ロッキングオン浄土真宗

2008-07-21 lundi

金曜日、ゼミを終わらせてから、会議が三つ。
教授会が終わってその足で、そのまま東京へ。
新幹線でビールとトンカツ弁当を食べたらはげしい睡魔に襲われ、そのまま爆睡。
ねぼけ状態で学士会館へ。
いつもより早く着いたので、まだバーが開いていた。生ビールとソルティドッグを飲んで、お風呂に入って、ばたりと寝る。
寝しなに NHK 第二で6月に放送した講演を MD に落としたのを聴いてみる。
ちょっとだけ聴くつもりだったけれど、面白くて最後まで聴いてしまった。
話しているのは半年前の自分なのに、「この人はいったい何を考えているのか・・・」と頭を抱え込むほどに話が支離滅裂である。
ラジオ放送に際して90分の講演を60分に切り縮めたので、「放送禁止」の箇所をカットした他、話の「間」の部分を「摘んで」ある。
たぶんひとつひとつの「間」はコンマ何秒という単位なのであろうが、それは「息継ぎ」の時間だから、聴いていると呼吸が合わなくて、ちょっと息苦しくなる。
これはそのうち『日本辺境論』に再録される予定。

土曜の朝は『SIGHT』のインタビュー。
ロッキンオンの渋谷陽一さんとお初にお目にかかる。
渋谷さんと言えば、私たちの世代のロック少年にとっては「同世代のスポークスマン」のような人である。
あの口うるさく排他的なロック少年世代において、ほぼ同世代全体から「スポークスマン」認定を受けて40年くらい批評の仕事をされているというのは、よく考えると信じがたいことである。
それだけ渋谷さんはロックに対して「間口が広い」ということだろう。
「・・・じゃなきゃダメ」というような狭量なことを言っていたらこのようなスタンドポイントには立てない。
私はこういう種類の雅量を高く評価するものである。
快刀乱麻を断つがごとく、ある人の音楽活動を一刀両断に否定するというようなことを自制する人は、他人からみると「批評性がない」というふうに見えるかも知れない。
もちろん、そういう「一刀両断」タイプの批評家は有用だし、不可欠のものである。
けれども、欠点をあげつらうことは、他の人が気づかないような美点を探し出して、それをていねいに取り出して見せることより、ずっとイージーである。
ずっとイージーだし、ずっと全能感を手に入れやすいから人は「ほめる」より「けなす」ことを選ぶのだということの筋道は忘れない方がいい。
村上春樹はこんな文章を書いている。

「いったい何の話をしていたんだっけ?
女の子のことだったな。
女の子一人一人には綺麗な引き出しがついていて、その中にはあまり意味のないがらくたがいっぱいつまっている。僕はそういうのがとても好きだ。僕はそんながらくたのひとつひとつをひっぱりだしてほこりを払い、それなりの意味を探し出してやることができる。セックスアピールの本質とは要するにそういうことだと思う。でもそれでどうなるかというと、どうにもならない。僕が僕であることをやめるしかない。」(『羊をめぐる冒険(上)』、講談社文庫、2004年、141-2頁)

私はこれを批評の本質に触れる文章だと思って読んだ。
この文章の中の「女の子」を「ロックミュージック」に、「セックスアピール」を「ロックファンであること」というふうに言い換えると、渋谷さんのスタンスに近いような気がする。
その渋谷さんとの対談でお題は「医療危機」。
『論座』も廃刊になってしまったし、総合雑誌はどこも気息奄々であるけれど、その中にあって渋谷さんのような非アカデミック、非政治的な立場の人が「まっとうな市民感覚の総合誌」をほとんど個人で維持していることを私は高く評価している。ビジネス的には苦しいだろうけれど、がんばって欲しいものである。

学士会館から新宿、吉祥寺経由で練馬谷原の真宗会館へ。
吉祥寺からタクシーで3000円。
どうしてこんなに辺鄙なところに真宗会館があるのかうかがったら、切ない話をきかせていただいた。
今回は前回新宿でやった講演の締めで、講師三人中村桂子先生(JT生命誌研究館館長)、門脇健先生(大谷大学教授)でのシンポジウム。
門脇先生とは大拙忌以来。中村先生とははじめてお会いする。理系の女性学者とお話しする機会はほとんどにないけれど、たいへん気さくで、手応えの柔らかい人だった。
ほとんど事前の打ち合わせもなく始まったシンポジウムだったけれど、話は「生命と機械」「情報と情報化」「脳化社会と身体性」といったトピックをめぐって転々、私はたいへん面白かった(他の先生方や聴衆の方々も同じように面白ければよかったんですけど)。

終わったあと、浄土真宗(今回はお東さん)のみなさんと懇親会。日が高いうちから生ビールやしゃぶしゃぶなどいただき、6時ごろにはすでに人外魔境人化し始めたので早々にご無礼する。
福井に日帰りされる門脇先生と東京駅でお別れ。
そのままさらに車内でウイスキーの水割りを注文する。
一口飲んだら一気に人外魔境化が進行し、小田原の夜景を見たのが最後の記憶で、気がつくともう京都。
ウイスキーは氷が溶けて、ただのうす黄色の水になっていた。
よれよれと熱気の中を家に戻る。
爆睡して、目覚めると日曜。
あれこれ用事を片付けていると、ぴんぽんとチャイムがなって、腕を撫して甲南麻雀連盟の会員諸君が続々と集まってくる。
今日は7月の例会。
私は既報のとおり、1月以来「空前の絶不調」のうちにあり、先月までの勝率は22戦2勝、9分1厘というアンビリバボーな数値を記録している。
南3局までトップで、オーラスで一発逆転されて脱落というケースが5回くらいあった。
打牌のミスがほとんどなくても、これくらい負けることはある。
一方山本画伯は勝率5割を超えている。
神さまはまことに不公平である。
しかし、画伯は機嫌がよいと、お料理をどんどん出してくれるので、それはそれでありがたい。
ホリノさんのご提供のシャンペンを飲み、画伯の作るパスタや生ハムを食べつつ、今日こそはと眦を決してきびしい打牌を続ける。
それでも開幕二連敗。
これで24戦2敗。ついに勝率8分3厘まで墜ちた。
天を仰ぐ。
しかし、そのあと第三戦、第四戦で最終局まで競り合いの勝負をぎりぎりでもぎ取り、ようやく26戦4勝、1割5分4厘まで戻す。
目標はとりあえず4年連続勝率3割。
まだ先は半年。
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