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2008年07月 アーカイブ

2008.07.01

パイレーツ・オブ・チャイナ

日本文藝協会というところに入会したので、会報が送られてくる。
文藝協会はたぶんもともとは寄る辺なき文士たちの相互扶助組織として発生したものではないかと思う。
「寄る辺なき人々」のための相互扶助・相互支援組織というのはたいせつな中間共同体である。
しかし、文藝協会の最近のメインの仕事は著作権の管理である。
私はこれがどうにも、「なんか違うんじゃないか」という気がしてならないのである。
いま著作権の保護期間は50年である(これを国際標準に合わせて70年に延長することを協会は求めている)。
著作者が死ぬと、著作権はその親族に継承される。
だから、文藝協会の会員も相当数は操觚の人ではなく、著作権継承者の方々である。
著作者自身が自分の書き物について、その使途や改変について「ちょっと、それは困るわ」という権利を留保することは許されると思う。
文章が書き換えられて、それに自分の名前がつけられて流布しては困るからだ。
けれども、著作権継承者にはそのような権利はあるのだろうか。
もちろん、著作権継承者は著作者の死後も印税をしばらくの間受け取り続ける権利はあると思う。
だって、印税収入が家計を支えていた場合には、著作者が死んだら、いきなり家族が路頭に迷ってしまうからである。
それはあまりに気の毒である。
もとが「寄る辺なき文士の相互扶助」組織である以上、遺族の生活をたいせつに考えるという発想は重要である。
でも、著作権の継承ということと、印税の受け取りということは、次元の違う話ではないだろうか。
印税収入に依存していたライフスタイルを保証するということと、作品についてのもろもろの「権利」を委ねるということは別の話ではないか。
著作権継承者にテクストの用途や改変についての許諾権まで認めるのは、なんだか筋が違うような気がする。
著作物には「商品」という側面と、「創造物」という側面がある。
「商品」には市場があり、需給関係がある。それでビジネスをする人もいる。それはそれで結構なことである。
なぜなら、それが私たちのクリエーションの意欲を強めるからである。
けれども、「創造物」には市場も需給関係もビジネスもない。
それは人類が共有すべき「パブリックドメイン」である。
著作権の保護期間が切れるというのは、テクストが「商品」的性格を失い、「創造物」のカテゴリーに移行する、つまり「私有財産」から「共有財産」に変じることである。
すべての創造の「落ち着くべき先」は誰の所有にも属さない人類共有の財産となることである。
創造に短期的に商品性を噛ませるのは、そうした方が「共有の財産」が富裕化するからであり、それ以外の理由はない。
しかし、いまの著作権をめぐる議論を見ていると、論は作品の「商品性」に焦点化し、そこから誰がどれだけ多くの利益を引き出すのかということに軸足が傾き過ぎているように私には思われる。
「創造されたものの共有」のたいせつさを言い立てる人々のうちにさえ、「パブリックドメイン」にすることを手前のビジネスチャンスだと考えている人がしばしば見受けられる。
右を見ても左を見ても、なんだかみんな「金」の話ばかりしているような気がする。
そういうことでよろしいのか。

井上雄彦さんとお話ししたときに、中国における海賊版の話になった。
『スラムダンク』を知らない子どもはいないくらい井上作品は中国でも読まれているけれど、中国の代理店から知らされる発行部数は「嘘でしょ」というくらいの数字だそうである。
市場に流布しているもののほとんどは海賊版である。
この場合、「究極の選択」は次の二つである。
(1) 著作権法を厳密に適用して、すべての海賊版を市場からも個人の書棚からも撤去し、正規の刊行物以外の発行流通所有を認めない。
(2) もう、好きにしてくれと放っておく。
私は(2)でいいんじゃないですかと井上さんに申し上げた。
海賊版『スラムダンク』が中国で数十億部売れ、若い中国人の中から井上雄彦を神と崇めるファンや井上フォロワーが続々と出現して、つねに熱いまなざしで井上さんの作品を待ち望んでいる・・・という状態になったときに、そのレスペクトは必ず「井上さんに『私、大ファンなんです』というメッセージを届かせたい」というかたちを取るはずである。
とりあえずそれは海賊版を退けて、印税が確実に井上さん自身に届くエディションを購入するという行動を通じて表現されるだろう。
楽観的すぎるかもしれないけれど、私はそう信じている。
井上さんの本は『スラムダンク』も『バガボンド』も『リアル』も、どれもビルドゥングス・ロマンである。
すべてに共通するのは「激しい負荷の下で、短期的に、一気に成長することを強いられた少年の成長譚」という話型である。
私は井上さんの描く物語を世界中の少年たちに読んで欲しいと思っている。
彼らが成長することにこれらの物語が資するなら、それによってこの世界は少しずつ住みやすいものになってゆくはずだからである。
そのとき海賊版を刊行したり読んだりする商習慣もいつのまにか消えているだろう。
それは「大人のすること」ではないからだ。
迂遠かもしれないけれど、私は中国で著作権法が厳格に適用されることよりも、一冊でも多くの井上作品が一人でも多くの中国人読者に読まれることの方が、中国を「今より住みよい場所」に変える上では有用だろうと考えている。
井上さんの本にはそれくらい強い教化的な力がある。
井上さんは、「そういう考え方もあるんですね」と微笑していた。

2008.07.04

先取りされた未来から見た過去

クリエイティヴ・ライティングの今週のお題は「70歳になって、来し方を回想して、『自分史』を書くことにした君が、その45年前、25歳の一年を思い出して綴った文」。
前回は5年前、2003年6月のある一日の日記を書いてもらった。
たいへん面白かった。
思春期の自意識過剰ぶり、友人との距離感のなさ、学校と教師に対する遠慮を知らない倦厭感、過剰な攻撃性、そういう「幼さ」をみごとに掬い上げた傑作がいくつも見られた。
うまいものである。
このドライブ感を維持して書き続ければ、そのまま小説になりそうである。
しかし、「実話」というリミッターがかかっているので、想像力の暴走にもおのずと限界がある。
今回の宿題はそれをはずしていただこうという趣旨である。
まず想像的に70歳になってもらう。
この年齢となれば、ものの見方考え方もずいぶん変わっているはずである。
その条件の上で、25歳の1年という「いまだ到来していない未来のできごと」を過去形で語っていただこうというのである。
70歳から見たら25歳は夢のように遠い過去、記憶も消えかけた青春の日である。
二十歳の学生たちから見ると25歳は、これまた中途半端に近いがゆえに、想像することがむずかしい未来である。
みなさんの中には、5年後を想像することなんか簡単だろうと思う方がおられるやもしれぬ。
そうでもないのよ。
というのは「うかつな想像」をしてしまうと、その想像の「呪縛」にかかってしまうからである。
つねづね申し上げているように、想像には遂行性がある。
詳細にわたって未来のある一日を想像してしまうと、そのとおりのことが実現する確率はそうでない場合に比べて桁外れに高くなる。
だから、適当なことを書くわけにはゆかない。
うかつに「父親の会社が倒産したあと、母は白血病に罹り、弟は家出して暴力団にリクルートされ、私は父の借金を払うためにやむなく苦界に身を沈めたのであった」などということを書いてしまうとたいへん剣呑なことになる。
むろん、それを記述する70歳の彼女たちもまた描かれ方によっては彼女たちの未来をつよく繋縛する。
だから、この未来図には「私はそのようになりたい」という思いを深くこめなければならないのである。
未来について書くというのは彼女たち自身を「予祝する」ことである。
言葉のもつ現実変成力を感じ取ってくれるとよいのだが。

どうして、こんな宿題を思いついたかというと、その前の日に試写会で『スピードレーサー』を見たからである。
吉田竜夫&タツノコプロの『マッハGoGoGo』(アメリカでのタイトルは『スピードレーサー』)の実写版リメイクをウォシャウスキー兄弟がハリウッドで実現した。
なんで、いまごろ67-8年の日本アニメを実写でリメイク?
と、みなさんも不思議に思ったであろう。
私も不思議に思った。
たしかにウォシャウスキー兄弟はアニメ好きである。
ご案内のように、『マトリックス』は『攻殻機動隊』へのオマージュにあふれていた。
でも、どうして今、『マッハGoGoGo』なの?
私にはよくその必然性がわからなかった。
でも、映画を見ているうちにわかった(ような気がした)。
これは「未来から回想した過去」なのである。
もう自動車という乗り物が姿を消してしまった未来から回想された「石油を湯水のように使い、大排気量エンジンから排ガスをまきちらし、クラッシュするたびに何トンもの鉄屑を廃棄する遊び」が許されていた信じられない時代の思い出なのである。
その時代の人々は、その「遊び」を通じて「自分探し」や「家族の絆の確認」をしていた。
目的自体は結構なことだけれど、それにしても環境負荷を考えると費用対効果が悪すぎないか?
そんな遊びをするよりは詩を書いたり家庭菜園を耕していた方がエコ的にはナイスだったのでは?
というふうにたぶん今から半世紀くらいあとの(もう石油資源が枯渇したあとの)未来の人々は考えるだろう。
「自動車レースで自己実現する」ということが「砂漠の真ん中でリッター200円のミネラル・ウォーターで満たしたプールで100メートル自由形を泳いで自己実現する」ということと同じくらいに「意味ぷー」になる日がいずれ来る。
必ず来る。
ウォシャウスキー兄弟はたぶん「その日」を想像的に先取りして、「大排気量の自動車をいくら走らせても誰も文句を言う人がいなかった時代」をそこから回想しているのである。
だから、この映画の画面は過剰にけばけばしく、奥行きがまったくない。
それは「夢」の中で見る世界の特徴だ。
これは夢なのだ。
たぶん90歳くらいになったスピード・レーサー翁が死の床で見ている(70年ほど前の、まだ「自動車」というものがトランスポーターとして存在していた時代を回顧する)夢なのだ。
夢に固有の非現実感と浮遊感がそこにはあった。
そういう感じのものをちょっと読んでみたくなったのである。

2008.07.05

駄洒落はレジャーだ

カナダだな、蚊。
蚊が「どこか外国に行きたいなあ」と言ったので、「どこがいい」と訊いたら「やっぱ、カナダかな」と答えたので、ちょっと念を押したのである。
ついでに
メキシコの力士、仕切りの腰決め
というのも思いついた。
メキシコ出身の大相撲の力士が、仕切りでぐいっと腰を決めたありさまを写生したものである。
つい、都々逸
話しているうちに、つい七・七・七・五の音律になってしまう。そういう人いますね
イタリアでありたい
そうですか。イタリア人って楽しそうですものね。
韓国に肉来んか
BSE問題でたいへんですからね。なかなかアメリカンビーフは来ないです。
こういうことをどういうわけか目覚めの直前のまだ半分寝ているときに思いつく。
『村上かるた』のまえがきで村上春樹はこう書いている。
「きっと僕の脳の中にはその手の『まったく世の中のためにはならないけれど、ときどき向こうから勝手に吹き出してくる、あまり知的とは言いがたい種類のへんてこな何か』が眠っているささやかな精神領域があるのかもしれません。そしてそういうものをときに応じてきびきびと放出しておかないと、脳内のバランスが乱れて、精神のオゾン層みたいなものが破壊されて、気の毒なシロクマがどんどん溺れ死んで、結果的に小説も書けなくなってしまうのかも知れません。」(『村上かるた うさぎおいしーフランス人』、文藝春秋、2007年、2頁)
たぶん誰にもそういう精神領域がある。
とにく「だじゃれ」の類というのは脳内の「お掃除」みたいな感じでけっこう定期的にやっとかないとまずいんじゃないかと思うことがある。
以前、「フランス語動物だじゃれ」というのを思いついたことがあった。
「犬が思案」
「猫が斜に構え」
「牛さんは場所ふさぎ」
「こうもりと勝負する?」
「猿の傘寿」
「おんどりのコックさん」
などなど。
笑ってくれる人がたいへん少ない(というかほとんどいない)のが難点である。
一度フランス語初級の「宿題」に出したことがあるが、誰も作ってきてくれなかった。

2008.07.06

全共闘運動は日本をどう変えたか?

ひさしぶりの週末だと思っていたら、今日が締め切りなんですけど・・・というメールが来た。
忘れていた。
お題は「全共闘運動は日本をどう変えたのか?」
3枚半。
全共闘運動は日本をどう変えたのであろうか。
興味深い論件である。
しかし、興味深いなどと言っている余裕はない。
昼から合気道の稽古で、そのあと関川さんとご飯を食べる予定なので、朝のうちに書き上げないといけない。
少し前に大学院の「日本辺境論」で世代論を論じたことがあり、そのときに「60年安保世代」と「70年安保世代」の違いは奈辺に由来するかということを話した。
60年安保のときに運動を指導したのは当時20代後半から30代はじめ。つまり、1930年から35年生まれというあたりである。
敗戦のときに10歳から15歳。
国民学校で「撃ちてし止まむ」と教えられ、本土決戦に備えて竹槍の訓練をした少年たちは8月15日に「戦わない大人たち」を見て愕然とした。
彼らに軍国教育を施していた大人たちが一夜明けたら「民主ニッポン」の旗をにぎやかに振り始めたからである。
あの・・・・最後の一兵まで戦うんじゃなかったんですか。
「勝たずば断じて已むべからず」「生きて虜囚の辱を受けず」と起草した夫子ご本人が負けて「虜囚」の獄中にあるというのはどういうことなんでしょうか。
誰か説明してくれませんか。
誰も説明してくれなかった。
この「一夜にして大日本帝国の旗を下ろした先行世代」に対する「恥」の意識が60年安保闘争の底流にあると私は思う。
60年安保は反米ナショナリズムの闘争であるが、それは15年前に完遂されるべきだった「本土決戦」を幻想的なかたちで再生したものである。
ただ、その標的は今度はアメリカそのものではなく、「アメリカに迎合した日本人」たちに(具体的には戦前は満州国経営に辣腕を揮い、東条内閣の商工大臣の職にありA級戦犯として逮捕されながら、アメリカの反共戦略に乗じて総理大臣になった岸信介)向けられていた。
70年安保世代はそれよりずっと若い。運動に参加した人々はおおよそ1945年から50年生まれ。
戦中の飢えの経験も、教科書に墨を塗った経験もない。
小学校のときから「戦後民主主義」の揺籃のうちで、教師たちから「日本の未来は君たちのものだ」と言い聞かされて、気前のよい権限委譲の中で生きてきた世代である。
科学主義と民主主義をこの世代は胸一杯に吸って育った。
その世代がどうして「肉体」と「情念」と「怨恨」の政治思想にあれほど簡単に感染してしまったのかを説明するのはむずかしい。
1960年代末から70年代はじめにかけて、小劇場でもっとも好まれた主題は(今の人には想像もできないだろうが)満州と天皇であった。
おそらく「抑圧されたもの」が症状として回帰したのである。
養老先生が御殿下グラウンドに林立した数百本の「竹槍」を見たときに戦争末期の「本土決戦」を思い出して既視感を覚えたという。
全共闘運動はおそらく「完遂されなかった対米戦争」の二度目の幻想的なヴァージョンである。
全共闘運動は政治的に何らかのプログラムがあったわけではない。
マルクス主義を掲げてはいたが、その運動は「科学的社会主義」とは無縁であった。
私の知る限り、その運動の中で「論理的実証性」や「推論の適切さ」が配慮されたことはない。
そこに横溢していたのは「やるっきゃねえ」とか「おとしまえをつける」とか「断固たる決意性」とか「中核魂」とか、ほとんど戦争末期的なワーディングであった。
全共闘政治の装飾的記号はなによりも「旗」であった。
どのような小集団もまず自分たちの旗を作り、ヘルメットのカラーリングを考えた。
旗は闘争用の武器としては実効性がほとんどないが(重いだけである)、学生たちはそれを「軍旗」のように誇らしげに掲げた。
戦旗派、叛旗派といった党派名称そのものにも「旗」が入っていたし、戦旗派はデモのときに「一人一旗」という大胆なパフォーマンスを試みてオーディエンスを喜ばせたことがある。
全共闘の学生たちが熱狂的に支持した東映の任侠映画の鶴田浩二は元海軍航空隊で「特攻隊の生き残り」という名乗りをアイデンティティにしていたし、池部良は海軍中尉で南方戦線の生き残りである。自分たちより20歳以上年長のこれらの任侠俳優たちの「たたずまい」に当時の学生たちは深い共感を寄せたのである。
私はそれらの現象は(吉本隆明に従って)全共闘運動を「日本封建制の優性遺伝因子」の甦りと見立てることで説明可能だろうと思っている。
戦前の共産党幹部たちの獄中転向を分析した『転向論』で吉本はそれを「わが後進インテリゲンチャ」が西欧の政治思想や知識にとびつき、「日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている」ときに、彼らが「侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれた」ことと解釈した。
それから四半世紀経って、戦後日本が「侮りつくし、そこから離脱したと信じた日本的小情況」が、西欧の政治思想や哲学をたのしげに歌う戦後知識人たちの「足をすくう」ために戻ってきた。
私はそのようなものとして全共闘運動は思想史的に位置づけることが可能だろうと思う。
全共闘運動は日本人に「罰を与える」ために登場した。
それは何かを創造するためのものではなかった。だから、それは破壊すべきものを破壊し終えたと同時に消えた。
それ以後、「日本的小情況」は経済的繁栄がもたらす世俗的快楽とアメリカの覇権下の「属国の平和」という麻痺状態の中にゆっくり溶け込み、さしあたり脅威的なものであることを止めた。
やすやすと繁栄のうちに姿を消すことができるこの節度のなさのうちに「小情況」の「小」たる所以はある。
それから40年近くが経った。
二次にわたる安保闘争に類する政治的運動がこの後もう一度起こるかどうか、私にはわからない。
ネット右翼の出現や、「ロスト・ジェネレーション」の謳う「戦争待望論」はそのような「日本的小情況」の三度目の甦りの予兆なのかもしれない。
「強欲な老人たち」と「収奪される若者たち」という世代間対立図式は二次にわたる安保闘争のときに採用された図式に似ていなくもない。
しかし、この世代はロールモデルとして参照すべき、身体を備えた「日本封建制の優性遺伝因子」をみつけることができないでいる。
力業で記号的に「あるべき日本人」を表象することはできるかもしれないが、それが身体を欠如させている限り、政治的な指南力を持つことはないだろう。
というような話は論題とは関係ないので、書きませんでしたけど。

2008.07.07

そのうち役に立つかも

河合塾大阪校で講演。
予備校生たちをお相手に一席。
お題は「日本人はなぜ学ぶ意欲を失ったのか?」
せっかくの休日に私の講演を聴くためにわざわざご登校くださった奇特な予備校生たち200人を前に、どうやったら受験勉強が楽しく捗るかというお話をする。
あらゆる受験生は「なぜこんな勉強をしなくちゃいけないのか」という根源的懐疑につねにとらわれている。
当然ですね。
もちろん、受験勉強の必然性はわかっている。
それができないと大学に入れない。
いくつかの教科に現実の実用性があることもわかっている。
例えば、英語ができると英語話者に道を尋ねられたときに、「道を尋ねられた」ということがわかる。古文ができると埋蔵金の隠し場所を書いた古地図などを解読するときに有用である。
だが、必然性と実用性を理解しているだけでは、自分の知的パフォーマンスを向上させることはできない。
受験生としては、そういう外づけ的な理屈ではなく、内側から沸き立つような「勉強したい」という強い動機が欲しい。
教師たちはさまざまな仕方でこの動機づけを試みているが、なかなか成功しない。
それはやはり私たちがどこかで知的パフォーマンスを「努力と成果の相関」という非常にシンプルな枠組みでとらえているからであろう。
ほとんどの受験生は、n倍の時間勉強すれば成績もn倍になるというきわめてシンプルな一次方程式で努力と成果の相関をとらえようとている。
だが、経験的にはそれはまったく事実ではない。
勉強時間がふえると成績が上がるのは成績がきわめて低いときだけであり、そのあとは勉強時間と成績は相関しない。ある閾値を超えて(例えば一日15時間とか)勉強するとむしろ成績は下がる(したことないから想像だが)。成績が上がるより前に体を壊して寝込んでしまうであろう。
経験がそれを否定しているにもかかわらず、受験生たちは「努力と成果の相関」というスキームにこだわっている。
この機械論的な勉強のイメージそのものが、彼らが勉強する意欲を殺いでいるのである。
別に彼らが悪いわけではない。
昔からずっとそう思われてきたのだから、仕方がない。
「詰め込み勉強」という比喩そのものが「容器とそのコンテンツ」という、知の働きについてのイメージを固定化させている。
だが、これは知性の実相とは程遠い。
知的パフォーマンスの向上というのは、「容器の中に詰め込むコンテンツを増やすこと」ではないからである。
ぜんぜん違う。
容器の形態を変えることである。
変えるといっても「大きくする」わけではない(それだとまた一次方程式的思考である)。
そうではなくて、容器の機能を高度化するのである。
問題なのは「情報」の増量ではなく、「情報化」プロセスの高度化なのである。
これまで何度も書いていることだが、情報と情報化は違う。
喩えて言えば、「情報」を「大福」とすると、「情報化」というのは小豆や砂糖やもち米から「大福を作り出す工程」のことである。
「情報」を重視する人々は「X日までに大福をX個、原価X円で納品する」というようなことに熱中する。
彼らが興味をもつのは、「納期」や「個数」や「コスト」や「粗利」や「競合商品との価額の差」などである。
要するに数値である。
それに対して、情報化というのは「なまものから製品を作り出すダイナミックな工程」である。
情報化にかかわる人々の関心はつねに「具体的なもの」に向かう。
小豆が品薄ならソラマメはどうか、もち米がなければ橡の実ではどうか、石油の代わりに薪で焚いたらどうか、プラスチックで梱包しないで竹の葉でくるむことはできぬか。
そういう具体的な「モノ」をあれこれといじくりまわしながら、モノのそれまで気づかれなかった潜在可能性を掘り起こしてゆくのが「情報化」する人の構えである。
情報化する人がかかわるのは「未だ数値化されていないもの」である。
情報化する人の口癖は
Ça peut toujours servir
である。
レヴィ=ストロースがマトグロッソのインディオたちの生きる構えを評して述べた言葉だが、訳して言えば、「これ、そのうち何かの役に立つんじゃないかな」である。
「これ」が何に役立つのか、それは今はわからない。
というのは「これ」が蔵している潜在可能性を考量する度量衡を「私」はまだ有していないからである。
そのうち、ある状況において「こんなかたちの、こんな材質の、こんな化学的特性の」ものがジャストフィットするような「欠落」に出会うことがある。
なんだか、そういう気がする。
だから、とりあえず「合切袋」に放り込んでおく。
石原裕次郎の『太平洋ひとりぼっち』という映画に印象深い場面があった。
マーメイド号に乗り込んだとき、堀江青年は床に落ちていた小さな板切れを海に棄てようとして、思いとどまる。
なにか、そのうち役に立ちそうな気がしたからである。
しばらくしてヨットは嵐に襲われる。
船室の船窓のガラスが破れ、そこから海水が浸入してくる。
堀江青年は片手で穴を抑えながら、片手で必死にあたりを探る。
すると板の切れ端に手がかかる。
それを窓にあてがって釘でばんばん打ちつけると浸水は止まった。
この板切れを棄てようとしたときに、「これ、そのうち何かの役に立つんじゃないかな」という思いがふと胸に浮かんだことで、堀江青年は危機を回避することができた。
もしかしたら、この一枚の板が彼の生死の分かれ目だったかもしれない。
というエピソードを映画で見たのが今から45年ほど前の話で、そのときに「このエピソードはなんだかきわめて重要な教訓を含んでいるように思うが、今の僕にはそれがどういう教訓かわからないので、とりあえず記憶しておこう・・・そのうち何かの役に立つかもしれないし」と小学生の私は思ったのである。
そのまま映画のことを忘れて半世紀近くたって、つい今しがたこのエピソードを思い出したのである。
「これ」は45年経ってようやく「役に立つ」状況に遭遇したわけである。
「そのうち」というのはこれくらいの時間の幅を含むのである。
閑話休題。
というわけで、「情報化する人」というのは、そういうふうに出会うすべてのものを「そのうち何かの役に立つかもしれない」と脳内にどんどん溜め込んでゆくのである。
不思議なもので「これは絶対に覚えておかなくてはならない」ことを記憶するにはけっこうな手間ひまがかかるのであるが、「そのうち何かの役に立つかもしれない(し、何の役にも立たないかもしれない)」ことを記憶するには何の努力も要さない。
だって、ことの定義上、そこで記憶されるのは、それを忘れたとしても、忘れたことさえ忘れられるようなことだからである。
だから、「そのうち役に立つかも」と思っているものは脳内にいつのまにか溜まってゆく。
それこそボルヘスの「バベルの図書館」的なスケールで増殖してゆく。
ところが、その有用性や実利性が熟知されている「これは絶対覚えておかなくてはならない」ことはなぜかさっぱり脳内にとどまってくれないのである。
まさに、その有用性や実利性が熟知されているがゆえに、「これはいったい何の役に立つのだろう?」という問いのセンサーが、そういう情報についてはまったく作動しないからである。
だって、もともと有用であることがわかっており、世間の人々も「有用である、価値がある」と太鼓判を押しているのである。
なにが悲しくて自力で、それに「こんなふうにも使えます!」というような用途を探してあげる必要があろうか。
デスクトップパソコンは「漬物石代わりにも使える」というようなことをアナウンスしても、誰もほめてくれない。
しかし、知性のパフォーマンスが爆発的に向上するのは、「その有用性が理解できないものについて、これまで誰も気づかなかった、それが蔵している潜在的な有用性」を見出そうとして作動するときなのである。
自分が何を探しているのかわからないときに、自分が要るものを探し出す能力。それが知的パフォーマンスの最高の様態である。
あらかじめリストにあるものを探すなら誰でもできる。
自分が何を必要としているのか判らないときに、「これ」が役に立つと判定できるのは、自分の存在のかたちをそのとき書き換えたからである。
思い出して欲しい。「何か窓を塞ぐもの!」という命がけの要請が切迫したときに、堀江青年の指先が捜し求めていたものは、様態も材質もほとんど未定のものであった。
考えてみれば、空き缶でもよかったし、枕でもよかったし、マンガ雑誌だってよかったのである(一時しのぎにはなる)。
発想を転換すれば、救命ボートでも、沿岸警備隊を呼び出す無線の受話器でもよかった。
もしかしたら、聖書や阿弥陀如来像が求めていた当のものであったかもしれない。
片手が阿弥陀如来像をつかんだその刹那に、「ああ、浄土からのお迎えが来た」と信じて、至福のうちに溺死するということだってあったかもしれない。
それが「間違った選択だった」と言う権利は誰にもない。
「これはそのうち何かの役に立つかもしれない」というのは、「これ」の側の問題ではなく、実は「私」の側の問題なのである。
「これ」の潜在可能性が発見されたのは、「私」の世界の見方が変わったからである。
「私」が変化しない限り、その潜在可能性が発見されないような仕方で「私」の前に隠されつつ顕示されているもの。
それをとりあえず「ほい」と合切袋に放り込むこと。
それを「学び」というのである。
おわかりいただけたであろうか受験生諸君。
健闘を祈る。

2008.07.08

妄想の効用

河合塾の島原先生からメールを頂いた。
日曜の講演で、どうすれば知のパフォーマンスが向上するのでしょうか、という予備校生からの切実な質問に苦し紛れに「妄想しなさい」とお答えしたのであるが、これが塾生たちにはたいへん好評だったらしく、塾内では「妄想ごっこ」が流行の兆しだそうである。
つねづね申し上げていることだが、妄想はたいせつである。
強く念じたことは実現する。
「それ、ほんとうですか?」と疑念をもつかたもおられるやもしれぬ。
ご安心ください。
これはほんとうである。
多田先生がそうおっしゃったのであるから、間違いない。
多田先生がそうおっしゃったのは、中村天風先生がそうおっしゃったのを聞いて、「天風先生がそうおっしゃるなら、間違いない」と思われたからである。
天風先生がそうおっしゃったのは、頭山満翁かカリアッパ師からそう聞いて「この人が言うなら間違いないだろう」と思われたからである。
「・・・先生がそうおっしゃったのだから間違いであるはずがない」という「宣告」だけが示され、その「基礎づけ」はいつまでも示されない。
これが真理の本質的な形式である。
別に私がそう言っているのではない。
ジャック・ラカンがそう言っているのである。
「おのれを権威とするあらゆる宣告は、その宣告以外にいかなる基礎づけも持たない。他のシニフィアンにおのれの基礎づけを求めても空しいことだ。シニフィアンはそのようにして基礎づけられた場所以外のどこにも出現しないからだ。(・・・) 『他者』の『他者』は存在しない。立法者(律法を制定したと主張する人間)が自分を何かの代理人であると自称したら、そいつは詐欺師である。
 しかし、律法そのものは詐欺ではない。」(Jacques Lacan, Écrits I,Seuil,1966, p.174)
「私は立法者である」と宣言する者がおのれの身元保証を別の誰かに求めたなら、その「身元保証人」こそが本来の「立法者」であることになるのだから、彼は地位を詐称していることになる。
だから、立法者の立てる律法の正統性の保証は、それが「律法として立てられた」という事実以外のどこにも求めてはならない。
しかし、そのことは律法の正統性を損なわない、そうラカンは言う。
ラカンがそう言うんだから間違いない。
という構造になっているのである。
真理というのはあらかじめ存在するのではなく、構築するものだからである。
おわかりかな。
強く念じたことは実現する。
これはほんとうである。
問題は「強く」という副詞にある。
「強く念じる」というと、多くの人は『HEROES』のヒロ・ナカムラくんのように眉間に皺を寄せてしかめっ面をするようなふるまいを想像するかもしれない。
それは違う。
「強く念じる」というのは「細部にわたって想像する」ということである。
細部にまでわたって想像するためには「具体的なもの」を描き出せなければならない。
数値や形容詞によって妄想することはできない。
「年収2000万円で、家賃30万円のマンションに暮らして、一本20000円の高級なワインを200ミリリットル飲んでいる未来の私」というようなものは想像できない。
想像できるのは、その部屋の間取りであり、家具の手触りであり、空気の匂いであり、ワインの風味であり、グラスの舌触りであり、嚥下するときの内臓の愉悦である。
それは数字や形容詞では描くことができない。
この想像には終わりがない。
その部屋の書棚にどんな本やCDが配架されており、クローゼットにはどんな洋服があり、食器はどんなものが揃い、ベランダの植物はどんな育ち具合であるか、というようなことを想像し始めると終わりがない。
ましてや、妻とか子とかいうものがそこに出てきて、会話なんかが始まったら、もうたいへんである。
想像には節度がないので、私たちは実に多くのことを想像してしまうからである。
きれいな女の子(恋人なのね)の哀しげな横顔であるとか、かすれた声でつぶやく言葉の切れ端であるとか、頬に触れる髪の毛の感触とか、そういうことを具体的に想像しはじめると切りがない、ということはおわかりいただけるであろうが、そういう「想像のストック」はたちまち膨大な量になる。
そして、ある日、「それと同じこと」がわが身に起きたときに私たちは「宿命の手に捉えられた」ことを確信するのである。
だって、想像した通りのことが起きたんだから。
これが宿命的な出来事でなくて何であろう。
以前にも書いたとおり、「私の夫になる人はトイレの置き本に『断腸亭日乗』と『若草物語』を並べておくような人」などということをうっかり妄想してしまった少女が、その十年後に、たまさか訪れた男友だちの家のトイレにその二冊が並んでいたのを見たりすると、「ああ、私が待っていたのはこの人だったのだ」という確信を得ることは避けがたいのである。
そのようにして、少年少女のときに具体的に細部にわたって妄想したことは高い確率で実現することになる。
ことの順逆を間違えてはいけない。
想像したことが実現するのではない。
想像していたからこそ、実現したことがわかるのである。
真理というのはあらかじめ存在するのではなく、構築するものなのである。
宿命もそうである。
それは自由に空想する人の身にのみ到来するのである。
そして、人間がその心身のパフォーマンスを最大化するのは、「私はいま宿命が導いた、いるべき場所、いるべき時に、いるべき人とともにいる」という確信に領されたときなのである。

2008.07.09

裁判員制度は大丈夫?

四回生のゼミは裁判員制度。
あと1年ほどで制度が導入される。
ゼミでこの件について論じるのはもう4回目である。
毎回学生さんたちはなんとなく片付かない顔になる。
そもそも、この制度を「導入しよう」と言い出したのは誰なのか。
それがわからないのである。
「導入しよう」と言い出した以上は、その人たちにとっては、制度の導入によって何らかの利益が見込めると思ったはずである。
何の利益か。
それがわからない。
法務省にとって、この制度の導入はどんな利益があるのか。
最高裁のHPにはこう書いてある。
「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。」
なんということもない文言であるが、こういうことを最高裁が言い出すということは言い換えれば、「裁判が身近ではなく、わかりにくく、司法に対する国民のみなさんの信頼が低下している」ということが前段になければならない。
論理的にはそうである。
現に裁判が身近でわかりやすく、国民の司法への信頼が篤ければ、司法制度をいじる必要はないからである。
だから、前件としては「司法制度はうまく機能していない」ということになる。
でも、そういうことをふつう司法制度の当事者が言いますか?
言わないでしょ。
ぜったい。
メディアがいうなら、わかる。
政治家が言うのなら、わかる。
日弁連が言うのでも、わかる。
でも、誰も文句を言わないのに、裁判官が自分から「裁判制度は早急になんとかせないかんです」と言い出すということはありえない。
百歩譲ってあったとしても、その場合裁判を「身近でわかりやすいもの」にし、司法への信頼を回復する方法はいくらでもある。
司法制度への国民的理解を深めたいとほんとうに思うなら、いちばん簡単なのは「法律学」を中学の社会科の必修にすることである。
いまだって「公民」という科目があるのだ。その半分くらいを法律学と法社会学と法制史と司法制度の解説に割けば、国民の司法への理解は飛躍的に高まるであろう。
学習指導要領を書き換えるだけなんだから。
そういう「簡単な方法」が他にもあるにもかかわらず、裁判官たちが自分の職域に「素人」を招き入れて、彼らに裁判権を分割することで司法制度が改善されるというアイディアを提唱するということは考えられない。
例えば、教育制度はうまくいっていない。
いうときに、生徒たちを教壇に呼び寄せて、いっしょに授業をやってもらうという代案を思いつく教師はいない。
医療制度もうまくいっていない。
そういうときに、患者たちを診察室へ呼び入れて、いっしょに医療行為をしてもらうという代案を思いつく医者はいない。
当たり前だが、それらの仕事は専門的知見と経験を必要とするからである。
シロートに着流しで現場を歩き回られては困る。
裁判官だけが違う考え方をしたということを私は信じない。
日本中の裁判官はこの司法制度の改革に反対しているはずである。
意見を公開する機会が提供されていないので、黙っているが、内心ずいぶん怒っているはずである。
と思う。
だから、この制度改革が裁判所主導で進められたということは考えにくい。
では、誰が主導したのか?
裁判の厳罰化を求める勢力がこの制度改革を支持したという可能性はある。
裁判員制度の導入で間違いなく「メディアの論調」は司法判断に反映するようになる。
ただ、かかわるのは刑事事件だけであるから、国が被告であるところの公害訴訟とか、そういうところには市民感情は反映しない。
するのは殺人事件などの凶悪事件だけである。
凶悪事件については、あきらかに司法と市民感情のあいだには齟齬がある。市民感情は刑法条文や判例とかかわりなく「厳罰」を望む傾向があるからである。
裁判員制度の導入は「厳罰化」による秩序と倫理の回復を求める政治家や知識人が支持したのかも知れない。
しかし、殺人事件の審理に参加した市民裁判員は、テレビに向かっているときには「そんなやつは死刑にしちゃえばいいんだよ」と気楽にコメントしていたとしても、自己責任で死刑に一票を投じることには少なからぬ心理的抵抗を感じるはずである。
裁判官なら職業的覚悟にもとづいて死刑判決を下せるだろうが、一般市民はそのような心理的訓練を受けていない。
裁判官だけで下した判決であれば死刑になっていた判決が、裁判員を入れたために懲役刑に減刑されるケースが出てくる可能性は高いと私は思う。
もし「厳罰化」を求めて裁判員制度を導入したのだとしたら、そのもくろみははずれるだろうと私は思う。
有期刑の量刑はどうなるかわからないが、死刑判決は激減するはずである。
それより、私がいちばん懸念しているのは、裁判員になった市民たちがこうむるトラウマの影響が過小評価されていることである。
殺人事件について、私たちがメディア経由で知らされるのは、その全貌のほんの一部にすぎない。
けれど、裁判員は調書を閲覧するときに、そのありのままを見せられる。
それは「人間がどれほど邪悪で残忍で非理性的になりうるか」ということをまぢかに知ることである。
人間性の暗部に触れることはしばしば人の心に回復不能の傷を残す。
というか、それに触れてしまった人にしばしば生涯にわたって回復不能の精神外傷を負わせるものを私たちは「人間性の暗部」と呼んでいるのである。
そのようなものに心理的成熟にばらつきのある市民たちが組織的にさらされることについてはどう考えているのだろう。
事件の内容だけでなく、評議の過程で、裁判官や他の裁判員たちの態度にショックを受けるということも考えられるが、裁判員たちはこれらのことについては生涯にわたる守秘義務を課されている。
職務上知り得た秘密を漏洩した場合には6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金に処される。
裁判員に選任されたことによって重篤なPTSDに罹患する市民が出た場合、彼らは「職業知り得た秘密」を医師やカウンセラーには話してもよいのか、それさえも禁じられているのか、そのあたりのことは事前に明らかにしておいた方がいいような気がするけど。

2008.07.11

正しい育児

一昨日は『プレジデント・ファミリー』、昨日は『日経キッズプラス』と2日続けて育児誌の取材を受ける。
どうしてなんでしょうね。
私は育児にビジネスマインドがからむことを少しもよいことだと思っていないので、これまでもことあるごとにこのような雑誌についての批判を公言してきた。
先方には私に筆誅を加えるいわれはあっても、ご高説拝聴というようなことを言ってくる義理はない。
ともあれ、せっかく遠路お越しいただいたわけであるから、「まあ、いいからそこに座りなさい」とエディターとライターを招じ入れて長説教。
あなたがたの雑誌が推奨しているような育児戦略はその根本から間違っているのであるという話をする。
両誌の編集者たちはたいへん熱心に聴いて、納得顔で帰っていった。
うーむ。
昨日の最初の話題は「子どもを階層の違う家庭の子どもと付き合わせることの可否」であった。
最初は質問の意味がよくわからなかったのだが、どうやら「自分たちとは価値観や生活様式の違う家庭の子どもとは付き合わせたくない」ということを公言する親御さんがいるらしい。
そうしたいなら、好きにすればよろしいとお答えする。
しかし、単一の価値観、単一の生活様式しか許容できないようなタイプの子どもが成長したあとどうなるか、親御さんたちも多少は想像した方がよろしいのではないか。
そのような子どもは長じて価値観や生活様式の違う人々と共同体を作ることを不得手とする人間になる。
当然ですね。
政治イデオロギーも信教も美意識も食物の好悪も、自分と「違う」人間はできる限り忌避し、似たもの同士の同類とだけ暮らしたいという人間が出来上がる。
ほんとうにそれでよろしいのか。
第一に、そういう人はクリエイティヴな仕事に就く上で多大の困難を覚えるはずである。創造的な仕事の現場とは、たいていの場合、「そのような考え方感じ方をする人がまさかいるとは思わなかった他者」たちとの出会いの場だからである。
それはまた配偶者の選択肢がきわめて限定されるということでもある。異性間で価値観と生活様式が一致することはきわめてまれだからである。
そして、運良く配偶者を得たとしても、それは自分の子どもと共生することに困難を覚えるということである。ふつう、幼児は価値観とか生活様式というようなものを確立していないからである。
それはまた、老齢者となった親(この雑誌の読者である人々)が子どもから忌避されるということをも意味している。老人と若者では価値観も生活様式もはなはだ異なるからである。価値観や生活様式を異にする人間とは共生しない方がいいと教えられてきた子どもたちは、合理的に推論した上で、彼らを「そんなふうに」育てた親たちについても、「最近、うちの親も年とっちゃって、なんか話が噛み合わないんだ」と思えば、逡巡なく視野から排除するであろう。
話が噛み合わない人間と話を噛み合わせるために知性的・感性的リソースを用いるのは「よくないことだ」と子供のときから教えられてきたら、当然そうなる。
もし、そうなっていないとしたら、それは子供たちが「価値観や生活様式が同じ人とだけ付き合いなさい」という親の教えに従わないで、勝手に成熟したからである。
子どもを「価値観や生活様式の違う家の子とつきあわせないためにはどうしたらよいのでしょうか」と訊いてきた親たちは、いずれ自分たちの子供から追い出されることを通じて、そのような問いの答えを求めたことを後悔するか、あるいは子供が自分たちの言うことをぜんぜん聞かないで成熟したことを知って、そのような問いの答えを求めたことの無意味さを知るか、いずれかであろう。
どちらにしても無駄なことである。
子どもは放っておけば、必ず価値観や生活様式の違う他者に惹きつけられる。
それは生き延び、子孫を残す上で必須な能力と資質がその関係をつうじて涵養されることを子ども自身が本能的に知っているからである。
それを親がそれを阻害しようとするのに「何か効果的な方法はありませんか?」と訊かれても答えようがない。
自分の子どもを「誰からも愛されず、誰も愛することのできない人間にしたいんですけど、どうしたらいちばん効率よくそうなれますか?」という質問に、誰が答えることができようか。

現在メディアで育児戦略として流布している理説のほとんどは「誰にでも、いつでも妥当する」という建前を掲げている。
しかし、その一点で、それらの理論はすでに間違っている。
というのは、育児は構造的に斉一的ではありえず、かつ首尾一貫しないものだからである。
すべての子どもはそれぞれにきわだって個性的であり、同じ子どもは二人といない。そして、子どもは絶えず変貌している。
だから、「誰にも、いつでも妥当する」育児戦略というのはありえないのである。
育児理論について私たちが言えるのは、「単一の、首尾一貫した育児理論はつねに失敗する」ということである。
「だったら、どうすればいいんですか?」
お教えしよう。
私が「こうしなさい」と言ったことに納得したら、それを実践しない。私が「こうしなさい」と言ったことに納得できなかったら、それを実践する。
これが私の「こうしなさい」である。
さて、みなさんは納得できましたか。
何?納得できない。
あらら、これはたいへん。

2008.07.12

政治化するお笑い

基礎ゼミの発表で「笑い」について考えた。
「笑い」についてはベルクソンの古典的著作以来無数の研究がある。
しかし、笑いの「政治性」について論じたものはあまり多くない(私は読んだことがない)。
鞍馬天狗や水戸黄門が「わははは」と笑いながら登場するのは、別におかしいことがあるからではない。
笑いには「破邪顕正」という呪術的な力があると信じられているからである。
彼らはまずその場を浄めるために笑う。
現代では、そのような笑いの呪術的効果についての信憑は希薄化しているが、それでも「人より先に、人より大きな声で笑う人間はその場を支配する力がある」ということについての社会的合意は存在する(ガハハハと馬鹿笑いして背中をどづくというようなふるまいは、あれは「私はお前の上司である」という定型的なシグナルなのである)。
人々が見落としがちなのは、この笑いのもつ「政治性」である。
私たちの時代に「お笑いタレント」が社会的ニーズを上回って簇生し続ける理由を私はひさしく不可解に思っていたが、「笑いの政治性」という補助線を引くと、理解が届きそうな気がした。
現在、「政治家になる」というオプションはきわめて閉鎖的である。政治家は歌舞伎俳優とあまり変わらない世襲のファミリー・ビジネスになりつつある。
しかし、「政治性の強い人間」はどんな時代でも一定数生まれてくる。
その受け皿となっているのが「お笑い芸人」ではないかと私には思えたのである。
「お笑い芸人」に要求されるのは「自分の笑いに他者を追随させることを通じて、その場を統御する能力」である。
「笑い」という語を「意見」に置き換えれば、これはそのまま政治にあてはまる。
そして、たしかに政治家に要求されているのは「意見」のコンテンツの整合性や妥当性ではなく、それに追随する人間たちが場の過半を占めるという事実なのである。
私はテレビをほとんど見ない人間であるが、先般ヴァラエティ番組というものをたまたま見る機会があり、その成り立ち方の「異常さ」につよい興味を引かれた。
そこにはお笑い芸人たちだけが十数名集められており、全員が誰が先に笑いを取り、誰がそれに追随し、誰が割り込み、誰が「受けない」ギャグを査定し、誰が笑いの「割り前」を分配するか・・・という「パワーゲーム」に熱中していたからである。
「笑い」はほとんどヒッチコック的な「マクガフィン」となっていた。
芸人たちはそれを奪い合う。
けれども、一人でそれを占有することは許されない。
トラヴェリングの反則をとられるのだ。
だから「笑い」はパスしなければならない。
けれども、番組を見ていると彼らは「自分に必ずリターンパスを返す人間」にしかパスしない。
見ていると、「つねにパスの起点にあり、全員にリターンパスを要求する芸人」、「リターンパスをあわてて返す」芸人、「一回フェイクを入れてから返す芸人」、「自分が『パスされた』ことに気づかないでトラヴェリングの反則を犯す芸人」、「誰からもパスをもらえない芸人」など、芸人たちはいくつかのパターンに分類され、そこに「芸風」の差別化と政治的序列が反映していることがわかる。
下位芸人は、最初は「上位芸人から送られたパスにただちにリターンパスを返す」ことだけを要求されている。
そのタイミングがよいと、上位芸人から「一回フェイクを入れてから返す」ことを許される。
さらに芸が進むと、「自分へのリターンパスを求めてパスを出す」ことまで許される。
吉本興業の芸人がこれだけテレビ画面に出てくる理由を「コスト」で説明する人がいるが、私は違うと思う。
おそらく、視聴者は吉本の芸人たちの「パワーゲーム」を眺めているのである。
政治家だと、その政界内部的ポジションは選挙や内閣改造まで変わらない。
イラチな視聴者はそんな長い時間待ってられないのである。
お笑い番組はうっかりすると15分以内くらいにポジションが変わる。
それまで上位芸人の次くらいのポジションにいて、定期的にパスをもらえていた芸人が、上位芸人の不意の気まぐれや、下位芸人の技が受けたせいで、まったくパスをもらえない状態になって、青ざめ、脂汗をかきだす。
おそらく視聴者はそれを愉しんでいるのだ。
芸人の世界の序列が厳しいのは、そのせいである。
序列が厳しいからこそ、「上位芸人の転落」は「美味しいネタ」になる。「上を喰う」芸には禁忌のスパイスが添加されるからである。
だから、お笑い芸人が政治家に転身するというのは、ある意味では「王道」なのである。
彼らはある種のパワーゲームについてはプロフェッショナルだからである。
私たちの時代に起きているのはおそらく「劇場の政治化」と「政治の劇場化」による二つの領域の接近である。
「政治の劇場化」については多くの人がこれを指摘しているが、「劇場の政治化」については語る人がすくないので、基礎ゼミでの発表を奇貨として、ここに記すのである。

2008.07.13

コピーキャット社会

『こんな日本でよかったね』(バジリコ)がもうすぐ発売される。
まだ書店には配架されていないが、すでに重刷が決まったそうである。
ネット「青田買い」してくださる読者のみなさんのおかげである。
自分でいうのもなんですけれど、たいへん面白いです。
ところが、読んでいるうちにすごい誤記を発見する。
261頁に「ナチスドイツの宣伝相であったゲーリングは」とあるのだが、これは誰が何と言っても「ゲッベルス」の間違いである。
ゲーリングはゲシュタポと空軍の創設者の方である。
「ゲーリング」ヴァージョンを買ってしまった方は、稀覯書を手に入れたと思ってください。三刷りからは直しておきます。
(と書いたあとにネットで調べたら、amazonで46位、bk1では全体で3位、社会で1位になっていた。もう書店に並んでいるのであろう。1位というのははじめてのことなので、これはたいへんうれしいです。お買い上げのみなさん、ありがとうございます)。

ある書店から「アキハバラ本」への寄稿を頼まれる。
寄稿メンバー表を見ていると、なんだかコンセプトが微妙に「違う」ような気がしたので寄稿を断る。
私はこの事件についてはすでに数回話しているが、そこで繰り返し述べたのは、これがきわめて「記号的な」事件だ、ということである。
犯人自身が「ワイドショー独占」と書いているように、「この事件は何を意味するのでしょう?」という問いかけがメディアを賑わせることそのものを目的として行われた。
そして、メディアはその目的通りに動かされている。
彼が秋葉原で人を殺したのは、人を殺すことを目的としてではない。(無差別殺人というのは、「殺すことが目的ではない」ということである)。
そうではなくて、「この殺人はいったい何を意味しているのでしょうか?」という問いを人々が立てることである。
つまり、「この殺人はいったい何を意味しているのでしょうか?」という問いを立てた人々は自動的に「事後従犯」となるように犯行は構成されているのである。
私はそれを「悪魔的」なものだと思う。
その「悪魔性」は犯人に内在するものではなくて、私たちの社会そのものが分泌している、ということが私をいっそう気鬱にさせる。
犯人が「こんなこと」を思いついたのは、「前例」があるからである。
事件は7年前の同じ日にあった大阪教育大学池田小学校の宅間守の無差別殺人事件(児童8名死亡、児童13名、教諭2名負傷)の「コピー」である。
レンタカーで人混みに突っ込み、暴走して人をはね(2人死亡、5人負傷)、その後車から降りて両手に包丁をかざして、無差別に人を刺した(3人死亡、5人負傷)という犯行の形態は1999年9月29日のJR下関駅構内で起きた「下関通り魔殺人」の「コピー」である。
その下関通り魔殺人は、その3週間前に起きた「池袋通り魔殺人」の「コピー」である。
この事件では両手に包丁とハンマーを持った男が「むかついた。ぶっ殺す」と唸りながら、無差別に10名を襲い、うち女性2人が死亡した。
ほかにも犯人が「参照」した事例はいくつかあるはずである。
これは文学における「歌枕」と似た構造を持っている。
歌人がある名所旧跡を訪れると、とりあえず一句詠む。
すると、その場所に歴代の歌人たちの無数の歌が蓄積する。
あとから来た歌人は、その先行するすべての歌を「参照」して、それに重ね書きするようにして自分の歌を詠む。
そして、その歌を鑑賞する人々は、ある作品が「ふまえている」古歌について、どれだけ網羅的なリストを作れるかによって、それぞれに異なる印象をそこから読み出すことになる。
『笈の小文』で明石を訪れた芭蕉は「蛸壺やはかなき夢を夏の月」と詠んだあと「かゝかる所の穐なりけりとかや」に始まる自作解説を付して、この一句が『源氏物語』、杜甫『岳陽楼に上る』、能『松風』、『平家物語』などをふまえていることを教える。
「物しれる人の見侍らば、さまざまの境におもひなぞらふるべし」
その一句がふまえている古歌や故事来歴について知る人は、その一句から無限の滋味を引き出すことができるであろう。
これが「歌枕」の構造である。
「コピーキャット」の構造はこれと同じである。
ある殺人事件が蔵している意味の「さまざまな境」を知るためには、それが「前例」としてふまえている殺人事件についての網羅的なリストを作成することが求められる。
そして、そのリストが長くなれば長くなるほど、その殺人事件の「メッセージ」は奥行きを増す。
シリアル・キラーは本質的にコピー・キャットである。
「シリアル」という点で、すでに第二の殺人から後は「自己模倣」になるからである。
第二の殺人は「第一の殺人を参照せよ」というメッセージを発信しており、第三の殺人は「第一、第二の殺人を参照せよ」というメッセージを発信している。
そして、そのすべてが「先行するすべてのシリアル・キラーの犯行を参照せよ」というメッセージを発信している。
あなたはいったいいくつの「古歌」を思いつくことができるか?
犯人はそう問いかけているのである。
殺人における「物しれる人の見侍らば、さまざまの境におもひなぞらふるべし」というのはそういうことである。
そして、私たちが犯罪史的に知っていることの一つのは犯行の凶悪さは、まさしくその「複製性」と相関するということである。
そこで実際に行われた出来事ではなく、その出来事が「どういう文脈で行われたか、どのような『先行事例』をふまえてなされたものか」という「解釈」のレベルにまっすぐ人々を誘う犯罪こそ私たちが想像しうるもっとも凶悪な犯罪である。
というのは、ある犯罪が「複製」である場合、私たちにとって、そこで何が行われたか、誰が殺されたのか、ということは「とりあえずどうでもよい」ことになるからである。
それはいわば「コピー」における紙質の差やインクの色の違いのような物性レベルのことである。
問題は「何にコピーしたかではなく、何をコピーしたのか」だからである。
殺人を犯し、ゆきずりの人々を害した事件について、私たちはその事件の「意味」を理解するために、そこで起きたこと「そのもの」を視野から排除しなければならない。
被害者がどういう人で、なぜここで殺されることになったのかについてどれほど詳細にわたって情報を集めても、それは犯行の「意味」を理解するためにはまったく無意味だからである。
私たちは事件が何を意味するのかを知るために、死者たちをただの「記号」として、「数字」として、「誰でもよかった死者」として扱うことを強いられる。
このとき死者たちは二度殺されている。
一度目は「メッセージ」を書いた犯人によって、二度目は「メッセージ」を解読しようとする私たち自身によって。
被害者を記号として殺すことで、「二度殺す」という点がコピーキャット的な無差別殺人の第一の特徴である。
第二の特徴はそれ以上に凶悪である。
それは、「コピーキャット的無差別殺人」の場合、犯人は自分がそこに託したメッセージ以上のメッセージを、「自分はそんなことを言うつもりではなかったメッセージ」を読み出されるという「特権」を享受できるということである。
ある殺人事件の犯人が知っている先行事例は限定的である。
けれども、解釈者たちはそこから無限の先行事例を連想することができる。
『中央公論』で佐藤優はこの事件について、こう書いている。
「僕があの書き込みを全編読み終わって真っ先に感じたのは、『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフの発想にそっくりだということ。格差がものすごく拡大した十九世紀終わりのロシアでは、ニヒリズムが蔓延します。神もへったくれもない、人を殺そうが、金品を奪おうが何をやっても勝手だと、実際テロや強盗殺人が多発した。ドストエフスキーはその現状に直面して、自らの中で殺人を正当化する独善的な人物を主人公に、あの作品を書いている。」(「秋葉原事件を生み出した時代」、『中央公論』8月号、83頁)
佐藤と同じように、この事件の犯人について「・・・の発想にそっくりだ」ということを思いつく人間がこのあと続々と登場してくるだろう。その中には犯人がその名前も知らないような歴史的人物や想像上の人物が含まれているはずである。
そして、犯人は「この歴史的犯罪者の21世紀日本におけるアヴァターである」というかたちで繰り返し「解釈」される。
しかし、コピーキャットというのはそもそも「そのような特権を享受すること」そのものを狙ってなされる犯罪なのである。
コピー・キャットが殺人を通じて発信するメッセージには「内容」がない。
「これは記号です。みなさん、解釈してください」というのがそのメッセージの唯一の「内容」である。
そして、「この内容をもたないメッセージは何を意味するのか?」という問いを立てるときに、私たちはすでに事後従犯として、記号の増殖プロセスに積極的に参加してしまうのである。
だから、「この次に起こる、これとそっくりな事件」は、これまでの先行事例よりもさらに無内容であり、さらに記号的であり、それゆえさらに多くの人々による解釈を励起することになる。
私が気鬱になるのはそのせいである。
「歌枕」に立つと、有名無名の人々が歌を詠まずにいられない気分になるのは、そこで詠む歌は、そうでない場所で詠む歌よりも「深く解釈される」可能性が高いからである。
まるで無内容な歌であっても、「これはもしかすると、あまり知る人のいない『あの古歌』をふまえているのではないか」というような「おせっかいな」解釈を呼び寄せる可能性があるからである。
だから、自分が卑小な人間であることに苦しみ、自分を大きく見せようとする人間は、必ず「コピーキャット」になる。
そして、私たちの社会には自分が卑小な人間であることに苦しみ、自分を大きく見せようとすることに必死な人間たちが犇めいている。
コピーキャットによる犯罪の無限の増殖を防ぐために私たちがなすべきことは、事件を「記号的に」解釈することではない。
「記号的に解釈されることをめざしてなされる事件」の発生の構造そのものを解明することである。
では、どうすればいいのかと言われても、私に確たる答えがあるわけではない。
とりあえず私に言えることは、「この事件が意味するものは?」という問いがすでに「事件の一部」をなしているという病識だけは持ち続けなければならないということである。

2008.07.15

池部良週間始まる、その他のニュース

昨日の重大ニュース
「シャトーマルゴーで二日酔い」事件。前日、斉藤言子先生宅で石黒晶先生といっしょにワインをたくさん飲んだ。シャトーマルゴー(釈先生からお中元でいただきました。美味!)から始まって、モエ・エ・シャンドン、ヴーヴ・クリコと飲み続け、ブルゴーニュの赤に行く頃には全員はらほろひれ状態。なんとか家には最終でたどりついたけれど、朝起きるとひさしぶりのワイン二日酔い。

「二日酔いなのに原稿を書く」事件。例によって締め切りを忘れていた。なんとか夕刻までに酔いをさまし、学部長会が終わってから家に飛んで帰って、「私たちにとっての吉本隆明」と「秋葉原事件について」二本原稿を書き飛ばす。「秋葉原事件」について某書店から寄稿を頼まれてなんとなく気が乗らなくて断ったと一昨日書いたけれど、「なんとなく気が乗らなかった」理由は今にして思えば「他の出版社から同じ趣旨の原稿依頼を受けていたから」であった(それくらい思い出せよ)。

「トーブさんからメール」事件。ラリー・トーブさんはいまイスラエルにいる。そのトーブさんからヘブライ大学の図書館の司書の人から『私家版ユダヤ文化論』を入れたいという申し出を受けたので、送って下さいというメールが来た。もちろんお送りするけれど、誰が読むんだろう。日本語の本なんですけど。
宛先住所を聞いたら、モルデカイ・ルリアさん気付けであった。
モルデカイ・ルリア。
すごい。
日本風に言ったら「義経・空海」みたいな名前である。

「『こんな日本でよかったね』チャートイン」事件。都市部では週末に発売になった『こんたね』(略し方、これでいいかな)はamazonでは20位から40位のあいだをうろうろ。bk1の社会・政治・時事部門では二日続けて1位。東京のタカハタさんから写メールで三省堂本店で12面平積みでしたという報告が来る。バジリコの安藤さんは「もしかして10万部くらい行くかも・・・」と皮算用の電卓を叩いている。

「二日酔いなのに本を書いちゃった」事件。『こんたね』が売れ行き好調と聴いて、すっかりいい気分になったので、懸案のゲラを片付けて、次の本の原稿を送り出す。
などということを書くと「どうしてうちの本の仕事を先にしないんですか!」と激怒する編集者たち(○ジモト○ミさんを筆頭に)がおられるであろう。ごめんねごめんね。

「池部良週間」事件。関川夏央さんとビールを飲みながら、『青い山脈』の話をしているうちに、日本戦後史において「池部良」が象徴的に果たしていた役割の重要性という話になり、『月刊現代』の次のゲストに池部さんをお訪ねしようかという話になった。
池部さんは『青い山脈』で「民主ニッポン」を体現する旧制高校生を演じ、『乾いた花』で心に傷を負った現代やくざを演じ、『昭和残侠伝・唐獅子牡丹』で風間重吉という伝説的な役で60年代東映映画のイコンとなった。
池部さんの背景にあるのは戦争体験である。『ハルマヘラ・メモリー』は北支から南方ミンダナオに転進途中でアメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した池部少尉が生き残った部下たちを引き連れて、ハルマヘラ島で米軍の侵攻を待つ・・・という「映画みたいな話」である。予備士官学校出身の池部少尉の「市ヶ谷」(陸士)出身の将校たちの愚鈍さと暴力性に対する怒りは、クールでユーモラスな文体の行間からにじみ出してくる。
小津安二郎監督の『秋刀魚の味』の中で、加東大介演じる下士官が、バーのカウンターで「軍艦マーチ」を聴きながら、かつての駆逐艦長である笠智衆に「あの戦争に勝っていたら、オレたちはいまごろニューヨークですよ、艦長」と言う場面がある。それに笠智衆が「いや、負けてよかったじゃないか」と答える。それを聴いた加東大介が「そうですかね。そうだな。バカな奴らが威張らなくなっただけでも、負けてよかったか」とつぶやく。
「バカな奴ら」に対する怒りはこの世代においては必ずしも「告発」的な語法では語られない。その屈託は『ハルマヘラ・メモリー』を読むとよくわかる。
それでも彼らに自分と部下の命を預け、彼らとともに生き死にする以外に選択肢がない。戦後も池部さんはそのときに選択した自己抑制に「理あり」とする態度を貫いたのである。
池部良の風間重吉には、この「陸士出身の愚鈍な軍人の指揮下で無駄死にすることへの諦念と抵抗」の情念に近いものが漂っていたように思われる。
というわけでここ数日は池部良の本を集中的に読み、出演映画を集中的に見ている。

その他
「グリーンカレー食べ損ね、かわりにカレー味春巻き食べちゃった」事件。
「仏文の先生が学部改組で学生課職員にされられた大学があるんですって」事件。
「『どうして私にだけ連絡メールが届かないんですか』と怒る学生三人」事件。
などが頻発。二日酔いの半日(昼まで寝てた)にしては事件の多い一日であった。

2008.07.17

アメリカ人はどこまで

ポッド・キャストで町山智浩さんの「コラムの花道」を聴いていたら、「アメリカ人はどこまでバカか」という話が出てきた。
『ナショナル・ジオグラフィック』が2006年にアメリカの大学生にアンケートを実施したところ、88%はアフガニンスタンがどこにあるのか知らなかった。63%はイラクがどこにあるのか知らなかった。20%は世界地図の中でアメリカを指さすことができなかった。
オーストラリアの「アメリカ人はどこまでバカか」というドキュメンタリーのTV番組がYouTubeで評判になっている。
とくに歴史と地理について、知識の構造的な欠落があるらしい。
街行くふつうのアメリカ市民のおじさんおばさんに質問をする。
世界大戦は何回あったかという質問に「3回」と答える人がおり、「ヒロシマ、ナガサキ」とは何かという質問に「柔道!」と答える人がおり、「イスラエルでいちばん信者の多い宗教は?」という質問に「イスラム」と答える人がおり・・・というふうにアメリカ人の無知ぶりを嘲笑するという趣向の番組である。
とくに、「イラクはどこですか?」と世界地図を示すと、オーストラリアを指し、「北朝鮮はどこですか?」と別の人に聴くと、やっぱりオーストラリアを指すシーンがあって、オーストラリアではそれが大受けしたらしい。
さすがにアメリカでもアメリカ人の知力低下問題は社会問題として浮上してきたらしく、町山さんによると、リック・シェンクマンという人の「アメリカ人はどうしてこんなにバカになってしまったのか」(Rick Shenkman, Just How Stupid Are We?: Facing the Truth about the American Voter, Basic Books,2008)という本がアメリカでベストセラーになっているそうである。
町山さんによるとシェンクマンの結論は「アメリカ人がバカになったのは今に始まったことではない(1950年代からずっとバカだった)から別に心配することはない」ということのようである(ほんとかな~)
面白そうなので、さっそくamazonで購入。
本が届いたら、内容をみなさんにもご紹介しますね。
びっくりしたのは、放送の中でいきなり「内田樹先生も書いてますけど」と町山さんが言い出したこと。
日本の学生の学力低下について書いたことを引用されたのであるが、部分的な引用だったので、番組を聴いた人が誤解すると困るから、この場を借りて正確を期したいと思う。
町山さんは「大学で『フェミニズム』という言葉を口にしたら、学生が誰も知らなかった」というエピソードを紹介しているけれど、これは2006年5月のブログに書いた話である。
関連箇所を再録しておくと。

私はあまりものごとに動じない人間であるが、今日はかなり驚いた。
基礎ゼミでの出来事である。
今日のお題は「エビちゃん」。
「それは誰ですか?」
という私の問いかけに一年生のゼミ生諸君はたいへん不思議な顔をしていた。
Cancamの専属モデルの「エビちゃん」という26歳の女性のことである。
私はもちろんCancamを購読しておらないし、TVもほとんど見ないので、そういう方が数ヶ月ほど前から全日本的規模で10代20代女性のロールモデルになっているという事情を存じ上げなかったのである。
ふーむ。そうですか。
もちろん、その程度のことで私は驚きはしない。
驚いたのはその先である。
で、その彼女がポピュラリティを獲得した理由について、本日発表をしたKカドくんが社会学的分析をしてくれたのである。
不況時には「稼ぎのある、強い女性」が人気を得るが、好況時には「アクセサリー的に美しい、庇護欲をそそるような女性」が人気を得るという法則があり(知らなかったよ)、その景況による嗜好の変遷にともなって、デコラティヴな美女であるところの「エビちゃん」が現時点での女性理想像なのだという説明をして いただいた。
発表者のKカドくんも「大学デビュー」に際しては「エビちゃん」系でファッションを整える方向で精進されているそうである。
ふーむ、たしかに、そういうこともあるかもしれない。
しかし、それってさ、フェミニズム的にはちょっと問題発言だよなと申し上げたところ、ゼミ内にやや不穏な空気が漂った。
あまり納得されていないのであろうかと思い、さらに言葉を続けた。
だってさ、そういう男性サイドの欲望を基準にして女性の理想型が変化するのはありとしてもさ、キミたちがそれを無批判にロールモデルにするのって、フェミニズム的にはまずいんじゃないの。
どなたからも声がない。
「あの・・・」
中のひとりが勇を鼓して手を挙げた。
はい、なんでしょう。
「『フェミニズム』ってなんですか?」
え?
キミ、フェミニズムって言葉知らないの?
見渡すと、13名いたゼミ生の大半がゆっくり首を横に振った。
ちょっと待ってね。
「フェミニズム」って言葉、聞いたことがない人っているの?
8人が手を挙げた。
聞いたことはあるが意味を知らないと言う人は?
2人が手を挙げた。
さすがの私もこれには驚いた。
「上野千鶴子」って、知ってる?
全員がきっぱり首を横に振った。

これは基礎ゼミだから、大学1年生の5月の話である。大学に入ってまだ数週間。「ほとんど高校生」という段階でのお話であることを考慮していただきたい。
本学にはフェミニストの先生がたもあまたおられ、ジェンダー・スタディーズ関連科目も多く展開しているから、その後体系的な学習を通じて、学生たちはほぼ全員が「フェミニズムの何であるか」を理解して(共感するかどうかは別の問題として)ご卒業されるのである。
だから、大学の教員には、新入生たちが高校生までに「フェミニズム」という言葉に接する機会がなかったという事実に驚く権利はあるであろう。
大学のせいだと言われても困る。
上野さんに対してフェアネスを期すために申し添えるが、もちろん新入生のほとんどは「内田樹」の名前だって知らない。
専攻ゼミ生の中には、就活の面接で、面接官から「おや、ウチダタツルさんのいる大学だね」と言われるまで、自分のゼミの先生が本を書いていることを知らなかった猛者さえいる。
しかし、私の名前を知らなかったことが彼女たちの知性や学力の指標になるわけではない。
知性の総量というのは世代によって変わるものではなく、その世代ごとに対象を変えるだけである、という村上春樹さんの知性説に私は同意するものである。
今の日本社会では「知性的にならない」ことに若者たちは知的エネルギーを集中している。
無知は情報の欠如のことではなく、(放っておくと入ってきてしまう)情報を網羅的に排除する間断なき努力の成果である。
「知性的になってはならない」という努力を80年代から日本は国策として遂行してきたわけであるから、これはスペクタキュラーな「成功」なのである。
だから、私たちが学生に与えるべきなのは知識や情報ではなく、「知性的な人間になっても決してそれで罰を受けることはないんだよ」という保証の言葉なのである。

2008.07.21

ロッキングオン浄土真宗

金曜日、ゼミを終わらせてから、会議が三つ。
教授会が終わってその足で、そのまま東京へ。
新幹線でビールとトンカツ弁当を食べたらはげしい睡魔に襲われ、そのまま爆睡。
ねぼけ状態で学士会館へ。
いつもより早く着いたので、まだバーが開いていた。生ビールとソルティドッグを飲んで、お風呂に入って、ばたりと寝る。
寝しなにNHK第二で6月に放送した講演をMDに落としたのを聴いてみる。
ちょっとだけ聴くつもりだったけれど、面白くて最後まで聴いてしまった。
話しているのは半年前の自分なのに、「この人はいったい何を考えているのか・・・」と頭を抱え込むほどに話が支離滅裂である。
ラジオ放送に際して90分の講演を60分に切り縮めたので、「放送禁止」の箇所をカットした他、話の「間」の部分を「摘んで」ある。
たぶんひとつひとつの「間」はコンマ何秒という単位なのであろうが、それは「息継ぎ」の時間だから、聴いていると呼吸が合わなくて、ちょっと息苦しくなる。
これはそのうち『日本辺境論』に再録される予定。
土曜の朝は『SIGHT』のインタビュー。
ロッキンオンの渋谷陽一さんとお初にお目にかかる。
渋谷さんと言えば、私たちの世代のロック少年にとっては「同世代のスポークスマン」のような人である。
あの口うるさく排他的なロック少年世代において、ほぼ同世代全体から「スポークスマン」認定を受けて40年くらい批評の仕事をされているというのは、よく考えると信じがたいことである。
それだけ渋谷さんはロックに対して「間口が広い」ということだろう。
「・・・じゃなきゃダメ」というような狭量なことを言っていたらこのようなスタンドポイントには立てない。
私はこういう種類の雅量を高く評価するものである。
快刀乱麻を断つがごとく、ある人の音楽活動を一刀両断に否定するというようなことを自制する人は、他人からみると「批評性がない」というふうに見えるかも知れない。
もちろん、そういう「一刀両断」タイプの批評家は有用だし、不可欠のものである。
けれども、欠点をあげつらうことは、他の人が気づかないような美点を探し出して、それをていねいに取り出して見せることより、ずっとイージーである。
ずっとイージーだし、ずっと全能感を手に入れやすいから人は「ほめる」より「けなす」ことを選ぶのだということの筋道は忘れない方がいい。
村上春樹はこんな文章を書いている。
「いったい何の話をしていたんだっけ?
女の子のことだったな。
女の子一人一人には綺麗な引き出しがついていて、その中にはあまり意味のないがらくたがいっぱいつまっている。僕はそういうのがとても好きだ。僕はそんながらくたのひとつひとつをひっぱりだしてほこりを払い、それなりの意味を探し出してやることができる。セックスアピールの本質とは要するにそういうことだと思う。でもそれでどうなるかというと、どうにもならない。僕が僕であることをやめるしかない。」(『羊をめぐる冒険(上)』、講談社文庫、2004年、141-2頁)
私はこれを批評の本質に触れる文章だと思って読んだ。
この文章の中の「女の子」を「ロックミュージック」に、「セックスアピール」を「ロックファンであること」というふうに言い換えると、渋谷さんのスタンスに近いような気がする。
その渋谷さんとの対談でお題は「医療危機」。
『論座』も廃刊になってしまったし、総合雑誌はどこも気息奄々であるけれど、その中にあって渋谷さんのような非アカデミック、非政治的な立場の人が「まっとうな市民感覚の総合誌」をほとんど個人で維持していることを私は高く評価している。ビジネス的には苦しいだろうけれど、がんばって欲しいものである。
学士会館から新宿、吉祥寺経由で練馬谷原の真宗会館へ。
吉祥寺からタクシーで3000円。
どうしてこんなに辺鄙なところに真宗会館があるのかうかがったら、切ない話をきかせていただいた。
今回は前回新宿でやった講演の締めで、講師三人中村桂子先生(JT生命誌研究館館長)、門脇健先生(大谷大学教授)でのシンポジウム。
門脇先生とは大拙忌以来。中村先生とははじめてお会いする。理系の女性学者とお話しする機会はほとんどにないけれど、たいへん気さくで、手応えの柔らかい人だった。
ほとんど事前の打ち合わせもなく始まったシンポジウムだったけれど、話は「生命と機械」「情報と情報化」「脳化社会と身体性」といったトピックをめぐって転々、私はたいへん面白かった(他の先生方や聴衆の方々も同じように面白ければよかったんですけど)。
終わったあと、浄土真宗(今回はお東さん)のみなさんと懇親会。日が高いうちから生ビールやしゃぶしゃぶなどいただき、6時ごろにはすでに人外魔境人化し始めたので早々にご無礼する。
福井に日帰りされる門脇先生と東京駅でお別れ。
そのままさらに車内でウイスキーの水割りを注文する。
一口飲んだら一気に人外魔境化が進行し、小田原の夜景を見たのが最後の記憶で、気がつくともう京都。
ウイスキーは氷が溶けて、ただのうす黄色の水になっていた。
よれよれと熱気の中を家に戻る。
爆睡して、目覚めると日曜。
あれこれ用事を片付けていると、ぴんぽんとチャイムがなって、腕を撫して甲南麻雀連盟の会員諸君が続々と集まってくる。
今日は7月の例会。
私は既報のとおり、1月以来「空前の絶不調」のうちにあり、先月までの勝率は22戦2勝、9分1厘というアンビリバボーな数値を記録している。
南3局までトップで、オーラスで一発逆転されて脱落というケースが5回くらいあった。
打牌のミスがほとんどなくても、これくらい負けることはある。
一方山本画伯は勝率5割を超えている。
神さまはまことに不公平である。
しかし、画伯は機嫌がよいと、お料理をどんどん出してくれるので、それはそれでありがたい。
ホリノさんのご提供のシャンペンを飲み、画伯の作るパスタや生ハムを食べつつ、今日こそはと眦を決してきびしい打牌を続ける。
それでも開幕二連敗。
これで24戦2敗。ついに勝率8分3厘まで墜ちた。
天を仰ぐ。
しかし、そのあと第三戦、第四戦で最終局まで競り合いの勝負をぎりぎりでもぎ取り、ようやく26戦4勝、1割5分4厘まで戻す。
目標はとりあえず4年連続勝率3割。
まだ先は半年。

2008.07.22

休日にマンガを読む

久しぶりの休日。
暑くて目が覚める。
シャワーを浴びて、着替えて、朝ごはんを食べて、またクーラーの効いた寝室に戻って、寝転がってマンガを読む。
るんちゃんお薦め、ゆうきまさみの『鉄腕バーディ』。
ゆうきまさみといえば、『パトレイバー』の人である。
『うる星やつら』と似た状況設定であるけれど、こういう非日常的なSF世界と学園ラブコメが同居している物語をすらすらと描ける日本のマンガ家の底力には感服する。
続いて幸村誠『ヴィンランド・サーガ』を読む。
これまた、たいへんな画力と物語構成力である。
森薫の『エマ』の19世紀ロンドンの書き込みにも驚いたが、このヴァイキング物語の中世アイスランドの生活の細部の書き込みにも驚嘆する。
時空を奔放に行き来するこれらのマンガに比べると、相変わらず「私小説」的な約束事から抜け出ることができずにいる現代文学の想像力の貧しさが際立ってしまう。
井上雄彦さんと会ってその感をつよくしたが、どうやら日本の若い才能はマンガの世界に集中してきているようである。
文学とマンガのいちばん大きな違いは、マンガの場合、画力と物語構成力が同期して進化するという点である。
絵はとりあえず描けば描くほどうまくなる。
物語が停滞していて、ワンパターンになっていても、絵だけは毎週連載で描きまくっているから、どんどんうまくなる。
そうなると、ある段階で、絵のうまさが物語のブレークスルーをもたらすことがある。
それまで描けなかった事物や人間の身体の動き、それまでとは違う角度や視座から見えるものが、画力の向上によって描けるようになる。
そうなると物語の深みや奥行きや文脈が変化する。
それまでと「同じ話」なのに、ずいぶん「違う話」になってくる。
そして物語の次元が変わることで、描かれるものの次元も変わる。
この画力と物語構成力の「両輪」が作品を前に進めるのがマンガの際立った独自性であり、これは文学には見られないものである。
文学の場合はマンガの「画力」に相当する「言語力」というものが存在しない。
書けば書くだけ字はうまくなるし、しゃべればしゃべるほど発声法はうまくなるけれど、それは「言語力」とは言われない。
定型詩の場合には、一日に二万句詠んだ西鶴の例が示すように、「数」をこなすことで技術的の高さが示されるということがある。(24時間に2万句ということは、1時間に833句、4.2秒に一句詠んだ勘定になる)。
これは定型詩の作り方が身体化していないとできないことだから、マンガにおける「画力」に近いといえるだろう。
けれども、小説の場合はそのように身体化された「書く技術」は主題化されることがない。
たとえば、「書く量」の多さはほとんど評価されない。
西村寿行や笹沢佐保は最盛期に月産1500枚とか2000枚といわれた。
けれども、そのときに書き飛ばされた小説類のほとんどはもう今では読まれることがない。
「達者な文章」という言い方もあるが、それはふつう否定的な文脈でしか使われない。
文学においては「身体」的なエクササイズによって「言語力」を向上させ、それと同期して「物語構成力」を向上させるということはマンガのように一筋縄ではゆかないのである。
だから、作家たちはいろいろ工夫をしている。
村上春樹さんが毎日走るのも、毎日翻訳をするのも、ときどき『うさぎおいし~フランス人』のような本を書くのも、たぶん「言語力」のためのエクササイズなのであろうと私は思っている。橋本治さんが編み物をしたり、絵を描いたり、ときどき発作的に『アストロモモンガ』や『シネマほらセット』のような本を書くのも、たぶん理由は同じである。
脳のある部分(身体的なエクササイズによって強化されうる部位)を繰り返し選択的に刺激することで、物語構成力のブレークスルーがもたらされることを、ほとんどのマンガ家は経験的に知っているが、同じことをほとんどの作家たちは知らない。
だが、「晴耕雨読」とか「文武両道」というのは、たぶん「そういうこと」なのである。

午後は合気杖の稽古。
15人ほど来ている。みなさん、熱心なことである。
一の杖、二の杖、組杖を1時から4時半まで。
さすがに汗びっしょりになる。
家に戻ってシャワーを浴びて、またクーラーの効いた寝室で昼寝。
ああ、しあわせ。

2008.07.25

Twisted Navel

久しぶりのオフなので、家で仕事。
PHPのインタビュー原稿を仕上げて送稿。AERAの原稿を仕上げて送稿。続いて、レヴィナス『困難な自由』の三校。日がとっぷり暮れた頃にようやく終わる。
これでおしまい。
ゲラの奥付を見ると、7月15日発行となっている。
ずいぶん遅れてしまったものである(ひとごとではない)。
それでも、秋には本になるはずである。
改訳の作業を始めてから10年かかったことになる。

日経新聞から八王子で起きた無差別殺人事件についてのコメントを求める電話がかかってくる。
繰り返し書いているとおり、このような「コピー・キャットによる無差別殺人」は本質的にメディア・オリエンテッドな犯罪であり、「メディアが大きく取り上げる」ことそのものが犯行の目的の一部をなしている。
だから、メディアがこの事件を大きく取り上げ、「識者のコメント」などで事件の原因や背景やらを論じ立てることそれ自体が事後従犯として犯行目的の成就に加担することになる。
メディア・オリエンテッドな事件をメディアが大きく扱えば扱うほど、模倣犯の登場が促される。
だから、コメントはしません、とお断りする。
「なるほど、では、そういうコメントをいただいたということで記事にしてよろしいでしょうか」という結論になる。
困ったものである。
ほんとうにこの種の犯罪を根絶したいと思っているなら、メディアが取り得るもっとも効果的な対応は(不可能なことだが)「無視すること」である。
あまりに凡庸であまりに無内容なので、報道する価値もない、という態度でこのような犯罪に接するのが、このようなメディア・オリエンテッドな犯罪の続発を抑止する最良の手だてである。私はそう信じている。
メディアの人々は「自分たちには報道する義務があり、権利がある」ということをよく言う。
しかし、彼らはメディアのほんとうの力が実は「報道しない権利」によって担保されていることを忘れている。
「こんたね」が順調に売れている。
二週間ほどで4刷35000部。『下流志向』のときよりペースが速い。
あの本の主張に共感してくれる読者がそれだけいるとしたら、まことに心強い限りである。
「こんたね」に私が書いたのは人間社会というのは5人に1人大人がいれば、あとは全部子どもでもなんとか運転できるように制度設計してあるのだから、みなさんのうちせめて5人のうちの1人でいいから大人になってくださいねというお願いである。
これは慨世の書としては、あまり例のない書き方である。
悲憤慷慨本の多くは「国民はすべからく・・・せねばならぬ(さもなければ国は滅びるであろう)」という文型を採用している。
しかし、現実には国民すべてが同一の思想を抱き、同一の行動をするというようなことは望むことはできないし、望むべきことでもない。そもそも、書いている当人だってそれが無理なことは百も承知なのである。
自分の書いていることが実現不能であることがわかった上で「それが実現しなければ国が滅びる」と書くのは、話を大げさにしないと読者は「ひっかかって」こないと思っているからである。
「すべからく・・・べし」という構文を軽々に採用する書き手は自分の話を信用してくれる読者の「歩留まり率」を計算できないので100%という無意味な数字をふっかけているのである。
私の場合は私の話を信用してくれそうな読者の歩留まり率を20%とちゃんと弾き出している。
「この本を手に取った方のうち、この本に共感できるのは5人に1人くらいでしょう」とはじめから謙抑的な構えでいるのである。
あとの4人は別に読んでくれなくても構わない(読んでもわからないだろうし)。
態度が悪いなと思う人もおられるであろうが、私はこの戦略をラカンに学んだ。
古代ギリシャにゼウキシスとパラシオスという二人の画家いた。
どちらがより写実的に絵を描けるか、その技術を競うことになった。まずゼウキシスが本物そっくりの葡萄を描いた。
絵があまりに写実的だったので、ほんとうに鳥が飛んできて、絵の葡萄をついばもうとしたほどだった。
出来映えに満足したゼウキシスは勢い込んで、「さあ、君の番だ」とパラシオスを振り返った。
ところが、パラシオスが壁に描いた絵には覆いがかかっていた。
そこでゼウキシスは「その覆いをはやく取りたまえ」と急かした。
そこで勝負は終わった。
なぜなら、パラシオスは壁の上に「覆いの絵」を描いていたからである。
パラシオスの例が明らかにしていることは、人を騙そうとするなら、示されるべきものは「覆いとしての絵画」、つまりその向こう側を見させるような何かでなければならないということである。


2008.07.29

死のロードが始まる

「死のロード」が始まる。
7月27日日曜正午にスタートして、8月3日の正午までの8日間。
27日は東京五反田でヨーガの成瀬雅春さんと対談。日帰り。
28日は朝から大東市で人権教育のための夏季研修会での講演。
29日は中休みなので、コンピュータ関連業務ならびに大学での執務。
30日は横浜の朝日カルチャーセンターで能楽のワキ方安田登さんと対談。横浜泊。
31日は東京で『オール讀物』で、三砂ちづるさん、鹿島茂さんと「マッチメイカーおじさん・おばさん」鼎談。羽田から福岡に移動。
8月1日、福岡から佐賀へ移動して、佐賀教育センターで講演。
午後神戸に帰る。
8月2日、養老孟司先生をお迎えして、大学のオープンキャンパスでの講演会とシンポジウム。シンポジウムの後は芦屋で打ち上げ。
8月3日、大学内のゲストハウスに泊まれられた先生がたと朝ご飯を食べて、駅までお送りする。
ここまで。
とりあえず、成瀬さんとの対談と大東市の講演が終った。
日程的にはこれがいちばんきつかったので、終ってほっとする。

成瀬さんとの対談場所は、前に多田先生と対談された五反田のヨーガ教室。
ほとんどパブリシティをしていないので、聴衆はヨーガと合気道多田塾の人たちばかり。
成瀬さんはご存知「空中浮揚」の人である。
ほんとうに空中に浮いてしまう人から「どうして人間が空中に浮くことができるのか」についての仮説をうかがうというのはたいへんにスリリングである。
私はたいていのことは信じている。
幽霊も来世も輪廻転生も呪詛も信じている。
怪力乱神を語るのが大好きなのである。
「怪力乱神」そのものにも興味があるし、「怪力乱神」について語らざるを得ない人間の心のありようにも興味がある。
私たちは畢竟するところ「人間たちだけしかいない閉じられた宇宙」(@アルベール・カミュ)の住人である。
人間の世界は人間的意味によって編み上げられている。
トカゲは耳元で銃声がなっても驚かない。それはトカゲの世界には銃声を伴う危険が存在しないからである。人間は耳元で銃声がなると肝をつぶす。それは人間たちの世界では耳元で響く銃声は生命の直接的な危機を意味するからである。
それぞれの種にとって世界はそれぞれの種の生存戦略に喫緊にかかわる情報を中心に編成されている。
「人間たちの世界」は人間たちの生存戦略に死活的に重要な情報を中心に編成されている。
ただし、人間の場合、情報評価において、個体間にかなりばらつきがある。
私は「気分の悪い場所」や「そばにいると生命力が失われる人間」についてつねにセンサーを働かせている。
うかつにそういうものに近づくと心身のパフォーマンスが低下して、気分が悪いからである。
でも、世の中には、「そういうもの」をリスクにカウントしない人もいる。
彼らにとっては、私には死活的に重要と思える環境情報が無意味なのである(トカゲにとっての銃声のように)。
生きているニッチが違うのだから、それはそれでよろしいのである。
私は「怪力乱神」の跳梁する世界の住人である。
「そういうことってあるよねワールド」の住人である。
その方が楽しいし。

今回の成瀬さんの話で面白かったのは、地上90センチと120センチのところに空気の密度が濃い「薄い膜」があって、それにそおっと乗ると「ふわん」とたわんで、110センチくらいのところで安定する、という話。
膜が「たわむ」というところがいいですね。
それから角川春樹さんが一日に3万回木刀を振るという話(これは楽屋話ですけど)。
『映画秘宝』読者はご存知のことだが、角川春樹さんは武神の霊がおりてきて、いま一日に33000回木刀を振ることができるようになったそうである。
「ほんとなんですか?」と私がかなり懐疑的なマナザシで問いかけたところ、成瀬さんは「ほんとだよ」ときっぱりと答えてくださった。成瀬さんは角川さんと仲良しなので、そのあたりの事情はよくご存知だそうである。
あと前田日明さんとの交遊とかおもしろい話を裏でこっそり聞いたのであるが、これはオフレコ。

2008.07.30

Mac Book Air 登場

死のロードの中日なので、ルータの故障を直しついでに、念願のMac Book Airを購入、同時に通信サービスをイーモバイルに切り換える。
IT秘書によれば、これは「茂木健一郎仕様」だそうで、「茂木さんが使っている組み合わせならまず問題ないでしょう」ということであった。
はあ、そうですか。
もちろん私にはイーモバイルとUSBメモリと体温計の区別もつくはずがない。
言われるがままである。
Mac Book Air は橋本麻里さんのご推奨。
ネット上の画面でしか見たことがなかったが、手に持ってみると、たいへんかっこいい高性能マシンであった。
いままでのVAIOプラスPHSとはネット接続の速度が桁違いに速い。これなら無線LANで作業しているのと変わらない。
こうして通信環境が高度化し、それにつれて私のアウトプットも増量し、それにつれて私の人生が一層タイトで生きにくいものになってゆくことがわかっていながら、IT環境の高度化を私は止めることができない。
一度ネットにはまってしまったものの「業」である。
IT環境が高度化するにつれて、私はますます自分が触れているマシンについて不案内になってゆく。
今回のイーモバイル購入に際しても、seidenの店員による機器のスペックの説明を私はみごとに一語も解さなかった。
ねえ、「パケット」って何のこと?
と契約を終えたあとでエスカレーターの上でIT秘書に訊いてみたが、秘書は冷たい目をしたまま遠くを見ていた。
自動車でもテレビでも、私はその原理を理解していないが、とりあえず数十年にわたって気分のよいお付き合いを続けている。
パソコンも似たようなものであろう(希望的観測)。
今回のMac Book Airはもう完全にネット志向であり、マシンそのものには情報はほとんど搭載されていない。
情報はぜんぶグーグルに載せておいて、そこから必要に応じて引き出し、またグーグルに戻しておくというスタイルで仕事をするためのマシンである。
ねえ、これってもしかしすると「アップル以前」のコンピュータ概念に戻ったんじゃないの?
と車の中でIT秘書に訊いてみる。
70年代にアップルが「パーソナル・コンピュータ」という概念を提示する以前は、コンピュータの未来は、地下の神殿に鎮座し、世界のすべての情報を一元的に管理するIBMの巨大コンピュータのイメージに統一されていた。
その中枢的な「情報の管理」に対して、パーソナルなネットワークによる「情報の自由」を対抗価値としてうちだしたのがアップル社の歴史的功績である。
そして、そのあと情報社会はパーソナル・コンピュータを軸に展開した。
けれども、グーグルはよく考えると、「雲の上の神殿」にグーグルの神さまがいて、それが世界中のパーソナル・コンピュータから個人情報を吸い上げているという構造になっている。
とりあえず私個人について言えば、過去1年間でメールもスケジュール管理もドキュメント管理もほぼグーグルに全面依存状態になってしまった(ドキュメントはかろうじてUSBにサーブしているが)。
私の個人情報は今やほとんどまるごと「グーグルの神さま」の手の内にある。
グーグルがダウンしたら、私はその日どこに行って、誰と何をしなければならないのか、まったくわからず途方に暮れてしまうであろう。
だから、ある日グーグルが「これから毎月1万円使用料を課金します」と言い出しても、私は力なく頷くほかない。
私のような人間が世界に1億人ほどはいるであろう。
かつてのIBMの巨大コンピュータはいわば強権をもって情報を占有するというイメージのものであった。
それに対して、グーグルは機能的には中枢的一元的な情報管理システムでありながら、そこに世界中のパソコンユーザーが嬉々として、自ら進んで個人情報を「奉納」するというかたちになっている。
Google というOが二個並んでいるおマヌケなネーミングとフレンドリーなインターフェイスに私たちはついなじんでいるけれど、もしGoogle がIBMの子会社だったら、私たちはこれほど無防備ではなかっただろう。
グーグルってもしかしてIBMのバックラッシュじゃないの?
そう言ってみたが、IT秘書は相変わらず遠い目をしていた。

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