Mac Book Air 登場

2008-07-30 mercredi

死のロードの中日なので、ルータの故障を直しついでに、念願のMac Book Airを購入、同時に通信サービスをイーモバイルに切り換える。
IT秘書によれば、これは「茂木健一郎仕様」だそうで、「茂木さんが使っている組み合わせならまず問題ないでしょう」ということであった。
はあ、そうですか。
もちろん私にはイーモバイルとUSBメモリと体温計の区別もつくはずがない。
言われるがままである。
Mac Book Airは橋本麻里さんのご推奨。
ネット上の画面でしか見たことがなかったが、手に持ってみると、たいへんかっこいい高性能マシンであった。
いままでのVAIOプラスPHSとはネット接続の速度が桁違いに速い。これなら無線LANで作業しているのと変わらない。
こうして通信環境が高度化し、それにつれて私のアウトプットも増量し、それにつれて私の人生が一層タイトで生きにくいものになってゆくことがわかっていながら、IT環境の高度化を私は止めることができない。
一度ネットにはまってしまったものの「業」である。
IT 環境が高度化するにつれて、私はますます自分が触れているマシンについて不案内になってゆく。
今回のイーモバイル購入に際しても、seiden の店員による機器のスペックの説明を私はみごとに一語も解さなかった。
ねえ、「パケット」って何のこと?
と契約を終えたあとでエスカレーターの上で IT 秘書に訊いてみたが、秘書は冷たい目をしたまま遠くを見ていた。
自動車でもテレビでも、私はその原理を理解していないが、とりあえず数十年にわたって気分のよいお付き合いを続けている。
パソコンも似たようなものであろう(希望的観測)。
今回のMac Book Airはもう完全にネット志向であり、マシンそのものには情報はほとんど搭載されていない。
情報はぜんぶグーグルに載せておいて、そこから必要に応じて引き出し、またグーグルに戻しておくというスタイルで仕事をするためのマシンである。
ねえ、これってもしかしすると「アップル以前」のコンピュータ概念に戻ったんじゃないの?
と車の中で IT 秘書に訊いてみる。
70年代にアップルが「パーソナル・コンピュータ」という概念を提示する以前は、コンピュータの未来は、地下の神殿に鎮座し、世界のすべての情報を一元的に管理する IBM の巨大コンピュータのイメージに統一されていた。
その中枢的な「情報の管理」に対して、パーソナルなネットワークによる「情報の自由」を対抗価値としてうちだしたのがアップル社の歴史的功績である。
そして、そのあと情報社会はパーソナル・コンピュータを軸に展開した。
けれども、グーグルはよく考えると、「雲の上の神殿」にグーグルの神さまがいて、それが世界中のパーソナル・コンピュータから個人情報を吸い上げているという構造になっている。
とりあえず私個人について言えば、過去1年間でメールもスケジュール管理もドキュメント管理もほぼグーグルに全面依存状態になってしまった(ドキュメントはかろうじて USB にサーブしているが)。
私の個人情報は今やほとんどまるごと「グーグルの神さま」の手の内にある。
グーグルがダウンしたら、私はその日どこに行って、誰と何をしなければならないのか、まったくわからず途方に暮れてしまうであろう。
だから、ある日グーグルが「これから毎月1万円使用料を課金します」と言い出しても、私は力なく頷くほかない。
私のような人間が世界に1億人ほどはいるであろう。
かつての IBM の巨大コンピュータはいわば強権をもって情報を占有するというイメージのものであった。
それに対して、グーグルは機能的には中枢的一元的な情報管理システムでありながら、そこに世界中のパソコンユーザーが嬉々として、自ら進んで個人情報を「奉納」するというかたちになっている。
Google という O が二個並んでいるおマヌケなネーミングとフレンドリーなインターフェイスに私たちはついなじんでいるけれど、もし Google が IBM の子会社だったら、私たちはこれほど無防備ではなかっただろう。
グーグルってもしかして IBM のバックラッシュじゃないの?
そう言ってみたが、IT 秘書は相変わらず遠い目をしていた。
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