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2008年06月 アーカイブ

2008.06.03

忙しいのにドラマなんか見てる

あまりに忙しくて日記の更新ができなかったので、この間の出来事のみ記しておく。
金曜日、授業のあと、鷲田先生との共著の原稿書き。「言論の自由」について。
「言論の自由」という原理はずいぶん誤解されているような気がするので、そのことを書く。
言論の自由というのは端的に「誰でも言いたいことを言う権利がある」ということではない。
「誰でも言いたいことを言う権利がある」という理説が正しいのは、そうでない場合よりも、私たちの社会が住みやすくなる可能性が高いからである。
私たちの発言は「私がこのことを言うことによって、私たちの社会は少しでも住みやすくなるのか?」という問いかけを帯同していなくてはならない。
そして、この「私たちの社会は少しでも住みやすくなるのか」どうかを判定するのは、発言者自身ではない。
その発言の正否や真偽を判定するのは、本人ではなく、「自由な言論のゆきかう場」そのものである。
言論がそこに差し出されることによって、真偽を問われ、正否を吟味され、効果を査定される、そのような「場が存在する」ということへの信用供与抜きに「言論の自由」はありえない。
つねに正しく言論の価値を査定する「場」が存在するというのは、ある種の「空語」である。
言論の自由さえ確保されていれば、すべての真なる命題は必ず顕彰され、すべての偽なる命題は必ず退けられると信じるほど私は楽観的な人間ではない。
しかし、現実的に楽観的でありえないということと、原理的に楽観的であらねばならないというのは次元の違う話である。
私は「言論の自由が確保されていれば、言論の価値が正しく査定される可能性はそうでない場合よりはるかに高い」ということを信じる。
この信念はそのような「場」に対する敬意として表現されるほかない。
私が言葉を差し出す相手がいる。
それが誰であるか私は知らない。
どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど情緒的に成熟しているのか、私は知らない。
けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という捨て身の構えだけが言論の自由を機能させる。
もし、言論が自由に行き交うこの場の「価値判定力」を信じなかったら、私たちは何を信じればよいのか。
場の審判力を信じられない人間は、「私の言うことは正しい」ということを前件にして言葉を語り出すことになる。
「お前たちが私の言うことを否定しようと、反対しようと、それによって私の言うことの真理性は少しも揺るがない」と言わなければならない。
けれども、「場の審判力」を否定するということは、言論の自由の原理そのものを否定することである。
言論の自由とは、まさにその「場の審判力」に対する信認のことだからである。
言論において私たちが共有できるのは、それぞれの真理ではない(それは「それぞれの真理」であるという時点ですでに共有されていない)。私たち「それぞれの真理」の理非が判定される「共同的な場」が存在するということについての合意だけである。
そのような「場」は出来合のものとして存在するものではない。
それは私たちが身銭を切って、額に汗して、創り出さなければならないものである。
というようなことを書く。
上野千鶴子は少し前に「日本には言論の自由なんか存在しない」と書いていた。
だが、そのような場は「存在するか、しないか」という事実認知的なレベルではなく、「存在させるか、しないか」という遂行的なレベルにしか存在しない。
そして、言論の正否を検証する場は「私が言葉を差し出す当の相手」の知性に対する敬意抜きには成り立たない。
言論の自由とはdecency のことである。
私はそのことを繰り返し書いてきたけれど、その意味がわかってくれる人はほんとうに、絶望的なまでに、少ない。
原稿を書いたあとに三宅先生ご一家とウッキーとおいちゃんと「あーぼん」で串カツ。
美味なり。
土曜日。起きて朝ご飯のあと二度寝。お稽古。36畳の道場に30人余。酸欠になりかける。
家に戻って三度寝。
晩ご飯を食べて、翌日の支度をして、四度寝。
日曜日、下川正謡会本番。
舞囃子『菊慈童』(盤捗楽)は扇を拡げるところで一回ひっかかり、隅で足を掛けるのを忘れ、舞が終わって最後に扇を差すときにひっかかる。
ふだん使い慣れていない舞扇なので、こういうことが起こる。
無事終了。国際会館で打ち上げ宴会。
やれやれ。
一年でいちばんほっとする瞬間である。
ビールが美味い。
月曜。
朝から原稿書き。昼から会議と授業。また原稿書き。
レヴィナス『困難な自由』の「訳者あとがき」を書き終わる。
これでおしまい。
夏前には23年ぶりの改訳が出版される。
雨の中、体育館で杖の稽古。
人数が多いので、たのしい。
三本目引提ゲまで。
毎回新しい発見がある。
家に戻って「焼きうどん」を調理し、食す。
ぱくぱく。
ビールが美味しい。
キムタクの『Change』を見る(最初から毎週見ている)。
私は「TVなんか見ない」と公言しているわりに、突然毎週月9ドラマを視聴したりする変節野郎である。
しかし、この「究極のポピュリスト政治家を日本国民は待望している」という物語の設定はイデオロギー的にはきわめて徴候的である。
ポピュリスムは今日本のあらゆるセクターで進行している。
ポピュリスムは生産的でイノベーティヴな「よい顔」と、幼児的で破壊的な「悪い顔」の両方を持っている。
もし、このドラマが「ポピュリスムを私たちはどう制御して、それをもっぱら生産的なものにすることができるか?」という批評的視点から政治をとらえようとする企画なら、私はその壮図を祝したい。


2008.06.07

労働について

ブログのサーバが故障しちゃったので、しばらく日記の更新ができない。
困ったなあと思っていたが、そういえばミクシーがあったじゃないか。
ミクシーに日記なんか書いたことないから、たぶん誰も気がつかないと思うけど、まあ、そういうこともあるわね。

では二日前の日記から

四回生のゼミと大学院のゼミの間に取材が一つ。
「仕事について」。
働くモチベーションをどうやって維持するか。
このところよく訊かれる。
よほど働くモチベーションを維持することがむずかしい時代のようである。
私は「働くモチベーションがなくなった」経験がない。働くのはとりあえず生きるためであり、「生きるモチベーションがなくなる」ということは私の場合にはこれまでなかった(先のことはわからないが)。
だから、いつも仕事を探していた。
「なんか仕事ありませんか?」と知り合う人ごとに懇請するのが、久しく私の基本的な社会的態度であった。
今でもあまり変わらない。
仕事は「させてもらうもの」だった。
さすがに最近は仕事を断ることが多いが、別に働くモチベーションが下がってそうしているわけではない。
単に今やっている以上の仕事を入れるだけの時間がないだけである(あればやっている)。
「あなたはやりがいのある仕事をしているから、そういうことが言えるのだ。やりがいのない仕事をしている人間の気持ちが分からないのだ」という反論がつねにある。
だが、私のやっている仕事が「例外的にやりがいのある仕事」だとどうして余人にわかるのであろう。
大学の教師の中にも授業がいやでいやで仕方がなく、夏休みの来るのを指折り数えている人間はいくらもいる(半分がたそうである)。
彼らにとっては苦役であるところの講義や演習は私にとっては少しもそうではない。
仕事の苦楽は仕事そのものによって決められるのではない。
その仕事を「やらされている」のか、「やらせていただいている」のマインドの違いによって決される。
私はいつも仕事は「やらせていただいている」というふうに考えている。
そういうふうに考えるのは当世風ではない。
当今の方々は「労働」と「報酬」が等価交換されるという図式で労働を捉えている。
ならば、雇用する側は「どうやって報酬を引き下げるか」を考えるし、雇用される側は「どうやって苦役を軽減するか」を考える。
そうなるほかない。
そういうつもりの人間たちが集まって仕事をしても、ぜんぜん楽しくない。
「働くモチベーションが下がる」のは当たり前である。
労働と報酬は「相関すべきである」というのは表面的にはきわめて整合的な主張のように見えるが、実際には前件の立て方が間違っている。
等価交換論の前件は「労働者はできるだけ少ない労働で多くの報酬を得ようとし、雇用者はできるだけ少ない報酬で多くの労働力を買おうとする」というものである。
そんなの常識ではないかと言う方がおられるかもしれない。
あのね、そんなの少しも常識ではないのだよ。
もしそうなら、人類の生産力と生産関係は新石器時代で停止しているはずだからである。
とりあえずそこらへんの木の実を拾ったり、魚を釣ったり、小動物を狩ったりして飢えが満たされるのなら、誰が分業だの企業だの資本だのというめんどうな制度を作り出すであろう。
労働は「オーバーアチーブ」を志向する。
飢えが満たされても満たされないのである。
もっと働きたいのである。
そういう怪しげな趨向性を刻印された霊長類の一部が生産関係をエンドレスで巨大化複雑化するプロセスに身を投じたのである。
どうして「そんなこと」を始めたのか、私は知らない(たぶんマルクスも知らない)。
とにかく、そういうことになった。
だから、労働と報酬の等価交換が成り立つべきだという「整合的な」理説で労働を説明することはできない。
その等式を実現するために人は労働するのではないからである。
労働というのはもっと「わけのわからないもの」である。
労働はセックスや宗教や言語と同じように、「どうして、そういうものがあるのかを自分では説明できない」ことのひとつである。
私たちはそのどれも説明できない。
私たちはもうその制度の中に巻き込まれており、その制度の枠内で生きているからである。
労働の本質を客観的な視点から語ることはできない。
たとえば、私がこのように「労働の本質とは何か?」について縷々解説した後に、ふうと額の汗を拭いて、「やあ、今日もよく働いたなあ」とささやかな満足を感じたとしたら、私が今語ったばかりの「労働の本質」についての論に客観性を認めることはむずかしいということはどなたにもおわかりになるであろう。
「貨幣の幻想性と無根拠性について知りたいのかね?よいとも、お教えしようではないか。でも、その前にまず受講料を払ってね」いうのと同じである。
労働とは何か、私たちはよくわかっていない。
その謙抑的な態度がこの問題を論じるときの基本である。
憲法27条には「すべて国民は勤労の権利を有し、義務を負う」とある。
すらっと読むとなんということもない文言であるが、よく読むと意味がわからない。
だって、権利でありかつ義務なのである。
それをするのが権利の行使であると同時に義務の履行であるようなことをみなさんは勤労の他に思いつけますか。
私は思いつけない。
言論の自由や信教の自由や集会結社の自由は基本的な権利ではあるけれど、義務ではない。現に憲法のどこにも「すべて国民は自由な言論を語る義務がある」とか、「神を信じる義務がある」とか「政治行動をする義務がある」とは書いていない。
納税の義務はあるが納税の権利はない(いやがる税務署にむりやり税金を受け取らせる人を私は見たことがない)。
親には子どもを学校に通わせる義務があるが、これも権利ではない(もともと子どもを親の暴力と収奪から守るための制度である)。
私たちには「自分の適性を発現する義務」も「自分らしく生きる義務」も「自己利益の追求する義務」もない。
だから、労働の本義は「そういうもの」ではない。
「そういうもの」だと考えるのが最初のボタンの掛け違えなのである。
どうして人間は労働するのか「よくわからない」というのが労働について意見を徴されたときのもっとも適切な回答である。
「よくわからない」からとりあえずやってみる。
実際にやってみないと、労働が何であるかはわからない(やってもよくわからない)。
「何年か前、財布がほとんど底をつき、陸にはかくべつ興味をひくものもなかったので、ちょっとばかり船に乗って水の世界を見物してこようかと思った。」
これはメルヴィルの『白鯨』の始まりである。
すばらしい書き出しである。
「ちょっとばかり」船に乗ったせいで、イシュメールはエイハブ船長が海底に呑み込まれてゆくまでの巨大な物語の証人になる。
私たちはそんなふうに仕事を始めるものなのだ。
私は自分がどうして今こんなところでこんな仕事をしているのか、その理由を知らない。
きっかけは私が(ちょっとばかり)望んだことだけれど、後のほとんどは私のコントロールしえない力に押し流されてのことである。
もし、仕事をすることが「自分は自分の生の主宰者ではない」という事実を端的に思い知らされる経験であるとしたら、それはほとんど信仰に似ている。

家事について

関川夏央さんから『家族の昭和』(新潮社)を送っていただいた。
向田邦子、幸田文、吉野源三郎、鎌田敏夫らの描いた「昭和の家族」像の変遷を関川さんらしい静かで滑舌のよい文体でたどったものである。
私はひさしく関川さんの文章のファンである(だから本学の客員教授も三顧の礼を尽くしてお引き受け願ったのである)。
この本の中では幸田文について書いた部分が圧倒的におもしろかった。
それはここに登場する人々が器量と雅致をバランスよく身につけることを当然の「理想」としていたからである。
明治以降でも、能力や寛仁を尊ぶ価値観は続いたが、生活の中の風雅を悦ぶ習慣は失われた。
現代人にとって「風雅」はただの「金のかかる装飾」「社会階層差を強調する文化資本」以上のものではない。
けれども、明治の文人の家では風雅は具体的に、身体的に、日常の挙措のうちに生きられていたのである。
幸田文は父露伴に家事について徹底的な訓練を受けた「家事のくろうと」である。その消息を関川さんはこんなふうに書いている。長いけれどそのまま引用する。
「幸田文は女学校に入ってまだ間もない頃、父露伴に『おまえは赤貧洗うがごときうちへ嫁にやるつもりだ』と、むしろたのしげにいわれたことがあった。
『茶の湯活け花の稽古にゃやらない代わり、薪割り・米とぎ、何でもおれが教えてやる』
露伴は『薪割りをしていても女は美でなくてはいけない、目に爽かでなくてはいけない』と文にいった。鉈を使うにあたっては、『二度こつんとやる気じゃだめだ、からだごとかかれ、横隔膜をさげてやれ。手のさきは柔らかく楽にしとけ。腰はくだけるな。木の目、節のありどころをよく見ろ』という教えかたをした。
『横隔膜を下げてやれ』は『脊梁骨を提起しろ』と同じく露伴の口癖であった。それが『物事の道理に従う』姿勢であり、『美』と『爽かさ』におのずとつながる態度なのである。
雑巾がけを教えるとき、露伴はまず『水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない』と、文をおどかした。バケツに水を八分目用意すると、『水のような拡がる性質のものは、すべて小取りまわしに扱う。おまけにバケツは底がせばまって口が開いているから、指と雑巾は水をくるむ気持で扱いなさい、六分目の水の理由だ』といった。
露伴自身が実際に雑巾がけをやってみせたときの姿を、文は書いている。
『すこしも畳の縁に触れること無しに細い戸道障子道をすうっと走って、柱に届く紙一重の手前をぐっと止る。その力は、硬い爪の下に薄くれないの血の流れを見せる。規則正しく前後に移行して行く運動にはリズムがあって整然としてい、ひらいて突いた膝ときちんとあわせて起てた踵は上半身を自由にし、ふとった胴体の癖に軽快な身のこなしであった。』(『父・こんなこと』のうち『水』)(関川夏央、『家族の昭和』、新潮社、2008年、124-5頁)
露伴が教えた薪割り、雑巾がけの骨法はそのまま操剣の心得に通じている。
露伴は幕臣の子であるから、このような身体操作はその頃の武家の子どもたちの必修科目だったのであろう。
実用と美を身体操作の修練を通じて身につけるという教育法はまことに「手堅い」ものだ。
ここで露伴が教えようとしているのは、「主体」と「対象」の二項対立をどう離れるか、ということである。
どうやって身体と雑巾と板目を「なじませる」のか、どうやって身体と鉈と薪を「ひとつのもの」として操作するか。
雑巾がけが爽やかに、美しくできるようであれば、人間としてかなり「出来がよい」と判定できるという評価法が露伴の時代まではしっかり根付いていたのである。
私はこの評価法はつねに有効だと思う。
それは道具を介して「外界となめらかなインターフェイスを立ち上げる」という技術はきわめて汎用性が高いからである。
多田先生の剣杖の講習会では数時間にわたってひたすら剣と杖を振り続ける。
別にそれで筋骨を鍛えるとか、剣杖の動きを速くするとか、そういう計量的な目的のためにしているのではない。
木でできた道具を自分の身体の一部分のように感じ取るのがどれほどむずかしいことかを実感するために稽古しているのである。
「私」が「剣」を「揮っている」というふうに、主語と他動詞と目的語の構文でこの動作をとらえている限り、この反復練習はただの苦役である。
そんなことのために時間を費やしても意味がない。
私たちはそこに「私・剣複合体」が生成して、それが「動きたいように、動いている」という体感構造に身体の文法を書き換えるために稽古しているのである。
それが無意識のうちにできるようになれば、他のどのような「もの」と出会っても、私たちは一瞬のうちに、それと「融け合って」、自在に動きたいように動くことができるようになるはずである。
それが剣であっても、杖であっても、あるいは体術のように相手の身体であっても、雑巾であっても、鉈であっても、原理的には同じことである。
家事労働を「できるだけしないですませたい不払い労働」ととらえる風潮の中で、家事労働もまた万有と共生するための基礎的な身体訓練の場でもあるという知見は顧みられなくなった。
それでも関川さんが書いているように、今も幸田文の本が途絶えることなく読み継がれているのは、その家事労働についての知見が失われるべきではないという「常識」が私たちの間にまだかろうじて生き延びているからだろう。


2008.06.09

忙しい週末と翻訳のこと

金曜日は授業が午前中だけだったので、午後から教育実習校訪問。
京都のNトルダム女学院高校にゼミ生のN西くんが行っているので、受け入れ先にお礼のご挨拶をするのである。
東山の斜面の木立の中にあるたいへん雰囲気のよい学校である。
ミッションスクールはどこも立地がよい。
最初に場所を選んで、校舎を建てたのが宗教家なので、「霊的プロテクション」ということがはっきり意識されているからである。
「霊的プロテクション」というと鼻で嗤う人がいるかもしれないけれど、これは築城の条件とほとんど同じである。
「難攻不落」というのは単に物理的な条件だけを言うのではない。
攻撃的な意図をもった人間がそのエリアに足を向けると、なんとなく「気後れ」がして、「ま、ここは後回しにするか・・・」というようなreluctance を人の心に生み出すのが実は「難攻不落」の不可欠の条件なのである。
物理的に攻略することがいかにも困難そうなので、見ているうちに「おおし、やるぞ~」というような欲望を賦活する城塞はぜんぜん「難攻不落」の条件を満たしていない。
夜は池上六朗先生ご一行と翌日の打ち合わせもかねて芦屋の竹園ホテルで会食。
池上先生とは『考える人』の対談以来である。
さっそくわいわいとおしゃべり。
ご飯も美味しい。
三宅先生ごちそうさまでした(先週も串カツをごちそうになったばかりなのに)。
土曜日はお稽古の後、池上六朗先生をお迎えして、「身体性の教育」シリーズ第三弾。
ホストは甲野善紀客員教授、島﨑徹教授、そして私。
この三人の呼吸もだいぶ合ってきた。
オーディエンスもたいへんフレンドリー。
三軸修正法の解説からたちまちフロアの観客にご参加いただいての施術実演となる。
人間の身体のことは「よくわからない」という謙抑的な態度がたいせつであり、それが今の学校教育にも医療にも欠けているのではないかという話をする。
打ち上げは芦屋川のスタジオ・ベリーニ。
シャンペンで乾杯して、パスタなどをぱくぱく食べる。
またも三宅先生にごちそうになる。先生ほんとにいつもごちそうさまです。
日曜は井上健策くんの結婚式があるので、早起きして奈良まででかける。
天気予報は雨だったけれど、からりと晴れ上がる。
ふたりの人柄を映し出すような、とても簡素で、気持ちの良い結婚式と披露宴だった(ご飯も美味しい)。
多田塾甲南合気会メンバー(ドクター、Pちゃん、高取君、社長、ゑぴす屋さん)に井上くんをまじえて演武をする。
結婚式で合気道をやるというのは気錬会の持ち芸であり、このたび甲南合気会も採用させていただいたのである。
電車の中で三浦雅士『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』(新書館、2003年)を読む。
三浦さんによれば、90年代から「影響を受けたのは村上春樹と柴田元幸」ということを自己申告する若い作家たちが続々と登場してきているという話。
村上春樹は作家としては例外的に大量の翻訳を長期にわたりコンスタントに行っている人である。
柴田元幸は大学教師としては例外的に大量の翻訳を(以下同文)。
この二人によってアメリカ現代文学へのアクセスは親密さを増したことを否定する人はいない。
でも、問題はそれよりも「翻訳をする」ということのもつ見落とされがちな本質的な機能について、彼らの仕事が私たちに再考を促しているということだろう。
例えば、私のいたフランス文学の世界では翻訳というのはほとんど業績としてカウントされなかった(今でも変わらない)。
1000頁の翻訳よりも10頁の研究論文の方がポイントが高いのである。
だったら、努力と成果の相関をもとめる合理的な精神がどうして翻訳を選択しようか。
けれども、翻訳というのはまさにそういう「業界内部的合理性」のようなものを根底から突き崩す作業なのである。
柴田さんは三浦さんとのインタビューでこんなふうに答えている。
「じつは推敲の最中にけっこうはじめて理解したりするんですよね。こういう意味だったのかというのが訳していてわかることがあります。僕、学生からここはどういう意味ですかって訊かれて答えられないことってすごく多いんです。ふだんはいちいちそこまで考えていない。訳さないとわからないというすごく能率の悪い頭になっていて、小林康夫さんと話していてどうして柴田さんて翻訳なんてするのといわれて、訳さないとわからないからっていったら小林さんは、僕は読んだらわかるから翻訳って必要ないんだよねっていってました。要するに小林さんにとって翻訳は人のためにやるものなんですね。僕ももちろん読者のためにやるわけですけれど、訳すことで自分もわかるということは大いにありますね。」(220頁)
私は「柴田元幸に一票」である。
私もまた「訳さないとわからない」人間である。
自分じゃない人間の自分とはまったく違う論理の運びや感情の動きに同調するときに、自分の操る日本語そのものを変えるというのは、私にとっていちばん手堅い方法である。
自分が自分のままでいて、それでも「わかる」ものは別に他人の書いた本なんか読まなくてもすでに「わかっている」ことである。
「自分がもうわかっていること」のリストを長くしても私にはあまり面白くない。
自分が自分以外のものに擬似的になってみないとわからないことに私は興味がある。
もちろんその「以外」にもちゃんと条件はある。
「同調できる程度の異他性」である。
その人のその言葉は、私の中から自然発生的には絶対に生まれてこないのだけれど、その言葉に触れたことによって、私の中の何かが救済され、何か凍り付いていたものが蘇り、止まっていたものが動き出す、そういう言葉がある。
そういうものに出会うために私は翻訳をする。
たぶん柴田さんも(村上さんも)それに近いのじゃないかと思う。
家に帰ってきたら、誤訳について書かれた書評の抜き刷りが届いていた。
私の本の誤訳じゃなくて、野崎歓さんの新訳の『赤と黒』(光文社古典文庫)の誤訳についてスタンダール学者のS川さんが指摘しているのである。
読んでいてちょっとつらくなってきた。
学者が同業者の誤訳について指摘するというのは、理論上の論争とは質が違う。
「おまえの料理はまずい」というコメントと、「お前の料理は腐った材料が使ってある」というコメントくらいに違いがある。
だから、誤訳をめぐる同業者の論争というのはあまり起こらない。
誤訳をめぐるバトルは公開されると「死闘」になるからである。
ふつうは、そういうことにならないように、業界内部的に「あれはひどいねえ」「ほんとですね」というような話が行き交うくらいである。
そのうちひっそりと絶版になり、事なきを得るのである。
そもそも誤訳というのはたいていの場合「何を言っているのかわからない」というかたちで現象する。
ふつうの読者は「何を言っているのかわからない」箇所は飛ばすので、誤訳の本を読んで「そうか、そうだったのか!」とはなはだしい勘違いする読者というのはまずいない。
だから、誤訳のもたらす実害というのは思われるより少ないのである。
翻訳の高い質を求めるのは合理的な要求である。
けれども、ところどころまだらに「よく意味のわからないところが残る」というのは翻訳の宿命である(私のレヴィナス翻訳の場合は「ところどころ」どころか30%くらいは意味不明である。訳者が意味を理解できない箇所を「意味のとおる日本語」にすることはできない)。
日本人が日本語で書いたものだって、ところどころ意味がわからないわけであるから、それくらいは許容範囲であろうと私は思っている。
ここまでは許容範囲だが、ここから先は許容範囲じゃないというようなデジタルな線は存在しない(たぶん)。
むしろ、誤訳の問題でこじれるのは「ここ間違ってますよ」という指摘に対して「あ、どうもすみません」というレスポンスがあるかないかだろう。
「伏してご叱正を待つ」とどんな訳者もだいたい「あとがき」に書いているけれど、あれは修辞ではなくて、ほんとうに待っているのである。
私のところにもじゃんじゃん「ご叱正」が来る。
来る度に「すみません!」と平伏して、すぐに直す。
私の訳稿を見て、編集者や校閲の人が「ここ違いますよ」と言っているのといっしょである。
そういう双方向的な公開性が担保されていて、無限の修正に対して開かれているなら、誤訳は原理的には「程度問題」である。
みんなでよい翻訳を作り上げてゆく、ということでよろしいのではないか。
今回の野崎訳をめぐる問題は「指摘と修正」の円滑なコミュニケーションが成り立たなかったことが原因のように私には思われた。
人に「あなたは間違っている」といわれて「はいそうですか」というのはとてもむずかしい。
それが人情である。
それがわかっている以上、「あなたは間違っている」というときには、どうやったら「はい、そうですね。直しておきます」という即答が得られるか、その効率についての配慮もまた必要だろうと私は思う。
「誤訳を認めることで失われるもの」の値を吊り上げるのは、その意味では効率的ではない。
野崎歓さんは「翻訳なんて」顧みられない場所で黙々とフランス現代文学の翻訳という報われることの少ない仕事をしてきた人である。
翻訳好きの一人として、このできごとには心が痛む。

2008.06.11

記号的な殺人と喪の儀礼について

秋葉原の事件について平川くんが書いている。
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/
彼のオフィスは秋葉原だから、まさに目と鼻の先で起きた事件である。
平川くんはこの事件については「よくわからない」という節度を保とうとしている。

確からしいことは、「かれ」は俺たちがまだ見出せていないような「必然」によって社会との繋がりから切断された存在になっていたということだけである。
その「必然」が見えなければこの事件は被害者と加害者というような明確な輪郭を持ってはいても、加害者の中に広がっていった闇については何もわからないままである。
もっと、言うなら、その闇の意味を見出せないままに書かれた「再発防止」の処方は、その闇を隠蔽し、広げるだけだと、俺は思う。

私は最後の部分が平川くんのとくに言いたいことだろうと思う。
無差別に人を殺すことを決意した人間の中にある、私たちの理解を超えた「闇の部分」について何もわからないままに、あるいはそのようなものが存在しないかのように処方された「再発防止」策は、闇を隠蔽し、拡げるだけだと、私も思う。
私はこういう事件のときに語られる社会心理学的なあるいは精神病理学的な説明に対してはいつもambivalent な気持ちを感じる。
それらの説明はたしかに出来事の一部分については妥当する。
なるほど、そうか、と思うこともある。
けれども、どこか「説明過剰」になっているような気がするのである。
その理屈では説明できないし、説明すべきでないことまで説明してしまうことによって、説明されることによって生成した局所的秩序を上回るような無秩序がそこに増殖してしまう。
そういうことがある。
事件の「トリガー」になった小さなきっかけはおそらく無数にある。
その中の「どれ」が最大の原因であるか、あるいは最終的な「一押し」であるか、といったことはわからないし、わかってもあまり意味がない。
そうではなくて、私たちの日常生活にふつうに転がっている無数の「あたりまえのこと」が、ひとりの人間の中でこのような事件を作りだしてしまう「物語narrative」のありようを見ることの方が重要なのではないか。
私たちは誰も自分についての「物語」を編んでいる。
素材になる出来事はそれ自体としては価値中立的である。
同じように貧しく、愛情の薄い家庭に育っても、長じて穏和な人物になる場合もあるし、狷介な人物になる場合もある。
個人的経験が人間をどう変えるか、その決定因は、出来事そのもののうちにあるではなく、出来事をどういう「文脈」に置いて読むかという「物語」のレベルにある。
例えば、無差別殺人の犯人は、勤務先の工場の更衣室で自分の作業着が見当たらなかったことを「解雇」のシグナルだと解釈した。
同じことを自分の勘違いだと思う人もいるだろうし、同僚のいたずらだと思う人もいるだろう。けれども、この人物は選ぶことのできる解釈のうちの「最悪のもの」を選択した。
ひとつの出来事の解釈可能性のうちから、自分にとってもっとも不愉快な解釈を組織的に採用すること。
これは事実レベルの問題ではなく、物語レベルの問題である。
そして、この「ひとつの出来事の解釈可能性のうちから、自分にとってもっとも不愉快な解釈を組織的に採用すること」は私たちの社会では「政治的に正しいこと」として、このような事件についてコメントしている当の社会学者や心理学者たちによって、現につよく推奨されているのである。
「ハラスメント」にはさまざまなヴァリエーションがあるが、私たちがいま採用している原理は、あるシグナルをどう解釈するかは解釈する側の権限に属しており、「加害者」側の「私はそんなつもりで言ったんじゃない」というエクスキュースは退けられるということである。
「被害者」はどのようなコメントであれ、それが自分にとってもっとも不愉快な含意を持つレベルにおいて解釈する権利をもっている。
「現に私はその言葉で傷ついた」というひとことで「言った側」のどのような言い訳もリジェクトされる。
これが私たちの時代の「政治的に正しい」ルールである。
その結果、私たちの社会は、誰が何を言っても、そのメッセージを自分のつくりあげた「鋳型」に落とし込んで、「その言葉は私を不快にした」と金切り声を上げる「被害者」たちを組織的に生産することになった。
たしかにそのような記号操作をしていれば、世界はたいへんシンプルになる。
私たちはメッセージを適切に解読するために、実際にはたいへん面倒な手続きを踏んでいる。
言葉が語られたときの口調や表情、身ぶりといった非言語的シグナル、前後のやりとりとのつながり、どういう場面でどういう立場からの発言であるかという「文脈」の発見、発言者のこれまでの言動の総体の中に位置づけてその暗黙の含意や事実認知上の信頼性、遂行的な確実性を査定すること・・・そういった一連の作業を経てはじめて、無限の解釈可能性のうちから、とりあえずもっとも適切と思われる解釈にたどりつくことができる。
これは面倒な仕事である。
特に、「おそらく『こんなこと』をいおうとしているのであろう」という暫定的な解釈に落ち着きかけたところで、その解釈になじまないようなシグナルに気づいて、自分がいったん採用した解釈を捨てて、もう一度はじめから解釈を立て直す、というのは心理的にはたいへんむずかしい。
この面倒な仕事をしないですませたいという人がふえている。
ふえているどころか、私たちの社会は、今ほとんど「そんな人」ばかりになりつつある。
目に付くすべてのシグナルを、「ひとつのできあいの物語」を流し込んでしまえば、メッセージをそのつど「適切に解釈する」という知的負荷はなくなる。
メディアで「正論」を語っている人々の中に「話の途中で、自分の解釈になじまないシグナルに気づいて、最初の解釈を放棄する」人を私は見たことがない。
この二十年ひとりも見たことがない。
これはほとんど恐怖すべきことであると私は思う。
知的負荷の回避が全国民的に「知的マナー」として定着しているのである。
今回の秋葉原の事件に私が感じたのは、犯人が採用した「物語」の恐るべきシンプルさと、同じく恐るべき堅牢性である。
人を殴ろうとしたことのある人なら、他人の顔を殴るということがどれくらいの生理的抵抗を克服する必要があるかを知っているはずである。
そこに生身の身体があり、その身体をはぐくんできた歳月があり、親があり、子があり、友人知人たちがあり、彼自身の年来の喜び悲しみがそこに蓄積しているということを「感じて」しまうと、どれほどはげしい怒りにとらわれていても、人を殴ることはできなくなる。
人間の身体の厚みや奥行きや手触りや温度を「感じて」しまうと、人間は他人の身体を毀損することができない。
私たちにはそういう制御装置が生物学的にビルトインされている。
他人の人体を破壊できるのは、それが物質的な持ち重りのしない、「記号」に見えるときだけである。
だから、人間は他者の身体を破壊しようとするとき、必ずそれを「記号化」する。
「異教徒」であれ、「反革命」であれ、「鬼畜」であれ、「テロリスト」であれ、それはすべての人間の個別性と唯一無二性を、その厚みと奥行きとを一瞬のうちにゼロ化するラベルである。
そこにあるのが具体的な長い時間をかけて造り上げられた「人間の身体」だと思っていたら、人間の身体を短時間に、「効率的に」破壊することはできない。
今回の犯人の目にもおそらく人間は「記号」に見えていたのだろう思う。
「無差別」とはそういうことである。
ひとりひとりの人間の個別性には「何の意味もない」ということを前件にしないと、「無差別」ということは成り立たない。
現実が電磁パルスで書かれたネット上のメッセージと同じくらいに「薄く」感じられなければ、こういうことはできない。
そして、私たちの社会は現実の厚みを捨象して、すべてを記号として扱う術に習熟することを現にその成員たちに向かって日々要求している。
それどころか、この事件そのものが私たちに「すべてを記号として扱うこと」を要求している。
というのは、私たちは殺された人々のひとりひとりの肖像をいくら詳細に描き出されても、犯行の手順の詳細を知っても、それによっては事件について「何も理解できない」からである。
この事件について、メディアは被害者の個人史のようなものを紹介し、それがいかに「かけがえのないもの」であるかをパセティックな筆致で描き出している。
けれども、そんなことをいくら知らされても私たちは「この事件について」は何一つ知ることができない。
この事件について理解したいと思えば、私たちは「死者たちのことはとりあえず脇に置いて」という情報の操作を強いられる。
被害者を「誰でも構わなかった複数の死者」という「記号」に置き換えることなしに、話を先に進めることができない。
ふつうの殺人事件の場合は、それが怨恨や痴情のもつれや利害の争いであった場合、死者が「どんな人間であったか」ということは問題の核心である。
それを知らないと事件の意味がわからないからである。
死者たちは繰り返しその人生の細部にわたって言及され、その美質や欠点について言挙げされる。
それは「喪の儀礼」の本質に通じている。
けれども、「無差別的に選ばれた被害者」については、死者たちの人生を誕生から死の日まで遡及的に再構成し、繰り返し語ることは「何が起きたか」を理解する上ではまったく無意味なのである。
犯人は被害者たちを「記号」に読み替えた。
それゆえ、この事件を理解しようとする人間は犯人と同じように、「死者たちひとりひとりが何者であったかということは、とりあえず『脇に置いて』」というところから始めることを強いられる。
このふるまいのもっとも恐るべき部分は(平川くんが「闇の部分」といったのはおそらくこのことだと思う)、「記号に読み替えられたことで死んだ死者たち」については、私たちもまたそれを「記号として扱う」ことを強いられるということである。
私たちは記号的に殺された死者たちをもう一度記号的に殺すことに「加担」させられることなしには、この事件について語ることができないという「出口のない状況」に追い詰められているのである。


格差社会論(再録)

今回の秋葉原の事件に「格差社会下層」に自分を「格付け」するという「物語」が深く関与していることにはどなたも異論がないだろう。
私は以前そのような「物語」が瀰漫することに、とりわけそれが「政治的に正しい」説明原理として称揚されることについてその危険を指摘したことがある。
『神奈川大学評論』という大学紀要に寄稿したものであるので、大学関係者以外には読まれた方はほとんどおられないであろうから、ここに再録する。
2007年の9月に書かれたものである。
この論考のせいで私は「保守系リベラル」「中道右派」とカテゴライズされることになった(ウィキペディアにはそう書いてある)。
ここに書かれたことのどこが「中道」なのか、どこが「保守」なのか、私にはよくわからないが。

善意の格差論のもたらす害について
内田樹
 「格差」という語はそれ自体では価値中立的なものであるが、現在のメディアではこの語は中立的なものとしては用いられていない。格差は単なる「格差」ではなく、そのつどすでに「格差問題」として提起される。格差論は、その語られざる前提として、「格差は存在すべきではなく、ただちに廃絶されるべきである」という具体的な政策的主張に対する同意(あるいは反論)をすでに含んでいる。論者が「格差」について事実認知的言明を行った時点ですでに彼は「格差」をどう扱うべきかについての遂行的な言明も同時に行っている。本論考も、その点では格差論一般の例に漏れない。
 結論を先に言ってしまえば、私は「格差はつねに存在したし、これからも存在するであろう。だから、格差を廃絶することはできない。できるのは格差が社会に壊乱的要素をもたらさないように扱うことだけである」という立場を取っている(私はこれを「階級」という概念の検討を通じて学んだ)。その点で、私は現在の日本の格差論者のほとんどと立場を異にする。彼らは格差の有害性を言い立てることには勤勉だが、格差のもたらす壊乱的要素を制御することにはいちじるしく不熱心だからである。ある社会的事象の有害性をつよく主張する人は、そのせいで社会秩序が壊滅的になることによってはじめて理説の正しさが証明されるために、事態がさらに悪化することを無意識のうちに切望することを止めることができない。本論考の目的はそのような格差論がはらむピットフォールを指摘して、読者の一考を求めることにある。
 標準的な格差社会論は「弱者が存在する。弱者が発生するのは社会制度に不備があるからであり、政治はこれを補正せねばならない」という構成をもつ。この原理的な格差社会論に反対する人はほとんどいないであろう。
 問題は反対する人がほとんどいない主張(例えば「世界に平和を」とか「地球環境をたいせつに」とかいう主張)は具体的にそのために何をするのかについての議論では人々の意見がたいていの場合一致しないということである。格差社会論もそうである。
 「弱者が存在する。弱者が発生するのは社会制度に不備があるからである」という前段の一般論についての国民的合意は存在するが、「弱者を存在させないためには何をすればよいか」についての国民的合意は存在しない。ある人は社会福祉制度に不備があるといい、ある人は年金制度に不備があるといい、ある人は税制に不備があるといい、ある人は学校教育に不備があるといい、ある人は家族制度に不備があるという。おそらくその全部に何らかの不備があるのであろう。 
 とはいえ、それらの制度すべてについての同時的に抜本的改革を断行した場合、私たちの社会は長期にわたる混乱と停滞を余儀なくされるはずであり、その混乱と停滞によってもっとも多くの被害をこうむるのは通常その社会でもっとも弱い者たちである。
 それでも、とりあえず一つだけ、かなり広範囲に受け容れられている合意事項が存在する。それは「能力や資質が豊かに備わっているにもかかわらず分配上の不利益をこうむっている人々」と「能力や資質に見合わない過分の分配を受け取っている人々」を峻別し、後者が占有している資源を前者に再分配すること「フェアネス」であるとする考え方である。
 一方に資質にすぐれ、能力に恵まれながら、偶然的な原因(人種や性別や信教や出生地や家庭環境や政治的意見などなど)によって社会的弱者の位置に釘付けにされているものたちがいる。他方に、資質も能力も欠いているが、偶然の幸運によって強者の権益を享受しているものたちがいる。その偶然的な運不運に基づく差別を廃し、純粋に個人の蔵する能力資質によって序列化し直すことがフェアネスである、というのが現在の格差社会論の中でしばしば耳にされる主張である。
 その典型はいわゆる「ロストジェネレーション」論に見ることができる。これはその題名を冠した朝日新聞社刊の書物の冒頭の言葉(「生まれた年が悪いのか」)が端的に示すように、現在の格差問題をもっぱら生年という偶然によって説明し、それ以外の理由を考察することにほとんど興味を示さないという点で徴候的なテクストである。
 『ロストジェネレーション』は2007年の1月から朝日新聞に連載された同名の特集記事を単行本化したものである。
 「ロストジェネレーション」と呼ばれるのは現在25歳から35歳の世代のことである。この世代を特徴づける条件は、「日本が最も豊かな時代に生まれながら、社会人になろうとするときに戦後最長の景気停滞期を迎えたこと。年功序列や終身雇用が崩壊し、成果主義が始まる最前線で、必死に自分たちの生き方を模索していること」とされる。(『ロストジェネレーション-さまよう2000万人』、朝日新聞「ロストジェネレーション」取材班、朝日新聞社、2007年、2頁)
 「ロストジェネレーション」に属する男女は「『団塊の世代』の子どもたちとして生を受け、物質的な豊かさをたっぷりと享受して、経済的に苦労することなく少年少女時代を送った。だから、自分の夢を持ち、自己実現をはかることが『善』であると信じることができた。(・・・)十代になると今度は、日本社会の制度疲労を目の当たりにすることになる。社会や企業はたやすく壊れるものであり、何かに頼って生きることはリスクが高すぎる、と考えるようになったとしても不思議はない。(・・・)大多数が決められたルールに乗って就職し、カイシャ丸抱えの生活を送ることが当たり前だった時代から、冷徹な企業の論理によって雇用がコントロールされ、多くの若者たちが不安定な労働に追いやられる時代へ。日本社会のルールが大きくその姿を変えたとき、その時代の波頭に立たされた世代、それがいまの25歳から35歳なのだ。」(同書、30-31頁)
 この記述は事実認知的には特に問題のないものだが、措辞からはかなり傾向的な価値判断が遺漏している。それは「バブルの恩恵」にあずかって、「物質的な豊かさを享受」し、「大多数が決められたルールに乗って就職し、カイシャ丸抱えの生活を送ることが当たり前だった」事実をある種の「利権」と見なしているということである。先行世代が享受できたこの「利権」を失ったことが「ロストジェネレーション」世代の不幸の主因をかたちづくっていると論者たちは考える。「生まれた年が悪かった」せいで「割りを食った」という書き方はそのような予断がなければ成立しない。
 それゆえ、「年功序列・終身雇用」や「バブル景気」の恩沢に浴すことができて、「がっぽりと退職金を抱えて会社を去ってゆく『団塊の世代』」(同書、177頁)から「ロストジェネレーション」は「不当利得」を回収する権利があると論者たちは考えている。
 その根拠としては二つの理由が挙げられる。 一つは不当に収奪されたという被害事実であり、もう一つは年功序列・終身雇用のサラリーマンにとってはついに無縁であった「自分探し」や「自己らしさ」の探求、「やりがいのある仕事」「自分にしかできない仕事」を求めての飽くなき転職という「政治的に正しい就労態度」が広くこの世代に見られる点である。
 「ロストジェネレーションたちは、既存の組織、既存の価値観にすがらない。自分だけを頼りに、転職を繰り返す。会社に頼れば裏切られる。でも自分の決断、自分自身への投資は決して裏切らない。そう信じて、前へ進んでいく。」(同書、89頁)
 このような「世代ごとに生き方がまったく違う」という(根拠のはっきりしない)断定に基づいて、「ロストジェネレーション」論は「団塊世代・バブル世代」と「ポストバブル世代」の間の利害の対立、エートスの対立こそが刻下の社会矛盾の根本にあるというシンプルな社会理解に至る。
 「階級闘争」の有効性が懐疑されたことには歴史的必然性があるので、彼らが「階級」という語を忌避した理由は理解できるが、だからといって就労条件と消費行動以外に有意な差をもたない「世代」をヘーゲル的な主人と奴隷の相克の当事者に仕立てることは果たして可能なのであろうか。
 「持てる世代」と「持てない世代」の間の世代間対立というシンプルな図式は城繁幸の格差論にも見ることができる。
 城は新卒採用が一気に縮小した「ポストバブル世代」を「受難世代」と呼び、団塊の世代を「既得権益世代」と見なし、この世代からの既得権の奪還を呼びかけている。ただし、彼はこれをより徹底的な能力主義の導入によって実現しようとしているところが注目に値する。
 「もし心から格差をなくしたいと願うのなら、それは当然、年功序列の否定をともなわねばならない。新人から定年直前のベテランまで、全員の給料を一度ガラガラポンして、果たす役割の重みに応じて再設定し直すべきだろう。」(城繁幸、『若者はなぜ3年で辞めるのか』、光文社新書、2006年、161頁)
 城によれば、格差の主因は能力もなく、仕事もしないで、既得権にあぐらをかいている中高年世代が「反若者大連立」(同書、103頁)を形成して、若者たちの就業機会を奪っていることに起因する。この「強欲な老人たち」をもう一度査定しなおして、しかるべき「社会的下位」に格付けすることによってはじめて社会的公正は確保されるだろう、というのが彼の考え方である。
 社会的資源のより公平な再分配のために、城に代表される格差論者たちは、現行ルールの緩和や修正ではなく、その徹底を要求するのである。現在の弱者たちは能力主義によって下位に格付けされているのではなく、「強欲な老人たち」の採用する不徹底な能力主義(つまり、既得権者たちは年功序列で雇用を確保しておきながら、あらたに労働市場に参入してくる「ロストジェネレーション」には能力主義を適用するというダブル・スタンダード)によって不利益をこうむっていると考えるからである。それゆえ、徹底的な能力主義(剥き出しにワイルドな競争社会)においてこそ弱者の救済は果たされるであろうという奇妙な結論が導かれるのである。
 この「無能力者は既得権を吐き出して、去れ」という「乱世待望」の気分は2005年に小泉純一郎が仕掛けたいわゆる「郵政選挙」で劇的に示された。周知のように、この選挙では「既得権者」(郵政公務員と族議員)を標的に掲げた小泉の選挙戦術が二十代、三十代の有権者に強くアピールして、自民党が圧勝した。「すでに持てるもの」から容赦なく奪い取ると宣言した小泉のことばに「いまだ持たざるもの」たちは、その資源が自分たちに優先的に再分配されるはずだという(根拠のない)期待から喝采を送ったのである。
 このときに「徹底的な能力主義」の導入によって社会的公正は実現されるという見通しについて日本国民の相当部分が暗黙の合意を与えた。私たちは、自分に対する社会からの評価が芳しくない場合には、その理由を自分の能力が低いことにではなく、適切な外部評価が行われていないことに帰して、より厳正で客観的な評価を要求する傾向がある(それだと自己向上のための努力をする必要がなくなるからである)。だが、それが全社会的な趨勢になったのは、おそらく日本史上はじめてのことであろう。
 彼らは「取り分」が不足しているのは、適正な能力評価がなされておらず、無能力かつ無権利な人間が「私の取り分」を横取りしているからだと考えた。それゆえ、彼らはより適切な査定と、迅速な再分配によって能力主義的に救済されることを希望する。重要なのはこの点である。彼らは弱者一般の救済ではなく、能力のある弱者のみの選択的救済を求めているのである。
 「能力のない弱者」は(残念ながら)おのれの自己責任において、その窮状を甘受せねばならない。というのは、「能力のない弱者」とは「能力のない強者」がその不当利得を剥ぎ取られたあとの状態と識別不能だからである。財産を没収されたブルジョワをプロレタリアと呼ぶことができないのと同じように、無能力な弱者を政策的に救済することはフェアネスの原理に悖る。
 改めて言うまでもないことだが、すべての人が等しく社会的資源を分かち合うことで豊かさが実感できる社会というものは存在しない。権勢や威信や財貨や文化資本などのかたちをとる「強者の取り分」は 構造的に「弱者の取り分」を簒奪するかたちでしか確保されないからである。
 貢献度の高い社員に対して、例えば社長が自分の高額の給与の一部を割いて報償するシステムがあっても、それは「能力主義」とはいわれない。ある一人が個人的に高いパフォーマンスを示したことに対して、彼の属する集団の全員が(仕事をしなかった人も含めて)等分の報酬を受け取るシステムも「能力主義」とはいわれない。私たちは自分の能力が高く評価されてそこから受益したという事実を、他人の能力が低く評価されて利益を失ったというゼロサム・モデルに基づいてしか確証することができない。 だから、個人がリスクを取り、努力をし、その報償として得た利益については優先的な請求権があるというルールを認める限り、私たちは構造的に弱者を必要とするのである。
 この点についてはニーチェの洞見に私も従おうと思う。自己努力の成果が迅速かつ適切に評価されて応分の報償が得られるシステムを要求するということは、言い換えれば自己努力の不足のために成果を上げられなかったものが速やかにかつ適切に社会的低位に格付けされるシステムの構築に同意することを意味しているのである。  
 徹底的な能力主義な導入による格差解消という構想のアポリアはこの点に存する。
 すなわち、弱者の側からする「より合理的なシステム」の要求が、要するに弱者の入れ替えをしか意味しないということである。「入れ替えられた」弱者たちもいずれまたその格付けを不当として、より厳正で客観的な査定を要求するであろうから、能力主義の徹底が問題の解決に資する可能性は論理的には限りなくゼロに近い。
 前提が単純すぎるせいで、帰結が複雑怪奇なものになるということがある。このねじれた能力主義的格差論の適例として、『論座』の2007年1月号に「希望は、戦争」と書いたある若者の論文を取り上げてみる。書き手は31歳のフリーターであり、その生活を自身は次のように描写している。
 「夜遅くバイト先に行って、それから8時間ロクな休憩もとらずに働いて、明け方家に帰ってきて、テレビをつけて酒を飲みながらネットサーフィンをして、昼頃に寝て、夕方目覚めて、テレビを見て、またバイトに行く。この繰り返し。
 月給は10万円強。北関東の実家で暮らしているので生活はなんとかなる。だが、本当は実家などで暮らしたくない。両親とはソリが合わないし、車がないとまともに生活できないような土地柄も嫌いだ。ここにいると、まるで監禁されているような気分になってくる。」(赤木智弘、「『丸山眞男』をひっぱたきたい」、『論座』2007年1月号、朝日新聞社、53-54頁)
 著者の赤木は「そうした私たちの苦境を、世間がまったく理解してくれないこと」を耐え難く思っている。ただし、世間が「理解してくれない」のは彼の生活に希望がないという事実ではない。
 「『仕事が大変だ』という愚痴にはあっさりと首を縦に振る世間が、『マトモな仕事につけなくて大変だ』という愚痴には『それは努力が足りないからだ』と嘲笑を浴びせる」(同書、54頁)
 彼の現状を世間は能力主義的なフレームワークでなら十分に「理解」しているのである。彼にとって耐え難いのは、だから「理解されないこと」ではなく、彼が「間違った仕方で理解されている」ことなのである。
 赤木はそれゆえ彼自身がそこに組み込まれている「格付け」システムの「間違い」を探り当てようとする。そして、彼はこの「格付け」がダブル・スタンダードであり、自分たちの世代はアンフェアなものさしによって能力以下に査定されているという「解釈」にたどりつく。
 彼は「ワーキングプア」という包括的なカテゴリーの中に「元サラリーマン」や「職人」や「農家」の人々と、彼のような30代フリーターが同時に含まれることに違和感を覚える。「経済成長世代」と「ポストバブル世代」の間にある「大きな差違」(同書、55頁) を人々は見過ごしているのではないのか。
 「前者が家庭を手に入れ、社会的にも自立し、人間としての尊厳をかつて十分に得たことのある人たちである一方、後者は社会人になった時点ですでにバブルが崩壊していて、最初から何も得ることができなかった人たちである。前者には少なくともチャンスはあった。後者は社会に出た時点ですでに労働市場は狭き門になっており、チャンスそのものがなかった。それを同列に弱者であるとする見方には、私はどうしても納得がいかない。」 (同書、55頁)
 かつてマルクスが「この社会に鉄鎖以外に失う者を持たない」プロレタリアートこそが革命の主体となるであろうと予言したのと同じように、赤木もまた暴力的な仕方での社会の流動化を期待する。
 誰かが私たちに本来帰属すべきリソースを不当に占有しているという説明はこの世代の人々に強い訴求力を持つ。必要なのは「誰」が若者たちの富を簒奪しているのかについての説得力のある仮説である。「ブルジョワジー」と「プロレタリアート」の階級対立でこの事態を説明するのが伝統的な社会理論の王道だったが、現代日本の若者の中にマルクス主義的なワーディングの有効性を信じている者はもうほとんどいない。しかし、富の配分の不合理を説明するときに階級以外にどのようなスキームがありうるだろうか。小泉流の「官民対立」や旧・経世会流の「都市と地方の対立」による説明もひとつの方便ではあるが、それでは「民」の中、「都市」の内部にこそ圧倒的に存在する格差の理由を説明できない。
 結果的に、赤木は「経済成長世代」と「ポストバブル世代」の「世代間対立」によってこれを説明するという「藁」をつかむことになる。その世代対立論に基づいて赤木が導く結論はかなり衝撃的なものである。
 「極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者はそれを望んでいるように思う。(・・・)戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは『持つ者が何かを失う』から悲惨なのであって、『何も持っていない』私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。(・・・)国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。」(同書、58-59頁)
 赤木が「戦争」と呼ぶのは、城が「ガラガラポン」という擬態語で指示したのと、本質的には同一の比喩である。
 赤木の言うように、戦争がある種の平等をもたらすというのはほんとうのことである。1945年、敗戦の年の冬には食料が払底し、最悪の場合数百万の餓死者が出るのではという予測さえなされていた。しかし、実際にはほとんど餓死者は出なかった。人々が独占を貧しい資源をわかちあったからである。「全員が等しく貧しい」社会(関川夏央のいう「共和的な貧しさ」のうちにある社会)には格差社会論的な意味での「貧者」は存在しない。しかし、この「共和的な貧しさ」は赤木が望んでいるような状況の流動化による「生と死のギャンブル」とはまったく別のことである。
 45年冬の時点で敗戦国民が「富者」であるためには旧軍の物資を盗んだか、占領軍に通じていたか、犯罪に関与しているかそのいずれかの方法しかなかった。このとき「フェアな競争の結果、私はこの地位と財貨を手に入れたのだから私にはこれらについて占有権がある」という主張をなすことは恥ずかしいことであった。少なくともそのような暗黙の合意が存在した。だから、相対的に富裕な人々はその資産を他の人々とわかちあう義務を感じたのである。「共和的に貧しい社会」というのは「貧者」がいない社会のことではなく、「富者」の名乗りがはばかられる社会のことである。
 どのような社会でも能力の差があり、条件の差がある限り、社会的リソースの分配において多寡の差は発生する。問題を深刻にするのは、そのときに、「自分の取り分」について占有権を主張することは「政治的に正しい」と見るか、「疚しさ」を感じるか、そのマインドの違いである。小さいようだけれど、私はこれが決定的な違いではないかと思っている。
 原理的な言い方をすれば、貧困問題というのは富貴問題と対になってしか存在しない。どのように資源が貧しくとも、共同体の中で、子どもや老人や障害者にも資源が公平に分配されるシステムを有していれば、その社会に「貧困問題」は存在しない。新石器時代に「貧困問題」は存在しなかったはずだし、レヴィ=ストロースが観察したマトグロッソのインディオたちの社会にも「貧困問題」は存在しなかった。人々が共同体の存続を最優先に考えるときには貧困問題は存在しない。というのは、そのとき共同体に「弱者」として含まれる幼児や老人や病人や障害者はいずれも共同体のすべてのメンバーにとって「かつてそうであり、これからそうなるかもしれない」存在様態だからである。あらゆる成員はかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人あるいは障害者あるいはその両方になる。だから幼児を養い、老人を敬し、病者や障害者に配慮するというのは、自分自身に対する時間差をともなった配慮に他ならないのである。
 その語の始原的な意味における共同体主義(コミュニズム)というのは、そのような想像力の使い方をすることであった。現に自分が受け取っている社会資源の分配について、それをひとり占有することに「疚しさ」を感じること。それが共同体の成員であるための心理的条件である。同意してくれる人は多くないが、私はそう考えている。
 現在の格差社会論は「私が格差上の不利益をこうむっているのは、本来私に帰属すべき資源が他者によって簒奪されているからである」という言明から出発する。私にはこれが最初の「ボタンの掛け違え」のように思われる。この前提から出発すると、どれほど強弁を駆使しようと、論理的に導かれる結論は「無差別的能力主義」以外にない。それは能力のないものの口からパンを取り上げることを「フェアネス」と呼ぶことである。最強の個体がすべての資源を占有することに同意することである。
 赤木は「戦争」状態においてなら、他人の口からパンをもぎ取るチャンスが自分に訪れるかもしれないと考えているが、社会が危機的状況に立ち至ったときに、相互支援する組織に属さない孤立した労働者に社会的上昇のチャンスはほとんどない。「不幸な人々」はたしかに増えるだろうが、それは彼が現在以上に幸福になるという意味ではない。社会的混乱の中でなら、現在彼より社会的に上位にいる市民を理由もなく「ひっぱたく」好機に遭遇するかもしれないが、その権利は赤木自身を理由もなく「ひっぱたく」権利を捨て値で売ってしか手に入れることができない。
 たしかに「今よりもっと弱肉強食の社会になれば弱者にもチャンスがある」というのは一面の真理を含んでいる。けれども、その一面の真理にすがりつく人は「弱肉強食の社会で弱者が負うリスク」を過小評価している。強者とは「リスクをヘッジできる(だから、何度でも失敗できる)社会的存在」のことであり、弱者とは「リスクをヘッジできない(だから、一度の失敗も許されない)社会的存在」のことである。社会における人間の強弱は(赤木の想像とは違って)、成功できる機会の数ではなく、失敗できる機会の数で決まるのである。
 私たちは近代市民社会の起源において承認された前提が何だったかもう一度思い出す必要があるだろう。それは「全員が自己利益の追求を最優先すると、自己利益は安定的に確保できない」ということである。この経験則を発見した人々が近代市民社会の基礎を作ったのである。
 格差はつねに存在し、私たちは(意識しようとしまいと)そのつどすでに私が所有しなければ違う誰かに属していたはずのパンをおのれの口に咥えている。これは動かしがたい事実である。けれども、人間を差異化する根源的なカテゴリーはパンの有無によって決まるのではない。差異はたまたま自分の口にあるパンについて「私にはそれを占有する権利がある」と思っている人間と、「私にはそれを他者に贈与する権利がある」と思っている人間の間に引かれている。
 どちらもパンについての自由裁量権を持つことを喜びとする点では変わらない。だが、人間の共同体は後者のタイプの人間を一定数含むことなしには成立しないのである。

2008.06.12

a hollow man

桂の西本願寺の研修道場にて「現代霊性論」と題する講演。
聴衆は研修会に参加されている全国各地の若手の僧侶のみなさんである。
教学や組織論の講義のあいまに、私がひとりだけ「非僧」の民間人として講師にまぎれこんでいる。
今回のテーマは当日朝発作的に思いついた「記号と霊性」。
私たちの社会でいま急速に進行しているのは、「記号化の過剰」とでもいうべき事態ではないか。
そんな気がしたのである。
あらゆる人間的営為をことごとく数値化・定量化し、それを「格付け」するという操作に日本人がこれほど熱中したことがかつてあっただろうか。
私の記憶では、ない。
文科省が大学に提出を要求するペーパーの要求のうちいくつはもうほとんど「ものぐるひ」のレベルに達している。
そこには、「教育目的」と「教育方法」を記述し、そのプログラムがどのような「教育効果」をもたらしたかを数値を明らかにしたevidence based で述べよ、というようなことが平然と書かれている。
「授業を聴いているうちに、すとんと気持ちが片付きました」とか「眼からウロコが落ちました」とか「矢も楯もたまらず身体を動かしたくなりました」とか「なんだか猫にも話しかけたい気分になりました」とか、そういうのはどうやって教育効果として数値的にお示ししたらよろしいのであろうか。
いや、ほんとに。
教育のアウトカムのもっとも本質的な部分は数値的・外形的に表示することができない。
しかし、どうも官僚のみなさんにとって、数値的・外形的に表示できない教育的効果、あるいは「それが何を意味するのかを実定的な語法で語り得ない」教育効果は「存在しない」のと同義のようのである。
それと同じ事態は社会生活の全般に及んでいる。
子どもたちはさまざまな「おけいこごと」をさせられているが、親たちがそこに要求するのはつねに「努力と成果の相関が可視化されていること」である。
水泳教室のインストラクターをしている学生の話では子どもたちのクラスでは異常なほどの「レベルの細分化」が進んでいるそうである。
顔を水につけられたらレベルいくつ、足を床から放せたらレベルいくつ、というふうに水泳技術が「日進月歩」するさまをことごとく「数値で表示すること」を親たちは要求する。
デジタルな数字が変わることでしか、子どもの身体能力の変化が「わからない」という親の側の観察力の欠如を誰も咎めない。
これはきわめて危険な徴候だと私は思っている。
身体能力にもたらされる変化は本質的には計量不能だからである。
変化を計量するためには、座標軸のゼロに相当する「変化しない点」を想定しないといけない。相対的な変化量を確定するためには、「測定枠組み」そのものは変化してはならない。
だから、「スコア」や「タイム」が数値的に表示されるスポーツでは、「身体の使い方を根本的に変える」ということにつよい抵抗が働くのである。
身体運用OSそのものの「書き換え」に際しては、「何を測定してよいのかわからなくなる」ということが必ず起きる。
それまで自分が「能力」の指標だと理解していた度量衡が「無効になる」というのが、「ブレークスルー」ということだからである。
変化量を記号的・数値的に表示せよ、というルールは「ブレークスルー」というものがあることを想定していない。
価値評価の度量衡そのものが生成する「パラダイムシフト」を想定していない。
「ものさし」では重さも、光量も、音響も、手触りも、時間も量れない。
世界の厚み深みについて理解を深めようと思ったら、手持ちの「ものさし」ですべてを計測しようとする習慣を捨てなければならない。
そんな当たり前の理屈が通らない。
どこでも、自分の手持ちの、薄汚れた、ちびた「ものさし」で、この世のすべてのものを計量できると信じている人々に私は出会う。
「うつろなひと」a hollow man たち。
「うつろなひと」は記号で充満している(名越先生の「ホムンクルス」のような話だ)。
「うつろなひと」は、人間的営為のすべては計量可能であると信じる計量主義者であり、リソースは厳密に個人的能力に即して分配されるべきだと考える能力主義者であり、自分に本来帰属すべきリソースは「無能な他者によって不当に簒奪されている」と考える奪還論者である。
そのような人々で日本は埋め尽くされつつある。
というような哀しい話をする。

2008.06.13

ひとりマス・メディア

気がついたらアクセス数累計が1400万を超えていた。
東京都の人口を超えたわけである。
わお。
すごいね。
個人のブログで、それもどちらかというと身辺雑記のほかには小うるさい理屈をがみがみと書き連ねているだけのサイトに、これだけの累積訪問者があるということをすなおに慶賀したいと思う。
先日、ある雑誌のインタビューがあり、プロフィールのゲラを見たら、「アクセス数が100万を超える人気ブログ」という紹介がされていた。
「あの~、1300万を超える」ですけど・・・と訂正を求めたら、ずいぶん恐縮されていた。
カウンターの数字を一桁読み間違えていたのである。
さて、このようなかたちで発信していることが、世論形成上どれほどの影響力を持ちうるのであろうか。
とりあえずわかるのは、それは発行部数1300万部の「本」のそれとはまったく異質なものだということである。
1300万部の本の読者は通常その数より多い。
私の書き物のレギュラーな購読者は、おそらく日本全国で10000人、というところであろう(私が出した単著本のなかでいちばん「売れなかった」本のひとつが先日重刷で晴れて10000部に達したので、たぶんそれくらいであろう)。
『下流志向』だけは例外的に10万部を超えたが、これは講談社の営業の成果(とくにタイトリング)であって、内容的には「いつもと同じ話」である。
いまさら言うのもなんだけれど、このタイトルは三浦展さんの『下流社会』の「二匹目の泥鰌」ねらいがバレバレのタイトルで、「これで行きます」と言われたときはずいぶん気落ちしたものである(私が最初につけていたタイトルは「学びからの逃走、労働からの逃走」だったのだけれど、このタイトルだったら10分の1程度のセールスで終わったであろう)。
だから、このブログの読者もこの「レギュラー・リーダー」をケルンにして、「ときどき覗きに来る」という人を含めて、マックス30000人くらいの集団ではないかと思う。
これはけっこうな数字である。
現に、30000人の定期購読者がいる雑誌というのはなかなかない。
先日○ERAに「発行部数どれくらいなの?」と訊いたら、「一応20万部です」と言っていた。創刊号が100万部売れたそうだから、凋落ぶりが痛ましい。
「月刊○代」にも同じ質問をしたが、はっきりした回答が得られなかったので同席していた関川夏央さんと相談して、「7-8万部というところですかね」と推測した。
純文学誌の場合は、月刊で3000部から5000部というあたりである。
以前このブログに「○學界」の発行部数は3000部と書いたら、当時の編集長から抗議のメールが来て「今月は5500出ました。過去には7000部売れた月だってあるんです」と叱られた。
ごめんなさい。
「○ばる」では、新人賞を公募したときに10000点の応募があり、「どうして4000部しか売れてない月刊誌の新人賞に2.5倍の応募者があるんだ。せめて応募要項が出ている号くらい買えよ」と編集者が怒りに震えていた。
これまで純文学誌の読者は「編集者と作家と、編集者志望と作家志望」の4種類しかいないと言われていたが、どうも「作家志望」の諸君はここにはもうカウントできなくなりつつあるようである。
哀号。
というような既存の定期刊行物の読者数を基準に取ると、「定期読者30000人」はすでに「マス・メディア」のカテゴリーに入ってもおかしくないであろう。
しかし、これを書いているのはひとりの個人である。
編集会議もデスクも営業も広告主も電通も、ぜんぜん関係してこないのである。
ひとりの人間が掣肘ぬきで言いたい放題書き放題の「マス・メディア」というものが存立してよろしいのであろうか。
なんだかあまりよろしくないような気がする。
だから、たまに「こんなことを書いてもらっては困る」というクレームがつくことがある。
例えば、個人情報に抵触する場合。
私が「いっしょに行った○○くんと××くんと痛飲」というようなことを日記に書くと「センセイ、すみません。会社には『祖母が急逝』ということで有給とったので、ぼくの名前消してください」というような必死メールが来ることがある。
むろん、そういう場合は直ちに削除。
大学の上の方から「ウチダ先生、この記述はちょっとなんとかなりませんか・・・」というやわらかいクレームがつくこともある。
「あ、そうですか、こりゃ失礼しました」とすなおに直すこともあるし、「だって、事実じゃないですか」と口をとがらせて、直さないこともある。
ケース・バイ・ケース。
それにこのブログの場合は、このあと「使い回し」、二度目のご奉公とて単行本に採録されることが多いので、何を書いても「出版コード」が無意識のうちに適用されている。
本になって、天下の往来で売られるのがはばかられるようなことは、やはり書かない。
そう考えると、「マス・メディア」の「マス」は発行部数の問題ではないということがわかる。
「マス・メディア」の多数性を担保しているのは、「複数の価値観」がそこで輻輳しているせいで、「まあ、この辺が常識的な範囲じゃないですか」ということについての合意形成が必要だという事実である。
私はそう思う。
発行部数が1000万部でも、言論統制下にあって、独裁者の善政をひたすら礼賛するようなメディアは「マス・メディア」ではない。
規模は大きいが、「手書きの私の詩集」と本質において変わらない。
「外部」への回路が開口していないからである。
「マスメディア」の「マス」性を存立させるのは、「私の内部にある、あれこれの意見を擦り合わせる」というめんどうな仕事を引き受けるということである。
「私の中における合意」は同語反復ではない。
村上春樹さんにはかの「うなぎ」なるアルターエゴがおり、小説を書くときは、この「うなぎ」と相談をされるそうである(相談すると、ますます話がややこしくなる、というのが「うなぎ」の手柄である)。
橋本治さんは「左肩」にアルターエゴが棲んでいて、「この仕事できるかな」「やったら」みたいな会話を肩とかわしているそうである(この逸話はもうすぐ筑摩書房から出る『橋本治と内田樹』でお読みいただけます)。
すぐれた書き手は必ず自身のうちに「対話の相手になるような、私とは違う私」を住まわせている。
モーリス・ブランショが「同じひとつのことを言うためには二人の人間が必要だ」というのも、ラカンが「私が語っているとき、私の中では他者が語っている」というのも、おそらくその構造は同一である。
もし書き手がつねに首尾一貫していると、遠からず限界にゆきあたる。
書くことがなくなってしまうのである。
人間はタフだから、書くことがなくなっても、同じことを壊れたテープレコーダーのように際限なく繰り返すことはできる。
夫子ご自身は際限なく言葉が出てくるので、言葉の鉱脈を掘り当てた気分になって、うれしく語り続ける。
けれども、これはつねづね申し上げているように「下水道に上水道を繋いでいる」のと同じメカニズムである。
いくらでも際限なく蛇口から水が出てくるので、無窮の水源を掘り当てたと本人は大喜びだが、実際には排水溝から流れた水がまた蛇口から還流しているにすぎない(だから、だんだん腐臭がしてくる)。
このピットフォールに落ち込まないためには、「私の中で他者が語る」という機制をどこかで構造的に組み込んでおかなくてはならない。
クリエイティヴ・ライティングの授業では、その話をする。
シンプルでチープな「物語」narrative に取り込まれないようにするためには、「私の中で何人もの他者が語る」ような複数的パロール(parole plurielle これもブランショの言葉だ)の装置を稼動させなければならない。
だが、どうやって。
考えているうちに、関川夏央さんの『家族の昭和』に出ていた幸田文の「父・こんなこと」が読みたくなって、読み始めた。
びっくりした。
すごい文章である。
センテンスがひとつひとつぴくぴくと生きている。
固有の律動を以って動いている。
頭で書いている部分と、手先で書いている部分と、腰で書いている部分と、感傷で書いている部分と、憎悪で書いている部分と、空腹感で書いている部分・・・まるで人間の身体のように、そういった自律的な部分がわずか三行のセンテンスのあいだに順番に出ては消える。
すごい。
菩薩のような一行のあとに、いきなり夜叉のような一行が出てくる。
幸田文さんは、このとき44歳。
ほとんど生まれてはじめて書いた文章で、すでに文体が完成している。
語るとは「自分の中にあって輻輳しているいくつものヴォイスをかたはしから言葉に載せてゆく」ということであり、その「かたはしから」を統御する理とは「美」だ、という見極めがちゃんとできている。
言葉が美しいとはどういうことか、その審美的規範が深々と身体化していなければ、こんな芸当はできない。
そうか、ヴォイスを統御する「理」は「美」なのだ。
当たり前のことを忘れていた。
美しいとはどういうことか。
この言葉は美しいか、この歩き方は美しいか、この着付けは美しいか、この配膳は美しいか、そういうことに知的リソースを集中する長い体系的な訓練がなければ、審美規範は身体化しない。
「複数のパロール」とか「他者の言葉」というような危ういものを統御できるのは、身体化された「美」のみである。
だから、若き日の私がレヴィナスを読んで「意味がぜんぜんわからないけれど、なんか、めちゃかっこいい」と吐息をついたというのは、子どもなりにものごとの事理がわかっていたということである。
というわけで、マス・メディアの「マス」たる所以を担保するのは、ヴォイスの複数性であり、ヴォイスの複数性を統御するのは、身体化した美であるという理路に私は至りついたのである。
おわかりいただけるであろうか。
おわかりいただけないですよね。

2008.06.17

アナザー忙しい週末

死のロード初日。
5月に始まった「(週末なき)死のロード」シリーズが二週間のインターバルを置いて、また再開された。今回のロードは6月末まで続く。
今回の週末は
14日、志木合氣会創立20周年記念演武会・講習会
15日、多田塾研修会
16日、法政大学で講義
その隙間に打ち合わせやら宴会などがある。もちろん各種原稿の締め切りもあるので、移動の車中でも目を充血させてパソコンを叩き続けている。
それでも立て続けに三本原稿を落とす。
かつては「いつもニコニコ守る締め切り」の人間であったのだが、もはやそのような牧歌的なことは言っておれない。
夏休みまであと6週間ほどある。
倒れずにたどりつけるとよいのだが。
とはいえ、今回は合気道イベントと鈴木晶先生のところの授業のお手伝いであるので、比較的お気楽なツァーである。
土曜日7時に起きて、8時半発の新幹線で東京へ。丸の内線で池袋。東武東上線で柳瀬川に12時。埼玉県は遠いです。
行きの電車の中で坪井師範、小堀さん、大田さんに遭遇。わいわいおしゃべりをしているうちに現地につく。駅で高雄くんに会う。軽く昼飯を誂えて店を出ると今崎先輩、雑賀くん、のぶちゃんと出会う。
こういうふうに目的地に向かって歩いていると、しだいに見知った顔が増えてゆき、カメラがぐうっとクレーンで持ち上げられて、一望するといつのまにか大集団に・・・という絵柄は「革命劇」の定番であるが、私はこの手の図像にたいへん弱く。
それだけで「ほろり」としてしまうのである。
どうしてだかわからないが、たぶん人類学的に「きゅん」と来る何かが含まれているのであろう。
同門の合気道家たちと久闊を叙す(といっても、みんな5月末の全日本演武大会で会ったばかり)。
演武会、多田先生の講習会と、とんとんと終わって、祝賀会。
稽古で汗をかいたあとの冷たいビールはまことに美味である。
参加団体からの最初の挨拶を多田先生からご指名されたので、志木合気会を創設された故・樋浦直久先輩の思い出を語る。
私は私の手の指がまわらないほどの樋浦さんの太い腕にさわるのが大好きで、宴会のときはいつも気がつくと先輩の左となりに座って、酔うとどういうわけかその樋浦さんの左手をつかまえて何か技をかけようとした。もちろんいつも「わははは」という豪快な笑いとともに反対に三教をかけられて畳に顔をこすりつけるのであった。
そのときの微醺を帯びて赤くなった樋浦さんのやさしい温顔を思い出す。
K井先輩から説教をしていただく。
「ウチダくん、ここにすわんなさい」「はい」
今回は礼のしかたについてご注意を受ける。
「君は頭が高いんだよ」「は」
おっしゃるとおりである。子どもの頃からずっとそう言われてきたのだが齢耳順に至ってまだ治らない。
それから「今日の演武はなかなかよかった」とにっこり。
まことに教育的なご配慮である。
「それからオレのことをブログ日記に書くなよ」ともご注意を受けた(それゆえ今回からはK井先輩とのみ記して名を秘すのである)。
二次会にもお供して、合掌の呼吸の要諦について、大先生の写真を神前に飾ることの必要性について、経験に裏づけられたさまざまの知見をご教示いただく。
同門の先輩とは、まことに求めて得難いものである。
学士会館泊。
あけて日曜日は多田塾講習会。若松町の本部道場に、また三々五々と同門の諸君が集まってくる。
地下鉄の駅で、ウッキーが地図を見ている。歩いているうちに、大田さんと会う(よく会いますね)。
昨日会った人たちもいるし、今日会う人(岩手から東京経由スイス行きの菅原さんとか)もいる。浜名湖道場の寺田さん門下の諸君(スーさんの同門)も来ている。ツッチーがいたので、「Tシャツ、かわいいね」と話しかける(まことによけいなお世話であるが、ツッチーと闇将を見ると何かよけいなことを言いたくなってしまう)。
楽しくお稽古したあと、多田先生をお見送りしてから、神楽坂へ。
二日間ごいっしょした甲南合気会の諸君(かなぴょん、ウッキー、ナガヤマさん、新井さん)、高雄くん、のぶちゃんらとお別れする。ばいばい。
神楽坂の「うお徳」にて新潮社のミエさん、アダチさんと会食。
「呪いの言論」について語る。
気づかぬうちに私たちの社会には「他人の苦しみをおのれの喜びとする」タイプのマインドが瀰漫しつつある。
自分には何の直接的利益もない(どころか、しばしば不利益をもたらす)にもかかわらず、それによって自分以上に苦しむ人がいるなら、その苦しみを自分の「得点」にカウントする風儀がいつのまにか私たちの時代の「ふつう」になってしまった。
他人の苦しみをおのれの喜びとすることを「呪う」という。
この古い日本語がメディアから消えると同時に、日本中の人々がそれが「呪い」であることを知らずに、「呪い」の言葉を吐き散らすようになった。
月曜日は法政大学の鈴木晶先生のところで特別講義。
先週は増田聡くんがゲスト講師で、今週は私。
「倍音的文体論」というお題を鈴木先生から頂いていたので、その話をするうちに、どれほどシンプルでチープなナラティヴであっても、それが「本歌取り」である限り、そこからは倍音が発し、それを聴取した人たちの中には「これは私だけに宛てられたメッセージだ」と錯覚するものが出てくる。
芭蕉と村上春樹の話から始まって、シリアル・キラー、模倣犯の話に転じ、秋葉原の無差別殺傷事件と「呪いのナラティヴ」の話になる。
最初のうちは眠っていた学生たちも途中から目を覚まして、身を少しこわばらせて聴いている。
私たちの時代においてドミナントな言説は「呪い」の語法で語られているという昨日の続きの話をする。
「呪い」という言葉が彼らには実感として「ヒット」するのであろう。
むろん、呪いは祓われなければならない。
それは「呪うものは呪われよ」ではない(それでは呪いは増殖するばかりである)。
「呪詛には祝福」と人類の黎明期から決まっている。
「他者の喜びをおのれの喜びとする」ことである。
授業のあと、ボアソナードタワーのラウンジで鈴木先生とご飯を食べながら、「日本はこれからどうなるんでしょうね」といささか悲観的なおしゃべりをする。
鈴木先生に「またね」とお別れしてから、音羽の講談社へ。
『街場の家族論』のゲラを放置したまますでに半歳。
小沢さんと、浅川さんの後を引き継いだ新担当の山中さんにお詫びとご挨拶。
30分ほどでおいとまして、新幹線に乗ると、たちまち爆睡。
今週末もまた東京である。とほほ。

2008.06.18

マンガ脳

大学院で「マンガ」の話をする。
日本語と日本の宗教の「辺境性」についてのプレゼンテーションだったのだが、いつのまにか「日本人の脳」の話から、マンガの話になってしまった。
日本語は「漢字とかなを混ぜて書く」言語である。
漢字は表意文字であり、かなは表音文字である。
この二つを脳は並行処理している。
アルファベットは表音文字であるから、欧米語話者はそんな面倒なことはしない。
けれども、そのせいで変わったことが起きる。
表意文字は「図像」であり、表音文字は「音声」であるから、これを記号処理する脳の部位は当然違う。
失読症というのは、脳の疾患によって文字が読めなくなる症状である。
欧米語話者は失読症になると、まったく文字が読めなくなる。
しかるに、日本語話者は二種類の病態をとる。
漢字が読めなくなって、かなだけが読める症状と、かなが読めなくなって、漢字だけが読める症状である。
それから、漢字を読んでいるところと、かなを読んでいるところが、別の脳内部位であることが知れるのである。
それがどうした、と言われる方がおられるやもしれぬ。
あのね。
これはけっこう大変なことである。
図像と音声を同時に「記号」として並行処理しているのである。
こんなことをしているのは日本人だけである。
そうすると、どうなるのか。
とりあえず脳科学について知られていることをおさらいしてみよう。
角田忠信によると、日本人は鳥の声や虫の鳴き声も言語音として左脳で処理している。
欧米人は「言語」と「音楽」は別の脳内部位で処理する(言語は左脳で、音楽は右脳で聴く)。
だから、だから、欧米人は音楽を聴いているときに、人間の声がきこえても、「邪魔にならない」。
人間の声は音楽に「割り込まない」からである。
しかし、日本人の場合は、交響楽の演奏中に鳥の声が聞こえても、蛙が鳴いても、「音に穴が開く」。
それは鳥の声や蛙の鳴き声と音楽を日本人は「言語脳」で聴いているからである。
「われわれが読む、聴く、書く、話すなどの言語活動をしているとき、非言語音である純音、雑音、器楽曲を同時に聴いても、言語脳と音楽脳とが、言語と音楽などを別々に処理しているわけではなく、言語脳の方に一諸にとりこまれて処理されるという、『言語情報優先の原則』のあることを確かめたわけである。」(角田忠信、『日本人の脳』、大修館書店、1978/2005、93頁)
なるほど。
さて、言語を「出力」する場合はどうなるのか。
『日本人の脳』が書かれた時代にはまだ知られていなかった脳科学上の発見に「ミラーニューロン」というものがある。
もう何度も書いたことだが、ラーニューロンは他者の脳内で起きている神経細胞の動きを、自分の脳内でトレースする機能である。
「ミラーニューロンにより、他人の振る舞いを見ると、自分もそれと同じ振る舞いを仮想的にするのである。」それによって「自分の中で仮想的身体運動が起こり、他人の心の状態と同様の状態に自分の心がなり、そうして他人を理解しているのである。」(月本洋、『日本人の脳に主語はいらない』、講談社選書メチエ、2008年、118頁)
これも前に紹介しましたね。
私たちは他人の身体動作の模倣を通じて、自分の脳神経回路を組織化する。
模倣を通じて「私」が形成される。
最初に自他未分化の「ミラーニューロンの同調」という現象があり、その同調の効果として、「私」が立ち上がり、同時に、「私」がその模倣をした「モデル」が解離的なしかたで基礎づけられる。
「自我」とか「他者」とかいう装置はミラーニューロンが活動しているところに生まれる。
それは局所的に言うと「右脳」であり、さらに厳密に言うと、聴覚野に隣接した場所である。
ところで、欧米人は母音を右脳で処理するので(これも最近わかったことらしい)、出力のとき、自分の言葉を「右脳の聴覚野で内的に聴く」。
私を主語にして話し始めるとき、その認知的な「私」はまず右脳で立ち上がる。
そこは「私と他者」の分離がなされている場所の「お隣」である。
右脳で立ち上がった「認知的な私」が左脳にある「言語的な私」にたどりつくまで時間がかかる(数十ミリ秒)。
「認知的な私」の出現と「言語的な私」の出現のあいだにタイムラグが生じる
間が保たない。
コーヒーを一服とか、煙草を喫するとか、おもむろに携帯を見やるとか、そういうことをしないと「間が保たない」ということあるでしょ。
それと同じである。
仕方がないので、欧米語話者は人称代名詞を口にする。
“I”とか“it”というのは、「何を言ってよいかわからないので、とりあえず言ってみました」音なのである。
「イギリス人は、発話開始時には、右脳の聴覚野から左脳の言語野への信号伝達に時間がかかり、認知から言語への移行が円滑にゆかないので、とりあえず、無意味な“it”を発声することになるのであろう。」(198頁)
「雨が降る」というのは、おそらく認知的にはただ“rain”でよいのである。
その認知的事態を言語的に表象する前に、うっかり“it”なんて口走ってしまったものだから、rainsなんて、語尾を活用させなければいけない仕儀に立ち至るのである。
たぶんそういうご説明ではないかと思う(違ったらごめんね)。
日本語では「愛しているよ」で足りる。
誰が誰を愛しているかというような認知的な事態は「織り込み済み」だからである。
「認知的な無音の『僕』が連続的に有音の『愛している』につながるからである。だから『僕は君を愛しているよ』というと、『僕は』が余計なのである。
認知的な無音の『僕』は言語になっていないので、主語ではない。それは、主体とよばれるべきものである。したがって、認知的主体が言語的動詞と組み合わされて一つの認知的言語行為を構成しているのである。また、目的語の『君を』も声にはならない。それは、右脳の自他分離の部分を刺激しないからである。
これに対して英語では”I love you”である。“love”とは言わない。英語では、認知から言語に連続的に移行しないから、“I”が必要になり、そして、右脳の自他分離の部分を刺激するから人称代名詞の“you”が必要になる。」(200頁)
面白い話である。
さて、ここまでは別に「トリビア」ではなくて、話の「マクラ」である。
私たちにわかっているのは、
(1) 日本人は図像と音声という二種類の言語記号を左脳で並行処理している。
(2) 言語記号の出力に際しては、右脳の自他分離機能を刺激しない
どうです。
なんか、どきどきしてきませんか。
マンガにおける図像というのは、「他者の身体」である。
そうでしょ。
そこにたいていは人の体が描いてあるんだから。
他人の身体を見ると、人間の右脳のミラーニューロンが活性化して、仮想的身体運動が起きる。
でも、べつにこれは記号的に表出される必要がない。
「私は今マンガを読んで、その図像を対象的に把持したせいでミラーニューロンを刺激されている」なんていうふうに認知する必要がない。
マンガは日本語の世界であって、そこは“Iのない世界”なんだから。
左脳はさくさくとマンガを読んでいる。
右脳はぐいぐいと仮想的身体運動をしている。
日本人にとって「マンガを読む」というのは左右の脳を例外的に活発に刺激する経験なのではあるまいか。
というのは、マンガ家を見て知れることの一つは、「画力のあるマンガ家は、話も面白い」ということだからである。
絵はめちゃめちゃうまいが、話は穴だらけ、とか、ストーリーは抜群だが、デッサンがどうも狂っている・・・というようなマンガ家は(あまり)いない(青木雄二くらいである)。
画力と物語構成力はマンガにおいてはおそらく脳内において並行的に発達している。
大友克洋、鳥山明、井上雄彦・・・ワールドワイドに画風のフォロワーを有しているマンガ家たちは、いずれも創造性あふれる抜群のストーリーテラーである。
これをどうして「変だ」と思わずに来たのか、その方が不思議である。
「物語を作る脳内部位」(「作家脳」)と、「絵を描く脳内部位」(「画家脳」)は本来別々のものなのであろう。
けれども、マンガのように時間の流れに乗せてシーケンシャルに「動き」をトレースする絵の場合には、その二つの脳内部位が同時に活性化しないと仕事にならない。
だから、左脳の図像処理プロセスと、音声処理プロセスと、右脳のミラーニューロンの活性化が同時に起きる。
ミラーニューロンが活性化すると、人間は「幽体離脱」する(池谷裕二さんに聞いた)。
すると、生身の人間がとることのできない視点から、人間の世界が俯瞰される。
井上雄彦のマンガを読んでいると、ときどき信じられないような視座からの俯瞰図に出会う。
たぶんこれは主人公の超人的な身体運動に同調しているうちに、作家自身が「離脱」してしまったことの効果である。
この複数の脳内部位が同時に活性化することをかつて人々は「ミューズ」とか「ダイモニオン」とか「うなぎ」とか「複数のパロール」とか「私の中の他者」と称したのではないか。
というようなことを考え出したら、なんだか収拾がつかなくなってしまったのである。

2008.06.20

シンクロニシティと予告編と業務連絡

驚いたことに『マンガ脳』という本が、ほんとうにあって、これが7月4日発売予定。
アスペクトという名の小さな出版社から出るのだが、その担当編集者がブログを見て、びっくりして本を送ってくださった。
世の中には同じようなことを考えている人が何人かいるものである。
書いたのは米山公啓さんという神経内科のドクター。
作家でもあり、なんと年間10冊、これまでに180冊本を書いているそうである。
すごいね。
著書に『右脳がいきいき蘇る本+CD』、『脳が若返る30の方法』、『脳がみるみる甦る53の実践』など。
タイトルから察するに、「脳がぐいぐい甦る」系のおはなしの好きな方のようである。
なるほど。そうですか。
まだ読んでないので、読んだら、感想をご報告します(しないかも知れませんけど)。
このところずっと橋本治さんとの対談のゲラを直している。
橋本文学の秘密を私が「徹子」となってさくさくと解明しようではないかというたいへん教化的な趣向のものである。
山の上ホテルで橋本さんと時間を忘れてお話しをしたのは、もう3年ほど前のことで、内容をすっかり忘れていたが、ひさしぶりに読み返してみたら、たいへん面白かった。
秋までには出ると思うので、「橋本治の文学と批評」について、その本質を知りたいと思う方はぜひお読みください。
「ほうほう」とか「あははは」とかいう合いの手仕事は私の得意とするところなのであるが、実際に私はほとんど笑っているだけで、「共著者」を名乗るのが申し訳ないような本である。
ちょっと予告編で一部お見せしますね。

内田 橋本文学のキーワードって、やっぱりそこですよね。音楽性というか、音ですね。
橋本 うーん、音が聞こえないのと、絵が見えないのはダメなんです。
内田 注文多いですね(笑)。音読するとわかるけど、橋本さんの文章って、音の選択がいいですね。だから、朗読しやすい。
橋本『窯変源氏物語』って書きながら朗読してました。あまりにもかっこいいから(笑)。
内田 そうか、やっぱり! さっき『源氏物語』の漢字がきれいだとおっしゃったぐらいだから、字面のグラフィックのきれいな印象もあるし、あとは「……」とか空白とかのビジュアルも駆使されて。
橋本 やること全部やってるし。
内田 音があって絵があって。小説を読むときには五感を動員しないとダメだよ、と。
橋本 だって日本の文芸評論家は文章の美しさは問題にしてくれないんですもん。
内田 ほんとにそうですね。音って大事ですよね。でも、この作家は音の使い方が巧みであるっていう批評、まず見ることないですよね。あと、本を開いたときのヴィジュアルな印象がきれいだとか。タイポグラフィとか、余白のかたちとか、紙質とか、このへんにすごく画数の多い漢字があって、こっちが白っぽくて、そのコントラストがいいとか。そういう考え方があってもいいと思うんですけどね。
橋本 あるんです。『窯変源氏物語』は漢和辞典を引きっぱなしですよ。
内田 かっこいい漢字を探して?
橋本 うん。『胡蝶』の巻で六条院で桜の全盛期みたいなのがあったから、桜に関する表現は、ほかにストックはありませんというぐらい全部ここで使い果たしちゃってもいいやと思って、そのときにぶち込んだんですよ。
内田 へえー……。
橋本 そしたら『藤裏葉』の巻になって、やっぱり花のシーンが出てきちゃって。ところが、それがお寺の花見だった。「ああ、しめた。仏教関係の用語を使えばいい。それで花を書こう」と思いました。「天蓋から垂れている、これをなんていうんだ?」とかって辞書を引きながら。と、「金偏で何かあったはずだ!」と思ってザアーッと見ていったりとか。
内田 小説を書くときに漢和辞典を引いて「いい字を探す」という人は橋本さんくらいですよ

というような感じの対談である。
面白そうでしょ?

それから、「学内向けの業務連絡」
フランス語語学研修の参加者が定員に不足して1名追加募集をしています。
8月21日から9月12日まで、ブザンソンのフランシュ=コンテ大学の鷹揚言語センターで2週間50時間の研修プラスパリ自由研修1週間です。(えへへ、もちろん「応用言語センター」の間違いです。どもすみません。でもいいですね「鷹揚言語センター」。ことばの使い方間違えても「ノンノン、パ・ド・プロブレム」でにっこり許してくれそうで)
私が全行程フルアテンダンスで、添乗員、ポーター、通訳、ボディガード、ガイドなどを勤めさせていただきます。
ブザンソンは中世のままの城砦が残るシックで美しい街です。名物料理はジャガイモとソーセージとチーズのグラタン(高脂質ごはんだけど、美味しいの)。初秋のフランスでほっこりしたい神戸女学院の学生・院生・聴講生諸君、どなたも歓迎です。
受付は本学国際交流センターまで!
お早めに。


2008.06.21

今週の宿題は

クリエイティヴ・ライティングの宿題は「葛藤」。
何が葛藤するかというと、「作家」と「登場人物」が葛藤するのである。
その消息を理解してもらうために、学生たちには二週間前に宿題として、「書いている途中で、視点が切り替わるテクスト」を選んできてもらった。
ふつうは「神の視点」と「焦点的人物の視点」のあいだを行き来する。
「ふざけたことを言うな」と貞夫は怒りの叫び声を上げた。その言葉が貞夫の運命を一変させることになった。
なんていうのがあるでしょ。
二番目のセンテンスで書き手の視点から見える空間的・時間的な眺望がいきなり広大になる。
いまその出来事を経験しつつある当の本人が記述できる権限を超えてしまう。
そういうのは「なし」ね、とかつてサルトルは言った。
神の視点から登場人物たちの内面に勝手に入り込んだり、まだ起きていない出来事を先取りしたりするのは「フェアではない」というのである。
なるほど、おっしゃるとおりである。
しかし、複数の視点を往還し、さまざまな人物の内側に入り込んで、「他者をその内側から経験する」ことのうちに小説を読むことの愉悦は存する。
サルトルが言ったのは複数の視点がダメということではなく、「神の視点」はダメ、ということである。
その視点からの記述がひとりの人間の経験できることに限定されていれば、視点はいくらあってもオッケー。
だから、サルトルは『自由への道』で次々と焦点的人物を入れ替え、彼ら彼女らのあいだをものすごいスピードで行き来して、同一の事件に複数の相があり、さまざまな解釈可能性があることを示した。
小説的には成功した。
たいした力業である。
ところが、いまは『自由への道』なんて読む人はほとんどいない。
なぜか。
それはサルトルが否定したはずの「神の視点」を物語の中に密輸入しており、そのことにサルトル自身が無自覚だったからである。
自分が「表のドア」から追い出した「神の視点」を、「裏口」から導き入れたのである。
サルトルが「神」に擬したのは「歴史の審判力」である。
登場人物は複数だが、物語はシーケンシャルに進行する。
そして、登場人物たちがそのつどの状況において行った「実存的」な選択の「正しさ」は、「それからあとに起きたこと」の歴史的意義に徴して査定される。
共産党に入党すべきかどうかを思い悩む登場人物がいる。
物語の舞台は大戦間期である。
サルトルが『自由への道』を執筆した時点(1945年/49年)においてはもう戦争は終わっており、「大戦間期に共産党に入党して、レジスタンス軍事行動をした人は歴史的に正しい選択をした」ということが「常識」になっていた。
だから、入党をためらった登場人物の歴史的評価は「間違い」ということになる。
たぶん、リアルタイムの読者はそういう評価「込み」でこの小説を読んだ。
でも、サルトルがこの小説を書き終えたあと、フランス共産党はスターリン主義の評価を誤り、それまで享受していた圧倒的な国民的信認を失ってしまった。
その場合、「入党しなかった登場人物」は、今度は「やはり先見の明があった」ということで「名誉回復」されるのだろうか?
サルトルは別に物語内部的に「入党しなかった登場人物」を断罪したわけではない(ちょっとはしたけど)。
1949年時点での政治的状況に鑑みて「正しい」選択が物語的にも正しい・・というような教条主義的な書き方をしていたら、サルトルはとうの昔にその名前さえ忘れられていたであろう。
けれども、いま『自由への道』を読む読者は、なんとなく居心地の悪さを感じるはずである。
「この登場人物たちが結局何者であり、その行為が正しかったかどうかは、そのつどの現代史を参照しないと、わからないの?こっちの世界で何か新しい政治的事件が起こって、歴史的事件の意味の解釈が変わるたびに、フィクションの中の人たちその毀誉褒貶を変じるわけ?」
それって、やっぱり変ですよね。
物語は物語としてとりあえずは完結していなくてはならない。
物語外現実が変わるたびに、登場人物のしていることの当否や発言の真偽がそのつど変わられてはたまらない。
サルトルは物語世界の中に「神」を置くことを拒否した。
でも、その代わりに、物語世界の外に「歴史という名の神」を置いて、それに小説世界を統制する権限を委ねた。
それは小説を読む経験をあまり豊かなものにはしなかった。
と、私は思う。
たぶん、みんなもそう思ったので、『自由への道』は顧みられなくなった。
複数の視点のあいだを往還する、という小説構造は正しい。
けれど、その複数の視点は「等権利的」であってはならない。
物語の中が等権利的であると、物語の外に「神」が登場してしまうからだ。
「神」はできれば物語の中にいていただきたい。
エクリチュールを先へ進める複数の視点、複数の欲望のうちのひとつでありながら、他を圧倒するもの。
それが「神」である。
それは何か。
ということで、学生たちがもってきた素材をいくつか読む。
綿矢りさの『蹴りたい背中』を持ってきた学生がいた。
ナイスなチョイスである。
冒頭の部分を朗読する。
よいね。
どこがよいのか。
直木賞受賞経験のある女流作家のものを持ってきた学生もいた。
その冒頭を朗読する。
う・・・ん、これはちょっと、ね。
両者の何が違うか。
あのね、綿矢さんはたぶんこの冒頭部分のところに最初はもう数十行多く書いていたと思う。
女子高生が理科室で屈託しているところであるから、それを描写した記述があったはずである。
どうして、意味もなくプリントをちぎるようになったのか、どこからプリントを取り出したのか、どうしてちぎるという行為を選択したのか、それについても、おそらく若干の説明もあったと思う。
でも、書いたあとに、そういうところはざっくり削除した。
削除すると、意味がとおりにくくなる。
けれども、綿矢さんは、この部分は「あまり美しくない」と思ったのである(たぶん)。
テクストが「表現」する意味の深さやメッセージの適法性よりも、その言葉の並びが造形的にあるいは音韻的に「美しいかどうか」を優先的に配慮せずにはいられないことがある。
それがテクストの世界における「神」の機能である。
「何が書きたいのか」よりも「どう書くか」の方をついつい気遣ってしまうこと。
真理を語るつもりではじめたのだが、気がつくと、それをどう美しく語るかに夢中になってしまうこと。
それがテクストを司る「神」である。
ある種の書き手においては、この「神」がたいへん専横であり、ある書き手においてはそれほどではない。
直木賞作家の書き物には残念ながら、「美しく書くことに夢中になっている」という狂気の気配が薄かった。
体温の低い文体であることは、少しも悪いことではない。
「体温の低い文体」というのもやはり書くことを完全に統御したいという「常軌を逸した」欲望の副産物である。
世の中には「自分の狂気を完全に統御したい」という種類の狂気も存在するし、「審美性などに一歩も譲歩しない完全に合理的な秩序を達成したい」という欲望のかたちをとる「美的配慮」も存在する。
けれども、「神」は無意識に機能しているときが、いちばんパフォーマンスが高いのである。
「なんか、この形容詞、画数がうっとおしい」とか「あ、エの音が、続いている。きもちわる」とか、そういう内容と無関係なところでいきなり「神」は「厭なものは、厭」的に断固として介入してくる。
それは美文を書くということとは違う。
意識的な操作ではないからだ。
ということでふたたび幸田文の『父』の一部を朗読する。
『父』はただの看病日誌である。
終戦直後の市川の夏の、やけるような暑さと、病人を介護することの心身の苦労と、物資の不足と、さまざまな生活上の不如意が書いてあるだけである。
それなのに、読んでいると胸がどきどきしてくる。
愉悦を感じる。
美しいからである。
美しく書こうというようなさかしらは書き手のうちに少しもないのに、美しい。
それは「美しい」ということの規矩が身体化しているからである。
みごとな身体所作をする人は、ただ立ちあがって、襖を開けて、するりと出てゆくだけで、吐息が出るほど美しい。
サラ・ベルナールはレストランのメニューを読み上げただけで、同席していた客たちは感動の涙を流したという逸話がある。
何度も書いたことけれど、「ヴォイス」を発見したジュード・ロウくんの場合は、ある日いつものように「死亡記事」を書いていたのだけれど、それを読んだ読者たちがあまりに面白くて、つい読みふけってしまった・・・ということがあって、編集長が「キミは今日から学芸の担当になってね」という配置転換の辞令がおりたのである(知らないけど、たぶん)。
そういうものである。
極端な話、素材なんかなんでもいいのである。
美しければいいのである。
というふうに「作家」は考える。
でも、「登場人物」は違う。
彼らには彼らに固有の抜き差しならぬ「物語内的現実」がある。
それを精密に記述し、それを彫琢し、読者に差し出し、その理解と支援を求めるという「仕事」が登場人物たちにはある。
彼らは「真実」の再現を求める。
作家は「美」への配慮ゆえに平気でそれをざっくり削り込むし、あることないこと書き足してしまう。
すぐれた作品においては、フィクティシャスな人物たちが「真実」を求め、生身の作者が「なもん、どうだっていいじゃねーか」とぶつぶつ言いながら「推敲」の暴力を揮う。
それを私は冒頭で「葛藤」と申し上げたのである。
「身体化した美の規矩」と「現実を圧倒しようとする虚構のリアリティ」がはげしく葛藤するときに、文学はそのパフォーマンスを最大化する。
それを実現していると思われる作品を探してきてください。
というのが今週の宿題。


2008.06.23

忙しい週末 once again

金曜日はゼミのあと、会議が二つ。それから温情会。今回は大阪ヒルトン。
温情会というのは学校法人神戸女学院の教職員の懇談会である。日ごろあまり会う機会のない、中高部の先生がたや、法人の職員のみなさんとテーブルを囲んで会食をするのである。
このところいろいろな用事とバッティングしていたので、出るのは久しぶりである。
今回はイタリアン。
音楽学部の先生がたと同じテーブルになる。右隣が斉藤言子先生で、左隣が島崎徹先生。
左右に首を振りながら、ワイン片手にずっとしゃべり続ける。
岡田先生のピアノをはじめて聴く。
すばらしい。
眼福という言葉があるが、これは耳福。
週末は東京。
新宿住友ビルで本願寺(こんどはお東さん)の市民講座。
聴衆は100人くらいの市民のみなさん。雨の中をお運びいただき、まことに申し訳ない。
このところのテーマである「呪いのナラティヴ」について90分お話する。
私たちの時代に瀰漫している「批評的言説」のほとんどが、「呪い」の語法で語られていることに、当の発話者自身が気づいていない。
「呪い」というのは「他人がその権威や財力や威信や声望を失うことを、みずからの喜びとすること」である。
自分はいかなる利益も得ない。
他人が「不当に占有している利益を失う」だけであるが、それを自分の「得点」にカウントする。
久しくこのゼロサム的社会理論は左翼の思想運動において「政治的正しさ」の実現とみなされてきた。
マルクスの労働価値説がそれでも人間的理説でありえたのは、「ブルジョワが不当に占有している利益」を「プロレタリアが奪還する」ことの正当性を挙証したマルクス自身がブルジョワであり、彼にその理論の構築を促したのが、19世紀なかばのイギリスの児童労働者に対する「惻隠の情」だったからである。
「奪還論」が人間的理説でありうるのは、「私のものをあなたは奪う権利がある」という話型で語りだされたからである。
それは社会的リソースの分配についてだけ見れば、「おまえのものを私は奪う権利がある」という言い方でなされた場合と、結果的には同じことである。
同じことだが、違う。
祝福と呪詛ほどに違う。
私たちの社会では、「他者が何かを失うこと」をみずからの喜びとする人間が異常な速度で増殖している。
これはひとつには「偏差値教育」の効果であるとも言える。
偏差値というのは、ご存知の通り、同学齢集団の中のどこに位置するかの指標であり、絶対学力とは何の関係もない。
自分の偏差値を上げるためには二つ方法がある。
自分の学力を上げるか、他人の学力を下げるか、である。
そして、ほとんどの人は後者を選択する。
その結果、私たちの社会では、偏差値競争が激化するのに相関して、子どもたちの学力が低下するという不可解な現象が起きている。
子どもたちは自分の周囲の子どもたちの学習時間を減らすこと、学習意欲を損なうことについてはきわめて勤勉である。
ほとんど感動的なまでに勤勉である。
彼らは級友が失った学習時間や学習意欲を自分の「得点」にカウントする習慣をいつのまにか身につけている。
だから、学習塾で学校より単元を「先へ」進んで学んだこどもたちは、学校の教科がさっぱり理解できない子どもたちと、「授業の妨害にたいへん熱心である」という点で似てくる。
それは「教師の話を聴かないで、退屈そうにしている」という消極的なしかたで教室の緊張感を殺ぐことから始まり、私語する、歩き回る、騒ぎ立てる、というふうにエスカレートする。
彼らがそれほど熱心なのは、それを「勉強している」ことにカウントしているからである。
たしかに、彼らは級友たちの学習時間を削減し、学習意欲を損なうことには成功しているのである。
だから、そのささやかな努力の成果は彼らの「偏差値」のわずかな上昇として現れることを期待してよいのである。
競争が同一集団内だけで行われるのであれば、自分の学力を高めることと、他人の学力を下げることは、同じである。
けれども、集団外にも世界は広がっている。
全員がおたがいの学力を下げることに熱中しているうちに、日本の子どもたちの学力は国際的に下がり続けている。
これを是正するために、教育行政は「さらなる競争を」の必要であることを主張しているが、もちろん、日本国内で競争圧力を強化した場合(成績上位者への報償を増やし、成績下位者への罰をより残酷なものにすることで)、学力はさらに下がり続けるのである。
彼ら自身が「他人のパフォーマンスを下げること」を通じて、今日の地位を得たことを(無意識のうちに)知っている官僚たちが、「他人のパフォーマンスを上げる」方法を思いつくはずがない。
これが「呪い」の効果である。
90年代からあと、日本社会では、ほとんどの批評的言説はつねに「呪い」の語法で語られてきた。
私の書いているこの文章も例外ではない。
批評性はつねに「呪い」に取り憑かれるリスクを負っている。
だから、私たちは絶えず自分の言動のうちに含まれている「呪い」を「祓う」必要がある。
呪いを祓うとはどういうことか。
それについてお話をする。
学士会館泊。
早起きして、新幹線で大阪に戻る。
リーガロイヤルで養老先生とAERAのための対談。
2時間半ほど、おしゃべり。
エネルギーの話、環境の話、北京オリンピックの話、ラオスの虫取りの話、秋葉原の殺人事件の話、などなど先生の話頭は転々として奇を究めるのである。
次回は8月2日、本学のオープンキャンパスに養老先生をお迎えして、「虫と人間」というお題でご講演をいただくのである。
迎え撃つのはいつもの三人組(甲野、島崎、そして私)と、本学の誇る「虫屋」である遠藤先生。
どんな展開になるか、今から楽しみである。
昼酒でぼおっとして帰宅。
桐野夏生『東京島』を読みながら眠る。

2008.06.24

片付かない仕事と片付かない気分

ゼミの学生に「先生の本で、『退屈でごめんなさい』という新書が読みたいんですけど、どこの本屋にもないんです」と不満顔で言われた。
そんなタイトルの本は出していないぞ。
「もしかして、『態度が悪くてすみません』じゃないの?」
あ、それです。
そういう話はよくある。
知人が本屋に行って、「『親父の言い訳』という本あるかな」と訊いたら、書店員がにっこりわらって『父の詫び状』を取り出したという話を聴いたことがある。
佳話である。
こういうデタラメな検索はコンピュータにはできない。
もうすぐいろいろ本が出る。
いちばん早いのはバジリコから出る『こんな日本でよかったね』
これはいつものブログ・コンピ本である。
ゲラを読んだら、いつものようにたいへん面白かった(という夜郎自大な態度もいつものことだが)。
いや、ほんとに。
そのゲラを送り出してすぐにレヴィナスの『困難な自由』のゲラを送り出し(これで校了)、さらに筑摩書房に『橋本治と内田樹』のゲラを返送した。
私はなんと5月からあとすでに3冊校了したのである。
その間に広島の講習会と全日本の合気道演武会と東大五月祭と志木合気会の演武会と本部の研修会に出て、講演を3回やって、法政大学で講義をやって、池上六朗先生とシンポジウムをやって、井上雄彦さんにインタビューして、橋本治さんと関川夏央さんと鼎談して、山折哲雄先生と対談して、養老孟司先生と対談して、インタビューを4回受けて、結婚式に2回出て、能舞台で『菊慈童』の盤渉楽を舞って、原稿を200枚くらい書いた。もちろんほぼ毎日大学に出勤して、授業をやって、会議に出て、合気道と杖道の稽古をしているあいだに、である。
これでまだ生きて息をしているのが不思議なくらいである。
昨日は会議を一つ、授業を一つしたあと、140Bの株主総会。
株主なので平川くんも東京から来ている。
二期が終わって黒字が出たので、株主に配当がいただけるそうである。らつきい。
そのあとスタッフもまじえて懇親会。
そのあと平川くんのラジオ・カフェのためのラジオの収録。
話すのは、平川くんと、江さんと、釈先生(は株主じゃないけど)と私。
テーマは「秋葉原無差別殺人事件」。
この事件をできあいの社会理論のナラティヴに落とし込まないために、いったいどうすればいいのかについて、四人であれこれと知恵を絞るが、この四人で考えても「どうしていいかわからない」という結論になる。
つまり、私たち自身がこういう事件を生み出す社会的な素地の形成に加担してきたということである。
「この事件の原因は要するに・・・なんですよ」というようなチープでシンプルな語り口そのものがこの事件の加害者が自分について作り上げた「チープでシンプルなナラティヴ」の鋳型になっているのである。
私たちはもちろんつねに説明を求める。
因果関係の考究を断念するということは人間知性にはありえない。
けれど、おのれの知性の活動が「同一の話型の繰り返し」以上のものになっているのかどうかを自己点検することは、きわめて、ほとんど絶望的に困難である。
というのは、私たちの知性は(あらゆる技芸の習得と同じく)「同一の話型の繰り返し」によってしか、そのパフォーマンスを上げる方法を知らないからだ。
同じ話を繰り返す。
あらゆる出来事を手持ちの「チープでシンプルなナラティヴ」に流し込む。
それが私たちの知性の活動の基本的なかたちなのである。
おろかなことである。
このピットフォールから脱する唯一の手がかりは、「でも、すごくたいせつなことがこのナラティヴでは語り切れずに残っているような気がする」という知的な残尿感(ひどい比喩だけど)を覚えることである。
その感覚以外に、同一のナラティヴのリフレインから抜け出す手がかりはない。
だから、私たち四人はいずれもたいへん「片付かない顔」をして分かれたのであるが、この表情がこの論件についてさしあたり私たちがとりうる唯一の誠実な意思表示なのである。
収録が終わると11時。
こんな生活してたら、ほんとに身体がもたない。

2008.06.25

恐るべしプーペガール

「プーペガール」についてゼミ発表を聴く。
初耳である。
サイバーエージェントというところがはじめたSNSで、いうならば「電脳着せ替え人形」である。
ちょっと前に流行った「セカンドライフ」と似ていて、ヴァーチャル通貨で、ヴァーチャルなお洋服やアクセサリーを購入して、自分の「アヴァター」である「プーペ」(フランス語で「人形」のことである)のワードローブに加えて、毎日着せ替えて、それを自分のお部屋に展示する。
そのコーディネイトを見て、「あら、すてきね」と思ったヴィジターは「すてき」ボタンを押したり、コメントをつけたりする。
すると、プーペの所有者にヴァーチャル通貨(単位は「りぼん」)が入金する。
つまり、センスのいいお洋服やアクセサリーや化粧品をたくさん持って、それをまめに着せ替えている人はどんどん(ヴァーチャル)お金持ちになり、ろくな服を持っていない人で、着せ替え頻度も少ない人は、誰にも相手にされないので、どんどん貧乏になって、最後はアヴァターが下着一枚になってしまう・・・というゲームである。
それのどこが面白いのか?とお訊ねの向きもあるだろう。
第一、どこがSNSなのか、と。
この遊びのすごいところは、着せ替え人形の「プーペ」ちゃんが着る服は、生身の人間であるところの所有者ご自身のワードローブの質量に相関する、というところである。
つまりですね、人間の方は自分のクローゼットの中の服を写真に写す。
それがどのブランドの商品であるかを明示してメールで送る。
すると、サイバーエージェントは、そのブランドと同じブランドの「テイストの似た商品」を「プーペ」ちゃんのクローゼットに贈ってくれるのである。
たとえば、人間が自前のピンクのワンピースの写真を送ると、ピンクの口紅がプーペちゃんの所有物リストに加わる。
意味、わかります?
「自前の」というところが味噌である。
現実の自分のクローゼットにさまざまなブランドの衣装が詰まっている人だけが、アヴァターの「プーペ」ちゃんに、さまざまなブランドの衣装を着せ替えすることができるのでる。
その点が、従来型の「アヴァター」ものとまったく異なる。
アヴァターたちは純粋な「妄想」である。
アヴァターに自己投影している現実の人間のありようとは何の関係もない。
だから、男性が女性のふりをしたり、子どもが大人のふりをしたり、へなちょこ野郎がタフガイぶったりできる。
「プーペ」ちゃんは違う。
現実のクローゼットにぎっちりブランドものの衣装がひしめいている人だけが、おしゃれな「プーペ」ちゃんを所有することができる。
これがサイバースペースの原理を根源的に転倒していることがおわかりいただけたであろうか。
サイバースペースでは、誰でも、固有名を隠したまま、誰かのふりをすることができる。
それが固有名で生きている場所では許されないさまざまなふるまいを可能にした。
すばらしいことだ。
と、みんな思った。
ずっと、そう思っていた。
そして10年ほど経って、「これ、あんまりすばらしくない」ということに人々は気づき始めた。
だって、「固有名を隠した、まま誰かのふりをした」人々のふるまいが「みんなそっくり」になってきたからである。
現実世界では「凡庸で目立たない人間」が、サイバーワールドでは「非凡で際立った人間」になれるとみんなが信じて、みんながそろって「非凡で際立った人間」のふりをしたら、全員「そっくりさん」になってしまった。
あらまあ。
サイバーワールドで「非凡で際立った人」とみなされる人たちはなんと「個体識別不能」だったのである。
サイバーワールドでも、やっぱり個体として認知されたいという人たちがSNSというものを作り出した。
それはニーズに応えるものだった。
とりあえず「ゲート」を作って、身元のわからないやつらは入れないコミュニティを作ったのである。
でもmixiのコミュニティはたちまちのうちに巨大化してしまった。
どれほど身元がたしかで、それぞれは個性的な人たちが集まっても、集団のサイズが大きくなりすぎると、個体識別はやっぱりできなくなる。
そこで登場したのが「プーペガール」である。
このSNSには、現実のクローゼットにセンスのいいブランドものの衣装がひしめいている人しか参加できない。
これほど高い参入障壁をネット上に構築したのはおそらく前例がないであろう。
そればかりか、そこでは他の参加者たちから「すてき」という承認を得続けないと、アヴァターは貧困化してしまうのである。
実際には「りぼん」をクレジットカードで購入できるので、お金持ちは自分の「プーペ」ちゃんをいくらでも衣装持ちにできるけれど、誰からも「すてき」といわれない「プーペ」ちゃんは、『天人唐草』(@山岸涼子)状態になってしまうのである(おお、テリブル!)。
すごい世界でしょ。
ネット上の商売にはこれまでつねに広告代理店が絡んできた。
ページヴューが増えれば広告が取れる。
だから、参加している人の数が多ければ多いほど、ネット上のSNSは金になる。
そういうシンプルな掛け算で代理店はネットビジネスを考えてきた。
けれども、「プーペガール」はその逆目を張った。
入り口のハードルを思い切り高く設定したのである。
参加者が限定されているブランド情報に関するSNSであり、かつそこに代理店が絡んでいないとなると、これが何を代替して機能するか、もうおわかりであろう。
そう、これは「ファッション雑誌」の代替物なのである。
それも、「ファッション雑誌から、広告出稿主への阿諛のバイアス」を抜いた、『暮らしの手帖』みたいなファッション雑誌なのである。
ここには現代日本で最先端を自認する「ファッション・ピープル」(ざっと3万人がところ)が集まって、ファッション情報を共有している。
この人たちの願いは「これ以上仲間が増えないこと」である。
だって、そうでしょ。先端的なファッション・リーダーが300万人もおられては、リーダーの意味がないじゃないですか。
これ以上仲間を増やさないことをめざすSNS。
これは正しい。
ネット上では絶対に作れないものが一つあると私は思っていた。
それは「秘密結社」である。
ネット上で仲間を集めようと思ったら「みなさん、秘密結社を作りませんか?」というアナウンスをすることが不可避であるが、その段階でもはや「秘密」結社ではなくなっている。
しかし、社会活動のうちのもっとも基幹的な部分は、実は「秘密結社」が担っているのである。
これに近い活動をどうやってネット上で展開するのか。私はそれに興味があったのだが、「プーペガール」によって、新たな可能性の方向を知ったのである。
そして、前日に140Bで江さんたちが言っていた「情報誌は遠からず全部つぶれますわ」という予言との共鳴する徴候をも感じたのである。

2008.06.28

情報を抜く

クリエイティヴ・ライティングの今週の宿題は「情報を抜く」。
ものを書く上での「情報を抜く」ということの重要性を指摘した人にかの橋本治先生がいる。
橋本先生はこう述べておられる。

自分が生きている限り、自分の身近にはまともな生活圏があるんだから、そのことは考えなくてよくて、そこから外れたときにどう生きるかという考えをしなくちゃいけないから、外れたところにいる人のことを考えるしかないということなんじゃないのかなあ……。俺、高校のときにいっぺん外れちゃったから。
それで、自分の居場所ってどこなんだと。
知らない人のいるところで生きていくしかないから、じゃあその知らない人をとりあえず考えてということだと思うし。
あと、自分と違う人のほうがわかりやすいんですよね。
『桃尻娘』を書くときに、こっちが二十七、八じゃないですか。主人公は十五だったでしょう。
何が違うかというと、男と女が違うと考える前に、彼女は俺より十二年若いんだ。とすると、俺が知っている十二年分、彼女が知らないんだな。そういう引き算をしちゃったんです。
たとえば、自分が高校生だったときに好きだった歌を彼女は知らないはずだというふうにすると、じゃ代わりに彼女が好きなのはなんだろうと。
そういうふうに抜いて代入していくと、パーソナリティーが出来てくるんです。

これは今秋発売の『橋本治と内田樹』の一節における橋本先生のご発言である。
すごいことをさらりとおっしゃいますね。
私はこれを聴いて、改めてこの人はほんものの天才だと思った。
私たちはほとんどの場合、人を理解するということを情報を「加算」することで達成しようとする。
その人の育成環境や学歴や既往症や交友関係や読書傾向など、とにかくできるだけたくさん情報を蓄積してゆけば、その人についてより正確で適切な理解に達するだろうと考えている。
それはほとんどの場合、理解を深めることには資さない。
他人を理解するというのは、多くの場合「情報を抜くこと」でしか達成されない。

ボーヴォワールの自伝には、1950年頃のパリの知識人たちの中に共産党入党者が激増した話が出てくる。
「もうすぐソ連軍がパリを占領して、フランスが社会主義国家になる」という見通しがかなり広範に支持されていたからである。
勝ち馬に乗ろうとしたのである。
私たちは「何を愚かな」と嗤うけれど、これは嗤う私たちが間違っている。
私たちは1950年時点のヨーロッパにおけるスターリンの神話的威信とソ連の軍事力に対する畏怖を適切に追体験することができない。
そのわずか5年前までパリはドイツ人たちが支配しており、彼らと通じたフランス人たちはそのとき「我が世の春」を謳歌していたのである。
同じことがもう一度起こることはありえないと断言できる人がどれほどいたであろうか。
アルベール・カミュはそのときにはフランスを捨てる覚悟を決めていたようである。
私たちは1950年のパリの知識人たちのそんな不安と震えるような期待感を理解できない。
それは私たちが1960年の党大会におけるフルシチョフのスターリン批判からのち独裁者の威信が地に墜ちたことを知っており、東西冷戦が最終的に社会主義陣営の総崩れに終わったことを知っているからである。
情報があるせいで、理解できないことがある。
過去においてつねに「未来は霧の中」なのであるが、「過去における未来」のうち「現在において過去になったこと」はその「霧」的要素を失ってしまう。
それはもう「起きてしまったこと」なのである。
「起きてしまったこと」が目の前にあるとき、「どうして、『このこと』が起きて、『それとは違うこと』が起きなかったのか?」と問うことはきわめてむずかしい。
私たちは「起きてしまったこと」の宿命性をつねに過大評価するからである。
繰り返し引く例で恐縮だが、「縄文時代の世田谷区民」という言い方がナンセンスであることはすぐわかる。
世田谷区という行政単位の出現は1932年であるから、「世田谷区民」の存在はそれ以前には遡らない(その前には「世田谷村民」や「荏原郡民」がいた)。
しかし、「縄文時代の日本人」という言い方には私たちはあまり違和感を覚えない。
でも、これは「違和感を覚えない」私たちの方がおかしい。
日本という政治単位が成立したのは689年である。
飛鳥浄御原令で天皇の称号とともに国号が正式に定められた。
だから、「日本人」の存在はそれ以前には遡らない。
もちろん、それ以前にも列島には住民がいたが、彼らは「日本人」ではない(網野善彦さんは「倭人」という呼称を提案している)。
彼らはまさかその1300年あとに「こんなこと」になるとはまったく予測していなかったはずである。
倭人の眼に列島や大陸の風景がどう映じていたのか、列島の未来をどんなふうに考えていたのかを、「日本人」の視点から理解することはむずかしい。
1300年分の「情報」を抜かないと、おそらく理解は及ばない。

実際に「情報を抜く」のはきわめて困難である。
けれども、理解も共感も絶した他者を理解したいと望むなら、自分の予断を形成している「情報を抜く」ことが必要であるとわきまえておくだけとりあえずは十分だろう。
というわけで、宿題は「2003年6月26日の日記」である。
君たちの5年前のある一日の日記を書いてきなさい。
もちろん、中学生時代の日記をほんとに出してきて書き写したりしちゃダメだよ。
そうではなくて、自分で考えるのである。
それからの5年間に自分の身に起きたことを「知らないこと」にして、それによって形成されてしまった価値判断の基準や、好悪や美醜の傾向を「リセット」するのである。
どうしてそんなことをするのかというと、君たちの中には「今の君たちが忘れてしまった自分/今の君たちのことを知らない自分」がいることを思い出して欲しいからだ。
そして、彼女たちに言葉を与えてやってほしい。
どんな日記が出てくるのか楽しみである。

2008.06.30

天才バガボンド

ひさしぶりの週末。
土曜日は朝寝してから、『日本辺境論』の続きを書き続ける。
網野善彦さんの『「日本」とは何か』(講談社、2000年)の中に富山県を中心とした正距方位図が掲載されている。
南北が逆転したこの地図が与える印象は私たちが見慣れた地図がもたらすものとまったく違う。
この地図のもたらす印象について、網野さんはこう書いている。
「この地図からうける印象はまことに新鮮で、ふつうの世界地図の中の日本列島とはまったく異なるイメージをうけとることができる。
なにより、サハリンと大陸の間が結氷すれば歩いて渡れるほど狭いこと、対馬と朝鮮半島の間の狭さ-晴れた日には対馬の北部が朝鮮半島がはっきり見えるほどの狭さを視覚的に確認することができる。そして日本列島、南西諸島の懸け橋としての役割が非常にはっきり浮かび上がり、『日本海』、東シナ海は列島と大陸に囲まれた内海、とくに『日本海』はかつて陸続きだった列島と大陸に抱かれた湖のころの面影を地図の上に鮮やかにとどめている。
そして、この地図を見ると、北海道、本州、四国、九州等の島々を領土とする『日本国』が、海を国境として他の国と隔てられた『孤立した島国』であるという日本人に広く浸透した日本像が、まったくの思いこみでしかない虚像であることが、だれの目にもあきらかになる。」(同書、36頁)
さいわい、今はgoogle earthでこのような「ふだん見慣れない地図」をいくらでも見ることができる。
ふと思い立って、「カナダを中心とした正距方位図」を見てみることにする。
ハドソン湾が世界の中心にあるカナダ地図が与えるカナダの印象は私たちがこれまでカナダに対して持ってきた印象を一変させる。
私たちが見慣れている世界地図上のカナダは「アメリカの北になんとなく『おまけ』みたいにくっついている国」にしか見えない(カナダのみなさん失礼を申し上げました。別に他意はないんです)。
しかし、カナダを中心にした世界地図を見ると、この国がアイスランドを経由地にして、イギリス本土を「目と鼻の先」にあること、グリーンランドからスバルバール諸島と島伝いに進めばノルウェーとは指呼の間であることが知れる(その代わりに、アメリカ合衆国は「カナダの南になんとなく『おまけ』みたいにくっついている国」にしか見えない)。
「カナダを中心にした世界地図」を見ると、カナダは明らかに「ヨーロッパの地続き」であり、アメリカ合衆国はどちらかというと「カナダ経由でヨーロッパとつながっている未開発地」のように見えるのである。
たしかに、この印象は北米植民史を徴するなら間違っていない。
北米大陸へのヨーロッパ人の進出はヴァイキングに始まるとされているが、彼らは今から1000年前に、ノルウェーのフィヨルドから船を出して、アイスランド経由でニューファンドランド(文字通り「最近発見された土地」)に到達したのである。
大航海時代に英国王が派遣した探検家がカナダを「発見」してから、この地に「ヌーヴェル・フランス」という巨大なフランスの植民地が成立する。
この植民地はハドソン湾からメキシコ湾にわたる含む北米全域を覆っていた(戦費に窮したナポレオンはこの植民地をアメリカ合衆国に二束三文で売り払ってしまった。アイオワ、アーカンソー、オクラホマ、カンザス、コロラド、サウスダコタ、テキサス、ニューメキシコ、ネブラスカ、ノースダコタ、ミズーリ、ミネソタ、モンタナ、ルイジアナ、ワイオミングの15州にまたがる地域をナポレオンはわずか1500万ドルでアメリカ合衆国に売却したのである)。
だから、「カナダを中心とした地図」を見ると、北米開拓は「カナダから始まり、もともと北米大陸の大部分は「カナダ」のものであり、カナダこそが北米大陸の中心であり、開拓の起点であり、アメリカこそがその偶有的な派生物のように見えたとしても少しも不思議はない。
国民国家の自己幻想に「自国を中心として描かれた世界地図」が深く関与していることを教えてくれるという点でgoogle earthはきわめて教育的なツールであると思う。大瀧詠一先生が「僕が『ポップス伝』でやりたかったことはこれなんだよ」と嘆息せられていたのもむべなるかな。
合気道の稽古のあと例会。
三戦三敗。ついに通算勝率が1割を切る。
ノーコメント。
日曜は朝から守口市にてめぐみ会寝屋川支部の集まりにお呼びいただき、講演。
めぐみ会の講演では、神戸女学院がいかにすてきな学校であるかを話せばよいので、気楽である。
サンテレビで阪神タイガースの解説をするようなものである。
あなたのおっしゃることに客観的論拠はあるのかというような野暮を言う人はこの場にはおられない。
それにこういう講演は事実認知的なものではなく、遂行的なものである。
私の講演をきかれた同窓生のみなさまが「ほんと私たちの卒業した学校って、いい学校だったのね」と深く確信せられて、ますます大学に対する愛とロイヤルティを高めてくださるならば、私の講演内容はますますその現実性を高めるのである。
「阪神タイガースは優勝します」と無根拠に断言する方が断言を控えるより阪神タイガースの優勝に資するところが大きいのと一般である。
お昼ご飯を食べておしゃべりしているうちにたちまち時間となり、慌てて電車で芦屋に移動。
日曜だけれど、柔道場がとれたので、二日続きでエクストラのお稽古。
本日はスペシャルゲストに井上雄彦さんが登場。
新潮社の『考える人』の対談シリーズ「日本の身体」で井上さんと対談することになっていたのだが、せっかくだからいっしょに合気道のお稽古をしてみたいというお申し出をいただいたのである。
わお。
土曜日に井上さんが来られるので、粗相のないようにご配慮くださいという簡単なお知らせメールを甲南合気会幹部にだけ出したのであるが、たちまちのうちに、燎原の火のごとく「井上雄彦先生来芦」の報は全会員に伝わり、開場前からすでに列を作って待っている。
井上さんはもともとバスケットマンであり、『バガボンド』のために空手を習い始めて、その有段者でもあるので、道着姿がたいへんつきづきしい。
井上雄彦さんです、とご紹介すると「おおおお」と地鳴りのようなどよめきが道場を聾するのであった。
井上さんのための「スペシャルメニュー」で3時間汗をかく(蒸し暑かったですものね)。

井上雄彦さんを囲んで
井上雄彦さんを囲んで

井上雄彦さんを囲んで

みんな井上さんと稽古をしたいけれど、二人で組むのはなんとなく気後れがするらしく、掛かり稽古のときになると、井上さんのいる組にだけ人がわらわらと集まってくる。
井上さんは合気道は見るのもやるのもはじめてであるということで、最初のうちはとまどっておられたけれど、終わりの頃にはずいぶん動きがなめらかになってきた。
稽古終了後、井上雄彦サイン大会。
一人一冊までと厳命していたが、ほとんど全員が本や色紙を携えて来たので、全員にサインするまで20分くらいかかってしまった(井上さん、ありがとうございました)。
今回のコーディネイターの橋本さんと足立さんは「先生、もうタクシー来てますけれど・・・もう、シロートはこれだから」というややイラツキ気味の目でサイン待ちの列をみつめていたが、この二人も実はこっそり「サイン本」を用意して井上さんにサインしてもらう機会を窺っていたことがその後に判明した。
河岸を御影のペルシエに替えて、井上さんと対談。
現代日本を(というよりすでに世界を)代表するマンガ家と「マンガ」について語るというマンガ・アディクトにとっての極楽的機会である。
「マンガとは何か?なぜ、マンガは日本に発祥し、マンガのイノベーションは日本のマンガ家たちだけによって担われているのか?」という学問的問いから「、『バガボンド』はこれからどうなるのですか?」というミーハー的問いまで、どんな質問にも井上さんはたいへんていねいに、ゆっくり考えながら答えてくださった(ほんとうによい人である)。
井上さんからの質問は合気道について、伝書について、剣の理合について。
こちらも知る限りのことをお答えする。
私が『BRUTUS』で武道的な理想の達成の絵画的表現として取り上げた二つの絵(武蔵が雪だるまを両断する場面と、蓮華王院で無刀のまま伝七郎に突き当たる場面)は井上さん自身にとっても「もっともうまく描けた絵」だとうかがって、なんだかすごくうれしくなった。
この絵のどこがいいのか自分でもわからないんだけれど、すごくうまく描けたという気がしたと井上さんは自作を評していた。
同じように登場人物たちの語った言葉も描いているときは、「この言葉しかない」と確信して描いているのだけれど、何ヶ月か経って読み返してみると「謎めいていて、自分でも意味がわからない」ということあるそうである。
その言葉を聴いて、この人はほんとうに天才だと思った。
それまで4時間黙々とサーブしていたペルシエのシェフが最後にたまりかねて「井上さん!大ファンなんです。サインしてください!」とメニューを差し出した。井上さんはにこやかにそこに武蔵の横顔を描いた。
井上さんほんとうに一日ありがとうございました。また遊びに来てくださいね。
エディターチームのみなさんもお疲れさまでした!

追記:ブルータス副編集長の鈴木さんが稽古風景を写真に撮ってくれました。
http://fukuhen.lammfromm.jp/

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