天才バガボンド

2008-06-30 lundi

ひさしぶりの週末。
土曜日は朝寝してから、『日本辺境論』の続きを書き続ける。
網野善彦さんの『「日本」とは何か』(講談社、2000年)の中に富山県を中心とした正距方位図が掲載されている。
南北が逆転したこの地図が与える印象は私たちが見慣れた地図がもたらすものとまったく違う。
この地図のもたらす印象について、網野さんはこう書いている。

「この地図からうける印象はまことに新鮮で、ふつうの世界地図の中の日本列島とはまったく異なるイメージをうけとることができる。
なにより、サハリンと大陸の間が結氷すれば歩いて渡れるほど狭いこと、対馬と朝鮮半島の間の狭さ-晴れた日には対馬の北部が朝鮮半島がはっきり見えるほどの狭さを視覚的に確認することができる。そして日本列島、南西諸島の懸け橋としての役割が非常にはっきり浮かび上がり、『日本海』、東シナ海は列島と大陸に囲まれた内海、とくに『日本海』はかつて陸続きだった列島と大陸に抱かれた湖のころの面影を地図の上に鮮やかにとどめている。
そして、この地図を見ると、北海道、本州、四国、九州等の島々を領土とする『日本国』が、海を国境として他の国と隔てられた『孤立した島国』であるという日本人に広く浸透した日本像が、まったくの思いこみでしかない虚像であることが、だれの目にもあきらかになる。」(同書、36頁)

さいわい、今はgoogle earthでこのような「ふだん見慣れない地図」をいくらでも見ることができる。
ふと思い立って、「カナダを中心とした正距方位図」を見てみることにする。
ハドソン湾が世界の中心にあるカナダ地図が与えるカナダの印象は私たちがこれまでカナダに対して持ってきた印象を一変させる。
私たちが見慣れている世界地図上のカナダは「アメリカの北になんとなく『おまけ』みたいにくっついている国」にしか見えない(カナダのみなさん失礼を申し上げました。別に他意はないんです)。
しかし、カナダを中心にした世界地図を見ると、この国がアイスランドを経由地にして、イギリス本土を「目と鼻の先」にあること、グリーンランドからスバルバール諸島と島伝いに進めばノルウェーとは指呼の間であることが知れる(その代わりに、アメリカ合衆国は「カナダの南になんとなく『おまけ』みたいにくっついている国」にしか見えない)。
「カナダを中心にした世界地図」を見ると、カナダは明らかに「ヨーロッパの地続き」であり、アメリカ合衆国はどちらかというと「カナダ経由でヨーロッパとつながっている未開発地」のように見えるのである。
たしかに、この印象は北米植民史を徴するなら間違っていない。
北米大陸へのヨーロッパ人の進出はヴァイキングに始まるとされているが、彼らは今から1000年前に、ノルウェーのフィヨルドから船を出して、アイスランド経由でニューファンドランド(文字通り「最近発見された土地」)に到達したのである。
大航海時代に英国王が派遣した探検家がカナダを「発見」してから、この地に「ヌーヴェル・フランス」という巨大なフランスの植民地が成立する。
この植民地はハドソン湾からメキシコ湾にわたる含む北米全域を覆っていた(戦費に窮したナポレオンはこの植民地をアメリカ合衆国に二束三文で売り払ってしまった。アイオワ、アーカンソー、オクラホマ、カンザス、コロラド、サウスダコタ、テキサス、ニューメキシコ、ネブラスカ、ノースダコタ、ミズーリ、ミネソタ、モンタナ、ルイジアナ、ワイオミングの 15 州にまたがる地域をナポレオンはわずか 1500 万ドルでアメリカ合衆国に売却したのである)。
だから、「カナダを中心とした地図」を見ると、北米開拓は「カナダから始まり、もともと北米大陸の大部分は「カナダ」のものであり、カナダこそが北米大陸の中心であり、開拓の起点であり、アメリカこそがその偶有的な派生物のように見えたとしても少しも不思議はない。
国民国家の自己幻想に「自国を中心として描かれた世界地図」が深く関与していることを教えてくれるという点でgoogle earthはきわめて教育的なツールであると思う。大瀧詠一先生が「僕が『ポップス伝』でやりたかったことはこれなんだよ」と嘆息せられていたのもむべなるかな。

合気道の稽古のあと例会。
三戦三敗。ついに通算勝率が1割を切る。
ノーコメント。

日曜は朝から守口市にてめぐみ会寝屋川支部の集まりにお呼びいただき、講演。
めぐみ会の講演では、神戸女学院がいかにすてきな学校であるかを話せばよいので、気楽である。
サンテレビで阪神タイガースの解説をするようなものである。
あなたのおっしゃることに客観的論拠はあるのかというような野暮を言う人はこの場にはおられない。
それにこういう講演は事実認知的なものではなく、遂行的なものである。
私の講演をきかれた同窓生のみなさまが「ほんと私たちの卒業した学校って、いい学校だったのね」と深く確信せられて、ますます大学に対する愛とロイヤルティを高めてくださるならば、私の講演内容はますますその現実性を高めるのである。
「阪神タイガースは優勝します」と無根拠に断言する方が断言を控えるより阪神タイガースの優勝に資するところが大きいのと一般である。
お昼ご飯を食べておしゃべりしているうちにたちまち時間となり、慌てて電車で芦屋に移動。
日曜だけれど、柔道場がとれたので、二日続きでエクストラのお稽古。
本日はスペシャルゲストに井上雄彦さんが登場。
新潮社の『考える人』の対談シリーズ「日本の身体」で井上さんと対談することになっていたのだが、せっかくだからいっしょに合気道のお稽古をしてみたいというお申し出をいただいたのである。
わお。
土曜日に井上さんが来られるので、粗相のないようにご配慮くださいという簡単なお知らせメールを甲南合気会幹部にだけ出したのであるが、たちまちのうちに、燎原の火のごとく「井上雄彦先生来芦」の報は全会員に伝わり、開場前からすでに列を作って待っている。
井上さんはもともとバスケットマンであり、『バガボンド』のために空手を習い始めて、その有段者でもあるので、道着姿がたいへんつきづきしい。
井上雄彦さんです、とご紹介すると「おおおお」と地鳴りのようなどよめきが道場を聾するのであった。
井上さんのための「スペシャルメニュー」で3時間汗をかく(蒸し暑かったですものね)。

井上雄彦さんを囲んで

みんな井上さんと稽古をしたいけれど、二人で組むのはなんとなく気後れがするらしく、掛かり稽古のときになると、井上さんのいる組にだけ人がわらわらと集まってくる。
井上さんは合気道は見るのもやるのもはじめてであるということで、最初のうちはとまどっておられたけれど、終わりの頃にはずいぶん動きがなめらかになってきた。
稽古終了後、井上雄彦サイン大会。
一人一冊までと厳命していたが、ほとんど全員が本や色紙を携えて来たので、全員にサインするまで20分くらいかかってしまった(井上さん、ありがとうございました)。
今回のコーディネイターの橋本さんと足立さんは「先生、もうタクシー来てますけれど・・・もう、シロートはこれだから」というややイラツキ気味の目でサイン待ちの列をみつめていたが、この二人も実はこっそり「サイン本」を用意して井上さんにサインしてもらう機会を窺っていたことがその後に判明した。
河岸を御影のペルシエに替えて、井上さんと対談。
現代日本を(というよりすでに世界を)代表するマンガ家と「マンガ」について語るというマンガ・アディクトにとっての極楽的機会である。
「マンガとは何か? なぜ、マンガは日本に発祥し、マンガのイノベーションは日本のマンガ家たちだけによって担われているのか?」という学問的問いから「『バガボンド』はこれからどうなるのですか?」というミーハー的問いまで、どんな質問にも井上さんはたいへんていねいに、ゆっくり考えながら答えてくださった(ほんとうによい人である)。
井上さんからの質問は合気道について、伝書について、剣の理合について。
こちらも知る限りのことをお答えする。
私が『BRUTUS』で武道的な理想の達成の絵画的表現として取り上げた二つの絵(武蔵が雪だるまを両断する場面と、蓮華王院で無刀のまま伝七郎に突き当たる場面)は井上さん自身にとっても「もっともうまく描けた絵」だとうかがって、なんだかすごくうれしくなった。
この絵のどこがいいのか自分でもわからないんだけれど、すごくうまく描けたという気がしたと井上さんは自作を評していた。
同じように登場人物たちの語った言葉も描いているときは、「この言葉しかない」と確信して描いているのだけれど、何ヶ月か経って読み返してみると「謎めいていて、自分でも意味がわからない」ということあるそうである。
その言葉を聴いて、この人はほんとうに天才だと思った。
それまで4時間黙々とサーブしていたペルシエのシェフが最後にたまりかねて「井上さん! 大ファンなんです。サインしてください!」とメニューを差し出した。井上さんはにこやかにそこに武蔵の横顔を描いた。
井上さんほんとうに一日ありがとうございました。また遊びに来てくださいね。
エディターチームのみなさんもお疲れさまでした!

追記:ブルータス副編集長の鈴木さんが稽古風景を写真に撮ってくれました。
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