片付かない仕事と片付かない気分

2008-06-24 mardi

ゼミの学生に「先生の本で、『退屈でごめんなさい』という新書が読みたいんですけど、どこの本屋にもないんです」と不満顔で言われた。
そんなタイトルの本は出していないぞ。
「もしかして、『態度が悪くてすみません』じゃないの?」
あ、それです。
そういう話はよくある。
知人が本屋に行って、「『親父の言い訳』という本あるかな」と訊いたら、書店員がにっこりわらって『父の詫び状』を取り出したという話を聴いたことがある。
佳話である。
こういうデタラメな検索はコンピュータにはできない。
もうすぐいろいろ本が出る。
いちばん早いのはバジリコから出る『こんな日本でよかったね』
これはいつものブログ・コンピ本である。
ゲラを読んだら、いつものようにたいへん面白かった(という夜郎自大な態度もいつものことだが)。
いや、ほんとに。
そのゲラを送り出してすぐにレヴィナスの『困難な自由』のゲラを送り出し(これで校了)、さらに筑摩書房に『橋本治と内田樹』のゲラを返送した。
私はなんと5月からあとすでに3冊校了したのである。
その間に広島の講習会と全日本の合気道演武会と東大五月祭と志木合気会の演武会と本部の研修会に出て、講演を3回やって、法政大学で講義をやって、池上六朗先生とシンポジウムをやって、井上雄彦さんにインタビューして、橋本治さんと関川夏央さんと鼎談して、山折哲雄先生と対談して、養老孟司先生と対談して、インタビューを4回受けて、結婚式に2回出て、能舞台で『菊慈童』の盤渉楽を舞って、原稿を200枚くらい書いた。もちろんほぼ毎日大学に出勤して、授業をやって、会議に出て、合気道と杖道の稽古をしているあいだに、である。
これでまだ生きて息をしているのが不思議なくらいである。
昨日は会議を一つ、授業を一つしたあと、140Bの株主総会。
株主なので平川くんも東京から来ている。
二期が終わって黒字が出たので、株主に配当がいただけるそうである。らつきい。
そのあとスタッフもまじえて懇親会。
そのあと平川くんのラジオ・カフェのためのラジオの収録。
話すのは、平川くんと、江さんと、釈先生(は株主じゃないけど)と私。
テーマは「秋葉原無差別殺人事件」。
この事件をできあいの社会理論のナラティヴに落とし込まないために、いったいどうすればいいのかについて、四人であれこれと知恵を絞るが、この四人で考えても「どうしていいかわからない」という結論になる。
つまり、私たち自身がこういう事件を生み出す社会的な素地の形成に加担してきたということである。
「この事件の原因は要するに・・・なんですよ」というようなチープでシンプルな語り口そのものがこの事件の加害者が自分について作り上げた「チープでシンプルなナラティヴ」の鋳型になっているのである。
私たちはもちろんつねに説明を求める。
因果関係の考究を断念するということは人間知性にはありえない。
けれど、おのれの知性の活動が「同一の話型の繰り返し」以上のものになっているのかどうかを自己点検することは、きわめて、ほとんど絶望的に困難である。
というのは、私たちの知性は(あらゆる技芸の習得と同じく)「同一の話型の繰り返し」によってしか、そのパフォーマンスを上げる方法を知らないからだ。
同じ話を繰り返す。
あらゆる出来事を手持ちの「チープでシンプルなナラティヴ」に流し込む。
それが私たちの知性の活動の基本的なかたちなのである。
おろかなことである。
このピットフォールから脱する唯一の手がかりは、「でも、すごくたいせつなことがこのナラティヴでは語り切れずに残っているような気がする」という知的な残尿感(ひどい比喩だけど)を覚えることである。
その感覚以外に、同一のナラティヴのリフレインから抜け出す手がかりはない。
だから、私たち四人はいずれもたいへん「片付かない顔」をして分かれたのであるが、この表情がこの論件についてさしあたり私たちがとりうる唯一の誠実な意思表示なのである。
収録が終わると11時。
こんな生活してたら、ほんとに身体がもたない。
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