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2008年08月 アーカイブ

2008.08.01

ロードは続く

死のロードがまだ続いている。
水曜日は横浜の朝日カルチャーセンター。
能楽師の安田登さんと対談。
能楽における身体と霊性について。
安田さんとお会いするのは、『考える人』の対談以来、一年ぶりくらいになる。
控え室でお会いして、すぐに話し始め、そのまま会場で続きを話して、さらに河岸を変えて、中華街でも話し続ける。
ひさしぶりにお会いして、話したいこと訊きたいことがたくさんたまっているので、話がさっぱり終わらない。
たいへん面白かった(聴衆のみなさんも面白かったらよいのだが)。
安田さんは天性のヒーラーであるので、そばにいて、あの響きのよい声を聴いているだけで身体の奥の方の「こわばり」がほぐされて、深く癒される。

早起きして、ホテルニューグランドで朝ご飯を食べてから、せっかく横浜まで来のだから、みなとみらいに兄ちゃんに会いにゆく。
仕事中を呼び出して、30分ほどお茶。
兄ちゃんはリタイアまでもうカウントダウンだから、たいへんご機嫌である。
羨ましい限りである。
私はあと2年半。
マジックナンバーの点滅を言祝いでよろしいのだが、不安なことに今年の秋には「恐怖の役職者選挙」がある。
教務部長職を2期4年勤めたのであるから、せめて残る2年だけは無役で、じっくり最後の教育活動に没頭させていただきたいと切望しているのだが、楽観は許されない。
秋になると選挙前の恒例の「ネガティヴ・キャンペーン」が始まる。
通常の「ネガティヴ・キャンペーン」は対立候補に票が入らないように画策するのであるが、本学の場合は自分に票が入らないように風評を流すのである。両親が老齢で介護に忙殺されているとか、家庭不和で不眠の日々が続いているとか。
選挙が近づくと、50代の同僚たちは、廊下ですれ違うたびに「いやあ、最近調子が悪くて、もう出勤するのがやっとで・・・」とため息をついて、足を引きずりながら歩み去る。よそから来た人は、なんという不景気な顔の人ばかりの大学かと驚かれることであろう。

兄ちゃんにお別れして、京浜東北線に乗って東京へ。
丸ビルのイタリアンで、今度は『オール讀物』の企画で、鹿島茂さん、三砂ちづるさんと抱腹絶倒「マッチメイク」鼎談。
これはぜひ雑誌を買ってお読みいただきたい。
その中で「ダンパ」という風俗の変遷について鹿島さんが話されたことが興味深かった。
あまりにコアな話題なので、たぶん誌面には載らないだろうから、ここにご紹介するのである。
鹿島さんは68年入学である。
大学に入るとすぐに「ダンパ」の誘いが各種団体から新入生におしよせる。
社交ダンスであるから、ダンパの前にシロートのための「講習会」がある。
駒場の同窓会館や代田橋公民館でダンス部主催の講習会が行われる。
東大生は男子ばかりなので、トン女やポン女から女子学生がパートナー役にリクリートされてくる。
そこでダンス部員指導のもとにレッスンをするわけであるが、これがもう本番のダンパが催行されるより前に、この講習会でばたばたと「できちゃう」んだそうである。
「だってさ、女の子の身体をぐうっと抱きしめるわけでしょ。密着しないと踊れないんだから」
なるほど。
そういうわけで、コンラート・ローレンツの鵞鳥(だったか家鴨だったか)の幼鳥と同じく、大学一年生の男女は生まれてはじめて「ぎう」っとしたりされたりした異性を「宿命の人」と思い込んで、あともどりのきかない恋の道に突き進んでゆくのでした・・・
というお話である。
「だから、その頃はみんな結婚できたんですよ」
なるほど。
でも、そのあとすぐ7月に駒場への機動隊導入があり、大学は一気に政治一色に染まり、「ダンパ的なるもの」それ自体がキャンパスからかき消えた。
私は鹿島先生の2年後の入学である。
70年の五月祭も「ダンパ」はあった。私は空手部員として会場警備をしていたのである。
しかし、それはもうあまり祝祭的な「歌垣」のようなものではなくなっていた。
入学直後の4月5月は「6月決戦」を呼号するお兄ちゃんたちで学内は騒然としており、「ダンス講習会」のようなものに参加する学生はいなかった(いても、目の血走った同級生たちから「プチブル的享楽への召喚を階級的に糾弾」されることは免れなかったであろう)。
私は五月祭のダンパで女の子をナンパしようとしていたおそらく最後の「狩人の世代」の一人である。
「モヒカン族の最期」みたい。
私はそこでトンタンの女の子と、お茶大の数学科の女の子とダンスをした(警備はどうした)。
その顛末については先般不思議な話をご紹介したことがあるので、ここでは繰り返さない。
でも、40年近く前の数分間のダンスのことをそれだけはっきり記憶しているというのは、「ダンパ」がやはり私たちの世代にとっては「ローレンツの家鴨」的にインパクトの強い経験だったということであろう。
とまれ、この鼎談はたいへん面白く、かつ深い人類学的知見にあふれたものとなったので、どうぞみなさん『オール讀物』読んでくださいね。

鼎談を終えて、みなさんにお別れしてから、羽田空港へ。そこから福岡空港へ飛ぶ。
福岡日航ホテルに投宿。
お風呂にはいって、ビールを飲んで、今夜は『文七元結』を聴きながら眠る。

2008.08.03

死のロードが終わった

7月27日に始まった、死のロードがようやく終わった。
8月1日、佐賀教育センターでの講演。
博多で一泊して、佐賀へ。
佐賀は静かできれいなところだった。
佐賀の先生たちはまことに熱心に耳を傾けてくれたので、こちらもつい気合いが入り、「あんなこと」や「こんなこと」を口走ってしまう。
佐賀から博多経由で新神戸。
家に戻ると9時過ぎ。
長い旅であった。
翌2日は神戸女学院大学新制大学認可60周年記念講演会&シンポジウム「虫と人間」。
ゲストは養老孟司先生。
養老先生の基調講演のあと、いつものトリオ(甲野善紀、島崎徹、そして私)プラス本学の誇る「虫屋」(ご専門は蜂)の遠藤知二先生を加えて、どうして人は虫を観察したり、捕虫網をもって虫を追いかけ回したりするのであるかという根源的な問いについて語り合う。
私の考えはこうだ。
おそらく、人間は「ヒューマン・スケールを超えたもの」(極大であれ極小であれ)に触れることによって、「人間とは何か」ということへの理解を深める。
脳化した社会には「ヒューマン・スケール」で考量できるものしか存在しないし、存在することが許されない。
だから、あまりに人間的な社会になじんだ人間たちは、「人間の世界でのみ価値があり、それ以外のところでは無価値なもの」をどうして人間たちはつくりだしたのか、そのおおもとの理由がわからなくなる。
ベルナルダン・サン=ピエールは海に沈む日没を凝視しているうちに「神」を実感した。
その感じが私にはわかるような気がする。
本邦にも「日想観」という浄土信仰の儀礼が存在する。
でも、日没のうちに神は存在しない。
神は人間たちの世界にしか存在しない(ゾウムシの世界にも素粒子の世界にもブラックホールの中にも神はいない)。
しかし、人が神の存在を確信するのはむしろ「そういうもの」に触れたときである。
アポロ計画に参加した宇宙飛行士たちのうちかなりの人々はそのあと信仰の道に入った。
「人間がいない世界」に足を踏み入れたときに、彼らはおそらく「人間だけしかいない世界」のかけがえのなさを自覚したのである。
人間とはなんと可憐な生き物であろうか、ということを思い知ったのである。
だからこそ、私たちは子どもたちが虫や花や鳥や動物や、あるいは星や雲や海や川の流れに触れる機会をもつことを「人間的成熟」のための必須の行程だと考えてきたのである。
「人間たちの世界」で人間的に生きるためには、「人間たちのいない世界」に定期的に触れている必要がある。
だから、養老先生は暇さえあれば虫とりに出かけ、池上先生は海中に潜って魚と戯れている。
そういうおまえは何をしているのだと訊かれるかもしれない。
私は毎日自分の「脳」を内側から眺めている。
脳は「人間的意味」を構成する基盤であるが、それ自体は何百グラムかの細胞のかたまりであり、神経細胞のあいだを電気信号がゆききするだけの「人間のいない世界」である。
人間の思考が人間的次元を生成する。
だが、人間の思考が生成するプロセスは人間的次元には属さない。
それはモノのレベルにある。
「人間的なもの」がつくりだされる当の生成装置の複雑怪奇な動きをぼんやりみつめて時間を忘れている私のありさまは、虫の動きをじっとみつめて時間を忘れている「虫屋」のありさまと本質的にはそれほど変わっていないはずである。
シンポジウムは爆笑のうちに終わり、そのあと芦屋川のベリーニで、三宅先生の「カルマ落とし」スポンサーシップによる大打ち上げ宴会。
このメンバーが信じられないほど濃かった。
養老孟司、池上六朗、光岡英稔、名越康文、甲野善紀、島﨑徹、遠藤知二、甲野陽紀、足立真穂、三宅安道・・・
これだけ濃いメンバーが一堂に会する機会は今後もおそらくないであろう。
講堂を埋め尽くして盛り上げてくださったみなさん、応援ありがとうございました。入学センター、企画広報の平山課長、長谷川さん、住野大学事務長、そして川合学長、イベントが無事に済みましたのもみなさんのおかげです。ほんとうにどうもありがとうございました。

2008.08.04

眠いです

養老先生と足立さんをケンウッド館からJR西宮まで送って、家に戻る。
そのまま二度寝。
午に起き上がって、新聞を読みながらお蕎麦を食す。
お腹が膨らんだので三度寝。
夕方起き出して、いくらなんでもこれはまずいというので、少しだけ家の中を片付け、買い出しに行き、風呂に入る。
風呂から上がるとカンパリソーダが飲みたくなったので、ベランダで飲む。
アルコールがはいったとたんにはげしい脱力感が訪れ、そのままソファに倒れる。
1時間ほどぐったりしてから、気を取り直して三宮までご飯を食べにでかける。
トンカツが無性に食べたいのだが、自分で作る気力が起きないのでやむなくの外食である。
「門」のトンカツ定食を食べたら、すこし人間らしくなってきたので、また家に戻って、TSUTAYAで借りてきた「エイリアン対プレデター2」を観る。
あまりのくだらなさに呆然とするが、「あまりのくだらなさに呆然とする」ような映画が観たくて借りたDVDであるから、期待通り。
それにしてもハリウッド・バカ映画の小学生度の昂進はほとんど感動的ですらある。
たぶん純粋に興行的な理由(「R15」指定を受けたくない)があって、ハリウッドのプロデューサーたちはフィルムメイカーたちに「小学生でも観られる」映画を作れ、と厳命しているので、こういう結果になるのであろう。
70年代の過剰に暴力的で、ストーリーが不条理で、女の子たちがすぐに裸になる、あのざらついた手触りのアクション映画に出会うことがほんとうに希になった。
今日はゑぴす屋さんの仕事で『ハンコック』の試写会。
前月は『スピードレーサー』、その前月は『インディ・ジョーンズ4』。今日だってロバート・ダウニーJrがスーパーマンになる『アイアンマン』かウィル・スミスがスーパーマンになる『ハンコック』かの二者択一のなかでの苦渋の選択である。
ハリウッド映画の幼児志向がアメリカ社会そのものの幼児化を映し出しているのでなければよいのだが。
バカ映画をみているうちにはげしい睡魔が襲ってきたので、そのまま四度寝。
寝ていると全身の細胞から「疲労物質」が血中に溶け出してゆくのがわかる。
あと二日ほど休養しよう。

2008.08.05

北京オリンピックに思うこと

今朝の新聞を読んだら、新彊ウイグル地区で爆弾テロがあった。
北京オリンピックは果たして無事に開催されるのであろうか。
毎日新聞に三ヶ月おきに書いている「水脈」という時事エッセイの締め切りなので、そのことについて書く。
北京オリンピックについては、二ヶ月ほど前にTBSの報道研究誌に寄稿を求められて、少し長めのものを書いたことがある。
あまり人目に触れる機会のない媒体であるから、その後半部分をここに転載しておく。

友人のビジネスマン平川克美くんは「中国人が北京オリンピックで失うものは、日本人が東京オリンピックで失ったものの10倍規模になるだろう」と予測している。私の実感もそれに近い。
中国の人々が北京オリンピックで失うものは私たちの想像を超えて巨大なものになるだろう。
こういう国家的イベントによって失われるものは「かたちのあるもの」ではない。むしろ、「かたちのないことが手柄であるようなもの」である。
日本の場合、それは「何となく風通しのよい敗戦国の脱力感」であった。中国の場合、それに相当するのは何だろうか。
考えてみたが、それは「貧しさとつきあう知恵」ではないかと思う。
端的に経済的に「金がない」ということではなく、貧しさを致命的なものとさせないための「生活の知恵」がこれまで中国にはあった。少なくともそのような「生活の知恵」が必須であることについての国民的合意はあった。
それが失われるのではないかと私は思っている。
「貧しさとつきあう生活の知恵」とは、「貧しさに対する共感」「貧しさに対する有責感」と言い換えることもできる。それは、貧しい人を見ていると、彼らを「私の同胞だ」と感じ、「偶然の幸運が私をそこから引き上げることがなければ、私もまたこのような赤貧のうちで苦しんだかもしれない」というしかたで想像力が働き出し、それゆえに、「この人たちを救う個人的な責務が自分にある」と感じることである。
もちろん、このような共感や有責感に実定的な根拠はない。なんとなくそう感じられるというだけのことである。けれども、貧しい人々がそれでも人間的尊厳を維持して生きるためには、この種の「錯覚」が国民的規模で根づいていることがどうしても必要である。
二十世紀の中国にはそのようなエートスが、少なくとも「そのようなエートスがなくてはすまされない」という考想がたしかにしっかりと存在していたと思う。魯迅や孫文や毛沢東が中国人に根づかせようとしたのは、そのような心性である。その歴史的実験はある程度の成功を収めた(そうでなければ、革命は成就しない)。
それが失われ始めた時期ははっきりしている。それは、鄧小平の「改革・開放」政策からである。鄧小平のこの政策を特徴づけるのは「先富論」という考え方である。
ある特定地域に資本と技術と労働者を集中させる。そこに経済活動の拠点ができ、そこに富が集中する。すると周囲の貧しい地域はその「余沢」に浴することができる。だから、まずどこかを誰かを突出させて富裕にすることが、全体が富裕になるための捷径である、というのが「先富論」の論理構成である。
みんなを貧乏でなくすためには、誰かひとりをまず金持ちにさせればよい、という考え方である。
不思議なロジックであるけれど、これは「中華思想」というイデオロギーから派生したものだから、実は中国人にとってはなじみがよい。
古来、中原には中華皇帝がいて、すべての権力と財貨と文化はそこに一極集中する。そこから「王化」の光があまねく「王土」に同心円的に拡がるのである(その外側には「化外の民」が蟠踞している)。
中華皇帝に一極的に集中されるリソースが巨大であればあるほど帝国の威信は高まり、結果的に皇民たちが享受できる「王化の恩沢」も増大する。だから、全員が文明を豊かに享受するためには、文明の精華を一人に集中させるのが効率的である、とするのが中華思想である。
繰り返し言うように私たちには理解のむずかしいロジックであるが、中国人は数千年来、この考え方に深く親和している。
毛沢東の「農村が都市を包囲する」革命論や「いま、ここ、私において、すべての知識と技術は体現されなければならない」という紅軍兵士論は、中国の歴史の中ではきわめて例外的なものだと私は思っている。孫文の三民主義から毛沢東の大躍進や文化大革命にかけての中国が「例外」だったのであり、鄧小平の改革開放論は清朝末期の洋化政策とほとんど地続きである。私はそう思っている。
先富論は中華思想の忠実な現代ヴァージョンである。だから、北京オリンピックもこの先富論の延長上に構想されている。
北京に国際社会が度肝を抜かれるようなハイパーモダンな都市を建設する。2008年時点で中国人が所有しうる最高に現代的なものを北京に集中させる。ハイパーモダンでない要素は「北京外」に掃き出す。
SF的想像をしてみるとわかるけれど、これは「西太后が北京オリンピックを主催した場合にしそうなこと」そのものである。
私たちは北京と北京外との文明的な落差を、ハイパーモダンな中国と前近代的な中国の悲しむべき位階差と理解するけれど、これは私たちの読み方が間違っているのである。そうではなくて、「2008年の北京」は全中国人がいずれ享受することになる物質的豊かさを先取りした予兆的な記号として読まれなければならない。少なくとも中華思想と中国政府当局は国民たちに事態をそう読むことを要請している。
北京オリンピックは沿海部に富を偏在させた鄧小平の先富論のさらに昂進した形態、すなわち一極にすべての富と情報と文化資本を偏在させ、それによって中国全体の底上げを図る「ハイパー先富論」の実験である。
このアクロバティックな政略が果たして成功するのかどうか。私は懐疑的である。
鄧小平の先富論が成功したのは、一つには富が集中するエリアをかなり「広め」に取ったからであり、一つには、地方から都市に出て来て学歴を積み上げたり、ビジネスで成功したりした人々が「故郷に錦を飾る」という美風がまだ残っていたからである。それによって沿海部に偏った富は内陸部にも還流した。
けれども、「郷里に残された貧しい同胞」を救うことを動機づける「貧しさに対する共感」や「貧しさに対する有責感」は、「私もまたかつては貧しい人間であったし、これからも貧しい人間になることがありうる」という想像力なしには存立しない。鄧小平の時代までは、そのような想像がそれでもリアルだった。けれども、それから30年が経った。今の若い中国人の中に「私もまたかつては貧しい人間であったし、これからも貧しい人間になることがありうる」という想像力の使い方が身になじんだ人はもう昔ほど多くない。貧しさを一度も経験したことがなく、それを特別なことだと思っていない若い世代が急速にその数を増している。彼らに向かって、「貧しいものはあなたの同胞だ」と告げても、その言葉はあまり説得力を持たないだろう。その一方で、富を一極集中することの緊急性だけは国論として統一されている。
だが、こんなふうにして、「貧しさに対する共感」「貧しさに対する有責感」を涵養する教育的インフラを置き去りにしたまま、「富が一極に集中することはよいことだ」というメカニズムだけがひたすら昂進した場合、中国社会はどうなってしまうのであろう。
清末の洋化政策はみじめな失敗に終わった。それは、為政者たちには「強力で近代的な軍隊や社会的インフラを整備すること」の喫緊であることへの理解はあったが、それを動機づけたのが外国の侵略に苦しんでいる同胞の痛みへの共感や有責感ではなかったからである。彼らは「中華」の凋落を恐れただけである。だから中華は凋落した。
毛沢東がアヘン戦争以来100年の屈辱を晴らして、中国に国際的威信を回復させた事実は、その無数の失政を差し引いても評価されなければならない。そして、それを可能にしたのは、「貧しい同胞への愛と共感がすべての施策を動機づけなければならない」という原理を(実行されたかどうかは別として)毛沢東は譲らなかったからである。
先富論はたしかに原理的には効率的な分配のために構築されたメカニズムであった。私はその点では鄧小平の善意を信じている。けれども、「貧しさへの共感」「貧しさへの有責感」を失った先富論は効率的な収奪を正当化するイデオロギーに転化する。そのことの危険性に当代の中国の為政者たちはどれほど自覚的であるか。あまり自覚的ではないような気がする。
私が北京オリンピックについて感じる不安はこの「富の収奪と偏在を正当化するイデオロギー」の瀰漫に対してである。
北京オリンピックでは伝統的な街路である胡同(フートン)がそこの住民のライフスタイルこみで取り壊されたけれど、そのことに対する懐旧や同情の声は中国メディアではほとんど聴かれなかった。こんなふうにして、オリンピックを機に北京から中国の前近代性をはしなくも露呈するような要素は一掃されるのであろう。けれども、それと同時に「中国の前近代性をはしなくも露呈するような要素」に対する哀惜と懐旧の気分もまた一掃されるのだとしたら、私は中国人に対して、その拙速を咎めたいと思う。
私たち日本人もまたそんなふうにして、失うべきではないものを捨て値で売り払ってしまった。それがどれほどかけがえのないものであったのかを私たちは半世紀かけてゆっくり悔いている。
貧しさ、弱さ、卑屈さ、だらしのなさ・・・そういうものは富や強さや傲慢や規律によって矯正すべき欠点ではない。そうではなくて、そのようなものを「込み」で、そのようなものと涼しく共生することのできるような手触りのやさしい共同体を立ち上げることの方がずっとたいせつである。私は今そのことを身に浸みて感じている。
私のこのつぶやきが隣国の人々に届くことはおそらくないだろう。けれども、北京オリンピックをビジネスチャンスや純然たる享楽の機会として心待ちにする日本人たちと、北京オリンピックによる中国の国威発揚がわが国の相対的な地位低下をもたらすことを恐怖して、オリンピックの失敗を祈っている日本人たちに立ち混じって、北京オリンピックが中国人にもたらすかもしれない災厄ができるだけ少ないことを祈っている日本人が少数ながら存在することを証言するために、寄稿依頼を奇貨としてここに書き記すのである。

2008.08.06

感情教育

ようやく夏休みらしくなってきた。
今日は朝日新聞の取材が一件あるだけ。
朝からゲラをさくさくと片付ける。『現代霊性論』の初校がほぼ終わりが見えてきた。
それでも机の横にはゲラが高さ30センチほど積まれたままである。
4冊分か5冊分あるらしい。
そんなに本を出してどうするのであろう。
私の本の書評に「どれも同じ内容である」ということを以て難じる方がおられるが、そんなことは言われなくても書いている本人がいちばんわかっており、かつ困惑しているのである。
月刊誌なみのペースで単行本を出していれば、内容が同工異曲というよりはほとんど同工同曲となるのは勢いのしからしむるところである。
そんなに本を出す必要はない、せいぜい2年に1冊くらいでよろしいのではないかとほとんどすがりつくように申し上げているのであるが、編集者たちはこの懇願にまったく耳を貸す様子がない。
彼らは口を揃えて「たしかに他の出版社の本は(無内容な本なので)出す必要がないが、うちの本は(例外的に内容のある本だから)早急に出す必要がある」というものである(かっこ内は発語されない「内心の声」)。
だが、なぜ、あなたのところの本だけ例外的にクオリティが高く、他の出版社の本はそうでないと言い切れるのか。
同一著者が書いている限り、どの本も同じ程度のクオリティであり、そのクオリティは発行点数が増えるにつれて低下するということは自明のことである。
私を急かせばそれだけ全出版社が「ババをつかむ」リスクが増すということである。
出版社サイドは書き手が一人「ババ」をひりだして「ツブレ」ても、代えはいくらでもいるのだから、「じゃ、次、行こうか」で済むが、私は「ババひり男」として残る生涯を恥のうちに生きなければならぬのである。

ある学会誌から書評を頼まれた。
本を送っていただいたのでぱらぱらと読んだが、驚くべきことに最初の20頁を読んだ限りでは、そこに何が書いてあるのかまったく理解できなかった。
こういう場合には解釈の可能性が3つある。
(1) たいへん内容が高尚かつ難解であり、私程度の頭では理解が及ばない
(2) 専門家にとってはそれほど難解でもないのだが、私の専門ではないので、理解が及ばない
(3) 誰が読んでも誰にもよく意味がわからない
どの場合でも私が書評を担当するのはまことに不適切な人選であるということにはどなたもご同意いただけるであろう。

昼過ぎに朝日新聞の取材が訪れる。
「父を語る」というシリーズ記事のためのインタビューである。
父親がどういう人であるかということが、この年になってようやくだんだん分かってきた。
七回忌をすませた頃になって、死者のことが「だんだん分かってくる」というのも奇妙な話であるが、死者の相貌は死んだ後もゆっくりと変化してゆくのである。
私たち兄弟が父親から受け継いだきわだった資質は「感情を抑制すること」であるという話をする。
私が「感情を抑制する」人間であると聴くと驚く人がいるかも知れないが、実は驚くべきことに私は喜怒哀楽の感情を外に出さないことに心理的資源の大半を日々費やしている人間なのである。
私の内面に渦巻く感情の激烈さは「こんなもの」じゃない。
それを力ずくで抑制して「こんな程度」に収めているのである。
若い頃は「ウチダは自分の感情をあらわにしない。思っていることをそのまま口に出して言ったらどうか」と多くの人に責め立てられたものである。
でも私はその忠告に従わなかった。
私が感情的発言を抑制したのは、そうしたらみんなが私から遠ざかってしまうことがわかっていたからである。
私は内心を吐露することよりも「みんなといっしょに楽しくやりたかった」のである。
それでいいじゃない。
「自分を偽ってでもみんなと仲良くしたい」というのが私の根源的趨勢であった。
だとすれば、その趨勢をこそ「自分」と呼ぶべきであろう。
その程度のことで「偽る」ことが可能であるならば、それはもともと「自分」と呼ばれるに値しない幻想的なセルフイメージだったのである。
私は感情を抑制することで、おのれの欲望に忠実たらんとしていたのである。
この「感情を抑制すること」で欲望を実現するという戦略を採用する人は今少ない。
感情を剥き出しにすることが人間の社会的ありようとして「望ましいこと」だとされているからである。
だから、逆に「感情を剥き出しにすること」を自己の欲望の実現のために戦略的に使う人が増えてきた。
昔と逆になったのである。
どちらがよいということでもない。
ただ、「感情を剥き出しにすることで自己の欲望の実現をはかる」という戦略は(その幼児的様態を含めて)飽きられ始めているということはあるような気がする。
私たちの国では、ことの良し悪しよりも「飽きられている/いない」という基準の方が社会的行動を律する力が強い(変わった社会である)。
だから、遠からず、私たちの国にも「感情を抑制する」方法を学ぼうとする若い人たちが少しずつ増えてくるだろう。
先人の風儀を彼らに伝えるまでは長生きしたいものである。

2008.08.07

「著者様」と呼ばれて

とある進学教室から「著作物の無断使用についてのお詫びとお願い」という文書が届いた。
塾内教材として、これまで私の著作物を何度か使用していたが、「この度、他の著者様から著作物の無断使用についてご指摘をいただきまして、社内で調査致しましたところ、先生の作品を過去に無断で使用していた期間がございましたので、過去の使用についてご清算をさせて頂きたく、書類をお送りさせて頂きます」とあった。
6万円ほどの著作料が入金されるそうである。
何もしないで6万円いただけるのはありがたいが、何となく気分が片づかない。
何もしていないのに、そんな大金をいただく「いわれ」がないような気がするからである。
そもそも「著者様」というワーディングが「怪しい」。
なくてもいいところに「様」がつくときは眉に唾をつけることにしている。
何年か前から病院では「患者様」という呼称が厚労省の行政指導で導入された。
そのあとどういうことが起きたか。
ある大学病院の看護部長からうかがった話である。
「患者様」という呼称が義務づけられてから、
(1) ナースに対する暴言が激増した。
(2) 無断外出、院内での飲酒など患者たちの院内規則違反が激増した。
(3) 入院費を払わない患者が激増した。
そのようにして「医療崩壊」に拍車がかかった。
これは事実だろうと思う。
人間というのはまことに愚かな生き物だからである。
「様」と呼ばれると、とたんに増長して、自分が偉くなったような気になり、言わなくてもいいことを言い、しなくてもいいことをしたあげくに、自分で自分の首を絞めるのである。
だから、私自身は私のことを「著者様」と呼ぶ人間を信用しない。そのような呼び方を彼らに強制する「社会の雰囲気」を信用しない。それによってもたらされる「正しさ」も「利益」も信用しない。
この6万円はまるで「濡れ手で粟」の純利のように見えるけれど、こういうものをうかつに収受してしまうと、いずれ別の形でたっぷり「利息」をつけて回収されることになる。
私の経験はそう教えている。
私自身は繰り返し申し上げているように、自分の著作物からの引用は「無償で、ご自由に」という立場を取っている。
引用どころか盗用も剽窃も改作も、「ご自由に」である。
私の名前で自分勝手なことを書いて発表されては困るが、ご自分の名前で私のテクストの一部または全部を発表されるのはぜんぜん構わない。
私にはぜひみなさんに申し上げたいことがある。だから文章を書いている。できるだけ多くの人に、できるだけ多くの機会に申し上げたいことがある。
とても私ひとりでは手が回らない。
だから、他の方々が「私が言いたいこと」を私に代わって言ってくださるのは大歓迎なのである。
入試や模試の問題に採択されるということは、私の書いた文章を微に入り細を穿ち、眼光紙背に徹するまで読み通し、その意図するところを汲み取ることを義務として課されるということである。
受験生にとってははなはだ気の毒なことであるが、出題される私としては、私の「言いたいこと」をこれほど集中的に読んでいただける機会は求めて他に得られない。
もし、その中に私の微志に同意共感してくれる読者がいた場合、彼らはそのあと書店の書棚から私の本を手に取ってくれる可能性がある。
だから、入試問題や模試に出題されることを私は衷心から歓迎しているのである。
私の著作物を「本編」とすれば、塾内教材は「予告編」のようなものである。
こちらからお願いしていないにもかかわらず、「予告編」をばんばん打って、「本編」の宣伝をしてくれているのである。
「ありがたい」というのが私の率直な気分である。
だからもし予備校や進学塾から「ウチダさんの著作物を塾内教材に使ってあげたから、使用料払ってください」と言われたら、一回500円くらいならこちらからお払いしてもよいと思っているくらいである。
日本文藝家協会の方々の中はこんなことを言うと激怒される向きもおられるであろうが、暴言ご宥恕願いたい。
さらに言うが、著作物を有料頒布するのは、著作物が「商品」であるからではない。
有料頒布した方が、無料頒布するよりも、著作物の質的向上のためにも、流通や保存のためにも、あるいは著作者へのインセンティヴのためにも、「利益が大きい」と判断されたからこそ、「あたかも商品であるかのような仮象」をまとって存在しているのである。
だが、著作物はそもそも商品ではない。
商品はできるだけ多くの対価と交換されることを志向する。
だから、もし著作物が商品であるとするならば、「印刷された著作物をすべて即金で買い上げて焼却し、一冊だけ手元に残し、私ひとりがその世界で唯一の読者となりたい」というようなオッファーが示された場合に、これを断るロジックは存在しないことになる。
「著作物をできるだけ多くの読者の閲覧に供したい」と考えている人間なら、このようなオファーは一顧だにしないであろう。
「著作物をできるだけ多くの読者の閲覧に供したい」という願いと、「著作物からできるだけ多くの利益を回収したい」という願いは残念ながら、しばしば背馳する。
そのときにためらうことなく前者を選ぶことのできる人間を「クリエイター」だと私は考えている。
私は今回は黙って6万円を受け取ることにする。
これまでも予備校や問題集の出版社からもずいぶん大量の入金があった。
私はいずれこの「ツケ」を支払わされるときがくるだろうと思っている。
それは私個人にふりかかる災厄としてではなく、日本の出版文化の構造的解体という国民的災厄のかたちで私たちを襲うことになるだろう。


2008.08.08

大学が生き延びるために

いつも大学情報を教えてくれるコバヤシさんから、「ちょっとショッキングな話」を教えていただいた。
大阪府吹田市のある大学(気の毒なので名を秘す)に、08年、現代社会学部が新設された。
しかし、来年(09年)、この学部は募集停止になる。
おそらく大幅な定員割れだったと想定される(受験者は20人余。入学者は非公開)。
もう一つ、これも関西のある大学の話。
この大学は08年度から人間教育学部を新設した。
1966年に開学したときの文学部を94年に募集停止して、国際文化学部を設置(文化学科、言語コミュニケーション学科)。02年に情報コミュニケーション学科を設置した。
文学部から国際文化学部への事実上の改組であるが、それも12年しか保たなかった。
06年に国際文化学部が募集停止。そして人間教育学部に衣替えしたのである。
冷たいことを言うようだけれど、この人間教育学部も長くは保たないように思う。
これらの「負け方」には共通性がある。
それは「トレンドを追う」ということである。
他で成功した事例を真似する。
これは三流のビジネスマンが大学経営にかかわった場合に必ずやることである。
これは経営学では「好天型モデル」と呼ばれる。
マーケットが拡大してゆく局面では、「柳の下の二匹目三匹目の泥鰌」を狙うのは成功の確率の高い選択である。
けれども、成功確率が高いのは、マーケットが安定的に拡大してゆく場合に限られる。
マーケットそのものがシュリンクしてゆく局面(ふつうのビジネスマンはそのような条件を想像しない)では「他にそっくりなものがいくつもある個体」にはそうでない場合よりも強い淘汰圧がかかる。
このことを三流のビジネスマンは理解していない。
理屈ではわかるのかもしれないが、どうしていいかはわからない(彼ら自身がそのキャリアパスにおいて、かつて一度も「余人を以ては代え難い人間」になるべく自己形成した経験がないからである)。
三流のビジネスマンというのは「イエスマン」であり、「物まね小猿」であり、その能力で「今日の地位」を築いた。
人は自分の成功体験の汎用性を過大評価する傾向にあるから、そういうビジネスマンが大学経営に関与すると、「他の大学がやって成功したことをそっくり真似する」ことしか思いつかない。
大学淘汰が言われ始めた頃から、どこの大学でも「実務経験者」を大学経営に迎え入れた。
彼らは教育をビジネスだと考えた。
何度もいうようにそれは違う。
ビジネスにおいてマーケットは原理的に無限大であるが、教育はそうではない。
例えばパソコンのようなものは一部の消費者(私のような)のほとんど病的な「新型買い換え行動」によって(あるはずのない)ニーズを作り出している。
私はここにカムアウトするが、私は買ったばかりのPCをそのまま使わずに捨てたことが二度ある(次の機種に目移りしてしまったため)。
私のような愚かな消費者に照準しているかぎり、マーケットは原理的に無限である。
しかし、大学はそのような種類の「商品」ではない。
大学にはふつう「一生に一回」しか通わない。
「今年早稲田の政経を出たから、次は帯広畜産大でも行くか」というような消費行動をふつうの人間はしない。
「18歳人口×進学率」が定められたマーケットサイズであり、マーケットをそれより大きくすることは(社会人大学院とか通信教育とか、多少の余裕は見込めるが)原則として不可能である。
大学のマーケットは有限であり、かつ基数になる「18歳人口」が急減している。
私たちが分け合うことのできる「パイ」は確実に縮んでいる。
繰り返し言うが、ビジネスマンの中に「マーケットがシュリンクする状態でどうやって経営を維持するか」ということをまじめに考えた人間はほとんどいない。
資本主義的には「シュリンクするマーケット」などというものは「存在すべきではない」ものだからである。
だから「シュリンクするマーケット」の中でも、他の大学の成功事例を真似するという戦略を採用する。
その場合に何が起こるか。
それは「非情にまでに正確な格付けが可能になる」ということである。
それ以外の条件が同一であればあるほど格付けの精度は相関する。
「似てないもの」を比較することはむずかしいが、(「らっきょう」と「たんつぼ」ではどちらが有用性が高いか、というような問いには誰も答えられない)。
だが、「似ているもの」を比較することは容易である。(「他の条件がすべて同じである場合、年収1000万の男と、年収999万円の男では、どちらが配偶者として適しているか?」という問いの答えを逡巡する人はいない)。
だから、他の成功事例を真似て「似たような大学」になったとき、後続の大学はそれと知らずに「異常に精度の高い格付け」リストに進んで自己登録してしまったのである。
先に挙げた大学における劇的な受験生の減少は、それらの大学が「どの程度の大学だかよくわからなかった」状態から「どの程度の大学であるかがはっきり比較考量可能になった」状態に移行したことの結果である。
その結果、わずか1ポイントの格付け差が「言い逃れの通じない」相対的劣位の指標となったのである。
ほとんど同程度、同内容の大学でありながら、わずかな入学者偏差値の差、わずかな就職率の差、ついには卒業生にどんなタレントがいるか、最寄り駅に特急が停車するかしないかというような教育内容とほとんど無関係な指標によって、「似たような大学」は受験生によってきっぱりと差別化されてしまう。
規格化・標準化というものはできるなら避けるべきであると私はつねづね申し上げているが、それは、個体の「ツブ」が揃ってしまうと、個体間のごくわずかな量的差異が、死活的な差異に読み替えられる危険があるからである。
リソースが有限なときには「エコロジカル・ニッチ」を分散化する、というのが生物の生存戦略の基本である。
危機的状況においては、「他の個体と比較考量しにくい形態や行動様式を採用する」。
これはいろいろな現場でいろいろな種類の「やばい状況」をくぐり抜けてきた人にとっては、かなり信頼できる経験則である。
大学淘汰の時代が始まったと予告されたときに、一部の大学は「他の大学と比較考量しにくいニッチ」を選んだ。多くの大学は「他の大学の成功事例を真似た」。
文科省が提唱した「GP」というのはまさにそのようなものである。
「成功事例(Good Practice)」集を作るから、それを真似しろと文科省は全国の大学に命じた。
生き延びるためには「人の真似をしろ」というのはいかにも(そのようにして今日の地位にたどりついた)日本の官僚が思いつきそうなことである。
だが、凡庸な官僚や三流のビジネスマンは「人の真似をする」方がリスキーで、「人と違うことをする」方が生き延びるチャンスが高い状況というものがこの世にあるということを知らないかあるいは知りたがらない。
けれども、「前例がありません」という言葉がつねに何かをしない(させない)ときの合理的な論拠になると信じている人たちには生き延びることのむずかしい状況がこの世には存在する。
とりあえず現状を見る限り、「他と違うことをする大学」の方が「成功事例を模倣する大学」よりは生き延びるチャンスが残されているように私には思われる。
「生き残りゲーム」はまだまだ続く。
この段階になると、「どうやら他の大学の真似をしない大学の方が生き延びるチャンスが高そうです。どうです、一つ本学もそういう大学の成功事例を見習っては・・・」というようなことを言い出す大学人が出てくるだろう。
あのね、それが敗因なんですってば。

2008.08.10

『学び合い』フォーラム

8月8日、9日は新潟に「第四回教室『学び合い』フォーラム2008」の講演に出かける。
『学び合い』というのは上越教育大学の西川純先生が提唱しているきわめて斬新な教育法である。
小中学校において劇的な効果を上げて、今全国の教室に拡がり始めている。
フォーラムはその実践者(およびこれから実践しようとしている)教員たちが日本中から集まって、公開ゼミや模擬授業をするというイベントである。
と、わかったようなことを書いているが、そんなことは行くまで知らなかった。
教育現場からのお声掛かりであれば、できるかぎり講演のオッファーは受諾すると言っている手前、引き受けたものの、「この暑い中、新潟は遠いなあ」とぐったりしながらでかけたのである。
行ってびっくりした。
教師たちの集まりにはずいぶんお呼びいただいたけれど、正直言って、聴衆の熱意には天と地ほどの差がある。
ぼんやり講壇を見ているだけで、寝ている人間もいるような集まりもあるし、何を言っても大受けする集まりもあるし、前の方に並んだ人たちが私を「はった」と睨みつけている集まりもある。
先日の某所での講演はまるで「コンクリートの壁」を前に話しているような感じであった。
何を言っても反応がない。
私の話を聴いているのか聴いていないのか、それさえわからない。
たぶんこの先生たちの教室はあまりうまく行ってないだろうと思った。
「人の話を聴く」というのは、かなり高度な能力だからである。
だって、聴いているだけなんだから。
何か言う度に「異議なし!」とか「よ、大統領!」とかけ声がかかるわけではない。
黙っていて、ときどき笑ったり、息をついたり、どよめいたりするだけである。あとは、まなざしや座り方や腕の組み方や鉛筆の持ち方のような非言語的なシグナルで話している人間に対して「同意する」とか「よくわからなかったので、もっと詳しく」とか「それはどうかな」とか、さまざまなメッセージを発信する。
この非言語的なシグナルの送受信は教室で子どもたちと向かい合うときに必須の能力である。
非言語的なシグナルにも「語彙」があり「文法」がある。
子どもはそれを「非言語的シグナル送受信の熟練者」から習得する。だから、親や教師が「非言語的シグナル送受信の熟練者」であれば、子どもたちはすみやかにそれに習熟する。
互いにわずかなサインで意思疎通ができるようになれば、大声を出したり、走り回ったりする必要はない。
問題行動を起こす子どもも親たちはかなりの確度で「非言語的コミュニケーション」能力が低いと考えられる。
表情や声のピッチや語調やわずかな動作の変化をシグナルに使って複雑なメッセージを送受信する術を家庭で学習してこなかった子どもは「シグナルが読めない」。
問題行動というのはその集団の文脈になじまない行動のことだが、それは集団の文脈を熟知した上で、それに対して反対したり、批評的に構えたりしてなされているわけではない。私が知る限りでは、問題行動は「集団が採用している文脈が読めない」ことから派生する。
教場における問題の多くは「非言語的なシグナルを感知する力」の不足が原因で発生する。
私はそう考えている。
だから、あちこちで講演していて、教師という同職集団でありながら、場所によって彼らの「聴く力」に差があることに困惑するのである。
講演にきた人間に対して「私はおまえの話を聴きたくない」という弱い非言語的メッセージだけを送ってくる教師たちがときどきいる。
その前に立つと、私は深い疲労感に捉えられる。
おそらくこの方々は自分たちの教室で、それと同じメッセージを毎日子どもたちに送り、子どもたちからも送り返されているのだろう。
そのせいでおそらく「私はおまえの話を聴きたくない」というのが「デフォルト」になっているのである。
特に私に対して悪意や害意があるわけではないのだ。
「ふつう」にしているときに「私はおまえの話を聴きたくない」という微弱なシグナルをずっと発信しているのである。
そうなるに至ったのには、痛ましい事情があるのだろうから、それを責める気はない。
だが、それでも自分は「耳をふさぐ」構えをデフォルトにしているということはときどき意識していた方がいいと思う。
話を戻す。
『学び合い』フォーラムに集まった教師たちはきわめて「非言語的シグナル」の送受信能力の高い先生たちだった。
『学び合い』という教育実践そのものがアナウンスされてからわずか数年のものであり、上越教育大の西川ゼミが発信した実践報告がネット上で広まったのを「たまたまキャッチ」した教師たちがそれを自分の教室で実践してみようとした、というかたちをとって広まった。
ふつうは新しい教育方法が発案されて、実践されて、議論されて、検証されて、定着するまでには長い時間がかかる。
『学び合い』の場合はネット経由で急速に広まった。
だから、「たまたまキャッチした」という点ですでにスクリーニングがかかっている。
そういう情報を「たまたまキャッチしてしまう」教師とそういう情報をつねにキャッチし損ねる教師がいる。こういう情報感度にどうして差がつくのか私にはうまく説明ができない。
でも、何新しいことが生成している場に繰り返し「たまたま」出くわしてしまう人と、そういうことが身の上にさっぱり起こらない人がいるのは確かである。
「ここにあなたが学ぶべき情報がある」というアナウンスが明示的にされていなくても、「学ぶべき情報」に引きつけられる感覚というのは、人間の成長にとって死活的に重要なのである。
『学び合い』フォーラムはそのような感覚に例外的にすぐれた教師たちの自然発生的な集まりであった。
『学び合い』がどのような教育実践であるかは私が贅言を弄するより直接西川純先生の著書をお読みいただくとよいと思う。
私は西川先生から近著を二冊頂いたので、帰りの飛行機の中で一冊(『気になる子の指導に悩むあなたへ-学び合う特別支援教育』、東洋館出版社、2008)読んだ。
正直言って、読んで「ほんとうにこんなにうまくゆくのだろうか?」と疑問に思った(前夜西川先生から説明を聞いたときも「ほんとですか?」と思わず聞き返してしまった)。
しかし、統計的事実は『学び合い』の疑いようのない成果を示しているし、理論的にも瑕疵がない。
(1) 教師が一人で教えるより、子どもたちがお互いに教え合う方が「手」が多い
(2) 勉強がわからない子どもの気持ちは、教師よりも子どもの方がよくわかる
(3) 他の子どもに教えることで教科についての子ども自身の理解は深まる
これはその通りである。
私自身も講義ではそんなことはしていないが、合気道では(それと知らずに)『学び合い』を導入している。
稽古のとき、私はこれから稽古する技について、大枠の説明だけをする。
その日の稽古でとくに注意すべき点を「上級者」と「初心者」にそれぞれ一つずつ指示する。
あとは、お互いが「教え合い、学び合う」のをぼおっと眺めている。
個別的な指導はほとんどしない。
初心者同士が組んで、何をしていいのか二人ともわかっていないときは上級者同士の組をばらして、組み合わせを変えることがある。
ある段階から次の段階への劇的なブレークスルーの前で足踏みしている人には、一言だけ、きっかけになるような技術的なヒントを与える。
それだけである。
あとは一般論として、「こういうふうに考えてやるといいよ」ということをときどき全体に向かって言うだけである。
実は前は私自身も稽古の中に入って、技をかけ合っていた。
そうすると、自分の稽古に夢中になってしまい、全体が見えなくなる。
自分が混じって稽古していると、一種類の技にかける時間が微妙に長くなる。
そうすると私ほど夢中になっていない門人たちは今稽古している技にちょっとだけ「飽きて」くる。
ほんの数十秒でも、「技の替え時」と見誤ると、道場内のテンションが微妙に下がる。
そういうことが何度か繰り返されて稽古が終わると、「飽きた」という弱い印象を持って家に帰ることになる。
すると、その次の稽古に出かけようとしたときに、ちょっと体調が悪かったり、天気が悪かったり、少し急ぎの仕事があったりすると、「まあ、今日はいいか」と休んでしまう。
そういうことが何度か続くと、そのまま道場を止めてしまう。
道場内で事故が起こるのも、ほぼ90%、技に「飽きた」ときである。
そういうことがわかってから、自分が中に入って、ひとりひとり個別指導するというやり方を止めた。
全体を見ていて、みんなが「乗ってきた」瞬間を捉えて、技を替える。
「ああ、面白くなってきた、これをこうしたらどうなるだろう」と思って工夫を始めたところでぷつんと中断するのである。
当然、「ああもっと稽古したい」という気分が残る。
それを繰り返すと、3時間フルに稽古した後なのに、「ああ、もっと稽古したい」という気分が蓄積した状態のまま家に帰ることになる。
「十分に稽古したので満足した」というのがいちばんいい稽古の終わり方だとふつうは思うだろうが、それは違う。
「稽古し足りない。もっとしたい。さっき工夫しかけた技についてもっと研究したい。誰かこのあとも居残っていっしょに稽古してくれないだろうか」というふうになるのがほんとうはベストなのである。
そういう状態を維持するためには、私自身が稽古に満足してはいけない。
私自身が道場をうろうろ歩き回りながら「ああ、私も稽古に入りたいたい。畳の上でごろごろしたい」と身をよじるような渇望に焼かれていると、その渇望が門人たちにも「感染する」。
教えるものが教えることを自制することで、教わる側の「学ぶ」意欲が活性化するということはたしかにある。
「教えすぎる」ことは教育上うまくゆかないことは教師はみんな知っている。
「教えすぎない」というのはたいせつなことである。「教えたい」という衝動を抑制するというのはたいせつなことである。
私はそれを合気道の指導をつうじて学んだが、それは『学び合い』の原理に通じるもののよう思われる。
このへんの微妙な呼吸はまた違う機会にもう少し考えてみたい。
閑話休題。
その『学び合い』フォーラムに集まってきた日本各地のみなさんを前に「学びとは何か?」という演題で講演したのである。
非常にリアクションのよいオーディエンスであったので、ついドライブがかかって、「あんなこと」や「こんなこと」までしゃべってしまった。
まことに愉快な一日半であった。
熱心に『学び合い』についてご教示くださった西川先生、水落先生、最初にお声をかけてくださった片桐先生、最前列で猛然とノートをとっておられた桔梗先生、空港からフルアテンダンスしてくださった美濃山先生。みなさん、どうもありがとうございました。『学び合い』フォーラムのさらなるご発展を祈念しております。

2008.08.13

楽しい夏休み

ようやく夏休みらしくなってきた。
どこに行く用事もないので、朝から仕事。
家で仕事をしている分には、裸足に半ズボンにTシャツでだらだらできるし、仕事中に寝ころんでオリンピックも見られるし、眠くなったら一日に何度も昼寝ができる。
しあわせ。
毎日新聞「水脈」のゲラを送稿。『考える人』の井上雄彦さんとの対談原稿ゲラが来たので、それも手を入れて送稿。医学書院から名越康文先生との対談原稿のゲラが来たので、それも書き直して送稿。『東京人』から頼まれていた太宰治論を書き上げる。これは締め切りまでしばらくあるので「塩漬け」。『週刊朝日』から電話取材で「少子化問題」についてインタビュー。「少子化は『問題』ではなく、『回答』である」という持論を一時間ほど語る。
ご飯を食べて、昼寝をして、オリンピックを見て、これだけ仕事をしてまだ夕方。
休みの日って、ほんとにいいなあ。
まだ飲み始めるには時間が早いので、早川書房から頼まれていた岩切正一郎さんの『カリギュラ』の新訳の「あとがき」を書き始める。
どうしてアルベール・カミュは演劇という表象形式をあれほど愛したのかという、これまで一度も考えたことのなかった問題を考える。
参考文献のつもりで、ロブレスの『太陽の兄弟』や、ロットマンの『伝記アルベール・カミュ』を読み出したら、いろいろ興味深い事実が出てくるので止まらない。
つい、プレイヤード版のカミュを取り出して『シシュポスの神話』を取り出して読み始める。
ふと顔を上げると、外はすっかり日が落ちている。
休みの日の幸福は、この「本を読み耽っていて、はっと気がつくと、とっぷり日は暮れて」を経験できるということである。
ふだんは、たとえ数時間の余裕が与えられても、時計を見ながら「次の仕事」の始まりに備えなければならない。
つねに「風呂敷を畳む算段」をしながらものを書いたり、読んだりしていると、どうしても話がこせついてくる。
時間がたっぷりあると、「どこに出るかわからないけれど、こっちの横道の方に逸れてみようか」という気になる。
締め切り時間が迫っているとそういうことはできない。
手堅く、だいたい落としどころの見通せる話にまとめてしまう。
だから、早書きしたものは、どれも似たようなものになる。
ゆっくり時間をかけて書いたものの方が「開放度」が高い。
そういうものの方が書いても楽しいし、読んでいる人だって面白いはずである。
だから、私に休みをくださいとみなさんにお願いしているのであるが、誰も耳を傾けてくれない。
カンパリソーダを飲みながら、「とんこつラーメン」を作り、女子サッカーの試合を見ながら食べる。
ずるずる。
ああ、夏休みだ。

2008.08.14

夏休みは続く

お盆なので(関係ないけど)、引き続きお休みである。
新聞の折り込み広告に「お盆セール」という言葉がたくさんでている。
お盆関係グッズ(呪術的なもの)がイカリスーパーのようなところに山積みしてあるのを見ると、「日本人て、やっぱり宗教的だよな」と思う。
一時期(たぶんバブルの頃)、日本人はきわめて非宗教的(というかハイパー現世的)になったけれど、それがたぶん戦後63年の「底」で、それからあとゆっくりわれわれの宗教性は「V字回復」しているように思う。
個人的印象ですけど。
あと数年すると、小学校六年生くらいで「将来なりたい職業」に「僧侶」というようなものが登場してくるような気がする。
個人的予測ですけど。
でも、私の「何の根拠もない予測」はこれまで各分野の専門家のエヴィデンス・ベーストの未来予測よりも高い確率で実現しているので、おそらくこの予測も実現するであろう。
われわれのなす予言はつねに遂行的だからである。
今日も原稿書きとオリンピックと昼寝である。
「私はもう久しくオリンピックなどテレビで見たことがない。それどころか『オリンピック』という語を耳にしただけで脊髄反射的に眠気を催すような人間である」というようなことを先日エッセイに書いたが、こういうことを書くと、むらむらとオリンピックが見たくなるというのが私の悪癖である。
自分で「私はこれこれこういう人間である」と断定的に書いてしまうと、「いや、そうでもないんじゃないかな」と思いはじめるのである。
そして、たいてい「ほら、違うじゃんか」ということになる。
そのような断定とその否定を弁証法的に繰り返しているうちに、私がどういう人間であるかは私自身にとってますます不分明になるのである。
というわけで、日本中の善男善女とともにオリンピックをテレビ観戦して、「オグシオ」に声援を送ったり、「なでしこジャパン」のゴールにガッツポーズを取ったり、「星野ジャパン」の敗戦に涙したりしているのである。
夏季オリンピックの開催地もぜんぶ思い出した(この間までは「メルボルン・ローマ・東京・メキシコシティ」で私のオリンピック記憶は途絶えていたのである)。
なんとなく誰かに対する「あてつけ」でテレビを見ているような気もするのだが、いったい私は誰に「あてつけ」ているのであろうか。
オリンピック観戦のあいまに原稿を書く。
『カリギュラ』論(というかカミュの演劇論)を書き始めたら、どんどん長くなる。
これでは学術論文というか本になってしまう。
解説が本文より長くなっては申し訳が立たない。
困った。
久しぶりにカミュを読む。
かっこいい。
例えばこんなのはどうです。
Savoir si l’on peut vivre sans appel, c’est tout ce qui m’intéresse. Je ne veux point sortir de ce terrain.
(Le Mythe de Sisyphe,in Essais, Gallimard,1965, p.143)
「上位審級に保証されることなく生きることは可能か、私は何よりもそれを知りたいと思う。私は人間たちのいるこの世界から外に出ることを望まない。」
背筋がぞくぞくっと来ませんか。
読み出すと止まらない。
私がいかに重要な箇所を読み落としていたのかを頁をめくるごとに気づかされるからである。
昼過ぎに『Circus』の取材が来る。
ここはるんちゃんの高校時代からのともだちのなっちゃんが編集者をしている雑誌なので、「20代―30代の男性向け雑誌」という私向きではない媒体であるにもかかわらず「るんちゃんのお父さん」という立場で(どういう立場なんだろう)何度か登場させて頂いている。
今回のお題は「人生を変える3冊」。
そんなこと急に言われても・・・(企画書は一月ほど前に届いていたのであるが、他の媒体の企画と勘違いしていて、「お笑いの過政治化」についてのコメントを考えていた)。
ともあれ、若い男性の「人生を変える」という限定目的のための本を即席で考える。
私が選んだのは、『若草物語』と『我が輩は猫である』と『阿Q正伝』の三冊。
三つに共通するのは「こことは違う時代の、私とは違う人間の、私とはぜんぜん共通点のない世界観」をその内側から生きるということである。
現代日本の若者にいちばん欠けているのは、この「ワープ」する想像力だと思うからである。
そこから話は逸脱して、次号の特集が「お金」だというので、「金の話はもう止めませんか」という特集に変更することをご提案する。
現代の若者は「自分らしさ」の実現ということを「商品の購入」とほとんど同一視している。
だから、「自分らしく生きたいけれど、金がない」という没論理な命題が成立する。
自分が自分らしくないのは、主として金がないせいである。
だから金さえあれば「自分らしく生きる」ことが可能だと多くの若者は信じている。
それは違う。
自分が何をこの世界で何を実現したいのかについて具体的な、手触りのはっきりした計画を持っている人間でなければ、金があっても何もできない。
ロトで3億2千万円あたった青年が短期間に2億数千万円を失ったという記事が『週刊現代』に出ていた。
彼はまず「金を増やそう」と思ってリスクの高い金融商品に手を出して、あっというまに2億円を失った。
それから外人パブに通って女の子たちの歓心を買うために数千万円を蕩尽する。
おそらくあと数年で彼はまたもとの貧困に戻るであろう。
彼は「金が欲しい」と思っていた。「金さえあれば、自分らしく生きられる」と思っていた。
でも、いざ金が手には入ったら、自分が金の使い道についてローレックスを一個購入する以外に、何一つ具体的な使途を考えていなかったことに気づいたのである。
具体的な使途について綿密な計画を立てていない人間に大金を渡すと、することは二つしかない。
退蔵するか、蕩尽するか、いずれかである。
どちらも「自分の金の使途の決定権をよく知らない他人に丸投げする」ことである。
言い換えると、「自分らしく生きる」とはどういうふるまいを言うのかを「他人に決めてもらう」ことである。
「自分らしく生きたいのだが、金がない」という若者たちにとって、「自分らしく生きる」ということは要するに雑誌広告に出ている商品(洋服や化粧品や時計や自動車やリゾートでの五泊六日の旅などなど)を購入することにすぎない。
彼らはたとえ大金を手に入れても退蔵するか、蕩尽するか、どちらかを選ぶしかない。
それは上で述べたとおり「自分の金の使途を他人に決めてもらうこと」である。
「自分の金の使途を他人に決めてもらうこと」、それが「具体的使途を想像したことがないままに大金を手に入れたすべての人間がやりそうなこと」である以上、そのふるまいが「自分らしく生きる」という定義と二重に背馳するということはすこしでも論理的に思考できる人間であれば、誰にでもわかるはずなのである。
だから、「私が私らしく生きられないのは、金がないせいである」という命題は没論理的であると申し上げたのである。
率直に申し上げるが、「そういうこと」を言っている人間が「自分らしく生きられない」のは、「自分」が何者であり、自分が何をしたいのかの決定を他人に委ねて生きているからである。
ほんとうに「自分らしく生きたい」と思っている人間の言葉が「みんなと同じ」であり、市場原理と消費経済とジャストフィットするということは論理的に「ありえない」ということにどうして気づかずにいられるのであろうか。

2008.08.18

終戦記念日に思うこと

今日は木曜日だと思っていたら、金曜日だった。
一日スキップしてしまったらしい。
つまり、「前日および翌日と見分けがたい(がゆえに消失してしまった)一日」というのがこの三日間の間にとりあえず一日あったということである。
It’s just another day.
すばらしい。
代わり映えのしない日。
それこそが私が夢にまで見た夏休みである。
しかし、それも今日で終わりである(わずか三日で終わってしまった・・・)
今日は終戦記念日である。
『秋刀魚の味』のトリスバーでのラスト近くの対話を思い出す。
娘(岩下志麻)の結婚式の夜、友人たち(中村伸郎、北竜二)と別れて、ひとりでバーに立ち寄った平山(笠智衆)に岸田今日子のママが「あれ、かけます?」と坂本(加東大介)の好きな軍艦マーチのリクエストを促す。
平山(笠智衆)が黙って微笑むと、軍艦マーチが鳴り響く。
カウンターのサラリーマンの一人(須賀不二男)がラジオのアナウンスを真似て「大本営発表」と呟く。
すると、その隣で一人で飲んでいたサラリーマンが「帝国海軍は今暁五時三十分、南鳥島東方海上において」と続ける。
それを遮るように、須賀不二男が「負けました」。
「そうです。負けました」
二人はそのまま正面に向き直って、穏やかな顔でウイスキーのグラスを干す。
この場面は映画の前半で、最初に平山と坂本がトリスバーで交わす会話と対称となしている。
坂本「けど艦長、これでもし日本が勝ってたらどうなってたでしょうね。」
平山「さあ、ねえ」
坂本「勝ったら艦長、今頃はあんたも私もニューヨークだよ。パチンコ屋じゃありませんよ。ほんとのニューヨーク、アメリカの。」
平山「そうかね」
坂本「そうですよ。負けたから、今のわけえ奴ら、向こうの真似しやがって、尻ふって踊ってやすけどね。これが勝っててご覧なさい、勝ってて。目玉の青い奴らが、丸髷かなんか結っちゃって、チューインガム噛み噛み、三味線弾いてますよ。ざまあみろってんだ。」
平山「けど、負けてよかったじゃないか」
坂本「そうですかね。うん。そうかもしんねえな。バカな野郎が威張らなくなっただけでもね。」
私が子どもの頃、大人たちの会話には、「戦争に負けたんだから」という言葉が実にしばしば登場した。
生活の不如意も、行政の不手際も、文化の貧しさも、人心の荒廃も、あらゆることは「戦争に負けたんだからしかたがない」という言葉で説明された。
「戦争に負けた」というのは1950年代末までは、日本の「現在」を説明し、それ以上の議論を打ち切る「マジックワード」だったのである。
そして、おそらく当今の政治家や政治学者たちは誰も記憶していない(か、忘れたふりをしている)が、映画の中で笠智衆が口にする「負けてよかった」というのも、大人たちの口からふと漏れることのある言葉であった。
中にはそういう言葉を聴くと気色ばむ男もいたけれど、ホワイトカラーたち(彼らは一銭五厘の兵隊として、その10年前までは戦場にいた)は安堵の息とともに、そう言ったのである。
私がこういうことを書くと、激昂する人がいるだろう。
けれども、日本人がこの半世紀で失ったいちばん大きな社会的能力は「負ける」作法とたしなみである。
学校教育でも家庭教育でも「適切な負け方」については誰も教えない。
人々は「勝つ」ことだけを目的にしている。
どうやって勝つかというノウハウについては膨大な書物が刊行され、人々はそれを貪るように読んでいる。
けれども、私たちは勝ち続けることはできない。
日常的な出来事(恋愛とか受験とか就職とか起業とか)の場合、私たちの人生における「ここ一番」の勝率はまず1割台というところである。
それどころか、「生き死に」がかかったもっとも深刻な勝負についての私たちの生涯勝率はゼロである。
私たちは必ず死ぬからである。
「病む」ことや「老いる」こととも戦っている人がいるが、残念ながら、その勝率もゼロである。
「永遠の健康」も「永遠の若さ」も私たちは手に入れることができない。
ならば、勝ち方を研究するよりは、負けることからどれだけ多くの「よきもの」を引き出すかに発想を転換した方がいいと私は思う。
「勝たなくてもいいじゃないか」「負けてよかったじゃないか」という言葉を私たちはもうほとんど耳にすることがない。
けれども、日本人が勝つことにしか価値を見出さず、敗者には何も与えないというルールを採用したことで以前より幸福になったと私は考えない。

2008.08.19

こんな私でよかったら

私立学校初任者研修近畿地区研修会という長い名前の集まりで講演。
夏休みに入ってこれで教育関係の講演が4つ目。これでおしまい。
近畿六都府県の私立の中高の新任教員のみなさんを対象にした二日間のセミナーのはじめの方でお話をさせていただく。
お呼びくださったのは去年の今頃に舞子ビラでやった兵庫県私立中高連合会中堅教員研修会のときの肝いりのみなさん(甲陽学院の石川義明先生、灘の倉石寛先生、雲雀丘学園の玉井英夫先生)。
玉井先生は釈先生の恩師である。
私のような態度の悪い男を二度までも研修の講師に招聘しようというのであるから、ずいぶんと悪戯心にあふれた先生方である。
お昼ご飯をご相伴しているときに、先生方のお話を側聞すると「ニシベ」とか「ブント」とかいう単語がもれ聞こえる。
あら、悪戯心の起源はそっち方面でしたか。
そういうことであれば、私としてもグローバル資本主義批判を全面展開するに遠慮はいらない。
90分間お時間を頂戴して、どうして子どもたちは学びを拒否するようになったのかという論件を、80年代以降の消費文化と市場原理から説明する。
話の内容はみなさんご案内の通りである。
子どもたちが学びを拒否するのは、それが消費者として当然のふるまいだからである。
教師は学校教育のコンテンツの有用性や意義を六歳の子どもには理解させることができない。
子どもたちが「まだそれを理解できない」という当の事実こそ彼らが学校に通う第一の理由なのである。
ふつうはこれで話が済む。
しかし、消費社会ではそうはゆかない。
子どもたちはまず消費主体として自己規定する。
消費主体であるならば、六歳児であっても、商品についてその有用性と意義について説明を要求する「権利」があり、「義務」がある。
その商品の使途を知らない商品を購入するということは消費者には許されない。
だから、子どもたちは「これは何の役に立つんですか?」と問う。
「ひらがなを学ぶことに何の意味があるんですか?」「算数を学ぶことに何の意味があるんですか?」
教師はそれに答えるべきではない。
いいから黙ってやりなさい、というのが教師の言うべき言葉である。
というのは、教師自身、どうしてそのような教科に有用性があるのか、よくわかっていないからである。
自分の教えている教科がいったいどれほどの可能性を潜在させた知的活動に結びついているのか「よくわからない」というのは教師であるためのたいせつな条件である。
私は自分が教えていることの意義と有用性と適用範囲について熟知していると嘯くような教師は(老師の言葉を借りて言えば)「学ぶことを止めてしまった教師」である。
学ぶことを止めてしまった教師から学ぶことは(不可能ではないが、たいへん)むずかしい。
すぐれた教師は自分が教えていることについて「自分は十分に知らない」ということをよくわきまえており、それゆえ、自分が教えていることにどんな意味があるのか、いまだ確実なことが言えないでいる。
だから、「先生の教えていることは何の役に立つんですか?」と訊かれてもはかばかしい答えができない。
「さあ、何だろう。先生にもよくわからないね」というのがおそらく望みうる最高の回答であろう。「いいから、黙ってやりなさい」
しかし、消費主体としての生き方をすでに内面化した子どもにはこの回答は理解不能のものである。
商品を購入するときに、「売り手」がその有用性と意義を「買い手」に説明できない場合、その商品は「無価値」なものと判定される。
消費主体としては、それが合理的である。
無価値であれば、もとより勉強する必要はない。
子どもはそう結論する。
だからといって、子どもの「何の役に立つんですか?」という問いに子どもにもわかる答えを処方しても、事態は少しも変わらない。
それは「学校というのは、子どもにもその有用性や意義がわかる商品を扱うところである」という理解に子どもを導くだけである。
となれば、消費主体のその後の仕事は一つしかない。
それは、その商品を「最小限の対価」で手に入れるためにはどうするか工夫する、ということである。
商品を「買い叩く」ための基本は当該商品に対する欲望をできるだけ示さないことである。
だから、子どもたちは可能な限り授業に集中せず、教師に対する敬意表現を手控え、「学びたくない」というメッセージを全身でアピールする。
それは学校に来たくないということでも、学校で教わっている教科が無意味だと思っていることでもない(現に学校には来ているし、教科の有用性も理解している)。
彼らの関心は「どれだけそれを安い代価で手に入れるか」なのである。
使用価値の高い商品をかなうかぎりの安値で手に入れる消費者が「賢い消費者」だとされているからである。
だから、もし学力をほとんど身につけない状態で(四則計算ができない、アルファベットが読めない、漢字が書けない)大学卒業資格を手に入れた子どもがいたとすると、その子どもは「きわめてクレバーな消費者」だったということになる。
論理的にはそうなるし、現実的にももうそうなりつつある。
世間では一流とされる大学を卒業していながら、「こんなことも知らないのかよ」と仰天するほど無知な若者たちが簇生しているが、その無知を指摘されても、彼らはまったく動じない。
むしろ、「だって、オレ、ぜんぜん勉強してなかったですから」とそのことをほとんど誇らしげに語るのである。
ぜんぜん勉強しなかった(ので、幼稚園児程度の学力しかない)けれど、一流大学を出たというのは、いわば「五円玉一個で自動車を買いました」というのに類する「賢いお買い物」なのである(それは、小学校高学年程度の情緒の発達段階であるにもかかわらず、現実には就職し、結婚し、子どもまでいるという「中身は子どものままのおじさん・おばさん」たちの大量発生と同根のものである。これもまた「市民的成熟のための努力抜きで、市民としての権利を行使できる立場になれた」という点では「賢いお買い物」なのである)。
消費者マインドで教育にかかわるということは、そういうことである。
だから、子どもが消費主体として教育の場に登場することを許してはならない。
それは学校が破壊されるだけでなく、子ども自身を「自己破壊」のプロセスに押しやることだからである。
教育者の急務は市場原理、消費文化の教育への浸潤を全力をあげて防ぐことである。
子どもたちを「同時代のドミナントなイデオロギーから守ること」、それが教育の存在理由である。
学校は対抗文化の拠点でなければならない。
という話をする。
30年教師をやってきて、その経験から導かれた自明の結論だと私は思うのだが、あまりそういうことを公言される方はいない。
演壇を降りて、ギャラを受け取って、脱兎のごとく逃走を企てる。
肝いりの先生方からは「いやあ、おもしろい話でした」「あれくらいぶち上げてくれると、こっちも眠くならないね」と満足げなコメントを頂く。
また11月も講演に呼ばれてしまった。

ラジオデイズ一周年記念イベント

9.28のラジオデイズ一周年記念イベントにまだ残席があるそうで、ラジオデイズから連絡がありました。
なかなかに珍しいメンバーが揃いますので、お暇な方はぜひどうぞ。
チケットはこちらで
http://www.t-onkyo.jp/ec/Products/view?product_id=0808401

●ラジオデイズ一周年記念特別対談三連発 
『本日、戦後表現者論でご機嫌を伺います。』 
公演日時 : 2008年 9月28日 (日) 14:15開場 /15:00開演
構   成 : 
第一部 戦後落語家論  三遊亭円丈+本田久作
第二部 戦後詩人論   高橋源一郎+小池昌代
第三部 戦後マンガ家論 養老孟司+内田樹
モデレーター : ラジオデイズプロデューサー 平川克美
会   場 : 浜離宮朝日小ホール 
料   金 : 全席自由  4,000 (税込)  *整理番号付
主催・企画制作 :株式会社 ラジオカフェ
特別協賛:オリンパス株式会社
協賛:株式会社ビジネスカフェジャパンほか
運営協力 : 東京音協
お問合わせ : ラジオデイズ 03-3341-1230 / 東京音協 03-3201-8116
内容 :
第一部 戦後落語家論 三遊亭円丈+本田久作
三遊亭円生の高弟にして、現代落語の旗手をつとめてきた三遊亭円丈。「円丈以前と円丈以後」の言葉があるとおり、三遊亭円丈の出現はひとつの革命であった。そこに、落語台本の賞を総なめにしている若き落語作家本田久作がからむ。落語ファン待望の(というよりは仰天の)新作落語黎明期の真相話が炸裂。大丈夫か。

第二部 戦後詩人論  高橋源一郎+小池昌代
もはや戦後作家の中心的存在であり、同時に鋭利な批評家でもある高橋源一郎が、生粋の詩人にして川端康成賞の小説家でもある小池昌代と現代詩について語り合う。衝撃の初対談。この異質な文学魂の衝突はいかなる化学反応を巻き起こすのか。現代詩史の記念碑的対談(になるかもしれない)。
第三部 戦後マンガ家論  養老孟司+内田樹
『バカの壁』の解剖学者、養老孟司が京都漫画ミュージアムの館長であることを知る人は多くはない。一方『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞受賞の現代思想家内田樹もまた少女マンガを語らせて一家言ある表現批評のオールラウンドプレイヤー。この二人が日本オリジナルのサブカル文化を縦横に、辛辣に語り合う、スペシャル大放言イベント。

だそうです。平川くんが自分の楽しみ中心に組んだプログラムですけど、さすがに盛りだくさん。

2008.08.20

リーダーシップは涵養できるか?

ある新聞からの電話取材で「女子大の存在意義」について訊かれる。
東京でお茶の水女子大、奈良女子大、津田塾、東京女子大、日本女子大の五大学の学長を集めて、女子大の存在意義についてのシンポジウムが先般あったそうで、それについてコメントを、ということである。
シンポジウムで学長さんたちはどういう結論になったんですかとお訊ねする。
女子大の存在意義は、「女子だけを集めると、男子に依存しない、リーダーシップのある女性を教育することができる」というのが合意点でした、と記者さんは言う。
伝聞であるから、これがそのままシンポジウムの結論だとは思わないが、そういう趣旨を含んでいたとすれば、ずいぶんと貧しい考え方だと言わねばならない。
当然ながら、私はそのようなロジックには同意することができない。
つねづね申し上げているように、私は「リーダーシップ」とか「エンパワーメント」とか「社会進出」とかいうことばで教育の目的を語ることを好まない。
好まないどころか、それこそが今日の教育崩壊の構造的な原因であると考えている。
このような言葉づかいの根底にあるのは、「国会議員とか、自治体の首長とか、上場企業の社長とかは偉い人であり、人間はすべからくそのような立場の人間になるように努力すべきである」という貧しくシンプルな「立身出世主義」(arrivisme)である。
もちろん私とて、そのような仕事の有用性を認めるにやぶさかではない。
だが、権力、財貨、情報、文化資本といったものを他人より多くもつことが人間の生きる目的であり、教育もまたその目的実現のために存在するという考え方を私は採らない。
リーダーシップというのは「リーダー」にとっては必須のものであるが、リーダー以外の人間にとっては必須のものではない。
そして、ふつうの人間集団ではリーダーとリーダー以外の人間では、圧倒的に「リーダー以外の人間」の方が多い。
だから、リーダーシップと同じように、「サブ・リーダーシップ」や、「リードされるシップ」や、「何かというとリーダーにあやつけるシップ」や、「あとはオレに任せてくれシップ」や、「どっと盛り上がりましょうシップ」や、「まあまあ、そんなにかりかりせんと。どや、ここはひとつナカとってやね調停シップ」など多様な「シップ」が共同体の機能的で健全な運転のためには必要である。
リーダー以外のこれらの「シップ」の重要性について、多少とでも組織で働いた経験のある社会人であれば、誰でも身に浸みて知っているはずである。
なのに、なぜ「リーダーシップ」だけが涵養の対象となり、それ以外の「シップ」に教育機関は資源の投入を惜しむのか。
私にはその理由がわからない。
全員がリーダーであるような共同体は存在しえない。
だとすると、「リーダーシップを涵養する教育機関」とは「リーダーシップ以外の組織人としての能力を評価しない教育機関」のことだということになる。
それでよろしいのか。
女子の「エンパワーメント」をめざし、「性差にかかわらず、高い社会的能力をもつ人間は、その能力にふさわしい社会的高位に位置づけられるべきだ」と主張する教育は、「性差にかかわらず、能力の劣る人間は、それにふさわしい社会的劣位に格付けされるべきである」という判断に同意するということでよろしいのか。
私はあまりよろしくないと思う。
だから、軽々に「リーダーシップの涵養」とか「エンパワーメント」とかいうことを教育目的に掲げていただきたくない。

そもそも、共同体において、リーダーシップというのは競合的に争奪されるべきものではない。
リーダーには集団ごとに別個の人間的資質が要求される。
例えば、ある集団においては、「人の話をよく聴いて合意形成をするのがうまい人」がリーダーに適しており、別の集団では「右顧左眄せず独断専行できる人」がリーダーに適しており、別の集団では「権謀術数に長け、子分を養うのがうまい人」がリーダーに適している。
これらの人間的資質を同一の教育プログラムによって育成することはできない。
逆に言えば、どのような集団であれ、コラボレーションを通じて何か共同的な仕事を成し遂げるという実践的目的を課されていさえすれば、「リーダーシップ」その他の集団に必須のさまざまな人間的資質の開発は、成員たち自身の相互教育を通じて果たされる。
別に教師があれこれの教育的プログラムを持ち出す要もない。

もし高等教育機関が生き延びるために、「より多くの権力、より多くの財貨、より多くの情報、より多くの文化資本」を卒業生に保証するようなシステムを構築することが必要であると考えている大学人がいるとしたら、私はその大学の未来に対して悲観的にならざるを得ない。
繰り返し書いているとおり、学校の本義は、「支配的なイデオロギーに対する対抗文化の拠点」「均質的集団内部における特異点」「外部への通路」であることに存すると私は考えている。
それは女子大についてもまったく変わらない。

というわけで、明日から9月12日までフランスに行って不在です。
留守中のメールはすべて「廃棄」されますので、私に用事があって8月21日から9月12日までにメールをした人は、「なしのつぶて」になるので、あらかじめご了承ください。
なお、どうしても連絡を取りたい人は
(1)あまり急がない場合は、大学または自宅あて郵便を送る
(2)めちゃ急ぐ場合は、携帯にメールする
のうちどちらかをご選択ください。
住所を知らない、携帯メールのアドレスを知らないという人は「ご縁がなかった」と思ってあきらめてください。
では、いってきま~す。

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