ててしまったら、自分の半分は死んでしまう。戦前の日本に遺したわが半身をなんとか奪還し、戦後の半身に縫合しなければ、(戦場であるいは空襲で死んだかもしれない)二十歳までの自分が浮かばれない。だから、「草莽の臣」として首尾一貫していたおのれの少年時代と、プロレタリア知識人として首尾一貫していたおのれの青年期を思想的にも身体的にも架橋しなければならない。それが吉本隆明にとって個人的な喫緊の課題であり、転向論はそのための理論的基礎づけであった。

「転向論」は日本共産党の指導者であった佐野学、鍋島貞親の獄中転向の分析から始まる。吉本はこれを権力による脅迫によるものではなく、自発的なものと解した。
「むしろ、大衆からの孤立(感)が最大の条件であったとするのが、私の転向論のアクシスである。」(「転向論」、『吉本隆明全著作集13』、1969年、勁草書房、9-10頁)
佐野たちは「わが後進インテリゲンチャ(例えば外国文学者)とおなじ水準で、西欧の政治思想や知識にとびつくにつれて、日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリにすぎなかった」。そして、転向とは「この田舎インテリが、ギリギリのところまで封建制から追いつめられ、孤立したとき、侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれたということに外ならなかったのではないか。」(同10頁)
この時期の転向者たちは、獄中で仏教書や日本の国体思想についての書物を読んで、その深遠さに一驚して、一夜にして天皇主義者になるという定型を歩んだ。これを吉本は「日本的小情況への侮り」の必然的帰結と見なしたのである。
「この種の上昇型のインテリゲンチャが、見くびった日本的情況を(例えば天皇制を、家族制度を)、絶対に回避できない形で眼のまえにつきつけられたとき、何がおこるか。かつて離脱したと信じたその理に合わぬ現実が、いわば、本格的な思考の対象として一度も対決されなかったことに気付くのである。」(同、17頁)
「転向」は戦前の左翼に限られない。戦後日本においても、「転向」はその意匠を変えて繰り返されるだろう。戦後知識人たちも今はマルクスやフロイトやサルトルといった名前をちらつかせて、「日本的小情況」を軽々と乗り越えた気になっているけれども、その思想が「日本の社会構造の総体によって対応づけられない」ものにとどまる限り、いずれ「理に合わぬ現実」を突きつけられたときに、一気に転向するだろう。吉本はそう暗鬱に予言した。この毒のある予言にはっきり「否」と答えることのできる知識人はその当時の日本にほとんどいなかった。左翼知識人の多くはおのれの戦前の政治的経験を思想的瓦礫のうちに捨ててきたからである。「あれはなかったことにする」というのが彼らの暗黙の了解だった。その中にあって吉本隆明だけがその「擬制」であることを痛撃したのである。
それゆえ、吉本の転向論はリアルタイムにおける「知識人と大衆の対立」の二元論としてではなく、むしろ「戦勝国の知的・言説的支配下にある日本国民」と「忘れ去られ、誰も弔う人のいない大日本帝国臣民」の対立のうちに読むべきではないかというのが私の仮説である。

戦争が終わったとき、「大日本帝国臣民」の名において戦争の責任を引き受けると宣言したものはいなかった。戦争指導部の人々でさえ、開戦は自分の本意ではなかったという見苦しい言い訳を口にした。あの戦争には主体がなかった。戦争の主体がいないのだから、敗戦の責任者がいるはずもない。当然にも「私が帝国の統治システムの瑕疵や政策決定プロセスの欠陥について自己検証し、戦後の日本のあるべき政体を設計する」と名乗りうる戦後日本の再建主体もいるはずがない。「一億総懺悔」とはそのことである。
戦前の日本をあたかも汚物のように、悪夢のように組織的に切り捨て、忘却して、戦後の言説空間に滑り込んだ知識人たちに対して、吉本隆明はあくまで「大日本帝国臣民としての戦争責任の取り方」にこだわった。むろん、このようなスタンスでの異議申し立てをなしたのは吉本ひとりではない。大岡昇平も鶴見俊輔も江藤淳も、それぞれのしかたで「戦前に遺した半身」を戦後の我が身に縫合するという困難な仕事に取り組んだと私は思っている。
吉本の思想的オリジナリティは「日本国民」対「大日本帝国臣民」という時間軸上の(出会うことのなかったものたちの)対立を、現代における「知識人」対「大衆」の(いま出会いつつあるものたちの)対立に「ずらして」みせたことにある。
「誰が真の大衆の代弁者なのか?」という問いが切迫した政治的問いとなるのは、そのような文脈においてである。それは言い換えると(吉本自身はついに口にしなかったが)、「誰が大日本帝国臣民の日常的経験と日本国民の日常的経験を架橋し、二つの声域で同時に語ることができるか?」という問いだったからである。60年安保闘争の思想的賭け金はまさにそこにあったと私は思う。
岸信介首相は国会を取り巻くデモについてのコメントを求められて、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』が聞こえる」と言ってのけた。永田町で展開している激烈な政治闘争をよそに、銀座で買い物をし、後楽園で野球を楽しんでいる大衆はまさにその政治的無関心によって自民党政府に無言の信認を与えている。岸はそう述べて、「政治的にふるまわない人々の政治性」を政権の側に奪い取ろうとした。吉本の「大衆の原像」論は、この岸の「『声なき声』はステイタス・クオを支持する声だ」という命題をまっこうから切り立てた。
政治闘争に背を向けて、銀座で買い物し、後楽園球場で歓声を上げる人々は、果たしてその政治的無言を通じて何を言わんとしているのか。それは岸が言うように「パンとサーカス」が提供されるなら独裁も対米従属も受け入れるという退廃のシグナルなのか、それともかつて満州国経営で辣腕を揮い、戦犯として収監されながらアメリカの「エージェント」として奇跡的な復活を遂げた政治家の策謀に対する棘のある無関心なのか。果たして大衆は無言であることを通じて何を言おうとしているのか。その「無言の翻訳者」の任に誰が就くべきなのか。権力者か庶民派の詩人か、いずれがこの「非政治的大衆の無言」の代弁者の資格を占有できるのか。そのしのぎを削るような戦いこそが戦後政治思想の最前線なのだと見通した点に吉本隆明の天才性は存する。

吉本が洞察したのは「知識人」というポジションにとどまる限り、「大衆の代弁者」の地位を要求することはできないということであった。それができるのは、生活者として大衆でありながら、その日常体験を掘り下げ、汎通性のある思想の言葉に変換できるだけの知力をもった人間だけである。吉本隆明にはその責に堪えるのは自分の他にいないという自負があった。それは彼が現時的にプロレタリアであったからではない。彼は比較的富裕な下町のブルジョワの子弟であり、高等教育を受けた知識人だった。でも、彼は「戦前に半身を遺している」という点において、他の知識人に対して大きなアドバンテージがあった。彼がみずからを「ただの生活人だが胸三寸に鉄火を呑んでいる大衆」(「大衆的芸術運動について」、『吉本隆明全集6』、209頁)として任じ得たのは、「十五歳から二十歳までのあいだ太平洋戦争中、わたしはひとかどの文学青年だったが、この戦争で死んでもいいと思っていたし、またそれは平気であった」(「退廃への誘い」、同書、405頁)からである。かつて草莽の臣であったという一点において、そして、自分がそのようなものであったことを受け入れ、その意味どこまでも掘り下げようとしているという点において、吉本隆明は「大衆」と「知識人」を止揚し、「大日本帝国臣民である自分」と「日本国民である自分」を縫合するという知的冒険の先頭走者であることができたのである。
吉本隆明が政治的ヒーローであった時期に、今私がしているような言葉づかいで吉本のアドバンテージを説明した人はいなかったように思う。けれども、吉本自身は政治的前衛の崩壊という戦前の出来事とのかかわりの中でしか現在の政治状況を語ることはできないと繰り返し語っていた。
「きみはきみたち自身と歴史的にたたかったことはない。これはいいかえれば、現実をかえるために、現実的にたたかったことはないということを意味している。」(「頽廃への誘い」、『吉本隆明全集6』、403頁)
吉本が革共同の学生を対話相手に想定して語ったこの言葉にある「自身と歴史的にたたかう」という言葉にこめられた深い含意に、このテクストを読んでいた当時の私は気づかなかった。
今ここに現象している空間的な対立は、歴史的な推移の中で「新たに登場してきたもの」と「姿を消しつつあるもの」の時間的な対立と置き換え可能だ、吉本はそう考えていた。彼自身がそう語っている。
「歴史というもの、歴史の過去というものは、同時に地域の相違に移し変えることです。そして、逆にまた、地域の差異は、同時に時代の差異に移し変えられるということが、歴史を見ていく場合にひじょうに重要なことです。」(『南方的要素』)
大衆とは、政体の変遷にも、知識やイデオロギーの盛衰にもかかわりなく、その生活者としての揺るがぬ身体実感と経験知に基づいて「その日常的な精神体験の世界に、意味をあたえられるまで掘り下げる」(「日本ファシストの原像」、『吉本隆明全集6』、199頁)ことのできるもののことである。そのような大衆しか「戦争体験と責任の問題に対処できる」主体たりえない。「この方法だけが、庶民を、イデオローグや、イデオローグの部分社会にたいして優位にたたしめ、自立させる唯一の道である」(同書、199頁)。吉本はそう書いた。
たしかに、そう書かれると「大衆」というのは歴史的条件の変化にかかわらず相貌を変えることのない超歴史的「常数」のようなものだと私たちは思ってしまう。けれども、それはやはり違う。吉本のいう「大衆」もまた歴史的形成物であることに変わりはないのである。「戦争体験と責任の問題に対処できる」主体たりうるような「大衆」はある種の歴史的条件が整ったことによって登場し、その歴史的条件が失われたときに消失してゆく。
吉本は大日本帝国臣民という仮想的な立ち位置から戦後思想を撃つというトリッキーな戦術によって一時期圧倒的な思想的アドバンテージを確保した。しかし、吉本のアドバンテージもまた歴史的条件によって規定されたものである以上、時間の経過とともに消失してゆくのはやむを得ないことであった。日本人のほとんどが「大日本帝国臣民である生活者」たちの相貌についての記憶を失った1980年代に、日本人は吉本隆明の「大衆」という言葉が何を指示しているのかしだいにわからなくなった。そのとき吉本隆明の政治思想の批評性がその例外的な「切っ先」の鋭さを失ってしまったとしても、それは歴史の自然過程という他ない。

2015.07.17

東京新聞(7月17日)

安保法制強行採決を承けて、東京新聞にインタビュー記事が載りました。転載しておきます。

世界平和を求めるとか、平和憲法を維持するとか、「きれいごと」を言うのはもうやめよう―。そんな不穏な心情が法案成立を目指す安倍政権を支えている。「結局、世界はカネと軍事力だ」と言い放つような虚無的な「リアリスト」の目には立憲主義も三権分立も言論の自由も法の支配も、すべて絵空事に見えるのだろう。

七十年前の敗戦で攻撃的な帝国主義国家日本は一夜にして平和国家にさせられた。でも、明治維新以来、琉球処分、朝鮮併合、満洲建国と続いてきた暴力的で攻撃的な国民的メンタリティーはそれくらいのことで消えたわけではない。抑圧されただけである。
表に出すことを禁じられたこの「邪悪な傾向」が七十年間の抑圧の果てに、ついに蓋を吹き飛ばして噴出してきたというのが安倍政権の歴史的意味である。彼らに向かって「あなたがたは間違ったことをしている」と言い立てても意味がないのは、彼らが「間違ったこと、悪いこと」をしたくてそうしているからである。
明らかに憲法違反である法案が強行採決されたベースにはそのような無意識的な集団心理がある。一部の日本人は「政治的に正しいこと」を言うことに飽き飽きしてきたのである。ただ人を傷つけるためだけのヘイトスピーチや、生活保護受給者への暴力的な罵倒や、非正規労働者のさらなる雇用条件の引き下げなどは「他者への気づかい、弱者への思いやり」といったふるまいが「胸くそ悪い」と言い放てるからこそできることである。

生身の人間として戦争を経験して敗戦を迎えた世代には、平和と繁栄という「敗戦の果実」をありがたく思う身体実感があった。占領も、属国化も、基地の存在も、「戦争よりはまし」という比較ができた。でも、そういう生活実感はもう今の人はない。平和憲法が敗戦国民どれほどの深い安堵をもたらしたか、そのリアリティがわからない。だから、憲法がただの「空語」にしか思えないのだ。
安倍首相が「戦争できる国」になりたいのは、戦争ができると「いいこと」があると思っているからではない。それが世界に憎しみと破壊をもたらすことを知っているからこそ戦争がしたいのである。
彼は「悪いこと」がしたいのである。
国際社会から「善い国だが弱い国」と思われるよりは、(中国や北朝鮮のように)「嫌な国だが、怖い国」と思われる方が「まだまし」だという心情が安倍首相には確かにある。
これは安倍首相自身の個人的な資質も関与しているだろうが、明治維新から敗戦までは大手を振って発揮されてきた日本人の「邪悪さ」が戦後過剰に抑圧されてきたことへの集団的な反動だと私は思う。
法案が成立すれば、海外派兵は可能になる。それでも、米国がただちに自衛隊をイラクやシリアに配備するとは私は思わない。短期的には米国にとってそれが一番利益の多い選択だが、もっぱら米国の権益を守るための戦争で自衛隊員が日本に縁もゆかりもない場所で無意味に死傷者を増やして行けば、日本国内での厭戦気分が反米感情にいきなり転化するリスクがあるからだ。
「なぜアメリカのためにこれほど日本人が死ななければならないのか?」という問いに安倍内閣が説得力のある回答ができるとは思われない。
リスクを抑えて自国益を守るために、自衛隊員が死傷しても日本国民が「納得」するような用兵でなければならない。国防総省はいまそれを思案中だろう。

2015.07.23

これからの行動提起 「学者100人記者会見」における発表

これからの行動提起 「学者100人記者会見」における発表

佐藤学先生から賛同者の方々へのアピールです。
佐藤先生がおっしゃっている通り、賛同署名をしてくださった方は全員が「学者の会」を「代表して」発言する権利を持っています。賛同者の方が学者の会を代表して行動するときに、誰かの許可を求める必要はありません。それぞれの現場で、安保法制を廃案にするために、自発的に、ご自身の工夫で、できる限りのことをしてください。それが最も大きな力になります。
安全保障関連法案を廃案にするために、可能なことはすべて実行しましょう

以下は、今後の行動提起です

1.7月31日「学生と学者の共同行動」
午後5時第一部行動(学生と学者) 
砂防会館において集会、その後、国会請願デモ行進を行って、国会前抗議行動。第一部の国会請願デモが出発後、午後6時から第二部行動(学生と市民)砂防会館にて集会、国会請願デモ行進、国会前抗議行動を行います。

2. 学者の会は、7月14日の衆議院特別委員会への請願行動に引き続き、今後も、参議院、衆議院に対して国会請願を行います。
現在、学者11,218人、市民23,779人です。この声を引き続き、国会に届けましょう。

3.各大学で、学者有志の声明、学生と学者の共同行動が拡大しています。すべての大学で夏休み中に学者有志の声明、学生と学者の共同行動を展開しよう。

4.各大学、各地域の集会への参加。
「学者の会」には代表はいません。発起人、呼びかけ人、賛同者のすべてが「代表」です
各大学、各地域の集会に参加し、「学者の会」を「代表して」スピーチを行ってください。

5・ 9月6日「第二波・学生と学者の共同行動」を成功させよう。
学生と連帯して、日曜日の東京の繁華街で、市民にアピールする街頭デモ行進を行います。こぞって、参加してください。

安全保障関連法案に反対する学者の会
発起人・事務局代表  佐藤 学

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