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2017年09月 アーカイブ

2017.09.01

シンギュラリティと羌族の覚醒

安田登さんをお招きして、ご高著『あわいの時代の「論語」』刊行記念3時間セミナー(ほぼしゃべりっぱなし)というイベントを凱風館で開いた。
頭の中に手を入れて引っ掻き回されるようなわくわくする経験だった。
備忘のために、すごく興奮した話題を一つだけ書き止めておく。
それはsingularityはAIが人類史上初めてではなく、3回目という話。
一度目は数万年前に頭蓋骨が巨大化したとき、二度目は文字が発明されたとき。
その時、安田さんから周りの人たちと「文字が発明されたときに、文字がなかった時代と何が変わったのか?」相談してみてくださいと言われて、隣に座っていた光嶋くん、神吉君、浅野パパと3分間ほどブレーンストーミングをした。
文字の出現というのは脳内に記憶しておくべきことを外部記憶装置に転写することができるようになったわけだから、脳内の「デスクトップ」が広く使えるようになったというのがとりあえずの回答だったのだけれど、僕はその時に時間意識の大きな変容があったのではないかと思った。
文字がないとき、人々は膨大な神話や伝承を口伝で記憶し、再生していた。
『古事記』を口伝した稗田阿礼は「年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない」人だったそうである。もちろん文字は知らない。太安万侶が稗田阿礼の口述したものを筆記したものとされているが、安田さんによると太安万侶によるかなりの「改竄」がなされたそうである。
ホメーロスの『イリーアス』も『オデュッセイア』も口承である。
古代ギリシャの吟遊詩人たちは多く盲目だった。「盲目であることなしに詩人となることは不可能だ」という信憑があったという説もある。現に今にその名が伝えられる多くの古代ギリシャの詩人たちは盲目であった(先天的にあるいは事故によりあるいは自ら眼を突いて)。
それは「文字を読む」という行為と膨大な神話口碑を「口伝する」という行為の間に、記憶のアーカイブの仕方の違いという以上の、ある根本的な「断絶」があったからであろう。
タルムードもそうだ。ユダ・ハ・ナシーが第二神殿の破壊後、散逸を恐れてミシュナーを文字化したのは紀元2世紀のことである。それまで原型的な一神教が成立してから1000年以上、律法とその解釈は口伝されていたのである。そして、安田さんによれば「論語」もそうなのである。
孔子がその教えを説いたのは紀元前500年頃。「論語」が文字化されたのは紀元前後(漢の武帝の時代)であり、その間500年は「論語」もまた暗誦され口伝されていたのである。
人類史のある時期まで、すべてのテクストは記憶され、暗誦され、口伝されていた。それは当然ある種の「歌」あるいはそれに類する独特の韻律をもつものだったはずである。そして、そうである以上、ある箇所を思い出そうとしても、そのためにはある区切りのはじめから歌い出さないと、そこには行き着けない。
これを情報用語では、シーケンシャル・アクセス(sequential access)と言う。
カセットテープやレコードのような記憶媒体はシーケンシャルである(前のもののあとに後のものが続くので、その時間順をたどってしか求める場所にたどりつけない)。
能舞台で絶句した能楽師は、誰も詞章をつけてくれないと、舞台で硬直したまま自分が語るべき詞章を脳内で最初から全て再生する。最初から始めないと、つっかえたところにたどりつけないのである。
文字記号と音声記号の最大の違いは、文字記号は相当量を一望俯瞰できるということである。「飛ばし読み」「斜め読み」ができる。求めている情報にダイレクトに、ランダムにアクセスできる。
文字の発明は人類の情報検索の基本モードが「シーケンシャル・アクセス」から「ランダム・アクセス」に変わったということを意味している。
それによって何が起きたか。
時間の可視化」である。
それまで時間は「生きられるもの」だった。文字の出現によって、時間は「目に見えるもの」になった。
これはまさにsingularity と呼ぶにふさわしい劇的な転換だろう。眼前のテクストは最初から読み出して、最後まで行き着くまでに人間が要する「時間そのもの」を可視化することができるのだから。
安田さんによると、文字の出現によって、人間は未来と過去という概念を獲得して、未来に対する不安と過去に対する後悔という、それまで人類が有したことのなかったものを持ってしまったそうである。それが文字による時間の可視化の効果である。
「祈り」も「呪い」も「占い」も、時間が可視化されることがなければ、存在しない、と。
その通りだろう。
それを聞いて、こんな話を思い出した。
「朝三暮四」という説話である。
宋の狙公は猿を何匹も飼っていたが、懐具合がさみしくなり、餌代を節約しなければならなくなった。それまでは餌の「とちの実」を朝四つ、夕方四つ与えていた。猿たちに向かって、これからは「朝に三つ、夕方に四つにしたい」と提案すると猿たちは激怒した。「じゃあ、朝に四つ、夕方に三つならどう?」と訊いたら、猿たちは大喜びした。
この逸話はいったい何を意味しているのだろう。
私はこれはsingularity の話ではないかと思う。
人間と猿は時間意識が違う。それはsingularity 以前の人間と以後の人間では、時間意識が変わってしまったことを説話的に表象しているのではないか。
宋の狙公の逸話は春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)のことである。
安田さんのいう「あわいの時代」というのは、殷代に甲骨文字が発明されて(紀元前17世紀から紀元前11世紀)文字のsingularity があってから、読字という習慣が集団の相当部分に広がるまでの、時間意識を持たない人々と時間意識を持つ人々が「共存」していた時代のことである。
その時代に「時間意識」をめぐる物語がいくつも書かれているのは、おそらくゆえなきことではない。
たとえば『韓非子』にある「守株待兔」の話がそうだ。童謡「まちぼうけ」のオリジナル説話である。
宋代に一人の農夫がいた。彼の畑の隅の切り株に、ある日兎がぶつかって、首の骨を折って死んだ。それを持ち帰って「兎汁」にして食べた農夫は、次の日から耕作を止めて、終日兎がやってきて首の骨を折るのを待った。兎は二度と来ず、農夫は収穫物を得られず、国中の笑いものになった。
これも春秋時代の話である。
なぜその時代には「こんな話」が選好されたのか。
それはこの「あわいの時代」にはまだsingularity 以前の「時間意識をもたない人たち」がいたからである。約束という概念も、確率という概念も、可能性という概念も持たない人々がいたので、「以後」の人々は彼らを笑いものにしたのである。
殷代に犬や羊や牛とともに、しばしば宗教儀礼において犠牲にされた「羌族(きょうぞく)」という人種集団がいる。昨日読んだ甲骨文も「三人の羌人と九匹の犬を生贄に捧げることの可否を卜占する」ものだった。
安田さんの仮説では、羌族の人々は時間意識を持っていなかったのではないかと言う。だから、狩られて、捕らえられ、幽閉され、餌を与えられ、引き出されて生贄にされるときも、我が身に何が起きるのか想像することができなかった。それゆえ、不安も恐怖もなかった。自分たちを狩る人間たちに対する怨恨も憎悪も感じなかったし、狩られたことについての後悔も反省もなかった。かつて我が身に起きたことと今我が身に起きていることの因果関係がわからないのなら、そんなもの感じようがない。
その羌族がのちに周族と同盟して、殷の紂王を滅ぼし、周を立てる。
このとき羌族を率いて殷と戦ったのが太公望である。
ということは、ある時点で羌族は時間意識を持ったということである
そして、それまでただ狩られるだけの存在だった「羊のような」部族がいきなり「狼のような」強大な戦闘集団に化した(たぶん)。
この羌族の恐るべき変貌は殷周代の人々に強烈な印象を残したはずである。
でも、文字を持ち、時間意識を持つことで人間は集団的に「ヴァージョンアップする」という歴史的事実は抑圧された(おそらくは時の権力者たちが統治上の安定を保持するために)。
そして、時間意識を持たぬ人たち(狙公や「守株」の農夫)の笑い話のうちに「前singularity期の人間」の相貌がかろうじて伝えられた・・・・ということではないのだろうか。
孔子が「仁」という言葉で言おうとしたのが何であるかはわからないけれど、それは「人間のヴァージョンアップにかかわる技術」のことらしいと安田さんは昨日言われた。そして、孔子はその仕事を顔回が成し遂げるだろうと期待していた、と。
でも顔回は夭逝して、その「転換」は実現せず、孔子は失望のうちに死ぬ。
孔子が顔回とともに範とするのは周建国の立役者である周公である。
なぜ周公なのか。
この仮説の当否については今度安田さんに聞いてみたいけれど、それは太公望経由で羌族の「覚醒」をもたらしたのが周公だったからではないか。
羌族はそれによって短期間にかつて自分たちを狩っていた者たちを狩るほどの能力を身に着けた。
どうでしょう、安田さん。この仮説、けっこういけませんか。
というふうに妄想が次々と湧いてくるのが安田さんの話を聞いて頭が攪拌されてしまったことの効果である。
ああ、安田さんともっと「ほんまでっか古代史」についてお話したい。

2017.09.04

米朝戦争のあと

7月に、ある雑誌のインタビューで、米空母の半島接近で、北朝鮮とアメリカの間で戦端が開かれる可能性はあるでしょうか?という質問が出ました。
戦争が始まる可能性はあるのか。あるとしたら、どういうかたちになるのか。その後何が起こるのかについて、そのときこんなことを申し上げました。

米朝戦争ということになれば、アメリカはすぐにICBMを打ち込んで、北朝鮮は消滅することになると思います。
でも、北朝鮮が消滅する規模の核攻撃をしたら、韓国や中国やロシアにまで放射性物質が拡散する(日本にも、もちろん)。朝鮮半島や沿海州、中国東北部の一部が居住不能になるような場合、アメリカはその責任をとれるでしょうか。
空母にミサイルが当たったので、その報復に国を一つ消滅させましたというのは、いくらなんでも収支勘定が合いません。人口2400万人の国一つを消滅させたというようなことは、さすがに秦の始皇帝もナポレオンもやっていない。それほどの歴史的蛮行は世界が許さないでしょうし、アメリカ国内からもはげしい反発が出る。
北朝鮮の空母がハドソン川を遡航してきてマンハッタンにミサイルを撃ち込んだというならともかく、アメリカの空母が朝鮮半島沖で攻撃されたというのでは開戦の条件としてはあまりにも分が悪い。
そうなると、あとは戦争をすると言っても、ピンポイントで核施設だけ空爆で破壊し、国民生活には被害が出ないようにするという手立てしかない。でも、仮にそれがうまく行って、ライフラインや行政機構や病院・学校などが無傷で残ったとしても、その国をアメリカがどうやって統治するつもりなのか。
アフガニスタンでもリビアでもイラクでも、アメリカは独裁政権を倒して民主的な政権をつくるというプランを戦後は一度も成功させたことがありません。成功したのは72年前の日本だけです。でも、それが可能だったのはルース・ベネディクトの『菊と刀』に代表されるような精密な日本文化・日本人の心性研究の蓄積が占領に先立って存在していたからです。同じように、もし北朝鮮の「金王朝」を倒して、民主的な政権を立てようと思うなら、それを支えるだけの「北朝鮮研究」の蓄積が必要です。でも、アメリカもどこの国もそんなものは持っていない。戦争であれクーデタであれ住民暴動であれ、北朝鮮政権が統制力を失った後の混乱をどうやって収めるかについてのプランなんて、中国もロシアもアメリカも韓国も誰も持っていない。
それについて一番真剣に考えているのは韓国だと思います。でも、その韓国にしても「北伐」というようなハードなプランは考えていないはずです。とりあえずは脱北者を受け入れ続け、その数を年間数万、数十万という規模にまで増やす。そして、もし何らかの理由で北朝鮮のハードパワーが劣化したら、韓国内で民主制国家経営のノウハウを学んだ脱北者たちを北朝鮮に戻して、彼らに新しい政体を立ち上げさせる。韓国政府が北朝鮮に直接とって代わることはできない。混乱を収めようと思ったら、「北朝鮮人による北朝鮮支配」というかたちをとる他ない。そのことは、韓国政府にはわかっているはずです。
もっとソフトな解決法があります。一国二制度による南北統一です。
これは1980年に、当時の北朝鮮の金日成主席が韓国の全斗煥大統領に向けて提案したものです。統一国家の国名は「高麗民主連邦共和国」。南北政府が二制度のまま連邦を形成するという案です。「在韓米軍の撤収」という韓国政府にとって簡単には呑めない条件がついていたせいで実現しませんでしたが、懲りずに北朝鮮は2000年にも金正日が南北首脳会談の席で、金大中大統領に対して、再び連邦制の検討を提案しています。
南北統一については、北の方からまず「ボールを投げている」という歴史的事実は見落としてはいけないと思います。条件次第では、南北統一、一国二制度の方が「自分たちにとって安定的な利益がもたらされる」という算盤勘定ができないと、こんな提案は出て来ません。
今の金正恩にとっては、「王朝」の安泰が約束され、「王国」の中で自分たち一族が末永く愉快に暮らせる保証があるなら、一国二制度は悪い話じゃありません。連邦制になれば、核ミサイルをカードに使った瀬戸際外交を永遠に続けるストレスからは解放されるし、飢えた国民が自暴自棄になって暴動を起こしたり、政治的野心を持った側近がクーデタを起こすといったリスクも軽減される。 
ですから、北朝鮮問題を考えるときに、北朝鮮と戦争をやって勝つか負けるかというようなレベルの話をしても仕方がないのです。考えなければいけないのは、三代60年にわたってファナティックな専制君主が支配してきた2400万人の「王国」をどうやって現代の国際社会にソフトランディングさせるかという統治の問題です。
一番困るのは、金王朝が瓦解した後に無秩序状態が発生することです。難民が隣国にどっと流れ込む。もちろん日本にも場合によっては数十万単位で漂着するでしょう。それについての備えが今の政府にどれだけあるのか、僕は知りません。でも、与党政治家たちの排外主義的は発言を徴する限り、難民問題について真剣に考えているようには見えません。
でも、リスクは難民問題だけではありません。もっと暴力的なリスクがあります。北には大量の兵器があり、麻薬があり、偽ドル紙幣がある。国家事業として「ダーティ・ビジネス」を展開してきたんですから。これらは世界中どこでも高値で通用する商品です。中央政府がコントロールを失ったら、当然さまざまな国内勢力がこの巨大利権の奪い合いを始める。近代兵器で武装した「軍閥」が北朝鮮国内各地に割拠して、中国・ロシア・アメリカをバックにした「代理戦争」を始めるというのが、最悪のシナリオです。
もう一つのリスクは、ソ連崩壊後のロシア・マフィアのように、北朝鮮の「ダーティ・ビジネス」を担当していたテクノクラートたちがそのノウハウを携えて、海外で商売を始めることです。北朝鮮の「ダーディ・ビジネス」担当者はこれまでも世界各国の諜報機関や「裏社会」とつながりを持ってきました。今までは「国営」ビジネスでしたけれど、王朝が滅びてしまうと、これが私企業になる。兵器や麻薬や偽札作りやスナイパーや拷問の専門家などが職を求めて半島を出て、世界各地で新たな「反社会勢力」を形成することになる。
北朝鮮が瓦解した場合の最初の問題は難民です。でも、難民は寝る所を提供し、飯が食えれば、とりあえずは落ち着かせることができる。怖いのは軍人です。
北朝鮮は保有する兵力は想定ですが、陸軍102万人、海軍6万人、空軍11万。他に予備役が470万人、労農赤衛隊350万人、保安部隊が19万人。2400万人の国民のうち約1000万人が兵器が使える人間、人殺しの訓練をしてきた人間です。
イラクでは、サダム・フセインに忠誠を誓った共和国防衛隊の軍人たちをアメリカが排除したために、彼らはその後ISに入って、その主力を形成しました。共和国防衛隊は7万人。朝鮮人民軍は1000万、その中には数万の特殊部隊員がふくまれます。職を失った軍人たちをどう処遇するのか。彼らが絶望的になって、反社会勢力やテロリスト集団を形成しないように関係諸国はどういう「就労支援」を整備したらいいのか。それはもう日本一国でどうこうできる話ではありません。
リビアやイラクがそうでしたけれど、どんなろくでもない独裁者でも、国内を統治できているだけ、無秩序よりは「まだまし」と考えるべきなのかも知れません。
今のところ国際社会はそういう考えのようです。とりあえずは南北が一国二制度へじりじりと向かってゆくプロセスをこまめに支援するというのが「北朝鮮というリスク」を軽減するとりあえずは一番現実的な解ではないかと僕も思います。

2017.09.13

若者の政治参加についてのアンケートにお答えした

高校生からこんなメールが届いた。

「突然ですが、メールにて失礼致します。
現在、私の学校では『答えが無い問題の解決策を探求する』というテーマのもとで、各グループに分かれて、経済や医療等の様々なジャンルから、テーマ設定をし、課題研究活動を行っています。
私のグループでは、『学生運動とこれからの政治参加』という主題で、60年代安保闘争から、SEALDsの活動まで、国内外の政治運動の比較を通じ、今後の政治参加には何が必要かという事を研究しています。
その活動を進める中で、いくつか浮かんできた疑問について意見を聞かせて頂きたく、メールを送らせて頂きました。
以下、質問事項になります。
〈質問1〉
民主党は野党として機能していると思いますか。
又、野党のあるべき姿とは、どのようなものだと考えますか。
〈質問2〉
現代の、10代~20代の若者は政治への関心が高いと思いますか。
可能であれば、理由も教えて頂けると有難いです。
〈質問3〉
国民の政治参加の方法は、投票やデモ以外では、どのような方法があると思いますか。
〈質問4〉
SNSは活発な政治討論の場になりうると思いますか。
お忙しい中かと思いますが、お返事を頂けましたら、幸いです。」

なかなか興味深い質問だったし、文章がきちんとしているのが気に入って、すぐに返事を書いた。以下が返信。

「こんにちは。内田樹です。
メール拝受致しました。
なかなかよい課題ですね。ご質問について、僕も「正解」を知っているわけではないのですが、個人的な意見を述べたいと思います。
〈質問1〉
民主党は野党として機能していると思いますか。
又、野党のあるべき姿とは、どのようなものだと考えますか。

民進党のことを質問されているのだと思いますが、民進党は野党としてはかろうじて機能しているとは思います。
ただ結党以来綱領的な整合性・一貫性がない政党で、選挙のたびに「風」頼みで公約がふらつくのがなかなか信頼されない理由だと思います。
「民意におもねる」というのは民主制下の政党としてある意味では当然のことなのですが、それにしてもあまりにも「腰が据わっていない」と民意の側でも不安になります。
それでも、今の日本では民進党のような政党(民意をつかみ損ねてふらふらしている政党)はここ一つしかないので、政党政治の多様性という観点からすれば、「ないよりはあった方がいい」と私は思っています。
「野党のあるべき姿」というものがもしあるとすれば、それは「有権者にとって政策的選択肢の多様性を保証する」ことに尽くされると思います。
ですから、共産党のような綱領的に整備された上意下達の一枚岩政党や、公明党のようなこれも一枚岩の宗教政党や、民進党のような党内ばらばらで「なんだかよくわからない政党」のように、それぞれ綱領も組織原理も異なる政党が併存している日本の政党政治の状態は決して悪いものではないと思います。まあ、そういうのも「あり」という程度ですけれど。

〈質問2〉
現代の、10代~20代の若者は政治への関心が高いと思いますか。
可能であれば、理由も教えて頂けると有難いです。

政治への関心というのは(とくに若者たちの政治への関心は)よくわからない理由で突発的に高まったり冷めたりするものです。それはいつの時代でも変わりません(60年代終わりから70年にかけての僕が若者だった時代も、その前の60年安保の頃もそうでした)。
自分たちの個人的な意見が政策決定に反映されないと虚無的になり、政治に対して無関心になりますが、個人的な思いと現実政治があまりに乖離すると、それまで虚無的な気分がいきなり怒りに変わるというようなことがあります。
政治的無関心というのは「政策決定に自分たちの思いがほとんど反映されていないけれど、怒っても始まらない」というなげやりな気分のことです。それが前段は同じでも「ここまでひどいとさすがに一言言わざるを得ない」という怒りに変わると「政治的関心」と呼ばれる。
政治的な関心・無関心は世代の属性ではなくて、歴史的条件の関数です。そして、無関心が関心に変わり、関心が無関心に変わるその化学変化のプロセスはあまりにデリケートなので、なかなか予測できません。

〈質問3〉
国民の政治参加の方法は、投票やデモ以外では、どのような方法があると思いますか。

一番大切なのは政治について考え、個人的な意見を練り上げ、機会をとらえてそれを公表することだと僕は思います。
政治についての個人の思いなんかに現実変成力はないと思っている人が多いと思いますけれど、それは違います。政治過程についての本質的な洞察は、たとえ個人の見解であっても、つよい浸透力があり、政治についてのものの見方を集団的に変えてしまうことがあります。

〈質問4〉
SNSは活発な政治討論の場になりうると思いますか。

どうでしょう。顔が見えない場所での議論はどういうことが主題でも、極端になりがちです(どんなことを言っても胸倉をつかまれて・・・というリスクがありませんからね)。
SNSは政治的意見を二極化する(それはそれで話がわかりやすくはなるのですが)上では有用ですが、集団的な合意形成の場としてはあまり(ほとんど)役に立たないと思います。
合意形成の訓練をするためには、どうしても顔と顔を向き合わせて対話する場が必要だろうと思います。

以上です。お役に立てたらいいんですけど。」

答えのない問題の解決策を探求するという課題の設定はとてもよいと思う。
ちゃんとした先生はどこの学校にもいるし、ちゃんとした先生がいればちゃんとした生徒がいる。
当たり前のことだけれど。

2017.09.15

ガーディアンの記事から「東京五輪買収疑惑に新たな局面」

9月13日付のイギリスの「ザ・ガーディアン」がリオと東京の五輪招致にIOCの票の買収があった容疑について新展開があったことを報じた。以下が記事。

リマでの総会で2024年パリ、28年ロサンゼルスでの五輪開催を決定したニュースに世界の耳目が集まることを期待していたその日に、2016年リオ、2020年東京五輪の招致チームによる買収容疑についての新たな疑惑をIOCは突き付けられた。
二つの開催地が決定した直後に汚職スキャンダルの渦中の人物が高額の時計や宝石を購入していたという調査結果が出て、この二都市の決定についてさらなる調査が開始されることになった。この事実がIOC総会での2024年、2028年の開催地決定セレモニーに暗い影を落としている。
『ガーディアン』紙は資料を精査して、信用を失墜した前IOC委員ラミーヌ・ディアクの息子パパ・マッサタ・ディアクがリオと東京の招致キャンペーンの前後にフランスの宝石店で高額の買い物をしていた証拠を得た。
ブラジル連邦検察局はフランス検察局の調査結果を踏まえて、支払いが「IOC内部に強い影響力を持つラミーヌ・ディアクの支援と票の買収の意図をもって」2016年リオ、2020年東京の招致成功のためになされたという結論を出した。
昨年、『ガーディアン』紙は、2020年の五輪開催都市レースのさなかに、東京五輪招致チームからマッサタ・ディアクと繋がりのあるブラック・タイディングスと称する口座へ七桁の送金があったことを暴露した。これらの支払は二回に分けて行われた。取引額は約170万ユーロで、2013年の9月7日、ブエノス・アイレスで開かれたIOCによる開催都市選定の前と後になされていた。
フランス当局の捜査にもとづいて、検察局は2013年9月8日に、ブラック・タイディングスはシンガポールのスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロをパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。
ブラジル検察局によると、2009年から10年にかけてマッサタ・ディアクは一回6万5000ユーロから30万ユーロの支払いを、彼がコントロールしていると見られる七つの口座から、フランスとカタールの店舗およびモナコとニューヨークのオフショア・カンパニーに対して行っている。
2009年10月2日、コペンハーゲンでのIOC委員会で五輪開催がリオに決定したその日には、ディアク家と繋がりのあるパモジ・コンサルタンシイ社から7万8000ドルの支払いがパリの宝石店に対して行われている。
ブラック・タイディングスについての調査は日本の国会の審問に付託されたが、同国の総理大臣は招致のための票買収について調査を進めているフランスの検察当局と協力することを約束した。しかし、ブラジルからの今回の暴露によって、次回の五輪開催国に対する調査が再開され、どのようにして東京が五輪開催権を獲得したのかそのプロセスが解明されることになるだろう。
ディアクはこの疑惑に対しては回答していない。これまでのところすべての悪事を否定しており、彼に対する今回の主張は「世界スポーツ史上最大の嘘だ」と語っている。

記事はここまで。
東京の五輪招致については、シンガポールのブラック・タイディングスという怪しげなペーパーカンパニー(テレビが取材に行ったが、ボロい団地の一室であり、看板もなく、無人だった)にコンサルタント料が振り込まれたことが国会で問題になった。
この送金の事実を明らかにしたのは、国際陸連の汚職と資金洗浄を調査していたフランスの検察局である。
国会でも問題にされたが、当時の馳浩文部科学相は「招致委員会は電通からブラック・タイディングス社が実績があるからと勧められ、招致員会が契約することを決定した」と語っている。
ブラックタイディングス社の「実績」というのはペーパーカンパニーを経由しての資金洗浄と買収のことである。
支払いは2013年7月と10月の二度にわたって行われたが、これは開催地決定の前後に当たる。誰が見ても「手付金」と「成功報酬」としてしか解釈できない。
国会での答弁では、二度にわけた理由を問われて「金がなくて一度に全額払うことができなかった」とされているが、実際には招致委員会は資金潤沢であり、この説明にはまったく説得力がなかったが、日本のメディアは深追いせず、これを放置した。
文科省、招致委員会、電通・・・五輪招致をめぐって、これから忌まわしい事実が次々と暴露されるだろうけれど、それらを解明するのが「海外の司法機関」であり、それを伝えるのが「海外のメディア」であるということに私は日本の社会制度がほんとうに土台から腐ってきていることを実感するのである。

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