死のロード初日。
5月に始まった「(週末なき)死のロード」シリーズが二週間のインターバルを置いて、また再開された。今回のロードは6月末まで続く。
今回の週末は
14日、志木合氣会創立20周年記念演武会・講習会
15日、多田塾研修会
16日、法政大学で講義
その隙間に打ち合わせやら宴会などがある。もちろん各種原稿の締め切りもあるので、移動の車中でも目を充血させてパソコンを叩き続けている。
それでも立て続けに三本原稿を落とす。
かつては「いつもニコニコ守る締め切り」の人間であったのだが、もはやそのような牧歌的なことは言っておれない。
夏休みまであと6週間ほどある。
倒れずにたどりつけるとよいのだが。
とはいえ、今回は合気道イベントと鈴木晶先生のところの授業のお手伝いであるので、比較的お気楽なツァーである。
土曜日7時に起きて、8時半発の新幹線で東京へ。丸の内線で池袋。東武東上線で柳瀬川に12時。埼玉県は遠いです。
行きの電車の中で坪井師範、小堀さん、大田さんに遭遇。わいわいおしゃべりをしているうちに現地につく。駅で高雄くんに会う。軽く昼飯を誂えて店を出ると今崎先輩、雑賀くん、のぶちゃんと出会う。
こういうふうに目的地に向かって歩いていると、しだいに見知った顔が増えてゆき、カメラがぐうっとクレーンで持ち上げられて、一望するといつのまにか大集団に・・・という絵柄は「革命劇」の定番であるが、私はこの手の図像にたいへん弱く。
それだけで「ほろり」としてしまうのである。
どうしてだかわからないが、たぶん人類学的に「きゅん」と来る何かが含まれているのであろう。
同門の合気道家たちと久闊を叙す(といっても、みんな5月末の全日本演武大会で会ったばかり)。
演武会、多田先生の講習会と、とんとんと終わって、祝賀会。
稽古で汗をかいたあとの冷たいビールはまことに美味である。
参加団体からの最初の挨拶を多田先生からご指名されたので、志木合気会を創設された故・樋浦直久先輩の思い出を語る。
私は私の手の指がまわらないほどの樋浦さんの太い腕にさわるのが大好きで、宴会のときはいつも気がつくと先輩の左となりに座って、酔うとどういうわけかその樋浦さんの左手をつかまえて何か技をかけようとした。もちろんいつも「わははは」という豪快な笑いとともに反対に三教をかけられて畳に顔をこすりつけるのであった。
そのときの微醺を帯びて赤くなった樋浦さんのやさしい温顔を思い出す。
K井先輩から説教をしていただく。
「ウチダくん、ここにすわんなさい」「はい」
今回は礼のしかたについてご注意を受ける。
「君は頭が高いんだよ」「は」
おっしゃるとおりである。子どもの頃からずっとそう言われてきたのだが齢耳順に至ってまだ治らない。
それから「今日の演武はなかなかよかった」とにっこり。
まことに教育的なご配慮である。
「それからオレのことをブログ日記に書くなよ」ともご注意を受けた(それゆえ今回からはK井先輩とのみ記して名を秘すのである)。
二次会にもお供して、合掌の呼吸の要諦について、大先生の写真を神前に飾ることの必要性について、経験に裏づけられたさまざまの知見をご教示いただく。
同門の先輩とは、まことに求めて得難いものである。
学士会館泊。
あけて日曜日は多田塾講習会。若松町の本部道場に、また三々五々と同門の諸君が集まってくる。
地下鉄の駅で、ウッキーが地図を見ている。歩いているうちに、大田さんと会う(よく会いますね)。
昨日会った人たちもいるし、今日会う人(岩手から東京経由スイス行きの菅原さんとか)もいる。浜名湖道場の寺田さん門下の諸君(スーさんの同門)も来ている。ツッチーがいたので、「Tシャツ、かわいいね」と話しかける(まことによけいなお世話であるが、ツッチーと闇将を見ると何かよけいなことを言いたくなってしまう)。
楽しくお稽古したあと、多田先生をお見送りしてから、神楽坂へ。
二日間ごいっしょした甲南合気会の諸君(かなぴょん、ウッキー、ナガヤマさん、新井さん)、高雄くん、のぶちゃんらとお別れする。ばいばい。
神楽坂の「うお徳」にて新潮社のミエさん、アダチさんと会食。
「呪いの言論」について語る。
気づかぬうちに私たちの社会には「他人の苦しみをおのれの喜びとする」タイプのマインドが瀰漫しつつある。
自分には何の直接的利益もない(どころか、しばしば不利益をもたらす)にもかかわらず、それによって自分以上に苦しむ人がいるなら、その苦しみを自分の「得点」にカウントする風儀がいつのまにか私たちの時代の「ふつう」になってしまった。
他人の苦しみをおのれの喜びとすることを「呪う」という。
この古い日本語がメディアから消えると同時に、日本中の人々がそれが「呪い」であることを知らずに、「呪い」の言葉を吐き散らすようになった。
月曜日は法政大学の鈴木晶先生のところで特別講義。
先週は増田聡くんがゲスト講師で、今週は私。
「倍音的文体論」というお題を鈴木先生から頂いていたので、その話をするうちに、どれほどシンプルでチープなナラティヴであっても、それが「本歌取り」である限り、そこからは倍音が発し、それを聴取した人たちの中には「これは私だけに宛てられたメッセージだ」と錯覚するものが出てくる。
芭蕉と村上春樹の話から始まって、シリアル・キラー、模倣犯の話に転じ、秋葉原の無差別殺傷事件と「呪いのナラティヴ」の話になる。
最初のうちは眠っていた学生たちも途中から目を覚まして、身を少しこわばらせて聴いている。
私たちの時代においてドミナントな言説は「呪い」の語法で語られているという昨日の続きの話をする。
「呪い」という言葉が彼らには実感として「ヒット」するのであろう。
むろん、呪いは祓われなければならない。
それは「呪うものは呪われよ」ではない(それでは呪いは増殖するばかりである)。
「呪詛には祝福」と人類の黎明期から決まっている。
「他者の喜びをおのれの喜びとする」ことである。
授業のあと、ボアソナードタワーのラウンジで鈴木先生とご飯を食べながら、「日本はこれからどうなるんでしょうね」といささか悲観的なおしゃべりをする。
鈴木先生に「またね」とお別れしてから、音羽の講談社へ。
『街場の家族論』のゲラを放置したまますでに半歳。
小沢さんと、浅川さんの後を引き継いだ新担当の山中さんにお詫びとご挨拶。
30分ほどでおいとまして、新幹線に乗ると、たちまち爆睡。
今週末もまた東京である。とほほ。
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(2008-06-17 10:21)