裁判員制度は大丈夫?

2008-07-09 mercredi

四回生のゼミは裁判員制度。
あと1年ほどで制度が導入される。
ゼミでこの件について論じるのはもう4回目である。
毎回学生さんたちはなんとなく片付かない顔になる。
そもそも、この制度を「導入しよう」と言い出したのは誰なのか。
それがわからないのである。
「導入しよう」と言い出した以上は、その人たちにとっては、制度の導入によって何らかの利益が見込めると思ったはずである。
何の利益か。
それがわからない。
法務省にとって、この制度の導入はどんな利益があるのか。
最高裁の HP にはこう書いてある。

「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。」

なんということもない文言であるが、こういうことを最高裁が言い出すということは言い換えれば、「裁判が身近ではなく、わかりにくく、司法に対する国民のみなさんの信頼が低下している」ということが前段になければならない。
論理的にはそうである。
現に裁判が身近でわかりやすく、国民の司法への信頼が篤ければ、司法制度をいじる必要はないからである。
だから、前件としては「司法制度はうまく機能していない」ということになる。
でも、そういうことをふつう司法制度の当事者が言いますか?
言わないでしょ。
ぜったい。
メディアがいうなら、わかる。
政治家が言うのなら、わかる。
日弁連が言うのでも、わかる。
でも、誰も文句を言わないのに、裁判官が自分から「裁判制度は早急になんとかせないかんです」と言い出すということはありえない。
百歩譲ってあったとしても、その場合裁判を「身近でわかりやすいもの」にし、司法への信頼を回復する方法はいくらでもある。
司法制度への国民的理解を深めたいとほんとうに思うなら、いちばん簡単なのは「法律学」を中学の社会科の必修にすることである。
いまだって「公民」という科目があるのだ。その半分くらいを法律学と法社会学と法制史と司法制度の解説に割けば、国民の司法への理解は飛躍的に高まるであろう。
学習指導要領を書き換えるだけなんだから。
そういう「簡単な方法」が他にもあるにもかかわらず、裁判官たちが自分の職域に「素人」を招き入れて、彼らに裁判権を分割することで司法制度が改善されるというアイディアを提唱するということは考えられない。
例えば、教育制度はうまくいっていない。
いうときに、生徒たちを教壇に呼び寄せて、いっしょに授業をやってもらうという代案を思いつく教師はいない。
医療制度もうまくいっていない。
そういうときに、患者たちを診察室へ呼び入れて、いっしょに医療行為をしてもらうという代案を思いつく医者はいない。
当たり前だが、それらの仕事は専門的知見と経験を必要とするからである。
シロートに着流しで現場を歩き回られては困る。
裁判官だけが違う考え方をしたということを私は信じない。
日本中の裁判官はこの司法制度の改革に反対しているはずである。
意見を公開する機会が提供されていないので、黙っているが、内心ずいぶん怒っているはずである。
と思う。
だから、この制度改革が裁判所主導で進められたということは考えにくい。
では、誰が主導したのか?
裁判の厳罰化を求める勢力がこの制度改革を支持したという可能性はある。
裁判員制度の導入で間違いなく「メディアの論調」は司法判断に反映するようになる。
ただ、かかわるのは刑事事件だけであるから、国が被告であるところの公害訴訟とか、そういうところには市民感情は反映しない。
するのは殺人事件などの凶悪事件だけである。
凶悪事件については、あきらかに司法と市民感情のあいだには齟齬がある。市民感情は刑法条文や判例とかかわりなく「厳罰」を望む傾向があるからである。
裁判員制度の導入は「厳罰化」による秩序と倫理の回復を求める政治家や知識人が支持したのかも知れない。
しかし、殺人事件の審理に参加した市民裁判員は、テレビに向かっているときには「そんなやつは死刑にしちゃえばいいんだよ」と気楽にコメントしていたとしても、自己責任で死刑に一票を投じることには少なからぬ心理的抵抗を感じるはずである。
裁判官なら職業的覚悟にもとづいて死刑判決を下せるだろうが、一般市民はそのような心理的訓練を受けていない。
裁判官だけで下した判決であれば死刑になっていた判決が、裁判員を入れたために懲役刑に減刑されるケースが出てくる可能性は高いと私は思う。
もし「厳罰化」を求めて裁判員制度を導入したのだとしたら、そのもくろみははずれるだろうと私は思う。
有期刑の量刑はどうなるかわからないが、死刑判決は激減するはずである。
それより、私がいちばん懸念しているのは、裁判員になった市民たちがこうむるトラウマの影響が過小評価されていることである。
殺人事件について、私たちがメディア経由で知らされるのは、その全貌のほんの一部にすぎない。
けれど、裁判員は調書を閲覧するときに、そのありのままを見せられる。
それは「人間がどれほど邪悪で残忍で非理性的になりうるか」ということをまぢかに知ることである。
人間性の暗部に触れることはしばしば人の心に回復不能の傷を残す。
というか、それに触れてしまった人にしばしば生涯にわたって回復不能の精神外傷を負わせるものを私たちは「人間性の暗部」と呼んでいるのである。
そのようなものに心理的成熟にばらつきのある市民たちが組織的にさらされることについてはどう考えているのだろう。
事件の内容だけでなく、評議の過程で、裁判官や他の裁判員たちの態度にショックを受けるということも考えられるが、裁判員たちはこれらのことについては生涯にわたる守秘義務を課されている。
職務上知り得た秘密を漏洩した場合には6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金に処される。
裁判員に選任されたことによって重篤な PTSD に罹患する市民が出た場合、彼らは「職業知り得た秘密」を医師やカウンセラーには話してもよいのか、それさえも禁じられているのか、そのあたりのことは事前に明らかにしておいた方がいいような気がするけど。
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