楽しい夏休み

2008-08-13 mercredi

ようやく夏休みらしくなってきた。
どこに行く用事もないので、朝から仕事。
家で仕事をしている分には、裸足に半ズボンにTシャツでだらだらできるし、仕事中に寝ころんでオリンピックも見られるし、眠くなったら一日に何度も昼寝ができる。
しあわせ。
毎日新聞「水脈」のゲラを送稿。『考える人』の井上雄彦さんとの対談原稿ゲラが来たので、それも手を入れて送稿。医学書院から名越康文先生との対談原稿のゲラが来たので、それも書き直して送稿。『東京人』から頼まれていた太宰治論を書き上げる。これは締め切りまでしばらくあるので「塩漬け」。『週刊朝日』から電話取材で「少子化問題」についてインタビュー。「少子化は『問題』ではなく、『回答』である」という持論を一時間ほど語る。
ご飯を食べて、昼寝をして、オリンピックを見て、これだけ仕事をしてまだ夕方。
休みの日って、ほんとにいいなあ。
まだ飲み始めるには時間が早いので、早川書房から頼まれていた岩切正一郎さんの『カリギュラ』の新訳の「あとがき」を書き始める。
どうしてアルベール・カミュは演劇という表象形式をあれほど愛したのかという、これまで一度も考えたことのなかった問題を考える。
参考文献のつもりで、ロブレスの『太陽の兄弟』や、ロットマンの『伝記アルベール・カミュ』を読み出したら、いろいろ興味深い事実が出てくるので止まらない。
つい、プレイヤード版のカミュを取り出して『シシュポスの神話』を取り出して読み始める。
ふと顔を上げると、外はすっかり日が落ちている。
休みの日の幸福は、この「本を読み耽っていて、はっと気がつくと、とっぷり日は暮れて」を経験できるということである。
ふだんは、たとえ数時間の余裕が与えられても、時計を見ながら「次の仕事」の始まりに備えなければならない。
つねに「風呂敷を畳む算段」をしながらものを書いたり、読んだりしていると、どうしても話がこせついてくる。
時間がたっぷりあると、「どこに出るかわからないけれど、こっちの横道の方に逸れてみようか」という気になる。
締め切り時間が迫っているとそういうことはできない。
手堅く、だいたい落としどころの見通せる話にまとめてしまう。
だから、早書きしたものは、どれも似たようなものになる。
ゆっくり時間をかけて書いたものの方が「開放度」が高い。
そういうものの方が書いても楽しいし、読んでいる人だって面白いはずである。
だから、私に休みをくださいとみなさんにお願いしているのであるが、誰も耳を傾けてくれない。
カンパリソーダを飲みながら、「とんこつラーメン」を作り、女子サッカーの試合を見ながら食べる。
ずるずる。
ああ、夏休みだ。
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